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2011年1月 3日 (月)

マスコミの驕り

新年明けましておめでとうございます。
2011年を迎え、当ブログ「柳瀬川のほとり」も書き始めてから、まもなく満5年となります。
お陰さまで記事も昨年末に1000本を越える事ができました。
ブログの主筆SOUROKU及び柳瀬川通信:報道部デスク以下記者一同、そしておらが、おらがの作男からも御礼申し上げます。
読者の皆様に立ち寄っていただけることが、書き続ける励みになっております。
ありがとうございました。

今年も身の回りのこと、感じた事、旅、登山などについて書くつもりですが、今、どうしても書き続けたい事があります。
それは民主党政権誕生以後、ますます露骨になってきたたマスコミの偏向、横暴、捏造、世論誘導などに対する怒りを少しでも世に表わしておきたいという事です。
過去に犯した報道姿勢の過ちの歴史を、再び繰り返す様を見過ごすわけにはいきません。

柳瀬川通信:報道部 担当 作山記者
昨年12月8日の東京新聞の「筆洗」欄に書かれていたことです。
以下転載
作家の吉村昭さんは、城山三郎さんとの対談で「戦争が終わったときの一般のマスコミの風潮というのは、一部の軍国主義者が戦争を指導したというんだけれど、そうじゃないんですよ。
われわれがやった。
国民がやったんですよ。
それを責任転嫁している、文化人と称する人たちは」と語っていた。国民は戦争に向かう巨大な渦に巻き込まれながら、熱狂して戦争の遂行を支えた。率先して国民的熱狂をあおり、燃え上がらせた新聞の責任の重さをあらためて自覚する。

転載終わり

もうひとつ。昨年12月26日の東京新聞「新聞を読んで」欄より。宇津井輝史氏が書いています。
以下一部転載
日本はまた「空気」に支配される国である。
空気は絶対的な支配力をもつ。ある空気が社会を支配するとそれに抵抗する者は異端とされ、社会的に葬られることすらまれではない。
一度流れができると逆らうことなど到底不可能な奔流となる。
マスコミは社会の公正を守る公器である。
報道の使命は、国民が知るべき情報を天下に晒し、社会がある方向に傾いてバランスを崩すことを防ぎ、民主主義の危機を回避することにある。
だから権力を監視し、少数意見を大切にする。
強い者をけん制し、弱い者の立場を守ろうとする。
だが、そのマスコミが、この国ではなぜか社会現象としての嵐に加勢し、空気をつくっていくのに決定的な影響力を持つのである。
例えば昭和の戦争。特に日米開戦後は、国を挙げての戦時体制になった。不利な戦局を国民に知らせないまま、ひたすら無謀な戦争に走った。
一億玉砕という集団狂気がまかり通った。軍事政権の検閲を受け入れたマスコミが結果として後押しさえした。新聞が本来守るべきものを守れなかった。

(一部省略)
マスコミは実は権力である。世論というものを形に示す事で「空気」をつくっていく。この国で絶対的な支配力を持つ空気を醸成する装置である事を忘れてはならない。
新聞もそれを自戒しながら公正中立な報道に務めてほしい

転載終わり

尊敬する故小林勇(岩波書店会長)も著書の「一本の道」にこう書いています。
以下転載
昭和15年から16年にかけて、日本政府が行った言論出版に対する圧迫は猛烈なものであった。政府といっても、もちろんそれは戦争を強行する、あらゆる勢力の結集したものというべきであろう。
自由な言論の行われない世界に住む人間が、如何に惨めになるものか、この頃の新聞、出版物等を引き出して見るがよい。
新聞出版社は、自己保存のために、敢えて反抗するものはない。
それどころか、自分から進んで時局に迎合し、国民をだました。私はいまその事実を挙げることはしない。しかし今後も、この時期の言論報道出版等の刻んだ悪の記録を人々が忘れないことを強く願わずにはいられない。
転載終わり

しかし現実にはマスコミは、責任の重さを自覚もしていないし、反省もしていません。
公正中立な報道にも務めていません。
自分から進んで官僚、財界、既得権益死守勢力、米国隷従に迎合して国民をだまし続けています。
マスコミが権力、または第四権力などとされる事の是非はおくとして、どうしても自社の信念、持論で国民を啓蒙したいなら、自らが作った「新聞倫理綱領」などにとらわれない立場を明確にしてからにしてください。
それをなし得ずに、権力の監視者ぶったりする不正義に対して、柳瀬川通信:報道部は今年も微力ながら書き続けます。


http://yanasegawa.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/index.html マスコミ倫理の日米比較(2010年3月31日のブログ)

「新聞倫理綱領の一部抜粋」

おびただしい量の情報が飛びかう社会では、なにが真実か、どれを選ぶべきか、的確で迅速な判断が強く求められている。
新聞の責務は、正確で公正な記事と責任ある論評によってこうした要望にこたえ、公共的、文化的使命を果たすことである。 
編集、制作、広告、販売などすべての新聞人は、その責務をまっとうするため、また読者との信頼関係をゆるぎないものにするため、言論・表現の自由を守り抜くと同時に、自らを厳しく律し、品格を重んじなければならない。

「正確と公正 新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究である。報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない。論評は世におもねらず、所信を貫くべきである。」

「独立と寛容 新聞は公正な言論のために独立を確保する。あらゆる勢力からの干渉を排するとともに、利用されないよう自戒しなければならない。他方、新聞は、自らと異なる意見であっても、正確・公正で責任ある言論には、すすんで紙面を提供する。」

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