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2017年5月31日 (水)

厳島神社の大鳥居

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2泊3日で広島・宮島へ旅行しました。僕は国内で行ったことのない地方も多く、ここも訪れるのは初めなのです。
前日、広島で一泊し、翌日訪れた宮島厳島神社では、鳥居が水中に立つ午前中の満潮時と、弥山から降りてきて、鳥居に触れることが出来た午後の干潮時、そして夜の船上からと、三様の景色を見ることが出来ました。

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水中に立つ大鳥居は、想像していたより小さく感じましたが、砂浜を歩いて鳥居の下に立つと、さすがに高さ、16.6mを実感する大きさでした。
この大鳥居は、仁安3年(1168)、平清盛によって建立されて以来、傷みにより何度か建て替えられています。現在の鳥居は、8代目。明治8年(1875)の再建です。
2本の柱は、樹齢500年以上のクスノキで、昭和25年(1950)に、両方とも海中に沈む痛んだ部分を取り換える根継ぎをしています。
木造の大型建造物の柱や梁などに使用される木材には、それに見合う巨木が必要で、その入手は昔から困難だったのです。
世界最大の木造建築である東大寺大仏殿も、鎌倉時代の再建時に、殊に巨木を求めて全国を探し歩かねばならなかったと記録されています。
再建の指揮をとった僧、重源が大仏様という新しい工法を選び、構造を簡素化したことも、構造材調達の難しさと関連づけられると考えます。
大鳥居の明治8年の建て替えの際も、巨木探しに20年もかかったと伝わっていますので、今後この大鳥居を再建するための巨木を見つけることは、かなり難しく、ことによると、集成材柱ということもあり得ない話ではないと思います。

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2017年5月25日 (木)

国立金海博物館で見た子供たち

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韓国文化財庁が、5月16日に、5世紀前後の韓国・新羅時代の王宮の基礎部分から人柱とみられる人骨2体が見つかったと発表しました。
http://www.asahi.com/articles/ASK5K339JK5KUHBI00H.html

発表では、韓国で人柱を考古学的に発見した初めての事例としています。
 人骨が見つかったのは、韓国南東部、慶尚北道慶州(キョンサンプクトキョンジュ)の王宮遺跡である月城(ウォルソン)史跡です。
5世紀前後の、盛り土で造られた西側の城壁の基礎部分に、寄り添うように横たわっていました。人骨は一人は男性、他の一人の性別は確認中とのことです。
 韓国では建物や堤防を造る際に人柱が供されたという言い伝えがありましたが、実際に確認されたのは初めてとのことです。

このニュースに興味を引かれたのは、昨年秋、韓国釜山を旅行した際、慶州歴史地区を訪ねたからです。史上初めて朝鮮半島を統一した新羅の都として発展を遂げたのが慶州で、多くの遺跡が保存されています。
この新羅の歴史に触れたいと、一日、レンタサイクルで歴史地区内を廻り、なかに今回人骨が発見されたという、月城もあったのです。多くの古墳群のある一帯がよく整備された公園になっていて、現在も公園の一部では周囲に囲いを巡らせて発掘が進められていました。

さて、博物館で石器展示を見つめる子供たちの写真(上)は、この新羅の事ではありません。(全ての写真は、クリックすると拡大します)
別の日に訪ねた韓国国立金海博物館でのスナップです。釜山の沙上駅と金海空港駅を経由して加那駅を結ぶ釜山ー金海軽電鉄に乗り、博物館前駅で下車すると行けます。
この国立金海博物館は、朝鮮古代国家の一つとして知られる伽耶文化遺産を集めて展示してあります。
新羅と同時代に存在した事もあった「伽耶」については、説明すると長くなるし、この時代の朝鮮の歴史は複雑で理解しにくいのです。
伽耶の歴史自体も、他の古代国家に比べて歴史記録が残されてなく、伽耶の実体の大部分は、発掘調査などの考古学的方法で発掘した遺跡と遺物を通じて修復したものが多いと書かれています。このようなことから、国内12番目の博物館として、1998年に開館された国立金海博物館は他の国立博物館と違い考古学中心の専門博物館とした特色を持っている博物館になっています。

写真の子供たち、クラスごとなのでしょうか、幾組もの小学校低学年らしいグループが先生に引率されて次々に展示ブースの前に立ちます。
この写真の場所の展示は旧石器です。韓国語で話されているので、わからないのですが、先生の説明が上手なのか、どのグループも皆、じつに熱心に展示品を興味深げに見つめていました。
なにか、ほほえましくも、羨ましいと思いました。小さな子供たちに、こんな環境の場が与えられるなんて。日本ではどうだろうかと考えてしまいました。担任の先生が古代史、考古学展示について、こんなに熱心に長く話せるでしょうか。
そして、この博物館の収蔵物は実にわかり易く展示されているのです。他のたくさんの展示品の中から、石器の展示写真をお見せしましょう。石器が、実際にどのように使われたかが、イラストや模型でで説明されていて、よく理解出来ます。今でこそ、日本でも使用状況がわかる展示が多くなりましたが、僕の子供の頃には、年代重視で石器だけが並べられていても、どんな道具に使われたかを知ることは困難でした。小さな石鏃など、本当に理解不能だったのです。
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博物館全景と正面入口

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2017年5月16日 (火)

ヒトツバタゴの花(ナンジャモンジャの木)

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当ブログを、志木ニュータウン「ヒトツバタゴ」で検索されて見ていただく方が多いようです。
2015年4月29日に、ナンジャモンジャの花として、紹介した記事を書いたからでしょう。
埼玉県では珍しい部類に入るこのヒトツバタゴですが、ニュータウン内ではなく、南側外周にある西原ふれあい第三公園の入口近く、大塚交差点内にあります。ニュータウンから志木駅に向かう方向です。

この写真を撮ったのは5月7日、西原斜面林の手入れ作業に参加したときのことです。
今年も、樹形いっぱいに見事な花を咲かせていました。花の一つ一つは、とても小さいのですが、遠目には白い山桜のようにも見えます。
さて、それでは今日はどうだろう。
ブログに載せる以上、花の状況を知らねばなりません。
夕方、急遽、見に行きました。我家から歩いて10分ほどの距離です。
残念、花は全て散っていました。花がなくなると、この木何の木かわからなくなります。
まさにナンジャモンジャです。

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2017年5月15日 (月)

破風山で見つけた古い案内標識

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破風山の登山道で見つけた、朽ちかけた古い案内標識です。
一片には「上野村・小海町」、もう一つには「二瀬ダム・雁坂峠・甲府」と書かれています。椋神社を過ぎ、舗装道路と別れて山道に入り、20分ほど登った登山道左側に寂しげに立っていました。
現在の登山道とは、指す方向が違っているし、標識の先に杣道、廃道の跡もありません。
「二瀬ダム・雁坂峠・甲府」 秩父から甲州に抜けるかっての秩父往還の道です。こんなところに秩父湖に到る分岐があったのだろうか。
奥秩父縦走路と秩父往還が交わる雁坂峠、標高は2,082mもあります。針の木峠(北アルプス)三伏峠(南アルプス)と共に、日本三大峠と呼ばれます。
雁坂峠と書かれた三文字に秋の峠道を懐かしく思い出します。
「上野村・小海町」佐久に抜ける道です。志賀坂峠を越えて上野村に入ったのだろうか。その先、小海へはブドウ峠か十国峠越えか、この道を行った旅人に思いを馳せます。秩父事件にも深く関係する場所です。

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2017年5月14日 (日)

破風山に登りました

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連休中の5月4日、家族3人で奥武蔵の破風山に登ってきました。標高625.5mの低山ながら明るく眺望の良い山で、新緑もきれいで登山道脇には、ツツジも咲き、期待以上の楽しい山歩きが出来ました。(写真上、山頂から北方向の山並みを見る)(写真は全て、クリックすると拡大します)
東武東上線で寄居駅まで行き、秩父鉄道に乗り換えて皆野駅で下車します。柳瀬川駅を8.01に出て、約2時間後の9.51に到着しました。
皆野アルプスと呼ばれる破風山には8コースほどの登山道があるようですが、もっとも楽そうな桜ヶ谷コースを登る事として、椋宮登山口まで駅前からタクシーを使いました。
料金1000円でした。普通なら歩くコースですが、今日は下山後のんびりと温泉にも寄りたいので40分ほどの車道歩きをカットしました。かみさんは、困ったことに車道歩きを嫌うのです。


タクシーを降りたところが桜ヶ谷登山コース入口です。椋宮登山道の標識がありました。(写真左)
ここから、集落の中の車道を登ります。

歩き始めの車道の単調な登りは、結構きついです。5分ほど歩いた野巻椋神社を過ぎても、同じ車道歩きが続きます。
登山口から約30分くらいで、標識に導かれて右手の山道に入ります。
登山者は僕たちだけの静かな山です。明るい林の中の登山道を登り、途中の東屋のある「花と香りの森」付近には、思いがけないほど美しくつつじが咲いていました。(写真下、上から2枚)
高橋沢コースの分岐を過ぎて尾根上の緩やかな登りがしばらく続きます。(写真3枚目)
登りきると直角に交わる狭い尾根に出ます。
ここには休憩の出来る東屋があり、他のコースから登ったらしい何人かの登山者が休んでいました。
東屋のある場所から林の中のヤセ尾根になり、これを10分も登ると、突然見晴らしの良い頂上に出ました。
登山者が20人もいればいっぱいの狭い頂上です。破風山626.5mの標識が立っています。(写真4、5枚目)
ここで、景色を眺めながらゆっくり昼食をとり、秩父温泉前バス停のある「満願の湯」目指して下山しました。
約1時間ほどの距離ですが、傾斜も緩い林の中を抜ける気持ちの良い登山道を下ります。かみさんは、杉林の暗い登山道は嫌いだ、この道は気持ちよく歩けると言います。(写真6,7,8枚目)
途中、猿岩と書かれた岩峰がありました。この岩場登れるようです。
風戸の鏡肌という地質学的に価値のある露岩を過ぎると、日野橋登山口である風戸バス停が近づきます。
バスが通る車道まで出ずに右に枝道を分けて、温泉を目指します。下山口の「満願の湯」は休日でもあり少し混雑していましたが、それでも案じたほどでもなく、のんびりと温泉に浸かり疲れをほぐすことができました。ここには、町営の小さな温泉施設もありました。
温泉前からバスに乗り皆野駅まで戻りました。バス便は少なく、14.15のあとは16.05しかありません。20分ほどの乗車で、朝降りた皆野町駅に戻りました。秩父鉄道は、スイカが使えず、購入した寄居までの切符は珍しい厚紙切符でした。
小川町経由で帰る途中、今日の登山の二つ目の目的、ヤキトンを食べるべく、東松山駅で下車し、「やきとり三金」に寄って心地よく酔い、今日の山行を終えました。
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2017年5月10日 (水)

ミサイルが飛んでくる!

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我家に廻ってきた町内会回覧板に「弾道ミサイル落下時の行動について」と書かれたチラシが添付されていました。(上)
他の市区町村でも同じお知らせが各戸に回覧されたのだろうか。
市役所の防災危機管理課が、このチラシを志木市内各戸に回覧させたのは、いったいどこからの指示だったのだろう。
 身の危険を感じた福島第一原発事故の際も、こういった緊急連絡は無かったし、第一、緊急防災無線でミサイル飛来の情報を流されても、対処できる訓練などしたことがない。どんな音のサイレンがなるのだろう。
大体Jアラートは不備だらけで、ミサイル発射時に確実に鳴るかは疑問だし、ミサイル到達予定時刻後にサイレンが鳴ることもあるらしい。
「地面に伏せ、頭部を守れ」だと!今回は電車も止めた!。なにか違うんじゃないかと思いました。
都市に対するミサイル飛来の総合的な対策、対応がまったくなされないまま、こんな危機意識を持たせようとする回覧板が回されても、唖然とするばかりです。

志木市に隣接して、自衛隊朝霞駐屯地航空自衛隊入間基地がある。米軍横田基地でさえ、25km程しか離れていない。

ミサイルの攻撃目標が在日米軍基地と自衛隊基地の可能性が高い以上、東武東上線を止めるほどの緊急性があるなら、両基地の所在地である、朝霞市、和光市、新座市の小中学校の朝の登校時の連絡対処などは行われたのか。
新幹線、電車、地下鉄を止めるなら、稼働中の原発を止めるほうが先ではないだろうか。

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2017年5月 1日 (月)

著名な登山家 ウーリー・ステックさん遭難死

アンナプルナ(8091m)南壁単独登攀、エベレスト無酸素登頂など、ヒマラヤでの活躍や、ヨーロッパアルプス三大北壁最短時間登攀記録で有名なスイスの登山家ウーリー・ステック(Ueli Steck)さん(下写真、ウイキペディアより)が4月30日に遭難死したと伝えられました。40歳でした。
多くの高名な登山家たちが、卓越した登攀技術を持ちながらも、山での死を避けられなかったように、また一人の超人登山家が命を落としてしまいました。
今後の活躍が期待されていた第一級の世界的登山家の死に、驚くとともにやりきれない気持ちになります。

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エベレスト西稜からのルートで頂上に到り、そこからローツェへの8000m峯縦走計画中に、高度順応の為、単独でヌプツェ(7861m)に登攀中、約1300m滑落し死亡、遺体は収容されてヘリコプターで麓の病院に運ばれたと報道されています。

ヘリコプターから搬送される写真も発表されました。(写真下)
ヒマラヤの高峰での遭難でありながら、遺体が家族のもとに戻ったことだけでも救われます。
この登山家の名を広く知らしめたのは、2008年 アイガー北壁(ヘックマイヤールート)を単独で、それもフリーで登攀し 最速登頂記録2時間47分33秒を達成した際のユーチューブ映像によるところが大きいと思います。
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https://www.youtube.com/embed/OVkuPg3BSh4?ecver=2    (アイガー北壁フリー単独登攀)
その後、2011年に登山家ダニー・アーノルド(Dani Arnold)(当時27歳)に、この最速登攀時間が破られたことにより、2015年 再びアイガー北壁に挑み 最速登頂記録を6分短縮し、2時間22分50秒に更新しました。
アイガー北壁初登攀者の一人であるハインリッヒ・ハラーの著作で、1960年に横川文雄訳で発刊された、アイガー北壁登攀史の名著「白い蜘蛛」を読みふけり、その後の登山活動に大きな影響を受けた年代の僕にとっては、岩壁滞在2時間強という人間業とは思えない登攀に驚きよりも、畏敬の念を感じる登山家でした。
ただ、ユーチューブでのアイガー北壁登攀映像を見て、こんな登攀を繰り返していたら、どんなに卓越した技術の持ち主であっても、いつかその死は避けられないことになると危惧したのです。それが現実になってしまいました。とても残念です。

http://www.uelisteck.ch/en/item/66-everest-lhotse.html

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