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2019年3月25日 (月)

4000年の時空を超えて

Dsc05194_1024_2 (ブログ作成のココログ画面、リニューアル後の使い勝手の悪さときたら、単に慣れていないでは済まされない。元に戻してほしいというのが、正直な今の気持ちです😖)
 散歩の途中、我家から徒歩10分弱ほどの、富士見市針ヶ谷小学校裏で、掘り返された畑の表面   にやや大きめの土器片らしきものを見つけました。
僕の住む志木市や隣接する富士見市、三芳町は旧石器や縄文時代遺跡の宝庫なのです。
ちょっと気をつけて探してみると、畑の道路側の端で小さな土器片を表面採集することは、そう難しい事ではありませんん。
畑の邪魔者、石ころとして一か所に集めて、打ち捨てられていることもあります。
ただ漫然と歩いていても、なかなか気づきませんが土器を探すという目、僕はこれを土器目と呼んでいるのですが、そうすると、自然に土器片が目に飛び込んでくるのです。そう、ワラビ取りのワラビ目と同じです。すみません、この例え、わらび取りをした方でないとわかりませんよね。
手を伸ばして土器片を拾い上げようとしたら、その2mほど先にも小さな土器片が。それも拾って2つを合わせてみると、なんとピタッと合うではありませんか。(写真2枚目)
表面採集では複数の土器片を拾っても、それが元の形状にくっつく事は珍しいのです。
勿論、掘り返された畑の表面に落ちていたものですから、畑仕事の農耕具で割られたものでしょうが、それでもなんとなく嬉しくなりました。
富士見市立針ヶ谷小学校付近は、南通遺跡と呼ばれていて、縄文(草創・早・前・中・後)・弥生(中・後)・古墳(前)時代のかなり大きな規模の遺跡です。
Dsc05195_102435年前の針ヶ谷小学校の建設時から、今までにもこの付近で、土器片はいくつも表面採集していました。今回、拾ったのは土器の口縁部のかなり厚口のもので、ちょっと古そうだなと思えるものでした。
 数日後、僕は同じ富士見市の水子貝塚資料館を訪ねました。水子貝塚は、富士見市の大型遺跡です。ここの貝塚は縄文時代前期(約5500~6500年前)を代表するものとして、昭和44年、国の史跡に指定されました。その後、遺跡の保存と活用のため整備が行われ、平成6年、「縄文ふれあい広場 水子貝塚公園」として開園し、資料館と展示館もあります。我が志木市に比べて、隣町の富士見市、三芳町は、羨ましいほどに文化遺産の保存に熱心です。
資料館の学芸員の方は、針ヶ谷小学校付近で見つけたと伝えた土器片を見て、僕を展示ガラスブースの前に案内してくれました。そしてひとかたまりの土器を指差し、恐らく4500年程前の加曾利Ⅰ式かⅢ式ではないかと教えてくれました。
 縄文時代は草創期(約1万5,000 - 1万2,000年前)、早期(約1万2,000 - 7,000年前)、前期(約7,000 - 5,500年前)、中期(約5,500 - 4,500年前)、後期(約4,500 - 3,300年前)、晩期(約,300 - 2,800年前)に分類(異論あり)されていますが、その中期にあたる土器のようです。
僕は土器片や石器を手に取ると、いつも思います。数千年前、この土器や石器を誰かが作り、使った人がいる。
 確実に数千年前の人が触っていたものだと感じるのです。なかなか、日常的に数千年前、いや数万年前の人たちが使っていたものに触れることなど 無いのですが、それを4000年の時空を超えて、道端でいともたやすく手にする事が出来るのが、表面採集の石器や土器片です。
二つが一つに繋がった加曾利式土器片を見て、柳瀬川の台地の上で、この器をどんな人が使いどんな生活をしていたのかと、思いめぐらすのは楽しいものです。
(写真3枚目、水子貝塚資料館)(写真4枚目、縄文土器展示ケース、加曾利土器がある)644160

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