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2018年7月20日 (金)

美しい三浦半島の海を見て

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(写真上、三浦半島の荒崎海岸、この日は波が高く釣りはできなかった)

Dsc04061_1024暑い日が続きます。我家は集合住宅ですが、周囲に広場や樹木も多く、昼間は他よりは少し外気温が低いかもしれません。
しかし、夜になっても、暑さは続き、室温は30度から一向に下がりません。
何もかもが熱をたっぷり蓄えてしまっています。コンクリート壁、屋上床も温めれらて、断熱材も保温材になってしまったようです。
干からびたミミズが街区の道路に何匹も転がっています。
人と会うと、「オリンピックどうなるのかな?」が挨拶のように交わされます。
どうにもならないだろうと思います。暑さと台風、最初から分かっていたことです。
招致には反対しましたが、4年に一度のオリンピックです。どうせ開催するなら、選手や外国からのお客さんに日本の美しい季節を見てもらえる時期、やはり秋が良かったと、この酷暑のなか改めて思います。

少し前になりますが、アウトドアー遊び仲間と7月初めに三浦半島に行ってきました。
諸磯漁港の民宿に泊まり、岸壁でのんびり釣りを楽しみました。
友人に教えてもらって、6月に石Dsc04067_1024川県の氷見港で初めて体験した太鼓リールを使った落とし込み釣りに、二度目の挑戦をしましたが、残念ながら、フグ以外あまり釣れませんでした。
それでも、宿の魚料理は美味しかったし、朝晩の風の爽やかさは、都会では経験できない実に気持ちの良いものでした。
泊まった民宿出口荘では、得難い体験をしました。
部屋の布団に寝そべると、窓いっぱいに広がる星空が見えるのです。
夜半ふと目覚めると満月に近い月が、その位置を変えていくのがわかりました。
山で降るような星空を見る事は珍しくはありませんが、テントに入ってしまえば星空は見えないのです。一晩中星空を見られる場所に寝たのは、多分初めての事だと思います。

Dsc04068_1024翌日は荒崎海岸に移動しました。30年以上前に、神奈川県の大船に住んでいました。北鎌倉駅もに近い場所だったので、休日には子供たちを連れて、鎌倉や葉山、逗子などによく出かけました。
鶴が丘八幡宮の横に、無料の大きな駐車場があった良き時代です。小坪漁港の朝市にも魚の買い出しに良く通いました。釣銭の客を歓迎しない、ちょっとこわいおばさんのことも、懐かしく思い出します。
 久しぶりに訪ねた荒崎海岸は、当時よりずいぶん整備されたと感じましたが、岩礁と白波の立つ海をみて、こんなに景色の良いとDsc04066_1024ころだったんだと改めて感激しました。都心から車で2時間弱でこの風景に出会えるなんて、三浦半島を再認識しました。

 美しい海の風景写真を見ながら、西日本豪雨被害を考えます。
地震、津波、台風、河川の氾濫、火山爆発、山崩れなどの自然災害の国、日本に「災害救助隊」の創設の必要性を痛感します。急務なのです。
現在の自衛隊の任務には災害救助は含まれていないのです。
災害省(仮称、ただし防災省はいけません)を作り、主として自衛隊員から、他にも警察、消防などにも協力してもらい、1万人〜2万人規模の救助隊員を募ります。自主志願です。
災害救助に専念したいと思う自衛隊員は少なからずいると思います。
取りあえず、予算は防衛省予算の2割ほどに考えます。福島県で国土の一部を失ったり、豪雨被害で数百名規模の死者が発生するなど、災害対処の任務は、自衛隊の掲げる国土防衛とも通じます。
Reds


当初の災害救助用機材については、まず17機のオスプレイ購入予定予算から、災害対処用途として、7機分の予算を貰い受け、機材購入費に充てます。
自衛隊にオスプレイが本当に必要かの検討も充分なされないまま、先ず購入ありきなので、災害救援に役立つという導入理由をそっくり頂いてしまいます。
頂くその7機分の総額たるや、災害救助車両として活躍が期待されながら、高額なので消防予算では導入が進まないレッドサマランダー(写真左)が700台も買えてしまうのです。もちろん、そんなには必要がないので、その他の最新装備購入に充てることになりますが.

災害住宅用トレーラーハウスや病院船も作りたい。海外救助隊などを含めた国民に支持される災害救助隊組織については、以前からいろいろと考えているのですが、今日のところはこのへんで。

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コメント

なんと大船にお住まいだったのですね。
私も大学卒業まで大船(正確にいうと横浜市戸塚区(現・栄区)の公団住宅)でした(昭和40年~60年まで)。横浜市なのに最初の頃の市外局番は0467で、郵便局の管轄は大船でした。
予備校、自動車学校もも大船です(笑)。
仲通り商店街のある、いまでもいい街ですね。

投稿: kappaman | 2018年7月21日 (土) 07時41分

>kappaman さま
kappaman さまも戸塚区にお住まいでしたか!。
結婚してすぐに、公団の飯島団地に住みました。大団地で戸塚駅からバス利用でした。道路が混んで通勤に難儀しました。そこから、大船駅下車の横浜市住宅供給公社の公田ハイツに転居し、その後通勤時間短縮のために、現在の志木市に住むようになりました。仲通商店街、良く知っています。松竹撮影所、大船観音、ドリームランド、植物園、江の島に抜ける変な有料道路、懐かしく思い出します。

投稿: Souroku | 2018年7月21日 (土) 15時18分

私は公田団地です。公田ハイツには友人がたくさんいました。桂台小学校(創立時に4年。それまでは本郷小学校)→本郷中学校。公田ハイツのあたりも昔は田んぼだったように記憶しています(よくザリガニをとりました)。桂台は山で公田団地の上から鎌倉まではずっと山道でしたが、それがなくなって分譲住宅地ができた時には仰天しました。最初は家など建っておらず広大な原っぱで、友人と投げ釣りの練習をしても怒られませんでした(^_^;)。

投稿: kappaman | 2018年7月22日 (日) 07時31分

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