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2014年8月 5日 (火)

越後駒ケ岳に登る---暑い!暑い!日照りの稜線

2014年8月1日〜2日
「越後駒ケ岳」に登ってきました。

深田久弥著「日本百名山 25 魚沼駒ケ岳(二〇〇三米)」

汽車旅行で窓から遠く見える山を一つ一つ確認していくのは、私の大きな楽しみである。上越線の清水トンネルを抜けて、越後魚沼の野を下って行く途中、私の眼を喜ばす山が次々と現れてくる。普通魚沼三山と呼ばれるのは、駒ケ岳、中ノ岳、八海山である。石打あたりから眺めると、八海山が見え、その右肩に駒ケ岳が覗き、さらに右に続いて中ノ岳が全容を見せている。汽車の進むにしたがって、まず駒が隠れ、五日町あたりで中ノ岳も姿を消し、ただ正面に八海だけが大きい。
その頂上のギザギザ並んだ岩峰群、その右に続く最高点の丸山の円頂が、ハッキリと見てとれる。

小出に近づくと、今度は八海の左に駒ケ岳が出て、それが完全に八海から離れ、ついで駒の右へ中ノ岳がふたたび顔を出す。そして小出からは、中ノ岳を中央にして、も右に八海、左に駒、三つの山がキチンと調和のある形で並ぶ。ここで初めてわれわれは魚沼三山という名称の当を得ていることを合点する。多雪の地であるからそれらが純白に輝く時の偉観は、二千米の山とは思われない。

上越線に乗る機会は少なくなりましたが、関越自動車道から見える雪をまとった越後三山の姿は、まさに頭上に聳え立つような姿で迫り、深田氏の書かれているように2千メートルの山とは思えぬ圧倒的迫力で見るものを魅了します。僕の大好きな景色です。
先週末、友人二人と三山の一つ、越後駒ヶ岳(魚沼駒ヶ岳)に登ってきました。

Dsc01836_1024
「8月1日」
関越道小出インター経由で枝折峠の駐車場に着いたのは朝の9時半頃でした。平日なので駐車場は余裕で止めることができました。(翌日の下山時は土曜日でもあり、駐車場は満車で、道路の路肩に止めている車が何台も見受けられました)
今日は、この枝折峠から頂上直下の駒の小屋(避難小屋)に泊まり、明日下山する予定です。このルートは、多くの山行記録が写真入りで発表されていますので、登山道の詳しいことは省略します。
樹林帯の殆んど無い、灌木帯の稜線歩きなので、2日間ともすごい日射と高温に晒され、おまけに無風状態で、高齢登山者にはちょっと厳しすぎる登山となりました。
枝折峠から、約40分の登りで、途中銀山平からの道を併せて、枝折大明神の小祠のある明神峠につきます。
昨年の秋に放送されたNHKの番組「小さな旅、越後駒ヶ岳」で、この枝折大明神について、次のように紹介されていました。
「付近の銀山で働く工夫や山に入る猟師の安全を願って建立されたと」。
付近の銀山とは、350年前くらいから、越後駒ヶ岳周辺で銀が採掘されており、採れた銀を江戸に運ぶ道が、この峠を通る銀の道と呼ばれ、多い時で年間1万人もの銀の運搬人が通ったそうです。そう、この峠の下はその名も銀山平という地名です。新しい道路ができるまでは、多くの人々が生活道路として使っていた古道なのです。
峠道には多くの歴史や伝説そして悲話が残り、神が祭られている場合も多いのです。この小祠もその一つなのでしょう。
さて、明神峠から、いくつもアップダウンを繰り返しながら、良く整備された登山道を登ります。途中道行山分岐で、昼食を兼ねた大休止をしてから、小倉山に登りつくと、越後駒ヶ岳の姿が近づくとはいえ、まだあそこまで登るのかと、ちょっとため息の出るほど高く遠いのです。
Dsc01815_1024雲が湧き上がり、日差しも陰ることもあるのですが、ともかく暑い。暑い。
時折、谷筋から吹き抜ける涼しい風がわずかの救いです。
小倉山からは、等高線間隔の広い灌木帯の斜面を登り、百草の池が見える地点に至ります。ちょうど下山してきた駒の小屋の管理人さんから、池の周りのピンク色はハクサンコザクラの群落だと教わりました。

ここからが、前駒のピークを挟んで駒の小屋まで、今日最大の急登が1時間半続きます。岩場もあり、暑さもありで辛い登りですが、3人はいつかは着くぞと頑張って登り、なんとか駒の小屋に到着しました。
途中、Dsc01812_1024日帰りの登山客に何人もすれ違いましたが、皆さん、割と短時間で頂上を極めているのには、驚きました。若さには敵いません。
小屋の前には、上の残雪帯からの雪解け水がパイプを通して勢いよく流れ出ていて、乾いた喉をうるおしてくれました。何のかんのと、枝折峠から7時間の長丁場の終点到着です。
眺望抜群の好立地に建つ駒の小屋は、避難小屋としては最上の部類に入る、清潔で快適な宿泊ができる環境を持った小屋でした。途中、下山する管理人さんと出会っていたので今夜は管理人さんは不在です。宿泊名簿に名前を書き込み、素泊まり料金2000円をDsc01826_1024備えつけの木箱に入れました。
今日の宿泊は、1階に5人、2階に我々パーティ3人と明日、中ノ岳に向かうという単独行者がいて、合わせて9人という幸運に恵まれました。これなら広々と荷物を広げられます。
2階の物入れに、銀マットと多くの乾いた毛布が積まれており、自由に使ってよいと管理人さんから聞いてきました。土間にサンダルが備えてあるという小屋も、僕が知る限り珍しい。窓には網戸がついていました。
我々は、薄手の寝袋を持参しましたが、小屋内も暑く、毛布どころか寝袋も剥いで寝る夜になりました。
Dsc01831_1024 小屋の外には、これも明日、中ノ岳方面に縦走するという2人パーテイのテントが張られていました。
小屋の定員は40人くらいで、1階、2階の部屋の壁に、山小屋でおなじみの寝場所を示す番号が張られていましたが、1畳幅に2.5人弱くらいとちょっと狭すぎるのでは。
まあ、この小屋の宿泊は、よいとこ20人くらいと思えました。
冷えたビールとアルコールで登山の無事を祝って乾杯して、食事をするともうやることも無く寝るだけです。小屋のトイレも清潔で、小便器と大便器が一つ、そう、使った後自転車のペダル漕ぎをするエコトイレです。
夜、外に出たら、三日月と星がきれいな空が見えました。

「8月2日」

夏山とはいえ、標高2000メートルの小屋にしては、なんとなく暑くて寝苦しい夜でした。2階は屋根裏で小屋の屋根が熱せられていたこともあるのでしょう。

実は早立ちの登山者が3時前からガサガサと音を一時間ほど立て続け、特にプラスチック袋の音がうるさく耳に響き、これも寝付けない原因でした。
他の登山者より特に早立ちする場合は、前夜のうちに準備して、そっと小屋の戸をあけて出ていくのが、避難小屋だけでなく、営業小屋でも守るべきルールなのですが、これが守られない事が多くなりました。

我々3人は、朝食前に、頂上を往復するべく、5時前に小屋を出ました。途中、雲海の向こうに太陽が登るのを見ながら、約25分ほどで越後駒ヶ岳山頂に立ちました。残念がら見晴らしはあまり良くなかったのですが、早朝のすがすがしい空気の中、頂上に立てた満足感にひたりました。
帰路は20分ほどで小屋に戻り、ゆっくりと朝食を食べてから、7時頃下山を開始しました。小屋の前で、なんとこの時間に早くも頂上から戻ってきた2人の若者に逢いました。朝、3時過ぎに枝折峠を出たとのこと。3時間半ほどで、小屋まで戻ってきているのです。
最近はネットの登山情報でも、コースタイムの半分以下で登る記録が多くみられます。
6月にも夜叉神峠で、8時間ほどで鳳凰三山を往復してくる登山者数人の話を聞いて、俊足ぶりに驚いた事がありましたが、ランニング登山ではなく、ちゃんと高山植物などの写真も撮っているから、感心します。

下山も日差しの強さに参りましたが、土曜日でもあり続々と登ってくる登山者の多さに、越後駒ヶ岳の人気ぶりがわかりました。日帰り登山者が多いようでしたが、やはり暑さには皆バテ気味と思われました。クラブツーリズムのパーティ、頂上まで登れたかな。風があるとずっと楽なのですが。
それでも、4時間半ほどで、無事枝折峠の駐車場まで戻り、越後駒ヶ岳登山を終わらせました。

帰りに小出インターに向かう途中にあった、「湯之谷交流センターユピオ」で温泉に入ってきました。ここ、温泉施設は小規模ですが、入浴料500円は魅力です。空いていて貸切状態でした。
施設の係りの方から、スイカをごちそうになり、新潟に詳しい友人の勧めもあり、1000円とは安いとずしりと重い1個を買ってきました。八色スイカという地元のみずみずしく甘いスイカで、これ、お勧めです。

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