2017年9月23日 (土)

60年ぶりに陣馬山へ

9月19日(火)

高尾山などと並んで、東京近郊のハイキングの人気の山として知られる陣馬山(855m)に登ってきました。
僕が加入している年金者組合の行事の中に、春と秋のハイキングがあり、今年の秋は僕がコース選びを担当することになりました。
組合のハイキングは、参加者の脚力に大きな差があり、コース選定が難しいのです。皆さん、高齢ですから。ちなみに、春は丹沢の大山登山でしたが、厳しかった、辛かったとの声も聞こえました。
そこで秋のハイキングに選んだ候補の一つが、比較的楽に登れそうな陣馬山でした。今日はその下見ということで、一人で出かけました。(写真下、眺望の良い陣馬山山頂)
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陣馬山の名前の由来は、ウイキペディアによると、北条氏の滝山城を攻めた武田氏が陣を張った「陣場」説、カヤ刈場であったことから「茅(チガヤ)場」から音が変化したとの説、馬の陣を張ったことから「陣馬」の文字が使われた説とがあると書かれています。
僕は武田氏の陣場説を支持したいなと思っています。

さて、陣馬山の登山コースは、幾つもありますが、裏道にあたる「陣馬高原下バス停」~「陣馬山」のコースを歩いてみようと思いました。
ここは朝のバス便が比較的多いのです。陣馬山に限らず、最近の登山口までのバス便の減少には、困っています。人気の陣馬登山口バス停からのコースも、藤野駅からのバスがとても少ないのです。
あまり早朝出発の計画はできないので、柳瀬川駅を8.15の電車に乗り、9.21に高尾駅に着きました。
バスは9.34発に乗れます。幸い一時間に1本程度出ているのです。
37分の乗車で10.11に陣馬高原下バス停に着きました。バス料金は560円です。
高尾駅では、混んでいた車内も、終点の陣馬高原下に着くころには、登山者10数人だけになっていました。
皆が登山口に向かった後、ゆっくりと歩き始めました。和田峠に向かう舗装された車道を25分程歩くと、左手に新ハイキングコースと書かれた登山道入口が現れます。(写真左1枚目Dsc02743_1024_2






10.50、舗装路と別れて、ここから山歩きが始まります。しばらく沢沿いの道を歩きますが、その先で沢から離れて尾根に上がると、木の根のゴロゴロした思った以上の急坂で、これが結構厳しい登りになりました。Dsc02745_1024


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急傾斜を登る事、約40分、尾根上から離れて、山腹を巻くように進むと和田峠からの道が合流しました。(写真5枚目)

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このあたりから山頂まで、今までの急坂が嘘のように緩やかな登りで、「陣馬山の家」跡地の広場を過ぎ、しばらくやや傾斜の増した道を登ると、山頂の小屋の屋根が見えてきました。
登山道入口から、約1時間20分、12.10に陣馬山山頂に到着です。

僕が陣馬山に登ったのたった一回、60年ほど前、どこからのコースだったか、覚えてないのですが、確か山岳部の歩荷訓練で、明王峠から景信山に縦走し、夕やみ迫る頃、相模湖を下に見ながら疲れ切って下山した記憶だけがあります。それ以後、多くの山行を共にした仲間もいたと思うのですが、陣馬山では、誰がいたのか、顔も思い出せません。
広々とした高原のような山頂、360度の展望を見ても、当時の事はまったく忘れています。それほど苦しい、歩荷登山だったのでしょう。勿論、白馬の像は無かった頃です。
山頂のベンチでは、かなりの数の登山者が、弁当を食べていました。平日なので、頂上の茶店では、清水茶屋さんだけが営業していました。
下山する人たちが、ほとんど明王峠方面に向かいます。
栃谷尾根か奈良子尾根を下る人もいるでしょうが、ほとんどの人達は、景信山へ向かうのではないでしょうか。
僕は、ゆっくり休憩して弁当を食べてから、13.10、少し長いが傾斜の緩やかな一ノ尾尾根を下る事にしました。確かに陣馬登山口からのコースと比べると、緩やかな登山道が続きます。和田への分岐を二つ分けて、14.40、1時間半ほどで陣馬登山口バス停に到着しました。
後は、一時間に一本の14.58の藤野駅行きのバスを待つだけです。
さて、陣馬山、下見しての結論は、このコース、登りがきついし、バス便が少ないなど、高齢者の集団登山にちょっと無理かなと思いました。
別な場所を見つけなくては。

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2017年8月 1日 (火)

白山へ---その2(下山)

 30分程過ごした白山主峰山頂に別れを告げ、登ってくる大勢の登山者とすれ違いながら、石畳、階段などで良く整備された登山道を、30分程で室堂へ戻りました。
室堂も登山者がいっぱいです。今日は7月15日(土)、そうです、金沢駅から別当出会間迄の登山バスが運行されたのです。
僕も午後15時30分の、別当出会発のバスに乗り金沢駅に戻らねばなりません。夜行高速バスが予約してあるのです。
時間は充分と思いながらも、もし足でも傷めたら、別当出会に宿泊施設は有りません。
頂上からの翠ヶ池巡りなども考えたのですが、下山を急ぐことにしました。好天に恵まれて、白山に登れたことだけでも感謝しなくては。
室堂発10時40分。
砂防新道と観光新道との分岐になる、黒ボコ岩を目指します。
すぐに室堂に至る最後の登り、五葉坂です。10分程でこれを下り、エコーラインとの分岐を左に見て、弥陀ヶ原になります。低木と高山植物が草原状に広がり、明るく開けた眺めの良い場所です。背後に水屋尻雪渓、その先に登ってきた白山主峰、御前峰がくっきりと見えます。雪渓横に、下ってきたきた登山道が、一本の線となって見えます。
都会に暮らすと、自分が歩いてきた道の軌跡を、振り返って見られることなど、まずないでしょう。それが山の稜線歩きでは、普通の事のように見えてしまいます。はるばる来たなと、感慨にふける道もあります。山登りの醍醐味の一つです。(写真下2枚)
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弥陀ヶ原から黒ボコ岩までは、短い距離です。(写真左2、3枚目)
黒ボコ岩には、大勢の登山者が休んでいました。ここが、室堂からの二つの登山道、砂防新道と観光新道の合流地点なのです。
実は、室堂で再開したMさんから、観光新道を下ることを勧められていたのですが、霧が湧き、眺望も望めないと自分に言い訳して、急坂の少ない、楽な砂防新道を下ることにしました。少し疲れが出てきていました。
実は南竜山荘で朝起きたら、左手の薬指の第一関節から先が、だらりと下がったままでした。動かそうと思ってもまったく自分の意志では動きません。痛みなどはありません。なんだかよくわからない症状ですが、腱が切れたようです。そんなことも、弱気になる原因でした。
黒ボコ岩を過ぎたあたりでは、登山道脇に高山植物がたくさん見られました。
十二曲りの急坂も、下りは楽です。登ってく
Dsc02588_1024る大勢の登山者とのすれ違いで、何度も待たされます。
今日も暑く、登りは辛そうです。明日から海の日の連休になるので、小屋は超満員だと聞かされました。
大型のザックを背負った高校山岳部のグループが、喘ぎながら登ってきます。どこまで行くのか。今日の午後から天気は崩れる予報なので、かなり厳しい登山となるでしょう。30kgの荷を背負って縦走した若き日を思い出します。一緒に登った友の何人もが、もう会うことが出来ない世界にいます。
右手の稜線に、観光新道を歩く登山者の姿が小さく見えます。やはり、あちらの方が、眺望は良さそうだなと、ちらっと後悔もしました。観光新道という名とは裏腹に、実は1000年以上も続く越前禅定道の一部だと、ガイドブックに書かれていました。砂防新道は工事用の道路を利用した、谷筋の登山道なのです。
山腹を巻くようにつけられた登山道を下ります。高山植物がたくさん咲いています。(写真4枚目)
水場のある沢、雪渓の残る沢(写真5枚目)などを横切り、相変わらず大勢の登山者とすれ違いながら、狭い登山道を下ります。(写真6枚目)やがて見覚えのある南竜分岐です。昨日、雨の中、ここで砂防新道と分かれて右に折れて、南竜山荘を目指したので
Dsc02589_1024す。
ここから先は、昨日登ってきた道です。15分程で甚之助避難小屋に到着しました。室堂から1時間半ほどで下りましたので、疲れている割には、まあ順調なペースです。
広場のベンチで、しばらく休みました。甚之助避難小屋は、水場もトイレもあるきれいな小屋です。
ここからは、約1時間強の最後の下り、かなりの急坂もあります。中飯場(写真一番下)で小休止して、別当出会には、14時30分に到着しました。着替えたりして、時間を過ごし、15時30分の最終バスに乗り込みました。補助席を使うほどの混雑でしたが、ほとんどの乗客は、15分程の乗車で、駐車場のある市ノ瀬で降りてしまい、金沢駅までの乗車は僅か8人、そのうち4人は、米国人らしい若者たちでした。
2時間半の乗車で、午後6時、バスは観光客で賑わう金沢駅に到着しました。山行の汗を流すべく、電車で金沢駅の隣駅の東金沢駅まで行き、駅近くの日帰り温泉施設「和おんの湯」で露天風呂に浸かり、白山登山を無事終わらせることが出来ました。後は、市内に戻りゆっくり食事をして、夜行高速バスで新宿バスタに戻るだけです。

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2017年7月31日 (月)

白山へ

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(壊れたパソコンは、中古品を購入した同機種の別パソコンに、ハードディスクを移し替えることで、完全復活しました。白山の写真も無事でした。ブログ再開します)

7月15日(土)
9時40分。登山者が行き交う室堂のベンチ横にザックを置き、空身になって登る事約40分。青石や高天原を通って一等三角点のある、標高2,702mの白山山頂に到着しました。空身は楽です。僕はいつも荷物が重すぎます。
山頂標識、そして大きな石製の山名方位盤もあります。
岩の積み重なった頂上部分はかなりの広さがあり、多くの登山者が写真を撮りあったりしています。(写真上)

雲が次々と湧き、遠く北アルプスなどの眺望は望めませんでしたが、それでも上空は薄い雲の間から青空の見える好天に恵まれました。目の前には大きな山容を見せる別山、そこから延びる岐阜、福井の山々がよく見えます。
やっと白山山頂に立つことが出来た。
北、南、中央アルプス、そして八ヶ岳などから、遠くに白く輝く白山を何度眺めたことか、僕にとっては長い間、遠い山だったのです。
仕事とは、とても両立できないと、岩登りが主体だった登山を20代で止めました。再び山に戻ったのは、60歳に手が届く年になってからです。本多勝一さんの著書「五十歳から再開した山登り」に影響されたような気がします。本多さんが再開登山の最初に選んだのが東駒ケ岳(甲斐駒ケ岳)でした。僕も真似て北沢峠で幕営し、甲斐駒と仙丈岳に登りました。
その当時、「200名山登山」の最終段階に入っていた、古い山友達に誘われて、高妻山、皇海山などに登り、以後南ア縦走、栂海新道などを経て、毎年山行を重ねるようになりました。
鋸岳、白砂山、佐武流山、和名倉山、大無限山などの200名山中の難山と、昔に比べて驚くほど整備された北アの登山道とのギャップにも驚かされました。若い頃は同じ山域に入る事が多く、登頂した山の数は少なかったので、この20年間に、踏破した山の数はずいぶん多くなりました。

今年、喜寿の年を迎えた誕生日の後、再び訪れることは多分ないだろう
「さよならの山」をどこにするか迷いましたが、やはりこの山しかないだろうと選んだのが、白山でした。
日本三名山、すなわち富士山、立山そして僕がまだ登っていなかったのが白山だったのです。喜寿の記念登山にふさわしい山だと思いました。
深田久弥さんの日本百名山には、次のように書かれています。ちなみに深田さんの生地は、石川県大聖寺町です。

「私のふるさとの山は白山であった。白山は生家の二階からも、小学校の門からも、鮒釣りの川辺からも、泳ぎに行く海岸の砂丘からも、つまり私の故郷の町のどこからでも見えた、真正面に気高く美しく見えた。それは名の通り一年の半分は白い山であった。」
僕は太平洋戦争末期、東京の空襲から逃れて、祖母と幼い弟と一緒に、石川県の寺井町(現、能美市)に疎開し、2年弱を過ごしました。
覚えているのは、住んでいた古い蔵と急な階段、そして2階にまで迫る深い雪くらいなのですが、近くの丘陵に連れられて行ったとき、白い大きな山が見えたような記憶があるのです。あれは白山だったのでしょうか。

今朝、5時過ぎに宿泊した南竜山荘を出ました。あたりは霧に包まれています。(写真下1枚目)

昨日は金沢駅から北陸本線で小松駅まで行き、小松空港からの乗り合いタクシーに乗せてもらい、登山口の別当出会に11時前に到着しました。
登山バスが平日に出ていないことを知らなかった失敗は、前に書きましたが、この小松タクシーの宮森さんという運転手は、たった一人の予約客である僕を、駅に出迎え、ワゴン車で登山口まで、気持ちよく送ってくれたのです。
バスの発着所でもある休憩所で準備を整えてから、観光新道分岐を左に見て、長い吊り橋を渡り、砂防新道コースを登りました。
実によく整備された登山道が続きます。中飯場から、眼前に別当谷、甚之助谷、万才谷のすさまじい大崩壊を見ながら別当覗きを過ぎ、甚之助避難小屋に到着。
登山道のすごい暑さと、高速夜行バス利用で金沢に着いた昨日、猛暑の中を金沢市内の観光で、一日中歩きまわったのがたたり、かなりへばりました。登りのペースが掴めません。荷も重すぎました。
この頃から、雨が降り始め、小屋前で雨具を付け、南竜道分岐を経て南竜山荘には15時20分頃到着しました。約4時間の登りでした。
小屋は空いていましたが、室堂まで足を延ばせなかった予定外のツアー登山グループが入ったとかで、広い部屋の両側が二段になった片側の上段に入れられました。
それでも15人ほどのスペースに3人ですから、楽々です。
別山・市ノ瀬道のチブリ尾根を登り、縦走してきたという単独のMさんが隣になり、いろいろと山の話をしました。先週もエコーラインを登ったとかで、白山の登山者は、この山に何度も登られている方が多いようです。消灯は8時、時々、目覚めながらも、長い夜を快適に過ごしました。
朝、4時半に目覚めると、Mさんたち二人の登山者は、もういませんでした。まだ寝ている他の登山者の迷惑にならないような、静かな出立はさすがです。僕も下に寝るツアー登山グループを起こさないよう、梯子をゆっくりと降りて廊下に出ました。出発します。

Dsc02545_1024山荘を出て、天幕場への橋の手前を、別山への分岐を左にとって、展望歩道コースを登りました。案内書に眺望の良いコースだと書かれていますが、登山道は霧に包まれています。このコースは、白山の登山道情報で、残雪があり注意と書かれていましたので、登山者は少ないはずです。
割と平坦な道を50分ほど登ると、急な傾斜の雪渓が道をふさいでいます。実は、山荘を出るとき、軽アイゼンを持たないので、この雪渓から引き返して、砂防新道を登るというMさんに出会っていたのです。霧が湧いて先方が見通せません。
急峻な雪渓は、横断が難しい。Dsc02553_1024
まして、単独行での事故は起こせません。6本爪の軽アイゼンを付け、ストックの先のゴムカバーを外して慎重に渡りきりました。渡ってみれば、距離は短い小沢でしたが落ちれば、かなり下まで飛ばされます。(写真横2枚目)
渡りきった先に柳谷の標識が立っていました。この沢を指すのでしょうか。
ここから、急な登りを少し続けると、前方がぱっと開け、石の山名盤があるアルプス展望台に到着しました。(写真下3枚目)
晴れてはいますが、残念ながら眺望は悪く、山名を指さすことはできません。
ここで、山荘で用意してくれた朝食のお握りをゆっくり食べました。下から、別山から縦走し、昨夜南竜山荘で幕営したという若者が登ってきました。
今日、初めて会う登山者です。昨日、四国から徹夜で車を飛ばし、Mさんと同じ、市ノ瀬から別山のルートを登ったということです。若くなDsc02561_1024くてはできないことです。お握りを一つ食べてくれないかと差し上げると、旨いと食べてくれました。
ここから、高山植物が咲く、気持ちの良い道を登り、大倉山に続く平瀬道と合流しました。他に誰もいない静かな山、白山独り占めの気分です。(写真下4枚目)
しかし、この先の雪渓で、今回の登山での最大の失敗をしてしまいました。一瞬、霧がかかっていたこともあり、対岸の登山道を見つけられず、雪渓上の靴跡をたどり、上へと登ってしまったのです。登りながら左手にあるはずの登山道取付地点を探したのですが、見つかりません。雪渓上に幾つもの靴底跡が交錯するのは、やはり迷った人もいたのでしょう。(写真下5枚目)
後から考えれば、地図上に雪渓(谷筋)を上に登るようなルートは無く、単に横に横断すればよかったのです。後で見たGPSにも、雪渓地点を迷走台風のように動き回る奇跡がはっきり残っていました。
仕方がない、最初の地点に下ろうと思ったとき、下の方に室堂方面から下ってきた登山者が雪渓を渡ろうとしているのが見えました。なんだ、あそこだったんだとわかりました。左岸の登山道のほとんど真横に右岸の登山道を示す、倒れかけたロープ支柱があるのが見えます。判断と注意力のお粗末さに、自分に腹が立ちました。何年登山をやっているんだ、この思いは、室堂到着まで残りました。
だいぶ時間をロスしてしまいました。そこから、しばらく気持ちの良いなだらかな道を登ると、もう室堂の建物の赤い屋根が見えてきました。(写真下6枚目)
室堂到着8時15分、南竜山荘から、3時間強かかってしまいました。室堂には、700名も収容できる大きな宿泊施設、そして白山比め神社があります。
白山開山1300年と大きく書かれています。717年、越前の僧、泰澄により初登頂され開山してから、2017年、今年で1300年になるのです。信仰に守られた山の長い歴史があるのです。良い年に登れたと、神社でお札を購入して、山旅の無事を感謝しました。

Dsc02564_1024下山は、明日書きます。

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2017年7月19日 (水)

白山は、やはり美しい山でした

念願だった白山に登ってきました。
喜寿を祝われる年になってしまいましたが、さて記念の山をどこにしようかと、迷ったのです。
白山は僕にとっては、遠い山でした。
<注>
「白山」から戻り、ブログを書こうとしてしていた矢先、突然の停電があり、それが原因かパソコンが壊れてしまったのです。写真も取り込んで、カメラからは削除してしまったばかりでした。今回に限り、即削除などなぜしてしまったのだろうと悔やまれるのですが、後の祭りです。
そんなわけで、パソコンの復旧に望みをつないでいるのですが、かなりの重故障のようで、修理するより、新規購入した方が良さそうでもあり、しばらく、対策を講じて様子を見てから、ブログを書こうと思っています。
「二日目の登頂日には、好天に恵まれ、深田久弥さんが書かれているように、白山はやはり美しい山でした。」

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2017年7月10日 (月)

僕の失敗----バスが出ない!白山登山計画その2

白山登山口に行くバス便が7月15日の土曜日まで無い!
今回は最悪、キャンセルも考えたのですが、何か策は無いものか。
そうだ、山梨県の大弛峠に行くような、乗り合いタクシーを探してみようと、ネットで調べるとなんと、あったのです。
地元の小松タクシーが「白山登山エクスプレス」という登山口までの乗り合いタクシーを小松空港から毎日運行していることがわかりました。
小松空港の次にJR北陸本線小松駅でも乗降することが可能でした。
http://komatsutaxi.com/sightseeing/index.html#sno  「小松タクシー」
それなら、予備日を入れ替えて、7月15日(土)に下山すれば、帰りは登山バスが運行されています。
行きだけ、乗り合いタクシーを利用する。そのためには登山日の朝、金沢駅から小松駅まで列車に乗ればよいわけです。早速、電話を入れると、一人でも運行してくれるとのこと。これで問題解決です。
登山口の別当出会に着くのが11時とやや遅いのですが、料金が3,400円と嬉しい値段ですから、贅沢は言えません。その日のうちに、竜山荘まで入れば、白山登山は問題ありません。
こんなわけで、白山登山計画のお粗末が、一件落着です。
後は好天を望むだけです。運が良いのか、悪いのか、長期予報は日程を1日ずらしたほうが、晴れる確率が高いようです。災い転じて福となす。白山に登ってきます。

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2017年7月 9日 (日)

僕の失敗----バスが出ない!白山登山計画

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東京新聞に、エッセイストの飛島圭介さんが、山での体力の衰えの事を書かれていました。悲しいほどにまったく同感です。(記事はクリックすると拡大して読みやすくなります)
でも飛島さんは、まだ69歳、ツアー登山の年齢制限をとうに超えた僕よりはるかに若いのです。
僕は山歩きの早さを競うことなど、もう望むべくもありませんが、とくに下りでの衰えがひどいのです。
なんというか、海賊フック船長のように、足が棒になっていて、バネがないというか、車で言うならショックアブソーバーがへたった状態だと感じています。
いつまで、登れるのか、どこか故障したら、ジ・エンド。再起不能をわかっています。
それでも、最後の頑張りで、再び訪れる事は無いだろう、さよならの山巡りを続けています。
今年も、白山に行きたいな、岩稜の鹿島槍、五竜は歩いておきたい、尾瀬の燧岳には三度も登ったのに、至仏山は登っていないし、八海山も計画したいと山への思いは巡ります。
先ずはと、7月の白山を計画しました。
夏山シーズンで混むだろう7月半ば過ぎを避けて、7月12日(水)からの予定を組み、往復の高速バスの手配も済ませました。
さて、金沢から、登山口である別当出会までのバス便を調べなおして、愕然。なんとバス便が無い!
マイカー規制で、市瀬から別当出会いまではシャトル便が出る事がわかっていたので、この規制日に目を取られ、7月15日(土)までの平日は、バスが運行されていないことを見落としていたのです。白山ほどの人気の山で、山開きも終わっているのに、週末しかバス便が無いとは。
バス運行会社のホームページの分り難いことなど、細かく書くと長くなりますが、要は僕の失敗で、金沢駅からの足が無いということが判明したのです。
勿論、タクシーを使えば登山口まで行けるのですが、一人で利用するには、バスで2時間半の距離は、あまりに料金が高すぎます。
バスのチケットのキャンセル料なども頭をよぎりましたが、なにか負担も少ない解決策は無いかいろいろと調べたのです。
ありました、解決策が!
続きは明日書きます。

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2017年5月15日 (月)

破風山で見つけた古い案内標識

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破風山の登山道で見つけた、朽ちかけた古い案内標識です。
一片には「上野村・小海町」、もう一つには「二瀬ダム・雁坂峠・甲府」と書かれています。椋神社を過ぎ、舗装道路と別れて山道に入り、20分ほど登った登山道左側に寂しげに立っていました。
現在の登山道とは、指す方向が違っているし、標識の先に杣道、廃道の跡もありません。
「二瀬ダム・雁坂峠・甲府」 秩父から甲州に抜けるかっての秩父往還の道です。こんなところに秩父湖に到る分岐があったのだろうか。
奥秩父縦走路と秩父往還が交わる雁坂峠、標高は2,082mもあります。針の木峠(北アルプス)三伏峠(南アルプス)と共に、日本三大峠と呼ばれます。
雁坂峠と書かれた三文字に秋の峠道を懐かしく思い出します。
「上野村・小海町」佐久に抜ける道です。志賀坂峠を越えて上野村に入ったのだろうか。その先、小海へはブドウ峠か十国峠越えか、この道を行った旅人に思いを馳せます。秩父事件にも深く関係する場所です。

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2017年5月14日 (日)

破風山に登りました

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連休中の5月4日、家族3人で奥武蔵の破風山に登ってきました。標高625.5mの低山ながら明るく眺望の良い山で、新緑もきれいで登山道脇には、ツツジも咲き、期待以上の楽しい山歩きが出来ました。(写真上、山頂から北方向の山並みを見る)(写真は全て、クリックすると拡大します)
東武東上線で寄居駅まで行き、秩父鉄道に乗り換えて皆野駅で下車します。柳瀬川駅を8.01に出て、約2時間後の9.51に到着しました。
皆野アルプスと呼ばれる破風山には8コースほどの登山道があるようですが、もっとも楽そうな桜ヶ谷コースを登る事として、椋宮登山口まで駅前からタクシーを使いました。
料金1000円でした。普通なら歩くコースですが、今日は下山後のんびりと温泉にも寄りたいので40分ほどの車道歩きをカットしました。かみさんは、困ったことに車道歩きを嫌うのです。


タクシーを降りたところが桜ヶ谷登山コース入口です。椋宮登山道の標識がありました。(写真左)
ここから、集落の中の車道を登ります。

歩き始めの車道の単調な登りは、結構きついです。5分ほど歩いた野巻椋神社を過ぎても、同じ車道歩きが続きます。
登山口から約30分くらいで、標識に導かれて右手の山道に入ります。
登山者は僕たちだけの静かな山です。明るい林の中の登山道を登り、途中の東屋のある「花と香りの森」付近には、思いがけないほど美しくつつじが咲いていました。(写真下、上から2枚)
高橋沢コースの分岐を過ぎて尾根上の緩やかな登りがしばらく続きます。(写真3枚目)
登りきると直角に交わる狭い尾根に出ます。
ここには休憩の出来る東屋があり、他のコースから登ったらしい何人かの登山者が休んでいました。
東屋のある場所から林の中のヤセ尾根になり、これを10分も登ると、突然見晴らしの良い頂上に出ました。
登山者が20人もいればいっぱいの狭い頂上です。破風山626.5mの標識が立っています。(写真4、5枚目)
ここで、景色を眺めながらゆっくり昼食をとり、秩父温泉前バス停のある「満願の湯」目指して下山しました。
約1時間ほどの距離ですが、傾斜も緩い林の中を抜ける気持ちの良い登山道を下ります。かみさんは、杉林の暗い登山道は嫌いだ、この道は気持ちよく歩けると言います。(写真6,7,8枚目)
途中、猿岩と書かれた岩峰がありました。この岩場登れるようです。
風戸の鏡肌という地質学的に価値のある露岩を過ぎると、日野橋登山口である風戸バス停が近づきます。
バスが通る車道まで出ずに右に枝道を分けて、温泉を目指します。下山口の「満願の湯」は休日でもあり少し混雑していましたが、それでも案じたほどでもなく、のんびりと温泉に浸かり疲れをほぐすことができました。ここには、町営の小さな温泉施設もありました。
温泉前からバスに乗り皆野駅まで戻りました。バス便は少なく、14.15のあとは16.05しかありません。20分ほどの乗車で、朝降りた皆野町駅に戻りました。秩父鉄道は、スイカが使えず、購入した寄居までの切符は珍しい厚紙切符でした。
小川町経由で帰る途中、今日の登山の二つ目の目的、ヤキトンを食べるべく、東松山駅で下車し、「やきとり三金」に寄って心地よく酔い、今日の山行を終えました。
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2017年5月 1日 (月)

著名な登山家 ウーリー・ステックさん遭難死

アンナプルナ(8091m)南壁単独登攀、エベレスト無酸素登頂など、ヒマラヤでの活躍や、ヨーロッパアルプス三大北壁最短時間登攀記録で有名なスイスの登山家ウーリー・ステック(Ueli Steck)さん(下写真、ウイキペディアより)が4月30日に遭難死したと伝えられました。40歳でした。
多くの高名な登山家たちが、卓越した登攀技術を持ちながらも、山での死を避けられなかったように、また一人の超人登山家が命を落としてしまいました。
今後の活躍が期待されていた第一級の世界的登山家の死に、驚くとともにやりきれない気持ちになります。

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エベレスト西稜からのルートで頂上に到り、そこからローツェへの8000m峯縦走計画中に、高度順応の為、単独でヌプツェ(7861m)に登攀中、約1300m滑落し死亡、遺体は収容されてヘリコプターで麓の病院に運ばれたと報道されています。

ヘリコプターから搬送される写真も発表されました。(写真下)
ヒマラヤの高峰での遭難でありながら、遺体が家族のもとに戻ったことだけでも救われます。
この登山家の名を広く知らしめたのは、2008年 アイガー北壁(ヘックマイヤールート)を単独で、それもフリーで登攀し 最速登頂記録2時間47分33秒を達成した際のユーチューブ映像によるところが大きいと思います。
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https://www.youtube.com/embed/OVkuPg3BSh4?ecver=2    (アイガー北壁フリー単独登攀)
その後、2011年に登山家ダニー・アーノルド(Dani Arnold)(当時27歳)に、この最速登攀時間が破られたことにより、2015年 再びアイガー北壁に挑み 最速登頂記録を6分短縮し、2時間22分50秒に更新しました。
アイガー北壁初登攀者の一人であるハインリッヒ・ハラーの著作で、1960年に横川文雄訳で発刊された、アイガー北壁登攀史の名著「白い蜘蛛」を読みふけり、その後の登山活動に大きな影響を受けた年代の僕にとっては、岩壁滞在2時間強という人間業とは思えない登攀に驚きよりも、畏敬の念を感じる登山家でした。
ただ、ユーチューブでのアイガー北壁登攀映像を見て、こんな登攀を繰り返していたら、どんなに卓越した技術の持ち主であっても、いつかその死は避けられないことになると危惧したのです。それが現実になってしまいました。とても残念です。

http://www.uelisteck.ch/en/item/66-everest-lhotse.html

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2017年3月19日 (日)

再び裏磐梯イエローフォールへ

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2017年3月12日(日)
2週間前に訪ねた、裏磐梯のイエローフォールへ、再び行ってきました。
前回は、小雪もちらつく中、目指した滝も雪に埋もれていて、本来、黄金色に輝くはずの氷瀑の状態も悪くて、残念な思いで戻ってきたのです。
今回、友人二人との再チャレンジは、快晴に恵まれ楽しいスノーシュートレッキングとなりました。
(写真上と下、イエローフォールを目指して、雪原を進む。上は櫛が峰)
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東北自動車、磐越道をひた走りして、午前11時頃、裏磐梯スキー場の駐車場に車を入れました。
前回と違い、広がる青空のもと、スキー場の斜面が白銀に輝いています。
スキーリフト2本を乗り継ぎゲレンデ最上部へ。リフトと云えば、一日券を提示するのが普通になっていますので、本当に久しぶりに、係員からチケットにパチンと改札鋏を入れてもらいました。ちなみに前回はリフトに関して、ガイドが全てやってくれましたので。
リフトを降りると、スノーシューを付けてイエローフォールのある爆裂火口壁目指して進みます。
数日前に積もったと思われる新雪を踏んで、快適にスノーシュを滑らせ、20分程ですっかり雪に覆われた銅沼(あかぬま)に到着しました。岸辺に立つ案内板の上部が見えて銅沼であることがわかります。
ここは、磐梯山北麓に500名近くの犠牲者が出てしまった、1888年(明治21年)の水蒸気大爆発の火口の一部と言われている場所ですが、厚い氷の上に2m以上の雪が積もって静まり返っています。
無雪期には歩けない沼の上からの眺望を楽しみつつ、右手に水蒸気の噴気が上がる斜面の横を抜けて進みます。この先は緩い上りから、かなりの急登に変わります。今は雪に埋もれていますが、大きな岩がゴロゴロしている岩場地帯です。少しコースを右手に取りすぎて、小さな台地の上に出ました。このあたり、吹き溜まりとなってかなりの深雪です。櫛が峰、天狗岩
(写真下、いちばん上)などの爆裂火口壁が荒々しい姿で迫ります。すごい迫力です。
もう、前に広がる斜面の向こうに、イエローフォールの姿が望まれます。二週間前より、黄色く染まっているのが遠目にもわかります。
急斜面を滑り降りると、広い雪原には、たくさんのトレース跡がついていました。やはり、登りすぎたようでしたが、その分眺望には恵まれました。
200mほど進むと、今日の目的地である、イエローフォールに到着しました。氷瀑の部分がかなり大きくなっていましたが、写真で見た数年前の見事な滝と比べたら、だいぶ見劣りがする状態です。
イエローフォールを眺める場所の雪を踏み固めて、シートを敷き、バーナーでお湯を沸かしてゆっくりと昼食を取りました。それにしても素晴らしい景色です。比較的短時間で歩けるスノーシューコースとして、人気のほどが良くわかります。
帰路は、時々誰も歩いていない新雪の上に、思い思いにトレースをつけて戻りました。
今日は、青空のもと、雪原を歩く楽しさを満喫できたスノーシュトレッキングでした。
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(天狗岩)


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(イエローフォールは、左の岩ではなく、半ば雪に埋もれて一部が露出している右の氷瀑に付けられた名前である)

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(ウサギ?の足跡)


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(右手の斜面から蒸気が噴気していて、風向きにより硫黄臭がする)

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