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2015年10月21日 (水)

会津駒ケ岳---駒の小屋、下山

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Dsc00453_102410月15日(木)
晴天の朝を迎えました。気温は氷点下4度まで冷えこみました。
小屋に宿泊した登山者のほとんどがご来光を待って、小屋の外に並んでいます。薄手のインナーダウンでは寒いです。
駒の大池の向こうの空がひときわ明るく輝いたかと思うと、眩い光が広がりました。
今日の太陽が、上ったのです。(上写真)
会津駒ケ岳の山腹がみるみる赤く染まっていきます。上2枚目の写真では伝わらないのですが、もっと神秘的な赤色です。小屋に泊まらないと見られないこの景色、僕にとって至福の時間です。
少し散策しようと、小屋の周りの木道を歩くと、凍った板の上は実によく滑ります。
さあ、朝食を済ませたら、のんびりと下山です。
泊まった駒の小屋の収容人数は28名で、寝具がひとりづつ、すべてセットされています。昨夜は13名でしたので、ゆったりと寝ることができましたが満員の場合はかなりきついかもしれません。
夕方、入口横の小さな部屋に、管理人の三橋さんの手でランプが吊るされ、板を並べた仮の食卓周りには宿泊する皆が座り込み、思い思いの夕食の準備をします。
ガスバーナーが一斉に使われるので、部屋の空気はちょっと悪くなります。水は天水ですが、食卓脇にポリタンクで準備してくれます。
食事しながら皆が話す山の話で盛り上がります。
結構凝った料理を作るグループもいますが、僕たちはいつも定番のアルファー米とカレーです。ビール、日本酒は小屋で買うことができました。小屋にはその他、ペットボトルの水、カップラーメン、レトルトご飯、レトルトカレーなども売られています。ガスカセットコンロの貸出もしてくれます。
小屋は8時消灯です。皆、それぞれ重い掛布団に潜り込んで、長い夜が始まりました。
夜半目覚めたら、なかなか寝付かれません。何しろ8時前に寝たのですから。イヤホーンで「ラジオ深夜便」を聞きました。普段聞くことなど無い番組ですが、アナウンサーの話しに引き込まれ、人気だというこの番組の良さが分かった気がしました。
いつの間にか寝て、またイヤホーンから聞こえる音で目覚める。なんどか繰り返しているうちに朝を迎えました。それでも10時間近く寝たことになります。残念ながら、曇って星を見ることはできませんでした。
昨夜と同じ様に、テーブルの周りに座り、皆で朝食を食べます。
管理人御夫婦の気配りが伝わる清潔で気持ちの良い小屋です。別棟になっているトイレも掃除が行き届き快適に使えます。また、泊まっても良いな、素泊まり3000円は安いと思いました。管理人ご夫婦の人柄に惹かれたファンも多く、予約が取り難いのが難点ですが。
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朝食を済ませると、中門岳に向かうグループ、キリンテに下山する人など思い思いに行動を始めます。
僕たちは8時過ぎに、車を止めて登ってきた滝沢登山口目指して下山しました。
小さな池塘には、氷が張っていました。冬がそこまで来ています。駒の小屋も10月で閉鎖です。
昨日以上に、燧ヶ岳が大きく、くっきりと見えます。写真3枚目)
昨夜ゆっくり休めたので、登りに較べて下山は好調で2時間半ほどで、登山口に到着しました。
下りは、足元ばかり見つめていた登りと違い、視野が広がり、紅葉の景色が十分に楽しめました。
登山口のポストに下山カードを入れて、僕たちの会津駒ケ岳は無事終わりました。
年齢的にも、いつまで登れるかわからないし、膝の故障が再発すれば、多分再起はできないでしょう。いつもこれが最後の登山になるかもしれない、サヨナラの山だと思っています。
さて、車に戻った僕たちは、林道を走り国道へ。昼食に檜枝岐のそばを食べ、誰も入っていなかった駒の湯の露天風呂を楽しんでかDsc00454_1024ら、一路、東北自動車道へと車を走らせました。







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2015年10月19日 (月)

会津駒ケ岳山頂から中門岳へ

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10月14日(水)
会津駒ケ岳山頂から中門岳へ

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民宿の朝は早い。
98座目を目指す日帰り登山のご夫婦が、5時半頃出発しましたが、僕たちはゆっくり朝食をとりました。
今日の予定は中門岳の往復後、駒ケ岳山頂近くの駒の小屋に宿泊する、割と楽な行程なのです。
7時半頃、登山口着。民宿を出て、車で国道から登山口方向の林道に入り、15分ほど上り坂を走った場所です。幸いなことに最奥の駐車場に車を停めることができました。
登山口の階段脇のポストに、書いてきた登Dsc00416_1024山届を入れて出発です。


登り始めから傾斜のきつい登山道が続きますが、黄金色に輝くブナの森を縫うように高度を稼ぎます。苦しい登りですが、落ち葉を踏んでの一歩一歩に、とても幸せな気持ちになります。
2時間ほどで水場分岐着。前方の山肌に雲が湧き、天気が悪くなってきました。
細い尾根の左右は、上ノ沢、下ノ沢に向かって急峻に切れています。大正15年の10月、早稲田高等学校の生徒3人の遭難は、下の沢に迷い込んで2名が疲労凍死したのです。

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休憩した水場からは傾斜もゆるくなり、1時間半ほどで、樹林帯を抜け、駒の小屋が見えてきました。
途中で下山してくる人たちは、山頂付近は雲の中で、眺望が望めなかった、今日は遅く登った人がラッキーだなと話します。確かに雲が切れて青空が望めます。
民宿で一緒だった御夫妻ともすれ違い、98座めの登頂をお祝いしました。

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Dsc00428_1024_2小屋横の大池から、山頂方面を見ると、雲が流れて、山肌が見え隠れしています。
少し待てば、天候は良くなるはずです。前方の木々には、枝に昨夜の雪がついて、白く輝いて見えます。

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登山口から4時間弱で、駒の小屋着。今日は13名の宿泊だとのこと、それならゆったりできそうです。宿泊の手続きをしたあと、駒ケ岳山頂に向かいました。

小屋から20分ほどの登りで会津駒ケ岳山頂に到着。友人と登れたねと、笑いながら握手しました。眺望はあまり良くありませんが、双耳峰の燧ヶ岳がよく見えます。
ここから、中門岳に向かい、草紅葉の広い尾根道を快適に歩きました。中門岳は、どこが山頂かわからない高原のような山で、池塘が点在する中の、木道を歩きます。最奥部で木道がぐるりと回って、それより先には行けません。
約2時間ほどで、帰路は駒ケ岳山頂には戻らず、山頂を巻く側道を歩いて小屋に戻りました。中門岳は、駒ケ岳登山の良さを倍増してくれる素敵な場所ですから、是非足を伸ばす事をお勧めします。

山頂方向から降りてくると、前方に小さく小屋が見えます。こういう風景が好きです。
このあたり、2000mの山頂付近とは思えない、広く開けた山稜で、寝そべって空を見上げていたくなるような場所が中門岳まで続きます。
今夜は駒の小屋に泊まります。寝具はありますが、自炊ですから戻って早い夕食の準備にかかります。温度が急激に下がってきました。今夜も氷点下でしょう。

ーーー続く

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2015年10月15日 (木)

紅葉の会津駒ケ岳へ

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2015年10月15日
昨日と今日で、友人と会津駒ケ岳(2133m)へ登ってきました。
中腹までの登山道での紅葉と、山頂から中門岳にかけての草もみじの黄金色の斜面、そして、前日の雪が枝に残り、白く輝いている光景に、思わず歓声を上げたくなるような美しさでした。
今日のところは、写真だけ載せておきますが、登山の様子や駒の小屋のことなど、後で追記します。

(写真はクリックすると拡大します)
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「追記」
10月13日(火)
東北自動車道の西那須野塩原インターより、上三依経由で檜枝岐村に入りました。
天気予報が外れて小雨模様の天候です。宿に入るには早かったのでそのまま、御池方面に進み、モーカケノ滝付近で紅葉見物。
以前、御池付近で見た素晴らしい紅葉には及びませんが、それでも展望台付近の木々の葉が黄色、赤色に染まり見事な景色です。
しばらく紅葉を楽しんでから、今夜の宿、滝沢登山口近くの
「民宿駒口」に戻り、やさしい女将さんに迎入れられ、2階の部屋に落Dsc00434_1024ち着きました。
今夜の宿泊客は、僕たち2人に、明日、駒ケ岳に登るという御夫婦だけの静かな宿です。
夕食時に御夫婦から、百名山は明日登る会津駒ケ岳が98座目で、残る2座の荒川三山の悪沢岳と美ヶ原には来年登り、百名山達成は、子供、孫たちと一緒に美ヶ原に決めていると聞きました。
数十年かけて御夫婦で登った100名山の思い出を、静かに語るお二人を羨ましいと思いました。
ーーー続く

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2015年10月11日 (日)

10月、ボー・グエン・ザップ将軍を偲ぶ

Vo_nguyen_giap3_2ベトナムには、一度行きたいと思いつつ、なかなか実現できません。
10月も半ば、今頃になると、2年前の10月に亡くなったベトナムの英雄ボー・グエン・ザップ将軍(左写真-Wikipediaより)を思います。
僕がアジア人で最も尊敬している人物のひとりです。
将軍がフランスの植民地だったベトナムを、ディエンビエンフーの戦で勝利に導いた頃、塹壕戦でフランス軍が追い詰められる状況を、ラジオから流れるニュースで聞きながら、胸躍らせていた中学生の僕でした。
アジアの小国が、宗主国フランスを破り、北ベトナムを独立に導いた伝説的英雄として、将軍の名は広く知られました。
その後、戦いの相手が、敗退したフランスから米国に変わったベトナム戦争を、巧みなゲリラ戦で戦い抜き、サイゴン陥落まで導いたことは周知のことです。
僕は将軍の軍人としての輝かしい経歴とは別な、教養ある文化人としての生き方も好きです。
ベトナム救国の英雄として、国民に尊敬され続けた将軍は、102歳の長寿を全うされ、生まれ故郷のクアンビン省クアンチャック県トウソン集落に眠っています。
ベトナムに行く機会が訪れたら、地理的には行き難いのですが、今も多くの花が絶えることなく捧げられれているという墓所は、訪ねたい場所のひとつです。

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2015年10月 6日 (火)

ギンナンが鈴なり!

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今、館近隣公園横にある銀杏並木のイチョウの木に、ぶどうかと思わせるほど鈴なりのギンナンが付いています。(写真上)
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以前、果肉を落とすために庭に埋めておいたギンナンを、取り出すのを忘れていたら、かわいい芽が出てきてしまい、捨てるに忍びず、それを盆栽にしたことを、ブログに書いたことがありました。写真左横
そのギンナンの親がこのイチョウの木なのです。(写真左上)
今年は、かってないほど枝にギンナンが付いています。何年に一度の当たり年なのでしょうか。
風の強く吹いた翌朝は、我が家の窓から、道路に落ちているギンナンを拾う人の姿が見られる季節になりました。
 
今年の夏は、安保法案(米軍従属戦争参加法案)への反対運動などで、なんだかあっという間に過ぎ去ってしまって、もう10月、一年の時の経つ早さに驚かされます
この「米軍従属戦争参加法案」。時間が経てば国民が忘れてくれるだろうとと思っている、いや思いたい安倍政権ですが、そうは問屋がおろしません。
反対運動から芽生えた政権への反権力と抗議の渦は、次なる参院選挙に向けて、これからますます大きくなっていくでしょう。

ところでTPP交渉が大筋合意と報道されています。
しかし甘利担当相の諦めたような自信なげな表情、全閣僚がメンバーとなって農業分野などの国内対応を取りまとめる「TPP総合対策本部」を設置せざるを得ない事情、そして臨時国会をなるべく先送りして、野党の追求を躱したい安倍首相の思い、なぜ米国政府だけが、米国の利益に最大の貢献と喜ぶのか
これからの日本は負の負担となるどの分野に、どれほどの国税を補填せざるを得ないのか。

どれをとっても、安倍首相の語るような「国家百年の計」「私たちの生活を豊かにしてくれる」そして産経、読売新聞などが伝えるような「難交渉に終止符。地域の繁栄と平和の原動力に!」「素晴らしい成果」だけとは思えない、なにか暗い影を見るように感じてしまうのです。
なにがどう決まったのか、国民には何も知らされないまま、プラスの成果だけが先行する報道に危惧を覚える「大筋合意」です。

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2015年10月 1日 (木)

インドネシア鉄道計画受注ならず---日本の対応は少し大人げないぞ

K10046982611_1501151410_1501151414_インドネシア・ジャワ島の高速鉄道建設計画に、中国案が採用され、日本は残念ながら受注に敗れました。
この、絶対有利と思われていた鉄道計画の受注失敗に対し、日本政府の反応と、一部マスコミのインドネシア、中国両国への批判報道に少し違和感を覚えています。

先ず、9月29日の菅官房長官の談話。
中国案採用に「残念」=菅官房長官、不快感も-インドネシア高速鉄道(時事通信)
インドネシアの大統領特使は29日、菅義偉官房長官と首相官邸で会談し、同国の高速鉄道計画について、「中国提案を歓迎したい」として、中国案を採用することを伝えた。これに対し、菅長官は「日本案が選ばれなかったことは残念だ」と答えた。
 特使は中国案採用の理由について「中国側から、インドネシア政府の財政負担や債務保証を伴わずに事業を実施できるとの新たな提案があった」と説明。菅長官は
「(計画採用に当たって)方針が急きょ変更され、中国案を歓迎することになった経緯は理解しがたく、極めて遺憾であると言わざるを得ない」と述べ、不快感を示した。 

その他の菅官房長官の会見談話
「常識では考えられない。政府の財政負担や債務保証を伴わない提案は、まず我が国としては受けられない」
〇中国案が正式に採用された場合でも
「現実的にうまくいくかは極めて厳しいと思う」

菅官房長官の、いつものうつむき加減の暗い顔での発表を聞くと、いかにも恨みっぽく聞こえるし、ねちりと発注の経過批判などされると、インドネシア政府としても、面白いはずはありません。
マスコミにも、インドネシア政府の方針変更の不誠実、インドネシア側の対応を責める論調が多く見られます。
 日本が進めてきた計画を、中国に横取りされたが、インドネシアの国内問題から、実現は難しいとか、憎き中国とばかり、計画案は日本案のコピー、新幹線は日本の技術を盗んだもの、日本との技術力の違い、事故率の低さなどを挙げるむきもあります。

まあ、それだけ受注を確実視して、慢心、油断していた日本政府の衝撃の大きさを物語るものなのかもしれません。

確かに、中国受注に至る経過や、条件提示など、問題が多いのはわかります。
しかし、発注者のインドネシアは中国に軍配を上げ、日本はこのジャワ島鉄道計画の受注に失敗したことは事実です。
インドネシアは技術より金を選んだなどと言われますが、今回のジャワ島プロジェクトが初の本格的な国外進出となる中国のインフラ産業です。実績作りの為には、破格の条件提示をすることはどんな産業にでも見られることです。
日本の建設会社の例を一つ挙げると、先ず建設される看護士宿舎の入札には、採算割れの見積金額を出して受注し、次なる病院の本体工事受注を有利に展開させるなどは珍しいことではありません。
ジャワ島鉄道計画で言えば、残念ながら日本は対応を見誤ったのです。
 どうも日本政府のその後の対応を見ていると、上から目線というか、インドネシアという国を一段格下に扱っているように思えて、なんとも違和感を覚えるのです。
どこかの大国に、不快感など表明した事がありますか、菅さん。

インドネシアは親日国であり、日本の倍近い2億4千万人もの人口があります。これは、中国、インド、米国に次ぐ世界第四位なのです。国の面積にしても、日本の五倍です。東南アジアの大国なのです。
今回の受注はならずとも、他のプロジェクトでは日本も多くの実績を上げ、かつ現在も進行しています。
いくら
中国に受注をさらわれた悔しさが募るとも、これからの、両国の関係を思えば、ひとつの受注失敗くらいで相手を責めたり、おたおたせずに、広い度量を示して欲しいものです。

もう少し、下世話に言うと、土木、建築工事で、白紙に戻された、受注出来なかった場合、たとえ施主側に瑕疵があろうとも、受注者側がそれを責めることは良しとされないのです。    

最近の国内の例でも、すったもんだの新国立競技場建設で、竹中工務店、大成建設などが、政府の対応を批判などしたら、次はないものと覚悟しなければなりません。
それぞれの国の事情もあるのです。
インドネシア政府の対応を批判したりせず、この高速鉄計画を今後も見守り、協力は惜しまないくらいの事を言ってあげてください。
また、中国への批判よりも、なぜ受注できなかったのかを深く検証してください。同じ見誤りを避けるためにも。
何のかんのと言っても、これから多くの国のプロジェクトで、強力なライバルとなる中国とは同じような激しい受注競争をしなければならないのですから。640x0

(ジャカルタのショッピングモールでの展示会で、中国新幹線スケールモデルを見るインドネシア人モデル---Forbes誌より)http://www.forbes.com/sites/stephenharner/2015/10/01/japans-rail-project-loss-to-china-why-it-matters-for-abes-economic-diplomacy-and-for-chinas/
(米国の世界有数の経済誌「Forbes」電子版に、日本の受注失敗の衝撃が書かれています)

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