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2016年10月 3日 (月)

黒部五郎岳へ

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9月25日から28日までの4日間で、北アルプス黒部五郎岳に登ってきました。(写真上)
写真は全て、クリックすると拡大します


9月27日(火)朝7時半、誰もいない黒部五郎岳山頂。快晴の天気。360度の大眺望を独り占めです。
昨夜、黒部五郎小屋で、同室になった京都から来られた井上さんから頂いた、「黒部五郎岳山頂からのパノラマ展望写真」を広げて、山名を確認してゆきます。
(写真左)は北の俣岳への分岐になる肩から見た黒部五郎岳山頂。あと約15分の登りで頂上に立てる。単独行の井上さんは、ここから太郎平小屋を経て今日中に折立まで下山するという。
そして、小屋で親しくしていただいた、同じく単独登山の高崎の松下さん、ありがとうございました。

 遠くに岩の殿堂、懐かしき剱岳の勇姿、目を転じれば、加賀の白山もどっしりと構えています。時々、山頂付近に雲が流れるのが見えます。
南東方向には、昨日越えてきた三俣蓮華岳から双六岳、そしてその彼方に槍ヶ岳から、穂高の稜線がはっきりと見えます。北鎌尾根の独標らしき岩峰もあります。
 槍ヶ岳に最後に登ったのはもう、50年も前です。谷川岳、穂高、剱などの岩登りに熱中していた頃です。
葛温泉から長い森林軌道と林道を歩き、湯俣から天井沢に入り、北鎌沢出会いで幕営、翌日30kg近いキスリングを背負って岩稜の北鎌尾根を登りました。
同じように、春と夏の涸沢合宿で何度も訪れていた穂高も、ある夏の日、滝谷出合から、雄滝を攀じてD沢から第四尾根支稜線を経て北穂に至ったのが最後です。遠い昔のことです。
そう、剱岳も長次郎雪渓の上部、熊の岩から、八ツ峰やチンネの登攀の後、長い早月尾根を下山した後、再び訪れたことがありません。
以後、30代からは仕事ばかりで山登りとは無縁になり、やっと60歳近くになって、再開しました。
本多勝一さんの「50歳から再開した山歩き」に影響されたような気もします。
登る山も限られていた僕は、北アルプスも南部の、雲の平、黒部五郎エリアは、全くの空白地帯でした。
しかし、このエリアでは人気の雲の平、高天原以上に気になる場所、それが黒部五郎岳でした。
深田久弥さんも著書「日本百名山」のなかで、大好きな山と書かれています。
黒部川の源流にあり、その名のついた山名が凛としています。数ある山の名前の中でも好きな名前の一つです。頂上から広がる、氷河跡の黒部カールの美しさも知られています。黒部五郎の底を這うようなこのカールも歩きたかった道です。
僕は老いました。もういつまで登れるかわからない最近の山歩き「さよならの山」のシリーズに、どうしてもこの黒部五郎岳を加えたかったのです。

岩の積み重なる頂上は割と広く、動き回りながら、眺望を楽しめます。
風も無く、絶好の登山日和となりました。昨日越えてきた三俣蓮華岳や双六岳が思った以上に遠くに見えて、はるばる来たなと改めて感じます。
「日本百名山」によると、明治43年(1910)、中村清太郎画伯、三枝威之介氏が三人の人夫を連れて、この山頂に立ったとき、思いがけずそこに柱状の自然石が二つあって、その一つに薄れた墨で「中之俣白山神社」と書かれていたそうです。
人跡未踏とも思われる、この奥山に、参拝者があったとは、信仰の力の大きさを感ぜざるを得ません。どれほどの日数をかけて登ったのでしょう。
現在の山頂には、黒部五郎岳と書かれた小さな板片が転がっているだけで、どこの山にも見られる山頂標識が見当たりません。僕が見落としたのでしょうか。
しばらくして、単独の女性登山者が登ってきました。
夏の間の烏帽子小屋でのアルバイトを終えて、近隣の山を巡ってから神奈川の自宅に帰るとのことです。
熊よけ鈴を無くしたと、ちょっと心配そうにしていたので、ちょうど持っていた僕のストックにつける黄色の鈴を差し上げました。カメラを持たず写真は撮らないのですと言って、飛ぶように元気に下ってゆきました。
この女性に限らず、今回の山行では、何人もの単独行の若い女性に出会いました。
皆、きっちりとした身なりと装備で、軽やかに山を歩いています。
昨夜、小屋で出会った女性も、高瀬ダムから入り、野口五郎岳を越え、高天原を経て黒部小屋にやってきたそうです。
僕と同じに黒部五郎岳を登り、双六小屋で山行4泊目になる宿泊をして帰るとのことで、鏡平山荘でアルバイトをしている友人と久しぶりに会って話したいと語っていました。
山での出会いを楽しんでいるようでした。
皆さん、素敵な女性たちばかりで、事故なく、楽しい山行を続けて欲しいと思いました。
 さあ、いつまで眺めているわけにはいきません。
憧れの黒部五郎岳にお別れして、黒部五郎小屋に戻り、双六小屋まで帰ろう。
入山初日は良く晴れましたが、昨日は雨。
明日はまた雨天と予想されています。きっと新穂高温泉まで、雨具をつけた長い下りが待っていることでしょう。
快晴の黒部五郎岳に登れたことを神に感謝して、再び訪れる事はないだろう、さよならの山を後にします。
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今回の黒部五郎岳登山は、二日間は晴れそうだとの天気予報で、急遽9月24日の毎日アルペン号の運行日程に合わせて、入山しました。
慣れない夜行バスで新穂高温泉まで来ましたが、さすがに寝不足の身には双六小屋までの登りは老体に応え、歩行程9時間かかりました。
写真でしか見たことが無かった途中の鏡平の池は、山の姿を映してあくまでも美しく、いつまでも眺めていたい風景で、登りの疲れを癒してくれました。
途中の弓折乗越を過ぎたあたりの稜線で、霧の中にブロッケン現象で僕の姿が浮かび上がりました(写真上)
山でのブロッケン現象は、何度か経験していますが、自分一人の姿が浮かび上がったのは初めてで感激しました。
誰かに見せたいと思いましたが、霧の稜線に他の登山者の姿はありませんでした。
時折、雲が晴れると、槍ヶ岳の姿がよく見えました。後で槍ヶ岳の写真を拡大したら、槍の肩の「槍ヶ岳山荘」がはっきりと写っています。(写真下)
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二日目は、小雨模様の中、双六小屋から、双六岳、三俣蓮華岳を越えて、黒部五郎小屋に入りました。そのまま、黒部五郎岳の往復をしようと計画していましたが、雨足が強くなり、小屋のスタッフからも止められて、午後からは誰もいない小屋でごろごろしていました。
これまで、ほとんどの山行は、テント持参か、避難小屋泊まりだったので、快適な営業小屋で、備え付けの山の本など読んで、コーヒーを飲むなど、ちょっと気恥ずかしい感じでした

三日目は、念願の黒部五郎岳に登頂。黒部五郎小屋から、往復5時間ほどかかりました。快晴だった空も、小屋をあとにして、三俣蓮華岳に向かう岩だらけの急坂を登りきった頃には雲が湧き、双六岳山頂では、期待した大眺望は全く望めず、槍、穂高の稜線はおろか、広い山頂付近のルート選びに苦労する始末でした。出来れば鏡平山荘までと思ったのですが、双六小屋で時間切れとなりました。

四日目は、朝から雨。双六小屋から雨具を着て、ザックカバーを付けた姿で、ひたすら下山、途中、登ってくる登山者も少なく、今年は悪天候ばかりと嘆いていた小屋のスタッフの顔が浮かびました。
水量が増えた秩父沢は、仮設橋の下を激しく水が流れ下っていました。
ここまでくればもう安全と、一息入れたわさび平小屋では、コーヒーがとても美味く感じられ、僕はなんと贅沢な登山をしているのかと思いました。
小屋から先の林道は、川のように水が流れ下り、なるべく濡れないように拾い歩きをせざるをえませんでした。
 双六小屋から6時間歩いて、新穂高温泉の登山センターにやっと到着。濡れた衣類を替えてから、12時55分の平湯行のバスに乗りこみました。
平湯温泉では、バスセンターの3階の温泉で、山旅の汗を流しました。なんと広い露天風呂を一人で貸切状態でした。それにしても、今回の山行は山小屋もバスも空いていて快適な旅が出来ました。
平湯温泉16時発の、これも空いている高速バスに乗り、4時間半後の20時30分には、新宿バスタ到着。
ネオン輝く新宿の街が、いつも以上に眩しく感じられて、山旅の終わりを知らせてくれました。易しいルートでしたが、久しぶりの長い山行、疲れました。でも、新宿からの副都心線の中では、もう次の山を頭の中では考え始めている懲りない男がここにいます。

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コメント

日頃NHKBSの「日本百名山」を良く見ていますが
今更自力で山へ行く気力も体力も無いので、
見聞きして行った気分になるだけで十分・・・、
黒部五郎岳、椅子にドッカリ座りながら山行を楽しませてもらいました。

投稿: トックリヤシ | 2016年10月 4日 (火) 09時28分

>トックリヤシさま
もう、壊れたロボットのような歩き方です。それでも、歩いていればいつかは到着するという、長年の悟りが山に向かわせます。それより、単独で深い海に潜る勇気に感服しています。

投稿: Souroku | 2016年10月 4日 (火) 12時20分

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