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2017年7月31日 (月)

白山へ

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(壊れたパソコンは、中古品を購入した同機種の別パソコンに、ハードディスクを移し替えることで、完全復活しました。白山の写真も無事でした。ブログ再開します)

7月15日(土)
9時40分。登山者が行き交う室堂のベンチ横にザックを置き、空身になって登る事約40分。青石や高天原を通って一等三角点のある、標高2,702mの白山山頂に到着しました。空身は楽です。僕はいつも荷物が重すぎます。
山頂標識、そして大きな石製の山名方位盤もあります。
岩の積み重なった頂上部分はかなりの広さがあり、多くの登山者が写真を撮りあったりしています。(写真上)

雲が次々と湧き、遠く北アルプスなどの眺望は望めませんでしたが、それでも上空は薄い雲の間から青空の見える好天に恵まれました。目の前には大きな山容を見せる別山、そこから延びる岐阜、福井の山々がよく見えます。
やっと白山山頂に立つことが出来た。
北、南、中央アルプス、そして八ヶ岳などから、遠くに白く輝く白山を何度眺めたことか、僕にとっては長い間、遠い山だったのです。
仕事とは、とても両立できないと、岩登りが主体だった登山を20代で止めました。再び山に戻ったのは、60歳に手が届く年になってからです。本多勝一さんの著書「五十歳から再開した山登り」に影響されたような気がします。本多さんが再開登山の最初に選んだのが東駒ケ岳(甲斐駒ケ岳)でした。僕も真似て北沢峠で幕営し、甲斐駒と仙丈岳に登りました。
その当時、「200名山登山」の最終段階に入っていた、古い山友達に誘われて、高妻山、皇海山などに登り、以後南ア縦走、栂海新道などを経て、毎年山行を重ねるようになりました。
鋸岳、白砂山、佐武流山、和名倉山、大無限山などの200名山中の難山と、昔に比べて驚くほど整備された北アの登山道とのギャップにも驚かされました。若い頃は同じ山域に入る事が多く、登頂した山の数は少なかったので、この20年間に、踏破した山の数はずいぶん多くなりました。

今年、喜寿の年を迎えた誕生日の後、再び訪れることは多分ないだろう
「さよならの山」をどこにするか迷いましたが、やはりこの山しかないだろうと選んだのが、白山でした。
日本三名山、すなわち富士山、立山そして僕がまだ登っていなかったのが白山だったのです。喜寿の記念登山にふさわしい山だと思いました。
深田久弥さんの日本百名山には、次のように書かれています。ちなみに深田さんの生地は、石川県大聖寺町です。

「私のふるさとの山は白山であった。白山は生家の二階からも、小学校の門からも、鮒釣りの川辺からも、泳ぎに行く海岸の砂丘からも、つまり私の故郷の町のどこからでも見えた、真正面に気高く美しく見えた。それは名の通り一年の半分は白い山であった。」
僕は太平洋戦争末期、東京の空襲から逃れて、祖母と幼い弟と一緒に、石川県の寺井町(現、能美市)に疎開し、2年弱を過ごしました。
覚えているのは、住んでいた古い蔵と急な階段、そして2階にまで迫る深い雪くらいなのですが、近くの丘陵に連れられて行ったとき、白い大きな山が見えたような記憶があるのです。あれは白山だったのでしょうか。

今朝、5時過ぎに宿泊した南竜山荘を出ました。あたりは霧に包まれています。(写真下1枚目)

昨日は金沢駅から北陸本線で小松駅まで行き、小松空港からの乗り合いタクシーに乗せてもらい、登山口の別当出会に11時前に到着しました。
登山バスが平日に出ていないことを知らなかった失敗は、前に書きましたが、この小松タクシーの宮森さんという運転手は、たった一人の予約客である僕を、駅に出迎え、ワゴン車で登山口まで、気持ちよく送ってくれたのです。
バスの発着所でもある休憩所で準備を整えてから、観光新道分岐を左に見て、長い吊り橋を渡り、砂防新道コースを登りました。
実によく整備された登山道が続きます。中飯場から、眼前に別当谷、甚之助谷、万才谷のすさまじい大崩壊を見ながら別当覗きを過ぎ、甚之助避難小屋に到着。
登山道のすごい暑さと、高速夜行バス利用で金沢に着いた昨日、猛暑の中を金沢市内の観光で、一日中歩きまわったのがたたり、かなりへばりました。登りのペースが掴めません。荷も重すぎました。
この頃から、雨が降り始め、小屋前で雨具を付け、南竜道分岐を経て南竜山荘には15時20分頃到着しました。約4時間の登りでした。
小屋は空いていましたが、室堂まで足を延ばせなかった予定外のツアー登山グループが入ったとかで、広い部屋の両側が二段になった片側の上段に入れられました。
それでも15人ほどのスペースに3人ですから、楽々です。
別山・市ノ瀬道のチブリ尾根を登り、縦走してきたという単独のMさんが隣になり、いろいろと山の話をしました。先週もエコーラインを登ったとかで、白山の登山者は、この山に何度も登られている方が多いようです。消灯は8時、時々、目覚めながらも、長い夜を快適に過ごしました。
朝、4時半に目覚めると、Mさんたち二人の登山者は、もういませんでした。まだ寝ている他の登山者の迷惑にならないような、静かな出立はさすがです。僕も下に寝るツアー登山グループを起こさないよう、梯子をゆっくりと降りて廊下に出ました。出発します。

Dsc02545_1024山荘を出て、天幕場への橋の手前を、別山への分岐を左にとって、展望歩道コースを登りました。案内書に眺望の良いコースだと書かれていますが、登山道は霧に包まれています。このコースは、白山の登山道情報で、残雪があり注意と書かれていましたので、登山者は少ないはずです。
割と平坦な道を50分ほど登ると、急な傾斜の雪渓が道をふさいでいます。実は、山荘を出るとき、軽アイゼンを持たないので、この雪渓から引き返して、砂防新道を登るというMさんに出会っていたのです。霧が湧いて先方が見通せません。
急峻な雪渓は、横断が難しい。Dsc02553_1024
まして、単独行での事故は起こせません。6本爪の軽アイゼンを付け、ストックの先のゴムカバーを外して慎重に渡りきりました。渡ってみれば、距離は短い小沢でしたが落ちれば、かなり下まで飛ばされます。(写真横2枚目)
渡りきった先に柳谷の標識が立っていました。この沢を指すのでしょうか。
ここから、急な登りを少し続けると、前方がぱっと開け、石の山名盤があるアルプス展望台に到着しました。(写真下3枚目)
晴れてはいますが、残念ながら眺望は悪く、山名を指さすことはできません。
ここで、山荘で用意してくれた朝食のお握りをゆっくり食べました。下から、別山から縦走し、昨夜南竜山荘で幕営したという若者が登ってきました。
今日、初めて会う登山者です。昨日、四国から徹夜で車を飛ばし、Mさんと同じ、市ノ瀬から別山のルートを登ったということです。若くなDsc02561_1024くてはできないことです。お握りを一つ食べてくれないかと差し上げると、旨いと食べてくれました。
ここから、高山植物が咲く、気持ちの良い道を登り、大倉山に続く平瀬道と合流しました。他に誰もいない静かな山、白山独り占めの気分です。(写真下4枚目)
しかし、この先の雪渓で、今回の登山での最大の失敗をしてしまいました。一瞬、霧がかかっていたこともあり、対岸の登山道を見つけられず、雪渓上の靴跡をたどり、上へと登ってしまったのです。登りながら左手にあるはずの登山道取付地点を探したのですが、見つかりません。雪渓上に幾つもの靴底跡が交錯するのは、やはり迷った人もいたのでしょう。(写真下5枚目)
後から考えれば、地図上に雪渓(谷筋)を上に登るようなルートは無く、単に横に横断すればよかったのです。後で見たGPSにも、雪渓地点を迷走台風のように動き回る奇跡がはっきり残っていました。
仕方がない、最初の地点に下ろうと思ったとき、下の方に室堂方面から下ってきた登山者が雪渓を渡ろうとしているのが見えました。なんだ、あそこだったんだとわかりました。左岸の登山道のほとんど真横に右岸の登山道を示す、倒れかけたロープ支柱があるのが見えます。判断と注意力のお粗末さに、自分に腹が立ちました。何年登山をやっているんだ、この思いは、室堂到着まで残りました。
だいぶ時間をロスしてしまいました。そこから、しばらく気持ちの良いなだらかな道を登ると、もう室堂の建物の赤い屋根が見えてきました。(写真下6枚目)
室堂到着8時15分、南竜山荘から、3時間強かかってしまいました。室堂には、700名も収容できる大きな宿泊施設、そして白山比め神社があります。
白山開山1300年と大きく書かれています。717年、越前の僧、泰澄により初登頂され開山してから、2017年、今年で1300年になるのです。信仰に守られた山の長い歴史があるのです。良い年に登れたと、神社でお札を購入して、山旅の無事を感謝しました。

Dsc02564_1024下山は、明日書きます。

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コメント

PC復活しましたね、待ってました!
思い入れのあるお山へ挑む様子、大変興味深く拝読しました。 厳しい状況もあったことと思いますが
終わってみればその感慨もひとしおでしょうね~。

投稿: トックリヤシ | 2017年8月 1日 (火) 09時03分

>パソコンは、中古の同型機種がヤフオクでとても安価に入手できたのがラッキーでした。
憧れの白山は、高山植物が咲き乱れる美しい山でした。大いに満足しました。それほど、きつい山ではなかったのですが、帰宅後、今までの山行では感じられなかった疲れを覚えました。この歳で、両夜行バス、金沢観光などと組み合わせたのが、堪えたのか、それとも体力の衰えが顕著なのか不安です。近いうちに奥多摩の山でも登って、体力測定をしたいと思っています。でも、答えが出るのが怖いです。

投稿: Souroku | 2017年8月 1日 (火) 16時33分

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