« 米国と共に「平和を仕事に」はもう出来ない | トップページ | ラベンダーの花 »

2015年5月12日 (火)

「神様のカルテ0」と「八月の六日間」を読む

Dsc00179_1024「神様のカルテ0」「八月の六日間」を読みました
 共に爽やかな読後感を持たせてくれた小説でした。
「神様のカルテ0」は、作者、夏川草介さんの既刊、同シリーズの1,2,3巻に続く最新刊ですが、0の題でわかるように、話は前に戻って、「1」以前の主人公栗原一止に係わる友人達、そして勤務先に選んだ本庄病院の人達の姿を描いています。
なるほど、こういう経過をたどって、「1」に至ったのかが良くわかります。
本作は4章に分かれていますが、その最終章「冬山記」は読み始めは別の短編かと思いました。
それが思いがけない驚きにかわり、僕を喜ばせてくれたのです。
冬の北アルプス、その常念岳、蝶ヶ岳に登る単独行の男性と若い夫婦、そして女性山岳カメラマンの姿が描かれています。
稜線から滑落遭難し、自ら生還しようという意思と、今後の生きる希望も見失しなっている単独行の男性を単身救助するベテランの登山者、この女性カメラマンこそ、後に栗原一止と結婚することになる愛すべき人、ハルさんこと片島榛名その人とわかったのです。
そうかハルさんはこんなに強くすごい女性だったのかと、なんだかもう一度ハルさんに出会いたいと全作品を読みたくなってしまい、1,2,3巻を図書館で借りて連休中に読んでしまったほどでした。
(冬山ではありませんが、僕も50年以上前の11月末、燕岳から槍ヶ岳を目指し、燕岳の燕山荘冬季小屋で2日間吹雪に閉じ込められたことがあります。
残る日程を考え、槍ヶ岳までの計画を諦め、新雪を踏んで烈風の大天井岳を越えて常念小屋に向かい、沢渡までの長い道のりを考えると、なんとかその日のうちに横尾まではと、そのまま小屋横から一ノ俣谷を下降路にしました。雪の積もった一ノ俣谷は、荒廃した登山道が想像以上に難ルートと化して、途中でビバークを余儀なくされ、大袈裟に言えば、死ぬ思いを味わされた苦い思い出があります。)

「八月の六日間」は北村薫さんの3年ぶりの小説。
出版社で文芸雑誌の副編集長をしている女性が、同僚の女性に誘われて登った小さな山で、パーテイのちょっとした道迷いから涸れ沢に入り込み、そこで見た目の前に広がる紅葉の山の美しさ、魅力に圧倒されます。
その後、初心者としての段階を踏みつつ、一人で四季の山に登るようになる様子が、私という一人称で山の紀行文風に書かれています。
小説は5章に分かれ、九月の五日間では、燕岳から槍ヶ岳へ。二月の三日間では、裏磐梯でのスノーシュー。十月の五日間では、蝶ヶ岳から常念岳を越えて大天井岳から燕岳へ。
五月の三日間では、北八ヶ岳へ。
最終章の本の題にもなっている八月の六日間では、雲の平、三俣蓮華、双六岳から新穂高温泉までの登山の様子が描かれます。
同僚の女性編集者、そして山で出会った人たちとの心の触れ合いの描写が秀逸で、女性が癒され立ち直ってゆく様子が、登山中に描かれる山の美しさに併せて、読む者に共感と山への憧憬を誘う、山好きには堪えられない一冊でした。お薦めです。
トップの槍ヶ岳の写真が美しく、書店員の方々からの読後評もとても良いし、小説の一部がラジオドラマ化されていますので「八月の六日間」の公式HPも覗いてみてください。
http://www.kadokawa.co.jp/sp/2014/8gatu/ 八月の六日間公式サイト

|

« 米国と共に「平和を仕事に」はもう出来ない | トップページ | ラベンダーの花 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 米国と共に「平和を仕事に」はもう出来ない | トップページ | ラベンダーの花 »