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2016年9月24日 (土)

豊洲新市場の地下空間について---その2

築地新市場の建物下の巨大な地下空間に、重機搬入のための昇降口(3×6m)があったとの事。
これで、この地下空間問題、建築的に考えて、ますます理解しにくいことになりました。
重機を入れて何をするつもりだったのか。建設工事の重機と言えば、まず頭に浮かぶのは
油圧ショベルです。一般にユンボとも言われます。
アームの先端についたショベルで土砂を掘ったり、移動したりしているあれです。災害現場では大活躍しています。
もし、ユンボを降ろす必要があるのなら、地下空間の床を掘るということでしょう。砂利の部分を掘るのでしょうか。考えられるのは、地震による液状化現象の、何らかの処置。
でも、地下空間には、配管が吊り下げられていて、とてもユンボが動けるとも思えません。
5m近い天井高さのある地下空間の配管や、メンテナンスに必要な、高所作業車も、搬出口から下ろさねばならないでしょうが、通常、重機とは呼びません。
地下空間を、都庁の技術職員は「モニタリング空間」と呼んでいたとか。
もはや全くわかりません。都庁の新市場担当の技術職員さん、早く洗いざらい、説明してしまいなさい。時間の無駄です。

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2016年9月21日 (水)

豊洲新市場の地下空間について

連日報道される豊洲新市場の、盛り土工事の有無
どうして市場建物下に、あんな大きなコンクリート造の地下空間が完成し、その結果、汚染処理された土壌の上に、すなわち建物下には新たな盛り土がなされなかったのか。
この事で、誰が、何のために、どんな指示をしたのか、その結果地下空間が設計され、工事が行われてしまったのかが問われ続けています。
そしてテレビでは、毎日これでもかというほどに、同じような内容の検証番組が流されています。
しかし、この問題、本来あるべきはずの盛り土が、施工されず、コンクリートの地下空間に変わってしまったことだけに、疑問が集中しすぎているように思われるのです。
もう少し技術的観点から、検証してみる必要があると思います。
あくまで、問題になっている地下空間の検証で、発注の責任問題、土壌汚染処理問題とは切り離して考えます。

これ、そう難しいことではないのです。

都議会に参考人招致なる制度があるならその議会で、もしそれができないなら、会派を越えた専門委員会を作って、これも公開の場で、工事関係者の聞き取りを行います。
考人として呼ぶのは、次の人たちです。

日建設計プロジェクト主担当者と建築、構造、設備設計担当者。
建物各棟の請負施工会社現場所長(下記)
水産仲卸売場棟(清水建設)

水産卸売場棟(大成建設)
青果棟(鹿島建設)


民間会社だけですが、工事検証はこれで十分です。でも、都庁の新市場担当技術職員も呼んでおいた方がいいでしょう。
質問項目にあるような建築工事の検証が行われたら、あとは、基本設計時にこの地下空間案を日建設計側に指示して、設計を進めさせ、承認したのは、都庁のどこの部署の誰なのか。
それだけです。建物下に、汚染された土壌からの影響を無くすための盛土など出来ないとスッパリ決断した人たちです。簡単すぎる事で、時間がかかることもありません。

質問
、これもそう難しいものではありません。易しく書きますが、専門用語も入ります。

1、土壌汚染処理をした敷地の、最上部の敷地全体の土2mを総入れ替えした上に、新たに土2.5mを盛土する。
これは、建築工事が着工する前に、全て終わらせる計画だったと考えられているようです。しかし建築基礎工事との関連が全く考慮されていない、こんな土工事計画が本当にあったのか。あったとすれば、設計時点でどう思ったのか。それとも、基本設計時には、そんなの無理と眼中になかったのか。
もしかして、1階市場部分を高床式にして、盛り土地盤面より数メートル高くする建築案も検討されたのか。

2、建築工事が着工されれば、杭工事(建物柱下部)、杭頭基礎、地中梁工事で、建物下は、大掛かりに掘り起こされます。
基本設計時に地中梁下端にコンクリート底板(耐圧盤では無い)を作り、通常の地下階のあるビル建築のような、地下ピットを作る計画はあったのか。

3、底板が無いとすれば、杭頭基礎、地中梁工事終了後、埋め戻す計画もあったのか。

4、その場合、1階スラブ下の配管のメンテナンスはどうする考えだったのか。

5、実際には、杭頭の柱、地中梁と連結される大きな杭基礎の下端が、盛土2.5mを行ったGL面より4m近く下になります。(設計図で、3.9mとも読み取れる)
残された建物下の空間に、埋め戻し土を入れるより、地下室(地下1階)を作った方が良いとするのも、建築的には考えられる。基本設計時に、地下1階案は無かったのか。

6、完成した現在のような、周囲にコンクリート壁があるが、床がない、すなわち地下室(地階)とは認められないような、変な空間は、計画通知(建築確認申請)では、なんという名称なのか。
この空間を設計するよう都庁技術側から指示されて、設計者として、何を思ったか、またはこの空間案は、日建設計側の提案なのか。

7、この空間の外周周りのコンクリート壁の厚さはどのくらいか。型枠は埋め殺されているのか。また、建物本体の構造とは切り離されているのか。壁下端の構造はどうなっているのか(地中梁有無)

8、建物本体から分離されている別構造であるなら、壁上部と地中梁間にエキスパンションが入っているのか。なぜ、底板にあたるコンクリート床を作らなかったのか。

9、工事用の通路とも説明された、渡り廊下のようなコンクリート床は、本当は何なのか。壁コンクリートと、構造的一体性があるのか、単なる捨てコンクリートに近い土間コンクリートなのか。

10、大きな謎、なぜ、あれだけ通路?のコンクリートを打設したのに、砕石面の露出された部分を残したのか。
全部コンクリートを打設して床にしたほうが、工事が楽だったのではないか。
砕石露出には、なにか意味があるのか。

11、この、地下空間床に、水(雨水、地下水)が溜まることは、考えられたのか。

12、水が入った場合の排水計画はあったのか。ポンプ、または水中ポンプの設置はあるのか。ポンプの釜場はあるのか。

13、もし、排水設備がない場合、現在の貯留水と、今後増えるであろう水の処理はどう考えるのか。
根本的に、建築的には地下水位は、砕石面より上に上がらないよう、管理されていると考えていたのか。砕石面から地下水が上昇してくる事は、考えなかったのか。

14、地下空間の周りのコンクリート壁は防水されていないようだが、通常の地階(地下室)の壁のような漏水対策(例えば二重壁)は考えなかったのか。

15、地下空間の防水は、全く考えなかったのか。

16.根本的に土壌汚染と建築工事は別と考えて、土壌汚染は考慮はしなかったのか。

17、それとも、設計時に、土壌汚染問題と地下空間とは、なにか関連があると認識して、いたのか、盛土の有無を含めて、なにか後ろめたい事が囁かれていたのか。

18、都庁側より、地下空間は将来、もし地下の地盤から、何らかの土壌汚染の影響が生じた際に、工事用機械を入れて作業するためのものとの説明がされたようだが、設計時にそんな話は本当にあったのか、あったとしたらそれを設計に反映させたのか。

もう少し考えられるので、質問項目については、追記するかもしれません

とにかく、この地下空間の技術的問題が明らかになれば、あとは、土壌汚染された敷地の土壌処理の問題、地下空間設計の指示系統、責任者が誰だったのかを詰めてゆけば良いでしょう。
そして、市場としての建物、外構の汚染がどうなっているかを再検証し、安全性を確認する。
僕は最初から、売主の東京ガス側さえ、かなり汚染されていると認めていた問題の土地を、新市場用地として購入することに反対でした。
(東京ガスに支払った土地購入費 1859億円。東京都の汚染土土壌改良費 849億円。
東京ガスが支払った汚染対策工事費 178億円)

こんな地下空間の問題以前に、根本的問題があったのです。移転目前のこの騒ぎ、起こるべくして起こったのです。残念です。
これから、この問題どうなるか。建築技術者としてこう推察します。

地下空間は、根本的な市場の安全性には問題ないとされ、漏水対策が施される。
まず、溜まった水が排水され、床には30cmほどの底板コンクリートが打設される。
壁、床、杭基礎頭、地中梁など全てに、防水工事が行われる。エキスパンションがあるとすれば、然るべき防水工事がされる。空間の排気設備工事が追加され、空気の安全性確認のモニタリング設備(殊にあるのか?)も導入される。
そして、建物下に4.5mの盛り土をした場合との、安全性の比較が論議され、OKがでる。
こんな推移ではないかと推察します。
何しろ、途方もなく広い地下空間です。多額の費用と時間がかかる事になります。
建築的には処理できても、工事以前に、責任問題、安全性、市場移転の有無、築地市場の跡地利用、不透明な工事利権など難問続出でしょう。

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2016年9月14日 (水)

民進党代表選挙のこと

用事が重なり、ブログの更新ができませんでしたが、少し時間の余裕も出来ましたので、また書いていきます。

最近のテレビ、ラジオ、新聞などで気になる報道の幾つかに、豊洲新市場土壌汚染対策問題民進党代表選、福島原発汚染水問題などがあります。

先ずは、明日に迫った民進党代表選について。
僕は今、代表選以前の問題として、民進党そのものが信頼し期待できる政党に値しない不様な体たらくで存在していることに、暗澹たる思いがしています
だいたい、明日の代表選挙、関心のある国民がどのくらいいるのでしょう。
3人の候補者の一人である蓮舫氏の二重国籍問題で、マスコミが盛り上がっている程度のものかも知れません。
その蓮舫氏に対して、同じ民進党所属議員たちが、二重国籍は問題だ、代表選先送りだと、右派の攻撃並みに騒ぎ始めている報道映像を見て、これが政権交代を担う政党などとよく言えたものだ、この党、もう駄目だと思いました。

代表選、主張の違いがよくわからない立候補の3氏。党内不一致、その違いを目立たないようにする党略と見るなら、代表選先送りなどのドタバタはなんなのか。
「私はバリバリの保守」と発言する蓮舫氏。この人の後ろには、シロアリ退治と消費税値上げ発言で、日本で最も嫌われる政治家の一人となった野田佳彦前首相が控えています。

憲法9条の改憲に前向きな前原誠司氏。この前原氏には、日本最大の極右組織である日本会議の影が付きまといます。
憲法改正、原発、集団的自衛権、TPP、辺野古米軍新基地、消費税増税などの課題。分かりすぎる自民党に対して、党内不一致ばかりが目立ち、自民党との違いが分かりにくい民進党。
参院選での野党協力の成果を、無かったことのように言ってはばからない議員たち。野党共闘を見直すとか。偉そうに!
参院選での野党共闘、市民組織との協力関係を、衆院選で生かさずに、この党が前進できると思っている傲慢さ。「政権交代を目指す」、「蓮舫氏が首相候補」だと!、寝言にしか聞こえません。
もし、蓮舫氏が代表に選出されたら、二重国籍問題で、与党からの攻撃を浴びる事は必至の状況なのに、対抗する足並みが揃わない情けなさ。党としての姿勢が定まらず、今後の政局運営、政権との対決など、大局的展望が全く伝わってきません。
今、はっきり見え始めました。このままでは民進党に明日は無いと。
案外近いと言われ始めた衆院解散と総選挙、自民党の思うツボ、いいようにやられてしまいますよ。

今、国民が民進党政権を望んでいない事は、正確とは言い難いながら、新聞などの世論調査などにも現れています。
巨大与党に立ち向かうには、政権交代以前に、政権と対決するしっかりした野党の枠組みを作り上げる事が大切です。
野党共闘の中身を国民に示し、理解して支持してもらう、その枠組み作りの中心になるべき民進党が、その気概なくしてどうする。政権奪取云々の夢から覚めて、蓮舫氏を盛り立てて、地に足をつけた活動から始めてください。

 

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2016年9月 4日 (日)

奥秩父の国師ヶ岳へ

9月1日(木)
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(写真上、国師ヶ岳に向かう登山道に在る「夢の庭園」から朝日岳と金峰山を望む。金峰山頂の五丈石も見える)(写真はクリックすると拡大します)

9月1日、奥秩父の国師ヶ岳北奥千丈岳に登りました。
大弛峠からの往復です。
晴天を狙っての、眺望を楽しもうとの目的なので、今回はいつもの友人二人に、かみさんも加わりました。

実は僕は川上牧丘林道を上る大弛峠は初めてなのです。峠の標高2,360m、自動車が通行できる峠として、日本最高所です。
もう50年以上前、僕が20代の頃、既にこの林道は出来ていました。
未舗装の悪路として一部のダートマニアには知られた存在でした。
長野県の高原野菜で有名な川上村と山梨県側を結ぶ林道で、確か当時は峰越林道と呼ばれていました。
川上村の廻り目平が、現在のようなフリークライミングのメッカなどになる前の話です。
金峰山川の西俣沢沿いに村営の古い小さな山小屋があり、その周りがどこでも天幕が張れるキャンプサイトになっていました。
現在の喧騒の廻り目平からは想像できないくらいの、静かな素晴らしいキャンプ場でした。炊事には沢の水を使い、夜には付近の森から薪を集めてきて、大きな焚き火をしました。
この事は以前にも書いたことがありますが、ある秋のことです。
久しぶりに子供にキャンプを楽しませようと、紅葉の廻り目平にやってきました。
キャンプ場には、もう誰もいないかもしれないよ、熊も出るよ、夜は怖いねなどと会話しながら、車を進めるとなぜか、広場に沢山の車が見えました。
あれ、今日は村の行事でもあるのかなと思ったのです。
しばらく登山から遠ざかっていて、廻り目平が、小川山を巡る岩峰群のフリークライミングのメッカになっている事など知らなかったのです。
あの、静かな僕の大好きなキャンプサイトが一変した姿でした。
話が飛んでしまいましたが、僕は廻り目平に行く度に、峰越林道を大弛峠を越えて山梨側に走りたいと思っていました。
しかし、雨が降ると道が川になり、落石、崖の崩壊などで度々通行禁止にもなる、ほとんど車の入らない悪路のダートを走る勇気がなくて、ついにその夢は叶いませんでした。
かなり厄介なダート道だった、三国峠を越える中津川林道より、さらに難路だと云われていたのです。
長年の大弛峠への夢は、今回の国師ヶ岳登山で、山梨県側の完全舗装された林道から、友人の運転する車で、一気に上り詰めて叶いました。
標高2,360m。奥秩父最高峰の北奥千丈岳2,601mまで、標高差241mです。
峠の駐車場は平日なのにほとんど満車状態でした。
ほとんどの登山者は、ここから日本百名山の金峰山を目指します。
僕は、数年前、今日も同行している友人との金峰山登山の際、この大弛峠からのコースは取りませんでした。
朝日岳を越えて、明るい山稜を行く登山道も捨てがたいと思うのですが、奥秩父の盟主たる山には、沢沿いの道を歩き、苔むした針葉樹の森を登り、森林限界の岩稜帯に至るコースを辿って山頂に立ってもらいたかったのです。
登山前日、久しぶりに廻り目平にテントを張り、翌日西俣沢沿いの道を登り、金峰山に至りました。
他の登山者には会いませんでした。金峰山小屋から、ハイマツと岩の間を抜ける最後の急坂を登り金峰山頂に飛び出た時、友人が驚きました。
なんでこんなに人がいるんだと。
ちょうど大弛峠からの大勢のツアー登山者と一緒になったのです。もう、金峰山は、ほとんどの登山者が大弛峠から往復する山になりました。

さて、今日の目的の国師ヶ岳は、大弛峠から金峰山とは、反対方向の東側に向かいます。駐車場を出ると左側に大弛小屋があります。小屋の前を抜ける登山道に入ると、すぐに丸太組の桟道と階段が続き、これは登りはじめたばかりの体に堪えます。
喘ぎ喘ぎ、15分ほど登ると巨岩が連なる夢の庭園と名付けられた展望の良い場所に出ます。
朝日岳から金峰山に至る稜線がはっきり見えます(写真上)
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尚も桟道と階段混じりの登山道を登り切ると(写真左)前国師岳2,576mに着きました。峠から約1時間の登りでした。
かみさんは、登山道横にたくさんあるシャクナゲの木を見て、花が咲いている時期はきれいだろうなと言います。

前国師から、少し下り、緩やかな歩きやすい登山道を進むと、三繋平の分岐です。案内板が北奥千丈岳を示してくれます。
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国師ヶ岳への道を右方向にとって、10分弱の登りで、奥秩父最高峰2,601mの北奥千丈岳に至りました。大きな岩が積み重なる広い山頂です。
ここからの晴天の大眺望を期待したのですが、残念ながら雲が次々と流れ、ほとんど展望できません。大弛峠では晴れていたのですが。

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登ってきた道を分岐まで戻り、これも登ること10分程で今日の目的の山、国師ヶ岳に到着しました。この間、苔むした針葉樹林帯が続き、奥秩父の山らしい雰囲気が味わえます(写真左4枚目)

国師ヶ岳山頂2,592m。ここでも雲に阻まれて眺望は得られませんでした。目の前の、先ほど登ってきた北奥千丈岳の山頂も、流れる雲に邪魔されて見え隠れします。
広い山頂で、ゆっくり昼食をとり、登ってきたコースを下山しました。
帰りは早く、一時間ほどで駐車場まで戻ることができました。
50年以上も前に出来ていた林道を、今更どうこう言うことはできませんが、かっては奥秩父の深山として、二日がかりで山頂に立った国師ヶ岳に、僅か一時間で登れてしまう完全舗装された林道の存在は老登山者として、ありがたいと云うべきか迷うところです。

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