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2010年7月29日 (木)

捨てられない文具その2----ヘンミ計算尺NO.34RK

Dscn5518_320 捨てられない文具として、ステッドラー芯ホルダーを書きましたが、ほかにも幾つかの文具があります。

今日は、ヘンミ計算尺NO.34RKです。
普段使用していた長さ25cmほどのものは、カーソルが壊れて捨ててしまった記憶がありますが、このNO.34RKは、一度も使用せずに机の片隅に眠っていたものです。

いつ頃入手したのか、全く覚えが無いのですが、数十年前であることは、間違いないと思います。
取り出してみるとカーソルも軽く滑るし、皮ケースも痛んでいません。たしか当時の定価が2000円程だったと思うのですが、この立派な皮ケースを見るとそれもうなずけます。
骨董的価値もありそうなので、これも捨てられない文具になりました。

ところで、ヘンミ計算尺(株)という会社がどうなったか、ネットで調べてみたら、竹製計算尺こそ作っていませんが、今も同じ社名で半導体制御機器やプリント基板などを製造する企業として存在します。
http://www.hemmi-inc.co.jp/


社名が、カタカナ名で(株)ヘンミなどでなく、「ヘンミ計算尺」という名が残っているのが嬉しくなりました。
まあ、もともとカタカナ名ですから、東京通信工業がソニー、松下電器がパナソニックなどに比べると、一歩先をいっていたのかもしれません。

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2010年7月27日 (火)

かわいい宇宙飛行士----フウセンカズラの種

Dscn5517_1024
Huusen_320 巨大な宇宙船から降りてきた3人の宇宙飛行士です。もっとも手足がないのですが。

7月20日のブログで、フウセンカズラにホウズキのような風船形の実がついたと書きましたが、今日、そのうちの一つが枯れて3個の種が出てきました。
白いハート型がなんともユーモラスでかわいいのです。刈り上げ君のようにも見えますが。直径は4~5mm程度で、ちょっと正露丸に似ています。

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2010年7月26日 (月)

捨てられない文具---ステッドラー芯ホルダー

Dscn5506_320

写真左は数十年前(45年くらい前?)から使っていたドイツのステッドラー社製の芯ホルダーと替え芯ですが、最近は全く使う事がありません。
かといって簡単に捨てきれない思いもあるのです。
かって、このホルダーから何千本、何万本、いや何十万本の線をひいたでしょうか。

使う鉛筆芯の端部には、金属の帯状の金具がついています。
ノックした時、芯がホルダー先端から抜け落ちないようにするためで、芯を一本、最後まで使い切ると、この金具が残ります。
これを集めていると、山になるほどたまって、我ながらこんなに使ったんだと驚いたものです。
しかし、図面書きは、この2mmの鉛筆芯を使うホルダーから、芯削りの手間が無い0.5mmや0.3mmのシャープペンシルが使われるようになり、それさえも今では手書き図面が消えて、ほとんどの図面作成はCADになってしまいました。
スケッチにはまだホルダー愛好者もいますが、芯削りが面倒なので、僕なども鉛筆と電動鉛筆削りのほうを選んでいます。

しかし、多分50年以上の歴史があるこの芯ホルダーは、その鉛筆芯と共に、現在もステッドラー社からMARS780Cの名称で発売され続けています。発売当初と形状もそう変わらず、まさに超ロングセラー商品です。
しかし、その価格が30年ほど前とほとんど変わっていないように思うのですが、僕の記憶違いでしょうか。

写真中、デザインがほとんど変わらないと言っても、ご覧のようにホルダー先端の金属部分の形状が変わっているのがわかる。
多分上から古い順だと思いますが、一番下のホルダーは780と書いてあるので、今の780Cの前の型かも知れません。それでも30年以上前の製品です。ノック部分が簡易芯削りになるのは、だいぶ後のことで、一番古いと思われるホルダーにはまだ、付いていません。
六角形のホルダー部分は、長年使用していると、硬質のプラスチックの角がとれてだんだん丸くなってきます。
それほど毎日毎日、使い込んだのです。CADでしか図面を書かない現代の若い設計者には、信じられない話でしょう)
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(写真下、現在MARS780Cというタイプが販売されている)

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2010年7月24日 (土)

NATO艦船への給油要請---それは?

「柳瀬川通信:報道部」

担当:作山記者
「NATO、日本に補給艦派遣を要請---実施に法整備必要」
(毎日新聞、2010年7月19日朝刊 仙石恭)
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20100717ddm003040066000c.html

この記事、「もし、海上自衛隊がインド洋給油から撤退してしまうと、中国海軍が代わって給油活動を続ける」との、産経新聞が報じた捏造情報を、テレビでもっともらしく話したりする岸井成格編集主筆のいる毎日新聞でもあり、記事を書いた仙石恭記者も、正確な記事を書く記者かと問われれば、僕の答えはNOです。

 この記事でも、仙石記者は、出席者に日本側は外務省の佐々江賢一郎外務審議官と防衛省の大江博防衛政策局次長と書きながら、NATOの出席者は事務総長補としか書いていません。
事務総長補が最近交代したからと言って、その名前を知らないわけがありません。
あとで、記事が問題になる事も考え、何らかの意図で、その氏名を隠したと思います。

このあたりのやり方が、僕が仙石恭記者を評価できない理由でもあります。
一方で、民主党政権よ「先進諸国最悪の財政を最優先で建て直せ」と書きながら、多額の経費負担になる各国への給油活動には、前向きな姿勢を見せたりします。

そこで、この話が出たと言う7月8日に行われた「日本・NATO高級事務レベル協議」仮想再現してみます。

出席は、
  ディルク・ブレンゲルマンNATO事務総長補、
  日本側は外務省の佐々江賢一郎外務審議官と
        防衛省の大江博防衛政策局次長

佐々江:今年1月のインド洋における給油活動の中止以後、次なる国際貢献を模索している中で、給油活動の再開もまた、視野に入れている。

事務総長補:インド洋の給油再開があると言う事か。

佐々江:いや、国内事情によりテロ対措法によるインド洋の給油活動の再開は無いのだが、新たに、ソマリア沖海域での海賊対策で活動中の各国艦艇への給油活動を検討している。

大江:ご存知のように、わが国はソマリア沖海賊からの船舶護衛と警戒活動のために、護衛艦2隻とP3C哨戒機を2機派遣している。
米国とフランス両国の協力により、ジプチに活動拠点を設けることもできた。新たな国際貢献として補給艦の派遣も選択できると言うことだ。

事務総長:ジプチの基地については知っている。P3C哨戒機による貴重なデーターは、米国海軍からの情報として、有効に利用されていると聞いている。
日本で補給艦による給油活動を検討している話はマーチン・エルドマン前事務総長補から聞いていた。 実現の可能性はあるのか。

佐々江:現行の海賊対処法では無理があるが、法改正の余地はあるし、新法制定も視野に入れている。

事務総長:日本の護衛艦への補給を主たる任務とするのか。

大江:いや、わが国の護送船団の護衛艦への補給もあるのだが、あくまで国際貢献を前提にした派遣であり、海賊対処の哨戒任務で、広い海域での活動を余儀なくされている各国艦艇への給油活動を目的と謳いたい。

事務総長:有意義な提案を聞けた。こちらも調整し、協力したい。

佐々江:実施時期については今の段階ではお話できないが、是非検討して欲しい。

大江:給油活動については、インド洋での経験が活かされることになるだろう。

事務総長:良い話だ。給油艦艇対象国も考えねばならないが、給油は日本からの提供と報告してよいのか。

佐々江:給油は、国際貢献として評価して欲しい。対象国については、今後の検討課題だが、今日の協議ではNATO軍艦船としておきたい。

大江:補給艦の派遣となれば、その護衛も必要で、詳細は詰めている段階だ。

事務総長:了解した。この件について持ち帰るが、実現に向けてNATOからの要請もしたい。

佐々江:お願いする。

以上、実際には、もっと長い協議だったし、事前に、協議事項の詰めもなされていて、要請を受ける段取りになっていたとも思うのですが、ここでは、かなり要約したやりとりで書いてみました。

しかし、この給油活動要請の件で、NATO側の情報を見つけるべく、超美仁記者が終日努力したのですが、今のところ、全く見つけることが出来ません
本当にNATOが要請した事実があるのかと疑わしくなっています。

建設中の、自衛隊最初の日本基地になるジプチ基地の今後の展開の為にも、補給艦の派遣意思は強いので、インド洋給油は中国海軍に引き継がれてしまうとした捏造報道の類とは違うと思いますが、日本側のマスコミ報道のみが一人歩きしています。

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2010年7月22日 (木)

日本のマスコミが報じたがらないニュース---米国メディアが報じる在沖縄海兵隊撤退論

「柳瀬川通信:報道部」
   担当記者:作山

米国軍事費削減と沖縄海兵隊の撤退論が米国のメディアで取り上げられているニュースが、なぜか日本では報道されません。
鳩山政権時、普天間飛行場移設問題で
「日米関係悪化、同盟の危機、大使が怒った、政府関係者がこう言った、米軍高官が困惑、ワシントン・ポストの記者がこう書いた、などなど、これでもか、これでもかとどこの国のメディアかと思うほど、沖縄住民の気持ちを無視して、日本政府を窮地に追い込む報道を繰り返した新聞、テレビ、雑誌が
、この報道に関しては全く知らん振りを決め込んでいます。」

唯一、報道している「琉球新報」の7月16日の記事及び7月19日の社説を転載します。
   ここより琉球日報記事転載

在沖米海兵隊 広がる不要論 下院の重鎮「冷戦の遺物」
<琉球日報 2010年7月16日記事 >      
 在沖米海兵隊の不要論が最近、米国内で急速にわき上がっている。
米民主党の重鎮で、政府に影響力を持つバーニー・フランク下院歳出委員長が「米国が世界の警察だという見解は冷戦の遺物であり、時代遅れだ。沖縄に海兵隊がいる必要はない」と公に訴えたことがきっかけだ。
同氏らの意見が反響を呼び、メディアも大々的に取り上げている。
背景にあるのは深刻な財政赤字。
リーマン・ショック以降、不況で生活に苦しむ国民の不満が、膨大な軍事費に向き始めている。
米軍の戦略見直しと財政再建の必要性が合わさり、海外駐留米軍の撤退を求める声は拡大する様相を見せている。
 
 ことの発端は今月6日。与党フランク氏と野党ロン・ポール氏の両下院議員が、米国の有力サイト「ハフィントン・ポスト」に寄せた論文だ。
「なぜわれわれは軍事費を削減しなければならないのか」と題し、2010年度の軍事費6930億ドル(約61兆円)は歳出全体の42%にも上り、経済活動や国民生活を圧迫していると説明。米国が超大国として他国に関与することが、逆に反米感情を生み出している側面も指摘した。
 結論として「財政再建と雇用創出が国の最優先事項だ。度を越した軍事費問題に取り組まなければならない」と強調した。
 
 この記事が大きな反響を呼んだ。
8日に大手テレビMSNBCやCNNニュースはフランク氏らを招き、論点を取り上げた。
10日は米公共ラジオ局も取り上げ、フランク氏は「1万5千人の在沖海兵隊が中国に上陸し、何百万もの中国軍と戦うなんて誰も思っていない。
彼らは65年前に終わった戦争の遺物だ。沖縄に海兵隊は要らない。
超党派で協力し、この議論を提示していきたい」と訴えた。
 
 12日のウォールストリート・ジャーナルは「普天間飛行場の県外・国外移設を望む沖縄に、強力な助っ人が現れた」とし、今後この動きが加速する可能性に触れた。
 国会議員を15期30年務め、政治手腕に評価の高いフランク氏の発言には、綿密な裏付けがある。
自らが主導し超党派で立ち上げた軍事特別委員会が、6月に発表した報告書だ。
軍事専門家らを交えて軍事費を細かく精査した結果、欧州やアジアの駐留軍の縮小、オスプレイなど軍用機調達の停止・延期などによって、10年で1兆ドル(約88兆円)が削減できるとの試算を出した。
 ワシントン・ポスト紙は、この報告書を踏まえた記事を掲載し、「米国は世界の警察として、アフガニスタンやイラクだけでも1兆ドルを費やしてきたが、世界の中の役割について再考が必要だ。われわれはそろそろ正直に、そして公に議論すべき時期にきているのではないか」と、海外駐留米軍の役割について国民的議論を呼び掛けた。
 (与那嶺路代ワシントン特派員)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-165027-storytopic-53.html  琉球新報記事へ

   ここまで、琉球日報記事転載終わり

   ここより琉球新報社説転載

海兵隊不要論/米議会で高まる機運 好機生かし普天間返還を
<琉球日報 2010年7月19日社説>    
 
 米国内で、在沖海兵隊の不要論が急浮上している。
 米下院民主党の有力議員バーニー・フランク氏が「米国が世界の警察だという見解は冷戦の遺物で時代遅れだ。
沖縄に海兵隊がいる必要はない」と主張し、大きな波紋を広げている。
 米国内での不要論の広がりは沖縄にとって好機到来である。
日本側から在沖海兵隊の撤退や普天間飛行場の県内移設なき返還を要求すれば、許容する米国内の空気が醸成される可能性が出てきた。

軍事費と覇権に異議
 過重な基地負担の連鎖を断つことを求める沖縄の民意を反映することは民主主義の王道だ。海兵隊撤退の流れが米国内で強まることを期待したい。
 これまで、米上下院議員の中で在沖米軍基地の大幅縮小を求める議員はいたものの、下院歳出委員長を務めるフランク氏の影響力は別格だ。
連邦議員を30年務め、政策立案能力が高く評価されている。
 
オバマ大統領が最重要懸案の一つと位置付ける米金融規制改革法案が上院で歴史的可決に至ったが、上下両院の一本化作業を担った。
その重鎮が放った海兵隊不要論は、瞬く間に主要メディアがこぞって取り上げる事態となった。
 同氏の主張は二点で注目される。一点目は、米国の厳しい財政赤字を踏まえて膨張の一途にある軍事費に果敢にメスを入れる考えを示し、二点目は米国の覇権主義と決別すべきだと唱えている。
 フランク氏は共和党下院議員と共同で、オンライン政治誌に論文を寄せ、国防費削減を提唱した。
大きな反響を呼び、大手メディアの番組に相次いで出演した際、真っ先に閉鎖すべき基地として普天間飛行場を挙げ、こう語った。
 「海兵隊がいまだに沖縄にいる意味が分からない。台湾と対じする中国を野放しにしたくはないが、沖縄にいる1万5千人の海兵隊員が何百万人もの中国軍と戦うなどとだれも思わない。海兵隊は65年前にあった戦争の遺物だ。沖縄の海兵隊は要らない。将来的にも活用する機会はない」
 軍事費を増大させる中国と核開発を進める北朝鮮をにらみ、日米両政府は、沖縄の地理的優位性や疑問だらけの抑止力を振りかざし、沖縄に海兵隊を置く根拠にしてきた。
フランク氏の問題提起はその矛盾を端的に突いている。
 米政府は6月に「軍事費を2012会計年度から5年間で1兆ドル削減する」という方針を出した。
イラク、アフガンの戦争で膨らんだ戦費を大幅削減しないと、財政が立ちいかなくなっていることを示す。
 軍事による平和構築には限界があり、国家財政を破たんさせかねないことを自覚した対処方針であり、海外で大規模展開する米軍基地を縮小する流れは、押しとどめることはできないだろう。

日本政府が提起を
 東アジアを見ると、米国と中国の経済的結び付きがどんどん深まっている。
 2009年の米側統計によると、米中間の貿易額は約3660億ドルとなり、日米間の約1470億ドルの2・5倍となった。
昨年来日した米国人は70万人だが、訪中した米国人は171万人だった。
 米中間の緊密さが日米よりずっと強まる中、日米同盟と在沖米軍の抑止力によって、中国ににらみを利かす軍事優先的な思考はもはや時代にそぐわなくなっている。
 米国の安全保障政策が大きな分岐点を迎える中、日本との関係で考えると警戒が必要な面がある。
 米軍の駐留経費を「思いやり予算」の名目で、世界一気前よく負担しているのが日本である。
米軍の駐留経費の約7割も負担しているのは日本だけで、ドイツや韓国などに比べその突出ぶりが際立っている。
 財政に窮する米国にとってみれば、日本に基地を置き続けることほど楽なことはないだろう。
 海外の米軍基地縮小の必要性と一線を画し、在日米軍基地だけは維持する選択をしかねないだけに、日本側の姿勢が問われる。
 普天間飛行場の県内移設は、沖縄の大多数の反対世論と先の参議院選の民主党惨敗で、菅政権の“推進力”が乏しくなった。
 過重負担にあえぐ沖縄がとげとなり、日米安保が不安定化することを避けたいのであれば、日本政府は戦略的に米国と向き合い、県内移設なき在沖海兵隊の撤収を堂々と提起すべきである。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-165128-storytopic-11.html 琉球新報社説へ

   ここまで、琉球新報社説転載終わり

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2010年7月21日 (水)

遂に気温38度---そして山本明彦前議員(愛知15区自民党)

Dscn5500_320_2 今日の正午過ぎ、我家の外部温度計が短時間ながら38度(38.5度)を超えました
僕の見ていた限り、室外に設置したこの温度計が気温38度を超えたことは無かったと思います。
すなわち、新記録達成です。(目視していなかった時にこれ以上の気温を測定していたかもしれません)

今日は、埼玉県内でも38度以上を記録していますが、我家の付近でも、何らかの要因で気温が上昇したのだとおもいます。
何しろ40.9度の日本最高気温を記録した熊谷市は、我家から直線距離で35kmほどの距離なのです。
昨日の気温 館林(群馬県) 38.9度 全国最高
        寄居(埼玉県) 38.2度 
        熊谷(埼玉県) 37.9度
        練馬(東京都) 37.6度
         
 ともかく、動くとたちまち汗が噴出してきますので、じっとしているのが一番です。
熱中症で畑で倒れて死亡する何人ものお年寄りのことが、ニュースになっています。ほとんど80歳以上の方です。
僅か4坪の畑でさえも、毎日なにか仕事があるので、畑に出なくてはならない農家の方の気持ちは良くわかりますが、高齢では、無理は禁物です。
そんなわけで、おらが、おらがの作男さんも今日は畑仕事はお休みです。
でも、明日は散水に行かねばならないでしょう。
我が作男さんは、どちらかというと朝が苦手です。市民農園でトマトを握ってオロクになっている作男さんが見つかるのは嬉しくないですから、夕方に行ってもらいましょう。

ところで、暑い日に、生命保険不払い問題で自民党の前議員、山本明彦男(愛知15区当選3回、昨年の衆院選で落選、次の選挙での返り咲きを狙って懸命の運動中)の言い訳を聞いていると、ますます暑さが堪えます。

東京新聞記者---生保業界から参考人質問時間の短縮を頼まれたり、委員会後に「お礼訪問」を受けたのか。

山本氏---しょっちゅう出入りがあるから覚えていない。絶対来ていないと言い切る自信はないが、頼まれた印象はない。記憶に無い。
「頼まれた印象はない。記憶に無い! この男、卑怯者なり。次の選挙でも落選させましょう」

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2010年7月20日 (火)

暑いです!---ミニトマトとフウセンカズラ

Dscn5499_320_2 毎日暑いです。
ロシアでも猛暑が続き、17州で非常事態宣言とか。
正午頃、我家の外部温度計は、36.2度を指していました。
昨日も35度を上回っていました。

作男さんは農園の作物の水やりに、「おらも大変だよ」と云いながらそれでも毎夕出かけています。
農園では、この日照続きでトマトが次々に熟して赤くなり、毎日食べきれないほどです。
超ミニ農園のミニトマト「アイコ」も元気で、ご覧のように毎日収穫しています。
「1個100円のミニトマトができるのかしら」なんておっしゃって、我が作男さんにプレッシャーをかけていた女農園主さまも「あんな事云ってごめんなさい。沢山採れるのね。すごく美味しいわ」と素直に謝りました。

暑さの中、庭で5mmほどの小さな白い花を咲かせていたフウセンカズラに、ホウズキのような丸い風船が沢山ついているのに気が付きました。
この中に3個の種が入っていて、その種の硬い表面には白いハート型の模様が見られるとの事。
楽しみにしています。
Dscn5496_320

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2010年7月18日 (日)

日本政府、NATOに自衛隊補給艦の派遣要請を「要請」 の間違いではないのか!

「柳瀬川通信:報道部」
   担当
作山記者: おいら、急いで書かねばと思ったで、頭さ混乱して読みにくいだべ。あとから書き直すだよ。(仕事に自信が無いからといって、おらのまねするのは止めてくれ---作男)

毎日新聞からなんとも凄い記事が流されています。
「NATO 自衛隊の補給艦の派遣を要請」

一瞬「防衛省がNATOに自衛隊補給艦の派遣要請を「要請」の間違いではないのか!」と思ったほどです。
ジプチに40億円以上かけて、自衛隊初の海外基地(活動拠点)を作ったら、こんどは補給艦の常駐希望ですか。
はるばる往復45日もかけて、NATO諸国?の艦艇に給油に行くのですか。

毎日新聞の仙石記者の「NATO軍艦船」とはなんとも曖昧な表現で、ソマリア沖の海賊対処には、ご存知第151合同任務部隊(CTF151)や、NATO艦隊、EU艦隊があり、各国ともひとつの部隊、艦隊所属でもないなど、わかりにくいのが現状です。

そのほか中国、ロシア、インド、日本なども組織外での活動をしています。
(日本はジプチを基地に、2機のP3C哨戒機が米軍と連携して活動中。2隻の護衛艦の船舶護衛の70%以上が外国籍船という国際貢献をしています。)

記事を、「NATOなど、海賊対処に従事している艦船」と読み替えるとわかりやすくなりますが、こんどは範囲が広すぎるし、それでもロシア、中国、インドはどうするかとの疑問もわきます。
インド洋給油活動にに代わる新たな国際貢献などといったら、ことによると無料給油?ですか。
インド洋給油では、パキスタン1国にさえも、毎月2500万円負担したのです。どうなる日本ですね。

法改正や、新法制定うんぬんの前に、現在の日本の海賊対処法と船団護衛の現状など、検証すべき問題が多いのではないですか。

民主党は、海賊対処法の国会承認を求めていたはずが、あっけなく無視して活動の1年延長を決め、こんどは補給艦派遣ですか。
うそでしょう。こんな法案。
従来は、歯止めの議論を仕掛けた民主党がその気になったら、勿論自民党は大賛成ですから、何でも出来てしまいますよ
。(自民党でも河野さんは反対してくれるかな?)
もし、民主党が官僚の言いなりに、こんな法案を画策するなら、柳瀬川通信:報道部は断固、反対します。
今後、
聖域無き10~15%の支出削減を進めなくてはならない状況で、防衛費は1兆円近い削減も考えなければならないのです。

今、ソマリア沖の船舶護衛に、商船1隻当たり、2日間の護衛に5000万円もかかっているのです。各国もそうですが、いつまでもこの状況を維持できるとの保障は無いのです。

この記事、NATOの誰が、どんな状況だから、何のために、どんな給油を求めているの(無料?)がほとんどわからない情けない記事です。
日本は、給油対象というNATO艦隊には勿論、参加していませんが、CTF151にも参加していないのです。何故、日本なのですか。

「産経さん、毎日の岸井さん、」日本が給油を断れば、また中国が肩代わりという話ですか?

以下、記事転載

<ソマリア沖海賊対策>NATO 自衛隊補給艦の派遣求める
7月17日2時30分配信 毎日新聞

 東アフリカ・ソマリア沖の海賊対策を巡り、北大西洋条約機構(NATO)が日本政府に対し、海賊対策に従事しているNATO軍艦船の給油のため、自衛隊の補給艦を派遣するよう求めていることが16日、分かった。
政府は給油活動の可能性について検討するが、補給艦を現地に派遣して給油活動を行うには、
海賊対処法改正か新法制定が必要になる。

 NATOは米国を中心とした軍事同盟で、8日に東京都内で開かれた日・NATO高級事務レベル協議で給油活動を要請。
同協議は年1回、定期的に行われており、日本側は外務省の佐々江賢一郎外務審議官、防衛省の大江博防衛政策局次長、NATO側からは事務総長補が出席した。

 海賊対策は自公政権下の09年3月、海上警備行動に基づき、護衛艦2隻の派遣で始まった。
同7月には根拠法を海賊対処法に切り替えている。
当時は海上自衛隊がインド洋で、テロ対策に従事する各国艦船に対し給油活動を実施しており、海賊対処法では外国船への給油は想定していなかった。

 しかし、民主党政権が今年1月、自民党などの反対を押し切り、インド洋の給油活動から撤退。
政府は16日、海賊対処法に基づく対処要項を閣議決定し、海賊対策を来年7月23日まで1年間延長した。インド洋の給油活動に代わる新たな国際貢献策として、海賊対策での給油活動を模索している
【仙石恭】

参考記事

<ソマリア沖海賊対策>自衛隊の活動を1年延長
7月16日14時43分配信 毎日新聞

 政府は16日、海賊対処法に基づく対処要項を閣議決定した。
海賊対策活動を、来年7月23日まで1年間延長する。
東アフリカ・ソマリア沖の海賊被害に歯止めがかからず活動が長期化の様相を呈しているためで、
自衛隊の活動拠点となる施設をソマリア隣国のジブチに建設するほか、海賊対策に従事する各国艦艇への給油に補給艦を派遣できるか調査に乗り出している。

 防衛省などによると、海自の護衛艦2隻が昨年3月から護衛活動を行っている。
海自・陸自隊員はジブチ国際空港内の米軍キャンプに居住しているが、P3Cの駐機場と距離があり不便なことなどから、空港内の土地約12ヘクタールをジブチ政府から借り上げ、プレハブの隊員宿舎や駐機場、格納庫を建設する。

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2010年7月15日 (木)

於岩稲荷へ

Dscn5493_320 今日は、四谷の東福院への墓参の後、徒歩15分ほどの所にある於岩稲荷さまに寄ってきました。
僕は昔から、於岩稲荷と云えば、写真上「於岩稲荷田宮神社」と思っていますが、実はこの神社の近く、道路反対側に写真下の「於岩稲荷陽運寺」という日蓮宗のお寺があります。

四谷三丁目の交差点方面から、路地に入ってくれば、右側に最初に現れるのが田宮神社です。
しかし、左門町交差点側からくると、同じように於岩稲荷と大きな提灯が下がってDscn5488_320いるのは陽運寺のほうなのです。
ですから、於岩さまにお参りして行こうと訪ねてくる初めての方は、この陽運寺のが於岩稲荷と思うのも無理からぬことなのです。ここにお参りしてから、あれ、「あそこにもあるよ」といった具合です。

何故、四谷に二つの於岩稲荷があるのか、僕も詳しくは知りません。
田宮神社は、今から380年ほど前に、この土地に住んでいた田宮 岩さんが信仰していた屋敷内の社が、後にお岩稲荷と呼ばれるようになり、参拝者も多くなり、「於岩稲荷」となり、その後150年ほどして、現在の名前の「於岩稲荷田宮神社となりました。
それでお岩さまゆかりの神社として、東京都史跡にも指定されており、代々の宮司も田宮家が勤めており、現在の宮司さんは第11代目にあたります。

鶴屋南北の作である歌舞伎で有名な「東海道四谷怪談」は、全くの創作でこの田宮 岩さんとは関係が無いのですが、芝居が大当たりしたことにより、この於岩稲荷も、ますます人気が高まったのです。

もう一つの於岩稲荷である陽運寺は、昭和の始め頃建立された日蓮宗寺院ですが、「於岩稲荷田宮神社」が火災で焼失し、今の中央区新川の田宮家敷地に移され、長らくこの四谷から離れたこともあり、 寺院ながら、お岩さまをお祀して於岩稲荷としても信仰されるようになった経緯があるようです。

終戦後、本家?神社である田宮神社も、新川の社殿とともに、四谷にも復興され、神社と寺院の両方に於岩神社が存在する現在の形になりました。

双方に何か関係があるかといえば、何も無し、神社と寺院、それぞれに於岩さまが祀られているとして、これはあまり詮索しても仕方が無い事かと思います。

双方がどう思っているかですか?。
多分としか云えませんが、田宮神社さんからすれば、乗っ取られたとまでは云わなくても、於岩稲荷を利用されて、なにか釈然としない感じ、片や陽運寺さんからすれば、四谷のこの地に所縁ある於岩さまを、長くお祀りしてきた経緯もあり、本家争いなどとは無縁のところで、両立しても於岩稲荷として寺の繁栄につながれば良いと考えているのではないでしょうか。ホームページや、境内の工夫など、かなり努力している様子が見て取れます。
これ、全くの私見ですが。

なお、歌舞伎を代表に映画、演劇の興行の際には、安全と成功を願って役者等関係者が必ず参拝に訪れるのは田宮神社と思っていたのですが、陽運寺にもその旨が書かれていましたので、両方に参詣しているのでしょうか。

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株主優待で、かなりの高配当---中央魚類と極洋

Dscn5487_320 水産関連の会社、2社の株主優待でもらった缶詰セット(奥)とかまぼこセット(手前)です。お中元といったところですね。

株価低迷であまり嬉しくない状況ですが、株価が安いゆえに、低位株でも株主優待を含めると、以外に高配当の株が幾つもあります。

写真の缶詰セットの1301極洋は、今日の株価が183円、1株配当は年5円で配当率は2.73%。それに缶詰セットを3000円相当とすると、合わせた配当率は年率4.37%です。
株主優待には1000株の保有が必要で、今日の株価から必要金額は183,000円です。この配当が年8000円相当(4.37%)ですから、利回りとしたら悪くありません。

同じように計算すると、かまぼこセットの8030中央魚類は、今日の株価が178円、1株配当は年6円で配当率は3.37%、それにかまぼこセットを、やはり3000円相当として合わせた配当率は年率5.0%です。
必要金額は178,000円で配当が年9000円相当(5.0%)となります。銀行預金の利息などは、足元にも及びません。

それと、銀行預金の利息にかかる税金は年率20%です。
利息と呼べないほどの低金利の普通預金の利息でさえも、がっちりと国税15%、地方税5%を差し引いて通帳に記入されているのです。
それに比べて、株式配当と、株式売買の利益にたいする税額は10%です。株式配当の場合は、配当額から10%差し引かれた金額が、通知されます。
比べてみれば、倍の税額の差は、かなり不公平です。良く言われる金持ち優遇政策です。

僕は、預金利息の税額20%を維持するなら、株式配当と株式売却利益についても税額20%とし、税収を増やすべきだと思っています。

デイトレーダー諸氏とは無縁の話ですが、株価の動きに一喜一憂せずに、株主優待を楽しみに株式を長期保有している人も多いのです。
企業にとっても、大切にしたいありがたい株主様というわけです。

ただし、良い事ばかりではなく、企業業績によっては、配当が低くなったり、無配もありえます。そうなると楽しみな、かまぼこも缶詰も無くなるかもしれません。
「株式購入は自己責任で。」

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2010年7月13日 (火)

旅客機胴体の輪切り

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ミュンヘンのドイツ博物館に展示されていた旅客機の胴体部分の輪切りです
椅子が並ぶ客席の下が貨物室で、コンテナが収納されているのがわかります。
勿論、問題ないのでしょうが、見た目には客席のハニカム構造の床が薄いのでちょっと心配になります。
旅客機の構造は、頭ではわかっていても、実物がでんと置かれていると、迫力が違います。こうなっていたのかと、改めて納得した次第です。

ドイツ博物館の広大な館内はとても短時間では見切れるものではありません。
少しゆっくりと見学したら、3日くらい欲しいところです。体力も必要です。
日本の同種の施設では、建物だけは立派だが、展示は今ひとつという例が多いのですが、ドイツのそれは、建物は古くても体験型の展示内容と見せ方は、比較にならない素晴らしさです。
ドイツ博物館、機会があればまた訪ねたい場所です。
そうだ、今年の7月から、全日空がミュンヘン直行便を就航させました。でも、それがどうしたですね、すぐに飛んで行ける余裕があるわけでなし。

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2010年7月11日 (日)

ミニトマトそしてマンゴー

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ブログねたも無いので、作男さんが選挙速報を気にしてなにやらうろうろしている間に、ご自慢のミニトマトの事を書いてやるべ。じゃない書きます。
選挙戦は、国の理念や、展望も見えない情けない有様で、速報を見る気も無し。なにやらマスコミが国政を動かす様相が、ますます強まりそうで、いやな感じです。
誠実でしっかりとした政治家が欲しいです。消費税論争の、むなしさについてはまた書くことにしましょう。

さて、本題に戻って、0.6㎡の超ミニ農園に植えた2本の苗が生長して、ご覧の上の写真のようにミニトマトが鈴なりです。100個は数えられます。
赤く熟した実は、時々朝食のサラダに付くようになりました。作男さん、最近は「どうだ、どうだうまいべ」も出なくなりなんだか余裕の表情です。ミニトマトつくりの奥義を極めたという自信が伺われます。
しかし、食べてみるとミニトマトの皮が硬いのは、仕方がないのでしょうか。
Dscn5484_320もう少し柔らかいと口当たりも好いのですが。
作男さん、なんとかなりませんか。
しかし、これだけ成長のよいミニトマトは、市民農園にもありません。皮の硬さはおくとして、作男さんを褒めてあげましょう。

中の写真は、ミニトマトのアップ写真ではありません。
いくら作男さんでも、これほど大きなミニトマトは出来ません。
マンゴーです。
石垣島に移住した旧友が、昨日東京に出てきて、久しぶりに会う事が出来たのです。マンゴーはその嬉しいお土産です。彼の家の近くの農家から分けて頂いたという、食べるととろけるような味わいのとても美味しいマンゴーでした。

僕がリンゴみたいなマンゴーだなとつぶやくのを聞いて、かみさんが「前にも同じ事を言ったわよ。マンゴーは黄色だという固定観念がありすぎるの」と言うのです。
そうかな、そんなことあったかな。
タイのマンゴーは黄色だし、缶詰から連想しても黄色じゃないか。

しかし、これは完全なる僕の間違い。日ごろマンゴーなどという上等の果物には縁遠いので、知らないだけなのです。
沖縄、宮崎などで産出されるマンゴーは、皮は赤色で、その名も「アップルマンゴー」
なんだ、やっぱりリンゴか。
(写真下、たまにヨーグルトに入れて食べているタイ産のマンゴーの缶詰。これから、つい「マンゴー=黄色」を連想してしまう。)

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2010年7月 7日 (水)

海賊対処法によるソマリア沖船舶護衛その10(6月)----護衛艦「ゆうぎり」で隊員死亡

インド洋給油活動の時と同じように、派遣前には、あれほど大騒ぎしたマスコミが、その後まったく報じなくなった、海賊対処法によるソマリア沖派遣護衛艦の毎月の活動を書いています

*平成22年6月の海賊対処法による船舶護衛実績(142回護衛~149回護衛の8回)
 護衛した船舶 日本籍船 0隻 
           日本の船舶運航事業者が運航している外国籍船  14隻
                   合計14隻  1回平均1.75隻
           
               外国籍船 46隻  1回平均5.75隻
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相変わらず海上自衛隊護衛船団に護衛される日本関係船舶は少なく、6月も8回の護衛に14隻と、平均1.75隻でした。

何度も書いていることですが、護衛する2隻の護衛艦より、守られる船舶のほうが少ない現状です。
それにたいして、日本の護衛船団に加153_320わる外国籍船は中国を筆頭に46隻と平均して5.75隻になります。

「日本の防衛大綱」において、わが国の防衛力を世界の公共財に供するなる思いがあるようですが、それにしても仮想敵国とする中国関連の船舶の護衛がもっとも多数というのは皮肉な状況です。

6月に護衛された60隻の船舶に、日本籍船は0隻ですが、乗船している日本人乗組員も、日本関係船舶を含めて一人もおりません。
このあたりが、大きな問題を抱える日本の海上輸送、海運会社の現状をよく表している数字です。

今回、例月より護衛回数が2回ほど少ないのは、護衛艦「ゆうぎり」の乗組み隊員の死亡事故が原因です。

Katsudou1_320 6月9日に第143回の護衛任務(地図上B点よりA点:西航)を終了し、僚艦「むらさめ」とともに、補給、休養のためジプチに向け航行中の護衛艦「ゆうぎり」が、ジプチ沖25マイル(約46km)の洋上で、隊員の3等海漕が艦内トイレで倒れているのが発見され、その後死亡が確認されました。
原因は、インターネットネット上では、いろいろ取り沙汰されていますが、統合幕僚監部からは、死亡原因は調査中と発表されています。

このため、「ゆうぎり」は第144回から147回の護衛には参加せず、ジプチに停泊しました。
この間、船団護衛は、護衛艦「むらさめ」単独で行われました。
「ゆうぎり」は、6月23日にA点よりB点(東航)への第148回の護衛から戦列復帰し 、船団の前後を2隻の護衛艦で守るという、通常の護衛船団形式に戻りました。

EU諸国や、韓国海軍、中国海軍の船舶護衛は、護衛艦艇1隻の後ろに縦列で商船が続くという形での護衛が行われていますが、海上自衛隊の場合は、ソマリア沖に派遣された当初から、2隻の護衛艦が船団の前後を守るという方式が採用されています。
したがって、今回行われた、「むらさめ」1艦による船団護衛は、海上自衛隊として初めての事なのです。
一部の報道で伝えられている、隊員の死亡事故の原因が艦内トイレの故障による排気不十分が原因としたら、酷暑の気温とはいえ、すでに第5次派遣部隊ありでもあり、浄化装置の高気温対策に問題があったと思わざるを得ず、厳しい物言いになりますが、護衛艦としてなんともお粗末としか言言いようがありません。
過酷な条件での海上勤務中にこころならずも死亡した23歳の若者に深く同情いたします。

韓国海軍の名を挙げましたが、対テロ戦争に関連して、日本も給油活動で協力した第150合同任務部隊(CTF-150)から、海賊被害の増加により、海賊対処専任部隊としてCTF-151が設立されたわけですが、現在この司令官は韓国海軍のイ・ボンリム少将(Lee Beon-rin)が任命されています。
CTF-151関連のサイトからこの名前を見つけた時は、韓国海軍が司令官を務めているという意外な事実に、ちょっと驚きました。
なお、日本は各国海軍との連携は取りつつも、中国、インド、ロシアなどと同じくCTF-151には参加していません。

昨年(2009年)3月から始まったソマリア沖に出没する海賊に対しての船舶護衛は、今後、いつまで続けるのか全く見通しがつきません
シーレーン防衛との関連は、あえて触れませんが、ジプチの基地建設といい、恒久的な派遣につながる可能性が強い船舶護衛について、もう少し長期的な展望から、作戦を考え直す時期に来ていると思います。
長い海上輸送路を、日本の護衛艦が行き来するだけでも、強力な海上防衛だという論旨(谷口智彦前外務報道官)では、あまりに策がなさすぎます。

あまり報道されないのですが、今までも二士クラスの深刻な隊員不足が伝えられています。今後も少子化の影響から海上自衛隊の隊員不足が慢性的になり、艦隊編成にも影響が出る事は避けられないと思うのです。艦はあっても乗組み員がいないという状況の事です。

往復45日間もかけてソマリア沖に派遣される護衛艦隊員の過酷な勤務を軽減する方策として、デンマーク海軍の多目的支援艦アブサロンやフランス海軍で採用されているような、艦を現地に派遣したまま、3ヶ月ごとに乗員が交代する方式も参考になります。
アブサロンの艦内は、隊員の居住環境が、他国の艦艇に比べて非常に快適だそうです。
艦長や、上級士官までが交代するというのには、驚かされます。

また、護衛を受ける日本関係船舶(タンカー、貨物船、コンテナ船、自動車運搬船など)が、護衛艦派遣前の想定の3割にも満たない状況から、護衛する船舶1隻あたりにかかる経費が、2日間の護衛で5000万円(国会討論よりとも算出されるなど、今後長期にわたる予算計上も問題になります。
この事に関して、年間の護衛対象船舶2000隻が危険な状況にある、早く自衛隊を出動させよと叫んだ、防衛省、国土交通省、日本船主協会、評論家諸氏、そしてメディアの関係者から、なんらの発言も聞かれなくなりました。
護衛する日本関係船舶の3倍もの外国籍船を守るなど、国民はまったく説明されていなかったのです。

海賊対処のために、自衛隊を派遣し護衛船団を組むことについては、賛否両論があってしかるべきと思いますが、今やジプチに自衛隊として始めての海外基地が出来たと、関係者の喜ぶP3C哨戒機の派遣も、2隻の護衛艦では手に余るので、それを補完するためと理由付けしての出動でした。当時、2隻ではとても不足だ、4隻出せないかとまで言い張った自民党議員までいたのです。
なにがなんでも実施してしまえば、後はなんとでもその実績を言い換えられる。
ダムや高速道路、大型橋梁などに見られる典型的手法を、自国の防衛問題にまで応用するのは危険であり、その後の検証がより求められるのですが、それが無視されることを危惧しているのです。
日本の大手海運会社が海外に船籍を移す事により、税負担を軽減し、日本人乗組員を締め出す状況を作りながら、海賊からの護衛は国の責任として、多額の税金を使わせて少数の企業だけが恩恵を受けている事には、納得できない国民も多いと思います。

事実、米国のCTF151関連で、海軍高官が海賊対処の高額な軍事経費に、今後の継続に疑問符をつけ、商船の自己責任論まで発言しています。
http://www.military.com/news/article/navy-looks-for-new-ways-to-fight-pirates.html


http://www.navy.mil/navydata/bios/navybio.asp?bioID=111
平均2隻に満たない日本関係船舶の護衛に、2隻の護衛艦がつくのではなく、今回、「むらさめ」が行った単独護衛方式を西航、東航にわけ、護衛船団編成の効率化も考えられます。

以前連載したインド洋給油関連のブログで、インド洋給油の継続より、保有するヘリコプター空母を、病院船も兼ねた多目的支援艦として、海上輸送路の近隣国やアフガニスタンなどに支援派遣して、友好関係を築くことが、将来の海上輸送路確保にとっても有効な手段になると書いたことがあります。
海賊対処を含めた海上輸送路の警護について、包括的、長期的展望による作戦立案が求められます。

ところで、「インド洋給油活動」仁ついては、海上自衛隊による給油活動の撤退から、連載ブログも終了させましたが、その後のCTF-150は、やむを得ず長期間、指揮権国を、任されたフランス海軍から、昨年(2009年)7月にパキスタン海軍に委譲され、その後12月にオーストラリアに、そして今年の4月からまたパキスタンが4度目の指揮権国になっています。
その活動状況についてはあまり公表されず、情報も少なく停滞気味である事が推察されます。
日本が給油を止めれば、海軍はほとんど活動できないのだといわれた(村田晃嗣同志社大学教授をはじめ評論家、コメンテータなど多数)パキスタン海軍が指揮権国を重ねて任されるのは、皮肉なことです。

また、日本が給油活動から撤退すれば、そのあとを中国海軍が引き継ぎ、活動地域を広げるとの
、中国側もあきれるほとんど根拠のない捏造記事を書いて煽り立てた産経新聞や、テレビで発言した岸井成格毎日新聞東京本社特別編集委員(現編集主筆)などは、防衛省、外務官僚などとの連携による世論誘導の典型だと思います。
全く少し油断すると日本のメディアは、何をしでかすかわかりません。

だいぶ脱線しましたが、今日のところは、このへんでお開きに。

(写真上、第5次派遣部隊護衛艦101むらさめ)
(写真中、同じく153ゆうぎり)
(写真下、海上護衛範囲---海上自衛隊HPより転載)

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2010年7月 4日 (日)

利尻岳の初登頂者、そして熊の存在---その2

昨日の続きです。

深田久弥さんの著書「日本百名山」に書かれた一番目の山である「利尻岳」に,

僕が気になる文章がふたつあって、その、ひとつが昨日書いた登山の先駆者、牧野富太郎氏から辿った初登頂者でした。そして、もうひとつが次の文です。

「北海道本島と遮断された海上の山だけあって、此処には蛇や蝮がいないという。北海道の山に付きものの熊もいない。
かって対岸の天塩(てしお)に山火事があった時、難を逃れてこの島まで泳ぎ渡ってきた熊が一頭棲みついたが、いつの間にか見えなくなったそうである。
多分、また古巣へ泳ぎ帰ったのであろう。」


そう、その後の利尻岳のどの登山ガイドにも、はっきりとこの島には熊がいないことが書かれています。

 僕も2年前、利尻岳山頂を目指して、まだ明けやらぬ暗い原生林の中をヘッドライトをたよりに、一人登って行きながら、北海道の山で、ヒグマがいない事がはっきりしている登山道の安心感に、歌でも口ずさみたい心持だったのです。

この年になると霊的な現象にはあまり驚かない心境ですが、熊はいけません。
単独行の山で遭遇したくない、いやどんな難所よりも怖いのが熊です。

そういえば、今日のニュースでも報じられていましたが、白神山地で、登山者が突然藪から飛び出してきた熊に襲われて、仰向けにされたが、足蹴りで反撃して撃退したそうです。
遠くにいる熊を見るくらいなら我慢しますが、暗い山道で怖いのは熊なのです。
ヒグマなど最悪です。
それが生息しないことが発表されているのですから、こんなうれしい登山道はありません。

さて、そこでですが、この一時利尻島に住み着いたとされる熊はどうなったのか、それが今日の疑問なのです。
昨日の初登頂者探しと同じように、いろいろ調べてみたところ、インターネットで次の情報が見つかりました。
なんの事はない、地元利尻町のホームページに次のような記事がありました。

「利尻水道を泳いだ熊」
 「1912年(明治45年)5月24日、利尻島の東、旭浜の海を泳ぐ熊が斧で撲殺された事件があった。
このことは小樽新聞(5月23・25・30日)、北海タイムス(6月2日)に載っている。
 熊の足跡が目についた島人たち。島に熊がいるかもしれないとの話題が広まった。
 5月24日の朝4時頃、ついに海を泳ぐ熊が目撃された。
そして再び目撃されたのが、午前11時頃。漁師たちが舟に乗り斧を持って熊の周りに集まった。
 舟に手をかけてきた熊を斧で殴ったが、大暴れ。舟を揺り動かす熊。殴る漁師。
悪戦苦闘の末、熊の動きが止まってしまった。
その熊を舟に乗せて陸揚げ。記念写真撮影。
そして熊の皮剥。年齢は7・8歳ほど。体重は80~90貫(300~340㎏)とのこと。
 さて、利尻水道を泳いできた熊。起点は対岸の北海道本島のどこになるのだろうか。
熊の渡島解説は天塩・稚内の山火事からだといわれている
(注:深田久弥氏もそう書いています)
しかし、1912年(明治45年)5月には両地区とも山火事はない。
むしろ山火事があったのは前年の1911年(明治44年)5月のことである。
山火事が利尻水道を渡ろうとしたことにはならない。
距離は天塩川河口から利尻島までは約44㎞。稚内夕来からは約19㎞。
 北海道のどこから渡ってきたのかを探ろうとしても、熊の毛皮が行方不明から熊に聞くことができない。
熊が利尻水道を泳いでから2012年が100年となる。そこまでには泳ぎ始めた起点を探ってみたい

写真も掲載されておりますが、転載の許可を得ておりませんので、直接下記URLから、見てください。体重300kg以上と書かれていますが、写真で見ても巨大熊ということがわかります。こんな熊に襲われたら、なすすべはありません。白神山地で襲われて、足蹴にして撃退したという熊は100kgくらいだったとのことですから、この利尻島の熊の大きさがわかります。
http://town.rishiri.jp/modules/d3blog/details.php?bid=17&cid=5

これで、すっきりしました。熊は猟師ならぬ漁師に殺されていたのです。
おそらく、これが深田久弥氏の書かれた熊だったのでしょう。
僕の推察ですが、漁師も海を泳ぐ熊を撲殺してしまったのがなんとなく後ろめたく、当初は騒ぎになりましたが、その後は手柄話として残らずに後世に伝わらなかったのではないかと思います。

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2010年7月 3日 (土)

利尻岳の初登頂者、そして熊の存在

300pxmt_rishiri28200429 本棚から何気なく手に取った深田久弥さんの「日本百名山」を開き、一番目の山である「利尻岳」を読んでいて、なんだか気になる文章が二つありました。

日本最北端のやまである利尻岳は、僕も二年前、念願かなって登ることが出来た印象に残る山のひとつなので、以前は気にもとめなかった文章が引っかかるのです。

今日はひとつめの、次の文です。

「私の眼にした最初の利尻岳紀行は、「山岳」第一年二号に載った牧野富太郎氏のそれである。
明治36年(1903年)八月のことで、この植物学者の一行は鴛泊(おしどまり)から登った。ほとんど道らしくもない道を辿って、山中に二泊している。
頂上には木造の小さな祠があったというから、土地の人は、すでに登っていたのであろう。」

これを読んで、まてよ、それでは利尻岳の初登頂の記録がなにかあるだろうかと思ったのです。
しかし、なかなか記録は見つからず、インターネットから次のいくつかの記述を見つける事ができただけでした。

「それから、利尻山の登山伝説です。アイヌの人たちは利尻山に登ると何らかの形で祟りがあると考え普通は利尻山に登ることはしませんでした。
しかし、「松前随商録」にはなぜかアイヌの人たちが登ったと書かれています。
ただ、登ったけれどいろいろなものが出てきて、すぐに引き返したということが書かれています。
この他、最上徳内や間宮林蔵が来て登ったという記録もあるのですが、この時もアイヌの人たちは賛成しなかったということが書かれています
。」---先住民である、アイヌの人たちは登らなかったとみます。

「現在、多くの登山者が訪れる利尻山ですが、その歴史を紐解くと、古くは最上徳内や間宮林蔵など江戸時代に活躍した探検家が登山を試みています。当時から、利尻山は信仰の対象として「利尻大権現」と崇められ、航海の目印あるいは豊漁を願い祀られてきました。」---登山を試みたが、登頂はしなかったとみます。

「この山に最初に登ったのは、一七九二(寛政四)年に宗谷・利尻調査を行なった最上徳内(もがみとくない)と記録されており、樺太探検で知られる間宮林蔵(まみやりんぞう)も登ったことがあるという。」---登ったが途中で下山したことが、下の記述でわかります。

「松浦武四郎は利尻島と礼文島へは弘化三年(1846年陽春9月)に渡っているがそれよりも前、寛政十年(1798年)に渡った武藤勘蔵は「蝦夷日誌」の中へ「此嶋むかしより絶頂迄到たるものなし。先年も最上徳内巡行の時蝦夷人のとゞむるをきかず半腹まで登りしに、俄かに大雨そゝぐが如く、山崩震動強く、流石の徳内も恐れて下山す。其後たれにても山頂へ登りたるものなし」と記録している。」---最上徳内は登れなかったと書かれています

利尻岳登頂:明治23年(1890年)紀州の行者、天野礒次郎が現在の港湾地区から登り不動明王像を山頂(北峰)に安置。登山道整備に3ヶ月を要したという。
不動明王像は現在鷲泊の大法寺が保管。」---
これが現在のところ、初登頂と思われます。槍ヶ岳や剣岳などと同じで、信仰は強しです。

このほかにも探せば資料があるかもしれませんが、今日のところでは、上にも書きましたが、武藤勘蔵が1798年に記録した、頂上に至った者はなく、登ったとされる最上徳内も途中で下山したと書かれていますので、初登頂者は明治23年(1890年)の紀州の行者、天野礒次郎としておきます。
深田久弥さんが眼にした記録に残る牧野富太郎氏が明治36年(1903年)8月に鴛泊(おしどまり)から登ったのは、初登頂から13年後の事だろうと思います。

*明日は利尻岳の幻の熊の存在を書きます。

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2010年7月 1日 (木)

MOとFD---消えないで

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先日、近くの家電量販店で見たMOディスク」の商品陳列の少なさには驚きました。
今や、FDドライブの付いているパソコンはほとんど市場に見られないので、FDが売り場に無いのは仕方がないとしても、商品陳列棚の片隅に忘れられたように並べられているMOディスクを見るとFDと同じように、今消え行く運命である事を実感しました。

僕は仕事も含めて、それほど大容量のファイル保存は無いので、このMOディスクがとても使いやすく重宝しているのです。
エクスプローラを使ってドラック&ドロップで簡単に読み書きできるし、上書きや削除も簡単です。
ケースも堅牢で、運搬も扱いやすいしデーターの保持寿命も長いといわれています。
CDやUSBメモリーに比べて、このいかにも頑丈そうな形状とケースデザインが気にいっています。
僕は、20年前から使って、運が良かったのかも知れませんが、その間壊れて読み書きが出来ない状態に遭遇したことはありません。
勿論、MOドライブ本体は変わりましたが、今でも20年前の128MBディスクのデーターは健在です。(当時、FDが唯一の保存媒体であった時、この128MBは驚くべき大容量でした)
しかし、需要の低迷により日立マクセルに続き、老舗の三菱化学メディアも昨年12月で販売中止を決めたようで、もうMOディスクを国内製造するのはソニーだけ(フリー百科事典ウイキペディアによる)になったようです。(MOドライブを販売している富士通他1社も、ディスクの販売をしているようで、この点調査してみます)

MOドライブを持っている人が少ないので、他人とのデータのやり取りには不都合といわれていましたが、建築設計、デザイン関係では、MOドライブの普及率は高く問題なく使用する事が出来たのです。
この、MOが消えるのは残念でなりません。
(写真は、3台目になるI-Oデーター製、USB接続の1.3GBMOドライブと日立マクセル製のMOディスク、そして今もテキストファイルなどの移動や保存に使っているSONY製FD)

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