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2014年9月 8日 (月)

秀峰岩木山に登る

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Dsc01914_1024(写真上、山頂目指して)
(写真左、8合目からの登山リフトを降りると目の前に山頂が見えます)
(すべての写真は、クリックすると拡大します)

2014年9月4日(木)午前10時
日本海の海岸線が眼下にはっきりと見えます。独立峰ならではの360度、さえぎる物の無い展望が広がる山頂に立ち、長年憧れていた本州北端の秀峰、岩木山に登る事が出来ました。

昨日(9月3日)早朝、埼玉の自宅を出て、大宮駅から新幹線で新青森に到着。
すぐにタクシーでこれも長年訪れたかった「三内丸山遺跡」に。
広大な縄文遺跡を大いに興奮しつつ時間をかけて見学してから、新青森駅に戻り、奥羽本線で弘前駅へ。僕もかみさんも弘前は初めてなのです。
弘前城などの市内見学は最終日にすることにして、駅前から旅館の迎えの車に乗り登山口のある嶽温泉まで来て宿泊し、今朝一番のバスで8合目までやってきたのでした。
今回は、かみさんと一緒の旅ながら、岩木山登山、三内丸山遺跡探訪、そして弘前の古い建築物見学と盛りだくさんの計画は、すべて僕の行きたかった場所ばかりです。
岩木山は簡単に登れるよと誘った手前、「嶽登山道」、「百沢登山道」など麓からからの登山コースは選ぶわけにはいかず、嶽温泉に二泊する湯治を兼ねた豪華楽々登山です。

嶽温泉からの岩木スカイラインのバス便は少ないのですが、朝8時半出発のバスに乗れば、8合目まで約40分、そこからリフト利用で9合目に至り、そこから岩のごろごろした登山道をゆっくり登って約45分ほどで、北の秀峰1625mの岩木山山頂に立つことが出来ました。
登ってみて改めてこの山は、山頂近くの火山特有の岩場登りだけでなく、高原から森や沢、雪渓それから山稜へと、高山植物を愛でながら歩いてこそ感激できる山だと思ったのですが、登山にかける残された時間の限りあることを考えれば、こんな登り方もあるのだと自分を納得させるのでした。
かみさんは頂上もよし、登りの時間も適当だが、岩ばかりの登りにくい道は面白くないとの感想。それはそうです。山登りの苦しくも楽しい部分を省いている変則登山ですから。
でも、なんのかんの言っても山は良いですね。しみじみそう思います。岩木山、素晴らしい山でした。

岩木山は皆さんご存知のように日本100名山です。深田久弥さんの著書「日本百名山」の北海道9山の次、本州では最初になる10番目に書かれています。
深田さんは、百名山の各山の記述約1800文字の中で、ご自身が登った登山記録の様子はどの山もその3分の1程度にとどまり、ほとんどを山の様子や歴史に割かれています。

それは百名山の後記の山の選定基準にも書かれています。

○選定についてまず私は三つの基準をおいた。
その第一は山の品格である。誰が見ても立派な山だと感歎するものでなければならない。高さでは合格しても、凡常な山は採らない。厳しさか強さや美しさか、何か人を打ってくるもののない山は採らない。人間にも人品の高下があるように、山にもそれがある。人格ならぬ山格のある山でなければならない。
第二に、私は山の歴史を尊重する。昔から人間と深いかかわりを持った山を除外するわけにはいかない。人々が朝夕仰いで敬まい、その頂に祠をまつるような山は、おのずから名山の資格を持っている。山霊がこもっている。ただ近年の異常な観光業の発達は、古い謂れのある名門の山を通俗化して、もはや山霊も住み所がなくなっている。そういう山を選ぶわけにはいかない。
第三は個性のある山である。個性の顕著なものが注目されるのは芸術作品と同様である。その形体であれ、現象であれ、乃至は伝統であれ、他には無く、その山だけが具えている独自のもの、それを私は尊重する。どこにでもある平凡な山は採らない。もちろんすべいぇの山は一様でなく、それぞれの特徴は持っているが、その中で強烈な個性が私を惹くのである。
付加的条件として、大よそ千五百米以上という線を引いた。

「岩木山」については、深田さんは太宰治の小説「津軽」を引用していますので、恐れ多いのですが、僕もそれを真似させてもらいます。「青空文庫」から頂きました。

「や! 富士。いいなあ。」と私は叫んだ。富士ではなかつた。津軽富士と呼ばれてゐる一千六百二十五メートルの岩木山が、満目の水田の尽きるところに、ふはりと浮んでゐる。実際、軽く浮んでゐる感じなのである。したたるほど真蒼で、富士山よりもつと女らしく、十二単衣の裾を、銀杏(いてふ)の葉をさかさに立てたやうにぱらりとひらいて左右の均斉も正しく、静かに青空に浮んでゐる。決して高い山ではないが、けれども、なかなか、透きとほるくらゐに嬋娟たる美女ではある。
「金木も、どうも、わるくないぢやないか。」私は、あわてたやうな口調で言つた。「わるくないよ。」口をとがらせて言つてゐる。
「いいですな。」お婿さんは落ちついて言つた。
 私はこの旅行で、さまざまの方面からこの津軽富士を眺めたが、弘前から見るといかにも重くどつしりして、岩木山はやはり弘前のものかも知れないと思ふ一方、また津軽平野の金木、五所川原、木造あたりから眺めた岩木山の端正で華奢な姿も忘れられなかつた。西海岸から見た山容は、まるで駄目である。崩れてしまつて、もはや美人の面影は無い。岩木山の美しく見える土地には、米もよくみのり、美人も多いといふ伝説もあるさうだが、米のはうはともかく、この北津軽地方は、こんなにお山が綺麗に見えながら、美人のはうは、どうも、心細いやうに、私には見受けられたが、これは或いは私の観察の浅薄なせゐかも
知れない。」Dsc01915_1024

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(うす曇りで、霞がかかっているような状態ですが、写真以上に日本海の海岸線がよく見えました。双眼鏡があれば、漁港の船まで見えそうです)



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(田澤拓也さんの著書「空と山のあいだーー岩木山・大館鳳鳴高生の五日間」で知られていて、テレビドラマ化されたこともある鳳鳴高校山岳部の4名が亡くなった冬山遭難の関係者の建てられた避難小屋です。彼らの登山コースであった百沢登山道の分岐地点近くに建てられています。遭難は昭和39年1月のことです。今年遭難50周年の慰霊祭が行われました。
この避難小屋から上部の急傾斜の岩場は「第一おみ坂」と呼ばれ落石の多い危険地帯です。後方の大岩は御倉石)


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(もうすぐ山頂)

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(岩木山山頂)

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コメント

お岩木やま・・・、遠くから眺めたことしかありませんが
なるほど、とても親しみやすいお山だったのですね~。

投稿: トックリヤシ | 2014年9月 9日 (火) 08時48分

>トックリヤシさま
僕も遠望や写真で、津軽富士と呼ばれる美しい姿にあこがれていたのです。嶽温泉や弘前を訪ねたことで、この山が如何に地元の人に愛されているか、強い信仰の対象になっているかがわかりました。全国ふるさと富士の人気投票第一位だそうです。

投稿: Souroku | 2014年9月10日 (水) 10時32分

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