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2015年5月29日 (金)

甲斐大和駅から大菩薩峠へ」

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Dsc00155_1024連休中の5月3日(日)、家族で大菩薩峠に登ってきました(写真上、その日の大菩薩峠。若者たちが多い)
大菩薩峠には何度か登っていますが、いつもは車で上日川峠より先の「福ちゃん荘」まで上がっていたので、電車利用は今度が初めてでした。
志木市の自宅からの足の便も良く、楽に大菩薩峠日帰り登山ができましたので、今日は山より交通について少し詳しく書きます。
2008年10月から、中央本線の甲斐大和駅から上日川峠まで、登山バスが運行されるようになりました。
この路線の開通で、従来の塩山駅から、登山口の裂石までのバス便より、日帰り登山にはだいぶ便利になりました。
この路線を運行させたのは栄和交通。栄和交通のタクシーの運転手さんの話では、社長の英断だったとのことで、土日の運行とはいえ、登山客にとってはありがたい会社です。
おかげで裂石の登山口から上日川峠まで、歩行程が約2時間弱程度短縮できるので、帰りにゆっくり温泉に入る時間が取れるようになりました。
甲斐大和駅は、僕が中央本線の夜行列車に乗って、せっせと山行をしていた時代の駅名は、初鹿野駅でしたが、ほとんど記憶にない駅名です。
ただ、日本100名山の著者である深田久弥さんが大正十二年に初めてこの山に登った時のことを、著書にこう書いています。そう、この駅から歩き始めたのです。

「それは関東大震災の前で、私は自分の学校の旅行部の人たちと一緒に、未明初鹿野駅で下車し、嵯峨塩鉱泉から雁ヶ腹摺・小金沢山を経て、大菩薩峠に達した。古い話で記憶は茫としているが、道の長かったこと、峠から雲峰寺へ下った時は暗くなっていたこと、そこで食べた蕎麦のうまかったことなどをおぼえている。」
注:嵯峨塩鉱泉から牛奥ノ雁ヶ腹摺山までの登山コースがはっきりしませんが、現在でも約12時間以上の歩行程だと思います)

駅前からのバス便は、朝8時10分、9時10分、9時50分の三本があり、混雑の程度により臨時便も運行されるとのことです。
志木市の自宅を6時頃出ると、8時半には甲斐大和駅に到着し、9時10分のバスに乗れます。駅にはすでに100人くらいの登山客が列を作ってバスを待っていました。普段は寂しい無人駅が、大菩薩峠登山客のために駅員も臨時に配置されて大賑わいです。
ここから上日川峠まで、約40分の乗車で、バス運賃は1000円です。Suicaは使えません。
ゴールデンウイーク中でもあり、上日川峠のロッジ長兵衛前は、人と車でかなり賑わっていました(写真、2枚目)
バス停横の広場には幕営場があり、テントが幾張りか見えました。
ここから、唐松尾根を登り、雷岩から神部岩、賽ノ河原、親不知ノ頭を経て大菩薩峠に至りましたが、山はカラフルなウエァに身を包んだ若い登山客ばかりで、前に八ヶ岳登山でも、最近の山は華やいでいると書いたことがありましたが、10年ほど前とはだいぶ様変わりしてきたことをあらためて感じました。

大菩薩峠からは、整備された登山道を下り、1時間ほどで楽に上日川峠に戻りました。期待した富士山は見えませんでしたが、好天に恵まれ、美しい新緑の楽しい山歩きができました。
帰りはもちろん温泉です。上日川峠15時発のバスに乗り、途中の大和天目山温泉で下車しました。約30分ほどの乗車です。運賃は駅までと同じ1000円ですが、温泉入浴の200円割引券をくれます。ここで下車して温泉に入ると、次の甲斐大和行のバスは最終の16時16分しかありません。これだと、少し忙しい入浴になりますが、良くしたもので、同じ甲斐大和駅まで17時12分発の市民バスがあるのです。
しかし実際には、17時発の栄和交通の臨時バスが運行され、これに乗る事ができました。この会社、なかなか細やかな運行の配慮をするなと感心した次第です。天目山温泉も同じ会社の経営なのです。温泉は高アルカリ温泉とかで、お湯が滑らかで露天風呂などの施設も良くおすすめできる日帰り温泉施設です。
甲斐大和駅から、空いた普通列車に乗り込み、無事に今日の登山を終わらせました。「中央沿線の山々」というガイドブックもありますが、電車利用の近場の山歩きも良いものです。
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(写真左、賽ノ河原付近)

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2015年5月24日 (日)

「中学歴史教科書に見るポッダム宣言」その2

中学歴史教科書に見るポッダム宣言」その1の続き」
東京書籍、清水書院、自由社の3者に続き、その2」では教育出版、帝国書院、育鵬社の中学歴史教科書のポダム宣言に係わる部分の記載を書きます。

「その1」の3社の教科書には、ポッダム宣言の条文記載は有りませんでしたが、「その2」の3社には記載条文の違いはありますが、ポッダム宣言全13条の一部が、要約ながら記載されています。
ポッダム宣言の日本文(翻訳文)は、外務省仮訳が発表されています。
参考までに今日の巻末にコピーしておきますが、わかりにくい文です。

安倍総理
が、日本共産党の志位委員長との党首討論で、ポッダム宣言を読んだことがあるのか、無いのか、わけがわからないことを言っていましたが、読む読まないというほどの条文ではなく、紙一枚に収まる短いものです。
安倍総理はおそらく目を通したことはあっても、難解な文体に、目が拒絶反応を起こし理解することはできなかったのでしょう。それが(ポッダム宣言を)
「つまびらかに承知しているわけではございませんが」などという変な日本語になってしまったというわけです。
http://article9.jp/wordpress/?p=4899 澤藤統一郎の憲法日記より
でも、安倍首相は知らなくても、ポッダム宣言の全13条は、日本の命運を決めた重要な文書です。
日本政府はポッダム宣言の重要性を認識しようとしてこなかった、いやあまり白日のもとに晒したくなかった。
中国との関係や、第8条で履行されると書かれた
「カイロ宣言」に含まれる領土問題に必然的に絡んでくることでもあり、できればそっとしておきたかった。
ポッダム宣言にたいするこういった内向きな姿勢が、日本国首相でさえもその内容を理解していないといった状況を生み出してしまったのです。
連合国側による、その作成から発表、日本側の受け取り方の記述も大事ですが、宣言文の内容がどんなものであるのか、理解しておかねばならない日本史として、中学生の歴史教科書と言えども、全文掲載があっても良いのではと思います。
失礼ながら、安倍首相には難しすぎても、普通の中学生なら、読んで書かれていることを理解することはできます。
変に省略、要約するから日本軍は無条件降伏したが、日本政府は無条件降伏していないなどといった読み解きも生まれてくるのです。

日本は、歴史を反省して次の方向性を見出すことに稚拙です。いや、歴史だけでなく、公害問題や原発事故などにも見られるように、物事全てに対して、反省の二文字が欠け、責任の所在を明確にする事を拒みます。
太平洋戦争での日本の犯した戦争犯罪を認めず、このポッダム宣言にも見られるように隠そう、隠そうとする姿勢が顕著なのです。
そして、近年特に目立つのは、視野を広げ、客観的に歴史を見ようとしても、これに激しく反論して、おのが土俵での議論に固執する狭量なる精神での主張が声高なことです。必ず、日本の未来を誤らせる一因となります。

4、
教育出版 中学社会 歴史 未来をひらく
223頁に記載があります。
「原爆投下と日本の降伏」
1945年2月、アメリカ・イギリス・ソ連の首脳は、黒海沿岸のヤルタで会談し、ソ連の対日参戦と千島領有などを秘密に取り決めていました。
7月には、三国の首脳が再びドイツのポッダムで会談し、日本の降伏の条件を示すポッダム宣言を発表しましたが、日本はこれを無視しました。
(省略 原爆投下、ソ連の参戦などの記述)
こうしたなかで日本は8月14日、ついにポッダム宣言を受け入れ降伏しました。
国民はこの敗戦を翌15日の天皇のラジオ放送によって、初めて知ることとなりました。
8月15日は、朝鮮はじめ日本の植民地や占領地の人々にとって、民族解放の日となりました。

教育出版教科書に記載された「ポッダム宣言」(一部の要約)
6、日本国民をだまして、世界征服に乗り出すという過ちを犯させた者の権力と勢力は永久に除去する。
7、新たな秩序が建設され、戦争する能力がなくなったことの確証が得られるまでは、連合国の指定する日本国内の諸地点は占領される。
8、日本国の主権は、本州・北海道・九州・四国および連合国の指定する諸小島に限定される。
10、いっさいの戦争犯罪人には、厳重な体罰が加えられる。言論、宗教および思想の自由、ならびに基本的人権の尊重は確立される。

5、帝国書院 社会科 中学生の歴史 日本の歩みと世界の動き
218頁に記載があります。
「4、ポッダム宣言と日本の敗戦」
一方、連合国側は1945年2月にヤルタ(ソ連)で会議を行い、ソ連の対日参戦とその見返りに千島列島をソ連の領土とするなどの密約を結びました。
7月のポッダム(ドイツ)での会議でアメリカ・イギリス・中国の名前で日本の無条件降伏をうながす共同宣言をだしました。(ポッダム宣言)
「原爆の投下」
ポッダム宣言を日本が黙殺したため、アメリカは戦争の早期終結とともに、ソ連に対して優位にたつため、8月6日に広島に、8月9日に長崎に原子爆弾を投下しました。
(省略 原子爆弾の被害、ソ連参戦などの記述)
この結果、日本はポッダム宣言なら天皇制を維持できることなどを理由に、14日にポッダム宣言を受け入れて降伏することを決め、翌15日、天皇はラジオ放送でこれを国民に知らせました。
帝国書院教科書に記載された「ポッダム宣言」
6、日本国民をだまし、世界征服にのりだすといったあやまちをおかした者の権力と勢力は永久に取り除かなくてはならない。
8、日本の主権が及ぶのは本州、北海道、九州、四国と連合国が決める島にかぎる。
13、われらは、日本国政府が軍隊の無条件降伏を宣言することを求める。これ以外の選択は急速で完全な壊滅があるだけである。

6、育鵬社 中学社会 新しい日本の歴史
220頁と221頁に記載があります。
「ドイツの降伏」
ヨーロッパでは、アメリカの参戦で連合国の反攻が開始され、1943年9月、まずイタリアが降伏しました。ドイツも、スターリングラードでソ連軍に敗れ、以後敗退を続けました。1944年、連合国はフランスに上陸してパリを解放すると、東西からドイツに攻めこみました。ヒトラーは自殺し、1945年5月にドイツは無条件降伏しました。
これより先、米・英・ソ連の首脳はソ連のヤルタに集まり、戦後処理について話し合いました」(ヤルタ会談)。アメリカのルーズベルト大統領はソ連の対日参戦を求め、ソ連のスターリンは、その代償に日本領である樺太(サハリン)の南半分と千島列島を要求しました。
ドイツ降伏後の7月、ドイツのベルリン郊外でポッダム会談が行われ、連合国は日本への降伏条件を示したポッダム宣言をアメリカ、イギリス、中国の名で発表しました。

「原爆投下とソ連の参戦」
(省略 原子爆弾の投下とソ連の参戦の記述)

「日本の敗戦」
相つぐ悲報の中、政府では昭和天皇の隣席のもと、ポッダム宣言の受け入れをめぐる会議が開かれました。(御前会議)。賛否が同数に分かれたため、首相の鈴木貫太郎は天皇の判断(聖断)を仰ぎ、天皇はポッダム宣言を受諾し降伏するという外務大臣の意見を支持しました。それにより、内閣は、受諾を決定しました。8月15日正午、ラジオで天皇の声を録音した玉音放送が全国に流れ、戦争の終結が知らされました。日本軍は武器を置き、戦争は終わりました。(省略、戦地からの引きあげ、ソ連のシベリア抑留などの記述)

育鵬社教科書に記載された「ポッダム宣言」(一部要約) 
(同じようにポッダム宣言の一部要約を記載した教育出版、帝国書院と異なり、育鵬社はなぜか項目番号を外して、宣言の要旨をわかりにくくしており、かつ要約とは云え、大事な記述を意図的と思えるような省略をしています。)
よって、記述された8、10、13の外務省翻訳と現代語訳を列記して、比較できるようにしました。
われらの条件は次のとおりである。
●日本国の主権は本州、北海道、九州、四国さらにわれらが指定する島々に限定される*現代語訳(8)カイロ宣言の条項は履行されるべきで、また日本国の主権は本州、北海道、九州、および四国ならびに我々の決定する諸小島に限定するものとする。

*外務省翻訳 、「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルヘク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ

●日本政府は、国民の中に民主的傾向が復活し、強まることに対する障害をすべて除去し、基本的人権の尊重を確立しなければならない。

*現代語訳 (10)我々は日本人を民族として奴隷化しようとしたり、また、国民として滅亡させようとするつもりではないが、我々の捕虜を虐待した者を含む全ての戦争犯罪人に断固たる処罰を加える。日本政府は日本国民の間に、民主主義的傾向の復活を強化し、これを妨げるあらゆる障害は、これを排除する。言論、宗教、思想の自由、ならびに基本的人権の尊重は確立されなければならない。

*外務省翻訳 、吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非サルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰加ヘラルヘシ日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スヘシ言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルヘシ

●われらは、日本政府がただちに日本軍全軍の無条件降伏を宣言し、その行動について誠実に保障することを要求する。.
*現代語訳(13)我々は、日本国政府がただちに、全ての日本国軍隊の無条件降伏を宣言し、かつ、その行動における日本国政府の誠意による適当かつ十分な保証を提供することを日本国政府に対し要求する。これ以外の日本国の選択は迅速にして完全な壊滅があるだけである。
*外務省翻訳 十三
、吾等ハ日本国政府カ直ニ全日本国軍隊ノ無条件降伏ヲ宣言シ且右行動ニ於ケル同政府ノ誠意ニ付適当且充分ナル保障ヲ提供センコトヲ同政府ニ対シ要求ス右以外ノ日本国ノ選択ハ迅速且完全ナル壊滅アルノミトス
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(写真、上より)
清水書院
自由社
教育出版
帝国書院

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参考 「ポツダム宣言」

千九百四十五年七月二十六日
米、英、支三国宣言
(千九百四十五年七月二十六日「ポツダム」ニ於テ)

  • 、吾等合衆国大統領、中華民国政府主席及「グレート・ブリテン」国総理大臣ハ吾等ノ数億ノ国民ヲ代表シ協議ノ上日本国ニ対シ今次ノ戦争ヲ終結スルノ機会ヲ与フルコトニ意見一致セリ
  • 、合衆国、英帝国及中華民国ノ巨大ナル陸、海、空軍ハ西方ヨリ自国ノ陸軍及空軍ニ依ル数倍ノ増強ヲ受ケ日本国ニ対シ最後的打撃ヲ加フルノ態勢ヲ整ヘタリ右軍事力ハ日本国カ抵抗ヲ終止スルニ至ル迄同国ニ対シ戦争ヲ遂行スルノ一切ノ連合国ノ決意ニ依リ支持セラレ且鼓舞セラレ居ルモノナリ
  • 、蹶起セル世界ノ自由ナル人民ノ力ニ対スル「ドイツ」国ノ無益且無意義ナル抵抗ノ結果ハ日本国国民ニ対スル先例ヲ極メテ明白ニ示スモノナリ現在日本国ニ対シ集結シツツアル力ハ抵抗スル「ナチス」ニ対シ適用セラレタル場合ニ於テ全「ドイツ」国人民ノ土地、産業及生活様式ヲ必然的ニ荒廃ニ帰セシメタル力ニ比シ測リ知レサル程更ニ強大ナルモノナリ吾等ノ決意ニ支持セラルル吾等ノ軍事力ノ最高度ノ使用ハ日本国軍隊ノ不可避且完全ナル壊滅ヲ意味スヘク又同様必然的ニ日本国本土ノ完全ナル破壊ヲ意味スヘシ
  • 、無分別ナル打算ニ依リ日本帝国ヲ滅亡ノ淵ニ陥レタル我儘ナル軍国主義的助言者ニ依リ日本国カ引続キ統御セラルヘキカ又ハ理性ノ経路ヲ日本国カ履ムヘキカヲ日本国カ決意スヘキ時期ハ到来セリ
  • 、吾等ノ条件ハ左ノ如シ
    吾等ハ右条件ヨリ離脱スルコトナカルヘシ右ニ代ル条件存在セス吾等ハ遅延ヲ認ムルヲ得ス
  • 、吾等ハ無責任ナル軍国主義カ世界ヨリ駆逐セラルルニ至ル迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序カ生シ得サルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ツルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレサルヘカラス
  • 、右ノ如キ新秩序カ建設セラレ且日本国ノ戦争遂行能力カ破砕セラレタルコトノ確証アルニ至ルマテハ聯合国ノ指定スヘキ日本国領域内ノ諸地点ハ吾等ノ茲ニ指示スル基本的目的ノ達成ヲ確保スルタメ占領セラルヘシ
  • 、「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルヘク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ
  • 、日本国軍隊ハ完全ニ武装ヲ解除セラレタル後各自ノ家庭ニ復帰シ平和的且生産的ノ生活ヲ営ムノ機会ヲ得シメラルヘシ
  • 、吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非サルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰加ヘラルヘシ日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スヘシ言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルヘシ
  • 十一、日本国ハ其ノ経済ヲ支持シ且公正ナル実物賠償ノ取立ヲ可能ナラシムルカ如キ産業ヲ維持スルコトヲ許サルヘシ但シ日本国ヲシテ戦争ノ為再軍備ヲ為スコトヲ得シムルカ如キ産業ハ此ノ限ニ在ラス右目的ノ為原料ノ入手(其ノ支配トハ之ヲ区別ス)ヲ許可サルヘシ日本国ハ将来世界貿易関係ヘノ参加ヲ許サルヘシ
  • 十二、前記諸目的カ達成セラレ且日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府カ樹立セラルルニ於テハ聯合国ノ占領軍ハ直ニ日本国ヨリ撤収セラルヘシ
  • 十三、吾等ハ日本国政府カ直ニ全日本国軍隊ノ無条件降伏ヲ宣言シ且右行動ニ於ケル同政府ノ誠意ニ付適当且充分ナル保障ヲ提供センコトヲ同政府ニ対シ要求ス右以外ノ日本国ノ選択ハ迅速且完全ナル壊滅アルノミトス
(出典:外務省編『日本外交年表並主要文書』下巻 1966年刊)

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2015年5月22日 (金)

「中学歴史教科書にみるポッダム宣言」その1

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(写真上、最近購入した育鵬社と東京書籍の中学校歴史教科書)
いつも利用している柳瀬川図書館には、小中学校の教科書コーナがあり、出版全社ではありませんが、それでも4社ほどの出版社の各教科の教科書が自由に閲覧出来ます。
実は、以前から教科書問題を調べる際にはこのコーナーで教科書閲覧をしていたのですが、最近は沖縄県石垣市の平成28年度から使用の中学校歴史教科書選定が気になり始めていました。
ご存知のとおり、沖縄県石垣市では、八重山列島の竹富町、与那国町の三市町村でつくる教科書採択地区の協議会を主導し、平成24年度から4年間使用の中学校の「社会・公民」教科書に保守的な育鵬社版を導入し、これに異を唱えた竹富町が独自の東京書籍版を選定し、様々な圧力に抗して教科書の無料配布まで勝ち取ったことは全国的に知られています。

同じ選択地区の社会の歴史教科書については、竹富町も含めて今は帝国書院版が選定されていますが、今までの教科書選定の経過から見て、石垣市では平成28年度からは、これを育鵬社版に変えたいという思いが強いのではないかと感じます。
さて、調べ始めた問題の育鵬社版の歴史教科書、それと我が志木市で使用している東京書籍版が実はこのコーナーに無かったのです。
志木市の使用教科書くらい、市立図書館で揃えて欲しいと思うのですが、図書館の係りの方に聞いても、あのコーナーの教科書は寄付された図書を展示したもので、特に志木市の教科書が入っているか確認もしていないという、ちょっと情けない回答でした。
仕方なく市内の教科書取扱店であるみやかわ書店に注文し、この2冊の中学歴史教科書を購入し、合計6社の沖縄戦に関係する記述等を、各出版社ごとに纒め始めていたところだったのです。
そんな中、安倍首相と共産党志位委員長の党首討論で、ポッダム宣言の解釈が討論されニュースになりました。
これについては、「きっこのブログ」が興味深く読めましたので、お知らせさせていただきます。英文と外務省の翻訳も見ることができます。
http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2015/05/post-018b.html  「きっこのブログ」

そんなことから、ついでといえばなんですが、沖縄戦の記述に関しては後に回し、急遽6社の中学校歴史教科書のポッダム宣言をまとめてみることにしました。

1、先ず、志木市でも採用している東京書籍版。新しい社会「歴史」 213頁と226頁に記載があります。
213頁「日本の降伏」
1945年7月、連合国はポッダム宣言を発表し、日本に無条件降伏を求めました。しかし、日本は、すぐにそれを受け入れませんでした。
アメリカは、原子爆弾を8月6日に広島、9日に長崎に投下しました。また、ソ連が、アメリカ・イギリス両国とのヤルタ会談での秘密協定にもとづき、8月8日に日ソ中立条約を破って参戦し、満洲や朝鮮に侵攻してきました。
 ようやく日本は、ポッダム宣言を受け入れて降伏することを決め、8月15日、昭和天皇がラジオ放送(玉音放送)で国民に知らせました。こうして、第二次世界大戦が終わりました。

226頁「敗戦後の日本」
敗戦後の日本の領土は、ポッダム宣言にもとづいて、北海道、本州、四国、九州とその周辺の島々に限られました。日本は、占領地から軍隊を撤退させただけでなく、朝鮮や台湾など日清戦争以後に獲得した植民地をすべて失ったのです。
日本の固有の」領土であっても、沖縄と奄美群島、小笠原諸島は、本土から切りはなされ、アメリカ軍の直接統治のもとに置かれました。また、北方領土は、ソ連によって占拠されました。

2、清水書院版。新中学校「歴史」日本の歴史と世界 243頁と248頁に記載があります。
243頁「日本のポッダム宣言受諾」
1945年7月、アメリカ・イギリス・中国は日本に無条件降伏をよびかけるぽっダム宣言を発表した。しかし、戦争続行を主張する軍人の力をおさえることはむずかしく、政府はぽっダム宣言に明確な反応を示さなかった。
(略)原爆投下、ソ連参戦などの記述
こうした事態を受けて、日本政府は8月14日にポッダム宣言を受諾し、翌15日、昭和天皇はラジオ放送を通じて」国民にこれを発表した。

3、自由社。中学社会 新しい歴史教科書
236頁、237頁、258頁に記載があります。
連合軍がベルリンに侵攻するとヒトラーは自殺し、ドイツ政府は崩壊した。5月、ドイツ軍は無条件降伏した。
7月、ベルリン郊外のポッダムに、米英ソ3国の首脳が集まり、26日、日本に対する戦争終結の条件を示したポッダム宣言を米英中3国の名で発表した。

ポッダム宣言が発表されると、鈴木貫太郎首相や主要な閣僚は、条件付きの降伏要求であることに着目し、これを受諾する方向に傾いた。しかし、陸軍は反対し本土決戦を主張してゆずらなかった。政府はしばらくソ連の仲介の返答をまつこととした。

8月9日深夜、昭和天皇の臨席のもと、御前会議が開かれた。ポッダム宣言受諾について、意見は賛否同数となった。
10日午前2時、鈴木首相が天皇の前に進み出て聖断をあおいだ。天皇はポッダム宣言の即時受諾による日本の降伏を決断した。

上記の東京書籍、清水書院、自由社の三社には、ポッダム宣言の条文の記載はありませんが、以下、帝国書院、教育出版、育鵬社には、部分的ながら条文の記載が見られます。
 ★中学歴史教科書に見るポッダム宣言」その2に続く

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2015年5月14日 (木)

普天間基地と横田基地

Futenma
沖縄県普天間基地


Yokota
東京都横田基地

昨日(2015年5月13日)の東京新聞朝刊に、同じ「まちのど真ん中」と題して、日米両政府が12日、米空軍が特殊作戦に使うCV22オスプレイを米軍横田基地に配備すると正式に発表し、突然の申し入れに地元自治体が困惑しているとの記事を掲載し」、両基地の大きな写真も掲載しました。
この、写真は東京新聞掲載のものではなく、横田基地もかなり古い写真です。それでも、両基地とも市街地に囲まれているのがよくわかります。
まさに「まちのど真ん中」です。(普天間基地の写真はクリックすると拡大します)

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2015年5月13日 (水)

ラベンダーの花

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庭に植える他の花とともに、ラベンダーを一鉢だけ購入しました。
なんとも恥ずかしい限りですが、僕は今まで紫色の穂先全体がラベンダーの花と思っていたのです。よく見かけるドライフラワーからもそんな感じを受けていました。
身近に置いたことでよく観察して見たらなんと、あれは蕾の集合体で、そのひとつひとつから小さな花が咲いているのを発見。僕は発見と言うけれど、これ当たり前のことで知らないのがおかしいと言われてしまいました。ルーペで覗くとちゃんと花らしい姿をしています。

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2015年5月12日 (火)

「神様のカルテ0」と「八月の六日間」を読む

Dsc00179_1024「神様のカルテ0」「八月の六日間」を読みました
 共に爽やかな読後感を持たせてくれた小説でした。
「神様のカルテ0」は、作者、夏川草介さんの既刊、同シリーズの1,2,3巻に続く最新刊ですが、0の題でわかるように、話は前に戻って、「1」以前の主人公栗原一止に係わる友人達、そして勤務先に選んだ本庄病院の人達の姿を描いています。
なるほど、こういう経過をたどって、「1」に至ったのかが良くわかります。
本作は4章に分かれていますが、その最終章「冬山記」は読み始めは別の短編かと思いました。
それが思いがけない驚きにかわり、僕を喜ばせてくれたのです。
冬の北アルプス、その常念岳、蝶ヶ岳に登る単独行の男性と若い夫婦、そして女性山岳カメラマンの姿が描かれています。
稜線から滑落遭難し、自ら生還しようという意思と、今後の生きる希望も見失しなっている単独行の男性を単身救助するベテランの登山者、この女性カメラマンこそ、後に栗原一止と結婚することになる愛すべき人、ハルさんこと片島榛名その人とわかったのです。
そうかハルさんはこんなに強くすごい女性だったのかと、なんだかもう一度ハルさんに出会いたいと全作品を読みたくなってしまい、1,2,3巻を図書館で借りて連休中に読んでしまったほどでした。
(冬山ではありませんが、僕も50年以上前の11月末、燕岳から槍ヶ岳を目指し、燕岳の燕山荘冬季小屋で2日間吹雪に閉じ込められたことがあります。
残る日程を考え、槍ヶ岳までの計画を諦め、新雪を踏んで烈風の大天井岳を越えて常念小屋に向かい、沢渡までの長い道のりを考えると、なんとかその日のうちに横尾まではと、そのまま小屋横から一ノ俣谷を下降路にしました。雪の積もった一ノ俣谷は、荒廃した登山道が想像以上に難ルートと化して、途中でビバークを余儀なくされ、大袈裟に言えば、死ぬ思いを味わされた苦い思い出があります。)

「八月の六日間」は北村薫さんの3年ぶりの小説。
出版社で文芸雑誌の副編集長をしている女性が、同僚の女性に誘われて登った小さな山で、パーテイのちょっとした道迷いから涸れ沢に入り込み、そこで見た目の前に広がる紅葉の山の美しさ、魅力に圧倒されます。
その後、初心者としての段階を踏みつつ、一人で四季の山に登るようになる様子が、私という一人称で山の紀行文風に書かれています。
小説は5章に分かれ、九月の五日間では、燕岳から槍ヶ岳へ。二月の三日間では、裏磐梯でのスノーシュー。十月の五日間では、蝶ヶ岳から常念岳を越えて大天井岳から燕岳へ。
五月の三日間では、北八ヶ岳へ。
最終章の本の題にもなっている八月の六日間では、雲の平、三俣蓮華、双六岳から新穂高温泉までの登山の様子が描かれます。
同僚の女性編集者、そして山で出会った人たちとの心の触れ合いの描写が秀逸で、女性が癒され立ち直ってゆく様子が、登山中に描かれる山の美しさに併せて、読む者に共感と山への憧憬を誘う、山好きには堪えられない一冊でした。お薦めです。
トップの槍ヶ岳の写真が美しく、書店員の方々からの読後評もとても良いし、小説の一部がラジオドラマ化されていますので「八月の六日間」の公式HPも覗いてみてください。
http://www.kadokawa.co.jp/sp/2014/8gatu/ 八月の六日間公式サイト

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