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2012年9月23日 (日)

お墓参り---新義真言宗の小冊子「ともしび」より

昨日はお彼岸の中日。四谷の東福院へ墓参に行き、小冊子「ともしび」平成24年秋 第23号を頂きました。
いつものようにこのパンフレットから、お墓参り」と生活のなかの仏教語「退屈」をご紹介します。
あくまで、自分が書き写すことで、理解を深めることが目的ですが、もし、お読みいただければ幸いです。

「お墓参り」

皆さん最後にお墓参りをしたのはいつでしたか?
夏のお盆にはお墓参りをしましたよね?
まもなく秋のお彼岸がやってきます。祥月命日にお墓参りされている方、毎年、必ずお参りされている方はもちろん、あまりお墓参りされていない方も、このお彼岸を機にお墓参りに出向いてはいかがでしょうか。
本来、お墓参りというものは、家族や友人、そしてご先祖さまの回向をするとともに、自分の近況報告をしたり、お墓参りに集まった親族や友人とお互いの無事を確認し合うという大切な意味をもちます。
これは法事やお通夜、お葬式にもいえることです。
お通夜、お葬式は故人との別れを偲ぶ悲しい日であると同時に、普段、会うことの少ない親族や友人の無事を確認できる日でもあります。
年回の法事にいたっては、故人を偲ぶとともに、席を設け集まった皆の無事を喜びながら食時をいただくという、明るい行事としての側面をもちます。
このような、お墓参り、法事、お通夜、お葬式で互いの無事を確認できるのは、すべて仏さまになった家族、友人、ご先祖さまたちが結んでくれたご縁によるものです。
このご縁を「仏縁」といいます。
皆さんもこのありがたい仏縁をかみしめながら、この秋のお彼岸にお墓参りをしてみてください。
きっと仏さまに喜んでいただけて、集まった親族友人との再会を感謝できると思います。
その際には忘れずお寺の住職に一声かけた、ご本尊様にお手を合わせてくださいね。

生活のなかの仏教語
「退屈」
「やることがなくて退屈だな」「暇で退屈だ」などと、ときどき耳にする言葉ですね。
今では、何もすることがなく暇をもてあます状態を「退屈」というのが、一般的ですよね。
本来の意味は、仏道の修行が厳しく苦難に疲れ果て、それに耐えられずに気持ちが後退し、精進の気力が屈すること、つまり挫折することを意味する仏教の言葉です。
それが転じて、疲れて嫌になることを意味するようになりました。
何もしなくなると、暇をもてあましたり、つまらなくなったりすることから、時間をもてあますことや物事に飽きる場合に使われるようになりました。
仏道の修行にかぎらず、何事も途中で退屈してしまっては成就できません。
どんな苦難にも屈するとこなくがんばりとおす忍耐が大切ですよね。

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