2017年5月15日 (月)

破風山で見つけた古い案内標識

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破風山の登山道で見つけた、朽ちかけた古い案内標識です。
一片には「上野村・小海町」、もう一つには「二瀬ダム・雁坂峠・甲府」と書かれています。椋神社を過ぎ、舗装道路と別れて山道に入り、20分ほど登った登山道左側に寂しげに立っていました。
現在の登山道とは、指す方向が違っているし、標識の先に杣道、廃道の跡もありません。
「二瀬ダム・雁坂峠・甲府」 秩父から甲州に抜けるかっての秩父往還の道です。こんなところに秩父湖に到る分岐があったのだろうか。
奥秩父縦走路と秩父往還が交わる雁坂峠、標高は2,082mもあります。針の木峠(北アルプス)三伏峠(南アルプス)と共に、日本三大峠と呼ばれます。
雁坂峠と書かれた三文字に秋の峠道を懐かしく思い出します。
「上野村・小海町」佐久に抜ける道です。志賀坂峠を越えて上野村に入ったのだろうか。その先、小海へはブドウ峠か十国峠越えか、この道を行った旅人に思いを馳せます。秩父事件にも深く関係する場所です。

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2017年5月14日 (日)

破風山に登りました

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連休中の5月4日、家族3人で奥武蔵の破風山に登ってきました。標高625.5mの低山ながら明るく眺望の良い山で、新緑もきれいで登山道脇には、ツツジも咲き、期待以上の楽しい山歩きが出来ました。(写真上、山頂から北方向の山並みを見る)(写真は全て、クリックすると拡大します)
東武東上線で寄居駅まで行き、秩父鉄道に乗り換えて皆野駅で下車します。柳瀬川駅を8.01に出て、約2時間後の9.51に到着しました。
皆野アルプスと呼ばれる破風山には8コースほどの登山道があるようですが、もっとも楽そうな桜ヶ谷コースを登る事として、椋宮登山口まで駅前からタクシーを使いました。
料金1000円でした。普通なら歩くコースですが、今日は下山後のんびりと温泉にも寄りたいので40分ほどの車道歩きをカットしました。かみさんは、困ったことに車道歩きを嫌うのです。


タクシーを降りたところが桜ヶ谷登山コース入口です。椋宮登山道の標識がありました。(写真左)
ここから、集落の中の車道を登ります。

歩き始めの車道の単調な登りは、結構きついです。5分ほど歩いた野巻椋神社を過ぎても、同じ車道歩きが続きます。
登山口から約30分くらいで、標識に導かれて右手の山道に入ります。
登山者は僕たちだけの静かな山です。明るい林の中の登山道を登り、途中の東屋のある「花と香りの森」付近には、思いがけないほど美しくつつじが咲いていました。(写真下、上から2枚)
高橋沢コースの分岐を過ぎて尾根上の緩やかな登りがしばらく続きます。(写真3枚目)
登りきると直角に交わる狭い尾根に出ます。
ここには休憩の出来る東屋があり、他のコースから登ったらしい何人かの登山者が休んでいました。
東屋のある場所から林の中のヤセ尾根になり、これを10分も登ると、突然見晴らしの良い頂上に出ました。
登山者が20人もいればいっぱいの狭い頂上です。破風山626.5mの標識が立っています。(写真4、5枚目)
ここで、景色を眺めながらゆっくり昼食をとり、秩父温泉前バス停のある「満願の湯」目指して下山しました。
約1時間ほどの距離ですが、傾斜も緩い林の中を抜ける気持ちの良い登山道を下ります。かみさんは、杉林の暗い登山道は嫌いだ、この道は気持ちよく歩けると言います。(写真6,7,8枚目)
途中、猿岩と書かれた岩峰がありました。この岩場登れるようです。
風戸の鏡肌という地質学的に価値のある露岩を過ぎると、日野橋登山口である風戸バス停が近づきます。
バスが通る車道まで出ずに右に枝道を分けて、温泉を目指します。下山口の「満願の湯」は休日でもあり少し混雑していましたが、それでも案じたほどでもなく、のんびりと温泉に浸かり疲れをほぐすことができました。ここには、町営の小さな温泉施設もありました。
温泉前からバスに乗り皆野駅まで戻りました。バス便は少なく、14.15のあとは16.05しかありません。20分ほどの乗車で、朝降りた皆野町駅に戻りました。秩父鉄道は、スイカが使えず、購入した寄居までの切符は珍しい厚紙切符でした。
小川町経由で帰る途中、今日の登山の二つ目の目的、ヤキトンを食べるべく、東松山駅で下車し、「やきとり三金」に寄って心地よく酔い、今日の山行を終えました。
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2017年5月 1日 (月)

著名な登山家 ウーリー・ステックさん遭難死

アンナプルナ(8091m)南壁単独登攀、エベレスト無酸素登頂など、ヒマラヤでの活躍や、ヨーロッパアルプス三大北壁最短時間登攀記録で有名なスイスの登山家ウーリー・ステック(Ueli Steck)さん(下写真、ウイキペディアより)が4月30日に遭難死したと伝えられました。40歳でした。
多くの高名な登山家たちが、卓越した登攀技術を持ちながらも、山での死を避けられなかったように、また一人の超人登山家が命を落としてしまいました。
今後の活躍が期待されていた第一級の世界的登山家の死に、驚くとともにやりきれない気持ちになります。

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エベレスト西稜からのルートで頂上に到り、そこからローツェへの8000m峯縦走計画中に、高度順応の為、単独でヌプツェ(7861m)に登攀中、約1300m滑落し死亡、遺体は収容されてヘリコプターで麓の病院に運ばれたと報道されています。

ヘリコプターから搬送される写真も発表されました。(写真下)
ヒマラヤの高峰での遭難でありながら、遺体が家族のもとに戻ったことだけでも救われます。
この登山家の名を広く知らしめたのは、2008年 アイガー北壁(ヘックマイヤールート)を単独で、それもフリーで登攀し 最速登頂記録2時間47分33秒を達成した際のユーチューブ映像によるところが大きいと思います。
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https://www.youtube.com/embed/OVkuPg3BSh4?ecver=2    (アイガー北壁フリー単独登攀)
その後、2011年に登山家ダニー・アーノルド(Dani Arnold)(当時27歳)に、この最速登攀時間が破られたことにより、2015年 再びアイガー北壁に挑み 最速登頂記録を6分短縮し、2時間22分50秒に更新しました。
アイガー北壁初登攀者の一人であるハインリッヒ・ハラーの著作で、1960年に横川文雄訳で発刊された、アイガー北壁登攀史の名著「白い蜘蛛」を読みふけり、その後の登山活動に大きな影響を受けた年代の僕にとっては、岩壁滞在2時間強という人間業とは思えない登攀に驚きよりも、畏敬の念を感じる登山家でした。
ただ、ユーチューブでのアイガー北壁登攀映像を見て、こんな登攀を繰り返していたら、どんなに卓越した技術の持ち主であっても、いつかその死は避けられないことになると危惧したのです。それが現実になってしまいました。とても残念です。

http://www.uelisteck.ch/en/item/66-everest-lhotse.html

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2017年3月19日 (日)

再び裏磐梯イエローフォールへ

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2017年3月12日(日)
2週間前に訪ねた、裏磐梯のイエローフォールへ、再び行ってきました。
前回は、小雪もちらつく中、目指した滝も雪に埋もれていて、本来、黄金色に輝くはずの氷瀑の状態も悪くて、残念な思いで戻ってきたのです。
今回、友人二人との再チャレンジは、快晴に恵まれ楽しいスノーシュートレッキングとなりました。
(写真上と下、イエローフォールを目指して、雪原を進む。上は櫛が峰)
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東北自動車、磐越道をひた走りして、午前11時頃、裏磐梯スキー場の駐車場に車を入れました。
前回と違い、広がる青空のもと、スキー場の斜面が白銀に輝いています。
スキーリフト2本を乗り継ぎゲレンデ最上部へ。リフトと云えば、一日券を提示するのが普通になっていますので、本当に久しぶりに、係員からチケットにパチンと改札鋏を入れてもらいました。ちなみに前回はリフトに関して、ガイドが全てやってくれましたので。
リフトを降りると、スノーシューを付けてイエローフォールのある爆裂火口壁目指して進みます。
数日前に積もったと思われる新雪を踏んで、快適にスノーシュを滑らせ、20分程ですっかり雪に覆われた銅沼(あかぬま)に到着しました。岸辺に立つ案内板の上部が見えて銅沼であることがわかります。
ここは、磐梯山北麓に500名近くの犠牲者が出てしまった、1888年(明治21年)の水蒸気大爆発の火口の一部と言われている場所ですが、厚い氷の上に2m以上の雪が積もって静まり返っています。
無雪期には歩けない沼の上からの眺望を楽しみつつ、右手に水蒸気の噴気が上がる斜面の横を抜けて進みます。この先は緩い上りから、かなりの急登に変わります。今は雪に埋もれていますが、大きな岩がゴロゴロしている岩場地帯です。少しコースを右手に取りすぎて、小さな台地の上に出ました。このあたり、吹き溜まりとなってかなりの深雪です。櫛が峰、天狗岩
(写真下、いちばん上)などの爆裂火口壁が荒々しい姿で迫ります。すごい迫力です。
もう、前に広がる斜面の向こうに、イエローフォールの姿が望まれます。二週間前より、黄色く染まっているのが遠目にもわかります。
急斜面を滑り降りると、広い雪原には、たくさんのトレース跡がついていました。やはり、登りすぎたようでしたが、その分眺望には恵まれました。
200mほど進むと、今日の目的地である、イエローフォールに到着しました。氷瀑の部分がかなり大きくなっていましたが、写真で見た数年前の見事な滝と比べたら、だいぶ見劣りがする状態です。
イエローフォールを眺める場所の雪を踏み固めて、シートを敷き、バーナーでお湯を沸かしてゆっくりと昼食を取りました。それにしても素晴らしい景色です。比較的短時間で歩けるスノーシューコースとして、人気のほどが良くわかります。
帰路は、時々誰も歩いていない新雪の上に、思い思いにトレースをつけて戻りました。
今日は、青空のもと、雪原を歩く楽しさを満喫できたスノーシュトレッキングでした。
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(天狗岩)


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(イエローフォールは、左の岩ではなく、半ば雪に埋もれて一部が露出している右の氷瀑に付けられた名前である)

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(ウサギ?の足跡)


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(右手の斜面から蒸気が噴気していて、風向きにより硫黄臭がする)

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2017年3月 9日 (木)

裏磐梯イエローフォールへ

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裏磐梯のイエローフォールへ行きました。
残念!裏磐梯スキー場のゲレンデ上部からスーシューを付けて歩くこと1時間
到着したイエローフォールは、雪に埋もれて、神秘の氷瀑の姿を見せてはくれませんでした。(写真上)
イエローフォールと呼ばれるように、氷瀑全体が黄色く見えるはずだったのですが、今年は2月に降った雨の影響で、氷が溶けてしまった後に、積雪があって本来の姿にはならなかったとガイドは話してくれました。
25120171000406845裏磐梯の冬の人気スポット、イエローフォールは、磐梯山の爆裂火口壁に厳寒期にしか現れない氷瀑です。
雪解けした水が地中の硫黄分や鉄分を含んでしみ出し、それが凍って黄金色に輝く氷の造形を作り出します。状況の良い年には高さは10メートルほど、幅8メートルほどの巨大な氷瀑を作るのです(写真横、裏磐梯レイクリゾートのHPからコピーさせていただきました)

今回は、前日宿泊した裏磐梯レイクリゾートホテル主催のガイド付きツアーへの参加で、かみさんも同行しました。
さすがに人気のイエローフォールへのスノーシュートレッキング、25名もの参加で、ガイド二人に案内されて、賑やかに雪の雪原歩きを楽しんできました。
天候は、曇りで雪がちらつくかと思うと、時折薄日の中に豪壮な磐梯山爆裂火口も見えたりと変化にとんだ雪景色の中を歩いてきました。
裏磐梯スキー場のゲレンデ最上部までは、リフト2本を乗り継いで上がれるので行程はだいぶ楽になりました。
ただ、リフト運転が金曜日から月曜日までの4日間の運転なので、リフトを使えないと、ゲレンデ横を3,40分登ることになります。
それにしてもスキー場の閑散としてしていることに驚きます。スキーヤー、ボーダーは本当に数えるほどしか見当たりません。週4日のリフト稼働、これで、営業が成り立つのかと心配になるほどです。
夏の上州武尊山に登るときにリフトが使えた武尊牧場スキー場も今年3月で閉鎖になると発表されています。全国でリフトが止まったり、閉鎖になるスキー場が増えています。かってのリフト1本乗るのに30分待ちなど当たり前だった頃を思うと隔世の感ありです。
(写真下、上から1枚目、裏磐梯スキー場最上部のリフトを降りたところ。御覧のようにスキーヤーがいません。
2枚目、ツアーで一緒だった皆さん。
3枚目、15分ほど歩いて凍った銅沼を横断する
4枚目、爆裂火口壁
5枚目、雪原を進む
6枚目、笑顔で優しく案内してくれた、ガイドさん

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2017年1月 4日 (水)

山のこと、そして使った山道具の○と×

今まで登った山、登り残した山を巡る僕の「さよならの山」新しい年を迎え、今年もまだ登り続けることが出来るだろうかなどと考えています。もし体のどこかが故障したら、再起は多分無理な年齢になっています。
20年程前に、古傷でもあったひざ関節が最悪の状態になりました。どこの整形外科、治療所などでも重い荷を持っての登山は無理と診断されていたのですが、これがたった30分の気功治療で治ってしまった事は、以前に書いたことがあります。
しかし同じことはもう望めないでしょう。
ともかく、残された時間に素晴らしき山々を歩くためには、なんといっても健康第一です。
 
 一昨年から、かみさんの薦めで始めた太極拳は、僕に向いていたのか体調が良くなるように感じられます。
我家の前の公園に週に2回、仲間が20数人集まり、約1時間ほど練功十八法、八段錦、楊名時太極拳を楽しみます。
グループの練習で、多くの人の気が交流して、エネルギーも高まるようです。ここで気の流れと呼吸法も会得できることが、山登りに役立っています。講の人達が登山中に「六根清浄お山は晴天」と唱えるのは、呼吸法の一つではないかと思っています。僕も一人で急勾配の登山道を登る際に、時々声に出して唱える事があります。
太極拳、今年も頑張って続けようと思っています。

 新年早々、悲しい遭難事故が報じられました。
奥秩父の雁坂峠小屋から、突出しコースを150メートルほど下った登山道を横切る沢の凍結路で、樺避難小屋方面から登ってきた登山者が滑って滑落、沢を落下して死亡したとのことです。
遭難の一報を聞いて、救助に駆けつけた雁坂小屋の方と宿泊の登山者が、事故確認後小屋に戻る途中、なんと宿泊の登山者が遭難発生現場と同じ場所で、同じようにに転落して死亡したとの事です。
小屋横のような場所で、2名の方が滑落死するとは!。
小屋から水場に到る登山道は、小屋の公式ブログでも、氷結に注意を呼びかけ、アイゼンの使用を求めていただけに、残念でなりません。
冬の雪の少ない登山道では、軽アイゼンの脱着が面倒で、氷結した場所を短い距離だからとアイゼン無しで通過して事故に到る事が多いのです。僕も改めて注意しなければと思いました。

 最後に、昨年使った山道具の×

先ずは、Black Diamondの三つ折り式ストック。ULTRA MOUNTAIN FL
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従来使っていた伸縮タイプのものと比べて、組立が格段に楽になりました。
折り畳み方式ながら、15cmの長さ調節も可能で、僕は105cm~120cmタイプのものを、登りは105cm、下りは110cmで使うようにしています。重量は320gと、握りの長いラバー部分の重量が加算されて、やや重いですが、バランスも良く軽快に使えます。折り畳み寸法も40cmと短いのも魅力で、もう伸縮タイプには戻れないでしょう。
使用説明書が判り難いので、ストックの固定ボタンが飛び出す位置まで、強く引かないで使用すると、つなぎ目がすぐに伸びて外れてしまうので、困った人がいるかもしれません。

Dsc01620_1024×はこのモンベルの登山用手袋(写真左)何度か使っていたのですが、雨天では使用したことがありませんでした。
ところが、昨年秋の雨の日、双六小屋からの下山で、この手袋が濡れると、裏地が丸まって指が入らなくなる欠点に気づかされました。
入れ難い、使い難いのレベルではなく、まったく指が入りません。下山途中で、同じ製品を使っていた若者が、これ駄目ですねと言っていたので、僕だけの欠陥品ではないとわかりました。現在のモンベルの製品カタログには無いので、ことに販売されていないようですが、この手袋は×です。

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2016年11月 6日 (日)

西吾妻山へ---紅葉と初冠雪の山々

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11月2日(水)
福島県の西吾妻山(2035m)に登ってきました。
天候に恵まれ、友人二人との初冠雪の景色も見られた素晴らしい山行ができました。
(写真上--西大巓(にしだいてん)から、西吾妻山を目指す友人二人。前方の針葉樹林帯が白く冠雪している)(写真は全てクリックすると拡大します)
この山は日本百名山の一峰ですが、東北地方の名だたる他の百名山に比べると、あまり知られた山ではありません。
深田久弥氏の著書「日本百名山」の20番
吾妻山」には、次のように書かれています。

「一口に吾妻山と呼んでも、これほど茫漠としてつかみどころのない山もあるまい。
福島と山形の両県にまたがる大きな山群で、人はよく吾妻山に行ってきたというが、それは大ていこの山群のほんの一部に過ぎない。この山群には一頭地を抜いた代表的な峰がない。それでいて、東北では貴重な 千九百米以上の高さを持つ峰が、十座近くも群がっている。
しかもそれらの峰がいずれもずんぐりとした形で、顕著な目じるしがないので、遠くからこの山群を望んで、どれがどの峰かにわかに識別しがたいほどである。(途中略)
総称の吾妻山は非常に広範囲で、その最高峰は
西吾妻山である。山群中唯一の二千米峰であるが、近隣の峰々がそれに近い高度を持っているので、飛び抜けて主峰という感じはしない。」

この記述から、深田氏は最高峰は西吾妻山としても、百名山に選んだのは
「吾妻連峰群」を指しているのです。本の挿入写真には、大きな噴火口のある吾妻小富士が選ばれています。
吾妻小富士(1,707m)は、磐梯吾妻スカイラインの浄土平駐車場から、観光客も楽に登れる道がついているので、バス旅行で登った人も多いでしょう。

西吾妻山への登山路は、幾つかあります。
もっとも楽に登れるのは、山形県側
の天元台スキー場のリフトを乗り継いで行くルートですが、今回は福島県側のグランデコスキー場のゴンドラリフトを利用して、最高峰2035mを目指しました
ところで、深田氏の「日本百名山」では、「吾妻山」は標高は2,024mとされています。現在、国土地理院の地図では最高峰は2,035mなので、この違いはなんだろうと調べてみたのですが、残念ながら資料が見つからず、わかりませんでした。

朝8時30分から運行を開始したグランデコリゾートのパノラマゴンドラに乗り、約15分で山頂駅へ。ゴンドラから見えるカラマツの黄葉が見事です。
ゴンドラ山頂駅付近に広がるデコ平湿原は、多くの高山植物が見られるところで、驚異の2000km飛翔をするアサギマダラの生息地としても知られています。小さな蝶がここから石垣島や、遠く台湾にまで飛んでゆくのです。
山頂駅を出て、スキー場の広い斜面をジグザグに少し登ると、右方向に
西大巓登山道の茶色の標識がありました。このあたりもカラマツ林が黄色く染まっています。
9時40分、スキー場から登山道に入りました。
ゴンドラ利用が出来る登山路として、少し安易に考えていましたが、このコース、道の整備がほとんどされておらず、木の根とゴロゴロした岩の間の登りが連続します。
道を迷うことはないのですが、一般登山道としては
難路といったほうがよい急坂が続きます。ただ、ひたすら、原生林の中を西大巓を目指します。
大きな霜柱と、うっすらと積もった雪で、道はぬかるんでいます。登り続けて約1時間半ほどで西大巓山頂近くに到りました。
付近の木々には雪が積もり、崖状の斜面からは、大きなつららが下がって冬景色のようです。
このあたりから、眺望が望めるようになりました。西大巓から西吾妻山方面、そして振り返ると檜原湖、秋元湖、そして磐梯山が大きく見えます。
11時25分、最後の急な登りで西大巓山頂に飛び出しました。そこには青空のもと、大眺望が待っていました。
目の前には、最高峰の西吾妻山に到る登山道がはっきり見えます。鞍部に向けて一度下り、そこから緩やかな登り道が山頂方向に向かっています。ここから、約一時間ほどの登りで山頂です。
明るく開けた稜線は、西大巓までより、ずっと歩きやすい登山道になりました。稜線より少し下の山腹を巻くように進むので、北風も防いでくれます。
せっかく登ったのに下るのかと、友人が嘆きます。それでも素晴らしい雪景色を眺めながら鞍部まで下り、見た目よりかなりきつい登りを終え平坦な道を少し歩くと、12時50分、西吾妻小屋がある分岐に出ました。小屋に寄り、扉を開けて中を覗くと、1,2階で数十人は宿泊できそうな立派な避難小屋でした。
この分岐の少し先に、白布温泉への登山道があります。
さあ、山頂まであと15分、あたりの針葉樹に雪が付き、樹氷のようになっています。このあたり、冬は樹氷原になる場所です。
青空とのコントラストが美しく、友人たちと登ってきた甲斐があったと喜び合います。
また、樹林帯の登りで、13時5分、これが山頂かと驚く場所にでました。
広さ6畳ほどの空間が樹林の中にあって、山頂を示す道標以外何も無く、また、木々に囲まれて展望も望めません。深田氏は、山頂は背の低いオオシラビソが生えていたと書いていますが、あたりは木々が成長して眺望がきかなくなったのでしょうか。
苦労して山頂に立っても、まったく眺望の望めない山は結構あります。
日本200名山に選ばれている奥秩父の白石山(和名倉山)や、静岡県の大無限山なども、長時間のきつい登りの末にたどり着いたのは、樹林の中の空地のような場所でした。

さあ、写真を撮ったら、眺望の全くない山頂に別れを告げて、往路を戻ります。
ゴンドラの運行は16時で終わります。それまでに戻らないと、スキー場のゲレンデ横の道を歩いて下山しなければなりません。
西大巓からは、滑りやすい木の根と、沢のような岩だらけの登山道の急な下りに、疲れがどっと出る感じでしたが、なんとか、15時30分、ゴンドラ山頂駅に戻ることが出来て、無事6時間の行程で西吾妻山登山を終わらせました。
山で出会った登山者は、二組4人だけでした。ザックに付けた熊よけ鈴のチリーンと響く音だけが聞こえる静かな山行が出来ました。
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2016年10月 3日 (月)

黒部五郎岳へ

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9月25日から28日までの4日間で、北アルプス黒部五郎岳に登ってきました。(写真上)
写真は全て、クリックすると拡大します


9月27日(火)朝7時半、誰もいない黒部五郎岳山頂。快晴の天気。360度の大眺望を独り占めです。
昨夜、黒部五郎小屋で、同室になった京都から来られた井上さんから頂いた、「黒部五郎岳山頂からのパノラマ展望写真」を広げて、山名を確認してゆきます。
(写真左)は北の俣岳への分岐になる肩から見た黒部五郎岳山頂。あと約15分の登りで頂上に立てる。単独行の井上さんは、ここから太郎平小屋を経て今日中に折立まで下山するという。
そして、小屋で親しくしていただいた、同じく単独登山の高崎の松下さん、ありがとうございました。

 遠くに岩の殿堂、懐かしき剱岳の勇姿、目を転じれば、加賀の白山もどっしりと構えています。時々、山頂付近に雲が流れるのが見えます。
南東方向には、昨日越えてきた三俣蓮華岳から双六岳、そしてその彼方に槍ヶ岳から、穂高の稜線がはっきりと見えます。北鎌尾根の独標らしき岩峰もあります。
 槍ヶ岳に最後に登ったのはもう、50年も前です。谷川岳、穂高、剱などの岩登りに熱中していた頃です。
葛温泉から長い森林軌道と林道を歩き、湯俣から天井沢に入り、北鎌沢出会いで幕営、翌日30kg近いキスリングを背負って岩稜の北鎌尾根を登りました。
同じように、春と夏の涸沢合宿で何度も訪れていた穂高も、ある夏の日、滝谷出合から、雄滝を攀じてD沢から第四尾根支稜線を経て北穂に至ったのが最後です。遠い昔のことです。
そう、剱岳も長次郎雪渓の上部、熊の岩から、八ツ峰やチンネの登攀の後、長い早月尾根を下山した後、再び訪れたことがありません。
以後、30代からは仕事ばかりで山登りとは無縁になり、やっと60歳近くになって、再開しました。
本多勝一さんの「50歳から再開した山歩き」に影響されたような気もします。
登る山も限られていた僕は、北アルプスも南部の、雲の平、黒部五郎エリアは、全くの空白地帯でした。
しかし、このエリアでは人気の雲の平、高天原以上に気になる場所、それが黒部五郎岳でした。
深田久弥さんも著書「日本百名山」のなかで、大好きな山と書かれています。
黒部川の源流にあり、その名のついた山名が凛としています。数ある山の名前の中でも好きな名前の一つです。頂上から広がる、氷河跡の黒部カールの美しさも知られています。黒部五郎の底を這うようなこのカールも歩きたかった道です。
僕は老いました。もういつまで登れるかわからない最近の山歩き「さよならの山」のシリーズに、どうしてもこの黒部五郎岳を加えたかったのです。

岩の積み重なる頂上は割と広く、動き回りながら、眺望を楽しめます。
風も無く、絶好の登山日和となりました。昨日越えてきた三俣蓮華岳や双六岳が思った以上に遠くに見えて、はるばる来たなと改めて感じます。
「日本百名山」によると、明治43年(1910)、中村清太郎画伯、三枝威之介氏が三人の人夫を連れて、この山頂に立ったとき、思いがけずそこに柱状の自然石が二つあって、その一つに薄れた墨で「中之俣白山神社」と書かれていたそうです。
人跡未踏とも思われる、この奥山に、参拝者があったとは、信仰の力の大きさを感ぜざるを得ません。どれほどの日数をかけて登ったのでしょう。
現在の山頂には、黒部五郎岳と書かれた小さな板片が転がっているだけで、どこの山にも見られる山頂標識が見当たりません。僕が見落としたのでしょうか。
しばらくして、単独の女性登山者が登ってきました。
夏の間の烏帽子小屋でのアルバイトを終えて、近隣の山を巡ってから神奈川の自宅に帰るとのことです。
熊よけ鈴を無くしたと、ちょっと心配そうにしていたので、ちょうど持っていた僕のストックにつける黄色の鈴を差し上げました。カメラを持たず写真は撮らないのですと言って、飛ぶように元気に下ってゆきました。
この女性に限らず、今回の山行では、何人もの単独行の若い女性に出会いました。
皆、きっちりとした身なりと装備で、軽やかに山を歩いています。
昨夜、小屋で出会った女性も、高瀬ダムから入り、野口五郎岳を越え、高天原を経て黒部小屋にやってきたそうです。
僕と同じに黒部五郎岳を登り、双六小屋で山行4泊目になる宿泊をして帰るとのことで、鏡平山荘でアルバイトをしている友人と久しぶりに会って話したいと語っていました。
山での出会いを楽しんでいるようでした。
皆さん、素敵な女性たちばかりで、事故なく、楽しい山行を続けて欲しいと思いました。
 さあ、いつまで眺めているわけにはいきません。
憧れの黒部五郎岳にお別れして、黒部五郎小屋に戻り、双六小屋まで帰ろう。
入山初日は良く晴れましたが、昨日は雨。
明日はまた雨天と予想されています。きっと新穂高温泉まで、雨具をつけた長い下りが待っていることでしょう。
快晴の黒部五郎岳に登れたことを神に感謝して、再び訪れる事はないだろう、さよならの山を後にします。
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今回の黒部五郎岳登山は、二日間は晴れそうだとの天気予報で、急遽9月24日の毎日アルペン号の運行日程に合わせて、入山しました。
慣れない夜行バスで新穂高温泉まで来ましたが、さすがに寝不足の身には双六小屋までの登りは老体に応え、歩行程9時間かかりました。
写真でしか見たことが無かった途中の鏡平の池は、山の姿を映してあくまでも美しく、いつまでも眺めていたい風景で、登りの疲れを癒してくれました。
途中の弓折乗越を過ぎたあたりの稜線で、霧の中にブロッケン現象で僕の姿が浮かび上がりました(写真上)
山でのブロッケン現象は、何度か経験していますが、自分一人の姿が浮かび上がったのは初めてで感激しました。
誰かに見せたいと思いましたが、霧の稜線に他の登山者の姿はありませんでした。
時折、雲が晴れると、槍ヶ岳の姿がよく見えました。後で槍ヶ岳の写真を拡大したら、槍の肩の「槍ヶ岳山荘」がはっきりと写っています。(写真下)
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二日目は、小雨模様の中、双六小屋から、双六岳、三俣蓮華岳を越えて、黒部五郎小屋に入りました。そのまま、黒部五郎岳の往復をしようと計画していましたが、雨足が強くなり、小屋のスタッフからも止められて、午後からは誰もいない小屋でごろごろしていました。
これまで、ほとんどの山行は、テント持参か、避難小屋泊まりだったので、快適な営業小屋で、備え付けの山の本など読んで、コーヒーを飲むなど、ちょっと気恥ずかしい感じでした

三日目は、念願の黒部五郎岳に登頂。黒部五郎小屋から、往復5時間ほどかかりました。快晴だった空も、小屋をあとにして、三俣蓮華岳に向かう岩だらけの急坂を登りきった頃には雲が湧き、双六岳山頂では、期待した大眺望は全く望めず、槍、穂高の稜線はおろか、広い山頂付近のルート選びに苦労する始末でした。出来れば鏡平山荘までと思ったのですが、双六小屋で時間切れとなりました。

四日目は、朝から雨。双六小屋から雨具を着て、ザックカバーを付けた姿で、ひたすら下山、途中、登ってくる登山者も少なく、今年は悪天候ばかりと嘆いていた小屋のスタッフの顔が浮かびました。
水量が増えた秩父沢は、仮設橋の下を激しく水が流れ下っていました。
ここまでくればもう安全と、一息入れたわさび平小屋では、コーヒーがとても美味く感じられ、僕はなんと贅沢な登山をしているのかと思いました。
小屋から先の林道は、川のように水が流れ下り、なるべく濡れないように拾い歩きをせざるをえませんでした。
 双六小屋から6時間歩いて、新穂高温泉の登山センターにやっと到着。濡れた衣類を替えてから、12時55分の平湯行のバスに乗りこみました。
平湯温泉では、バスセンターの3階の温泉で、山旅の汗を流しました。なんと広い露天風呂を一人で貸切状態でした。それにしても、今回の山行は山小屋もバスも空いていて快適な旅が出来ました。
平湯温泉16時発の、これも空いている高速バスに乗り、4時間半後の20時30分には、新宿バスタ到着。
ネオン輝く新宿の街が、いつも以上に眩しく感じられて、山旅の終わりを知らせてくれました。易しいルートでしたが、久しぶりの長い山行、疲れました。でも、新宿からの副都心線の中では、もう次の山を頭の中では考え始めている懲りない男がここにいます。

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2016年9月 4日 (日)

奥秩父の国師ヶ岳へ

9月1日(木)
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(写真上、国師ヶ岳に向かう登山道に在る「夢の庭園」から朝日岳と金峰山を望む。金峰山頂の五丈石も見える)(写真はクリックすると拡大します)

9月1日、奥秩父の国師ヶ岳北奥千丈岳に登りました。
大弛峠からの往復です。
晴天を狙っての、眺望を楽しもうとの目的なので、今回はいつもの友人二人に、かみさんも加わりました。

実は僕は川上牧丘林道を上る大弛峠は初めてなのです。峠の標高2,360m、自動車が通行できる峠として、日本最高所です。
もう50年以上前、僕が20代の頃、既にこの林道は出来ていました。
未舗装の悪路として一部のダートマニアには知られた存在でした。
長野県の高原野菜で有名な川上村と山梨県側を結ぶ林道で、確か当時は峰越林道と呼ばれていました。
川上村の廻り目平が、現在のようなフリークライミングのメッカなどになる前の話です。
金峰山川の西俣沢沿いに村営の古い小さな山小屋があり、その周りがどこでも天幕が張れるキャンプサイトになっていました。
現在の喧騒の廻り目平からは想像できないくらいの、静かな素晴らしいキャンプ場でした。炊事には沢の水を使い、夜には付近の森から薪を集めてきて、大きな焚き火をしました。
この事は以前にも書いたことがありますが、ある秋のことです。
久しぶりに子供にキャンプを楽しませようと、紅葉の廻り目平にやってきました。
キャンプ場には、もう誰もいないかもしれないよ、熊も出るよ、夜は怖いねなどと会話しながら、車を進めるとなぜか、広場に沢山の車が見えました。
あれ、今日は村の行事でもあるのかなと思ったのです。
しばらく登山から遠ざかっていて、廻り目平が、小川山を巡る岩峰群のフリークライミングのメッカになっている事など知らなかったのです。
あの、静かな僕の大好きなキャンプサイトが一変した姿でした。
話が飛んでしまいましたが、僕は廻り目平に行く度に、峰越林道を大弛峠を越えて山梨側に走りたいと思っていました。
しかし、雨が降ると道が川になり、落石、崖の崩壊などで度々通行禁止にもなる、ほとんど車の入らない悪路のダートを走る勇気がなくて、ついにその夢は叶いませんでした。
かなり厄介なダート道だった、三国峠を越える中津川林道より、さらに難路だと云われていたのです。
長年の大弛峠への夢は、今回の国師ヶ岳登山で、山梨県側の完全舗装された林道から、友人の運転する車で、一気に上り詰めて叶いました。
標高2,360m。奥秩父最高峰の北奥千丈岳2,601mまで、標高差241mです。
峠の駐車場は平日なのにほとんど満車状態でした。
ほとんどの登山者は、ここから日本百名山の金峰山を目指します。
僕は、数年前、今日も同行している友人との金峰山登山の際、この大弛峠からのコースは取りませんでした。
朝日岳を越えて、明るい山稜を行く登山道も捨てがたいと思うのですが、奥秩父の盟主たる山には、沢沿いの道を歩き、苔むした針葉樹の森を登り、森林限界の岩稜帯に至るコースを辿って山頂に立ってもらいたかったのです。
登山前日、久しぶりに廻り目平にテントを張り、翌日西俣沢沿いの道を登り、金峰山に至りました。
他の登山者には会いませんでした。金峰山小屋から、ハイマツと岩の間を抜ける最後の急坂を登り金峰山頂に飛び出た時、友人が驚きました。
なんでこんなに人がいるんだと。
ちょうど大弛峠からの大勢のツアー登山者と一緒になったのです。もう、金峰山は、ほとんどの登山者が大弛峠から往復する山になりました。

さて、今日の目的の国師ヶ岳は、大弛峠から金峰山とは、反対方向の東側に向かいます。駐車場を出ると左側に大弛小屋があります。小屋の前を抜ける登山道に入ると、すぐに丸太組の桟道と階段が続き、これは登りはじめたばかりの体に堪えます。
喘ぎ喘ぎ、15分ほど登ると巨岩が連なる夢の庭園と名付けられた展望の良い場所に出ます。
朝日岳から金峰山に至る稜線がはっきり見えます(写真上)
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尚も桟道と階段混じりの登山道を登り切ると(写真左)前国師岳2,576mに着きました。峠から約1時間の登りでした。
かみさんは、登山道横にたくさんあるシャクナゲの木を見て、花が咲いている時期はきれいだろうなと言います。

前国師から、少し下り、緩やかな歩きやすい登山道を進むと、三繋平の分岐です。案内板が北奥千丈岳を示してくれます。
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国師ヶ岳への道を右方向にとって、10分弱の登りで、奥秩父最高峰2,601mの北奥千丈岳に至りました。大きな岩が積み重なる広い山頂です。
ここからの晴天の大眺望を期待したのですが、残念ながら雲が次々と流れ、ほとんど展望できません。大弛峠では晴れていたのですが。

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登ってきた道を分岐まで戻り、これも登ること10分程で今日の目的の山、国師ヶ岳に到着しました。この間、苔むした針葉樹林帯が続き、奥秩父の山らしい雰囲気が味わえます(写真左4枚目)

国師ヶ岳山頂2,592m。ここでも雲に阻まれて眺望は得られませんでした。目の前の、先ほど登ってきた北奥千丈岳の山頂も、流れる雲に邪魔されて見え隠れします。
広い山頂で、ゆっくり昼食をとり、登ってきたコースを下山しました。
帰りは早く、一時間ほどで駐車場まで戻ることができました。
50年以上も前に出来ていた林道を、今更どうこう言うことはできませんが、かっては奥秩父の深山として、二日がかりで山頂に立った国師ヶ岳に、僅か一時間で登れてしまう完全舗装された林道の存在は老登山者として、ありがたいと云うべきか迷うところです。

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2016年7月 2日 (土)

四阿山へ

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7月1日(金)
久しぶりに菅平牧場を訪ねました。
緑の牧草地が広がり、放牧された牛たちはのんびりと草を食み、背後の山の向こうには夏の白い雲が浮かんでいます。以前と変わらぬ風景が広がっていました。

友人3人と四阿山(あずまやさん 2354m)に登る計画を立て、ここ菅平牧場まで車を飛ばしてやってきたのです。
僕は四阿山には季節を変えて3度ほど登った事があります。
梅雨の晴れ間を狙って、どこか良い山を登ろうとの友人たちの誘いで、それなら日本百名山にして高さも2,354mある割には、登りやすい山として白羽の矢を立てたのが四阿山でした。
牧場駐車場が登山口で、明るい広葉樹の樹林帯を抜けると、眺望の良い稜線歩きが頂上まで続きます。僕の好きな山の一つです。
登山路としては、牧場から目の前の根子岳に登り、そこから四阿山経由で下山するコースがよく歩かれているルートです。
ただ、この季節の日帰り登山の場合、遅い出発で根子岳を目指すと、まるで日陰のない長い根子岳の稜線歩きはちょっとつらいのです。
それと根子岳山頂から四阿山に向けて、鞍部へ200m近い下降をした後、四阿山に登りなおす樹林帯の急坂は、以前登った時に、かって経験したことがないくらいの湿気に悩まされた苦い思い出もあるのです。そんなわけで、今回は四阿山ピストン山行を選びました。
暑さと、異常に多いブヨに悩まされましたが、幸い好天に恵まれ、友人たちとの楽しい登山ができました。
レンゲツツジは、もう終わっていて高い場所で僅かに咲いていましたが、他の高山植物の幾つかは見ることができました。夏の花はこれから楽しめそうです。
下山して牧場の売店で飲んだ牛乳は喉にしみました。美味かったです。ソフトクリームもありました。
帰路のいつもの温泉は、上田菅平ICに向かう途中にある、「真田温泉ふれあいさなだ館」で汗を流しました。大きな施設ではありませんが、空いていて気持ちの良い温泉施設です。地元の人たちが五、六人、露天風呂にのんびりと浸かり、農作業の話をしていました。そんな温泉です。入浴料500円も魅力です。
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四阿山山頂

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登山道で見た高山植物。写真上から
アヤメ

ウツボグサ

ベニハナイチヤクソウ

ハクサンフウロ

ハナニガナ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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友人が呼んだら、牛がそばにきました

 

 

 

 

 

 

 

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