« 2016年4月 | トップページ | 2016年6月 »

2016年5月31日 (火)

オール埼玉1万人総行動に参加

1461137551_25月29日(日)、北浦和公園で行われた「オール埼玉1万人総行動」に参加しました。
「安全保障関連法の廃止を求める市民集会」として、八十八団体や個人、呼びかけ人などでつくる実行委員会が主催したものです。
午前9時頃から、会場の北浦和公園には参加者が続々と集まり、開会宣言の頃には、1万人近いと発表されました。
主催者や幹事団体、後援団体、政党代表の挨拶、協賛団体によるリレートークなどが行われ、9条こわすな! 戦争させない!と会場は大いに盛り上がりました。
安保関連法に反対する学生グループ「VIP埼玉」の山森要さんや、さいたま市内の施設で起きた保育事故で長女を亡くした阿部一美さんの訴えは、参加者の心に響きました。
なかでも、沖縄平和センター議長の、山城博治さんの連帯のあいさつは圧巻でした。下の動画)
集会終了後、参加者が3コースに分かれてパレードを行い、僕たちは「安保関連法案廃止」などのシュプレヒコールを叫んで浦和駅までのコースを歩き通しました。

| | コメント (2)

2016年5月25日 (水)

ツタンカーメンのエンドウ豆

Dsc00591_1024左写真は、我家の庭の3本だけのツタンカーメンのエンドウ豆です。
このエンドウ豆、エジプト王家のツタンカーメンの墓の中から発見された種から、発芽したとされています。真実のほどは、解明されていないようなので、おとぎ話としておきましょう。
今では、この種が広く売られていて、そう珍しいものではありません。
数年前に3粒を頂いて、すっかり忘れていたのですが、ひと月程前見つけ、芽が出るかなと思いつつ、ポリポットに蒔いてみました。
そして、また忘れてしまい、ある日庭の隅に置いたポリポットから、10cmほどに伸びた芽を見つけて、あれ、これはツタンカーメン豆だったと気づきました。発見が数日遅れたら、きっとカラカラに乾いていたでしょう。萎れて今にも枯れそうな状態でした。
ごめん、ごめんと水やりなど手厚い看護の結果、さすが、「3000年くん」、なんとか、元気になりました。
種まきの時期的なことなど考えもしなかったので、ダメかなと思いつつ、写真のようにポリポットから庭に植え替えてみたのです。そしてやっとここまで成長してくれました。
豆の収穫までは望みませんが、せめて、おとぎ話でも良い、3000年の前の花を見てみたいものだと思っています。
まさか祟はないでしょうが、それでも枯らさないで良かった。もしも、花が咲いたらまた、報告します。

| | コメント (4)

2016年5月24日 (火)

1500万本のポピーの群落を見ました

Dsc00607_1024
5月24日(火)
「彩の国ふれあい牧場」にポピーの群落を見にゆきました。
この牧場は東京ドーム75個分の広大な面積を持つ秩父高原牧場の一部で、今、シャーレーポピーの花(ひなげしの園芸品種)が満開です。
「天空を彩るポピーまつり公式サイト」  http://www.tenku-poppy.jp/

会場の秩父高原牧場までは、車ならアクセスしやすいのですが、小川町からのバス便を利用すると、バス停から登り坂を1時間半程歩かねばなりません。
幸い、ポピーの開花期間中は、休日は秩父鉄道の皆川駅、平日は和紙の里から無料のシャトルバス(写真一番下)が運行されています。
今日は平日なので、東武東上線の小川町駅からバスで「和紙の里」まで行き、そこからシャトルバスに乗って、楽に会場に着くことができました。
小川町から和紙の里迄のバスは約15分、シャトルバスは約25分弱の乗車時間でした。混むことを覚悟していたのですが、シャトルバスは、定員40人の座席に余裕がある状態で、楽に乗ることが出来ました。
バス停が会場につくと、あたり一面、真っ赤な丘の斜面が目に飛び込んできました。想像した以上に広い面積に、ポピーの花が咲き乱れ、壮観でした。
見物の人も多いのですが、花は広い面積に咲いているので、それほど混雑は感じませんでした。
人工的な花の群生は、どちらかといえばあまり好みませんが、ここ「ふれあい牧場」は、牧草地を利用しているので、周りの風景と一体感がある素晴らしい景観で、行って良かったと思える場所でした。(ポピーの花の後は、一度耕作してから牧草の種を蒔いて収穫するそうです)
尚、ポピーの咲いている会場は、登山道のある秩父高原牧場からは、皆野町側に少し下った場所にあります。
大霧山を越えて、粥新田峠から二本木峠に至るこのあたり、以前、秩父七峰縦走(歩行距離約42km、コースタイム約13時間)をした際、自動車道と登山道が交錯して、長い縦走路の中盤、疲れがどっとでた覚えがあります。
Dsc00604_1024

Dsc00598_1024

Dsc00603_1024

Dsc00609_1024

Dsc00592_1024

| | コメント (0)

2016年5月21日 (土)

舛添都知事は、おいしい「第三者」で逃げ切るつもりか!

つぶやいてみたくなりました。
舛添都知事は、自らの怪しい金遣いの数々を、第三者の政治資金規正法に詳しい複数の弁護士に調査を依頼し「厳しい第三者の目で」早急に調査結果を出すとのこと。
自分が選ぶ弁護士には、自分の犯した犯罪?を弁護をしてもらうだけではないか。「厳しい第三者の目」を繰り返す舛添都知事の目が、ますます狸の目に似てきた。

〇パソコンのハードディスクをドリルで破壊し証拠隠滅した、「ドリル姫」こと小渕優子元産経相。自身の選んだ「第三者委員会」なる怪しげな組織の公表した調査報告書で無罪放免。この第三者委員会など、小渕優子弁護士団そのものではないか。大物の顔ぶれを揃えて、多額の報酬が支払われたとか。

〇もっとも忘れてはならない男。どこの黒幕が仕組んだか、舛添都知事問題を隠れ蓑にして逃げ切りをはかる甘利明元経財再生相
自らの現金授受問題を、これまた第三者で敏腕の「元特捜検事の弁護士」に自ら依頼して調査してもらうだと。調査結果云々以前に、この元特捜検事の弁護士が、実在している可能性はいたって低い。

| | コメント (0)

2016年5月19日 (木)

原発は再稼働させず、1基また1基と廃炉に!

Dsc00590_1280

(写真上、東京新聞2015年3月10日朝刊を撮影。クリックすると拡大して読みやすくなります)

東京電力福島第一発電所が、地震とその後に襲った津波により爆発、破壊されてから5年と2カ月がたちました。
 原発爆発事故を目の当たりにして、いつの間にこんなに原発が建てられていたのかと、驚いた人も多かったように、事故当時日本全国には17ヵ所、54基の原発がありました(もんじゅ並びに、建設中、稼働準備中を除く)それだけではなく、新設予定の原発も多数ありました。
そのなかから、福島第一原発1,2,3,4号機が破壊により使用不能、そして1号機から約400メートル離れた場所に立つ5,6号機も、放射能汚染により事実上使用不能で廃炉が決定し、計6基が消えました。
その結果、稼動可能な原発は48基に減りました。
一度は日本国内で稼働している原発が0になったこともありましたが、2016年5月現在、再稼働に執念をもやす原発推進勢力により、九州電力川内原発1号機と2号機の2基が再稼働している状況になっています。
(川内原発では、2011年5月(1号機)と8月(2号機)に運転が中止されてから、4年ぶりに昨年10月に再稼働しました。そして今度の熊本地震以後、中央制御室では、操作員たちが、いつ襲って来るかわからない地震の恐怖と緊張感の中にいます。恐らく、こんな状況の中で運転されている原発は、世界に二つと無いでしょう。
地震動により、自動停止した原発の再稼働にはかなりの時間がかかります。ましてや、原発より80km近くでは、日夜地震が発生し、稼働停止を求める声も高まっています。一度自動停止したら、世間の状況から再稼働は出来ないのではないか!.

九州電力としてはなんとしても、それだけは避けたい。
しかし、原子炉を自動停止させる目安の数値、補助建屋最下階で水平方向160ガル、鉛直方向80ガル、、補助建屋1階で水平方向260ガルを的確に測定し、自動停止してくれるのか、実際に地震が起きてみなければわからないのです。

 川内原発には、自動停止に関する、解明されなかった事実があります。
1997年3月と5月に発生したマグニチュード6.5及び6.3(川内市震度5強)の鹿児島県北西部地震とマグニチュード6.1の第2鹿児島県北西部地震(同じく震度6弱)の際、自動停止装置は作動せずに原発は通常運転を継続したのです。
地震動は原子炉を自動停止させる目安の数値を、大幅に下回っていると判断したのです。
実際には、川内原発原子炉から12kmの距離にあった川内市中郷の気象庁地震計では400ガル以上の数値が計測されていたにも関わらずです。おそらく、原発内に設置された感知器に異常があったと思われるのですが、真相は解明されませんでした。
はたして、いつ襲ってくるかもしれない活断層地震で、自動停止は正常に動作するのか?1997年の時から、感知装置は改良されてはいません。揺れを過小に感知するかもしれない。しかし、簡単に自動停止してもらっては困る。操作員のジレンマは大きいのです。
こんなところから、現在の川内原発では、ありえない事ですが、自動停止装置が解除されているなどという、誤った憶測まで流されてしまうのです。)


さて、川内原発については、後日また書くとして、現在の日本の原発の現状について頭の整理をしてみることにしました。
「全国の原発数」赤色は廃炉が決定
1、泊原発1号機 2号機 3号機 (3基) 北海道電力株式会社 
2、東通原発1号機  (1基) 東北電力株式会社 
3、女川原発1号機 2号機 3号機  (3基) 東北電力株式会社
4、福島第一原発1,2,3,4,5,6号機 (6基全て廃炉) 東京電力株式会社
5、福島第二原発1号機 2号機 3号機 4号機 (4基) 東京電力株式会社
6、柏崎刈羽原発1号機 2号機 3号機 4号機 5号機 6号機 7号機 (7基)
   東京電力株式会社
7、東海第二原発 号記名なし (1基) 日本原子力発電株式会社
8、敦賀原発1号機 2号機 (2基残り1基) 日本原子力発電株式会社
9、志賀原発1号機 2号機 (2基) 北陸電力株式会社
10、浜岡原発3号機 4号機 5号機 (3基) 中部電力株式会社
11、美浜原発1号機 2号機 3号機 (3基残り1基) 関西電力株式会社
12、大飯原発1号機 2号機 3号機 4号機 (4基)  関西電力株式会社
13、高浜原発1号機 2号機 3号機 4号機 (4基) 関西電力株式会社
14、島根原発1号機 2号機 3号機(2基残り1基、ただし3号機新設中)中国電力株式会社
15、伊方原発1号機 2号機 3号機 (3基残り2基)四国電力株式会社
16、玄海原発1号機 2号機 3号機 4号機 (4基残り3基) 九州電力株式会社
17、川内原発1号機 2号機 (2基) 九州電力株式会社
18、大間原発 号記号なし (1基) 電源開発 福島事故後建設完成

以上、17箇所 48基です。原子炉の型、運転年数などは、上の東京新聞を参照して下さい。
この他に、18、大間原発新型炉が完成、14、島根原発3号機がほぼ完成しており、これを含めると50になります。緑文字は福島原発事故後に完成した建設原発)
これも最近怪しくなりつつありますが、原発の新増設やリプレース(建て替え)は想定していないというのが、東日本大震災後の政府の基本方針でした。
ただ、大震災前に政府から原子炉設置許可と工事計画認可を得て着工済みだった中国電力の島根3号機と電源開発の大間原発、東京電力の東通1号機についてはその対象外との考えによるものです。
しかし、このうち東京電力の東通原発については、現に東北電力東通原発1号機も、敷地内に活断層が存在すると判定されて、再稼働は難しいと言われ、東京電力の1号機も事実上、建設は無理と思われます。

数に含めない高速増殖原型炉「もんじゅ」については、稼働できる見込みは全く無いのに、ただ、その存続だけに意味があるとばかりに、最近とみに怪しい状況が続いています。潜在的核兵器保有のために、その建設と研究に1兆円近い国費をつぎ込み、たとえ止まっていても一年間の維持費だけで174億円もかかる、はらわた煮えくり返る「もんじゅ」については書き出すとキリがないので、今回は無視とします。

福島第一原発事故のあと、2013年7月施行の改正原子炉等規制法で定められた「原則40年の運転期間」の適用で廃炉が決まった原発があります。稼動40年以上となり、原子炉本体の危険性と、設備の老朽化などにより安全性に問題が残り、事業的にも不採算として小型の原子炉を持つ原発が廃炉に向かいました。
原発消去法として、先ず6基の廃炉を見てみましょう。

廃炉されることになった原発」
8、敦賀原発1号機 (1基) 運転年数45年 日本原子力発電株式会社
11、美浜原発1号機 2号機 (2基) 運転年数45年と44年 関西電力株式会社
14、島根原発1号機 (1基) 運転年数42年 中国電力株式会社
15、伊方原発1号機 (1基) 運転年数39年 四国電力株式会社
16、玄海原発1号機 (1基) 運転年数40年 九州電力株式会社 

6基の廃炉により、全原発50基が44基になりました。

それでは、44基の原発が全て再稼働できるかといえば、そうはさせないように策を練らねばなりません。
ともかく、原発は再稼働させない。
強引に再稼働に持ち込む原発は、少しでも運転開始を遅らせる。
多くの原発は新規制基準の審査に手間取るだろうし、安全対策にも時間がかかる。再稼働までに何年もかかると思われる原発は多いのです。
その中で、原発反対の運動を続け再稼働の動きを封じる。
東日本大震災以後、脱原発に向かったヨーロッパ諸国の中でも、ドイツの脱原発の動きに対して、ネガティブな面だけを報道しがちな日本のマスコミですが、実際には確実に自然エネルギーへの転換は進んでいます。5年後には、日本はその遅れに気づかされ、原発推進の動きにも変化が生まれてくる事も考えられます。
40年の運転制限を過ぎたものは延長させない、核廃棄物の処理の困難さ、各自治体、立地付近の住民の反対、福島第一原発の事故処理のまずさなど、一つ一つの原発を検証していけば、再稼働のハードルが高いことを思い知らせてやることができるはずです。

そこで「廃炉また再稼働は無理で廃炉に向かわざるを得ないと思われる原発」を見てみましょう。

1、東京電力が建設中の東通原発は、稼働の見込みが無いと書きましたが、同じ場所の東北電力東通原発1号機も、敷地内に活断層が存在されているとされ、廃炉の可能性大。
2、日本原子力発電の所有する
敦賀原発2号機の原子炉直下に原子力規制委員会は活断層があると判断し、廃炉の可能性大。同じ、日本原電の東海第二原発も運転年数が37年であり、地元の反対が強く、再稼働の可能性は低いと見ます。これで日本原電は廃炉の決定した敦賀原発1号機に続き、保有3基が全ての可動が難しくなりました。
3、北陸電力志賀原発1号機は、直下にある活断層が認定され、廃炉は確定でしょう。同じ2号機も、2014年8月に再稼働に向け、安全審査を原子力規制委員会に提出していますが、原子炉建家の直下に活断層はないものの、周辺機器に冷却水を送り込む配管の下を横切っているので、動かすことは難しいでしょう。

〇これで、5基消えました。残り
44ー5=39基です。まだまだ、あります。

次に「そう簡単には再稼働出来ないと思われる原発です」一部は廃炉に持ち込める
可能性もあります。
1、東京電力福島第二原発の1,2,3,4号機は、福島県と県内全市町村が廃炉を求めています。
東京電力は早い時期に再稼働を望んでいるようですが、新規制基準の審査申請もできる状況ではなく、
再稼働は簡単にはいかないでしょう。廃炉に持ち込みたい原発です。
2、関西電力高浜原発の3,4号機は、滋賀県の住民らが運転差し止めを求めた仮処分申請で、大津地裁は3月9日、運転を停止する決定を下しました。
これにより、再稼働の見通しは立たなくなりました。
同じ高浜原発の1,2号機は運転開始から40年超の老朽原発ですが、新基準に適合するとの判断がなされました。しかし、新基準に適合する改修工事が大規模なものとなり、再稼働は4年以上先になると思われます。また、3,4号機の運転差し止め仮処分決定とも絡んでくるでしょう。
3、関西電力美浜原発は、1,2号機の廃炉が決定して、残る3号機の審査が行われています。老朽原発であり、運転開始から40年を迎える今年11月30日までに安全審査と運転延長の二つの審査に合格しないと、廃炉が濃厚となります。審査は合格の方向に向いているようですが、関西電力は危機感を持っています。
審査申請中の他の原発との絡みで、廃炉に舵を切ることも考えられる原発です。
これで直近の再稼働が難しい原発は9基数えられました
残り39ー9=30基です。

残る30基の原発の再稼働についても考えてみましょう。ーーー続く









 

 


 




| | コメント (2)

2016年5月14日 (土)

5月15日(日)「さよなら原発志木」ウオーキング---原発は1基また1基と廃炉にしていこう

My13_001_1024

明日、5月15日「さよなら原発志木」による、2ヶ月に一度の集会とウォーキング(デモ)が行われます。参加は自由です。一人でも多くの方が集まる事を願っています。
集合場所 柳瀬川駅西口広場(サミット前)
 午後2時00分集合
 午後2時30分出発

コースは、柳瀬川駅西口広場⇒志木ニュータウン、幸町を通り東京電力志木営業所経由、志木陸橋下信号左折、志木駅東口丸井前まで約1時間のウォーキングです。
 
 私たちは、ひとたび事故を起こせば、生活の全てを奪う原発の稼働に反対し、日本から1基、また1基と原発がなくなることを目指して、活動しています。
福島原発事故の教訓に習い、核施設である事を再認識せざるを得ない原子力発電所の危険性と、原発の使用済み核燃料の処理の困難さに気づき、いばらの道と知りながら原発による発電から撤退したドイツ、イタリア、スイス、オーストリア、ベルギー、リトアニアなどのヨーロッパ諸国と同じ道を日本も歩みたいと思っています。
安全神話を復活し、原発推進に邁進する巨大な勢力に対し、もういいかげんに間違いに気づこうと、ひとりひとりの小さな思いを、全国津々浦々でデモにより表現する仲間たちと連携しています。

| | コメント (2)

2016年5月11日 (水)

鐘撞堂山に登る

5月3日
東武東上線の寄居駅から鐘撞堂山に登ってきました。
前回のユガテから顔振峠へのコースより、こちらのほうが良かったとかみさんも笑顔でした。
鐘撞堂山から円良田湖コースは、比較的楽に登れて、眺望も良いコースとして、家族連れなどにも人気の山です。
柳瀬川駅を8時11分に出ると、秩父鉄道寄居駅には9時28分に着きます。交通の便は良いし運賃も720円と手軽に行ける場所です。
Dsc00563_1024
寄居駅から、大正池、鐘撞堂山山頂、羅漢山、五百羅漢、少林寺へと歩き、
最後に、「かんぽの宿寄居」の展望風呂(金山温泉)で疲れを癒すことが出来る、とても良いコースでした。歩行程は約4時間ほどで、きつい登りもありません。
標高329.8mの山頂は、子供会の集団登山で大賑わいでした。たしかに子供連れの家族登山には格好の山だと思いました。

コースについては、ネット上にたくさん書かれていますので省略しますが、登山道脇にはツツジが咲き、山肌のあちらこちらに藤の花が見られました。花が咲いている時しか、藤の存在に気づかないでしょうが、こんなにたくさんの木があったかと驚かされました。
Sn3o0732_1024
秩父鉄道の波久礼駅迄への下山道には、少林寺までの間、五百羅漢がずらりと並び、像のそれぞれの表情が違うので、覗いていると、つい歩みが遅くなります。
Sn3o0745_1024円良田湖には寄らずに、羅漢山への山道に入ったので、少林寺から「かんぽの宿」までは、車道を歩くことになりましたが、円良田湖から直接、かんぽの宿近くに行ける山道もあるようです。
かんぽの宿での日帰り入浴は、800円と安いですし、肌がツルツルになる気持ちの良い泉質です。ここの眺望露天風呂には、また訪れたいと思いました
しかも、かんぽの宿からの無料送迎バスで寄居駅に戻ることができて、なにか儲けた気分になりました。
東武東上線の東松山駅で途中下車して、名物焼とん食べて、ビールで喉を潤す、打ちSn3o0742_1024上げもしっかりやった楽しい一日になりました。

Sn3o0743_1024

Dsc00554_1024

Sn3o0734_1024

Dsc00559_1024

Sn3o0751_1024

Ofurolist007

奥武蔵の山並みが見渡せる眺望露天風呂(写真一番下)

| | コメント (0)

2016年5月10日 (火)

5月7日--西原斜面林の植物その1

Karasumugi_1024

5月7日(土)
月に二度行われている西原斜面林の手入れ作業に参加しました。
作業の合間に、いつものようにエコシテイ志木の会員の方から教わった植物です。
とても勉強になり、参加の楽しみの一つです。
(写真上)左から、カラスムギ、イヌムギ、ネズミムギ (クリックすると拡大します)
道端でよく見かけるイネ科の雑草として、見過ごしていましたが、西原斜面林だけでも、3種類を教わりました。確かによく見れば、形がかなり違いますね。
「wikipedia」に次のように書かれていました。
植物の名称に「カラス」や「イヌ」と付けるのは、それが人間の食用には適さない植物であるという見方によることが多く、このカラスムギもその1つである。しかし実際は食用に適しており、欧州や中東では栽培化以前にも野生種が利用されていた。
食用に適していると書かれていますが、実際に雑草のカラスムギをミルク粥にして食べた方のブログあり、美味しい書かれていました。
http://portal.nifty.com/kiji/110630145443_4.htm

| | コメント (0)

2016年5月 2日 (月)

ホフマン輪窯へ---失われたレンガ刻印の記憶を求めて

Dsc00508_1024

2016年4月29日(金)
深谷の「日本煉瓦史料館」に行きました。http://www.city.fukaya.saitama.jp/shibusawa_eiichi/bunkaisan/1425344387985.html
4月30日から5月1日までの3日間、年に一度か二度しか見ることのできないホフマン輪窯(写真上)の公開日だったのです。このホフマン輪窯は国の重要文化財に指定されていいて、勿論、僕も初見学です。(見学の様子は別途書きます)
明治期の日本のレンガ製造に欠かせない存在だったホフマン輪窯は、そのほとんどが失われ、現存するのは国内で4基のみです。
今日訪ねた、現在史料館になっている、ここ埼玉県深谷市の旧日本煉瓦製造以外には、下記3施設のみなのです。
2.栃木県下都賀郡野木町 旧下野煉化製造会社(シモレン) 重要文化財
3.滋賀県近江八幡市 旧中川煉瓦製造所 登録有形文化財
4.京都府舞鶴市 旧神崎煉瓦 登録有形文化財


実は史料館を訪ねたのは、ホフマン輪窯を見ることもあったのですが、もう一つ確認したい事があったのです。
Dsc00040_1024友人たちが、千葉県市川市国府台にある旧陸軍の武器庫として使われていた赤レンガ建築物(写真左)の保存に尽力しています。
明治20年前後の建築物と思われ、フランス積みの貴重な文化遺産なのです。

建築年代が分かっていないこの赤レンガの武器庫が、いつ頃建てられたかを探るなかで、使用材料の一つであるレンガが、どこでいつ製造されたかもぜひ知りたい情報なのです。
友人たちの調査で、レンガの製造元は小菅集治監(盛煉社)あるいは下野煉瓦、ことによると横須賀猿島要塞に使用された東洋組(愛知県刈谷)の可能性も浮かんでいます。
昨年、屋根棟瓦の製造元が判明するなど、少しずつながら前進しているのですが、なかなか確定にはいたらず、そんな中で、レンガに残された刻印から、なにか手がかりが得られないかと探っているのです。
Dsc00055_1280

武器庫のレンガに残る「ホ」の刻印(写真左2枚)写真はクリックすると拡大します。

今日訪ねた日本煉瓦資料館では、収穫はありませんでしたが、刻印調査は始まったばかりです。
赤レンガ建築物の保存運動の継続のなかで、失われたレンガ刻印の記憶を求める旅は続きます。
「もし、なにか手がかりとなる情報をお持ちの方がおられましたら、コメントいただければ嬉しいかぎりです」

 レンガ刻印については、調査されている方も多く、ネット上に参考になる資料も多いのですが、このあたりの事を書き出すと長くなりますので、今日はこのへんにして、深谷駅から徒歩で訪ねた「日本煉瓦史料館」のことを、今日の続きとして別途書くことにします。
駅から4.2kmにも及ぶ素晴らしい遊歩道(引き込み線レール跡)、途中に残る備前渠鉄橋(重要文化財)、福川鉄橋、そしてどちらも国の重要文化財に指定されている日本煉瓦製造の事務所棟と旧変電室のことなど、興味深い史跡を目にすることができましたので。
Dsc00057_1280_3

| | コメント (0)

« 2016年4月 | トップページ | 2016年6月 »