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2016年10月29日 (土)

野木町ホフマン輪窯へ---失われた煉瓦刻印の記憶を求めて、その2

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2016年5月2日(月)のブログで、深谷の「旧日本煉瓦製造」のホフマン輪窯を見学したことを書きました。http://yanasegawa.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/----e205.html

10月26日(水)
今日は、日本に現存するホフマン式輪窯4ケ所の一つ、栃木県野木町の「旧下野煉化製造」野木町煉瓦窯(ホフマン輪窯)を見てきました。写真上)

野木町の煉瓦窯は、現存するホフマン輪窯の中では、唯一原型をとどめて保存されており、昭和54年(1979)に国の重要文化財に指定されています。
長らく傷みの激しい状態で置かれましたが、今年の5月に耐震補強や修理などの工事を終わり、再展示されたばかりです。
この修復工事には5億円もの工事費がかかったそうです。
見学受付事務所や展示室のある、「野木ホフマン館」が隣接されており、ガイドの解説付きの見学ツアーが、一日7回行われています。費用は100円必要です。
勿論、ガイドなしで煉瓦窯内部の見学は自由で、この場合は無料です。
僕は、11時30分からのガイド付きツアーで見学させてもらいました。専門的知識が豊富なガイドとの見学のほうが、絶対にお薦めです。
 さて、この国指定重要文化財に指定されている煉瓦窯ですが、野木町の観光スポットとの目玉として整備されたにしては、惜しむらくは、アクセスが悪いのです。

JR宇都宮線の野木駅から、バス便はなく、町営のレンタサイクルかタクシーを利用するしかありません。
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野木町はレンタサイクルが整備されていて、町内に3か所のレンタサイクルステーションがあり、そのうちの一つが野木駅前のセブンイレブンにあります。
(写真左上)
改札から西出口の階段を下りた右側にあるセブンイレブンで、僕が自転車を借りたいと申し込むと、申込書への記入と身分証明書が必要でした。

身分証明は免許証か健康保険証があれば、問題ありません。
手続きは簡単に終わり、その後、店員さんが、駅に付属している駐輪場まで案内してくれて、自転車を貸してくれました。
なんと、一日無料で自転車を借りることが出来るのです。
自転車さえあれば、煉瓦窯まで30分ほどで、行けますし、町内の野木神社などの観光スポットを巡ることもできます。観光客にとっては、とてもありがたい制度です。無料だから誉めるわけではありませんが、野木町のレンタサイクルは、素晴らしい。
そんなわけで、無事自転車を借りることが出来たので、一路煉瓦窯を目指します。
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5分ほど走ったところにある、これも町営の「ボランティア支援センターきらり館」により、煉瓦窯までの道を教えてもらい、地図も手に入れました。ここのスタッフの方もとても親切です。ここにもレンタサイクルが置かれています。
国道4号を走ること、25分ほどで、目的の煉瓦窯のある野木ホフマン館まで到着しました。
(写真左下)

ホフマン輪窯の内部見学の様子は、写真もたくさん撮りましたので、後日別途書くとして、今日の目的の一つは、前回訪ねた「旧日本煉瓦製造」と同じく、市川の赤レンガ倉庫の煉瓦刻印について調べることでした。
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千葉県市川市国府台にある、旧陸軍の武器庫として使われていた
赤レンガ建築物の建築年代を探るなかで、使用されている煉瓦の刻印を調べていることは、前回書きました。
友人たちの調査で、この武器庫の煉瓦の製造元は、東京湾の猿島に使われている愛知県の
東洋組西尾分局士族就産所(後の天工社)か、あるいは、関東の小菅集治監または下野煉瓦ではないかと考えられています。
そこで、今日、下野煉瓦製造の煉瓦の可能性を探るべく、「ホ」の刻印のある煉瓦写真を持ってきたというわけです。

幸いなことに、見学時間にホフマン輪窯を案内してくれた、ガイドである野木ホフマン館の文化振興指導員の岩上さんに、見学後お話を聞くことが出来ました。
僕が写真を見せて、赤レンガ倉庫の保存経過などを説明すると、写真の煉瓦刻印については、これだけでは何とも言えないが、この「ホ」の刻印は、下野煉化製造の煉瓦には多分無いと思う。下野煉瓦製造は、登り窯で煉瓦焼成を始め、ホフマン窯は明治22年に西窯が、翌23年に現存する東窯が完成し焼成を始めているが、年代的にフランス積の武器庫であれば、この下野煉瓦以前の可能性も考えられるのではないかとの見解をうかがうことが出来ました。
下野煉瓦製が完全否定されたわけではないと思いますが、今後の調査の参考になる、お話でした。
ともかく、市川の赤レンガ倉庫は、猿島の建築物や他の煉瓦造建物と比べて、煉瓦製造元を特定できる刻印の発見が出来ていないのが現状です。煉瓦平面が見えている箇所が少ないこともありますが、今後の展開では、思わぬ発展も期待できるかもしれません。

建築年代と、煉瓦の製造会社を知る貴重な手がかりとして「赤レンガをいかす会」が次のように発表しています。
平成27年7月、8月に行われた「赤レンガを生かす会」と「千葉県建築士会」の共同調査で、これまで見ることの出来なかった屋根に「天工会社刈谷工場」と刻印されている棟瓦が発見された。この瓦は東洋組(愛知県刈谷)の関連会社「天工会社」(操業期間明治18年~19年)の製品であることが判った。
これにより、この武器庫に使用された煉瓦も、猿島と同じ東洋組の可能性が大きくなり、建設時期も明治19年か20年頃という見解も出てきているようです。

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2016年10月22日 (土)

西原斜面林のカラスウリ

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Dsc00260_1024今日(10月22日)西原斜面林の手入れ作業に参加して、見つけたカラスウリの実です。
朱色が実にきれいです。(写真上)
昨年、夜の闇の中でひっそりと咲くカラスウリの花(写真左)のことを書きましたが、秋になって実が赤くなると林の中で俄然存在感が際立ちます。

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西原斜面林は「にしはらの森」と名付けられています。志木市の西原ふれあい第三公園の北側にある貴重な斜面林です。
この志木市に残る自然の森を、NPO法人エコシティ志木の会員の皆さんが、手入れをしています。
斜面林の中には、手入れ作業用に整備してきた小道(写真左)があり、少し足元が悪い場所もありますが、どなたでも散策路として利用できるようになっています。
小鳥たちや、昆虫、植物と触れ合いながら自然の林の中を歩いてみませんか。

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2016年10月20日 (木)

我家のホトトギス

Dsc01150_1024庭に今、ホトトギスが咲いています。(写真左)
このホトトギスは、十数年前にかみさんの母親が持ってきて植えてくれたもので、以後毎年花を咲かせてくれます。
手入れなど、何もしないのに、ほっておくと地下茎でどんどん増えてしまうので、毎年かなり強引に間引いてしまいます。
調べると、ホトトギスは東アジアに19種類が分布しており、うち10種類は日本固有の種類と書かれていますが、我家のホトトギスの種類はわかりません。
庭では、茎がすぐ横に倒れてしまい、花もそれほど綺麗とは思えないのですが、花瓶に挿して活けると、見違える程格調高い花となります。(写真下)
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2016年10月16日 (日)

吉見百穴と坪井正五郎博士

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吉見町のコスモス畑を見に行く途中で、吉見百穴にも寄りました。
吉見百穴は国の史跡にも指定されている、全国的にも良く知られた横穴墓群です。
敷地内に埋蔵文化財センターもあり、入場料300円で見学できます。横穴の奥の暗がりに埼玉県では珍しいヒカリゴケも見ることができます。
この横穴が丘陵地の斜面に掘られたのは古墳時代の末期(6世紀末〜7世紀末)だとされています。
古墳時代の末期と言われても、分かりにくいですね。
「仏教伝来ご参拝」と覚えた538年(552年説有り)より後、「コックさだよ聖徳太子」の聖徳太子摂政になる593年頃から、小野妹子隋に行く607年、大化の改新645年、藤原京に遷都694年といった紀元600年代に当たります。
僕はこの史跡に来るたびに、この横穴群を先住民コロボックル(土蜘蛛人、小人)の住宅との説を唱えた、明治時代の人文学者にして、考古学の先駆者でもある坪井正五郎博士の事を考えます。
穴の中を覗いてみればわかりますが、常識的に、とても人間が生活できるとは思えないこの広さの空間を、人の住居と考えたのは、何故なのか。
博士が日本の石器時代遺跡を先住民であるコロボックル人の生活跡と考えていたからです。
今から考えれば、著名な人文学者がアイヌの伝説にあるコロボックル人の存在を信じていた歴史観にも驚くのですが、博士のこの先入主観はその後の諏訪湖湖底の遺跡調査にもみられるのです。
明治40年代、諏訪湖の曽根と呼ばれる湖底から、沢山の石器、土器片などが発見されました。
坪井正五郎博士は、これを日本では珍しい杭上住居とした学説を唱えられ、それに反対する学者たちとの間で、明治の曽根論争と呼ばれるまでになった論争に発展したのです。
博士の過ちは、湖底の遺跡、イコール杭上住居という先入観があったことです。
このあたりのことを書くと長くなりますが、現在の歴史観、考古学の考え方にも、同じような過ちが含まれていないか、そして今から100年後の歴史に、邪馬台国の存在地、三内丸山遺跡の評価などがどう解明されているのか、興味あることです。
吉見百穴から少し脱線しましたが、この諏訪湖湖底の曽根遺跡は土地陥没説、断層地変説、地滑り説、石器運搬中の船舶転覆説、筏上住居説など多くの反論が発表されましたが、その結末が誠に劇的です。これを知ったとき、僕はこんな事もあるのかと、その後の歴史観に少なからず影響を受けたものです。
 遺跡の年代追求、地質学的解明などをあざ笑うかのような結論、歴史学者藤森栄一氏の著書「旧石器の狩人」から引用すると「曰く――そのとき、一万年前のそのとき、湖はなかったのである――」

 

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2016年10月13日 (木)

吉見町のコスモス畑

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2016年10月10日
埼玉県吉見町のコスモス畑を見に行きました。
道の駅「いちごの里よしみ」の近くだと調べていったのですが、少し迷いました。
正確には吉見町下細谷耕地という場所で、コカコーラ埼玉工場の隣接地です。
今週末にコスモスまつりが開催されるようで、毎年、とても賑わうそうです。

見渡す限りコスモスの花が咲いています。8.6haの広さに750万本のコスモスが群生しているそうでちょうど今、満開です。
さすがにその広さに圧倒されます。
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コスモス畑の中の道の両側に、何本もの、案山子が展示されていて、銅賞、デザイン賞などの札がついていました。
みな、ユーモラスな案山子たちで、笑ってしまいます。

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2016年10月 9日 (日)

映画館への道---「ハドソン川の奇跡」を見ました

 僕はほとんどの映画を、歩いて行ける距離にある「新座シネプレックス」で見ています。
こんな道を新座シネプレックスまで歩きます。(写真下)
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「えっ、すごい田舎じゃん!」
そうなんです。
池袋駅から東武東上線で約25分、そう都会から離れているわけではないのですが、志木市は自然がいっぱいです。
我が家の近くの斜面林には、なんとカッコウも来ます。
柳瀬川には、鮎釣りの人たちが、いつも竿を出している姿が見られます。
この柳瀬川土手は我家の裏手50mにあります。この土手道を歩くこと、20分程で新座シネプレックスに到着します。
季節を感じて歩くいつものウォーキングコースでもあります。
 映画館まではこんな寂しい道でも、新座シネプレックスは9つのスクリーンを持ち、音響装置も素晴らしく、快適な椅子に座ってゆったりと映画を楽しむことができる大型シアターです。(写真下)
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さて、映画の話に戻ると、最近ここで見たのは9月に「超高速参勤交代リターンズ」でした
第一作が最近の日本映画としては、良い出来で面白かったのですが、この二作目はドタバタが過ぎて、駄目でした。
感想を書くまでもない映画で、原作のほうが楽しく読めました。この映画、第一作がヒットしたからといって、二作で打ち止めです。
余計なことを言うようですが、もう第三作は作らないで良いと思います。
 そして、一昨日、「ハドソン川の奇跡」を見てきました。
監督はクリント・イーストウッド、主演はトム・ハンクスとあれば、見逃すわけにはいきません。
実はイーストウッド監督の前作で、監督最大のヒットとなったらしい「アメリカン・スナイパー」を見て、なんだこの映画はとがっかりしたのです。
傑作ともてはやされましたが、僕にはどうおまけしても「☆☆☆星3つ」にしか評価できませんでした。
期待が大きかっただけに、どうした「巨匠」、の心境だったのです。
そして、最新作「ハドソン川の奇跡」(原題はサリー)はどうだったか。
Photo良い映画でした。
実は映画館で見ている時より、あとから何となくじわっとくる感じです。
イーストウッド監督の過去の作品は、後で思い起こす場面、忘れがたい映像が必ずありました。残念ながらアメリカン・スナイパーを除いては。でもこの映画にはあります。
「ハドソン川の奇跡」は、2009年、ニューヨーク発シャーロット経由シアトル行きのUSエアウェイズ1549便が、ニューヨーク市マンハッタン区付近のハドソン川に不時着水した航空事故、この実話の映画化で、当時水上に不時着した旅客機が川に浮かび、その両翼に乗客が立ち並んでいる映像が、世界中に発信され、いまでも皆よく覚えているニュースです。
 真冬のハドソン川への不時着という、難しい選択をした飛行機事故が、乗客、乗員155名が全員無事で生還したことから、当時のニューヨーク州知事のデビッド・パターソンが称賛し「ハドソン川の奇跡」と呼んだことから、以後こう呼ばれるようになったそうです。
機長が英雄視され、大きく報道されたことは知っていました。
しかしその後、この映画に描かれたような、機長の判断は間違いではなかったかとの疑惑がかけらたことなどは、この映画を見るまで全く知りませんでした。
映画は、事故調査側の疑惑の追及と、自分たちは正しい判断をしたと、疑惑に正面から立ち向かう機長、副機長の行動と心情が描かれています。
飛行中の事故発生から僅か208秒間の出来事、そしてハドソン川での救助作業、その後の事故調査委員会による厳しい追及、悩みながらも冷静に対応してゆく機長の不屈の信念、そして人間の冷静な判断力が、乗員、乗客のすべてを救ったのだと解明されるラストまで、それを96分という短い映画の中で、気負うことなくまとめ上げた手腕はさすがだと思いました。
最近の映画では短い上映時間、でもこれ以上エピソードなどを入れて長くするより、緊張感の中で見終わることが出来た96分でした。
機長役のトム・ハンクス、機長を支える副機長役のアーロン・エッカート、ともに良かったです。
水上への不時着事故を、墜落と呼んで追及する事故調査委員会側の人物像が、映画の中で敵役になりすぎている印象がありましたが、事故原因を厳しく追及する様は、どこかの国の原発事故、オリンピック施設、新市場建設にまつわる疑惑の解明と比較して、日米の違いを思わせて複雑な心境です。
映画は、途中、集中できない部分もありましたが、「☆☆☆☆4つ」とします。アカデミー各賞候補とも言われているようですが、これもあると思います。


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2016年10月 3日 (月)

黒部五郎岳へ

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9月25日から28日までの4日間で、北アルプス黒部五郎岳に登ってきました。(写真上)
写真は全て、クリックすると拡大します


9月27日(火)朝7時半、誰もいない黒部五郎岳山頂。快晴の天気。360度の大眺望を独り占めです。
昨夜、黒部五郎小屋で、同室になった京都から来られた井上さんから頂いた、「黒部五郎岳山頂からのパノラマ展望写真」を広げて、山名を確認してゆきます。
(写真左)は北の俣岳への分岐になる肩から見た黒部五郎岳山頂。あと約15分の登りで頂上に立てる。単独行の井上さんは、ここから太郎平小屋を経て今日中に折立まで下山するという。
そして、小屋で親しくしていただいた、同じく単独登山の高崎の松下さん、ありがとうございました。

 遠くに岩の殿堂、懐かしき剱岳の勇姿、目を転じれば、加賀の白山もどっしりと構えています。時々、山頂付近に雲が流れるのが見えます。
南東方向には、昨日越えてきた三俣蓮華岳から双六岳、そしてその彼方に槍ヶ岳から、穂高の稜線がはっきりと見えます。北鎌尾根の独標らしき岩峰もあります。
 槍ヶ岳に最後に登ったのはもう、50年も前です。谷川岳、穂高、剱などの岩登りに熱中していた頃です。
葛温泉から長い森林軌道と林道を歩き、湯俣から天井沢に入り、北鎌沢出会いで幕営、翌日30kg近いキスリングを背負って岩稜の北鎌尾根を登りました。
同じように、春と夏の涸沢合宿で何度も訪れていた穂高も、ある夏の日、滝谷出合から、雄滝を攀じてD沢から第四尾根支稜線を経て北穂に至ったのが最後です。遠い昔のことです。
そう、剱岳も長次郎雪渓の上部、熊の岩から、八ツ峰やチンネの登攀の後、長い早月尾根を下山した後、再び訪れたことがありません。
以後、30代からは仕事ばかりで山登りとは無縁になり、やっと60歳近くになって、再開しました。
本多勝一さんの「50歳から再開した山歩き」に影響されたような気もします。
登る山も限られていた僕は、北アルプスも南部の、雲の平、黒部五郎エリアは、全くの空白地帯でした。
しかし、このエリアでは人気の雲の平、高天原以上に気になる場所、それが黒部五郎岳でした。
深田久弥さんも著書「日本百名山」のなかで、大好きな山と書かれています。
黒部川の源流にあり、その名のついた山名が凛としています。数ある山の名前の中でも好きな名前の一つです。頂上から広がる、氷河跡の黒部カールの美しさも知られています。黒部五郎の底を這うようなこのカールも歩きたかった道です。
僕は老いました。もういつまで登れるかわからない最近の山歩き「さよならの山」のシリーズに、どうしてもこの黒部五郎岳を加えたかったのです。

岩の積み重なる頂上は割と広く、動き回りながら、眺望を楽しめます。
風も無く、絶好の登山日和となりました。昨日越えてきた三俣蓮華岳や双六岳が思った以上に遠くに見えて、はるばる来たなと改めて感じます。
「日本百名山」によると、明治43年(1910)、中村清太郎画伯、三枝威之介氏が三人の人夫を連れて、この山頂に立ったとき、思いがけずそこに柱状の自然石が二つあって、その一つに薄れた墨で「中之俣白山神社」と書かれていたそうです。
人跡未踏とも思われる、この奥山に、参拝者があったとは、信仰の力の大きさを感ぜざるを得ません。どれほどの日数をかけて登ったのでしょう。
現在の山頂には、黒部五郎岳と書かれた小さな板片が転がっているだけで、どこの山にも見られる山頂標識が見当たりません。僕が見落としたのでしょうか。
しばらくして、単独の女性登山者が登ってきました。
夏の間の烏帽子小屋でのアルバイトを終えて、近隣の山を巡ってから神奈川の自宅に帰るとのことです。
熊よけ鈴を無くしたと、ちょっと心配そうにしていたので、ちょうど持っていた僕のストックにつける黄色の鈴を差し上げました。カメラを持たず写真は撮らないのですと言って、飛ぶように元気に下ってゆきました。
この女性に限らず、今回の山行では、何人もの単独行の若い女性に出会いました。
皆、きっちりとした身なりと装備で、軽やかに山を歩いています。
昨夜、小屋で出会った女性も、高瀬ダムから入り、野口五郎岳を越え、高天原を経て黒部小屋にやってきたそうです。
僕と同じに黒部五郎岳を登り、双六小屋で山行4泊目になる宿泊をして帰るとのことで、鏡平山荘でアルバイトをしている友人と久しぶりに会って話したいと語っていました。
山での出会いを楽しんでいるようでした。
皆さん、素敵な女性たちばかりで、事故なく、楽しい山行を続けて欲しいと思いました。
 さあ、いつまで眺めているわけにはいきません。
憧れの黒部五郎岳にお別れして、黒部五郎小屋に戻り、双六小屋まで帰ろう。
入山初日は良く晴れましたが、昨日は雨。
明日はまた雨天と予想されています。きっと新穂高温泉まで、雨具をつけた長い下りが待っていることでしょう。
快晴の黒部五郎岳に登れたことを神に感謝して、再び訪れる事はないだろう、さよならの山を後にします。
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今回の黒部五郎岳登山は、二日間は晴れそうだとの天気予報で、急遽9月24日の毎日アルペン号の運行日程に合わせて、入山しました。
慣れない夜行バスで新穂高温泉まで来ましたが、さすがに寝不足の身には双六小屋までの登りは老体に応え、歩行程9時間かかりました。
写真でしか見たことが無かった途中の鏡平の池は、山の姿を映してあくまでも美しく、いつまでも眺めていたい風景で、登りの疲れを癒してくれました。
途中の弓折乗越を過ぎたあたりの稜線で、霧の中にブロッケン現象で僕の姿が浮かび上がりました(写真上)
山でのブロッケン現象は、何度か経験していますが、自分一人の姿が浮かび上がったのは初めてで感激しました。
誰かに見せたいと思いましたが、霧の稜線に他の登山者の姿はありませんでした。
時折、雲が晴れると、槍ヶ岳の姿がよく見えました。後で槍ヶ岳の写真を拡大したら、槍の肩の「槍ヶ岳山荘」がはっきりと写っています。(写真下)
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二日目は、小雨模様の中、双六小屋から、双六岳、三俣蓮華岳を越えて、黒部五郎小屋に入りました。そのまま、黒部五郎岳の往復をしようと計画していましたが、雨足が強くなり、小屋のスタッフからも止められて、午後からは誰もいない小屋でごろごろしていました。
これまで、ほとんどの山行は、テント持参か、避難小屋泊まりだったので、快適な営業小屋で、備え付けの山の本など読んで、コーヒーを飲むなど、ちょっと気恥ずかしい感じでした

三日目は、念願の黒部五郎岳に登頂。黒部五郎小屋から、往復5時間ほどかかりました。快晴だった空も、小屋をあとにして、三俣蓮華岳に向かう岩だらけの急坂を登りきった頃には雲が湧き、双六岳山頂では、期待した大眺望は全く望めず、槍、穂高の稜線はおろか、広い山頂付近のルート選びに苦労する始末でした。出来れば鏡平山荘までと思ったのですが、双六小屋で時間切れとなりました。

四日目は、朝から雨。双六小屋から雨具を着て、ザックカバーを付けた姿で、ひたすら下山、途中、登ってくる登山者も少なく、今年は悪天候ばかりと嘆いていた小屋のスタッフの顔が浮かびました。
水量が増えた秩父沢は、仮設橋の下を激しく水が流れ下っていました。
ここまでくればもう安全と、一息入れたわさび平小屋では、コーヒーがとても美味く感じられ、僕はなんと贅沢な登山をしているのかと思いました。
小屋から先の林道は、川のように水が流れ下り、なるべく濡れないように拾い歩きをせざるをえませんでした。
 双六小屋から6時間歩いて、新穂高温泉の登山センターにやっと到着。濡れた衣類を替えてから、12時55分の平湯行のバスに乗りこみました。
平湯温泉では、バスセンターの3階の温泉で、山旅の汗を流しました。なんと広い露天風呂を一人で貸切状態でした。それにしても、今回の山行は山小屋もバスも空いていて快適な旅が出来ました。
平湯温泉16時発の、これも空いている高速バスに乗り、4時間半後の20時30分には、新宿バスタ到着。
ネオン輝く新宿の街が、いつも以上に眩しく感じられて、山旅の終わりを知らせてくれました。易しいルートでしたが、久しぶりの長い山行、疲れました。でも、新宿からの副都心線の中では、もう次の山を頭の中では考え始めている懲りない男がここにいます。

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