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2018年1月28日 (日)

-5℃くらいでは驚かない----寒い中、ルーテル市川教会へ

2018年1月28日(日)
昨日そして今日の朝の気温は-4℃からー5℃程度、寒いと言えば寒いけれど、もうこの程度の外気温では、驚かなくなりました。
25日にー8度を記録したとブログに書いて自慢?していたら、翌26日にはなんと-9.5度まで下がりました。(写真下)
気象庁のさいたま市の記録ではー9.8度とか、観測史上最低温度だそうです。
他にも、埼玉県下には最低温度を更新する場所が幾つもあり、どこも寒さに凍えています。
もうこうなれば、今冬、我家で-10度以下を観測するの事ができるか、それが楽しみになってくる心境です。
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寒さのなか、千葉県市川市の日本福音ルーテル市川教会堂で行われた、「赤レンガフォーラム2018」の集会に行きました。
市川市国府台に残る、旧陸軍の武器庫として使われた赤レンガ建物の保存活動を継続的に進める「赤レンガを生かす会」の定例の集会です。
 http://ichibun.net/akarenga/
今回は、1955年(昭和30年)に建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計によって建てられ、2008年(平成20年)に国登録有形文化財に指定された教会堂の見学会を終えてからフォーラムが行われ3人のゲストの講演が行われました。
「ゲスト」
丸山純氏(建築史家、千葉県文化財保護審議会委員)
下間久美子氏(文化庁文化財調査官)
中島康文氏(ルーテル市川教会牧師)

丸山氏は、赤レンガ倉庫の建物を調査し、その報告と文化財的価値を語り、下間氏は全国を駆け巡って古い建物の文化財指定を推進している活動から、文化財保護行政、保存の進め方、取り組みそしてその後の活用の在り方について、大変参考になる話を聞くことが出来ました。
最後に、ルーテル教会の牧師である、中島氏が廃棄寸前だった教会堂の修復と文化財登録までに至った保護の経緯を、ユーモアを交えてわかり易く説明され、赤レンガ倉庫の保存にも通じる貴重なお話を聞くことが出来ました。
質疑と参考の意見交換では、各地で文化財保護に携わる方の実際の活動経験、それぞれの分野の専門家の話が聞けて、密度の高い活発な討論が行われました。
目から鱗の話も多く、よくぞこれだけの人材が参加されたと、主催者の活動の幅広さと努力に驚かされたフォーラムでした。
赤れんがを生かす会で活動する友人に誘われての参加でしたが、久々に文化財として保存すべき建物の保護への熱い思いを持つ方々と交流できて、僕にとって、とても有意義な時間を過ごすことが出来た夜でした。
実は、フォーラムへは、我家から2時間以上もかかる遠方でもあり、ためらわれたのですが、開催場所の市川教会堂の見学ができる魅力にも引かれて参加しました。
結果は貴重な建物内外の見学と建物ガイドの話も聞けて、これも〇でした。

教会堂の設計者のウィリアム・メレル・ヴォーリズは、一般にはそれほど名の知れた建築家ではありませんが、キリスト教の伝道の他にも多彩な活動をしつつ、かつ日本に帰化して建築家として設計事務所を主宰し、多くの優れた建物を日本各地に残しました。

(市川教会会堂の案内パンフよりコピー)
 真間山の緑を背景に、江戸川から東京湾へと蛇行して流れる真間川沿いにたたずむ教会は、この土他の人々の身近な風景となっている。
 市川教会は昭和22年(1947)、現位置からすぐ北の国府台の地にあった、宣教師工一ネ・バウラス女史の自邸で礼拝が開始されたことに始まる。
同年、陸軍砲兵隊兵舎の払い下げを受け保育園に転用し、ここで礼拝が行われるようになった。
その後現位置に移転し、昭和30年(1955)に、この白亜の教会堂が新たに建設された。
 この建物には、建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズが好んで多くの建物に用いたスパニッシュ様式の影響を受けた意匠が、身廊の判円アーチ窓、玄関扉、最上階の平面が絞り込まれた塔屋の構成に見られる。
創建当初の屋根は、赤色瓦であった。玄開は、銅板張りの十字架を冠する4階建の鐘楼足元にあり、その脇の花崗岩製の定礎石には建築年が刻まれている。
 列席が並ぶ礼拝空間は身廊のみの形式で、両側面に並ぶ縦長窓の型押しガラスからは、柔らかな陽射しが差し込む。
午後になると、聖壇上方の窓から自然光が入り、壁面の十字架が照らされる。
身廊の小屋組は、部分的になぐり仕上げされたキングトラスの形式をとり、要所には鍛鉄製飾り金物が取り付けられている。
 2階には、建物正面側には子供たちの日曜教室の部屋と礼拝堂を見下ろすバルコニーがある。2階から3階へと階段を登り、鐘楼に至る。そして、鐘が吊るされた4階には梯子を
登って上がる。鋳鉄製の鐘は、銘によると米国ペンシルベニア州レバノンで造られたものである。
 この建物は、比較的簡素な建築材料からなるが、かたちづくられた空開ばたいへん豊かである。外部は今までに何度か改修されているものの、堂内についてはほとんど当初からのままで継承されており、隅々まで日々の手入れがゆき届いている。
壁のペンキ塗が信者たち自身により行われるなど、自ら建物の維持管理に関わってきた。これからも年月を共にしてきた場所で礼拝を続けたく願い、次世代に健全な状態で建物を手渡せるよう、活動し始めている。
 市川教会は、定期的な音楽コンサートなどの開催を通じて、地域に聞かれた教会として知られている。(以上案内パンフより抜粋)

https://www.omi8.com/vories/



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http://mosu3.blog.fc2.com/blog-entry-54.html



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2018年1月25日 (木)

寒い朝

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2018年1月25日午前7時
埼玉県志木市の今日の我家の外部温度計はー8度を記録しました。(写真上)
北海道の親戚の人達に、「氷点下8度だぞ、水道管も凍ったよ」と話しても「なんもさ」と言われそうですが、我家の観測史上最低気温なので、自慢させてください。
1月24日の埼玉県下の最低気温はさいたま市で-8.6度、鳩山で-8.8度、久喜で-8.2度、越谷市で-7.2度と軒並み今シーズン最低を記録したそうです。
越谷市は1977年観測開始以来の最低の記録とのこと、ともかく寒いです。
ところで、1月最低と報道された、さいたま市の-8.6度は、僕が調べたところ、発表の間違いではないかと疑っています。
1月24日の記録は、次のように発表されています。
4時 -5.5
5時 -7.2
6時 -6.8
7時 -6.9
8時 -6.0
最低気温が記録されたとされる6時16分に、急に-8.6度というのは、腑に落ちないからです。ちなみにさいたま市の過去の最低気温は1978年2月2日の-8.8度だそうです。
気温の事はともかく、22日の雪は積もりました。我が家の庭も御覧の通りです。(写真下)Dsc03362_1024

Dsc03346_102422日は、太極拳のグループで、飯能の名栗川畔の店で新年会をやり、みるみる積もる雪景色を見ながら、雪見酒を楽しんでいました。(写真左2枚、清川園蜻蛉亭の窓から)

しかし、会の終了後、東飯能の駅まで戻ると、電車も遅れており、駅の風景も、激しい降雪の中、白一色の世界に信号の赤色が二つ、まるで北国かと思わせる景色でした。
(写真一番下)
Dsc03350_1024早めに切り上げたので、無事に戻れましたが、もう少し遅い時間だと、かなり難儀したところでした。




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2018年1月21日 (日)

埼玉県議会で自民党、県民会議に原発再稼働を進めるよう強く要望させた団体とは

2017年12月22日(金)に埼玉県議会で「世界で最も厳しい水準の規制基準に適合すると認められた原子力発電所の再稼働を求める意見書」が採択されたことについて、県内外から激しい抗議の声が上がり、撤回を求める運動が埼玉県内で広がりつつあります。(年明けから「採択に抗議する市民の会」などが、署名運動を進めています)
本会議で賛成した議員は、埼玉県議会自由民主党議員52名と県民会議8名ですが、全員賛成の自民党議員の中からも、本部からの要請と聞いているし、事前の論議はほとんどなかったと、反響の大きさに戸惑いの声も聞こえるとのことです。
この意見書の提案議員は、自民党議員が10名と県民会議1名の計11人です。         
諸井真英(東第2区 羽生市)自民党 日本会議
須賀敬史(南第19区 蕨市)自民党 日本会議
立石康広(南第2区 川口市)自民党 日本会議
新井一徳(南第15区 北本市)自民党 日本会議 
神尾高善(北第4区 深谷市・美里町・寄居町)自民党 日本会議
田村琢実(南第6区 さいたま市見沼区)自民党 日本会議全国議員連盟副幹事長 
本木茂(西第4区 狭山市)自民党 日本会議
宮崎栄治郎(南第10区 さいたま市南区)自民党 日本会議
小谷野五雄(西第8区 日高市)自民党 日本会議

野本陽一(東第3区 加須市)自民党
石川忠義(東第4区 久喜市)県民会議所属

11名の議員の顔ぶれを見ても分かるとおり、10名の自民党議員のうち、9名は日本会議地方議員連盟の会員で占められています。
石川忠義議員が所属し、意見書に賛成した県民会議の所属議員8名中、わかっただけで3名は日本会議の会員であり、我が志木市選出の鈴木正人議員も日本会議埼玉本部の活動に熱心に取り組んでいます。
ただ、石川忠義議員は会派の議会運営委員として意見書提出の代表者になっただけで、実際には、会派代表の鈴木正人議員など日本会議系の議員が自民党議員の協力者として、意見書作成の補助的推進役であったと推察しています。県民会議議員団は、こういった意見書作成などの実務は苦手な議員が多いのです。
意見書を提出した自民党県議団の田村琢実政調会長は、この意見書提出は、支援団体からの要望によるものとしています。

団体名を聞かれたある自民党議員は、「それは言えない(実際には知らない)」と答え、東京新聞にも、どんな団体から、どんな要望があったのかと聞かれた田村氏が「お答えする義務はない」と回答を拒んだと報じられています。

考えるに、要望した
支援団体とは架空の存在で、そんな団体は初めから無かった。
自民党本部から通達される県議会運営の方向性や、意見書採択の可能性を問う資料に含まれていた一項に過ぎなかった原発再稼働に前向きに取り組んでほしいとの要望に飛びつき、
最近の再稼働に向ける動きの加速に同調し、原発再稼働に執心する安倍政権に覚え目出度くなりたいと考えたのでしょう。このあたり、日本会議系の議員のブログなどを読むと、その傾向と視点が読み取れます。
全国の県議会中でも、日本会議系の議員が多数を占める自民党埼玉県議団なら、全国に先駆けて数の力でこの程度の意見書、可決できるとの自信の表れでしょう。
そこには、この意見書可決の持つ意味の重さ、県民、そして全国の原発に反対する組織や人達の反発、福島原発被災者の驚きなどを、配慮する思慮深さなど微塵もかんじられません。
なぜ、原発立地県でもない埼玉県議会が唐突にこんな意見書を可決したのか、原発に反対する活動を続けている埼玉県人として残念なことです。
先の衆院選では、豊田真由子氏で埼玉が一躍脚光をあびることとなりましたが、今度は埼玉県議会ですか。
全国の県議会中、右派系議員が多い埼玉県議会なので、無い物ねだりになりますが、せめて国連で採択された、
核兵器禁止条約に対し、日本政府に条約への署名や批准を求める意見書」の可決なら、埼玉県民として誇りに思うことが出来るのですが。
すでに全国の百以上の地方議会で、意見書が可決されているのです。県議会レベルでも、岩手県が最初に可決しています。原発再稼働推進の意見書を可決した、県議会など埼玉県以外には、聞いたことがありません。

埼玉県議会の定数は93名、欠員が7名で現議員は86名です。その中で自民党は52名と6割を独占しています。
前回の埼玉県議選の投票率は、
37パーセントしかありませんでした。県民の総意が反映されている状況ではないのですが、自民党は数の力で、原発推進などというおかしな意見書を、やすやすと可決してしまいます。
自民党に対抗できる勢力をも増やしたい。それには選挙で反映させるしかないのです。選挙の投票率をせめて50パーセントくらいにしたいものです。選挙に行きましょう。

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2018年1月18日 (木)

落ち葉が問題---でも、枝を切るのにも限度が

Dsc03319_1024僕の住む志木ニュータウンは、街区名に、中央の森、東の森、南の森などとつけられているように樹木、植栽の多い団地として知られています。
その分、落葉の季節ともなれば、大量の落ち葉が舞い落ちて、清掃の人達を悩ませます。毎日、毎日落ち葉掃きとその処理に追われるのです。
もう、清掃の限界となれば、解決策は枝を切って、落ち葉の量を少なくすること。
これしかない、こう結論付けて、枝を伐採すると、こういう風景を見ることになります。
実施したのはニュータウンの一部の街区ですが、明日の我が街区の姿になるかもしれません。
伐採により、日当たりが良くなる住居からは、喜ばれているかもしれませんが、しかし、それにしても、これはやりすぎではないかと思う伐採です。大げさに言うと丸坊主。電柱のようにされた木がかわいそう。樹木のこんな姿は見たくありません。
雪がふれば、住民から雪かき隊を募るように、落ち葉の季節は落ち葉除去隊を編成する。そして落ち葉掃除機の購入も検討する。30万円ほどで、リヤカータイプの掃除機がありますから、労働力の軽減を考えれば、高い買い物ではないと思うのです。
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2018年1月15日 (月)

グアムの美しいアウトリガーカヌー

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(グアム島の夕暮れ。一艘のアウトリガーカヌーが鏡のような海面を走っていた。絵のような光景だった)(写真は全てクリックすると拡大します)

Dscn0276_1024日本カヌー連盟が、ライバル選手間の薬物混入で揺れています。カヌー競技の知名度が、前代未聞の事件で上がってしまった事は残念なことです。
カヌーで、思い出すのは、昨年いったグアム島で、美しい風景と流麗なアウトリガーカヌーを見たことです。
フロートの付いたカヌーを間近に見たのは初めてでしたが、白、青、赤、緑と鮮やかな塗装と、その美しい船体に見とれてしまいました。

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パセオ公園の美しいカヌーに見とれてしまいましたが、この場所を訪ねたのは、別の目的がありました。
旧日本軍のトーチカがまだ、残っていると案内書に書かれていたからです。地図に示された場所を探して海岸線を辿ってゆくと、草に埋もれるように崩壊しそうなコンクリートの塊がありました。
海に向かって建てられたトーチカの残骸でした。
1944年、旧日本軍のグアム守備隊の9割以上、2万人余が戦死した戦争の傷跡が、目の前に現れたのでした。観光客で賑わう島に、ひっそりと残るトーチカ跡。このトーチカにこもった兵隊は、どうなったのだろう。平和な島に遊んでも、悲しい戦争の事を忘れてはいけないと思うのでした。


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2018年1月14日 (日)

草加松原の松並木---おくのほそ道の風景地を訪ねて

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上の写真は、1962年(昭和37年)の草加松原の松並木の写真です。
松並木の中を、東京方面への車道が走り、自動車の列が続いています。江戸時代には旧日光街道沿いに千数百本の松並木が続いていたと記録されていますが、その後交通量の増加などにより一時は六十数本まで激減したそうです。
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現在の松並木の様子です。
松並木は600本以上にまで補植され、日光街道の名所、千本松原と云われた往時の面影を偲ばせてくれます。よくぞここまで復元したと、感動します。並々ならぬ努力が必要だったことでしょう。
千葉県市川市の外環道に、クロマツ並木を復活したいと活動している友人と、近いうちに会う機会があるので、その前に一度、草加松原の松並木を見ておかねばと思い出かけました。
東武スカイツリーラインの獨協大学前駅(元松原団地駅)から、約500メートルほど東に向かうと百代橋のある交差点に出ます。そこがもう旧日光街道の松並木で、旧街道沿いに南北約1.5kmの間が、国指定名勝「おくのほそ道の風景地」として保存されていました。

見事な松並木の下の石畳の道を歩くと、松尾芭蕉が旅した頃の時代にタイムスリップした気持ちになりました。(写真下1枚目、百代橋から南に矢立橋方向を見る)
(写真下2枚目、百代橋は、構造は鉄骨の横断橋だが、木製の装飾がされた太鼓橋である。他に同じ作りの松原大橋、矢立橋がある)

(写真下3枚目、百代橋から北方向を見る)
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2018年1月11日 (木)

今年も「さよなら原発」

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今年も「さよなら原発志木」の集会とデモを続けます。
4年目に入った原発反対のデモ活動は、隔月の第三日曜日に行われ、今回の1月21日で、20回を迎えます。
このところ、参加者が少なくなっているのが残念ですが、私たちは、ひとたび事故が起きれば広大な地域が放射能汚染地域となり、多くの国民の命と暮らしが簡単に壊される危険な発電システムとして、原発稼働に反対し集会とデモを続けています。
 原発の無い日本への道は険しくとも、私たち一人一人が声をあげ続け、行動してゆきます。
 喜ばしいニュースとしては、原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟(原自連)「原発即時ゼロ法案」の骨子を発表し、小泉元首相らと立憲民主党などの野党も連携して国会内外で脱原発に向けた法案提出の機運が高まったと、今日(1月11日)の東京新聞が一面で報じています。
国民的運動として盛り上げたいとの事ですから、私たちのデモに対する理解も得られやすくなると期待しています。

悪いニュースとしては、私たちの地元、埼玉県議会が先月(2017年12月)に原発の再稼働を強く求める意見書を自民党などの賛成多数で可決し、ことに衆議院議長や首相、経産省に送られました。
埼玉県民の一人として恥ずかしいことですが、全国的に見ても都道府県議会が「原発再稼動を強く求める意見書」を提出するなんて、僕は聞いた事がありません。
県議会議員93人(欠員)のうち、賛成したのは自民党52人、県民会議8人の計60人、我が志木市選出の鈴木正人議員も賛成に廻っています。
これに対して埼玉県民や、福島県の原発被災者からも、とんでもないことと、非難の声が高まっており、私たちも抗議の声をあげてゆきたいと思います。

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2018年1月 9日 (火)

2018年の始めに

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明けましておめでとうございます。
元旦に来客があり、我家の今年の初詣は2日になりました。
例年詣でる地元の館氷川神社は、参拝客も少なく、元旦のような長い行列は在りません。(写真上)
二年程前、なにゆえか、鬱蒼とした高木を全て伐採してしまった境内は、本殿だけがぽつんと建っていて、以前の神社らしい趣は感じられないのは寂しい限りです。本殿横のお稲荷さんが、きれいに整備されて、朱色の鳥居が鮮やかでした。僕はこのお稲荷さんに御利益を頂いたことがあり、ありがたく思い大切にしています。
社務所でいつものように破魔矢を買求め、おみくじを引いて帰路につきました。
実は家を出るとき、かみさんと、賭けをしました。今日の初詣中に着物姿の女性に会えるかというものです。
僕は、2日とはいえ正月なので、2名と。かみさんは0人でした。掛け金は35億。うそ。
結果は、かみさんの勝。着物姿はおろか、晴れ着らしい装いの方にも出会いませんでした。
本当に正月らしい風景は見られなくなりました。門松などまず見当りません。各戸のしめ飾りはというと、玄関扉に飾ってある家は、歩きながら数えてみると約半数程度。
かっては、町ゆく乗用車にもお飾りが飾ってあった事もあるのです。
正月ならではの風景が見られなくなった町ですが、ここ数年で市内から、呉服屋、履物屋、和菓子屋、布団店が殆んど姿を消しました。日本の伝統的な品々を扱う店が閉店に追い込まれて行く中で、商店街も寂しくなっています。数千戸の大団地である、新座団地の商店街も、かっての賑わいが嘘のようにさびしくなりましたし、志木ニュータウンのペアモール商店街も、店舗の閉店が相次ぎ、シャッター通りになりました。人通りが無くなった分、店舗跡に保育園が幾つか出来て、近所のおばさん曰く、「小さな子供たちがちょろちょろして、賑やかだね」チビちゃんたちでは、商店街の活性にはなりません。
全国の地方都市で見られることが、わが街でも現実に起きているのです。

Dsc03274_320我家では、ささやかながら、季節の行事は大事にして祝い、飾るようにしています。

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