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2010年6月30日 (水)

キンカンの甘煮はこれだ!

Dscn5475_320 キンカンの甘煮については、その作り方がインターネットでもいろいろと書かれていますが、我家の甘煮が最高だと思っています。
作り方は簡単です。
キンカン酒を作った後のキンカンを取り出します。
(キンカン酒を作る際、ブランデーベースリキュールを使ったほうが上質な甘さがえられます。)

キンカンには、切り込みが入れてありますので、そこから種を取り出します。
少ないと2,3個、多いものだと5個くらいDscn5438_320入っています。種は甘煮にしても軟らかくならないので必ず取り除きます。
先曲がりのピンセットが使い勝手が良いようです。

種を取り除いたキンカンを鍋に入れ、キンカンが隠れるくらいの量の水を入れます。
これを弱火で2~3時間ほど煮詰めます。
その際、砂糖(赤ざらめ)を加えます。
甘さは好みにもよりますが、キンカン酒を作る際の氷砂糖で甘味がついていますので
分量は少なめで良いと思います。
最後に上質の蜂蜜を少量加えます。
全体が濃い黄金色になり、トロットしたら出来上がりです。
ヨーグルトに入れて食べるととても美味です。
キンカン酒を作ったキンカンは捨てずに、是非甘煮にすることをお勧めします。
写真上、キンカンの甘煮)
(写真下、キンカン酒を作った時のキンカンを甘煮にする)

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2010年6月28日 (月)

依田川水系の大門川、和田川に魚影なし

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Dscn5462_320 週末の26日(土)は渓流釣り仲間の友人達と、八ヶ岳北部の渓流、大門川と和田川に行ってきました。
小雨のぱらつく天気ながら、川の流量も良く、これは釣果が期待できそうだと張り切ったのですが。
しかし、大門橋上流域では、餌釣り、テンカラとも全く当たりなし。
どんなに魚が少ない川でも、たまには道糸の目印がゆれたり、毛ばりを追う魚影を見ることが出来るのですが、それが全くありません。
この水系、殆んど釣られてしまって岩魚、ヤマメの姿無しと判断し、釣り達人揃いの友人達と、心残りながらも早めに切り上げて、別所温泉の宿に向かいました。今日は楽しく飲むのです。

帰宅してから、この両川を管轄する上小漁協の放流状況を調べたのですが、3月から6月までの間に、4回ほど成魚放流していて、大門川に460kg、和田川に130kgと発表されています。(上小漁協さんだけを疑うわけではありませんが、漁協の放流発表は公開放流を除いて、少し水増しして発表される場合があります。)

うーん、これでは解禁後や放流後に殆んど釣られてしまい、釣果の期待は出来ないと思いました。
両川合わせて590kgでは、成魚一匹100~120gとして5300匹です。
一日に何人の釣り人が入るかわかりませんが、一日のその日の釣果合計を、20人で2匹づつ、計40匹とすると、130日強、約4ヶ月ですべて釣り上げられてしまう計算です。
これでは、この時期に入渓しても、魚影を見ないのは仕方が無いのかもしれません。
我が腕前のせいにしないで、そう結論づけることにしました。

しかし、ここ数年、里川を含めてどの渓流に入っても殆んど釣れません。昔を懐かしむわけではないのですが、なぜこうまで、魚が少なくなったのでしょう。
千曲川水系の遊漁券販売数は、全国の漁協でもベストテンに入ります。数を釣ろうとは思いませんが、毛ばりを追ってくれるなど、もう少し釣が楽しめると良いのですが。よろしくお願いいたします。

翌日の日曜日は天候もすっきりせず、昨日の釣果にいきも上がらず、釣りは止める事にして、別所温泉の安楽寺にある国宝の三重の塔や、北向観音、それから上田城址、小諸城址、布引観音、望月温泉などに立ち寄り帰宅したのでした。
しばらくぶりの渓流釣り行に、結果は出ませんでしたが、皆でで楽しく過ごせた2日間でした。
(写真上、半世紀ぶりに訪ねた安楽寺の三重の塔。
屋根が特に傷んでいるようですが、禅宗様建築の貴重な八角形の塔全体に、国宝としての管理が行き届いていないとみました。)
(この角度から見上げると、「きのこ」を連想してしまう)

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2010年6月24日 (木)

新潟市内で見つけたピンク色の建物にびっくり----金井写真館

Dscn5382_1024 昨日の続きです。
「旧斎藤家別邸」を探して歩いていたら、写真のような派手な建物に巡りあいました。
正面の屋根部分に、金井写真館本店と書かれています。思わず写真に撮りましたが、帰ってから調べてみたら、どうしてかなり由緒ある建物でした。(現金井文化財館--非公開)

明治21年に新潟市の新堀通で写真館を創業した金井弥一氏が、明治30年に南浜通に新築した建物だったのです。建築後110年経過しています。

驚くことに設計者が、当時逓信省建築課の設計技師で、大阪郵便電信局(現大阪中央郵便局)や、現存し国の重要文化財に指定されている旧米沢高等工業学校本館(現山形大学工学部)など、他にも名古屋、仙台の高等工業学校、東北帝国大学などの建物の設計で知られている中島泉次郎だったのです。
氏は郵便マーク〒の考案者とも伝えられているそうです。

どうして、逓信省の建築技師が、この民間の写真館の設計に携わったのか、調べてみたのですが良くわかりませんでした。
当時、裁判所とかの改築で新潟に滞在していた記録もあるようですから、何らかの縁で、この写真館の設計図書を作ったものと思われます。

この写真館の外壁のピンク色は、以前は別の色に塗られていたようですが、竣工当時の色に戻したとのことです。でも、この色が本当にそうだとしたら、今から110年前の明治30年にこの建物を見た人達はさぞ、びっくりしたことでしょう。
Yamagata (写真左、この華麗な建物は、中島泉次郎設計による、国指定重要文化財(昭和48年指定)の旧米沢高等工業学校本館(現山形大学工学部)

山形大学工学部HPより転載させていただきました)

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2010年6月23日 (水)

新潟市内で「旧斎藤家別邸」を見学

Dscn5393_320 先日、ブログにも書きましたが、大野亀に咲くカンゾウの花を見ようと佐渡に渡りました。
日帰り予定でしたので、新潟港を6.00発の朝一番のフェリーに乗り込むために、前日は新潟駅前のホテルに宿泊しました。
午後、新幹線で新潟駅に着いた後、少し時間があったので駅前の観光案内所で相談したら、「旧斎藤家別邸」の見学を紹介されました。
普段は非公開のところ、同邸宅の今後の利活用を検討するための社会実験として、期間限定での特別公開とのことでDscn5392_320_3 した。近くにある「日本銀行新潟支店長旧宅」も見学可能とのことで、早速、駅前からバスに乗り込み訪ねることにしました。

「旧斎藤家別邸」パンフレットより抜粋
「旧斎藤家別邸は、明治から昭和初期にかけて、新潟の三大財閥の一つに数えられ、貴族院議員を務めた豪商、斎藤喜十郎(1864~1941)が、大正7年(1918)に建てた別邸です。
海岸に近い砂丘の傾斜地を巧みに利用し、都会でありながら深山幽谷の趣を仕立て、周辺には見られない池や渓谷といった水辺空間を造りあげた回遊式庭園の作庭者は、東京の二代松本幾次郎Dscn5383_320(1858~1936)ともその弟亀吉ともいわれており、完成までに3年の歳月と巨万の費用をかけています。
邸内には、浩養園(東京都墨田区)など、かっての江戸の大名庭園から選び抜かれた数多くの名石、石造物が運び込まれています。
また、建物は、避暑と庭園観賞という目的を最大限に考慮した開放的な造りです。随所にさりげなく銘木を使うなど巧みな演出がなされています。」


旧斉藤家については、多くの方がネット上に書かれていますので、ここでは省略しますが、1330坪という広大な敷地と、建築費が当時の金で25万円、現在に換算すると20億くらいでしょうか。
この巨額な費用を、ただ避暑と庭鑑賞、そして月見の宴のために惜
しげなく使う、昔の資産家の太っ腹には驚かされます。

それと、いちばん上の主屋の写真と、いちばん下の主屋2階の写真でわかると思いますが、建築構造的にみて僕がうなったのが、主屋の重い瓦屋根を建物隅の細い一本の柱で支えているこの住宅の構造です。
耐震設計とは全く次元が異なる、この開放感のすばらしさなのですが、よく今まで地震に耐えてきたものだと感心しました。
建物全体のバランスと、柱配置の妙、そして梁の架構の巧みな組み合わせがなせる技なのでしょう。補強金物と筋交い、構造壁でがんじがらめにされる現代の木造建築からみたら、うらやましいかぎりです。
Dscn5385_320_2 (写真1枚目、主屋、開放的な間取りの建物だが、左隅の部分は、重い屋根を含めてさほど太くない隅柱一本で支えられているのがわかる)
(写真2枚目、茶室「松鼓庵」)
(写真3枚目、玄関の正門)
(写真4枚目、庭園と池)
(写真5枚目、滝まで造られている)
(写真6枚目、主屋2階では、訪れた見学者のために、呈茶のサービスが行われていた。僕たちも300円を払い、抹茶とお菓子を頂いた)

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2010年6月21日 (月)

梅酒作りとミニトマト

Dscn5440_320_2 19日(土)の続きです。

我家の庭にある南高梅の梅の実が、今年は大収穫でした。
多分、過去最高だと思います。
重さは5.05kg 数量は241個も採れました。小さな庭の小さな梅の木ががんばりました。

昨日は、この梅から、2kgを厳選して梅酒を2ビン作りました。(選ばれし精鋭たちです)
勿論、果実酒用ブランデー(ブランデーベースリキュール)を使います。

Dscn5442_320_2造り方はいたってシンプル。
梅を良く洗い、水気を取ってからビンにいれ、その上に氷砂糖1kgを加えます。(甘いほうが美味いです)

よく、梅を入れて氷砂糖を入れるのに、交互に何段かに分けると良いとも云われていますが、僕の経験では、これはほとんど梅酒の出来栄えには関係しませんでした

最後に1.8リットルのブランデーベースリキュールを加えて、蓋をすればおしまいです。

美味い梅酒を作るコツの一番は、良い梅を使うこと。これにつきます。
 我家の場合、使う梅は無農薬の自家製ですが、その年により豊作、不作が生じます。
これはぶどう酒と同じで、その年毎に残念ながら梅酒の味に差がでるということです。今年は豊作年でした。
大事なことは、貯蔵中に10日に一回ほど、ビンを振ってやること
これ、すぐに忘れるし、面倒な作業でもありますが、大事な作業です。
中の梅は6ヶ月間取り出さず、小瓶に移すときに一緒に取り出して捨てます。
これで、うまい梅酒ができます。

ホワイトリカーを使うか、やや、価格の高いブランデーリベースキュールを使うかは、好みにもよると思いますが、僕の経験ではブランデーを使ったほうが芳醇な仕上がりになるように思えるし、出来上がった当初は、ホットにした場合に、格段に味が良いと思います。
ただ、数年間保存した場合は、風味が似て差はなくなるようです。

さて、今年の梅酒の出来はどうなるでしょうか。とても良い梅を使うことが出来たので、多分2011年初頭には、うまい梅酒が出来上がると思います。ことによると、2010年ものは☆☆☆梅酒として、絶賛されるかもしれません。

Dscn5441_320_2話は変わりますが、おらが、おらがの作男さんの超ミニ農園の2本のミニトマトの「アイコ」ですが、このところ急に生育が良くなり背丈も1.7mほどに伸び、沢山の花と実が付いています。支柱も4本に増やしました。
喜んでいる作男さん風に言うと「鈴なりだべ」です。
僅か2本の苗ですが、100以上の花と実がなっています。まだ赤くなりませんが、まもなく我が家の朝の食卓に並ぶことでしょう。
作男さんの得意げな顔が目に浮かぶようです。「農園主さま、おらの、アイコだ、食べれ、食べれ、どうだうまいだべ、だべ。」

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2010年6月19日 (土)

農園の収穫とキンカン酒

Dscn5437_320 作男さんが、なにやら「おら、書き物で忙しいだよ」と、農園作業がおろそかになっているので、今日は女農園主さまが畑に出向き、お手入れされてから、収穫の野菜を作男さんに届けてくれました。(写真上)

作男さん、すっかり恐縮して、「おらとても口に入れる事はできねえだよ」などと殊勝なことを云っていましたが、ナスを焼いて生姜醤油で食べる段になると、パクパク食べて「これはうまいだ。どうだ、おらの腕もあがったべ。そら、もっと食え、もっと食え。」
なんとも、性格は変わりません。

それにしても、今年の農園は、作男さんのがんばりもあるのでしょうが、トマト、ナス、ピーマン、つるなしインゲンなど、どれも生育が順調です。
作男さん「どうだ、おらの畑は農園でも目立つ存在だべ」と鼻を高くしています。
先週からナス、ピーマンの収穫ができるようになりました。トマトも沢山実をつけてとても楽しみです。

今朝は、TBSラジオの「永六輔の土曜ワイド」は佐渡島からの生中継でした。
放送スタジオの設けられた、二つ亀のフイッシャーズホテルは、13日の日曜日に、僕たちがバスを降りて大野亀に向かって歩き始めた起点でした。ラジオから流れてくる付近の情景を写す言葉に、美しかった海とハマナス、イワユリ、カンゾウの花が目に浮かんでくるようでした。

Dscn5438_320そんな放送を聞きながら、今年の1月に漬けたキンカン酒を取り出しました。(写真中)
試飲したら、なんともまろやかで甘く、じつに良く出来上がっています。
キンカン酒は、キンカンを取り出して小ビンに移して1年ほど寝かせると、よりおいしくなるのですが、今年は最初から美味い。
実はこのキンカン酒は、ブランデーで漬けたのです。
去年の梅酒で、ホワイトリカーとブランデーの味の違いを実感しましたので、キンカン酒でも、ブランデーを使ってみたのです。これが良かったのかもしれません。

写真下)は、今日、出来上がった新酒のキンカン酒と、明日漬ける予定の梅酒用に買ってきたブランデーです。
今年は梅酒もすべてブランデーにしてみます。梅酒の場合、ホットにすると、ブランデーを使ったほうがおいしく感じられるのです。
Dscn5439_320ただ、冷たくして飲むと、これはブランデーもホワイトリカーもホットほど味の差は出ないようです。

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2010年6月18日 (金)

月日が過ぎていく

Dscn5435_320 部屋の壁に張ってあるカレンダーに、プラスチック製の小さな赤い枠が付いています。
日にちが変わるたびに、数字の下の切れ目に差し込み直して、当日を指すようにするのが理想なのですが、いつも気が付くと数日前のところに置き去りにされています。

毎日が、なにか矢のように過ぎ去っていきます。
ずいぶん先だと思っていたサッカーワールドカップも、もう、毎日熱戦が続いています。

6月も半分を過ぎたのです。
子供の頃は、夏休みが早くこいと願っても、また、早く学校が終わらないかと思っても、時間の針は意地悪しているようにに進みませんでした。
それが、年をとるにつれ一日が12時間制になったかと思うほど、時が過ぎ去っていきます。
やりたいことの半分もできません。
切り抜き保存したい記事のある新聞は、積み重なってDscn5434_320_2いきます。調べたいことも沢山あります。
そろそろ、収穫して梅酒作りもしなければならない梅の実が、大きくなっています。
その前に、金柑酒の実を取り出し、ビン詰めもする必要があります。ガラス容器を空けなくてはなりません。
そうだ、梅酒用の氷砂糖と、ブランデーも買わねばなりません。梅酒用のブランデーは、近くのスーパーでは置いていないので、自転車で酒の量販店まで行かねばなりません。
8月末に計画している旅行の計画と手配も、急がねばなりません。
Dscn5433_320男さんも、本家農園の仕事が手一杯だとかで、なかなか、超ミニ農園まで手が廻らなくなっています。
女農園主さまも、ボランティアだ、健康な生活を送るには運動だと、とても多忙です。
柳瀬川通信:報道部のデスクも作山記者も、大した記事も書かないくせに、なにか慌しげです。

てきぱきと事を進めれば、どうということも無いのに、時間だけがすぎて行きます。
いったい僕は何をしているのだろう。

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2010年6月14日 (月)

佐渡でカンゾウの花を見てきました

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13日の日曜日、かみさんと佐渡に渡り、大野亀のカンゾウの花の群落を見てきました。
ちょうどカンゾウ祭りの開催日でしたので、大野亀の駐車場横では祭りのイベントが行われ地元の方や観光客で賑わっていました。

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前日は新潟に泊まり、朝一番の6時のフェリーで両津に渡り、カンゾウの咲くこの時期の週末しか運行されない臨時バスで大野亀を目指しました。

佐渡は自家用車やレンタカー利用が殆んどで、観光地といっても定期バスでは効率的な観光が叶えられないほど、便数が少ないのです。

土曜、日曜日の午前中に2便運行されるカンゾーライナーと名づけられたこのDscn5401_320臨時便も、カンゾウ祭り当日なので、さぞ混雑するだろうとインターネット予約までしていったのですが、1台が満員でしたが、2台目は数人が乗車しただけでちょっと拍子抜けしました。

僕たちは終点の大野亀まで乗らずに、数キロ手前の二つ亀で下車させてもらい、海岸沿いの気持ちの良い遊歩道を歩いてみました。(写真左上)

日本海からの潮風を受けながら歩く左手の崖のあちこちに、オレンジ色のイワユリ(写真左中)やピンクのハマユウハマナス(写真左下)などの花が群落を見せ、山歩きとはまた違った楽しい海岸歩きができました。

Dscn5405_3201時間ほど歩いて到着した大野亀一帯は、10年ぶりの見事な咲き方と言われる見事なカンゾウの黄色い花で埋めつくされていました。(写真上2枚)

好天に恵まれ僕たちはとても幸運だったのです。目の前にそびえる大野亀の斜面を見上げると、天に昇るような細い道があり、登る人達が小さく見えます。

ここまで来たら、登らないわけにはいかないと、僕たちも頂上を目指しましたが見た目より急な斜面と暑さに、かなりへばってやっとたどりついたという感じでした。それでも360度の大展望はやはり山と同じで、頂上に登ったものしか味わえない感激の風景でした。

帰路は大野亀発14時30分発のカンゾウライナーに乗り、両津港からは、初めて乗るジェットフォイルで新潟港に戻り、あわただしく新潟駅から新幹線で帰宅しました。
カンゾウの花の美しさとともに、帰りに両津港で食べた、この時期しか味わえないと言う佐渡本マグロが、とても美味だったのも短い旅の思い出に加わりました。

かみさんに誘われての旅でしたが、前日に新潟市内で、旧斎藤家別邸の春の特別公開と、旧日本銀行新潟支店長役宅の見学もかない、大満足の2日間でした。

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2010年6月11日 (金)

賊対処法によるソマリア沖船舶護衛その9‐‐‐増えない日本関係船舶の護衛

インド洋給油活動の時と同じように、派遣前には、あれほど大騒ぎしたマスコミが、その後まったく報じなくなった、海賊対処法によるソマリア沖派遣護衛艦の毎月の活動を書いています。(防衛省、国土交通省海事局発表資料による)

*平成22年5月の海賊対処法による船舶護衛実績(132回護衛~141回護衛の10回)
 護衛した船舶 日本籍船 0隻 
           日本の船舶運航事業者が運航している外国籍船  22隻
                   合計22隻  1回平均2.2隻
           
               外国籍船 79隻  1回平均7.9隻

5月の護衛実績も、日本籍船は0隻、日本関係船舶も22隻と少なく、1回平均2.2隻となりました。
5月の全10回の護衛の内、日本籍船も日本の船舶運航事業者が運航している外国籍船0隻という船団が2回あります。(なお、護衛船団の日程報告からみて、5月は補給と休息の為、ジプチ(?)に2回寄港したと想定します。この間、護衛ができなくなっている状況や、その事情については、後日書きます)

 相変わらず護衛対象の日本関係船舶は増えません。
前回、海上自衛隊の護衛艦による2日間の護衛で、日本関係船舶1隻当たり3000万円以上の防衛費がかかると書きましたが、日本関係船舶数が増加しない状況から、海賊対処による特別予算を調べてみると、現在約4500万円程度かっているものと思われます。
かように、900kmの区間に限定されていても、シーレーン防衛とは金がかかるものなのです。

話が外れるのですが、国土交通省の発表によると、日本の重要港湾126港のうち、2007年度の貨物量実績が、需要予測を上回ったのは、僅か16港で全体の12.7%にしかないそうです。
残る110港は予測を大きく下回っているのです。
これは、日本運輸政策機構の空港需要の大幅水増しと同じ構図で、港湾もまた需要予測が過大評価に基づいて算出、建造されたことがわかります。

さすれば、海賊対処のために海上自衛隊が護衛艦を派遣する前提の、インド洋を航行する日本関係船舶は年間2000隻以上、1回に10隻の護衛船団を組まねばならない。
とても韓国などの船舶護衛まで手が廻らないといった需要予測もまた何らかの過大評価があったとしか思えません。
いくら、景気低迷の影響があるとしても予測の3割にも満たないのですから。

 海賊対処法による船舶護衛活動が始まった昨年7月以来、護衛している船舶の8割が外国の運航業者が運航する外国籍船で、中国の運航会社による船舶が最も多く、船籍でも814隻の船舶のうち日本籍は僅か8隻ですが、中国は90隻も占めています。

他国の護衛に頼っていては肩身が狭い、日本の船舶を守るべしと、海賊対処の護衛艦派遣が叫ばれていた時、護衛する日本の船舶が0隻の護衛船団など、想定されたでしょうか。
ましてや中国籍や、中国貿易の各国船舶の護衛が日本関係船舶より多い海上自衛隊護衛船団を想定したでしょうか。
かように、観念的思考で海上貿易航路の防衛を考えると陥りやすい過ちを、シーレーン防衛なるものに重ねて、今後検証してみたいと考えています。

田中 宇氏がジプチの自衛隊初の海外基地になるジプチ基地について次のように書いています。
 「シーレーン防衛に向かう日本」
【2010年5月17日】 ジブチでの自衛隊基地の建設は、控えめに考えるなら、自衛隊員に和食を出し、哨戒機の雨ざらしを避けるための施設を作る話になる。
しかし、貿易大国となったのに貿易航路の防衛を米軍に頼ってきた日本の戦後体制を考えると、本件は、日本が自分でシーレーンを防衛する方向性を示す話として画期的だ。
自衛隊は、すでに「テロ対策(テロ戦争)」の枠内で、米軍と一緒に公海上の臨検に参加し、インド洋で給油活動を行ったが、今回の基地建設は、それをさらに一歩進めるものとなる。

ここでも、日本が自分でシーレーンを防衛する方向性などと曖昧に書かれていますが、先ほど今後、検証してみたいと書いたのは、現実的にどういう事をシーレーン防衛と言うのか、それを具体的に一つ一つ紐解いて考えないと、なにか、産油国と日本を結ぶ線しか頭に浮かんでこない論議になると思うからです。

どんな状況のもと、何処で、何処の国から、どんな船舶を、自衛隊の誰が、何処の国と連携して、どのくらいの期間、どのように守るのか、具体的な論証を聞いたことは無いからです。
それらを考察していくために、海賊対処として行われているソマリア沖の船舶護衛が、問題提起の具体的な検証例になるものと思います。(海賊対処の護衛船舶の数量や、航行日程、船舶の航行速度さなど、なにも検証されていないまま護衛艦は出港し、最初は護衛船団の組み方にさえ戸惑ったと報告されています)

例をあげれば、護衛船舶の国籍でもわかるとおり、今や中国との経済的つながりを考えると「仮想敵国」と呼べるのか、有事に守るべき日本籍船はあるのか、船を動かす日本人船員の確保は壊滅状態では無いのか、ミサイル攻撃もあり得るタンカーの危険な航海を外国人船員が対応してくれるのか、などなど、海上自衛隊の戦力的対応以前の問題が垣間見えてきます。
今日は、ここまでとします。

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2010年6月 9日 (水)

「八ヶ岳は華やいでいました」に追記しました

7日に書いた「八ヶ岳は華やいでいました」に、8日と9日に追記しました。
明日は「海賊対処法によるソマリア沖船舶護衛その9---5月実績」を書く予定です。

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2010年6月 7日 (月)

八ヶ岳は華やいでいました

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八ヶ岳の赤岳と阿弥陀岳に登って来ました。
「写真上、八ヶ岳の主峰、赤岳(2899.2m)、写真下、阿弥陀岳(2805m)」

友人が良く利用し、僕も同行させてもらうこともある蓼科の会員制ホテルの窓からは、正面に八ヶ岳の赤岳と阿弥陀岳がよく見えます。(写真下の一番上が、ホテルの窓から見た冬の赤岳と阿弥陀岳)

友人に、眺めていて気になる山ならいちど登ってみたらと僕が勧め、先週末の6月5日、6日に行者小屋にテントを張ってその友人と一緒に登ってきました。
八ヶ岳登山はインターネットでも沢山の山行記事が書かれていますので、今日は、これから赤岳に登ろうと計画している方の参考になればと思い、登山口の美濃戸の駐車場事情、行者小屋のテント情報、山の残雪情報、若い人たち、それも女性が多かった登山者様子などを書いてみます

6月8日追記

「美濃戸の駐車場」
山行き前に、美濃戸の「やまのこ村」に電話で、駐車が出来ることを確認しておいたので、美濃戸口の八ヶ岳山荘の駐車場には入れずに、林道を美濃戸まで上がりました。
乗用車では、かなり減速して走行する必要がありますが、所々にすれ違いの待機場所もあり、問題なく15分ほどで、美濃戸に到着しました。
徒歩だと単調な林道歩きで1時間弱かかりますので、車が入れるのは助かります。

 ここには美濃戸山荘、赤岳山荘、やまのこ村(元の小松山荘)の3軒の山小屋があり、全部で100台以上の駐車が可能とみました。
僕達は、一番手前の「やまのこ村」の駐車場に、車を入れました。
宿泊客でなくとも駐車可能なのです。
駐車料金は一日1000円なので、2日間分2000円を支払いました。
他の二軒も同じ料金です。
ちなみに美濃戸口の八ヶ岳山荘は一日500円です。でも、500円の差以上の価値がある林道走行です。
シーズン中に、満車になったらどうするのかと、スタッフの方に聞いたところ、上が満車だと伝えて、美濃戸口で車の進入を止めるとの話でした。
林道には車を止められないので、これから週末などは注意が必要でしょう。

6月9日追記
「八ヶ岳が華やぐ?」
「八ヶ岳が華やいでいた」と書いたのは、驚くほど
若い登山者、それも美しい女性が多かったからです。
最近、200名山めぐりの友人との山行が多かったので、出会う登山者も少なく、まして若者たちと一緒になることは少なかったのです。
自分の事は全く棚に上げて言いますが、近頃の山といえば、元気なじいさん、ばあさん、失礼しました、「言い直します」、
ストックが杖代わりの高齢者も混じって、元気な中高年ばかり、山小屋の夜などは老人会の寄り合いの雰囲気でした。
山の遭難事故は、中高年登山者が多いと言われますが、90パーセントが中高年だから当たり前の話なのです。

それが、今度の八ヶ岳は違っていました。若いグループが多かったのです。
山が華やいでいました。
服装も装備もすっきり決めて、溌剌として礼儀正しく、山はこうでなくてはと、わが身の若い時代に思いを馳せたのでした。

「ビックコミックオリジナル」の人気連載漫画で、小栗旬主演で映画にもなる「岳」の影響かなとも思ったりしました。多分違うと思いますが。

「行者小屋幕営地」
美濃戸から、柳川南沢コースに入り、重いザックにペースも上がらず、約3時間弱で行者小屋に着きました
。(写真下、2枚目)
以前より小屋の周りの空地が広くなったような感じでしたが、もうかなりの数のテントが張られていました。
横岳、赤岳、阿弥陀岳の岩峰に囲まれ、稜線を行く登山者が小さく見える絶好のロケーション。ここは僕の好きなキャンプサイトのひとつです
。(写真下、3枚目)
小屋で受付を済ませば、あとは適当な場所にテントを張れば良いのです。
料金は一人一泊1000円で、きれいな有料トイレの使用と水場が料金に含まれます。
テントサイトには雪がありませんが、僕たちがテントを張った端の方では、側の樹林の中に、まだ7,80cmの残雪が残り、テントは冷蔵庫の中のようによく冷えました。

「残雪情報」
2010年6月6日現在、赤岳、阿弥陀岳、横岳などの稜線上には、雪は残っていません
ただ、今回、僕達が登った赤岳、阿弥陀岳には、樹林帯と沢筋にかなりの残雪がありました。
例を挙げれば、行者小屋から地蔵尾根に入ると、下部樹林帯の夏道は、登山道の中心に雪が残り、踏み跡をたどるとモデル歩きのように一直線に進まねばならず、かなり歩きにくい状態です。朝は硬くしまっていますが、日中はぐずぐずになります。
これは、文三郎尾根も同じで稜線近くの岩場は、雪が全く無く、梯子、鎖場もすべて露出しています。
軽アイゼンは、殆んど必要ないと思いますが、用心のために持参しておけば安心でしょう。

僕たちは、美濃戸まで車で入れたので、行者小屋幕営地には予定より早く着き、それなら阿弥陀岳に登ろうと中岳のコルへの夏道を探したのですが、残雪でよくわからず、中岳沢(?)の雪渓を見るとコルまで切れ目無く続いていそうなので登ることにしました

登降した踏み跡は無かったのですが、緩んだ雪にキックステップでどんどん高度を上げ、1時間ほどで中岳コルに到着できました。
稜線直下が急勾配でしたが、ザックに入れた6本爪アイゼンは使用しませんでした。

それより2本ストックが有効です。ただ、ストックにリングが付いていないと、雪の中にずぶずぶともぐり、使い難いことになります。
雪のブロックや落石の心配も殆んど無く、上部の黒い岩稜を見上げながら雪の斜面を登る、登山の醍醐味を味わいました。(写真下、4枚目。下降しながら見上げた中岳沢の雪渓。開けた沢筋は明るく気持ちが良い。このまま、中岳のコル、夏道の分岐点直下まで雪が残っていた。写真で見るより、勾配は急である。)

中岳のコルから、阿弥陀岳までは、登山道に雪は無く、逆層気味の岩場を登ること30分ほどで阿弥陀岳(2805m)の広い頂上に到りました。
帰路は、迷わず登ってきた雪渓を、駆け下り、30分で行者小屋のテントに戻れたのでした。快適でした。
ただ、この雪渓もあと10日ほどで雪解けが進み、登下降出来なくなりそうな気がします。(崩落した雪渓は、もし落ちると体が雪渓下の流れに呑まれて、生還がおぼつかなくなります。登山は自己責任で。)

そんなわけで、初日に阿弥陀岳を終わらせていたので、2日目は、テント場から地蔵尾根経由で主峰、赤岳(2899.2m)に登り、文三郎尾根を下る周遊コースをのんびり歩き、絶好の好天に恵まれて白く連なる南北のアルプス、乗鞍岳、御嶽山、富士山と大眺望を楽しみました
テント場に戻り、テントの撤収を終え、登りとあまり変わらない重量のザックを背負って、柳川南沢のルートで美濃戸に下って僕たちの登山は終わりました。
(終わり)


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2010年6月 4日 (金)

「ピロリ菌よさらばじゃ」---除去成功

今日、2ヶ月前に飲んだピロリ菌除菌治療の薬服用の結果が出ました。
平塚胃腸病院の医師から、「良かったですね、一回で終わりました。結果はマイナスです。」とうれしいお告げ。除菌成功です。

3剤併用療法で、胃酸分泌抑制薬パリエット錠10mg+抗菌薬クラリス錠200+抗菌薬サワシリンカプセル250の3剤を毎日、朝夕食後に1週間飲み続けた効果が出たのです。

 僕は2ヶ月前のブログにも書きましたが、薬の服用の10日ほど前から、ヨーグルトLG21を朝晩食べ、薬の服用が終わった後も、検査前日の昨日まで、2ヶ月間食べ続けたのでした。
この併用が除菌率の向上につながったのかもしれません。
個人差もあるでしょうから確実なことはわかりませんが、僕は併用効果を信じて食べ続けて良かったと思っています。

今日の検査は、呼気検査で、(治療前のピロリ菌の有無の検査は、血液検査でした)鼻から息を吸って、口に咥えた袋に吹き込みます。その後、ピロリ菌の発見を助ける?錠剤を飲み、20分待ちます。

20分後、同じように別な袋に息を吹き込んで検査は終了です。
最初の袋と後の袋の呼気を検査して、ピロリ菌が無いことを確認する検査方法のようです。あまり、詳しいことはわかりません。
なにはともあれ、60年以上付き合ってきたピロリ君とは、完全にお別れです。ちょっと、寂しい感じもしますが、まあ、良かった、良かったです。

週末は、行者小屋付近に幕営し、八ヶ岳の赤岳、阿弥陀岳に登る計画です。
樹林帯、岩稜の残雪状況など、また報告します。

今日、民主党の菅氏が内閣総理大臣に選ばれました。
こらから参議院選挙まで、またテレビ、新聞、週刊誌、雑誌とあらゆるメディアが総動員で菅内閣攻撃、民主党批判、そして社民党いびりが続くでしょう。外交問題も、国内問題にすり替えて、恥じることがありません。

太平洋戦争時、新聞は政府、軍の圧力で国民を欺く記事を書かされただけではなく、新聞社、記者が自発的に軍部の喜びそうな記事、こう書いたら受けが良いだろうと思われる書き方で、繰り返し世論誘導したのです。

僕は子供の頃、どうして大人はそれを信じてしまったのか、疑問に思っていたのですが、今の状況はまさにそれと同じで、一方的な報道姿勢が体勢を占め、世論誘導される状況になっていることに愕然とさせられます。こんな事が、まかり通る世の中になってしまったのです。
黙って見過ごしたら、今の子供たちが成長したとき、同じ過ちを繰り返した大人と言われることになります。
書き始めるときりが無いし、引用したい記事も多いのですが、明日が早いので、今日はこのへんで。おやすみなさい。

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2010年6月 2日 (水)

壁は厚かった---鳩山総理辞任(日本のメディアは、大事なことをすっとばしているのではないか)

今日、鳩山総理、小沢幹事長が辞任しました。
いろいろと問題はありましたが、つまるところ米国の対日政策に異論を唱える政治家、政権はつぶされるという話が、現実のものとなったわけです。

米国の圧力だけでなく、日本国内からもこれに加担する勢力、即ち官僚、マスコミ、その上身内の組織からも米国追従を正論とする勢力がいて、それらが総力を挙げて立ちふさがるわけですから、対等な日米関係などを求めても、一蹴されるのがおちということです。

これについては、今日はなんともいえない、脱力感というか、気力が落ちていますので、後日、いや今後ともしっかり検証して、書いていくことを心に誓いました。

ところで、このブログで、5月14日に、マスメディアの報道のあり方に疑問を呈された経済評論家 内橋克人さんのNHKのラジオ放送の発言のことを書きました。

「ジャーナリズムはこれでいいのか」----2010年4月27日 NHKラジオ第一放送
   「メディアを峻別する厳しい目を持とう」

これについては多くの方が、検索から入って読んでいただきましたが、
今日もラジオ放送の紹介です。
お時間のある方は、是非聞いてみてください。いろいろの意見をお持ちの方がおりますが、僕は内橋克人さんの話とともに、この小西克哉さんの話も正論と考えます。

TBSラジオ 小西克哉のデイキャッチャーボイス
普天間を考える第3弾「日米共同声明、日本のメディアは大事な事をすっとばしているのではないか」
ここで、聞くことができます。(TBSラジオ)

http://podcast.tbsradio.jp/dc/files/konishi20100601.mp3
 

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2010年6月 1日 (火)

「アイコ」に実がついただ----おらの超ミニ農園

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へい、おらが、おらがの作男です。
おらの0.6㎡の超ミニ農園に、ミニトマト「アイコ」の苗を2本植えた事は、前に書いただな。
おらが農園主代理している本家農園とは別だよ。
植えたのは5月7日だで、ちょうど3週間が過ぎただ。
西風除けの防風シートもばっちりで、ほら、もうこんなに成長しただよ。(写真左)
「アイコ」は「サカタのタネ」が2004年に発売したミニトマトでは人気商品だ。
http://www.sakataseed.co.jp/corporate/news/20040527.html サカタのタネ2004年の「アイコ」発売時のお知らせ

おらも、サカタさんの商品写真(写真下の下)のように、ミニトマトが鈴なりさなるかと思っていただが、まだ、ご覧のように3個がばらばらに実っているだよ
実のところ、おら、ちょっぴり心配しているだよ。これからどうなるべさ。

(写真下の上、大きく成長した「アイコ」1号、2号。黄色い花も咲いているが数も少ないし、鈴なりとは程遠いありさま)

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