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2011年3月29日 (火)

2011年柳瀬川桜の開花状況その1(一分咲き)

原発事故ばかり追っていて柳瀬川土手の桜を忘れていました。
今日から時々、毎年恒例の桜開花状況をお伝えします。今日はその1.
我が標準木NO.161の今日(2011年3月28日)は、1分咲きといったところでしょうか
昨年も開花が遅かったのですが、それでも今頃は3、4分咲きでした。
今日も土手を吹き抜ける風は冷たく、今年は開花がかなり遅れそうな気配です。
今週末はまだ、花見は無理かもしれません。
ところで、今年は柳瀬川さくら祭りは中止と決まりました。夜桜が楽しめた提灯も釣られないようです。
志木市は今日もやや大きめの地震が2度感じられ、断続的に、微振動が続いています。
Dscn6212_320 (写真左上、手前の木が、勝手に決めた我が開花標準木NO.161。土手の桜には全て番号が付けられています。)

(写真左下、蕾もふくらんでいますが、開花宣言はまだ先です)

Dscn6210_320

先週、墓参のおり、四谷東福院で頂いた新義真言宗のパンフレット「ともしび」平成23年春 第20号より、「我慢」を転載します。

我慢
「どんなに苦しくても我慢しよう」「痛かったけれど、ぐっと我慢した」などと、日常会話のなかにしばしば出てくるこの「我慢」は、耐える、辛抱するという意味で使われていますが、この語は元来、仏教から出た語であります。
 仏教用語の我慢は忍耐、辛抱とはまったく無関係の語であり、「我」は自分、「慢」は慢心のことで、自分を高く評価しておごり高ぶる心、つまり自惚れ、思い上がりのことを意味します。
ですから、辛抱や忍耐と違ってあまり好ましい意味の言葉ではありません。
この我慢は「七慢(しちまん)」の一つに数えられています。

1. 慢----劣った人に対して、自分のほうが秀れていると思う心。
2. 過慢(かまん)----自分と等しい人に対し、自分のほうが秀れていると思う心。
3. 慢過慢----相手のほうが秀れているのに、自分のほうが秀れていると思う心。
4. 我慢----自分の考えを唯一に思って、おごり高ぶる心。
5. 増上慢----まだ悟ってもないのに、悟っていると思う心。
6. 卑慢----人よりはるかに劣っているのに、あまり劣っていないと思う心。
7. 邪慢----悪事をしても、罪の意識ももたぬ思い上がりの心。


こうした「我」を中心とした執着心(慢)があるかぎり、決して向上はなく、清浄な心も得られません。
さて、現在広く使われている、忍耐、辛抱といった意味はどこからきたのでしょう。
昭和に発行された国語辞典である「大言海」では、「我意を張るに堪えがたきを、怺えて張る意より転じて」つまり(徹底的に堪えてまで我意をはる)ところから出てきた意味としています。
このように、強い我を通すためには苦難を辛抱する必要があり、そこから現在使われている意味の我慢として使われるようになったのでしょう。

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