2018年7月20日 (金)

美しい三浦半島の海を見て

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(写真上、三浦半島の荒崎海岸、この日は波が高く釣りはできなかった)

Dsc04061_1024暑い日が続きます。我家は集合住宅ですが、周囲に広場や樹木も多く、昼間は他よりは少し外気温が低いかもしれません。
しかし、夜になっても、暑さは続き、室温は30度から一向に下がりません。
何もかもが熱をたっぷり蓄えてしまっています。コンクリート壁、屋上床も温めれらて、断熱材も保温材になってしまったようです。
干からびたミミズが街区の道路に何匹も転がっています。
人と会うと、「オリンピックどうなるのかな?」が挨拶のように交わされます。
どうにもならないだろうと思います。暑さと台風、最初から分かっていたことです。
招致には反対しましたが、4年に一度のオリンピックです。どうせ開催するなら、選手や外国からのお客さんに日本の美しい季節を見てもらえる時期、やはり秋が良かったと、この酷暑のなか改めて思います。

少し前になりますが、アウトドアー遊び仲間と7月初めに三浦半島に行ってきました。
諸磯漁港の民宿に泊まり、岸壁でのんびり釣りを楽しみました。
友人に教えてもらって、6月に石Dsc04067_1024川県の氷見港で初めて体験した太鼓リールを使った落とし込み釣りに、二度目の挑戦をしましたが、残念ながら、フグ以外あまり釣れませんでした。
それでも、宿の魚料理は美味しかったし、朝晩の風の爽やかさは、都会では経験できない実に気持ちの良いものでした。
泊まった民宿出口荘では、得難い体験をしました。
部屋の布団に寝そべると、窓いっぱいに広がる星空が見えるのです。
夜半ふと目覚めると満月に近い月が、その位置を変えていくのがわかりました。
山で降るような星空を見る事は珍しくはありませんが、テントに入ってしまえば星空は見えないのです。一晩中星空を見られる場所に寝たのは、多分初めての事だと思います。

Dsc04068_1024翌日は荒崎海岸に移動しました。30年以上前に、神奈川県の大船に住んでいました。北鎌倉駅もに近い場所だったので、休日には子供たちを連れて、鎌倉や葉山、逗子などによく出かけました。
鶴が丘八幡宮の横に、無料の大きな駐車場があった良き時代です。小坪漁港の朝市にも魚の買い出しに良く通いました。釣銭の客を歓迎しない、ちょっとこわいおばさんのことも、懐かしく思い出します。
 久しぶりに訪ねた荒崎海岸は、当時よりずいぶん整備されたと感じましたが、岩礁と白波の立つ海をみて、こんなに景色の良いとDsc04066_1024ころだったんだと改めて感激しました。都心から車で2時間弱でこの風景に出会えるなんて、三浦半島を再認識しました。

 美しい海の風景写真を見ながら、西日本豪雨被害を考えます。
地震、津波、台風、河川の氾濫、火山爆発、山崩れなどの自然災害の国、日本に「災害救助隊」の創設の必要性を痛感します。急務なのです。
現在の自衛隊の任務には災害救助は含まれていないのです。
災害省(仮称、ただし防災省はいけません)を作り、主として自衛隊員から、他にも警察、消防などにも協力してもらい、1万人〜2万人規模の救助隊員を募ります。自主志願です。
災害救助に専念したいと思う自衛隊員は少なからずいると思います。
取りあえず、予算は防衛省予算の2割ほどに考えます。福島県で国土の一部を失ったり、豪雨被害で数百名規模の死者が発生するなど、災害対処の任務は、自衛隊の掲げる国土防衛とも通じます。
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当初の災害救助用機材については、まず17機のオスプレイ購入予定予算から、災害対処用途として、7機分の予算を貰い受け、機材購入費に充てます。
自衛隊にオスプレイが本当に必要かの検討も充分なされないまま、先ず購入ありきなので、災害救援に役立つという導入理由をそっくり頂いてしまいます。
頂くその7機分の総額たるや、災害救助車両として活躍が期待されながら、高額なので消防予算では導入が進まないレッドサマランダー(写真左)が700台も買えてしまうのです。もちろん、そんなには必要がないので、その他の最新装備購入に充てることになりますが。
病院船も作りたい、海外救助隊も作りたい、国民に支持される災害救助隊組織については、以前からいろいろと考えているのですが、今日のところはこのへんで。

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2018年7月 6日 (金)

二冊の本「自作の小屋で暮らそう」と「山小舎を造ろうよ」

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高村友也さんの「自作の小屋で暮らそう」(Bライフの愉しみ)を読みました。単行本が出版されたのは6年程前の事ですが、しばらく絶版状態で、昨年12月文庫版が発刊されました。
柳瀬川書店をいつものように覗いていたら、帯に書かれた「働かず、縛られず、好きなだけ寝る極意!」に、単行本版は読んでいなかったので「おっ、どんな極意?」と思わず買ってしまいました。
著者の高村さんは、時間に囚われない自由な暮らしを求めて、10万円で小さな小屋を作る過程を詳細に綴り、そこに自らBライフと名付けた暮らしぶりを織り込んでいます。
Bライフについては、書くと長くなるので省略しますが、高村さんの東大哲学科から慶大大学院哲学科の経歴から、何か人生哲学なるものが語られていることを期待すると、ちょっと違うかもしれません。
人それぞれかもしれないが、こんな生き方もあるのだと教えてくれる本です。でも僕は、極小空間の小屋作りの過程における、徹底したローコストの追求ぶりには共感できますが、次元の違う、高村さんのBライフ生活はとても無理だと思いました。
でも、指南書の多いログハウス造りとは次元の異なる手作り感には、驚かされることが多い本でした。

この本を読んで、思い出したのは30年以上前の1987年、西丸震哉さんの書かれた「山小舎を造ろうョ」(少し人生を考え直したい人に)でした。
 この西丸さんの本は、高村さんの語る、働かず、縛られず、好きなだけ寝るBライフなる生活を実現すべく、人生ののすべてを含めた生活の場所として、その拠点を作る実体験とは、違った発想の本です
どちらかと言えば、アウトドアー的な試みで、人生を豊かにする拠点を作ろうと説くのです。
まず野宿、登山で言えばビバークから始まり、小屋掛け、テント、竪穴住居などの考えを経て、半畳からの山小舎作りの発想に到ります。このあたり実に面白く読めます。
そして、0.75畳、1畳、2畳とだんだん大きくなり8畳夫婦用から、12畳にまで広がります。それぞ間取りのイラストも描かれていて、これなら自分も出来るのではと夢が広がります。
地形的、気象学的ノウハウも語られます。原則的には山小舎は生計の場にはなる性質のものではないし、そうしたくともできるものではない。
しかし、山小舎を持つという夢を持ち束縛からの解放を求めようと語ります。これには大いに共感できました。
昔、谷川岳南面の沢と岩場を登っていた時期があります。タクシー代など持たなかったので水上駅から夜道を谷川温泉まで歩きました。そしてさらに沢沿いの登山道を進み、夜半、二股付近でビバークして翌朝の登攀に備えました。もし、この付近に小さな掘立小屋でもよいから、それが持てたらと良いなと友と語ったものでした。
八ヶ岳山麓の甲斐大泉の土地が坪千円と言われた時には、本当に欲しいと思いました。
すべては夢と終わりましたが、改めて二冊の本を読んで、高村さんの必要最低限の生活から得られるもの、西丸さんの、空想の世界で山小舎を思い描くのは楽しいとの言葉に、大いに刺激される僕なのです。

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2018年6月25日 (月)

「隠れ部屋」潜伏キリシタン

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東京新聞6月13日朝刊より(クリックすると拡大します)

潜伏キリシタンが、密かに祈りをささげた場所である「隠れ部屋」が公表されました。場所は熊本県天草市天草町大江の民家の屋根裏で、専門家は「国内に存在するものはおそらくここだけ」と語っています。(写真下、天草ロザリオ館の隠し部屋ジオラマ)
ただし、残念ながら今話題となっている世界文化遺産に登録される見通しの「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」には、地域的に含まれないようです。
公開された隠し部屋が、貴重な歴史遺産であることは間違いないと思うのですが、国内で唯一という説には僕はやや懐疑的です。納屋状の状態で残されている小部屋は、他にも存在してもおかしくないのではないかと思ってはいます。
Photoところで、世界文化遺産の登録名の潜伏キリシタンとは、あまり聞きなれないと思うのは僕だけではないと思います。
今までは「隠れキリシタン」、これが一般的に使われてきたように思います。
それでは、潜伏キリシタンと隠れキリシタンとの違いはなんだろう。このあたりをまったく理解していなかったので、勉強の為ネットで調べてみると、あるある、実に詳しく書かれています。
その中で、
ウイキペディアは、詳細も書いているのですが、最初に概要としてもっとも簡略にまとめていて、これがわかり易いと思いました。
〇隠れキリシタン(かくれキリシタン)は、日本の江戸時代に江戸幕府が禁教令を布告してキリスト教を弾圧した後も、密かに信仰を続けた信者である。以下の2つに分けられるが、一般に両者を区別せずに呼ぶ。

1.強制改宗により仏教を信仰していると見せかけ、キリスト教(カトリック)を偽装棄教した信者。
2.1873年(明治6年)に禁教令が解かれ潜伏する必要がなくなっても、江戸時代の秘教形態を守り、カトリック教会に戻らない信者。
敢えて両者を区別する場合、1は「潜伏キリシタン」、2は「カクレキリシタン」(すべて片仮名で表記)と呼ぶ。


その他、少し参照してみます。
なお、国指定の無形民俗文化財(風俗習慣・祭礼[信仰])としては「かくれキリシタン」と表記されるとのことです。

①「山川日本史小辞典」(山川出版社)の「潜伏キリシタン」の項目では、以下のように説明しています。
“江戸時代、キリシタン禁制に対して、表面的には仏教徒を装いつつ、密かにキリシタンを信仰し続けた人々。(中略)潜伏キリシタンの中には、キリシタン禁制の高札撤去(1873)以降も教会に復帰しない人々がいるが、江戸時代の潜伏キリシタンと区別する意味で彼らを隠れキリシタンとよぶ。
(「山川日本史小辞典」(山川出版社)の「潜伏キリシタン」より)

②長崎市国内観光客誘致推進実行委員会では、「潜伏キリシタン」について以下のように説明している。
“江戸時代の初期、外海、浦上、天草などの信徒たちは幕府の摘発を逃れるために表社会では仏教徒として生活し、内面的にキリスト教を信仰する潜伏キリシタンとなりました。天照大御神や観音像をマリアに見立てたり、その地域の言葉で祈りを捧げたり、それぞれに独自の信仰の形を形作っていったのです。
江戸時代後期には外海地方にいた潜伏キリシタンたちが五島列島に移住し新しく潜伏キリシタンの集落を作っていきました。明治になって禁教令が撤廃された後も、このような潜伏時代の信仰形態を継承した人々を、かくれキリシタンと呼んでいます。
(教会群とキリスト教関連遺産|長崎修学旅行の魅力|長崎市修学旅行ナビより)


東京新聞の潜伏キリシタンの「隠れ部屋」の記事から、いろいろと勉強することが出来ましたが、さて、この隠れキリシタン、中学校の教科書では、どんなふうに書かれているかと2社の歴史教科書を見て、なんと驚きました。
東京書院の新しい社会「歴史」も、育鵬社の新しい日本の「歴史」にも、「キリスト教」「キリスト教徒」「キリシタン」「キリシタン大名」の索引項目はあっても隠れキリシタンについては、まったく一行も記述が無いのです
東京新聞6月17日のニースおさらいの記事で、潜伏キリシタンに詳しい南山大准教授、ムンシ・ロジェ・ヴァンジラさんは、次のように語っています。
「キリスト教が禁じられた地域は世界中にありますが、日本ほ独自の発展を遂げたところは無い」「キリスト教と仏教、土地の風土などがまざったユニークな文化は貴重です」
世界遺産に登録される見込みですし、今後、この貴重な文化遺産を子供たちにも知ってもらえるよう教科書にも記述されると良いですね。

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2018年6月22日 (金)

一橋大学兼松講堂と北國銀行武蔵ヶ辻支店

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(写真上、一橋大学兼松講堂--- 設計伊藤忠太

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(写真上2枚目と下、金沢市北國銀行武蔵ヶ辻支店---設計 村野藤吾)
Dsc03968_1024最近、二つの建物を見ました。
一つは石川、富山に旅行した際、金沢市内で見たのが北國銀行武蔵ヶ辻支店(旧加納合同銀行本店)です。
観光客で賑わう近江町市場の入口近くの武蔵ヶ辻交差点の角にあります。遠目にも縦長の尖塔アーチを三つ並べたファサードが印象的で、存在感があり目立つ建物です。
昨年の白山登山の際には、バスの中からしか見られなかったのですが、今回は近江町市場に行きがてら、内部までゆっくり見ることが出来ました。
建築家村野藤吾(1891~1984)の現存する建物が少ない初期の作品として1932年(昭和7年)竣工の貴重な建物です。
当初建っていた場所から、再開発に際して曳家で移動したそうですが、古い建物が壊されることが多い中、北國銀行は、良くこの建物を残してくれました。

もう一つは、一橋大学兼松講堂です。
一橋大学の小平祭でキャンパスツアーの企画があり、これに参加して大学構内の建物群をみることができました。
僕は都内の大学キャンパスは、ほとんど訪ねたことがありますが、国立にある一橋大学の構内に入るのは初めてでした。
ガイドできるよう事前に調べたという一年生二人の案内で巡りました。
どの校舎も趣がある落ち着いた建物でしたが、目玉はやはり兼松講堂です。
一橋大学の前身である東京商科大学の講堂として、建築家伊藤忠太(1867~1954)の設計で1927年に竣工した、ロマネスク様式の建物です。1927年は村野藤吾の加納合同銀行の竣工の5年前になります。
2000年(平成12年)に国登録有形文化財として登録されたことや、ポストモダンで再評価された異形の建築家、伊藤忠太の設計であることから、大学で一番有名な建物となったようです。
2003年4月から2004年3月にかけて卒業生等の募金により大改修が行われ、内外装、耐震、空調などの諸機能をが一新されて現在の姿になりました。
兼松講堂以外にも、本館、図書館、東本館などは、全て伊東忠太の設計なのです。
伊東忠太は村野藤吾の東京帝国大学建築科時代の師であり、村野は後にこんな話をされています。
「当時のことですから建築科といってもまだほとんどたいした実験室もない。いまから考えたら、卒業生は自分で勉強したようなものです。もっとも先生がたはえらかったですよ。佐藤功一、岡田信一郎、伊藤忠太、内藤多仲、今和次郎、こういった先生です。」  

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2018年6月20日 (水)

殿ヶ谷戸庭園へ

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 (上写真、殿ヶ谷庭園の芝生地と本館建物)
 
 5月に文京区の「小石川後楽園」に行き、都内には9つの都立庭園があることを知りました。えっ、知らなかったの?と言われると、恥ずかしい限りですが、まだ、見学したことが無い庭園も幾つかあり、それなら9庭園全部を今年中に全部見てみようと思ったのでした。
友人のやっている200名城巡りなどに比べたら、都内の9か所ですから、そう難しくはありません。
ただ、覗くだけなら、ことによると一日で全庭園見学も可能かもしれません。
1.旧岩崎邸庭園 台東区
  重要文化財(建造物) 明治時代 J.コンドル設計の洋館
2.旧芝離宮恩賜庭園 港区
  特別史跡・名勝 貞享時代(1684~1688) 回遊式泉水庭園
3.旧古河庭園 北区
  名勝 大正時代  J.コンドル設計の洋館とバラ園
4.清澄庭園 江東区
  東京都指定名勝 明治時代 回遊式林泉庭園
5.小石川後楽園 文京区
  特別史跡・特別名勝 寛永時代(1624~1645)水戸黄門ゆかりの大名庭園
6.殿ヶ谷戸庭園 国分寺市
  東京都指定名勝 大正時代  段丘崖を生かした回遊式林泉庭園

7.浜離宮恩賜庭園 中央区
  特別史跡・特別名勝 江戸時代 潮入りの回遊式築山泉水庭
8.向島百花園 墨田区
 史跡・名勝 文化時代(1804~1818) 唯一現存する江戸時代の花園
9.六義園 文京区
 特別名勝 元禄時代(1688~1704)  代表的な江戸時代の大名庭園

殿ヶ谷戸庭園は、中央線の国分寺駅南口から徒歩2分の場所にあります。柳瀬川駅からは武蔵野線で西国分寺に行き、中央線に乗り換えれば、約40分で到着ですから、我家から最も近い都立庭園なのです。
「6月9日」
国立の用事の帰りに、9つの都立庭園巡り、二番目の殿ヶ谷庭園を訪問しました。ここは初めてです。
庭園ガイドが案内してくれる、午後2時からの時間に入場しました。
 殿ヶ谷庭園は、大正2年に江口定條の別荘として建築され、その後昭和4年に岩崎彦彌太(ひこやた)が江口家から買取り「国分寺の家」として親しんだそうです。なお、彦彌太は三菱の創始者岩崎弥太郎の孫にあたります。
入場の時もらったパンフレットにはこう書かれています。

「武蔵野段丘の南縁の「国分寺崖線」と呼ぶ段丘崖とその下端部付近の礫層から浸出する湧水を利用し、雑木林の風致を生かして作られた近代の別荘です」
「彦彌太は昭和9年(1934)に和洋折衷の木造主屋に建て替え、庭園建築として紅葉亭新築するとともに、主屋前面の芝生地と崖線下方の湧水及び園地とを結んで、回遊式庭園を完成させました」
「庭園の段丘上には芝生地が広がる洋風庭園があり、崖線の傾斜面はアカマツ、モモジ、竹林、クマザサで覆われ、崖線下には湧水の次郎弁天池を中心とした和風庭園があります」

広さは1.7haと、よく面積比較に使われる東京ドームの三分の一ほどのの大きさですが、園内は傾斜地を良く生かして変化に富み、ガイドさんの案内で巡っていると、ずいぶん広い庭園だと感じます。
ボランティアでやっていると言うガイドさんは、園内各所の説明はもちろん、武蔵野の野草の事なども詳しく解説してくれました。歩くだけなら20分もあれば園内一周できてしまうでしょうが、ガイドさんと歩いた40分は、武蔵野台地の事、国分寺崖線など全てが良く理解できてとても良かったです。要所には説明板もありますが、ここの見学はぜひガイドツアーをお薦めします。
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(写真上から)
次郎弁天池
国分寺崖線下の湧水を利用して作られた池

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湧水の湧き出している場所

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湧水を利用した鹿おどし

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紅葉亭
数寄屋風の茶室。次郎弁天池にかかるイロハモミジ
の紅葉が見下ろせる。

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竹の小径
日本庭園には珍しい孟宗竹の竹林

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殿ヶ谷戸庭園の入口
国分寺駅南口から3分ほどで到着


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2018年5月24日 (木)

市川市国府台の赤レンガ倉庫の保存に光明!---友人多いに喜ぶ

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このブログでも何度か書いたことがある、市川市国府台の旧陸軍の赤レンガ倉庫(写真上)が、保存される見込みが出てきました。(右記事)

Photo_2この建物の保存に長らく携わってきた友人とそのグループは、市川市長選挙で村越祐民候補(現市長)を応援し、赤レンガ倉庫の保存を訴えてきました。
4月22日に行われた選挙の結果、立憲、民進、共産、自由、社民が推薦する村越氏が、自民、公明が支援する保守系候補を破り当選したのです。
赤レンガ倉庫は、大久保博前市長の時に県からの購入は断念するとの結論が出たのですが、市長選挙の結果、これが見直されることになったと、友人から、新聞記事を添付したメールをもらいました。
10年近くの間、見学会やフォーラムを開催し、貴重な赤レンガ倉庫の保存と活用を目指してきた努力が実を結ぶ時が来たのです。この計画が後戻りすることのないよう、応援したいと思っています。
明治期の煉瓦造で、フランス積の構造が残る建物は、全国でも少なく、この崩壊の危険すらある価値ある貴重な文化遺産の存続に光が見えてきたことはうれしい限りです。
http://ichibun.net/akarenga/ 赤レンガをいかす会HP

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2018年5月18日 (金)

かわいい!---柳瀬川探鳥会で

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2018年5月13日(日)
生態系保護協会志木支部による月例の「柳瀬川探鳥会」に参加しました。
探鳥会は、毎月の第二日曜日の午前9時に、柳瀬川駅近くの富士見橋に集合すれば、誰でも参加できます。
生態系保存協会会員のガイドで柳瀬川、水谷田んぼ周辺を歩いて、野鳥や野草の観察を楽しみます。
今日は川に釣り人の姿も多く、見られた野鳥は少なかったのですが、会の終了近くの時間に、水谷田んぼでホンドイタチ(写真上)に会うことが出来ました。
近くにいた我々を警戒してか、葦の茂みから出たり入ったりと動き回っていましたが、その姿が何ともかわいいのです。
タヌキのようでもあり、子犬のようにも見えます。
写真は、僕のデジカメでは追い切れず、ガイドのYさんが撮ったものをお借りしましたが、ねっ!かわいいでしょ。イタチの持つちょっと悪いイメージとは、ずいぶん違った印象ですね。
Dsc03934_1024イタチのいた場所近くでは、キジを数羽見ました。(写真左)ケーン、ケーンと鳴いてそれほど人を恐れません。
これ、我家から徒歩10分ほどの距離なのです。川では釣りができるし、冬の自然観察会では、40種類以上の野鳥を見ることが出来ます。
カワセミもいますよ。
こんな柳瀬川沿いの豊かな自然環境がこれからもずっと守られると良いなと思っています。


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2018年5月17日 (木)

小石川後楽園へ

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(小石川後楽園から見た東京ドームとドームホテル。緑に囲まれた庭園越しのこの風景は、すばらしい)

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(後楽園内部、新緑が美しかった)


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現在、東京都内には、文化財保護法など法令や条例に基づき、名勝等に指定されている文化財庭園が18 件あるそうです。
このうち都立の庭園は9件で、中には国指定の特別名勝も含まれていて、次世代に継承すべき重要な文化遺産とされています。
知りませんでしたが都立庭園が9園もあったのですね。

1.旧岩崎邸庭園 台東区
  重要文化財(建造物) 明治時代 J.コンドル設計の洋館
2.旧芝離宮恩賜庭園 港区
  特別史跡・名勝 貞享時代(1684~1688) 回遊式泉水庭園
3.旧古河庭園 北区
  名勝 大正時代  J.コンドル設計の洋館とバラ園
4.清澄庭園 江東区
  東京都指定名勝 明治時代 回遊式林泉庭園
5.小石川後楽園 文京区
  特別史跡・特別名勝 寛永時代(1624~1645)水戸黄門ゆかりの大名庭園

6.殿ヶ谷戸庭園 国分寺市
  東京都指定名勝 大正時代  段丘崖を生かした回遊式林泉庭園
7.浜離宮恩賜庭園 中央区
  特別史跡・特別名勝 江戸時代 潮入りの回遊式築山泉水庭
8.向島百花園 墨田区
 史跡・名勝 文化時代(1804~1818) 唯一現存する江戸時代の花園
9.六義園 文京区
 特別名勝 元禄時代(1688~1704)  代表的な江戸時代の大名庭園

名前を聞けば知っている庭園ばかりですが、僕が実際に訪ねた場所は、浜離宮、旧芝離宮、六義園くらいで、それもだいぶ以前のことでしたので、よし、近いうちに全庭園を廻ってみようと思うのでした。

Dsc03912_1024その最初の訪問先として、今回、かみさんに誘われて、文京区の小石川後楽園に行き、ボランティアガイドさんの案内で午後の園内を見学することが出来ました。
地下鉄丸ノ内線の後楽園駅に降りると、目の前には見慣れた東京ドーム球場があり、隣接した緑に囲まれた大きな場所が小石川後楽園なのです。
入口は、庭園外側を廻って駅の反対方向にあるので、外柵沿いの緑を見ながら約8分程歩きました。
チケット売り場では、65歳以上の入場料割引があり、パスポートを見せる外国人に、明るく丁寧に対応する係りの方に好感がもてました。

小石川後楽園については、多くの方が案内記を書かれているので、ここではくわしく書きませんが、午前と午後に一回ずつ行われるボランティア庭園ガイドと共に歩くと、謂れなどがよくわかり楽しく鑑賞することが出来ます。
僕がガイドさんの説明を聞きながら回った園内で、特にいいなと思ったのは、やはり建造物になってしまうのですが、円月橋と得仁堂でした。
 円月橋(写真3枚目)は水面に映る形が、満月になることからつけられたとの事で、後楽園の中でも見どころの筆頭にあげられるほどの人気です。
当日は水面が少し汚れていたのと、風もあったので、満月のようには見えませんでしたが、バランスのとれた美しい形の橋でした。
石造アーチ橋としては、日本でも古い部類にはいるそうで、徳川光圀が招聘した明の儒学者である朱 舜水(しゅ しゅんすい)(1600年~1682年)の設計と指導により名工、駒橋嘉兵衛が造ったと記録されています。

 得仁堂(写真4枚目)は光圀が建立し修理は繰り返されましたが園内で唯一、江戸時代から現存する建物です。江戸時代の建物の形がよく残っています。
光圀が18 歳のころ、史記の伯夷伝を読んでその義に感じ入り、堂を建て伯夷・叔斎の像を祀ったとされています。案内のガイドさんは、王位を譲りあった伯夷・叔斎の兄弟にまつわる悲しくも気高い話を聞かせてくれましたが、書くと長くなるので、後で追記しておきます。

 後楽園と言う名は、中国の范仲淹(はんちゅうえん)の「岳陽楼記」(がくようろうき)の「天下の憂いに先だちて憂え天下の楽しみに後れて楽しむ 」
から名づけられたとのこと。
〇これは、すぐれた為政者は天下国家の憂いを世の人々がまだ憂えない前に憂え、天下国家の楽しみを世の人々が楽しんだ後に楽しむ。自己一身のことは問題にしないということ。
今の日本に置き換えてみると、とても優れた為政者とは呼べない時の首相は、能天気でゴルフなど楽しみ、天下国家を多いに憂えているのは国民という情けない現実に、この後楽園の意味を官邸にお届けしたい気持ちになるのです。

 さて、政権、官邸の愚痴を書き始めると、だんだん怒りが増幅してきますので、今日はここまでとしますが、選手の危険な行為が問題になっている日大アメフト部の関西学院大学への対応を見ていると、その様が安倍政権とまったく同じなのにあきれるばかりです。
この問題、テレビでの報道が過剰かと思えるのですが、逆に考えると、大きく報道されるたびに、安倍政権と加計学園を連想してくれる人が増えるという効果が生まれて、これも良しかと思うのです。
そう、麻生大臣がテレビに映るたびに、政権と自民党支持率が1%ずつ下がる効果に似ています。

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2018年5月 7日 (月)

良心は無いのか---柳瀬唯夫元首相秘書官と仲間たち

こんなおかしな話が、まかり通るとは!
 学校法人「加計学園」の獣医学部新設を巡り、柳瀬唯夫元首相秘書官(現経済産業審議官)が2015年4月2日に、学園関係者と首相官邸で面会していたと国会答弁で認める方向となったことが5月2日に分かったと報道されています。
東京新聞記事によると、これは与党関係者が明らかにしたとのことです。
これまでの「記憶の限りでは会っていない」との答弁では、とても逃げ切れないと自民党と官邸が判断し、発言を事実上修正し、次のような言い逃れで、国会での追及をかわそうとしているとのこと。
「記憶を整理したら、加計学園関係者と面会した覚えがある。
だが、文書に残るような愛媛県や今治市側の関係者が、後ろに混じっていたとは気付かなかった。だから、記憶の限り会っていないと言ったのは、嘘ではない」


まてよ、素直に考えると、加計学園関係者との面会のほうが、問題が大きいと思われるのだが、こちらは挨拶程度だったような記憶があるとごまかし、後ろに隠れていた県や市の関係者には、気づかなかったのだから文書にあるような発言していないと、これで押し切ろうと打ち合わせたようだ。

この男、「〇大出てても馬鹿は馬鹿か!」(♬♬♪ザ・ハイローズ)これ、知能指数の事ではない。人間性の事。
こんな日本語にもなっていない見え透いた嘘を、本人も交えて打ち合わせしている録音があれば聞いてみたいものだが、これを国民の代表たる国会議員の前で、平気で口から出すことが出来る柳瀬唯夫元首相秘書官の頭の中、どうなっているんだろう。
次期経産省事務次官の有力候補だそうだ。こんな男しか事務次官になる人間はいないのか!
 この、通常ではありえない首相官邸での面会の際(注1)官邸スタッフとして、文部科学省と農林水産省から内閣官房に出向していた職員も同席したのだが、官邸と両省が共に事実の確認をしない方向で調整がついているらしい。
〇官邸側は「出向元の各省が答えるもの」、一方の両省は「出向先の事はわからない」
〇内閣官房担当者は、出向職員の同席について、「県や市の職員の官邸の入館記録が無い以上、面会そのものを事実確認できないので、答えられない
。この問題は各省がそれぞれの立場で答えるものだ。」
〇両省は「出向職員が、国会説明に出席する必要ない」


ここまで書いていて、もう本当に嫌になるのですが、今週、またこんな馬鹿な嘘芝居を見せられる身にもなってくれよと嘆く連休最後の夜でした。
柳瀬唯夫さん、あなたは、事務次官になる前に、文科省に出向し、「道徳教育」なるものを勉強してきなさい!たしか、嘘をついてはいけないと書かれている道徳教育指導要領をまとめているはずですよ。

「主として自分自身に関すること」
〔第1学年及び第2学年〕
(3) よいことと悪いことの区別をし,よいと思うことを進んで行う。
(4) うそをついたりごまかしをしたりしないで,素直に伸び伸びと生活する。

〔第3学年及び第4学年〕
(4) 過ちは素直に改め,正直に明るい心で元気よく生活する。

「注1}
面会は異例中の異例(東京新聞2018年5月8日朝刊記事より抜粋)
〇2015年当時、官邸スタッフとして首相秘書官と共に仕事をしていた職員談
「知事が陳情に来ることはあっても、自治体の課長クラスの訪問は見たことがない。そもそも秘書官の面会相手は大半が中央省庁で、自治体職員と会う機会はないはず。ましてや助言なんてあり得ない」「県の課長らに助言までしていたとしたら、どういう経緯だったのか。見当もつかない」
〇かつて橋本龍太郎首相の秘書官を務めた江田憲司衆院議員談
「秘書官が自治体の課長に会うことは絶対にない。あるとしたら首相の地元の市町村長くらい。地元でもない自治体の課長と面会したとすれば、異例中の異例だ」
〇2015年当時、官邸に出向していた官僚談
「秘書官が自治体職員の訪問を受けるのは一般的でない」
〇2015年当時、官邸に詰めていた別の官僚談
「秘書官は省庁の局長級に相当する」「私のような省庁課長に会いに来るのも、自治体なら部長クラス以上だ」
特別な面会が実現した理由について
「首相案件だからでしょうか」と推測し、こう続けた。「国家戦略特区は本来、どこかを特別扱いできる仕組みではないのに」 
 

 

 

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2018年5月 1日 (火)

5月1日はメーデー、そしてスズランの日

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Nihonsuzuran写真上、我家の庭のドイツスズラン)

(写真横、ニホンスズラン)

5月1日、今日はメーデーです。
日本は違いますが、世界の主要国では休日です。
毎年、メーデーに参加し、ジグザグデモなどを繰り返して、南部の赤帽」などと言われた遠い日を懐かしく思い出します。
 日本では、メーデーの祭典は、三つの組織に分かれてしまいました。
5月1日に、全国労働組合総連合(全労連)が代々木公園で、全国労働組合連絡協議会(全労協)が日比谷公園で開催します。
日本労働組合総連合会(連合)系のメーデー中央大会は、4月28日(土)に、代々木公園で行われました。
三つに分かれた組織を簡単に説明すると、「全労協」は共産党が支持母体で市民と野党の共闘をめざし幅広く結集を呼びかけています。
「連合」は、去年までは民進党が絶対的支持母体でしたが、その民進党が分裂、消滅も有りうる状態の中、今年は来賓に政党代表を呼ばないなど、政党との関係に苦慮しています。民進党がそうであったように、右派系、左派系の対立もあり、混迷の度を深めています。
まあ、共産党系以外の野党の支持と考えてよいでしょう。
「全労協」は、上記二つの組織に組しない独自路線を進んでいる組織です。
そんなわけで、日本の労働運動にとって、残念なことですが、労働組合の全国中央組織の再編による組織対立の激化で、1989年以降は統一メーデーの開催ができなくなっているのです。
もし、5月1日が休日になれば、全労連、連合系の合同開催と言うことも有りうるとは思いますが、実現までの前途は多難でしょう。まさに、メーデーは野党共闘の難しさを表す縮図のようなものなのです。

ところで、今日はスズランの日だそうです。日本のことではありません。「フェット・デュ・ミュゲ」(スズラン祭り)と呼ぶフランスでの話です

5月1日、「スズランの日」
フランスでは昔から愛する人やお世話になっている人にスズランを一輪贈る習慣があり、贈られた人には幸運が訪れると言われているのです。
そこで、この日は、ルールさえ守れば、たとえ販売店の許可がなくとも、誰でも街角などでスズランを売って良いことになっています。
商店街、地下鉄の入口、スーパーの入口などで、一輪または花束にして、あるいは鉢植えと、さまざまな趣向でスズランを売っています。
可憐なスズランを贈る習慣、少しづつ日本でも広まるかもしれませんね。

我家の庭のドイツスズラン、今年は花の付がとても良く、ミニ入笠山だと想って楽しんでいます。(写真上)
長野県の入笠山は野生のニホンスズランの大群生地として有名で、6月頃、スズラン祭りが催され、多くの観光客を集めています。
 100万本のスズランが咲く入笠湿原には、木道が敷かれ、立ち入りなどが管理されていますが、今から60年ほど前の登山道では、もっと広範囲に群生し、それこそスズランを踏まないように歩くのに苦労したほどでした。
最近は、ケーブル山頂駅付近に山野草公園が整備され、ここではドイツスズラン20万本を見ることが出来ます。
しかし、町の観光事業発展の為とは云え、入笠山の昔を知っている者にとって、外来種のドイツスズランの植生には、ちょっと、いやかなりの疑問と抵抗があります。

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