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2015年3月31日 (火)

花の公園---西原ふれあい第3公園

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今日も花の話題です。
柳瀬川土手の桜も見事ですが、今、柳瀬川駅近くの西原ふれあい第3公園の園内と外周道度脇の春の花々が実に綺麗に咲いています。ぜひ、ご覧になってください。
春といえば、つくしも芽を出しているのを見つけました。「やあ、出てきたね」とちょっと可愛いです。(写真4枚目)

28日(土)には、西原斜面林の手入れに参加して、ヤブランの剪定を手伝いました。(写真6枚目)
NPO法人「エコシティ志木」のみなさんの努力で、貴重な斜面林が保護されて、綺麗なDsc00065_1024花が守られているいることを改めて強く感じたのでした。

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2015年3月30日 (月)

2015年柳瀬川の桜開花状況その3---満開です

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3月30日(月)午前8時の柳瀬川土手の開花状況です。
「満開」とお伝えします。今年は例年よりピンク色が濃いように思えます。
ほとんどの露天商も店開きしていて、今週いっぱい、お花見が楽しめるでしょう。Dsc00072_1024


ところで、遡上時期を迎えているマルタウグイですが、昨日までに、何度か遡上する群れを見ましたが、昨年のような川面を埋め尽くすような大魚群を見ることは、まだありません。これからどうなるでしょうか。

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2015年3月28日 (土)

2015年柳瀬川の桜開花状況その2---二分咲きですがすぐに満開になりそう

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2015年3月28日(土)朝8時の開花状況です。
花はまだ二分咲といったところですが、土手の桜並木全体がピンク色になっています(写真上)
おそらく今日の暖かさで、夕方には3~5分咲きくらいにはなるかもしれません。
残念ですが明日の雨天が惜しまれる状況です。屋台も店開きの準備に忙しそうでした。
土手下で青いビニールシートを広げ、場所取りをしている若者もいましたよ。

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2015年3月25日 (水)

2015年柳瀬川の桜開花状況その1---開花しました

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3月25日(水)柳瀬川土手の開花標準木、NO.11が開花しました。昨年の開花も、同じ3月25日でした。
標準木といっても、あくまで僕が勝手に決めて、毎年の開花宣言をしている桜です。
一昨年でしたか、市がいつの間にか柳瀬川土手の桜の木の番号札を付け替えてしまい、あれどの木だったかと爺さんを慌てさせてくれましたが、今年はしっかり覚えていました。
柳瀬川駅から志木大橋に向かう右岸にある、枝ぶりの良い桜です。
今日の午後、強い風の中、花が4,5輪咲いていましたので、開花とします。
他のほとんどの木は、蕾が膨らんでピンク色になってはいますが、まだまだの状況で、おそらく今週末は3分咲きといったところでしょうか。花の見頃は来週ですね。でも、露天屋台の準備は始まったようです。
今、志木ニュータウン内は、シロヤナギ、レンギョウ、コヒガンサクラ、ボケ、ハクモクレン(写真上から)など春の花が一斉に咲き始め、とても綺麗ですよ。一本の木に二色の花が咲く源平枝垂も咲き始めています(写真一番下)
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2015年3月24日 (火)

辺野古 政府対応はあまりに不条理! 

沖縄と安倍政権の対立。我、沖縄県にお味方いたしますぞ。

安倍政権閣僚、政府高官達よ、「県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを」太田実海軍陸戦隊司令官の残した言葉を今こそ思い出そう。
戦没者慰霊のため、パラオを訪問される天皇、皇后両陛下も、先の大戦による沖縄住民の
犠牲と苦しみを思って、沖縄と日本政府の対立にお心を痛めておいでですぞ。

菅官房長官よ「この期に及んで」とは何たる言いざま。公約破りの悪相、前仲井真知事と謀り、彼を東京に禁足し病気と偽り入院させ、札束をちらつかせて任期終了直前に引き出した許可を、偉そうに振りかざすな。

「沖縄県民にご理解を求めながら粛々と」ご理解を求めているだと!理解以前の問題ではないか、粛々とは片腹痛い。粛々という言葉を二度と使うな。

「法治国家」だと。笑わせるな! 安倍政権が使える言葉ではない。

ーーー怒り心頭でござる。まだまだ続きますぞ


さあ、沖縄県と名護市に「ふるさと納税」で応援しよう。

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2015年3月22日 (日)

松本城へ

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久しぶりに信州、松本城を訪ねました。城のプラモデル作りが好きなチビスケ2号(小6)が松本城も作ったよと言うので、よし本物を見ようと誘っての旅です。
新宿を朝8時ちょうどの、あずさ2号♫♫ならぬスーパあずさ5号で立つと、10時38分には松本に到着し、その日はゆっくりと市内見物ができるのです。
若い頃、山の行き帰りに幾度となく利用した松本駅ですが、わずかな乗換や列車待ち時間の合間に、あわただしくそばを食べに行ったり、駅前にあった銭湯「おかめの湯」で山行の汗を流す程度で、市内を観光することなどありませんでした。
いまや伝説となっていますが、いつも番台に座っていたきれいなお姉さんが、汗臭くむさ苦しい山男達を迎えてくれた「おかめの湯」を懐かしく思い出します。
朝比奈菊雄さんが、山の文芸誌「アルプ」に「僕のカトマンズ」松本の詩と題して、松本の街を愛着を込めて書かれていたのもこの頃のことです。
でも当時の僕たちに城下町のたたずまいを残す路地を歩き、軒先越しに美しい常念岳を仰ぎ見る余裕は残念ながらありませんでした。

松本城は、以前来た時より城廻りの公園が美しく整備されていました。数年前に復元されたという真新しい太鼓門から中に入り、チビスケがプラモデルのとおりだという黒い天守閣に登りました。内部の階段が以前より急に思えたのは年のせいでしょうか。
天守からは、美しい北アルプスの山並みが見渡せ僕は山ばかり見ていました。チビスケに赤い月見櫓も作ったのと聞くと、もちろんだよと自慢げに答えました。本物と出会えてうれしかったのでしょう。
松本城を出て、歩いて僕も初めての旧開智学校を見ました。地元松本の大工である棟梁立石清重のが設計施工とのことですが、明治8年という、維新直後の時期にこれだけの擬洋風建築を作り上げる当時の地方大工棟梁の確かな技量に感心しました。
昼食は開智学校からタクシーに乗り、有名な名水、源智の井戸横のそば店「源智のそば」で食べました。小さなそば店でしたがとてもうまいそばでした。水も良いからでしょう。
松本は、豊富な地下水が湧出する湧水地帯で、市街地中心部には今なお多くの自噴井戸や湧水が点在しているのだそうです。
そこから、高砂、縄手、大名などの通りを散策しました、どこも電柱が撤去されて、石畳のきれいな街並みが整備されて、観光客が大勢そぞろ歩きをしていました。
今日の行程はすべてチビスケの立案なのです。今夜は浅間温泉に宿泊です。
初めてゆっくりと歩いた松本は城下の雰囲気を残す素敵な街だと思い、今は処分してしまったアルプの「僕のカトマンズ」を読み返したいと思ったのでした。

松本から諏訪を廻ったチビスケとの旅から戻り、少し風邪気味だと感じていたのですが、予約していたので平塚胃腸病院での内視鏡検査を受けました。小さなポリープを取り、検査は無事に終わったのですが、やはり一日がかりの検査のダメージは大きく、翌日から寝込む羽目になりました。インフルエンザではなかったのですが、腰が痛くて夜も眠れず往生しました。改めて腰痛の辛さを実感したのです。今日はやっとよくなり、久しぶりにパソコンに向かうことができました。
気が付けば、我家の周りもずいぶん春の気配が感じられるようになり、庭のチューリップ、都忘れ、トキンイバラ、忘れな草などの蕾も膨らんできました。春はそこまで来ています。
楊瀬川土手の桜の開花ぶりや、遡上してくるマルタウグイの様子も気になるこの頃です。


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2015年3月12日 (木)

脱原発の実現まで声を発し続ける

大江健三郎(80歳)さんが、日本外国特派員協会での記者会見で「原発がない世界を実現するほかはない。声を発し続けることが、自分にやれるかもしれない最後の仕事だ」語り、原発の再稼動を推し進める日本政府の姿勢を「大事故への反省、再出発という意識がない」と批判しました。

声を発し続けることが大事だという大江さんの言葉、僕は心に刻みます。
原発再稼動を狙う政府の原発推進の意向を受けて、デモに対する警備の強化、反対する著名人への圧力、マスコミの政権寄りの報道、放射線の影響危惧に対する偏見等、脱原発運動への風当たりが強くなっていることを実感します。
読売、産経新聞などの経済優先が先決とする記事からの影響も」あるのでしょうが、街頭デモ中でも、参加者に対して批判的言動をとる人たちも増えているように思います。
来日したドイツのメルケル首相の助言も、まったく意に返さない安倍政権ですから、原発再稼動は強行するでしょう。
立ちふさがる壁は厚くとも、原発に頼らない日本を目指して、大江さんの声に励まされ原発反対の声をあげ続けることを改めて決意しました。

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2015年3月 5日 (木)

縄文杉を見ました

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3月2日(月)11時30分。遂に縄文杉を目の当たりにした。薄く靄のかかった青空を背に、ずっしりとそびえる巨木。
屋久島の苔むす大地に根を生やす大樹というより、花崗岩を突き抜けてせりあがる生き物のような圧倒的迫力。
想ったより枝葉は少い。コブと凹凸で木肌は幾筋もの灰色の筋肉のようだ。台地に触れる部分は怪鳥の足の爪か。幾千年の風雪に耐え生き続ける一本の杉に、これほどまでの存在感をもたらした屋久島の自然の持つ大いなる力。
古老の話を信じ、山中を長年探し求めて、遂にこの神秘の巨木に対面した発見者の驚きと喜びは如何ばかりだったろうか。

羽田より屋久島空港までの往復航空券付が魅力で、空港近くのホテルがセットされた3泊4日のパックプランで屋久島に来てしまいました。もちろん屋久島は初めてで、縄文杉まで登れることを期待した旅です。
「3月1日」
悪天候で着陸が危ぶまれる事態もありましたが、なんとか双発のプロペラ機は雨の屋久島空港に到着。無事、空港前の「縄文の宿まんてん」にチェックイン出来ました。
(ちなみに、屋久島空港は管制塔が無く、パイロットの有視界での離着陸なので、風雨が強い場合、欠航することが多いようで3日の午後も鹿児島行きは欠航しました)

「3月2日」
僕は初めてのガイド付きツアーで、縄文杉に向かいます。10時間以上もかかる行程は無理だと、かみさんは一人で屋久杉ランドへ。
朝、4時15分、今日のガイドの若い上田太郎君が車で迎えに来てくれました。
同じ宿から、新潟から来たHさん夫妻、そして途中で北海道から来たKさんも合流して同行は4人となりました。Kさんは前日の1日に行われた「屋久島ビーチ&トレイルラン」の38kmを走ったばかりというから驚きの女性です。

屋久杉自然館前で、登山バスに乗り換え、35分ほどで荒川登山口に到着。バスのチケットは前日に空港前の観光案内所で往復券を購入しておきました。片道870円です。
登山口で朝食後、6時に縄文杉に向けて出発です。
周囲はまだ暗く、全員ヘッドランプを付けます。ここから約40分程、ランプで足元を照らしながら歩きました。屋久島は関東地方より、3、40分日の出が遅いのです。
このトレッキングで出会えるものを思うと、通常の山歩きとは違う高揚感があります。
登山口から約3時間、ひたすらトロッコ道と呼ばれる、かっての木材運搬用トロッコ車両の軌道を歩きます。現在もダム点検などで使われているとかで、2本の錆びたレールが敷かれています。途中、岩をくり抜いたトンネル、いくつかの橋などが有り、安房川に沿った軌道は続きます。
僕が若いころの山々には、今は消えてしまった山仕事用の軌道が多く残っていて、歩きにくい枕木を踏んで登った記憶がよみがえります。冬の北鎌尾根の帰路、夜道に第五発電所の明かりだけがまぶしく輝いていた高瀬川沿いの長い軌道歩きは忘れられません。
ここ小杉谷も林業の盛んだった50年以上前には、500人以上が暮らしていたという小杉谷集落跡では、説明版を読んで、こんなところにも小中学校があったのだと驚かされました。小さな校庭跡が広場になっています。
縄文杉を目指すグループは圧倒的に若い人が多く、ガイドの説明に明るい笑い声が響きます。我がガイドの上田君も、高齢の僕を気遣ってか、後続のグループに道を譲り、植物のことなど説明してくれながらゆっくりとしたペースで歩いてくれます。重いザックを担ぎながら、笑顔を絶やさない素敵なガイドです。
トロッコ道から見える三代杉、そして仁王杉を過ぎて約15分ほどで、大株歩道入り口に到着。長い軌道歩きの終点です。
ここでトロッコ道と別れ、縄文杉に向けて本格的登りとなります。コース上最後のトイレがここに有り、ゴールデンウイークなどには大混雑するそうです。
緩い勾配が続いたトロッコ道から山道に入ると、最初から、急勾配の木の階段を上ることになりました。これより、上り下りの登山者が、道を譲り合わざるを得ない細い登山道が続きます。
40分程歩いて、最初に現れたのが、翁杉。5年前に倒木してしまった惜しまれる巨木です。そこからすぐにウイルソン株。株の中に入ると、ハート形の穴が見上げられます。若い女性グループが、写真を撮り合っています。
ここからが急坂の続くきつい登りとなりました。岩場の上り下りと、幾つもの木の階段が続きます。やがて大王杉に到着。
登山道から少し離れていますが、見上げると大王杉の名に恥じない堂々たる大樹が聳えています。推定樹齢3000年、縄文杉が見つかるまで、屋久島で最大の杉だったとのことです。た。
大王杉から、5分ほど登ると木のベンチの有る休憩ポイントがあり、ここで昼食をとりました。
ガイドの上田君から、あと45分ほどの行程なので、ここに荷を置いて縄文杉まで往復しようとの提案が有り、ザックをおいて出発。あたりの森が深くなりました
2本の木の枝が、地上10メートルほどのところで合体している珍しい樹形の夫婦杉を見てから約30分、岩場の多い登山道を登りきると、縄文杉を保護する土塁、木柵、保護シートが見え、展望デッキに登る階段を上ると目の前に、縄文杉の全貌が現れました。
上田君が、時間をはかりながら登ってくれたので、我々以外にはもう、数パーティがいるだけの静かな雰囲気のなかで、じっくりと縄文杉と対面することが出来ました。
縄文杉の生まれた、はるか古代に思いをはせ、感動の時を過ごした後、素敵な同行者たちと、明るく優しいガイドの上田君と共に、楽しく登れたことに感謝し、帰路についたのでした。
さすがに帰りのトロッコ道は長く感じましたが、安房川の河原で休憩をとったりして、夕方5時の登山バスが待つ登山口まで戻り、11時間の今日の行程を終えました。
高齢の僕を上手に歩かせてくれた上田君と、3人の仲間たち、ありがとうございました。

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