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2012年10月 4日 (木)

「がん発生と原発事故に因果関係は無い」---福島健康調査検討委員達は真っ当な心を持たぬ集団

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121003-00000011-mai-soci  毎日新聞 10月3日(水)2時31分配信     <福島健康調査>「秘密会」で見解すり合わせ

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121005-00000012-mai-soci  委員発言、県振り付け---検討委進行表を作成上記、

http://mainichi.jp/select/news/20121005k0000m040113000c.html
  「結論ありき」県民憤り---検討委「進行表」

上記毎日新聞記事の一部転載

東京電力福島第1原発事故を受けて福島県が実施中の県民健康管理調査について専門家が議論する検討委員会を巡り、県が委員らを事前に集め秘密裏に「準備会」を開いていたことが分かった。
準備会では
調査結果に対する見解をすり合わせ「がん発生と原発事故に因果関係はない」ことなどを共通認識とした上で、本会合の検討委でのやりとりを事前に打ち合わせていた。出席者には準備会の存在を外部に漏らさぬよう口止めもしていた。
県は、検討委での混乱を避け県民に不安を与えないためだったとしているが、毎日新聞の取材に不適切さを認め、今後開催しない方針を示した。
以上一部転載終わり

検討委員会での議事進行を事前に作成し、都合の悪い事、必要以外の事は議題にしない、問題となりそうだったら話題をそらすように仕向けるなどのシナリオを作っていたのです。
福島県民の健康の為と称して、実際には被ばくの実態を隠す為の委員会だったのです。なぜ、そんな事をするのか、
全て原子力ムラの擁護のためです。
後日、必ず悪事は裁かれる事になるでしょうが、
主犯は悪名高い山下俊一(福島県立医大副学長)であり、共犯は福島県知事、県担当者そして主犯に唯々諾々と従った(「不気味なほど意見が出ない。おかしい」検討委員会を傍聴していた市民団体「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」代表の佐藤幸子さん談)検討委の19名のメンバー達です。許しがたい輩たちです。

福島県「県民健康管理調査」検討委員会委員名簿
平成24 年4 月26 日(福島県庁ホームページより転載)
 
委 員 (敬称略)
氏 名 現 職
山 下 俊 一 (座長)公立大学法人福島県立医科大学副学長(福島県放射線健康リスク管理アドバイザー)
明 石 真 言  独立行政法人放射線医学総合研究所理事
児 玉 和 紀  公益財団法人放射線影響研究所主席研究員
神 谷 研 二  国立大学法人広島大学原爆放射線医科学研究所所長・教授(公立大学法人福島県立医科大学副学長)(福島県放射線健康リスク管理アドバイザー)

星 北 斗  社団法人福島県医師会常任理事
阿 部 正 文  公立大学法人福島県立医科大学理事兼副学長 (医学部病理病態診断学講座主任(教授))
安 村 誠 司  公立大学法人福島県立医科大学医学部公衆衛生学講座主任(教授)
菅 野 裕 之  福島県保健福祉部長

 
オブザーバー (敬称略)
氏 名 現 職
福 島 靖 正  内閣府原子力災害対策本部 原子力被災者生活支援チーム医療班 班長
伊 藤 宗太郎  文部科学省科学技術政策研究所総務研究官
(EOC 医療班 班長)
塚 原 太 郎  厚生労働省大臣官房厚生科学課長
佐 藤 敏 信  環境省総合環境政策局環境保健部長
細 矢 光 亮  公立大学法人福島県立医科大学医学部小児科学講座主任(教授)
藤 森 敬 也  公立大学法人福島県立医科大学医学部産科婦人科学講座主任(教授)
鈴 木 眞 一  公立大学法人福島県立医科大学医学部器官制御外科学講座教授
大津留 晶   公立大学法人福島県立医科大学医学部放射線健康管理学講座教授
坂 井 晃    公立大学法人福島県立医科大学医学部放射線生命科学講座教授
矢 部 博 興  公立大学法人福島県立医科大学医学部神経精神医学講座准教授

アスベスト被害による友の死

数年前に旧い山の友が亡くなりました。
鉄道会社に勤務し、若い頃僅か2年間ほど配属された車両整備の職場で、室内に拡散していたアスベスト粉じんを吸ってしまったのが原因です。

40年後に発病し、元気だった彼を死に追いやったののは「肺がん(悪性胸膜中皮腫)」でした。
長く因果関係を争い、労災認定を得る事が出来ましたが、最後まで自分のアスベスト吸引を信じたくなかったと聞きました。

アスベストは安全
アスベストが危険視され、外国では対策が講じられていた頃、
日本の「石綿スレート協会」が1987年頃発行した石綿は安全であるとうたった「石綿スレートと健康」という小冊子に書かれていることが、現在、福島原発事故による放射線被ばくも安全だという医師たちと重なります
アスベスト災害が、実際にはその後どのような悲惨な被害をもたらしたかは、皆さんがご存知のとおりです。
一部を転載します。


以下、一部転載
がんの実態はまだ解明されていません。
世界中の科学者達がその正体を明らかにすべくあらゆる角度から、アプローチしていますが、石綿とがんとの関係についても多くの人が研究を続けています。
然しこれまでの調査研究は、その殆どが過去の高濃度の職業上の石綿ばく露を長期間受けた人々についてでありました。、

従って現在の整備された作業環境で働く労働者、更にはそれよりも格段に低濃度の一般環境にあっては、石綿とがんとの関連は全くないと云うのが私共の考えです

然し中には「石綿に被曝する度合いが少なければ少ない程がんの危険性は減少するが、いかに低濃度であっても危険性がゼロになることはない」と主張する科学者もあります

然しこの様な考えを認めたとしても、これによる危険は、前にも述べました我々が日常生活に於いて遭遇するいろいろな危険に比べてもはるかに小さく、云わば「許容される危険」の範囲にはいるものではないでしょうか。

一方石綿スレートは重要な建設資材としてあらゆる方面に数多く使用され、特に代表的な不燃建材として毎年多くの人命、財産を火災から守ることに大きく貢献していることはご承知の通りでありあります。
消防白書によりますと昭和59年の全国の建物の出火件数は38,254件で、これにより1,354人の尊い人命が失われておりますが、この内950人(70.2%)が木造建物で亡くなられた方々でありました。
もし、この木造建物に不燃建材がもっと使用されていたならばこの内何割かの人命を失わずに済んだかと思わずにはいられません。

以上、いろいろ申し述べましたが、石綿スレートの安全性について皆様の十分な御理解を得られたものと確信いたします。
一部転載終わり

因果関係を認めない、認めたくないとする過ちは、過去の薬害、公害、災害など、そして広島、長崎の原爆被害にはじまり、その後の放射線被ばくの全てに共通します。
公害、薬害など書けばきりが無いのですが、今話題の映画
「放射線を浴びたX年後」に描かれたビキニ環礁での水爆実験による第五福竜丸や、他の多くの漁船員の被ばく、米国ネバダ核実験場での原爆演習に参加した25万原爆兵士の苦悩を描いた本「カウントダウンゼロ--原爆兵士の黙示録9.11ニューヨーク世界貿易センタービルの倒壊したビル現場にいた多くの消防士、警官などのガンなどの発症をあげておきます。
(新聞記事は全て東京新聞、クリックすると拡大します)

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「米国は1954年、太平洋のビキニ環礁などで、六回もの水爆実験を繰り返した。無線長だった久保山愛吉さんが亡くなった「第五福竜丸」以外にも、多くの日本の漁船が「死の灰」を浴びたことはほとんど知られていない。
同じ海域で数多くのマグロ漁船が操業していた。二百七十隻は高知県の船だった。闇に葬られそうだった事実を発掘しようと、高校の教員だった山下正寿さんは三十年かけて、生徒とともに漁村を訪ね歩き、聞き取りを続けた。調査の過程で二百人以上の元船員の消息が分った。健在なら五十代から六十代のこの時期に、三分の一の人はすでにがんなどで亡くなっていたという。
山下さんの調査の調査の足跡を丹念にたどり、生存している元船員や遺族への取材を重ねた南海放送(松山市)のドキュメンタリーが映画になった。。「放射線を浴びたX年後」
なぜ、被曝の記憶が消えたのか。船員には米国からの補償金は届いたのか。歴史の底に沈む闇を照らそうとするジャーナリズムの熱意が伝わる。山下さんの執念が、地方のテレビ局に乗り移ったかのようだ。
南海放送が独自に入手した米国の原子力委員会の機密文書からは、日本全土が核実験の死の灰で覆われていた実態も明らかになる。福島第一原発の事故を経験した今、映像は重い問い掛けを発している。---東京新聞8月22日朝刊筆洗いより
 http://x311.info/ 放射線を浴びX年後 公式サイト
http://www.youtube.com/watch?v=3pJ10qIEnLw 放射線を浴びX年後の予告編



その数二十五万人ともいわれるアメリカ軍将兵が戦後、二百回を超える大気圏核実Dscn7766_320験で放射線に被曝し、各種の晩発性障害に悩まされていることは既に広く知られている。しかし、原爆復員軍人自身が赤裸々な体験を生々しく記した記録は本書以外にはない。
全米原爆復員協会(NAAV)の創設者として今では、伝説的な存在となった故オービン・ケリーが太平洋のエニウェトク環礁ジャブタン島で、NAAVの中心的人物として今も活躍し続けているトーマス・サッファーがネバダ核実験場で、それぞれ体験したすさまじい核爆発と核戦争の訓練、ケリーのリンパ腺ガン、サッファーの神経筋異常の原因が被曝にある、と確信した後、彼らが国防総省国防核兵器局や復員軍人局を相手取って続けた闘い----と前半は劇的シーンの連続で、読むものをひきつけて離さない。---同書「あとがきにかえて」より

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米ニューヨークの世界貿易センター(WTC)などを狙った2001年9月11日の同時多発攻撃から、今月11日でちょうど11年を迎える。しかし、跡地(グラウンド・ゼロ)の再開発をめぐる確執や消防士らの健康被害など、事件から10年以上が過ぎた今も問題はなお残されている。

跡地には昨年9月に追悼広場がオープンし、これまで400万人以上が訪れているほか、同広場の横には2014年のオープンを目指して全米有数の超高層ビル「1(ワン)WTC」が建設中だ。

しかし、同地中心部に建設予定のミュージアムの資金をめぐって、関連財団とニューヨーク・ニュージャージー港湾管理委員会の確執が続き、ミュージアムの建設はとん挫。また、再開発の総費用も2008年の110億ドル(約8600億円)から150億ドル近くまで膨れ上がっている。
こうした状況を批判的に見ているのは、当時救助やがれき除去などに当たり、その後がんなどの病を患った消防士の遺族たちや支援団体だ。WTCの崩壊では、窓ガラスの破片やアスベストを含むがれきが大量に発生し、発がん性物質がまき散らされた。複数の調査によると、同時多発攻撃に関連する病気で死亡した人は1000人を超え、今なお治療を受けている人も全米で少なくとも2万人に上るという。

ブルックリンを拠点とする支援団体は「現在でも病に苦しんでいる人がたくさんいる」と説明。また別の支援団体によると、過去7週間で警官3人、消防士2人、建設作業員1人が、がんや呼吸器疾患で死亡したという。

夫を亡くしたというレスリー・ハスキンスさんは、跡地の再開発をめぐる対立に幻滅していると語り、「呼吸装置を買えない人たちがいるというのに、なぜ大金をビルの建設につぎ込むのか」と訴えている。

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