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2010年8月 6日 (金)

八月六日

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「ああやれんのう、こがあ辛(つら)い目に、なんで遭わにゃあいけんかいのう」
  今日の広島平和宣言の始まりの文

峠 三吉「原爆詩集」より

 「序」
ちちをかえせ ははをかえせ

としよりをかえせ

こどもをかえせ

わたしをかえせ わたしにつながる

にんげんをかえせ

にんげんの にんげんのよのあるかぎり

くずれぬへいわをへいわをかえせ


「八月六日」

あの閃光が忘れえようか

瞬時に街頭の三万は消え

押しつぶされた暗闇の底で

五万の悲鳴は絶え


渦巻くきいろい煙がうすれると

ビルディングは裂け、橋は崩れ

満員電車はそのまま焦げ

涯しない瓦礫と燃えさしの堆積であった広島

やがてボロ切れのような皮膚を垂れた

両手を胸に

くずれた脳漿を踏み

焼け焦げた布を腰にまとって

泣きながら群れ歩いた裸体の行列


石地蔵のように散乱した練兵場の屍体

つながれた筏へ這いより折り重なった河岸の群れも

灼けつく日ざしの下でしだいに屍体とかわり

夕空をつく火光の中に

下敷きのまま生きていた母や弟や町のあたりも

焼けうつり


兵器廠の糞尿のうえに

のがれ横たわった女学生らの

太鼓腹の、片目つぶれの、半身あかむけの、

誰がたれとも分からぬ一群の上に朝日がさせば

すでに動くものもなく

異臭のよどんだなかで

金ダライにとぶ蝿の羽音だけ


三十万の全市をしめた

あの静寂が忘れえようか

そのしずけさの中で

帰らなかった妻や子のしろい眼窩が

俺たちの心魂をたち割って

込めたねがいを

忘れえようか!

 小学校の教室で、涙を見せながら「原爆の子」を読んでくれた先生。
あれ以来、どうしてもわからない事。

なぜ、銃も持たない市民の上に原子爆弾を投下するなどという、およそ人間の出来る所業とは思えない事が、平気で行われたのか。
その後も、ベトナム、イラク、アフガニスタンと市民の殺戮を繰り返し続ける米国という国の持つ精神の異常性。

65年たっても原爆を落としたその国の、核の傘に依存し、絶対服従し続けなければならない日本。

原爆被害者、爆撃被害者の救済さえ満足に出来ぬまま、過ぎ去った65年の年月。

心ならずも戦地に散った兵士たちの、遺骨収集も放棄したままの政府。

むなしい思いで、また8月6日を迎えました。
(写真上、8月6日の広島も、このような青空で迎えた朝だったのでしょう)

あの頃、僕は東京からの疎開先である、石川県金沢市近郊に住んでいました。
食料難以外には、戦争の記憶はほとんどありませんが、広島に原爆が落とされる4日前の、
8月2日の「富山大空襲」の日だったと思うのですが、夜中に起こされて、いざとなったら山に逃げるのよと言って、土間で祖母がわらじの紐を結んでくれたことを覚えています。

 

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