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2010年10月31日 (日)

畑のハクサイ、その後

作男です。
Dscn5920_320 昨日の夕方、雨の中で台風14号に備えてハクサイの上に架けた寒冷紗のトンネルを外しただよ。
幸い、台風は関東地方の東の海上にそれたで、おらの住む埼玉県では強風はほとんど吹かなかっただ。
それでも、おら心配だで、今朝畑に行ってみただ。
良かっただよ。被害なしだ。
今までは、寒冷紗のトンネルでで見え難かっただが、それさ外してみたらハクサイは元気に育ってるだ。

ただ、成長にだいぶ違いが目立つだな、それと、虫食いだな。
穴だらけになっている葉っぱが多いだよ。
写真の左側の畝で、真ん中あたりで少し空いているところは、あまり虫に食われたで、残念だども、2株のハクサイを抜いてしまっただよ。だども、変だな。今日も探してみただが、アオムシは見つからねえだ。他の害虫だべか。

しかたねえだ。明日、気乗りはしねえだが、「GFオルトラン水和剤」1000倍希釈液を散布するだよ。この家庭園芸用の農薬は、1gづつ袋に小分けされているだで、そのまま1Lの水に溶かすと1000倍希釈液になるだで、おらの所のようなちっちゃこい畑には便利だよ。
すまねえだが、アオムシ君よ、覚悟してくれ。

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2010年10月30日 (土)

マンションに共同浴場がついた

Kyoudou_huro_320 都市部で共同浴場つきのマンションが建設されて、良い販売実績を挙げているとのことです。
自宅の小さなユニットバスに比べたら、確かに広い風呂は気持ちが良いし、だいいち風呂を掃除しなくてすみます。

現在、販売されている共同浴場付きのマンションは、高齢者対象ではなく、大きな風呂の快適さと住民のコミニケーションがはかれることが、人気なのでしょう。
戸数がある程度多くないと駄目ですが、年間1500万円ほどの維持費も、月に2000円ほどを戸割りの管理費に加えるとまかなえるようです。
さまざまなニーズにこたえる施設を組み入れたマンションが増えていますが、遂に共同浴場に至ったかの感があります。

しかし最近は集合住宅の居住者で、スポーツクラブの浴場に、入浴だけの利用をする高齢者が増えているそうです。
大手建設会社に勤務する友人も、最近のスポーツクラブの建設には、高齢者向けに浴場を充実させることが重要なのだと話してくれました。
志木ニュータウンでも、近くのスポーツクラブの浴場を利用するので、自宅の風呂は物置になっていると語る人を何人も知っています。
「一人暮らしでは、毎日、風呂を洗うのが面倒だし、最近はスポーツクラブの会費が、依然と比べたらうんと安いから、経済的」
「前は泳いでいたけれど、最近はお風呂だけ」

スポーツクラブが、昔の公衆浴場の役割を果たしているようです。ただし、この場合、自宅から近いことが条件ですね。

集合住宅の共同浴場といえば、思い出すのが代官山の同潤会アパートです。
今は取り壊されてしまいましたが、約6千坪の敷地に、二階建て、三階建ての棟が36棟程あり、総戸数737戸の集合住宅団地でした。
仕事場が渋谷にあったので、昼休みの散歩にこの古いアパート群の中を歩くのも一つの散歩コースとなっていました。今から40年以上も前の事です。

敷地内に入ると、記憶が曖昧なのですが、たしかアーチ門のような入口をくぐると広場があり、そこに銭湯がありました。
同潤会アパートの居住者のための共同浴場でもあり、近所の人も利用できる施設でした。ボイラーは薪を使っていて、柱や梁などの建築廃材が積まれていた覚えがあります。
銭湯の横には、ガラスの引き戸の食堂もあって、独身居住者に利用されていました。
今から思えば、この銭湯も食堂も一度も利用してみなかったのが残念です。

代官山の銭湯と共に思い出すのが、やはり50年以上も前の北軽井沢の一匡邑の共同浴場です。
一匡邑については、このブログでも何度か書いていますが、広い林の中の敷地に、区割りすることなく、小さな別荘があちこちに立っていました。
今では一匡邑設立当初の建物は、ほとんど立て替えられ、いかにも別荘という感じの建物が多いですが、当時は設立当時の山小屋と言った風情の建物がほとんどでした。
各小屋に風呂は無く、そう確か水道も無かったのです。
皆、夕方になると管理人Mさんの家の横の、小さな共同浴場に交代で入りに行きました。
共同浴場の横の小さな広場で大人たちは話し込み、子供たちは花火などをして遊んでいた記憶があります。
広場横の小川で、顔を洗い、歯を磨くことができた良き時代の思い出です。
(写真は千葉県佐倉市のビオ・ウイング ユーカリが丘の共同浴場:パンフレットより)

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2010年10月27日 (水)

まか不思議

東京新聞購読者に配布される、首都圏の生活情報誌「暮らすめいと」「街の唄」欄に、次のような文が掲載されていました。

これ、本当のことなのかな。
転載させていただきます。

まか不思議

「60歳以上の夫婦限定という東北の旅に参加した。
森の霊場、恐山に入る時バスガイドが厳かに「皆さん、これから三途の川を渡ります」。
そして冗談めかして「三途の川を見た方はいますか」と問うと、なんと幾人かがハイと答え、車内に小さなざわめきが---。
その一人Aさん(78)は三十代のころ、高い足場から転落して心肺停止状態に。
そして見たのである。

「灰色の風景が広がり川が穏やかに流れていた。
向こうに何か心が安らぐ明かりがあって誰かが招いている。
思わず行きかけた時、後ろから名前を呼ばれてね」

目覚めると、病院のベッドにいて仲間が心配そうに見下ろしていた。
その光景は今も鮮明に覚えているという。他の方も同じような体験だった。
みんな、川から引き返してきたが、もし渡ったらどうなるのか。
その答えはない。人生とはちょっと怖くて、まか不思議なことだらけである。(哲)」

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2010年10月26日 (火)

蓼科山秋色

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(写真上といちばん下は、蓼科山登山の翌日に訪ねた白樺高原国際スキー場の紅葉。霧が湧いて森を包み、幻想的な光景でした)

10月24日(日) 長野県の蓼科山(2530m)に友人二人と登ってきました。
朝、夢の平林道を走って、9時前に大河原峠の駐車場に車を置き、そこから登り始めて、前掛山の分岐を経て将軍平から蓼科山山頂に至りました。
僕は日本100名山である蓼科山の登山経験は無く、今回が始めての登山でした。
1時間半ほどの登りで将軍平につくと、急に登山者が増えてきました。七合目コースから登って来る登山者が合流するからでしょう。今日も若い登山者がかなり多いのは嬉しい。
ここから山頂までは歩きにくい岩石のごろごろした急な山道です。階段状と書かれていますが、なんとも登り難い登山道です。

登りついた蓼科山の頂上には驚きました。広い山頂が見渡す限り全部、登山道と同じ岩の積み重なりで、どこにも安定して立てる場所がありません。強い風に体がふらついて不安定なことといったら、平衡感覚がおかしくなったのかとさえ思いました。

山頂からは天祥寺原へ下り、亀甲池から双子池に周り、そこから双子山に登り返して
大河原峠の駐車場に戻りました。
全行程約6時間のコースタイムですが、休憩も含めて大河原峠に戻ったのは午後5時近く、まもなく日没というところで、約8時間ほどの山歩きになりました。

蓼科山なんて簡単に登れると考えて、よく調べもせず地図だけをもってやってきたのですが、どうして、どうして登山道としてはなかなか厄介な山道です。
特に山頂から天祥寺原に下る沢コースは、将軍平から山頂にいたる登山道以上に、岩ののごろごろした道で、特に危険は無いのですが、一般登山道とはいえない整備状況だと感じました。
今回は山と高原地図「八ヶ岳」を参照しましたが、全体にコースタイムがややきついなと感じます。
年齢からの事もありますが、それでも最近のガイドブックのコースタイムは、やや所要時間が短めに設定されていると思います。
特に長い登りと、急な下りコースで感じます。
単独行の登山者などがインターネットに書く登山記録のコースタイムは、なにか、速さを競うようで、僕には論外なタイムで参考になりません。

登山中は、終日曇り空で、最後の双子山山頂付近で小雨になり雨具を着用しましたが、全体ではまあまあの天候で、秋の山歩きを充分に楽しむ事が出来ました。
山頂までは、登山者が多かったのですが、天祥寺原、亀甲池、双子池、双子山のコースに入ると他に登山者は無く、ほとんど僕達だけの山でした。
山頂から降りてきた紅葉は、今1500m~2000m以下位が見頃のようで、高いところは
もう終わったようです。
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(写真1枚目、蓼科山山頂から、南八ヶ岳方面を見る。今回も同行している友人と7月に登った赤岳、阿弥陀岳が見え、麓の紅葉がきれいだ。)

(写真2枚目、広い山頂全体がごろごろした岩石で覆われている蓼科山頂上。歩きにくい事、このうえない)

(写真3、4枚目、山頂から、登山道とは呼べないような岩のごろごろした沢道を天祥寺原まで下りきると、そこからは林の中の快適な道が続いていた)

Dscn5889_320(写真5枚目、亀甲池は完全に干上がっていた)

(写真6枚目、双子池の静かな湖畔の木々が黄色く色づいていた)

(写真7枚目、双子池から双子山に登る道は、笹が生い茂っていて、身体が濡れたが、頂上付近は、見晴らしのよい草原で、今日歩いたコース中でも秀逸の景観だった)

(写真8枚目、夕暮れ迫る双子山山頂。なにかどこまでも歩いて行きたくなるような道が続いている。事実、大河原峠の駐車場が見えた時、なんだかちょっと残念な気がした。山歩きは本当に楽しい)
 

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2010年10月23日 (土)

スイフヨウ(酔芙蓉)とフイリヤブラン

Dscn5865_320 今日は久しぶりの気持ちのよい秋晴れ。
志木ニュータウン内で スイフヨウ(酔芙蓉)とフイリヤブランが咲いていたので、撮ってみました。
スイフヨウは、朝は白色で夕方にむけてだんだん赤色になる花と聞いていましたが、夕方になっても白い花もありますので、必ずしも全部の花がその変化をしないのかも知れません。2、3日観察してみます。

フイリヤブランは、昨年も同じ場所に咲いていたのか記憶に無いのですが、スイフヨウの下で、紫色の花がきれいに咲いていましDscn5867_320_2 た。
花の名前などほとんど知らないので、こんな覚え難い花の名を知っていたわけではありません。花の横にあった説明板で知ったというわけです。 Dscn5868_320

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2010年10月20日 (水)

消えたニュース---海賊に拉致された?貨物船「IZUMI」の安否

 柳瀬川通信:報道部 担当作山記者
1 0月10日にケニア モンバサ沖で海賊に拉致されたようだと報じられた日之出郵船運航の貨物船「IZUMI」ですが、その後の様子が全く報道されません。
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2765823/6316989 「IZUMI」の写真

貨物船の運航会社である日之出郵船(株)は日本郵船(株)の子会社です。
その日之出郵船のホームページに日本郵船と連名で次のようなお知らせが発表されています。
http://www.nyk-hinode.com/日之出郵船HP
http://www.nyk-hinode.com/20101011.pdf 消息不明を知らせる日本郵船ニュース

毎月、日本の海賊対処の定期情報を書いているので、この「IZUMI」の安否が気になり、毎日このHPを見ているのですが、その後の状況発表が全くありません。
政府も、事件が報道された時は、次のような対応を見せました。しかし、その後は何を考えてどう対処しているのか、全く情報がありません
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101012/plc1010121038003-n1.htmmsnニュース

「以下、記事転載」
ケニア沖海賊で馬淵国交相「緊張した思いで推移見守る」ーMSNニュース
2010.10.12 10:36
 アフリカ東部のケニア・モンバサ沖を航行していた日之出郵船(東京)の多目的船「IZUMI」(パナマ船籍)が海賊に乗っ取られたとみられる問題について、馬淵澄夫国土交通相は12日午前の記者会見で「非常に緊張した思いで推移を見守っている。IMO(国際海事機関)と協力しながら、今後の対応を考えていきたい」と述べた。

 馬淵氏は「われわれとしてできることは、再発防止を含めどう対応できるかということ。省を挙げて取り組んでいる」と述べた。

 同船はフィリピン人20人が乗り組み、鉄鋼製品を積んで君津港(千葉県)からモンバサへ向かっていたが、10日午後2時53分(現地時間10日午前8時53分)ごろ、緊急通報を発した後に連絡が途絶え、11日正午ころ、デンマークの艦船から「IZUMIが海賊に乗り込まれた」との情報が入った。国交省によると、12日午前0時の段階で、同船はソマリア沿岸を北上しており、周辺で海賊警備に当たっていた海外の艦船が追尾しているという。
  「転載終わり」

日本の船会社が運航していると言っても、船籍はパナマであり、日本郵船から船主として発表されているフェア フィールド シッピング株式会社なるものは、ネット上で検索しても見つけることが出来ません。(国籍など調査中 --報道部)
それに、乗組員も船長以下20人全員がフィリピン人だから、海賊に拉致されても、日本では関心がもたれないのでしょうか。
これが、
乗組員が日本人だったら、大騒ぎになるのでしょうか
そう、軍事区域に侵入したとして中国政府に拘束された日本の建設会社社員4人のように。

しかし、海賊対処のために、ソマリア沖で日本の護衛艦が船団を組んで護衛している日本関係船舶には、日本籍船は3%しかありません。
もっとはっきり書くと、海賊対処法により、護衛された日本関係船舶の合計は昨年7月より今年9月末まで293隻ですが、そのうちに日本籍船は僅か9隻なのです。
他の284隻はすべて、日本の大手船会社のが運航する外国籍船、それもほとんどパナマ船籍です。
大手船会社の経営方針で、船舶を自社の所有にはせず、税金や経費の安いパナマ船籍にしてしまったのです。船には日本国旗は掲げられません。
ホルムズ海峡で原因不明の損傷を受けた商船三井の大型原油タンカーも、勿論、事故当時日本国旗は掲揚していませんので、海上で日本船とはわからなかったはずです。
ちなみに自国の海外航路用船舶のほぼ100%を、外国籍、ほとんどパナマ籍にしてしまっている国は日本以外に見当たりません

護衛船団に加わっている船舶運航国のうち、もっとも多い中国はほぼ100%自国籍船です。
これは国の事情による特殊例としても、中国についで多いドイツは、ドイツ籍でドイツ国旗掲揚船を20%以上保有しています。
自国の海運業に対する施策と船主との連携が、無策の日本とは比較にならないくらいしっかりしているのです。

「IZUMI」の実際の所有会社がどこか発表されていませんが、かような状況下で、日之出郵船の「IZUMI」は、拉致されたのです。
日本の船会社の所有でありながら、パナマ船籍で登録され、乗組員も全員外国人といった船舶が海賊に拉致されたときに、日本政府がどのような対応をするのか、いや対応したらよいのかははっきりしていません。

乗組員の救助は?、身代金の支払いは?など、具体的な対応が多分決められていないのかもしれません。

それゆえ、海賊対処のためにソマリア沖に派遣されている海上自衛隊の護衛艦も、拉致されたと思われる「IZUMI」にたいして、柳瀬川通信:報道部の調査する限り、何の対応も見せていません。
「IZUMI」からの連絡が取れなくなり、海賊に拉致された疑いが発生したのは10月10日です。
しかし10日から12日と12日から15日にかけて、海賊対処行動の141回、142回の護衛船団が何事も無かったかのように、通常の船団護衛についている事が防衛省から報告されています。
141回、142回とも護衛艦2隻によって護衛されたのは、外国籍船を除けば、それぞれ僅か1隻の日本関係船舶です。
嫌味な言い方になりますが、護衛艦2隻に商船1隻、手厚い護衛です。
護衛には1隻あたり3日間の護衛に5000万円以上の経費(税金)が投入されています。5000万円というのは、1年以上前の国会での質疑で明らかになった金額ですから、それよりも護衛船舶が少なくなり、かつ護衛距離が伸ばされた現在は8000万円以上かもしれません。
この2回の護衛船団に加わった外国籍船は計18隻あります。そのなかでもっとも多いのが中国の船舶運航会社による中国貿易関連船舶というのも、最近の中国との複雑な事情からして、割り切れない感もあります。
かように、海上自衛隊の護衛船団からしっかり護衛されている船舶と、「IZUMI」のような拉致されてしまうとなにか見放されたような船との落差の大きさに驚いてしまうのです。
もしも、
日本人乗組員が乗船していないから、対応が後手にまわるのだとしたら、それは多いに問題があります。
いまや、日本の海上輸送のほとんどが、
外国人船員の力で成り立っています。
日本政府、及び大手海運会社の施策で、日本人の乗組員は壊滅状態です。
海賊対処法により護衛された
日本関係船舶の293隻の乗組員数7、281人中、日本人船員は341人しかいないのです。

なにか事あるとき、我が日本国には
運航する船舶無し、乗船できる日本人船員無しの状況が目に見えています。
そのなかで運航してくれる船舶、そして、もしもとしか言えませんが、危険を冒しても乗船してくれる外国人乗組員を確保するためにも、日本政府、船舶運航会社の対応は極めて大切です。
今、日本政府、国土交通省、防衛省、海上保安庁は、10日間も何の報道もなされなくなった「IZUMI」の状況を
、「粛々と見守っている」だけなのでしょうか。
起死回生の朗報を発表すべく、官民挙げての対応を成し遂げつつあるのでしょうか。
それにしては、
「関係者からの話」が漏れ聞こえてきません。

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2010年10月18日 (月)

I am Pater---ハイジの里の子供たち

週末に2冊の本を読みました。
「日本人のための戦略的思考ー日米同盟を越えてー」 孫崎享
「売国者たちの末路」 副島隆彦・植草一秀

この本は、最近の政治、経済、検察関連などの報道に、心穏やかでない僕のいらだつ精神状態を、またまた刺激するのですが、著者達の実務の経験から得た情報と分析に、そうだったのか、そのとおりだなと納得する事が多々あり、ろくな思考もできず混乱している我が頭の整理に大変役立ちました。
 
 最近読んだ別な本に、「打ちのめされるようなすごい本」があります。
著者の米原万里さんの書かれた沢山の書評文に、忙しい執筆活動や、通訳の仕事の中で、良くぞこれだけの本を読みこなし、要約し、かつ的確な書評にまとめられるものと、ただただ驚嘆したのですが、この2冊の本の著者達もまた、多くの文献、資料、著作を読みこなしている事に感心させられました。勿論、この著者達は著名な方々ですが、それにしても世の中には、すごい人達が大勢いるものですね。

大新聞、テレビなどは、自分たちで決めて守ると誓った「新聞倫理綱領」「放送倫理基本綱領」を忘れ去ったかのような昨今の報道姿勢ですが、インターネットでは、政治、官僚、大資本、マスメディアなどの既得権益勢力に、厳しい目を向ける人達が増えていることを感じます。皆さん、本当に良く調べ、読み応えのある論旨を発信してくれて、元気づけられます。

ところで、中東ペルシャ湾のホルムズ海峡で商船三井の大型原油タンカー、「エム・スター」(約16万トン)が損傷を受けた事件の、その後の調査結果と、ケニアのモンバサ沖で海賊に拉致された可能性が高い日之出郵船の貨物船「IZUMI」(約1万4千トン)の続報が全く入りません。

そんなこんなで、なかなか、思うようにブログも書けないのですが、今日は息抜きにスイスの旅の思い出でも書きましょう。

8月末、ツェルマットからチューリッヒに向かう途中、時間をやりくりして、ハイジの里として有名なマイエンフェルトを訪ねてみました。
クール駅乗換えでマイエンフェルトの駅に着いたのは、午後3時を過ぎていました。
同じ列車から降りた地元の人らしい数人の人達が去ると、もう僕たちだけの寂しい駅前でした。
 ハイジの里については、僕も旅行前に参考にしたこの方のブログhttp://www.kit.hi-ho.ne.jp/kitty-y/europe_2004_8_7.htmが楽しく読めるので、ここで書くのは省略します。、時々、他のスイス旅行のブログなどに、ハイジの里は、わざわざ行くほどの事はないと書かれているのをみますが、僕は訪ねて良かったと思いました。
駅から歩くマイエンフェルトの素朴な街並みと、広がるブドウ畑の風景は、歩く旅の楽しさを感じさせてくれます。
ハイジの里に向かうべく、人通りのない街を歩き始めた僕たちに、道路向こう側から数人の子供たちがハローと声をかけてきました。
こちらも答えると、なかの一人が「I am Pater」と叫ぶや、わっと笑って走って逃げて行きました。
ハイジの物語に惹かれて、この小さな町によくやってくる日本人をからかったのかな、かわいい、やんちゃ坊主たち。
「I am Pater」か、僕は「アイ アム おん爺(じ)だな」
はるばるハイジの里に来たことを感じた出来事でした。
(写真上から、マイエンフェルト駅は寂しい無人駅です。荷物預かり所やロッカーはありません。トイレも確か無かったようです)
(写真2枚目、それでも駅前にKioskがありました。でもお客さんがいるのかな)
(写真3~5枚目、マイエンフェルトの街の路地、こんな路を歩いてハイジの里に向かいます。冬の家まででも、約40分ほど歩きます)

写真6枚目Dscn5768_320、駅近くに有ったハイジショツプ姉妹店。「地球の歩き方」に書かれている場所と違うので、最近、移転新築されたのだと思います。ハイジの物語関連の絵本やグッズが沢山販売されています。ここから日本に送った絵はがきには、ハイジの記念スタンプが押されていました)
(写真7枚目、街を抜けると、どこまでもブドウ畑が広がっています。ハイジの里はまだずっと先です)
(写真8枚目、到着したハイジハウスです。物語のデリフル村の冬の家を模したもので、博物館になっています。隣にある事務所も兼ねたハイジショップで入場券(7スイスフラン)を購入してから見学できます。)

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2010年10月15日 (金)

無農薬栽培は難しい----白菜を植えつけただ。

お久しぶりです。作男です。元気に畑仕事さしてるだよ。
おら、白菜を植えつけただよ。苗は白色系と黄色系を混ぜて買ってきただ。
白菜は農園主さまに教わって一昨年、去年と育てたで、すっかりマスターしただよ。えへへ。
教科書には株間40~45cmくらいと書いてあるだが、おら、今年は60cmに空けてみただ。結構葉が大きくなるし、手入れもしやすいだべ。
だども、おらの野菜つくりのお師匠様が、高い使用借地料を払っているのに、もう少し効率的に野菜作りをしたほうが良いと、立派な苗を5株も持ってきてくれたで、ありがたく頂いて、間に植え込んだで、少し窮屈になっただな。

Dscn5855_320_3 そこまではよかっただが、数日すると、もう葉っぱが穴だらけだ
虫に食われただよ
これはいけねと、すぐに寒冷紗を買ってきてトンネルにしただ。1.5m幅で長さ20mのロールが1980円と割と安く手にいれただよ。
寒冷紗に横に入っている銀線が、虫が嫌うとかで防虫効果もあるらしいだよ。

おらは、ナス、トマト、ピーマン、インゲンなどは、いままで全部無農薬だ。それでも良く育つだよ。
だども、ハクサイだけはいけねえ。すぐに害虫さつくだよ。寒冷紗でどこまで防げるか。やっってみて駄目なら、おらもちょっぴり農薬を使うつもりだよ
(写真上、株間60cmと、ゆったりと植えつけたハクサイ)
(写真下、寒冷紗のトンネル栽培にしただよ)

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2010年10月13日 (水)

このニュース、本当?それとも偽?----検察審査会の平均年齢訂正

*23時10分追記---こんな馬鹿な!!! また、修正ですか?

「小沢氏起訴議決の審査員34・55歳、また修正」
   「読売新聞 」10月13日(水)21時24分配信

 東京第5検察審査会は13日、小沢一郎・民主党元代表に対する起訴議決にかかわった審査員11人の平均年齢について、9月14日の議決日現在で計算すると「34・55歳」になると発表した。

 これまで就任日現在の年齢で計算していたが、外部からの指摘を受け、今後は議決日現在の年齢で計算することに決めた。

 同審査会は12日、計算ミスで「30・9歳」を「33・91歳」に訂正したばかりだった。

これは、33.91歳と修正発表したが、計算ミスで37歳の年齢を足し忘れたする説明では、この年齢にはならず、第1回の時と同じ平均年齢34.27歳
になる。それではあまりに不可解と指摘されて、しまったとばかり、あわてて再修正したように思えるのですが。検察審査会内部で、なにか起きているのでしょうか。もし、不正があるなら勇気ある内部告発を期待しております。
「なにがなんだかわからないのよ!!!」 
  
以上追記終わり

 「TBSニュース」 「毎日新聞」 「時事通信」
10月4日に公表された小沢一郎元代表を起訴すべきとする検察審査会の議決について、検察審査会の事務局は、「発表したデータに一部誤りがあった」と発表しました。

 事務局によりますと、議決を行った東京第5検察審査会の審査員11人の平均年齢について、当初「30.9」歳と発表していましたがこれは誤りで、正しくは
「33.91」歳
だったということです。

 訂正を発表した東京第1検察審査会の手嶋総務課長は、謝罪したうえで、間違えた理由について「単純な計算ミス」と説明しています。(12日18:48)


事務局によると、平均年齢を計算する際、担当職員が37歳の審査員の年齢を足し忘れ、10人の合計年齢を11で割るなどしていた。議決公表後に一般市民らから「平均年齢が若すぎて不自然ではないか」などと問い合わせがあり、再計算したところミスが判明した。

このニュース、本当?。それとも捏造?
こんな事信じられません。いくら世間で、審査員の平均年齢が若すぎておかしいとの疑問、批判が大きくなったからといって、それを訂正するとは。

確か、4月の1回目の時も、11人の内訳が、男性4人、女性7人で、平均年齢は34.8歳と発表しましたね。それに合わせたのでしょうか。
本当に、11人の審査員は実在するのでしょうか?

http://www.asyura2.com/10/senkyo97/msg/446.html
阿修羅のコメントにうなずかされるものが多い。


審査申立て人は「甲」としか発表されない謎の人、審査会の議決の僅か2週間前に決まったという補助弁護人、何故か急いだ議決がなんと、民主党代表選挙当日、小沢さんが代表戦に敗れると、これまた謎の発表の異例の引き伸ばし、無作為に選出されたとされる審査員の若すぎる平均年齢、そしてとってつけたようなその年齢訂正、しかし、
今度はどう計算しても37歳の審査員の年齢を足し忘れたとの言い訳にあわない計算結果、審査会の開催の有無も不明、本当に審査会は開かれたの?、議事録の存在も不明(弁護士会)、説明責任も無し、謎だらけのなかから生まれた謎の議決。うーん。

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2010年10月12日 (火)

今、サクラ、ツツジ、ヤマブキの花が咲いている

 今日、志木ニュータウン内を歩いていたら、ほとんど同じ場所に、サクラ、ヤマブキ、ツツジが咲いているのを見つけました。
すべて、今の時期に咲かない花です。
猛暑の後、暑かったり寒かったりと、気温差の大きい日が続いたので、花のサイクルが狂ったのでしょうか。
ほとんど同じ場所に咲いているのは、周りの建物配置と、方位、樹木の位置などにより、花が季節外れに咲く敷地条件を作り出したとしか思えません。

写真上、大きな桜の木の根元から枝別れした細い幹に、花が咲いている。その横のヤマブキも黄色い花を咲かせている)
(写真中、ヤマブキの花)
(写真下、ヤマブキの横では、ツツジがきれいに咲いている)

Dscn5861_320Dscn5862_320Dscn5863_320

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2010年10月11日 (月)

小説「ミッドナイト・ララバイ」を読んでみようと思う---国際ペン大会来日作家に聞くを読んで

東京新聞10月5日夕刊、「国際ペン大会来日作家に聞く」として、米国のミステリー作家「サラ・パレッキー」さんへのインタビュー記事が掲載されました。

このインタビューで、パレッキーさんは、1982年に女性私立探偵「V・I・ウォーショースキー」を主人公にした小説「サマータイム・ブルース」でデビューした女流小説家で、社会悪と対決する主人公のリアリティーのある描き方が女性を中心に支持を集め、女性探偵小説ブームの火付け役となった方と紹介されています。
今度、自伝エッセー「沈黙の時代に書くということ ポスト9.11を生きる作家の選択」が早川書房から刊行されました。

以下、東京新聞記事から、転載します。
 この自伝エッセーには、女性差別が激しい時代に育った生い立ちから、公民権運動やフェミニズム運動、女性作家の地位向上などに携わる闘いの軌跡が描かれている。
9.11同時多発テロ後は、テロ捜査のために当局の権限を大幅に拡大した「合衆国愛国者法」に対し、講演活動などで反対の声を上げ続けた。---転載終わり

彼女はインタビューに答えます。
「ブッシュ政権は9・11の前から、愛国者法の準備をしていた。
盗聴や理不尽な拘束などで市民の自由が侵される事態を知るうちに、怒りが強くなった。でも、ただ怒鳴り返すのは、作家の仕事ではない。怒りの感情をどうやって作品に込め、米国社会の不正義を読者に伝えるかを考えました」

「共和党に資金提供するようなメディアネットワークがテレビや新聞社を買い取っている。イラク戦争に反対する抗議活動が各地で起きても、それが報道されず、なかったことにされている」

1960~1970年代のような変革の機運が今、社会に見られない要因の一つとして、彼女はメディアの変質を挙げる。
「9.11の後、真実に出会うことが少なくなった。私たちは真実に飢えている。テレビやブログには真実はない。だから人生についての本質的な真実を描く小説が必要なんです」 

まさに我が日本も、この訴えと変わりがない状況ではないでしょうか。
早速、今まで、読んだ事もなかった「サラ・パレッキー」さんの最新作「ミッドナイト・ララバイ」を、読んでみる事にしました。

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2010年10月 9日 (土)

海賊対処法によるソマリア沖船舶護衛その13(9月)---大型タンカー損傷と、その原因仮説

 インド洋給油活動の時と同じように、派遣前には、あれほど大騒ぎしたマスコミが、その後まったく報じなくなった、海賊対処法によるソマリア沖派遣護衛艦の毎月の活動を書いています。(防衛省、国土交通省海事局発表資料、その他資料による)。
   

*平成22年9月の海賊対処法による船舶護衛実績(170回護衛~179回護衛の10回)
 護衛した船舶 日本籍船 0隻 
           日本の船舶運航事業者が運航している外国籍船  13隻
                   合計13隻  1回平均1.3隻
           
               外国籍船 75隻  1回平均7.5隻

 護衛回 日本籍船 日本関係外国籍船 外国籍船
 170     0       4           8
 171     0       1           6
 172     0       0           7
 173     0       1           5
 174     0       1           11
 175     0       3           4
 176     0       1           8
 177     0       0           8
 178     0       1           8 
 179     0       1           10  
  合計               13                       75

 9月も日本関係船舶の護衛数は僅か13隻であり、最近の護衛船団1航海あたりの護衛船舶数は、平均して2隻を割る状況が続いています。
海賊対処のため、ソマリア沖に護衛艦の派遣が決まったときには、1回の船団護衛に10隻程度の日本関係船舶が加わるとの事で、護衛艦2隻でも対応が難しいとの想定でした。
何ゆえに、かような状況が続くのか、毎月同じ事を書いていますが、こういった戦略的な誤りを正さなければ、いつまでも同じ過ちを繰り返すだけです。

 この問題は海上輸送路防衛の増強をうたう政党が、国会で取り上げられてもよいと思うのですが、何故か逃げの姿勢です。
マスコミも、当時盛んに危機感をあおり、護衛艦だ、P3C輸送機だと、派遣推進を後押しした事など、忘れたかのように沈黙しています。
派遣の是非には大騒ぎするくせに、その後の検証と反省がこの国には欠けています。

日本籍船が0隻なのは、日本の大手海運会社が、その税金対策から所有する船舶をほとんどパナマ籍に移し、日本人乗組員も賃金、待遇面から、使い難いと減らしに減らし、いまや外国航路に乗る日本人船員を壊滅状態にしてしまったからです。
これまでに護衛した船舶の乗組員総数約27,000人のうち、日本人船員は350名程度と2%にも満たない現実があります。
長きにわたった自民党政権は、自国の食料自給率の減少だけでなく、輸入に必要な海上輸送力も自国では賄えなくしてしまったのです。

日本関係船舶にしても、9月の合計では13隻ですが、表をみてもお分かりいただけるように、0隻が2回(172,177回)、たった1隻が6回(171,173,174,176,178,179回)もあるのです。
日本船舶の少なさをカバーするかのように、護衛船団には外国船舶の参加が多く、いまや国際護衛船団の様相です。
中国を筆頭に、ドイツ、シンガポール、デンマーク、トルコ、インド、韓国などの船舶が、日本船舶の5倍ほどになっています。
これらは、経済の躍進著しい中国貿易関連の船舶が多いようです。
ただし、9月に限っては、中国の運行船舶が僅か6隻と、例月よりかなり少なく、これが尖閣諸島の中国船拿捕との関連によるものなのかは不明ですので、10月の結果をみましょう。

Photo
 Photo_2
さて、話題を変えてホルムズ海峡での商船三井の大型原油タンカー「M.STAR」損傷事故の件です。
事件後、損傷したまま日本に寄港していた「M.STAR]も、修理のためにすでに出国してしまい、事故原因は事故原因調査委員会で究明するとの報道を最後に、その後の情報がありません。

事故調の詳細な調査により、いかなる原因によるものかが明らかにされると思うのですが、その前に今まで得られた情報と発表された写真から、思い切って事故原因の仮説を立ててみました。
船舶の損傷原因の究明などには、全く無縁な素人ですが、いろいろと考えておくと、事故原因が究明されたときに、それをより興味深く読めるからです。

まず、タンカー「M.STAR」の損傷が他の物体(原子力潜水艦や船舶など)と衝突した、爆薬を積んだ小型船舶による自爆攻撃を受けた、または小型船舶に乗った武装グループからの攻撃を(ロケット弾など)を受けたとの原因説を全て排除します
排除した理由については、長くなるので、ここでは省略します。
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さて、タンカー損傷原因の仮説」ですが、救命ボート内部(多分船首側)かその付近に仕掛けられた時限装置つきの手製爆弾の爆発によるものとします。爆弾の威力はそれほど大きなものではなかったのでしょう。(写真上)
現地時間の7月28日午前零時にセットされた爆弾の爆発により、救命ボートは吊り下げられた架台から外れ、船体外側(海側)に落下します。
一気に海中に飛ばされずに、懸垂ロープが絡まった状態で船外に落ちて、船体に激突します。
船は進んでいるので、救命ボート懸架台よりやや船尾よりの外板に大きな凹みを残し、海中でも引きずられるように喫水線下の船腹に傷跡を残した後、海中に没します。
UAE沿岸警備隊の関係者が、船体のへこみから手製爆薬の痕跡が見つかったと語ったと伝えられましたが、それが本当であれば、ボートの爆発時の爆薬によるものでしょう。
懸架台上のボートの爆発により、ボート懸架台とほぼ同じ高さの船室の扉や窓がとくに破壊され、その爆風で内部もかなり損傷したというわけです。(写真下2枚)
「この仮説の弱点は、救命ボートの堅牢性がわからず、船腹に激突して、船体鋼板にあれだけの損傷が出来るかが疑問視されることです。」


誰が、何のために爆発物を仕掛けたのか?その答えは皆さんの推理にお任せします。
8月4日にドバイからのロイター発で報じられた「アブドラ・アッザム旅団」なるものが出した犯行声明は、爆発物を仕掛けた組織から、金銭授受で依頼され、あまり詳しい事もわからずに発表したもので、偽情報と睨んでいます。
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2010年10月 7日 (木)

新宿駅南口の工事が進んでいます

Dscn5851_1024

しばらくぶりに新宿駅南口に出たら、甲州街道を挟んだ駅前敷地に鉄骨が立始めていました。「新宿駅新南口開発ビル」の工事です。
工事車両入口の横に立てられている開発を示す看板絵では、わかり難いのですが、「建設建物のお知らせ看板」を見ると、地上33階建てで、最高高さが167.31mですから、かなりの高層ビルだとわかります。
もう少しお知らせ看板から書き写してみます。
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 建築面積 18,416.48㎡
 延べ床面積 136,700㎡(約41、350坪)
 地上33階、地下2階
 鉄骨造(一部鉄骨鉄筋コンクリート造)
 完成は平成28年3月31日
となっていました。
6年も先ですね。はたして僕は見る事が出来るかな?。
しかし、どうしてお知らせ看板に書かれている高層ビルが、絵では全く表現されていないのでしょう。

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2010年10月 5日 (火)

強制起訴とは驚いた!---今度も小沢さんを応援します

 「この記事は、今後も追記しますので、よろしかったら時々のぞいてください。」

強制起訴から、裁判への経過の目的は、裁判そのものより、小沢氏を裁判に縛りつけ、国民が悪徳政治家を裁くかの印象を広く知らしめ、その政治生命をなんとしても奪うことにあります。そして第一段階の強制起訴は成功しました。
これからも検察、官僚、マスコミの激しい攻撃が続きます。
勿論、個人の思想、判断を尊重しますが、それでもマスコミ、とくに産経新聞、読売新聞、各テレビ局の報道が、真実を伝えていないこと、正論とは思わないことを、柳瀬川通信:報道部は切にお願いします。
デスク、記者一同、日本のマスコミ報道に危機感を抱いています。

「きっこのブログ」が参考になります。 http://www.kikko.cocolog-nifty.com/kikko/
「独りファシズム」この方のブログはすごいです。お薦めです。http://alisonn.blog106.fc2.com/blog-date-201010.html

民主党の小沢一郎元代表に対する検察審査会の2回目の議決は、大阪地検の証拠捏造事件の影響もあり、かなり慎重な審査の結果、10月末頃に出されるというのが、大方の見方でした。
それが、なんともあっけなく、審議に欠かせない補助弁護士が9月7日に決まった1週間後の9月14日には議決されていたのです。
驚くなかれ議決は、「起訴相当」 小沢さんは強制起訴されます。

普通であれば、議決の数日後には「起訴議決文」が公表されるのに、今回は何故か3週間も公表されませんでした。
前回の審査委員が全員交代し、新しい審査委員による審査は、ほとんど行われずに「前回の議決要旨」を踏襲し、それに異議なしとの結論が導き出される仕組みが出来ていたとしか考えられません。
小沢さんが起訴されるか、されないかでその影響力は大きく変わります。
少し大げさにいえば、明日の日本の政治が左右される事もあったのです。
勿論、今後の政局も変わったであろうし、10月24日の衆院北海道5区補選にも影響し、沖縄知事選にも関係してくるでしょう。

江川詔子氏が現在の制度を批判しています。
「検察審査会が今回のように政治的に利用される可能性がある事件を審査することは、想定されていなかったのではないか。
審査会は強大な権限を持ったのに、議論が明らかにされない不透明さがあり、新たなシステムを作る必要がある」


議論が明らかにされない不透明さだけでなく、今回の小沢さんの審査には多くの疑問が残ります。
先ず、審査申立てをした市民団体なるものが、国民の目線とは乖離した存在の団体である事。
こんな人達と「国民の責任」なるものを共有したくありません。マスコミが市民団体としか報じない人達の、真実の姿を知らべていただければうれしいです。
次に審査委員の人選、補助弁護士の選任の問題。これはもう少し調べてから書く事にします。(審査委員については、このブログ冒頭で紹介したきっこのブログが興味深い考察をされています---この項、10月7日追記)

今回と、前回の起訴議決文全文が「お~いとらちゃん出番だよ」アップされていますので参照されるのもよいと思います。
http://toracyan53.blog60.fc2.com/blog-entry-786.html

この議決書を読んでも、小沢さんの弁護士が語るように「理由が書いていない」というのが良くわかります。議決されてから公表までの3週間は、議決ありきの決定をした後、その議決文をあれこれいじっていたのでしょうか。

「小沢氏の弁護士“まことに遺憾”」NHK 10月4日 19時12分
検察審査会が民主党の小沢元代表を起訴すべきだと議決したことについて、小沢元代表の弁護士は「議決は、まことに遺憾だ。あれだけのキャリアのある人を起訴すべき事案なのか、議決書を読んでも、どこにも理由は書いていない。小沢氏本人も事情聴取に応じて、きちんと説明してきており、意外だと感じているようだ」と話しました。また、議決書の中で、元秘書が小沢氏に報告や相談をしたとする供述は信用できると指摘したことについて、「検察官の取り調べのあり方が問題となっているこのご時世で、調書の信用性は大丈夫なのか疑問に思う」と述べて、裁判で争う姿勢を示しました。

書きかけ----続く(どんどん追記していきますので、よろしかったら、お暇なときにのぞいてみてください)

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2010年10月 3日 (日)

彼岸花満開---柳瀬川土手

Dscn5846_320 彼岸花を見ようと、今日も柳瀬川土手を自転車で走ってみました。
例年より2週間ほど遅れていますが、満開の彼岸花で、土手が赤く染まっていました。

この事は以前にも書きましたが、ここに咲く彼岸花は、近くの新座団地にお住まいの女性、水野さん、古田さんたちが、10数年以上前から水野さんを中心に数人で数万株の球根を植え続けたのです。

Dscn5847_320
 数年前ですが、土手で偶然お会いすることができた水野さんから、直接お話を伺うことができました。
水野さんの田舎の、群馬県の休耕田に咲いていたものや、栃木県などの親類、知人を頼って球根を集め、運んできては、土を掘り起こし、球根を植えたそうです。頭の下がる思いです。
自分たちの住む町に、きれいな花を咲かせようと努力した人達がいたことを、僕は忘れません。

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2010年10月 1日 (金)

ミュンヘン白い悦楽---白ソーセージと白ビールを求めて(ANA機内誌、翼の王国より)

Munchen1_1024ANAの機内誌の「翼の王国 2010年2月号」「ミュンヘン白い悦楽、白ソーセージと白ビールを求めて」という記事があり、ドイツ、ミュンヘンの「ヴァイセス・ブロイハウス(白ビール醸造所)の事が書かれていました。
僕が興味深く読んだこの記事を転載させてもらいますので、よろしかったら拡大して読んでみてください。(記事写真はクリックすると拡大します)

白ソーセージは、正午までに食べるのが伝統とのことで、昨年はその時間がとれずに果たせなかったヴァイセス・ブロイハウス での白ソーセージを、今年は念願かなって食べることができました。
8月末だというのに、ミュンヘンもスイスと同じように気温が低く、早朝、ホテルの窓から見ていたら、自転車で通勤する人たちはダウンを着込んでいました。
訪れたヴァイセス.・ブロイハウスは、外部の椅子席が日が当たって暖かそうだったので、迷わずそこに席をとりました。(写真下3枚の上)
さすがに有名店です。地元らしき人達や、観光客でほとんど空席が無い状況で、みんなが、楽しげにビールを飲んでいますので、こちらも朝から堂々とビールが飲めます。

正午までの伝統は本当で、ここでも白ソーセージは、12時までの限定メニューとなっていました。2本(1セット)で2.2ユーロ(約250円)、それに白ビール(0.5ℓ)が3.5ユーロ(約400円)です。食べ物、飲物の値段はスイスと比べると、ドイツはほっとするほど、とても安く感じられます。
想像していたものより大きな、出来立ての白ソーセージは、日本の湯豆腐を連想させる金属の鍋で運ばれてきました。(写真下3枚の中)
うまくいくかとと心配していたその皮むきは、ナイフで縦に切れ目を入れて、はがすようにすると簡単にむくことがました。味は記事にあったように、濃厚で白ビール(写真下3枚の下)とよく合いとても美味でした。
「白ソーセージは朝、食べる」 これ、ついにやったね!の心境でした。

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