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2016年4月26日 (火)

ユガテから顔振峠へ

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4月20日(水)
天気予報で、好天が約束されたので、かみさんと急遽軽い?ハイキングに行ってきました。
場所に、奥武蔵の「ユガテから顔振峠へのコース」を選んでみました。
西武池袋線の東吾野駅で下車し、一つ先の吾野駅まで歩く周回コースで、歩行程約4時間です。
実は、志木から東吾野までは、東武東上線で川越駅まで行き、JR川越線に乗り、東飯能駅で西武池袋線に乗り換えると、約1時間半ほどで到着できるのです。
川越から先は川越線、西武線とも単線で、電車の運行便数も少ないので、乗り換えに時間がかかりますが、実際の乗車時間は1時間ほどなのです。
柳瀬川駅を8時31分に出て、乗り換え2回で吾野駅に9時48分に到着しました。

先ず、ユガテを目指します。コース途中にある、駅から20分ほどの福徳寺の境内を抜け、飛脚道と書かれた裏道に入ります。
しっかりした案内板もあり、ここから登りになります。
福徳寺は武蔵野三十三観音霊場の第30番の寺で、阿弥陀堂は鎌倉時代の和様建築として国の重要文化財に指定されています。小さな建物ですが、端正な姿は一見の価値ありだと思います。
少し急な上りの細い山道を歩くこと約50分ほどで、ユガテに到着しました(写真上)

暗い杉林の中から、突然明るく開けた広い場所に出るので、初めて訪れる方はちょっと驚きます。
暗い杉林と書きましたが、この顔振峠へのハイキングコースは、ほとんどが単調な杉林の中を歩く道で、かみさんにはつまらないコースと不評でした。
ユガテは山中に、農家が数軒ある隠れ里のような場所で、春には花が咲き乱れ桃源郷とも呼ばれる雰囲気の場所です。
僕がずいぶん前に訪ねた時には、初めてだったとこともあり、山道を抜けて突然現れた時代劇でも見るような集落に、タイムスリップしたような感じがして、確かに山上の楽園かと思いました。今日のハイキングの目的も、かみさんにこの場所を案内したかったのです。
しかし、今回は畑のフェンスなども目に付き、前より村落全体が狭く思えて、花は咲いていましたが桃源郷と呼ぶ雰囲気は残念ながら感じることができませんでした。かみさんも、ふーん、桃源郷?といった顔つきです。
以前には無かったベンチもあり、ここで昼食。
数人の登山者に今日初めて会いました。
ここから、エビガ坂、十二曲り、越上山分岐を経て諏訪神社を経て、顔振峠に抜けました。逆コースを歩く数人の登山者には会いましたが、杉林のなかの静かな山道歩きでした。山吹とシャガの花が、いたるところに咲いていて、鶯の鳴き声が、常に聞こえていました(写真下4枚)Dsc00467_1024

峠手前から、車道を少し歩き、目的地である顔振峠に到着。ここには茶店もあります。
目の前に、今日初めての眺望が開け、このハイキングコースで、ここが一番良い場所だねと、かみさんも喜びました。僕もガイドとして、ちょっとホッとした気分。(下の大きな写真2枚)
峠下に立つ、摩利支天を祀る二重の塔のある建物の縁側に座り、のんびり休憩。
最後は、吾野駅まで約1時間の下り道で今日のハイキングを終えました。
実は、吾野駅から送迎バスのある「休暇村奥武蔵」の日帰り入浴施設に寄りたかったのですが、歩くのに思ったより時間がかかり、運行便の少ない送迎バスに乗り遅れてしまいました。タクシーもいない、じつに不便な場所にある休暇村施設で、営業できているのかと心配になるほどです。

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2016年4月19日 (火)

西原斜面林の八重ヤマブキ

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4月10日(日)
西原斜面林の手入れ作業に参加しました。八重ヤマブキがきれいに咲いています。
作業の合間に、いつものようにエコシテイ志木のAさんから、斜面林に自生する植物について、いろいろと教えてもらう事ができました。(写真左--クリックすると拡大します)
エコシテイ志木の皆さんが、その保護に努力している埼玉県準絶滅危惧種である「イチリイソウ」が今、樹林帯の中で可憐な花を咲かせています。(写真左の一番下2枚)
とても貴重な植物ですので、群落の中に立ち入ったり、近くまで寄って写真を撮ることは避けて頂きたいと願っています。
Amigasadak_1024(写真左--上から)
アミガサダケ
ショカツサイ(ハナダイコン)
ヘビイチゴ
ホウチャクソウ
キランソウ
クサノオウ
シャガ
ヤエヤマブキ
ジロボウエンゴサク
ジュウニヒトエ
イチリンソウ(群落)
イチリンソウ

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2016年4月18日 (月)

川内原発を停止させると決断するのは何時、そして誰なのか---政府は稼働継続に危ない賭けをしている

「原子力防災担当相を兼務している丸川珠代環境相は4月16日午前11時半からの政府の地震非常災害対策本部会議で、稼働中の九州電力川内原発(鹿児島県)について、「原子力規制委員会において停止させる必要はないと判断されている」と報告した。

停止させる必要は無いと判断されている。なんとも微妙な言い回しである。それは現在の状況が条件的に原発停止の基準からは外れているし、異常はないと報告しただけではないのか。
https://www.nsr.go.jp/news/20160415_01.html
原子力規制委員会の田中俊一委員長、更田豊志委員、田中知委員、石渡明委員、伴信彦委員から、直に停止させる必要はないとの発言を聞いてみたい。
地質学の専門家 石渡明委員も就任の抱負こう語っていたではないか

「地震・津波・火山活動等は地球の自然な営みの一部ですが、時として日常感覚を超えた大災害を発生させます。原子力のような大きなエネルギーを手にした人類は、正しい科学的認識をもってこれらに立ち向かう必要があります。東京電力福島第一原子力発電所の重大事故を繰り返さないために、科学者の一人として原子力規制に尽力します。」
この委員の発言も聞いてみたい。
国内で唯一稼働中の川内原発を、今、停止させてしまったら、再度稼働させることは難しい。川内原発が停まったならば、準備中の他の原発の再稼働にも重大な影響を及ぼす。政府はこの一点で、危ない賭けをしている。

http://www.quakemap.info/?y=2016&m=4&d=18&s=14
熊本県と大分県では17日も地震活動が活発な状態が続いている。気象庁は「新たに南西側にも地震活動が活発な領域がみられる」として、今後も激しい揺れに厳重な警戒を呼びかけている」
「4月17日、午前11時現在、熊本県と大分県では、震度5弱以上の地震を14回観測している。気象庁は午前中の会見で、「地震活動が活発な領域が北東側だけではなく、新たに南西側にもみられる」と指摘し、16日から熊本地方の南西部、
八代市付近を震源とする地震が相次いでいるとして、今後の強い揺れに警戒を呼びかけている」

 Cgr_gcumaa9qwj動いたと発表された布田川、日奈久の両断層帯から南西側に、稼働中の川内原発がある。NHKは断層帯地図の映像を流す際、川内原発の位置表示を意図的に隠している。
熊本から川内原発までは、直線距離で約120km、体に感じない地震が頻発している八代市からは80kmしか離れていない。
原発は、基礎の傾斜は考慮に入れても、地盤そのものの崩壊による、基礎の破壊は無いものとして建設されている。川内原発の断層帯判断を再検証する必要があるのではないか。
昨年夏、再稼働前に行った訓練は事前にシナリオが用意され、九電も入念に準備を重ねてきたものを実施したに過ぎない。想定外は起こりうるのだ。
緊張感のなかで、稼働を見守っている、藤原伸信彦所長はどう考えているのだろうか。

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2016年4月14日 (木)

30kgの玄米---この重さを担いで山に登っていたなんて!

Dsc00408_1024 初めて地元産の玄米を30kg購入してみました。
配達された米袋を運ぼうと持ち上げて驚きました。30.kgの重さにです。こんな重いものを担いで山に登っていたのかと。
昔、剣岳へ登る途中の立山駅から美女平駅までのケーブルカーでは、ザックの計量がありました。
合宿のザックは全員が30kgを軽く越えていました。尺貫法で云えば8貫から10貫が普通でした。
帆布製のキスリング本体(ザック)も含めて、すべての装備品が今とは比べ物にならない重さがありました。
夏山縦走、合宿、そして冬山と重いザックを担いで山に入りました。最近は、重くても20kg強が山行の限度です。
若かりし頃の僕の体重は53kgしかなかったのです。この米袋で重さを実感すると、今更ながらよくもまあ、こんなものを担いで、北鎌尾根や剣岳の岩稜を歩いたものだと、我ながら感心します。
最近の大学山岳部などの合宿では、どのくらいの重量を担いでいるのでしょうか。

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2016年4月12日 (火)

諏訪大社御柱祭へ

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4月3日(日)
友人達に誘われて、諏訪大社上社の「御柱祭」を見に行ってきました。
早朝、東京を出て中央高速を走り、諏訪インターで降りました。
御柱祭のハイライト、木落しの行われる会場付近は、どの駐車場もいっぱいです。
それでも、なんとか会場まで徒歩で行ける距離の場所に車を止めることが出来て、そこから街中を歩きました。
実は、僕は御柱祭見物も初めてなら、恥ずかしながら7年に一度、申年、寅年に行われるという、この盛Dsc00382_1024大な祭りのこともよく知らなかったのです。
テレビで見た、何人もの若衆たちが、急斜面を材木に乗って滑り降りる豪快かつ危険なシーンと、以前訪れた諏訪大社下社で、太い電柱のような柱が立っていたことが記憶に残る御柱祭の知識の全てでした。
今回は急な誘いだったので、下調べも無いうちにこの祭りの真っただ中に飛び込むことになりました。
さて、車を降りて歩きはじめると、町中が湧きたっているというか、ハッピを着た子どもたちから年配者までが、祭り気分一色の街の道路に溢れています。
いたるところで、若者たちが、集まって踊っています。木遣りの高い声が響き、太鼓の音が轟き、進軍ラッパが高らかに鳴り渡ります。
氏子の人たちは皆、御柱を引く大綱に絡めるロープを肩にかけています。
以前訪れた山形県の新庄市でも、普段閑散としている新庄駅前の光景からは想像できないくらいの熱気に包まれた祭りを見ました。
街のどこから湧き出してきたかと思える沢山の人たちが、山車を繰り出して夜中まで練り歩きます。全国から集まるという、たくさんの屋台。太鼓の音が、宿で眠りについた僕の耳元で夜半まで鳴り響いていました。

ここ諏訪でも、同じ体験をすることになりました。
近在の老若男女の氏子たち、全部集まってきたかと思われる人出と、ツアーバスを連ねて乗り込んできた観光客が入り交じり大変な混雑ぶりです。聞けば、多くの地元出身の若者が里帰りして祭りに参加しているそうです。早くも宴会を開いている家も覗けます。

上の大きな写真2枚は、当日見た木落しと川越しの光景です。
これ、友人が望遠で撮った写真で、実際に僕たちが見物できた場所は、下2枚の写真のような、会場からはるか離れた所までしか、たどり着けなかったのです。
木落し会場は、有料の桟敷席が城壁のように立ちふさがり、一般の見物人は遠くから覗き見ると云った状態で、家の軒先越しに少しでも良く見える場所を探し回る僕の周りからも、主催者に対する不満の声もあがっていました。
入替え制の桟敷席で見る以外は、木落しも川越しも間近で見る事は難しく、終日祭りの様子を中継している地元のテレビ局の画像を、宿のテレビの大型画面で見る方が良いかもしれません。
僕には、御柱の「メドデコ」と呼ばれる角は、上社の御柱にだけに付くものと気づかされた事など、見るもの聞くもの珍しかった今度の見物でしたが、諏訪大社御柱祭については、改めて書くまでもないくらい、ネット上に情報があふれています。
しかし、祭りの人混みの中を歩くことで、現場でしか体感できない祭りの高揚感を感じることができた今回の御柱祭見物は、僕には貴重な体験となりました。果たして次の御柱祭を生きて見ることができるのか、そんな気持ちも少しあるのです。
御柱祭は、4月に行われた山出しに続いて、5月には盛大に里曳き行事が行われます。諏訪の人達にとっては、これだけの祭りの全てが終わった後の寂寥感のようなものが残り、それが癒えた頃の7年後に、新たな祭りの準備が始まるという事なのでしょう。
浅草の三社祭が終わると、来年の三社祭のために生きているといった男たちの話を聞いたことがあります。
諏訪大社御柱祭、7年に一度巡ってくるこの盛大な祭りに、燃え上がらないほうがおかしいのでしょう。これだけ、地域の一体感が盛り上がる行事を持つ、諏訪の人たちが羨ましいと思いました。

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2016年4月 7日 (木)

「久米宏 ラジオなんですけど」城南信用金庫 吉原毅さんの脱原発がすごい

4月2日のTBSラジオ「久米宏 ラジオなんですけど」を聞きました。ゲストコーナー「今週のスポットライト」に出演の城南信用金庫相談役 吉原毅さんの話に僕は「おっしゃるとおり!そのとおり!」と大感激。今までに著書やインタビュー記事で知っていた以上の迫力。

「誰も通らない裏道」さんも「これだけ凄い原子力ムラ批判を、いまどき電波にのせられるのは久米宏だけなのではないか」と感嘆。

吉原毅さんのお話は、番組中47分35秒~1時間15分40秒あたりで、聞けます。
特に、1時間5分40秒からのくだりは、すごいです。
「原発は採算割れ」
「お金の亡者が生み出した妄想」
「国家ぐるみの壮大な粉飾決算」
まさに、皆さんが言われるとおり、これだけの真実を言える経営者は、吉原毅さんだけでしょう。

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2016年4月 6日 (水)

作業員の損害賠償請求は当然と思う---慶応大学校舎改修工事でのアスベスト飛散

慶応大学矢上キャンパスの教育研究棟の改修工事において、アスベスト粉じんを浴びた作業員が、発注者の慶応大学と施工者である株式会社大林組に対し、謝罪と損害賠償、長期の健康診断負担を求めたとの「3月17日東京新聞朝刊記事」を読みました。
これは当然の権利だろうと思う反面、工事契約した下請けの施工会社作業員が、工事の発注者と施工請負会社を訴えるには、かなりの勇気がいる行為だと思いました。と同時に作業員がアスベスト吸引の危険性を良く理解していたからこそ、取れた行動だという事も伝わりました。

現場作業員のアスベスト被曝事故の起きた改修工事について、もう少し詳しく書いておきます。
場所は、横浜市港北区の慶応大学矢上キャンパスの中の教育研究棟(23棟)です。(建物の竣工は1971年11月と約45年前の建物です)
この教育研究棟の実験室203室(改修後210号室となった)の改修工事で、天井塗装の剥離作業中に大量のアスベスト粉塵が飛散してしまいました。
新聞記事の作業員の話によると「天井の塗装をはがすと、グレーの建材が現れた。かき落すと、大量の粉塵が顔や頭に降り掛かってきた。5分もたたずに室内は真っ白になった」
「換気しないと仕事にならないほど。一時間ごとに目張りをはがして窓を半開きにして換気し、室内に立ち込めた粉じんが収まるのを待った」

 作業員は、市販のマスクと普段の作業着で仕事をしたそうで、かき落としたのがアスベストだとしたら、凄まじいばかりの現場状況です。
この建物が竣工した1971年当時は、アスベストの危険性は云われていましたが、まだ日本の建設現場では比較的安価で耐火、断熱、防音性能に優れていることから、多量に使用されていました。石綿含有率30%超の吹き付けアスベストが原則禁止になったのが 1975年、5年後の1980年に石綿含有率5%超の吹き付けアスベストが原則禁止になったのです。
建物の仕様などが、発表されていないので現場の詳細はわからないのですが、僕が推察するに、この実験室の天井のコンクリートスラブに直接、青石綿が吹き付けられ、その上に白色の化粧塗装がされていたと思われます。
もし、この実験室に二重天井があり、それをを撤去した後の天井剥離作業であれば、状況は少し異なるので、このことは、最後に書きましょう。

 剥離作業を始めたところ、発生する多量の粉じんを不審に思った作業員が、何度か「アスベストではないのか?」と訴えましたが、大林組の現場監督に無視されたと話しています。
この大林組現場監督は剥離した実物を見なかったのか、見てもアスベストと疑わなかったのか、アスベストを知らなかったのか、全く信じられないような話です。
石綿飛散防止策の度重なる国の規制が行われた後でも、これが建設現場で日常行われているアスベスト除去の、ずさんな実情なのでしょう。
僕が関わった事のある在日米軍施設工事では、日本でアスベストの危険性が認識されるずっと以前から、厳しい規制が行われていました。
十数年前の事ですが、赤坂にある米軍広報関連施設の改修工事では、事務室床の僅か15平米ほどの2mm厚アスベストタイル(通称Pタイル)の撤去に、(今でこそ日本でも同じような国の規制が定められていますが、)作業現場の完全な密閉性と、粉塵が外部に漏れないように内部空気の負圧維持の換気装置が求められていました。
そして、撤去したアスベストタイルの建物内運搬の際の、数量確認、(施工前のタイル数と撤去後の数量調査)完全包装廃棄処理の報告書の提出も義務付けられるのです。大林組の工事のように、目の粗い麻袋に入れて運搬など考えられないのです。
他の米軍施設工事では、もっとずさんな工事もあったと考えらえるのですが、こと施設内で働く軍人、軍属、職員の安全が脅かされることに関しては、自国民の保護が最優先なのです。工事会社は、万一の人的被害に発生する多額の損害賠償にも配慮して、慎重な工事を徹底しました。
振り返って今度の実験室の改修工事に見られる日本の工事のレベルを考えると、現在でも床のアスベストタイルの撤去などは、その危険性を認識していない、すなわち通常建材の撤去、廃棄処分と同じような工事が行われているのではないかと思ってしまいます。
この慶応大学の工事に関して、本当に情けなく思うのは、発注者である慶応大学信濃町管財課環境担当部署株式会社大林組の現場管理者のアスベスト被害に対する認識の無さです。
吹付けアスベストは、当初は安定していても、年数が経過すると吹付け石綿の劣化が生じ、アスベストが飛散しやすい状態になります。二重天井の存在の有無について、後で書くと云ったのは、この実験室の天井が、天井スラブに直接吹付けた青石綿のアスベスト仕上げであったとしたら、改修工事で粉じんを多量に浴びた作業員のみならず、この実験室を長く使用してきた教授、学生たちの健康問題にまで及ぶからです。
 青石綿は、石綿の中でも死亡率の高い中皮腫を発症する危険性が大きいとされています。
アスベスト災害について前にも書きましたが、僕は3人の友人、知人をアスベスト被曝で失っています。
鉄道車両整備工場に勤務していた旧い山友達は、若い頃、僅か2年弱配属されたブレーキ関係の職場で、アスベストを吸引し、40年後に突然発症した中皮腫で亡くなりました。
労働組合がしっかり対応して、勤務記録も残っていたので、労災の適用になりましたが、本人は最後まで、こんなことになるなんてとは、信じられない気持だったようです。
一緒に建築を学んだ友人は、大手建設会社の長期にわたる現場管理者としての仕事で、少しずつアスベストを吸引して、退職後肺がんで亡くなりました。共に肺には附着したアスベストの痕跡がはっきりと残っていました。
数年、または長期にわたる被曝だけでなく、数日の作業でも被曝して死亡した例も報告されていますし、隣地の解体工事で被曝した幼稚園児の事が報道されたこともあります。
長期の潜伏期間で発症するのがアスベスト被害です。
まだアスベストが多量に使用されていた時代の被曝が原因で発病するのは、これからがピークを迎えると考えられています。
それだけでも恐ろしいのに、今度は解体、撤去作業でのあらたな被曝が防げないとは、悲しいことです。
今回のアスベスト被害に遭った作業員が、謝罪と損害賠償、並びに将来にわたる年一回の健康診断負担を求めているのは当然のことだと思います。
この作業員はアスベスト吸引の恐ろしさ、その後の発病などを、職場経験からよく理解していたものと思います。
通常の生活環境では、吸い込んだアスベスト(石綿)は一部は異物として痰のなかに混ざり、体外に排出されますが、この作業員が遭遇した今回のような大量のアスベスト(青石綿)を吸い込んだ場合や、大きなアスベスト(石綿)は除去されずに肺内に蓄積されます。
多分、十分に配慮されたアスベスト除去作業環境の、十数年分を吸引してしまった恐れがあります。
それを取り除くのは、ほとんど不可能です。この作業員には、今後なるべくアスベスト吸引を避けて生涯の吸引数を減らす努力が求められるようになってしまいました。
それと同時に工事でキャンパス内に飛散したと思われるアスベストの危険性、そして実験室での長期被曝の教職員、学生の健康診断について、慶応大学は真剣に取り組んでほしいものです。
 現在の福島原発の健康被害、そしてビキニ環礁水爆実験での多数の漁船員の被ばくも、全く同じ構図をたどっていますが、アスベストの健康被害が外国では明るみにされて来ていたのに、専門家を抱き込んだ政官、業界勢力の一部が、その過小評価に躍起となった結果、数十年後に取り返しのつかない事態が生じています。

最後に付け加えるならば、慶応大学矢上キャンパスの教職員、学生はキャンパス内で長期に渡り、アスベスト飛散が放置されてきたと思えるので、危険性が考えられる状況の自身の記録を残して、万が一の将来の発病と損害賠償に備えるべきだと、身近にアスベスト被害で友人を亡くした僕から伝えたいと思います。残された家族が、アスベスト被ばくの実証にどれだけ苦労したかをよく知っているからです。
それにしても、前回書いたマンション建築でのコンクリート梁貫通のダイヤモンドカッターの乱用などに見られる建設現場の管理体制の劣化は、他の多くの事例も伝え聞くにつけ気が重くなるばかりです。

 

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