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2015年3月22日 (日)

松本城へ

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久しぶりに信州、松本城を訪ねました。城のプラモデル作りが好きなチビスケ2号(小6)が松本城も作ったよと言うので、よし本物を見ようと誘っての旅です。
新宿を朝8時ちょうどの、あずさ2号♫♫ならぬスーパあずさ5号で立つと、10時38分には松本に到着し、その日はゆっくりと市内見物ができるのです。
若い頃、山の行き帰りに幾度となく利用した松本駅ですが、わずかな乗換や列車待ち時間の合間に、あわただしくそばを食べに行ったり、駅前にあった銭湯「おかめの湯」で山行の汗を流す程度で、市内を観光することなどありませんでした。
いまや伝説となっていますが、いつも番台に座っていたきれいなお姉さんが、汗臭くむさ苦しい山男達を迎えてくれた「おかめの湯」を懐かしく思い出します。
朝比奈菊雄さんが、山の文芸誌「アルプ」に「僕のカトマンズ」松本の詩と題して、松本の街を愛着を込めて書かれていたのもこの頃のことです。
でも当時の僕たちに城下町のたたずまいを残す路地を歩き、軒先越しに美しい常念岳を仰ぎ見る余裕は残念ながらありませんでした。

松本城は、以前来た時より城廻りの公園が美しく整備されていました。数年前に復元されたという真新しい太鼓門から中に入り、チビスケがプラモデルのとおりだという黒い天守閣に登りました。内部の階段が以前より急に思えたのは年のせいでしょうか。
天守からは、美しい北アルプスの山並みが見渡せ僕は山ばかり見ていました。チビスケに赤い月見櫓も作ったのと聞くと、もちろんだよと自慢げに答えました。本物と出会えてうれしかったのでしょう。
松本城を出て、歩いて僕も初めての旧開智学校を見ました。地元松本の大工である棟梁立石清重のが設計施工とのことですが、明治8年という、維新直後の時期にこれだけの擬洋風建築を作り上げる当時の地方大工棟梁の確かな技量に感心しました。
昼食は開智学校からタクシーに乗り、有名な名水、源智の井戸横のそば店「源智のそば」で食べました。小さなそば店でしたがとてもうまいそばでした。水も良いからでしょう。
松本は、豊富な地下水が湧出する湧水地帯で、市街地中心部には今なお多くの自噴井戸や湧水が点在しているのだそうです。
そこから、高砂、縄手、大名などの通りを散策しました、どこも電柱が撤去されて、石畳のきれいな街並みが整備されて、観光客が大勢そぞろ歩きをしていました。
今日の行程はすべてチビスケの立案なのです。今夜は浅間温泉に宿泊です。
初めてゆっくりと歩いた松本は城下の雰囲気を残す素敵な街だと思い、今は処分してしまったアルプの「僕のカトマンズ」を読み返したいと思ったのでした。

松本から諏訪を廻ったチビスケとの旅から戻り、少し風邪気味だと感じていたのですが、予約していたので平塚胃腸病院での内視鏡検査を受けました。小さなポリープを取り、検査は無事に終わったのですが、やはり一日がかりの検査のダメージは大きく、翌日から寝込む羽目になりました。インフルエンザではなかったのですが、腰が痛くて夜も眠れず往生しました。改めて腰痛の辛さを実感したのです。今日はやっとよくなり、久しぶりにパソコンに向かうことができました。
気が付けば、我家の周りもずいぶん春の気配が感じられるようになり、庭のチューリップ、都忘れ、トキンイバラ、忘れな草などの蕾も膨らんできました。春はそこまで来ています。
楊瀬川土手の桜の開花ぶりや、遡上してくるマルタウグイの様子も気になるこの頃です。


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コメント

お孫さんと城見の旅、いいですね~。
松本城へは昔ツーリングで寄りましたが、お堀の外から眺めただけ、でもあの黒い天守閣がすごく印象的でしたね~。

投稿: トックリヤシ | 2015年3月23日 (月) 09時04分

>トックリヤシさま
大阪城を見学されていたようですね。松本城はロケーションが素晴らしい。城壁の鉄砲狭間はありませんが、天守内は、矢狭間兼鉄砲狭間の穴だらけです。晴天に恵まれ、良い旅ができました。

投稿: Souroku | 2015年3月24日 (火) 09時46分

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