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2016年2月15日 (月)

3万5千年前の石器---「志木の遺跡展」

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2月6日、7日の二日間、志木市いろは遊学館で「志木の遺跡展」が開催されたので、見学に行きました。
この展示会は毎年行われ、今回は「柏町地区の遺跡編」です。
志木市内でも柏町地区には多くの遺跡が発見、発掘されています。
展示会では中野遺跡、城山遺跡、中道遺跡、新邸遺跡などの発掘調査の成果がわかりやすく展示されていました。
また発掘調査の方法などを、ビデオ映像を使った講座も開かれていましたし、割れた土器の復元、拓本作りなどが出来るコーナーも作られていました。
石器類も多数展示されていましたが、その中で僕を驚かせたのが「志木最古の道具」と書かれて、3万5千年前の石器が展示されていたことです(写真上)
実は、3万5千年より以前の石器発掘には、日本の考古学界を揺るがした例の「埋められた石器」、すなわち石器捏造事件とのかかわり合いなど、いろいろと問題があるのです。

書きかけ---続く
2月18日追記


石器捏造事件や、その後の日本の考古学界の状況などを書き始めると長くなりますのでそれは無しとして、僕が驚いたわけはふたつ。
ひとつは発掘により、約三万五千年前の石器が発見された西原大塚遺跡が、我家から歩いて10分程の場所だったことです。展示説明によると、地中2メートルほどからの出土です。
驚きのふたつめは、志木市や隣接する富士見市、三芳町などのこの地域に人々が現れたのは、従来の発掘品やその発見地層から約3万年前(後期旧石器時代)と思われていて、展示品の石器を三万五千年前の物だと発表するには、考古学の世界でもなかなか勇気がいる事だろうと思ったことです。
この展示された三万五千年前の石器は、僕の調べた限り、埼玉県最古の石器またはそれに並ぶものになるだろうと思います。
もちろん、石器の型式や地層確認などから、間違いのないものとして発表したことですから、素人の僕などが年代云々を論評できるものではありません。
旧石器といえば、昭和24年(1949年)、日本に土器を伴わない石器の存在が初めて明らかになった、相沢忠洋氏発見の群馬県岩宿遺跡が知られていますが、隣町の三芳町にもこんな話があります。
まだ町が三芳村だった昭和12年、畑の開墾中に赤土の中から、黒曜石の石器や焼けた石が発見されていました。発見者の江原安信氏は戦後になって村の教育委員会に報告されたそうで、発見時に確認されていれば、岩宿以前の日本初の旧石器時代遺物の発見になってなっていたかもしれないというのです。
この三芳町には、県内でも知られた藤久保遺跡群があります。
この藤久保遺跡の東遺跡B地点と東第二遺跡から局部磨製石斧が発見されています。
この石器は約3万年前の層に限って発見される特徴的な石器で、埼玉県内でも、他の2か所でしか発見されておらず、全国的に見ても貴重な資料だそうです。
数年前、三芳町立歴史民俗資料館で行われた旧石器に関する講演会を聞きに行ったことがあります。
古多摩川の湧水地点の旧石器時代の遺跡の話でしたが、講演者は三芳町でも3万年以上前の石器、1万6千年前の土器の出る可能性がある筈と、熱く語ってくれました。
ちなみに1万6千年前というのは、日本最古の土器とされる青森県の大平山元Ⅰ遺跡から1998年に出土した土器片が、放射性炭素C14による測定で約1万6千年前のものと認められているからです。この土器片、一時は、世界最古の土器発見かとされたものです。
志木市の最古と思われる土器片は、平成4年(1992)に城山遺跡第16地点から出土した縄文草創期の爪形文系土器が約1万2千年前後、平成6年(1994)に同じ城山遺跡第21地点から出土した多縄文系土器が約1万1千年前後のものと思われるとの事です。
「遺跡展」を見て、志木市や近隣の富士見市、三芳町などで、今後行われる発掘から、どんな新しい発見がなされるだろうかと、期待が膨らんでくるのでした。

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