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2014年8月31日 (日)

清瀬市ひまわりフェステバルに行きました

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昨日の土曜日、清瀬市の「ひまわりフェステバル」に行き、10万本と発表されているひまわり畑を見てきました。
この催し、実は今日、8月31日(日)が最終日で、終了と同時にひまわりは畑にすきこまれてしまうそうです。
志木駅南口から清瀬駅北口行きのバスに乗り、約25分くらいの乗車で、ひまわりフェステバル会場の下車駅「下宿入口」に着きます。
バス停は会場から徒歩5分ほどのところにあります。
土曜日でもあり、見物の人たちが大勢詰めかけていましたが、これでも8分咲きだという、ひまわり畑の中を歩き回ったり、仮設の展望台に上がって眺め、見渡す限りを黄色に染める、ひまわりの大群落を楽しんできました。
会場の中の売店で、100円で2本という25cmもの大きなひまわりを買って帰り、居間の花瓶に活けられて室内がぐんと華やかな雰囲気になりました。
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2014年8月24日 (日)

子供たち、宿題は終わらせましたか!

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子どもたちの夏休みも残るところあと1週間となりました。
東京新聞に連載のマンガ、朝刊の「おーい栗之助」そして夕刊の「ウチのげんき予報」
共に宿題を題材に実に傑作です。
中学生の頃の8月31日、他にやり残してある、というよりほとんど手つかずの宿題を気にしつつ、図画を2枚書いていた苦しい夜を思い出します。なぜ、早めにやっておかなかったのだろう。馬鹿者め!
(マンガはクリックすると拡大します)

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2014年8月21日 (木)

ルドベキアが咲いている

Dsc01850_1024 連日、志木市も外気温が34度を越える日が続いています。
テレビで高い気温が報道される熊谷や鳩山町などと、そう変らないのが我が町です。距離的にも離れていません。
窓を開け放して寝ると、一晩中セミの大合唱が眠りを妨げ、ベランダにも時々バタバタ音を立ててやってきます。
志木ニュータウンはセミの宝庫です。小さな子供でも1時間ほど虫取り網をもって探せば、20匹以上は採集できます。
中央公園の樹木の下には、無数の小さな穴を見つけることが出来ます。これが全部セミの幼虫が這い出した穴かと驚かされます
白く乾いて植木もぐったりしている我家の小さな庭に、雑草だけは抜いても抜いても生えてきてうんざりします。
それと、この強い日差しと暑さの中、唯一元気なのが写真の「ルドベキア」です。秋になって枯れても、また翌年芽を出して黄色い花を咲かせます。ちいさなひまわりという感じの花です。
夕立があれば嬉しいいのですが、今日も望めそうもありません。
今月、青森の岩木山に登り、ついでに三内丸山遺跡を見学し、直径1mを越える巨大な木柱跡から想像される高さ20mもの建造物などに思いを巡らしたいと計画しているのですが、東北地方は降雨が続いていて、なかなか実現できません。

広島市の土砂崩れ現場では、3時間に217.5ミリの集中豪雨に見舞われたとの事。
建築設計の排水計画でもこんな数値は想定外です。
こんな異常な雨が日常的に降るようになれば、全国の山裾の住宅地はどこも危険です。
特に沢筋の下流地域の扇状地の造成地など、居住危険地域として住宅を放棄せざるを得ない場所も多数存在するでしょう。
 山に向うべく、村落を歩いていると、沢の横に土石流の危険を知らせる看板が立っているのを見る事があります。
危険性の注意喚起だけでは、もう対応できない事態が起こることを今度の広島市の事故は教えています。
最近の異常降雨量を前提にした、河川の氾濫、土砂災害の全国的な抜本的防災対策の見直しが急務でしょう。
残念ながら、もう住んでいてはいけない場所が有る事を知り、いやでもそれと向き合う事になるでしょう。国レベルの課題です。

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2014年8月12日 (火)

海賊対処法によるソマリア沖船舶護衛その39(2014年6月、7月)---シーレーン防衛の幻想

インド洋給油活動の時と同じように、派遣前には、あれほど大騒ぎしたマスコミが、その後の状況をまったく報じなくなった、海賊対処法によるソマリア沖派遣護衛艦の毎月の活動を書いています。(防衛省、国土交通省海事局発表資料、ソマリア沖EU部隊、NATO部隊資料、CTF-151部隊、海上自衛隊情報、ジブチ情報その他資料による)

*平成26年6月の海賊対処法による船舶護衛実績(569回護衛~578回護衛の10回)護衛艦(第18次派遣部隊) うみぎり  いなづま(ゾーンディフェンス艦)     
(6月4日~8日と、19日~22日の2回、ジブチ基地に停泊し補給、乗組員休養)
(6月10日~13日の行動発表なし)

護衛した船舶  日本籍船 0隻
   日本の船舶運航事業者が運航している外国籍船    7隻
  合計7隻 1回平均0.7隻                                    
                外国籍船 24隻  1回平均2.4隻

10回の護衛中、日本貿易関係船舶が0隻だったのは、571、572、573、574、576、578、回の6回です。
◎日本の船舶運航事業者の運航している外国籍船(日本の貿易関係船舶)7隻中、タンカーは3隻、LPG船1隻、コンテナ船1隻、一般貨物船2隻
◎外国籍船24隻のうち、タンカーは6隻
◎外国籍船の
船舶運航会社の国籍
1.中国 4隻(うちタンカーは2隻)
2.ギリシャ 1隻
3.トルコ 6隻
4.シンガポール 5隻
5.ドイツ 1隻
6.インド 3隻
その他 4隻

*平成26年7月の海賊対処法による船舶護衛実績(579回護衛~586回護衛の8回)護衛艦(第18次派遣部隊) うみぎり  いなづま(ゾーンディフェンス艦)     
(7月16日~21日の6日間、ジブチ基地に停泊し補給、乗組員休養)


護衛した船舶  日本籍船 0隻

   日本の船舶運航事業者が運航している外国籍船    7隻
  合計7隻 1回平均0.87隻                                    
                外国籍船 21隻  1回平均2.62隻

◎8
回の護衛中、日本貿易関係船舶が0隻だったのは、579、583、585、586回の4回です。
◎日本の船舶運航事業者の運航している外国籍船(日本の貿易関係船舶)7隻中、タンカーは2隻、LPG船3隻、コンテナ船2隻
◎外国籍船21隻のうち、タンカーは6隻
◎外国籍船の
船舶運航会社の国籍
1.中国 6隻(うちタンカーは2隻)
2.ギリシャ 4隻
3.トルコ 2隻
4.シンガポール 2隻
その他 7隻
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 上図は、現在海上自衛隊ホームページに掲載されている海賊対処活動の説明図です。
しかし、この図は現状の自衛隊活動から見ると誤りで、何故海上自衛隊が半年以上も訂正しないのかわかりません。
なぜなら、昨年(2013年)12月より、2隻の護衛艦のうち、1隻はエスコート方式と呼ばれる上図に示される船団護衛から離れて、CTF151に参加し、広範囲の海域を監視巡回し海賊が民間船舶に近づかないよう警備するゾーンディフェンス活動を行っているからです。
自衛隊がCTF151に参加する問題は、7月6日のブログに書きましたので今日は省略します。

ともかく、何度も書いていますが、海上自衛隊の護衛艦により護衛される、中国船籍を筆頭にする船舶数は平均で3隻程度であり、日本貿易関係船舶に至っては、平均すると1隻にもなりません。
6月、7月を見ても、18回の船舶護衛のうち、日本貿易関係船舶が0隻の回が10回もあります。
まあ、これほど、想定と実際とがかけ離れた作戦は珍しいが、それを誰も問題にしないし、国会での追及もありません。
米国に追従し中国に負けるなとばかり、ソマリア沖に護衛艦を派遣することが先で、護衛対象船舶数や船舶運行日程などの状況把握がなされていなかった。海賊に対応する法律も未整備で現場は混乱し、ただシーレーンを守るを大義名分にしたかのような作戦だったのです。
海上警備行動から始まり、「海賊対処法」の施行で他国籍の船舶も護衛できるようになり、国際協力の名のもと、船舶護衛活動は継続されてきましたが、今また米国の強い要請によりCTF151への参加、そしてその司令官にも就任するという展開を見せるに至り、はたして海賊対処活動の終わりがあるのか、そして「集団的自衛権」論議でも、たびたび話題に上りましたが、「シーレーン防衛」という戦略なき海上輸送路確保の難題とどう絡んでくるのでしょう。
シーレーン防衛は日本の生命線などと、声高に叫ばれますが、日本のシーレーン防衛なるものが、言葉だけが先行し、その戦略思考の無さが如何に危ういものか、次回の「海賊対処法によるソマリア沖船舶護衛その40」で書いてみたいと思います。


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2014年8月 5日 (火)

越後駒ケ岳に登る---暑い!暑い!日照りの稜線

2014年8月1日〜2日
「越後駒ケ岳」に登ってきました。

深田久弥著「日本百名山 25 魚沼駒ケ岳(二〇〇三米)」

汽車旅行で窓から遠く見える山を一つ一つ確認していくのは、私の大きな楽しみである。上越線の清水トンネルを抜けて、越後魚沼の野を下って行く途中、私の眼を喜ばす山が次々と現れてくる。普通魚沼三山と呼ばれるのは、駒ケ岳、中ノ岳、八海山である。石打あたりから眺めると、八海山が見え、その右肩に駒ケ岳が覗き、さらに右に続いて中ノ岳が全容を見せている。汽車の進むにしたがって、まず駒が隠れ、五日町あたりで中ノ岳も姿を消し、ただ正面に八海だけが大きい。
その頂上のギザギザ並んだ岩峰群、その右に続く最高点の丸山の円頂が、ハッキリと見てとれる。

小出に近づくと、今度は八海の左に駒ケ岳が出て、それが完全に八海から離れ、ついで駒の右へ中ノ岳がふたたび顔を出す。そして小出からは、中ノ岳を中央にして、も右に八海、左に駒、三つの山がキチンと調和のある形で並ぶ。ここで初めてわれわれは魚沼三山という名称の当を得ていることを合点する。多雪の地であるからそれらが純白に輝く時の偉観は、二千米の山とは思われない。

上越線に乗る機会は少なくなりましたが、関越自動車道から見える雪をまとった越後三山の姿は、まさに頭上に聳え立つような姿で迫り、深田氏の書かれているように2千メートルの山とは思えぬ圧倒的迫力で見るものを魅了します。僕の大好きな景色です。
先週末、友人二人と三山の一つ、越後駒ヶ岳(魚沼駒ヶ岳)に登ってきました。

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「8月1日」
関越道小出インター経由で枝折峠の駐車場に着いたのは朝の9時半頃でした。平日なので駐車場は余裕で止めることができました。(翌日の下山時は土曜日でもあり、駐車場は満車で、道路の路肩に止めている車が何台も見受けられました)
今日は、この枝折峠から頂上直下の駒の小屋(避難小屋)に泊まり、明日下山する予定です。このルートは、多くの山行記録が写真入りで発表されていますので、登山道の詳しいことは省略します。
樹林帯の殆んど無い、灌木帯の稜線歩きなので、2日間ともすごい日射と高温に晒され、おまけに無風状態で、高齢登山者にはちょっと厳しすぎる登山となりました。
枝折峠から、約40分の登りで、途中銀山平からの道を併せて、枝折大明神の小祠のある明神峠につきます。
昨年の秋に放送されたNHKの番組「小さな旅、越後駒ヶ岳」で、この枝折大明神について、次のように紹介されていました。
「付近の銀山で働く工夫や山に入る猟師の安全を願って建立されたと」。
付近の銀山とは、350年前くらいから、越後駒ヶ岳周辺で銀が採掘されており、採れた銀を江戸に運ぶ道が、この峠を通る銀の道と呼ばれ、多い時で年間1万人もの銀の運搬人が通ったそうです。そう、この峠の下はその名も銀山平という地名です。新しい道路ができるまでは、多くの人々が生活道路として使っていた古道なのです。
峠道には多くの歴史や伝説そして悲話が残り、神が祭られている場合も多いのです。この小祠もその一つなのでしょう。
さて、明神峠から、いくつもアップダウンを繰り返しながら、良く整備された登山道を登ります。途中道行山分岐で、昼食を兼ねた大休止をしてから、小倉山に登りつくと、越後駒ヶ岳の姿が近づくとはいえ、まだあそこまで登るのかと、ちょっとため息の出るほど高く遠いのです。
Dsc01815_1024雲が湧き上がり、日差しも陰ることもあるのですが、ともかく暑い。暑い。
時折、谷筋から吹き抜ける涼しい風がわずかの救いです。
小倉山からは、等高線間隔の広い灌木帯の斜面を登り、百草の池が見える地点に至ります。ちょうど下山してきた駒の小屋の管理人さんから、池の周りのピンク色はハクサンコザクラの群落だと教わりました。

ここからが、前駒のピークを挟んで駒の小屋まで、今日最大の急登が1時間半続きます。岩場もあり、暑さもありで辛い登りですが、3人はいつかは着くぞと頑張って登り、なんとか駒の小屋に到着しました。
途中、Dsc01812_1024日帰りの登山客に何人もすれ違いましたが、皆さん、割と短時間で頂上を極めているのには、驚きました。若さには敵いません。
小屋の前には、上の残雪帯からの雪解け水がパイプを通して勢いよく流れ出ていて、乾いた喉をうるおしてくれました。何のかんのと、枝折峠から7時間の長丁場の終点到着です。
眺望抜群の好立地に建つ駒の小屋は、避難小屋としては最上の部類に入る、清潔で快適な宿泊ができる環境を持った小屋でした。途中、下山する管理人さんと出会っていたので今夜は管理人さんは不在です。宿泊名簿に名前を書き込み、素泊まり料金2000円をDsc01826_1024備えつけの木箱に入れました。
今日の宿泊は、1階に5人、2階に我々パーティ3人と明日、中ノ岳に向かうという単独行者がいて、合わせて9人という幸運に恵まれました。これなら広々と荷物を広げられます。
2階の物入れに、銀マットと多くの乾いた毛布が積まれており、自由に使ってよいと管理人さんから聞いてきました。土間にサンダルが備えてあるという小屋も、僕が知る限り珍しい。窓には網戸がついていました。
我々は、薄手の寝袋を持参しましたが、小屋内も暑く、毛布どころか寝袋も剥いで寝る夜になりました。
Dsc01831_1024 小屋の外には、これも明日、中ノ岳方面に縦走するという2人パーテイのテントが張られていました。
小屋の定員は40人くらいで、1階、2階の部屋の壁に、山小屋でおなじみの寝場所を示す番号が張られていましたが、1畳幅に2.5人弱くらいとちょっと狭すぎるのでは。
まあ、この小屋の宿泊は、よいとこ20人くらいと思えました。
冷えたビールとアルコールで登山の無事を祝って乾杯して、食事をするともうやることも無く寝るだけです。小屋のトイレも清潔で、小便器と大便器が一つ、そう、使った後自転車のペダル漕ぎをするエコトイレです。
夜、外に出たら、三日月と星がきれいな空が見えました。

「8月2日」

夏山とはいえ、標高2000メートルの小屋にしては、なんとなく暑くて寝苦しい夜でした。2階は屋根裏で小屋の屋根が熱せられていたこともあるのでしょう。

実は早立ちの登山者が3時前からガサガサと音を一時間ほど立て続け、特にプラスチック袋の音がうるさく耳に響き、これも寝付けない原因でした。
他の登山者より特に早立ちする場合は、前夜のうちに準備して、そっと小屋の戸をあけて出ていくのが、避難小屋だけでなく、営業小屋でも守るべきルールなのですが、これが守られない事が多くなりました。

我々3人は、朝食前に、頂上を往復するべく、5時前に小屋を出ました。途中、雲海の向こうに太陽が登るのを見ながら、約25分ほどで越後駒ヶ岳山頂に立ちました。残念がら見晴らしはあまり良くなかったのですが、早朝のすがすがしい空気の中、頂上に立てた満足感にひたりました。
帰路は20分ほどで小屋に戻り、ゆっくりと朝食を食べてから、7時頃下山を開始しました。小屋の前で、なんとこの時間に早くも頂上から戻ってきた2人の若者に逢いました。朝、3時過ぎに枝折峠を出たとのこと。3時間半ほどで、小屋まで戻ってきているのです。
最近はネットの登山情報でも、コースタイムの半分以下で登る記録が多くみられます。
6月にも夜叉神峠で、8時間ほどで鳳凰三山を往復してくる登山者数人の話を聞いて、俊足ぶりに驚いた事がありましたが、ランニング登山ではなく、ちゃんと高山植物などの写真も撮っているから、感心します。

下山も日差しの強さに参りましたが、土曜日でもあり続々と登ってくる登山者の多さに、越後駒ヶ岳の人気ぶりがわかりました。日帰り登山者が多いようでしたが、やはり暑さには皆バテ気味と思われました。クラブツーリズムのパーティ、頂上まで登れたかな。風があるとずっと楽なのですが。
それでも、4時間半ほどで、無事枝折峠の駐車場まで戻り、越後駒ヶ岳登山を終わらせました。

帰りに小出インターに向かう途中にあった、「湯之谷交流センターユピオ」で温泉に入ってきました。ここ、温泉施設は小規模ですが、入浴料500円は魅力です。空いていて貸切状態でした。
施設の係りの方から、スイカをごちそうになり、新潟に詳しい友人の勧めもあり、1000円とは安いとずしりと重い1個を買ってきました。八色スイカという地元のみずみずしく甘いスイカで、これ、お勧めです。

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