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2012年10月28日 (日)

GQ12月号特集「ザ・タイムレス」---昭和の住宅で暮らしてみませんか?

雑誌「GQ12月号」を購入しようと柳瀬川書店に行き陳列書棚を見てエッと思いました。
お目当てのGQ以外にSafari(サファリ)とGOETHE(ゲーテ)の12月号にも、かっこよくダニエル・クレイグが。なんと3雑誌の表紙にダニエル・クレイグが横並びです。
4年ぶりに007シリーズ最新作、「007SKYFALL (007スカイフォール)」が12月に公開されるとはいえ、3誌が同じとは驚きました。偶然なのでしょうか?。
「007スカイフォール」の公開は楽しみにしています。何しろ前作から4年も待たされてしまったのです。(下、前2作の観賞記)
http://yanasegawa.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/007_6444.html カジノ・ロワイヤル
http://yanasegawa.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/index.html 慰めの報酬
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写真はクリックすると拡大します)

新編集長として鈴木正文氏が携わるようになった2012年3月号以来、かかさず毎号読んでいるGQですが、徐々に鈴木カラーが反映されて、僕にとっては読み応えのある記事が増えました。
「サファリ」、「ゲーテ」の両誌は今まで書店で手に取ったことも無い雑誌でしたが、今日は気になって立ち読みしてみました。
サファリはちょっとジャンルが違うようですが、ゲーテは以前を知らないのですが、誌面作りにGQ風の印象を受けました。
かって鈴木編集長の自動車雑誌「NAVI」が、他の自動車雑誌に大きな影響を与えたように、新生GQが今後同じジャンル、いやそれ以外の雑誌の編集者にもなんらかのインパクトを与えるような気がします。
GQ12月号の特集は「ザ・タイムレス!」<時間を超越した価値あるもの>
いかにも鈴木編集長好みの企画です。
「以下は編集長就任当時の発言です」
(僕なりにかっこよくやりたいと思います。おもしろい議論が誌面でなされていて、ファッションもあればジャーナリズムもあれば、ライフスタイル情報もあるような雑誌になります。期待していてください。)

「ザ・タイムレス!」<時間を超越した価値あるもの>その中の「PROPERTY」には、「昭和の名作住宅」で暮らしてみませんか?の記事があります。建築が専門の僕にとっては嬉しい記事です。
内容を書くと長くなるので、下に記事の写真を載せますが、建築に興味のある方は書店で覗いてみてください。前川国男、吉村順三、吉田五十八の設計した住宅が、買い手を捜している事を、この記事で始めて知りました。
ここに書かれた岩波茂雄の熱海の別荘「惜櫟荘(せきれきそう)」を、作家の佐伯泰英氏が譲り受けた経過をエッセイにまとめた「惜櫟荘たより」(岩波書店)は、まだ読んでいなかったので早速アマゾンに発注してしまいました。
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(写真はクリックすると拡大します)

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2012年10月26日 (金)

山田和樹 正指揮者就任披露演奏会---日本フィル

Oc25001_1024 将来を嘱望される若手指揮者として、最近の活躍ぶりが報道される事の多くなった山田和樹氏日本フィルの第645回東京定期演奏会に正指揮者として初のタクトを振ります。

山田和樹は昨年4月の東京定期演奏会の指揮をとる予定だった首席客演指揮者のピエタリ・インキネンがフィンランド政府による日本への渡航自粛を受けて来日が出来なくなったことで、急遽代役で東京定期演奏会の指揮をとりました。
昨年12月には正式デビューを果たし今度の11月が正指揮者に任命されての初仕事です。この若い指揮者の今後がとても楽しみです。

日本フィルは政府のすすめる「公益法人改革」による公益財団法人への移行が、約2億円にのぼる債務超過により申請が出来ない状態になっています。オーケストラの存立を左右する重大な事態に直面していると発信しています。
多くの支援者の協力により、この危機を乗り越えたとしても、今の日本の厳しい経済状態から、今後の経営は困難が予想されます。

新たに指揮者陣に加わった若手の山田和樹、西本智実(ミュージック・パートナー)両氏の活躍が聴衆拡大につながり、オーケストラ運営にとって最も必要な定期会員の増加を望みたいものです。
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10月の第644回東京定期公演は、首席指揮者アレクサンドル・ラザレフによるプロコフィエフ交響曲全曲演奏プロジェクトの最後の演奏で、「交響曲第6番変ホ短調作品111」に渾身の指揮を見せてくれました。
それでも会場は満員とは言えず、最近の定期演奏会は空席が目立つようになりました。
当日、会場で受け取った演奏会のチラシは100枚を超えていました。(写真左はその一部)
クラシックの演奏会の多さに改めて驚くと共に、一部のオーケストラ楽団員を除くと、厳しい経済状態で活動している多くの音楽家たちが少しでも優遇される環境になる事を願ってやみません。

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2012年10月23日 (火)

2012年秋 柳瀬川の落ちアユ釣---釣れていない?

昨日、ウォーキングの途中、志木大橋の上から見ると、いつも以上に沢山の釣り人が見えました。帰りに川に寄り、竿を振っている人に聞いてみると、やはり落ちアユつりだとの事。
Ca390003_320 川の深みに近い左岸で座って釣る人が多ようですが、川の水量が少なくサミット側の右岸でも深長靴なら問題ないようです。
見渡しただけで20人以上の釣り人が見えます。皆さんテンビン仕掛けのようです。
しかし、残念ながら全然釣れないと事。
10分ほど、見ていても釣りあげた人はいませんでした。
時間帯によるのでしょうか。それとも時期的にもう終わりなのか。
気になるので、近いうちにまた覗いてみます。

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2012年10月20日 (土)

安達太良山へ

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2012年10月19日(金)
安達太良山にかみさんと登ってきました。天気予報にらみの日帰り山行です。
朝、大宮駅6時30分発の新幹線やまびこ51号に乗車すると、郡山駅乗換えで、登山口に近い二本松駅に7時59分に着きます。
駅前には前日電話予約しておいたタクシーが待っていてくれました。地元の昭和タクシーがゴンドラ乗車券とセットで岳温泉経由の奥岳登山口まで運んでくれます。値段は往復一人4700円、帰りは連絡すると迎えに来てくれる便利さで、割安です。
Ca390059_320 二本松駅で列車から降りた登山客は僕たち以外には、若い女性が一人だけです。
タクシーも駅前にぽつんと1台が待っていてくれただけで、混雑を予想していたので、なんだか拍子抜けしました。
これは帰りも同じで、山から戻ってきた駅は閑散として登山者の姿は一人もありませんでした。奥岳登山口の駐車場の混み具合や、ゴンドラ利用者の多さからも、マイカー、またはバス利用の団体ばかりで、列車利用の登山者はほとんどいないという事なのでしょう。
駅から奥岳登山口に行くバスは無く、途中の岳温泉までが1時間に1本程度という便の悪さも影響していると思われます。
駅のプラットホームに立てられた「歓迎 安達太良山」の看板がひどく寂しく見えます。写真左)タクシーの運転手さんの話では、休日の道路は渋滞がひどく、仕事にならないとぼやいていました。

さて、話を安達太良山登山に戻すと、日帰り登山という事もあり、コースは次のような計画にしました。
行きは楽をしてゴンドラ利用で薬師岳まで登り、そこから山頂を目指し、下山は牛の背から峰の辻を経てくろがね小屋を廻って勢至平経由で奥岳登山口に戻ることにしました。
山頂までの登りが約1時間半、下りはくろがね小屋経由でも約3時間ほどの楽なコースです。9時頃にゴンドラに乗り、戻ってきたのが3時前ですから、休憩も含めて6時間ほどの山歩きでした。
コースについては、多くの方が書かれている一般コースなので省略しますが、山頂及び牛の背付近は、身体が飛ばされるほどの冷たい強風が吹いていました。その寒いこと、体感気温は氷点下といった感じです。それ以外の場所は嘘のように風がありません。安達太良山は北西の強風が吹くことが多く、2週間ほど前にもゴンドラが止まったそうですが、まさに実感させられました。
お目当ての紅葉は、素晴らしいものでした。山肌が赤、黄、茶、青に彩られて、その美しさに、僕もかみさんもすごい、きれいだの連発です。
潅木、低木が色づき、山全体が赤く染まるこれだけの紅葉は初めて見ました。
特にくろがね小屋付近の紅葉が見事でした。安達太良山の紅葉は少し遅れ気味で、多分今月一杯は見頃ではと思いました。行かれる方は、防寒対策は十分にしてください。山では氷が張っています。
二本松駅発16時21分、郡山で新幹線に乗り換え、大宮着が18時02分、帰宅が19時頃と、念願の紅葉の安達太良山の日帰り登山は楽勝でした。

今週の金峰山登山で、いつも使っているデジカメ(Nikon COOLPIX7500)のシャッターが故障してしまいました。シャッターボタンを押してもシャッターが切れなくなったのです。
修理に出す時間も無く、今日の写真は、携帯電話で取ったものです。
考えてみれば、もうずいぶん使ったカメラなので、修理せずに新しいカメラに買い換えようと思っています。実勢価格1万円~2万円あたりで探すと、どれを選ぶか迷うほど製品が多いので困っています。COOLPIX7500を選んだのは、単三電池が使えることでしたが、今はこのタイプは数えるほどしかありません。でもNikonには、ありますね。迷います。
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2012年10月17日 (水)

横尾山と金峰山へ

2012年10月14日、15日
友人二人と、廻り目平から金峰山に登ってきました。

(10月14日)

今日のキャンプ地である廻り目平に向う途中、寄り道して信州峠の駐車場から横尾山に登りました。
以前、案内されてこの山から見た新雪の山々の展望が忘れられず、友人二人に尾根道歩きの素敵な山を教えたかったのです。
峠の駐車場に着いてみたらなんと満車状態。マイクロバスも2台駐車しています。誰も登っていない静かな山と思っていたら、結構人気の有る山なんだと知りました。
峠の標高は1464m、横尾山は1818m。約350mの標高差があります。一部傾斜のきつい所もありますが、明るい樹林帯と空が広がる尾根歩きが続く、登り1時間半、下り1時間ほどのコースです。
Dscn7778_320 (紅葉はこれからといったところでしたが、明るい樹林帯の道を登ります)

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(この景色が横尾山の良いところ。ススキの穂が風に揺れる明るい尾根道を歩きます)

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(横尾山1818mの山頂。山梨100名山と書かれています。
この山頂には樹木があり、360度の山岳展望は、山頂手前の小山が良いようです。
僕たちは景色を眺めながらのんびりと昼食をとりました。
頂上には団体の登山者が多く見られました)

横尾山での山岳展望を楽しんだ僕たちは、途中、川端下部落で食料とアルコールを買い求め、廻り目平に向いました。いつもながら、小川山の岩峰群を見ながら、高原野菜の畑の道を走るのは快適です。
廻り目平キャンプ場のゲートを抜けて、村営金峰山荘でキャンプの受付をすませました。利用料は一人700円、水洗トイレやシャワー設備の有る良く管理されたキャンプ場でありながらこの値段は嬉しいかぎりです。
日曜日の夕方とあって、キャンプサイトは、どこも空いていて、大駐車場から少し登った場所に車を止め、そのすぐ横に、友人が運んできた大型テントを張りました。いつもの窮屈な1人、2人用のテントと比べると、御殿のような快適さです。

廻り目平は、30年以上も前の秋の日、先代チビスケたちと静かなキャンプを楽しむべく、それまでも何度か訪れていたこのキャンプサイトにやってきた時の事です。
いつもは静かな森の中に、大勢の人達が見え、駐車している車も沢山あります。先代チビスケ達には、誰もいないキャンプ場は寂しいぞ、熊も出るぞと脅してきたので、この騒ぎは何事かと驚いたのでした。
村人が「きのこ鍋大会」でもやっているんじゃないかなどと云いながら、キャンプサイトで僕たち家族が目にしたものは、色とりどりの沢山のテントとザイル、登攀具を持ったクライマー達でした。
これが、小川山付近のフリークライミングの聖地と化した廻り目平の変貌した姿でした。仕事に追われ、しばらく山から離れていた僕はこんなクライミング界の情報も知らなかったのです。
金峰小屋は当時はまだ平屋建ての粗末な小屋でしたが、それも立派に新築され、広くなった駐車場、テントサイトの拡大などその後のキャンプ場は驚くほど整備され、現在に至っています。最初から変らないのは、直火が炊けること。焚き火が禁止されているキャンプ場が多いなか、これは嬉しい事です。でも、キャンプサイト周りには、探しても小枝も見つけられなくなりましたが。
数年ぶりに訪ねて、またまた驚いたのが、大きなウレタンマットを背負ってカニのように歩く人達。ボルダリングが人気とは聞いていましたが、これほどまでとは。事故も増えているようで、今度も山荘前に救急車が来ていました。
キャンプ場付近の紅葉はまだ少し早いようでしたが、それでも黄色い葉が谷筋を彩っていました。
夕食前に、パノラマコースを少し登り、沢山打たれたボルトやピトンの多さに驚きながら、テントに戻りました。
焚き火を囲んで夕食を済ませれば、心地よくアルコールも廻って、後はシュラフに入るだけです。夜はさすがに冷えました。夜中にテントの外に出た友人が、素晴らしかった星空を語ってくれましたが、残念、眠さに負けて見ることは出来ませんでした。

(10月15日)
朝7時、キャンプ場を出発して、以前よりずいぶん整備された西股沢に沿う林道を歩く事約1時間。林道終点の中ノ沢出合から登りが始まります。
途中、砂洗沢にかかる丸木橋を渡り、最終水場地点に到着。
キャンプ場から最終水場まで約1時間40ほどかかりました。ここから登山道は樹林帯の急登りになります。これが結構きつい。このあたりも紅葉は遅れているようです。コースの中間点付近で瑞牆山の岩峰を右に見ながら、なおコメツガ、シラビソの原生林帯を抜けて最後の急登りを詰めると、ひょっこり金峰山小屋に到着しました。
小屋の前のベンチで一休みして、岩とハイマツの最後の登りです。
ガイドブックには小屋から山頂まで20分と書かれていますが、これはきつい。約30分はかかります。
頂上に先に着いた友人を見上げるように登ってゆくと、山頂にはこんなにいるのと驚くほどの大勢の登山者がいました。大弛峠から登ってきた団体登山者が多いようで、見ている間にも次々と登って来ます。
五丈石下の広場も昼食を取る人達が大勢います。
平日でも紅葉シーズンはこんなに賑わうのだと思い知らされました。
今日は、快晴。頂上からの360度の大展望を堪能しながら、岩の上でゆっくりと昼食を食べてから、登ってきた道を下山しました。
廻り目平に戻り、大型テントを撤収して、帰路につきました。休憩も含めて往復約8時間の登山でした。
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2012年10月14日 (日)

廻り目平から金峰山に登ります

友人二人と廻り目平に幕営し、金峰山に登ってきます。多分きれいな紅葉が見られると思います。
廻り目平は、もう30年以上前の10月、子供たちをつれて秋のキャンプに行った時のことです。
多分、今頃は誰もいないね、ちょっと寂しいぞなどと会話しながら廻り目平入口付近まで来ると、なんだか沢山の車が止まり、人影も見えるのです。あれ、村の行事でもでもしているのかなと、思ったら、なんと沢山のテントが張られていました。それがあの、静かな森のキャンプサイトが突然フリークライミングの聖地と変貌した姿でした。
遠い思い出です。
戻りましたら紅葉のことなどを書きます。

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2012年10月 9日 (火)

海賊対処法によるソマリア沖船舶護衛その30(2012年6月~8月そして9月) 船舶護衛活動の曲がり角

インド洋給油活動の時と同じように、派遣前には、あれほど大騒ぎしたマスコミが、その後の状況をまったく報じなくなった海賊対処法によるソマリア沖派遣護衛艦の毎月の活動を書いています。(防衛省、国土交通省海事局発表資料、ソマリア沖EU部隊、NATO部隊資料、海上自衛隊情報、ジブチ情報その他資料による)

*平成24年9月の海賊対処法による船舶護衛実績(389回護衛~395回護衛の7回)
   護衛艦(第12次派遣部隊) 107 いかづち  157 さわぎり     
 
 護衛した船舶  
日本籍船 0隻 
            日本の船舶運航事業者が運航している外国籍船    
3隻
                   
合計3隻  1回平均0.43隻
           
               外国籍船 24隻  1回平均3.42隻 

護衛回(日程)                   日本籍船  日本関係外国籍船   外国籍船
389 (8/30-9/1)    西行き       0         1            0 
(9/1-4) ジブチ基地にて4日間補給、休養
390 (9/4-7)        東行き        0           0             8
391 (9/7-9)       西行き       0            0             5
392 (9/9-11)       東行き     0            1            4 
393 (9/12-14)      西行き       0           1            3
(9/14-18) ジブチ基地にて5日間補給、休養                               
394 (9/18-20)     東行き      0          0             2   
395 (9/21-23)      西行き      0           0            2

(9/24-30)      活動報告無し(9月24日~30日まで、護衛活動休止?)

いかづち、さわぎりと交代のため、第13次派遣部隊の「まきなみ」「ゆうぎり」が9月25日にジプチ基地に到着した事と何らかの関係があるのだろうか。

合計                               0                  3                      24

ブログ作成が出来なかった6月、7月、8月については、日本籍船、並びに日本関係船舶数が3ヶ月、29回の護衛で僅か18隻と、あまりに少ないため護衛ごとの船舶数を書いても、0が並ぶばかりなので省略します。
これは防衛省のホームページの護衛実績発表でも同じで、7月まではそれでも護衛船舶数0隻と書いていたのですが、8月からは実績表に0を記入する事をやめてしまいました。
きっと上司から、0ばかり並べるのは拙いよ。寝た子を起こすなと云われたのでしょう。発表を曖昧にする手法は、インド洋給油でも常に行われていました。

不思議な事が起きています。
海上自衛隊によるソマリア沖の海賊対処の船舶護衛は、派遣時に年間2000隻と云われた日本関係船舶が、実際に護衛活動を開始してみたら、想定の2割にも満たない状況が続き、ゆえに護衛対象を外国の運航会社が運航する船舶にまで拡大して、国際貢献をうたって活動してきた経過があります。
外国籍船
(中国を筆頭に、ギリシャ、シンガポール、ドイツなどの船舶運航会社が運航する日本と関係ない積荷の船)は以前は1回の護衛に平均して7~8隻位参加したのですが、最近はなぜか少なくなり直近の護衛では、上記9月実績でもわかるように僅か2隻しかありません。
これは、いったい何を意味するのか、今のところ判明しません。
尖閣諸島、竹島問題のこじれから
中国、韓国の船舶が護衛船団に加わらなくなったのか、または以前から言われていた護衛される船舶の日程調整が難しく、かつ2隻の護衛艦が同時に補給、休養の為、1ヶ月に7日程度ジブチ基地に戻ることによる護衛の空白期間が生まれるため船団に船舶が加わり難くなっているのか。
あるいは、護衛船団に加わらなくても、安全に航行できると考える船舶が増加しているのか、などなど、もちろん、防衛省、国土交通省が情報を出す事は絶対に無いのですが、10月の護衛実績と外国籍船舶の分析などから、何らかの糸口はつかめると思いますので、調べを続ける事にします。

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7月に閣議決定で1年間延長された海賊対処活動ですが、その際も報道陣には哨戒機P-3Cによる活動を公開しただけで、護衛艦による船舶護衛については、その実状を国民にあまり知らせたくないようでした。
(上、東京新聞記事。この写真は、第372回護衛活動で、外国籍船3隻を護衛し、写真の一般貨物船は、中国かシンガポールの船舶です。 クリックすると拡大します)
今や、確保したジブチ基地を拠点に、国際貢献活動の取り組み姿勢を広くアピールしたい政府ですが、
日本船舶の護衛活動を主目的とした海賊対処行動における護衛艦による船舶護衛が、護衛すべき船舶の少なさから、曲がり角に来ていることは感じられます
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(第13次派遣部隊の護衛艦「112まきなみ」乗員180名)

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(同、護衛艦「153ゆうぎり」乗員190名。ただし定員は220名。共に海上自衛隊大湊基地所属)

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2012年10月 6日 (土)

2012年秋 柳瀬川の彼岸花が満開です

一昨日、柳瀬川土手を歩いて、彼岸花を見てきました。満開の花が土手を朱色に彩っていました。
昨年もそうだったのですが、今まで一番の見所だった桜並木が途絶え、明るく開けた土手の箇所には、背高く1雑草が生い茂り、花の群落が隠れてしまいました。
なぜ、あの場所の雑草だけ残されているのか分りません。なにか意味があるのでしょうか。

どうしてこの土手に沢山の彼岸花が咲くようになったかについては、昨年書いたことを、下記に再掲いたします。
「いつも書いている事ですが、ここに咲く彼岸花は、近くの新座団地にお住まいの水野さん、古田さんたちが、10年以上前から水野さんを中心に数人で数万株の球根を植え続けたのです。
水野さんの田舎の、群馬県の休耕田に咲いていたものや、栃木県などの親類、知人を頼って球根を集め、運んできては、土を掘り起こし、球根を植えたそうです。
その途中で、市の土木工事で土を盛られてしまったり、盗掘に遇ってごっそり持って行かれたことが何度もあったようです。
しかし、その苦労は報われました。毎年、きれいに咲き揃って土手を歩く人たちを楽しませてくれます。
自分たちの住む町に、きれいな花を咲かせようと努力した人達がいたことを、僕は忘れません。」

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(携帯で撮った写真ですが、なぜかピントが合いませんでした。)

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(一輪だけ、白の彼岸花が開いていました。昨年は見なかったと思うので、どうして突然咲いたのでしょう)

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2012年10月 4日 (木)

「がん発生と原発事故に因果関係は無い」---福島健康調査検討委員達は真っ当な心を持たぬ集団

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121003-00000011-mai-soci  毎日新聞 10月3日(水)2時31分配信     <福島健康調査>「秘密会」で見解すり合わせ

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121005-00000012-mai-soci  委員発言、県振り付け---検討委進行表を作成上記、

http://mainichi.jp/select/news/20121005k0000m040113000c.html
  「結論ありき」県民憤り---検討委「進行表」

上記毎日新聞記事の一部転載

東京電力福島第1原発事故を受けて福島県が実施中の県民健康管理調査について専門家が議論する検討委員会を巡り、県が委員らを事前に集め秘密裏に「準備会」を開いていたことが分かった。
準備会では
調査結果に対する見解をすり合わせ「がん発生と原発事故に因果関係はない」ことなどを共通認識とした上で、本会合の検討委でのやりとりを事前に打ち合わせていた。出席者には準備会の存在を外部に漏らさぬよう口止めもしていた。
県は、検討委での混乱を避け県民に不安を与えないためだったとしているが、毎日新聞の取材に不適切さを認め、今後開催しない方針を示した。
以上一部転載終わり

検討委員会での議事進行を事前に作成し、都合の悪い事、必要以外の事は議題にしない、問題となりそうだったら話題をそらすように仕向けるなどのシナリオを作っていたのです。
福島県民の健康の為と称して、実際には被ばくの実態を隠す為の委員会だったのです。なぜ、そんな事をするのか、
全て原子力ムラの擁護のためです。
後日、必ず悪事は裁かれる事になるでしょうが、
主犯は悪名高い山下俊一(福島県立医大副学長)であり、共犯は福島県知事、県担当者そして主犯に唯々諾々と従った(「不気味なほど意見が出ない。おかしい」検討委員会を傍聴していた市民団体「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」代表の佐藤幸子さん談)検討委の19名のメンバー達です。許しがたい輩たちです。

福島県「県民健康管理調査」検討委員会委員名簿
平成24 年4 月26 日(福島県庁ホームページより転載)
 
委 員 (敬称略)
氏 名 現 職
山 下 俊 一 (座長)公立大学法人福島県立医科大学副学長(福島県放射線健康リスク管理アドバイザー)
明 石 真 言  独立行政法人放射線医学総合研究所理事
児 玉 和 紀  公益財団法人放射線影響研究所主席研究員
神 谷 研 二  国立大学法人広島大学原爆放射線医科学研究所所長・教授(公立大学法人福島県立医科大学副学長)(福島県放射線健康リスク管理アドバイザー)

星 北 斗  社団法人福島県医師会常任理事
阿 部 正 文  公立大学法人福島県立医科大学理事兼副学長 (医学部病理病態診断学講座主任(教授))
安 村 誠 司  公立大学法人福島県立医科大学医学部公衆衛生学講座主任(教授)
菅 野 裕 之  福島県保健福祉部長

 
オブザーバー (敬称略)
氏 名 現 職
福 島 靖 正  内閣府原子力災害対策本部 原子力被災者生活支援チーム医療班 班長
伊 藤 宗太郎  文部科学省科学技術政策研究所総務研究官
(EOC 医療班 班長)
塚 原 太 郎  厚生労働省大臣官房厚生科学課長
佐 藤 敏 信  環境省総合環境政策局環境保健部長
細 矢 光 亮  公立大学法人福島県立医科大学医学部小児科学講座主任(教授)
藤 森 敬 也  公立大学法人福島県立医科大学医学部産科婦人科学講座主任(教授)
鈴 木 眞 一  公立大学法人福島県立医科大学医学部器官制御外科学講座教授
大津留 晶   公立大学法人福島県立医科大学医学部放射線健康管理学講座教授
坂 井 晃    公立大学法人福島県立医科大学医学部放射線生命科学講座教授
矢 部 博 興  公立大学法人福島県立医科大学医学部神経精神医学講座准教授

アスベスト被害による友の死

数年前に旧い山の友が亡くなりました。
鉄道会社に勤務し、若い頃僅か2年間ほど配属された車両整備の職場で、室内に拡散していたアスベスト粉じんを吸ってしまったのが原因です。

40年後に発病し、元気だった彼を死に追いやったののは「肺がん(悪性胸膜中皮腫)」でした。
長く因果関係を争い、労災認定を得る事が出来ましたが、最後まで自分のアスベスト吸引を信じたくなかったと聞きました。

アスベストは安全
アスベストが危険視され、外国では対策が講じられていた頃、
日本の「石綿スレート協会」が1987年頃発行した石綿は安全であるとうたった「石綿スレートと健康」という小冊子に書かれていることが、現在、福島原発事故による放射線被ばくも安全だという医師たちと重なります
アスベスト災害が、実際にはその後どのような悲惨な被害をもたらしたかは、皆さんがご存知のとおりです。
一部を転載します。


以下、一部転載
がんの実態はまだ解明されていません。
世界中の科学者達がその正体を明らかにすべくあらゆる角度から、アプローチしていますが、石綿とがんとの関係についても多くの人が研究を続けています。
然しこれまでの調査研究は、その殆どが過去の高濃度の職業上の石綿ばく露を長期間受けた人々についてでありました。、

従って現在の整備された作業環境で働く労働者、更にはそれよりも格段に低濃度の一般環境にあっては、石綿とがんとの関連は全くないと云うのが私共の考えです

然し中には「石綿に被曝する度合いが少なければ少ない程がんの危険性は減少するが、いかに低濃度であっても危険性がゼロになることはない」と主張する科学者もあります

然しこの様な考えを認めたとしても、これによる危険は、前にも述べました我々が日常生活に於いて遭遇するいろいろな危険に比べてもはるかに小さく、云わば「許容される危険」の範囲にはいるものではないでしょうか。

一方石綿スレートは重要な建設資材としてあらゆる方面に数多く使用され、特に代表的な不燃建材として毎年多くの人命、財産を火災から守ることに大きく貢献していることはご承知の通りでありあります。
消防白書によりますと昭和59年の全国の建物の出火件数は38,254件で、これにより1,354人の尊い人命が失われておりますが、この内950人(70.2%)が木造建物で亡くなられた方々でありました。
もし、この木造建物に不燃建材がもっと使用されていたならばこの内何割かの人命を失わずに済んだかと思わずにはいられません。

以上、いろいろ申し述べましたが、石綿スレートの安全性について皆様の十分な御理解を得られたものと確信いたします。
一部転載終わり

因果関係を認めない、認めたくないとする過ちは、過去の薬害、公害、災害など、そして広島、長崎の原爆被害にはじまり、その後の放射線被ばくの全てに共通します。
公害、薬害など書けばきりが無いのですが、今話題の映画
「放射線を浴びたX年後」に描かれたビキニ環礁での水爆実験による第五福竜丸や、他の多くの漁船員の被ばく、米国ネバダ核実験場での原爆演習に参加した25万原爆兵士の苦悩を描いた本「カウントダウンゼロ--原爆兵士の黙示録9.11ニューヨーク世界貿易センタービルの倒壊したビル現場にいた多くの消防士、警官などのガンなどの発症をあげておきます。
(新聞記事は全て東京新聞、クリックすると拡大します)

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「米国は1954年、太平洋のビキニ環礁などで、六回もの水爆実験を繰り返した。無線長だった久保山愛吉さんが亡くなった「第五福竜丸」以外にも、多くの日本の漁船が「死の灰」を浴びたことはほとんど知られていない。
同じ海域で数多くのマグロ漁船が操業していた。二百七十隻は高知県の船だった。闇に葬られそうだった事実を発掘しようと、高校の教員だった山下正寿さんは三十年かけて、生徒とともに漁村を訪ね歩き、聞き取りを続けた。調査の過程で二百人以上の元船員の消息が分った。健在なら五十代から六十代のこの時期に、三分の一の人はすでにがんなどで亡くなっていたという。
山下さんの調査の調査の足跡を丹念にたどり、生存している元船員や遺族への取材を重ねた南海放送(松山市)のドキュメンタリーが映画になった。。「放射線を浴びたX年後」
なぜ、被曝の記憶が消えたのか。船員には米国からの補償金は届いたのか。歴史の底に沈む闇を照らそうとするジャーナリズムの熱意が伝わる。山下さんの執念が、地方のテレビ局に乗り移ったかのようだ。
南海放送が独自に入手した米国の原子力委員会の機密文書からは、日本全土が核実験の死の灰で覆われていた実態も明らかになる。福島第一原発の事故を経験した今、映像は重い問い掛けを発している。---東京新聞8月22日朝刊筆洗いより
 http://x311.info/ 放射線を浴びX年後 公式サイト
http://www.youtube.com/watch?v=3pJ10qIEnLw 放射線を浴びX年後の予告編



その数二十五万人ともいわれるアメリカ軍将兵が戦後、二百回を超える大気圏核実Dscn7766_320験で放射線に被曝し、各種の晩発性障害に悩まされていることは既に広く知られている。しかし、原爆復員軍人自身が赤裸々な体験を生々しく記した記録は本書以外にはない。
全米原爆復員協会(NAAV)の創設者として今では、伝説的な存在となった故オービン・ケリーが太平洋のエニウェトク環礁ジャブタン島で、NAAVの中心的人物として今も活躍し続けているトーマス・サッファーがネバダ核実験場で、それぞれ体験したすさまじい核爆発と核戦争の訓練、ケリーのリンパ腺ガン、サッファーの神経筋異常の原因が被曝にある、と確信した後、彼らが国防総省国防核兵器局や復員軍人局を相手取って続けた闘い----と前半は劇的シーンの連続で、読むものをひきつけて離さない。---同書「あとがきにかえて」より

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米ニューヨークの世界貿易センター(WTC)などを狙った2001年9月11日の同時多発攻撃から、今月11日でちょうど11年を迎える。しかし、跡地(グラウンド・ゼロ)の再開発をめぐる確執や消防士らの健康被害など、事件から10年以上が過ぎた今も問題はなお残されている。

跡地には昨年9月に追悼広場がオープンし、これまで400万人以上が訪れているほか、同広場の横には2014年のオープンを目指して全米有数の超高層ビル「1(ワン)WTC」が建設中だ。

しかし、同地中心部に建設予定のミュージアムの資金をめぐって、関連財団とニューヨーク・ニュージャージー港湾管理委員会の確執が続き、ミュージアムの建設はとん挫。また、再開発の総費用も2008年の110億ドル(約8600億円)から150億ドル近くまで膨れ上がっている。
こうした状況を批判的に見ているのは、当時救助やがれき除去などに当たり、その後がんなどの病を患った消防士の遺族たちや支援団体だ。WTCの崩壊では、窓ガラスの破片やアスベストを含むがれきが大量に発生し、発がん性物質がまき散らされた。複数の調査によると、同時多発攻撃に関連する病気で死亡した人は1000人を超え、今なお治療を受けている人も全米で少なくとも2万人に上るという。

ブルックリンを拠点とする支援団体は「現在でも病に苦しんでいる人がたくさんいる」と説明。また別の支援団体によると、過去7週間で警官3人、消防士2人、建設作業員1人が、がんや呼吸器疾患で死亡したという。

夫を亡くしたというレスリー・ハスキンスさんは、跡地の再開発をめぐる対立に幻滅していると語り、「呼吸装置を買えない人たちがいるというのに、なぜ大金をビルの建設につぎ込むのか」と訴えている。

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2012年10月 1日 (月)

東京芸術劇場プレイハウスで野田MAP「エッグ」を見る

大規模にリニューアルされた東京芸術劇場プレイハウス(旧中劇場)で、野田秀樹作・演出 野田マップ第17回l公演「エッグ」を見ました。
東京芸術劇場のリニューアルについては、前にも書きましたが、新装なったプレイハウスでの観劇はもちろん初めてで、どんなふうに変っただろうかと、わくわくする気持ちで行きました。
「8月31日ブログ」 http://yanasegawa.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-68f2.html

野田秀樹さん自身が、改修に参加され、その意見が反映されただけでなく、改修された劇場のこけら落としも自身の新作となれば、これは劇場の芸術監督として嬉しいことでしょう。
当日、シックな色合いで新装成った心地よいロビーから、劇場に入ると、前の中劇場とは全く別の空間に変わっていました。
その印象で、真っ先に浮かんだのが、世田谷パブリックシアター
実は5月末に、そこでシス・カンパニー公演、朗読「宮沢賢治が伝えること」出演者は日替わりで、当日は段田安則、木村佳乃、山本耕史)を見た(聞いた?)ばかりだったので、その劇場の雰囲気、色合いなどに似ていると感じたのです。
もちろん観客席もシアターが約600席にたいしてプレイハウスは834席と大きいのですが、以前の中劇場より狭くなったと感じるほど、観客席と舞台が一体感をもち、どこからも見やすい心地よい緊張感のある劇場に変っていました。
ロビーから、木材の多用された斬新でシックなデザインのエントランスと、劇場内のレンガ壁の色合い、色も形もセンスの良い椅子など、僕はこの新装成ったプレイハウス、いっぺんに好きになりました。
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(「エッグ」ポスター)
エッグについての感想は、追記します

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(プレイハウス)

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(世田谷パブリックシアター)

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