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2010年7月15日 (木)

於岩稲荷へ

Dscn5493_320 今日は、四谷の東福院への墓参の後、徒歩15分ほどの所にある於岩稲荷さまに寄ってきました。
僕は昔から、於岩稲荷と云えば、写真上「於岩稲荷田宮神社」と思っていますが、実はこの神社の近く、道路反対側に写真下の「於岩稲荷陽運寺」という日蓮宗のお寺があります。

四谷三丁目の交差点方面から、路地に入ってくれば、右側に最初に現れるのが田宮神社です。
しかし、左門町交差点側からくると、同じように於岩稲荷と大きな提灯が下がってDscn5488_320いるのは陽運寺のほうなのです。
ですから、於岩さまにお参りして行こうと訪ねてくる初めての方は、この陽運寺のが於岩稲荷と思うのも無理からぬことなのです。ここにお参りしてから、あれ、「あそこにもあるよ」といった具合です。

何故、四谷に二つの於岩稲荷があるのか、僕も詳しくは知りません。
田宮神社は、今から380年ほど前に、この土地に住んでいた田宮 岩さんが信仰していた屋敷内の社が、後にお岩稲荷と呼ばれるようになり、参拝者も多くなり、「於岩稲荷」となり、その後150年ほどして、現在の名前の「於岩稲荷田宮神社となりました。
それでお岩さまゆかりの神社として、東京都史跡にも指定されており、代々の宮司も田宮家が勤めており、現在の宮司さんは第11代目にあたります。

鶴屋南北の作である歌舞伎で有名な「東海道四谷怪談」は、全くの創作でこの田宮 岩さんとは関係が無いのですが、芝居が大当たりしたことにより、この於岩稲荷も、ますます人気が高まったのです。

もう一つの於岩稲荷である陽運寺は、昭和の始め頃建立された日蓮宗寺院ですが、「於岩稲荷田宮神社」が火災で焼失し、今の中央区新川の田宮家敷地に移され、長らくこの四谷から離れたこともあり、 寺院ながら、お岩さまをお祀して於岩稲荷としても信仰されるようになった経緯があるようです。

終戦後、本家?神社である田宮神社も、新川の社殿とともに、四谷にも復興され、神社と寺院の両方に於岩神社が存在する現在の形になりました。

双方に何か関係があるかといえば、何も無し、神社と寺院、それぞれに於岩さまが祀られているとして、これはあまり詮索しても仕方が無い事かと思います。

双方がどう思っているかですか?。
多分としか云えませんが、田宮神社さんからすれば、乗っ取られたとまでは云わなくても、於岩稲荷を利用されて、なにか釈然としない感じ、片や陽運寺さんからすれば、四谷のこの地に所縁ある於岩さまを、長くお祀りしてきた経緯もあり、本家争いなどとは無縁のところで、両立しても於岩稲荷として寺の繁栄につながれば良いと考えているのではないでしょうか。ホームページや、境内の工夫など、かなり努力している様子が見て取れます。
これ、全くの私見ですが。

なお、歌舞伎を代表に映画、演劇の興行の際には、安全と成功を願って役者等関係者が必ず参拝に訪れるのは田宮神社と思っていたのですが、陽運寺にもその旨が書かれていましたので、両方に参詣しているのでしょうか。

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