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2016年4月12日 (火)

諏訪大社御柱祭へ

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4月3日(日)
友人達に誘われて、諏訪大社上社の「御柱祭」を見に行ってきました。
早朝、東京を出て中央高速を走り、諏訪インターで降りました。
御柱祭のハイライト、木落しの行われる会場付近は、どの駐車場もいっぱいです。
それでも、なんとか会場まで徒歩で行ける距離の場所に車を止めることが出来て、そこから街中を歩きました。
実は、僕は御柱祭見物も初めてなら、恥ずかしながら7年に一度、申年、寅年に行われるという、この盛Dsc00382_1024大な祭りのこともよく知らなかったのです。
テレビで見た、何人もの若衆たちが、急斜面を材木に乗って滑り降りる豪快かつ危険なシーンと、以前訪れた諏訪大社下社で、太い電柱のような柱が立っていたことが記憶に残る御柱祭の知識の全てでした。
今回は急な誘いだったので、下調べも無いうちにこの祭りの真っただ中に飛び込むことになりました。
さて、車を降りて歩きはじめると、町中が湧きたっているというか、ハッピを着た子どもたちから年配者までが、祭り気分一色の街の道路に溢れています。
いたるところで、若者たちが、集まって踊っています。木遣りの高い声が響き、太鼓の音が轟き、進軍ラッパが高らかに鳴り渡ります。
氏子の人たちは皆、御柱を引く大綱に絡めるロープを肩にかけています。
以前訪れた山形県の新庄市でも、普段閑散としている新庄駅前の光景からは想像できないくらいの熱気に包まれた祭りを見ました。
街のどこから湧き出してきたかと思える沢山の人たちが、山車を繰り出して夜中まで練り歩きます。全国から集まるという、たくさんの屋台。太鼓の音が、宿で眠りについた僕の耳元で夜半まで鳴り響いていました。

ここ諏訪でも、同じ体験をすることになりました。
近在の老若男女の氏子たち、全部集まってきたかと思われる人出と、ツアーバスを連ねて乗り込んできた観光客が入り交じり大変な混雑ぶりです。聞けば、多くの地元出身の若者が里帰りして祭りに参加しているそうです。早くも宴会を開いている家も覗けます。

上の大きな写真2枚は、当日見た木落しと川越しの光景です。
これ、友人が望遠で撮った写真で、実際に僕たちが見物できた場所は、下2枚の写真のような、会場からはるか離れた所までしか、たどり着けなかったのです。
木落し会場は、有料の桟敷席が城壁のように立ちふさがり、一般の見物人は遠くから覗き見ると云った状態で、家の軒先越しに少しでも良く見える場所を探し回る僕の周りからも、主催者に対する不満の声もあがっていました。
入替え制の桟敷席で見る以外は、木落しも川越しも間近で見る事は難しく、終日祭りの様子を中継している地元のテレビ局の画像を、宿のテレビの大型画面で見る方が良いかもしれません。
僕には、御柱の「メドデコ」と呼ばれる角は、上社の御柱にだけに付くものと気づかされた事など、見るもの聞くもの珍しかった今度の見物でしたが、諏訪大社御柱祭については、改めて書くまでもないくらい、ネット上に情報があふれています。
しかし、祭りの人混みの中を歩くことで、現場でしか体感できない祭りの高揚感を感じることができた今回の御柱祭見物は、僕には貴重な体験となりました。果たして次の御柱祭を生きて見ることができるのか、そんな気持ちも少しあるのです。
御柱祭は、4月に行われた山出しに続いて、5月には盛大に里曳き行事が行われます。諏訪の人達にとっては、これだけの祭りの全てが終わった後の寂寥感のようなものが残り、それが癒えた頃の7年後に、新たな祭りの準備が始まるという事なのでしょう。
浅草の三社祭が終わると、来年の三社祭のために生きているといった男たちの話を聞いたことがあります。
諏訪大社御柱祭、7年に一度巡ってくるこの盛大な祭りに、燃え上がらないほうがおかしいのでしょう。これだけ、地域の一体感が盛り上がる行事を持つ、諏訪の人たちが羨ましいと思いました。

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