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2010年3月31日 (水)

毎日新聞の購読を止め、東京新聞へ代えました---その1

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(写真は、ウォーキングの途中で見つけた、根性ヤグルマギク。踏まれても、コンクリート同盟に囲まれても、花を咲かせました。立派です。)

この半年間、これでもか、これでもかと民主党とその政権への批判、、小沢幹事長辞任の世論誘導に明け暮れた旧勢力、その温存と復活を願うかのように、それに加担した検察とメディアスクラムを組んでいる大手マスコミには、あきれ果てて言葉もありません。
こんな事が許されるだろうかとの思いが強くあります。

 細かい論評は別の機会にして、そのメディアの一翼をになう毎日新聞を購読することを、本日を持って止めることにしました
4月1日より、東京新聞を購読します。

 図書館で他紙すべてに目を通し、ネット情報などからも判断して、今、政権交代の意義を伝える姿勢が見られるのは、東京新聞しかないと考えました。
勿論、そのレベルは他紙と比べて良しとしたわけで、3月は毎日新聞と併読して毎日読み比べたのですが、記事にばらつきもあり、社内にも新旧勢力がせめぎあっている様は見て取れます。
しかし、それでも政権交代の意義を評価し、他紙にない視点で報道する姿勢は評価できます。これが購読する理由です。

長く購読してきた毎日新聞が読めなくなることに、寂しさはありません。徒歩5分の柳瀬川図書館に行けば、あまり読みたくもない、産経、読売などを含めて新聞各誌がいつでも読めるからです。
それより、専門編集委員の「牧太郎」「山田孝男」両氏の品性無き署名記事、コラムを目にしないだけでも、精神衛生上すこぶるよろしい
少し、残念なのは、鳥越俊太郎氏のコラム「ニュースの匠」と野坂昭如氏の「七転び八起き」、朝刊連載の小説、宮本輝作「三十光年の星たち」が読めない事くらいでしょう。

新聞報道のあり方について、5年ほど前に書かれたもので少し古くなりますが、読んで大変勉強になった、ジャーナリストの森田実氏のコラムを転載させて頂きます。
ここに書かれている日本の「新聞論理綱領」については、前にも書いたことがありますが、米国の「全米新聞編集者の原則規定」については、原本を読んでいないので、もし、ここに書かれている事に解釈の違いなどがありましたら、後日訂正します。

<Q君への手紙(PART4)2004年の終わりにもう一度マスコミのあり方を考える >
 マスコミ倫理の日米比較    森田実

Q君。これが2004年最後の手紙です。マスコミの倫理を取り上げます。
 最近、日本の「新聞倫理綱領」と米国の「全米新聞編集者の原則規定」(ジャーナリストの倫理規範)が違うという話を耳にしたので、二つの文書を見比べてみました。
 たしかに、そのとおりでした。
 米国の「原則規定」が中心に置いているのは、新聞編集者の「責任と義務」です。米国では新聞編集者は謙虚でなければならないのです。これに対し、日本の「新聞倫理綱領」は「新聞は報道・論評の完全な自由を有する」と自らの自由を宣言しています。日本の新聞は、まず、自分の権利ありきです。開き直っています。
 米国においては、「報道の自由は国民全体に属するもの」です。ところが日本では、自由は新聞が有しています。これは大きな違いです。
 これは私が体験したことですが、米国の新聞編集者が謙虚に行動するのに対して、日本の新聞編集者の態度は傲慢です。この違いの根は、マスコミ倫理についての考え方の根本的な違いにあるのかもしれません。

Q君。米国の「原則規定」の第1条は「責任」です。ここにはこう規定されています。
 「ニュースおよび意見の収集とその流通の第一の目的は、一般大衆が時事的問題に関して判断を下せるよう情報を提供し、公衆の福祉に資することである」
 「米国新聞業界に自由が認められているのは、単なる情報の伝達、討論の場の提供のためだけでなく、あらゆる政治的指導者を含め、社会の権力に対する独立した監視の役割を担うためである」
 米国の新聞編集者は、日本でいう「春秋の筆法」(厳正な批判的態度)を保つために、自由が認められているのです。
 ところが、日本では、新聞は「完全な自由」を持っている。米国では権力からの独立のための自由であるのに対し、日本では無制限の自由である。少し意地の悪い言い方をすれば、日本の新聞の自由には権力に従属する自由も含まれているのです。

Q君。米国の「原則規定」には「中立性」の規定がありますが、日本の「新聞倫理綱領」にはありません。
 米国の「原則規定」の第5条は「中立性」について次のように規定しています。
 「中立性を保つことは、新聞報道において、疑問、意見、演説等の記述を禁ずるものではない。
健全な報道業務においては、ニュース記事と意見とを読者に明確にわかるよう区別することが要求される。個人の意見や主観を盛り込んだ記事は、それとわかるように明示すべきである」
 繰り返しますが、日本の「新聞倫理綱領」には「中立性」についての規定はありません。
 大事なことは──これも繰り返しますが──報道の自由は国民全体のものだということです。
ところが日本では新聞が自ら「完全な自由を有する」ことを宣言して開き直っているのです。ここに日本の新聞人の傲慢の根があると思います。


Q君。健全なる社会は、健全なるマスコミ報道の上に成り立つのです。
ところが、日本のマスコミは健全なる社会の形成のために害になることをより多くしてきました。
「健全なる」ことと反対のことをしてきたのです。最近はさらにひどくなりました。
                             以上転載

(これ以下は、当時の小泉政権批判になりますので、省略いたします)
参考までに、今やまったく省みられない日本の
「新聞倫理綱領」「放送倫理基本綱領」を書いておきます。実は掲載するのは、これで3度目くらいになるのです。
 
 「新聞倫理綱領」  2000年(平成12年)6月21日制定

21世紀を迎え、日本新聞協会の加盟社はあらためて新聞の使命を認識し、豊かで平和な未来のために力を尽くすことを誓い、新しい倫理綱領を定める。

 国民の「知る権利」は民主主義社会をささえる普遍の原理である。
この権利は、言論・表現の自由のもと、高い倫理意識を備え、あらゆる権力から独立したメディアが存在して初めて保障される。
新聞はそれにもっともふさわしい担い手であり続けたい。

 おびただしい量の情報が飛びかう社会では、なにが真実か、どれを選ぶべきか、的確で迅速な判断が強く求められている。
新聞の責務は、正確で公正な記事と責任ある論評によってこうした要望にこたえ、公共的、文化的使命を果たすことである。 
編集、制作、広告、販売などすべての新聞人は、その責務をまっとうするため、また読者との信頼関係をゆるぎないものにするため、言論・表現の自由を守り抜くと同時に、自らを厳しく律し、品格を重んじなければならない。

 自由と責任 表現の自由は人間の基本的権利であり、新聞は報道・論評の完全な自由を有する。それだけに行使にあたっては重い責任を自覚し、公共の利益を害することのないよう、十分に配慮しなければならない。

 正確と公正 新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究である。報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない。論評は世におもねらず、所信を貫くべきである。

 独立と寛容 新聞は公正な言論のために独立を確保する。あらゆる勢力からの干渉を排するとともに、利用されないよう自戒しなければならない。他方、新聞は、自らと異なる意見であっても、正確・公正で責任ある言論には、すすんで紙面を提供する。

 人権の尊重 新聞は人間の尊厳に最高の敬意を払い、個人の名誉を重んじプライバシーに配慮する。報道を誤ったときはすみやかに訂正し、正当な理由もなく相手の名誉を傷つけたと判断したときは、反論の機会を提供するなど、適切な措置を講じる。

 品格と節度 公共的、文化的使命を果たすべき新聞は、いつでも、どこでも、だれもが、等しく読めるものでなければならない。記事、広告とも表現には品格を保つことが必要である。また、販売にあたっては節度と良識をもって人びとと接すべきである。


  「放送倫理基本綱領」   
1996年(平成8年)9月19日制定

日本民間放送連盟と日本放送協会は、各放送局の放送基準の根本にある理念を確認し、放送に期待されている使命を達成する決意を新たにするために、この放送倫理基本綱領を定めた。

放送は、その活動を通じて、福祉の増進、文化の向上、教育・教養の進展、産業・経済の繁栄に役立ち、平和な社会の実現に寄与することを使命とする。

放送は、民主主義の精神にのっとり、放送の公共性を重んじ、法と秩序を守り、基本的人権を尊重し、国民の知る権利に応えて、言論・表現の自由を守る。

放送は、いまや国民にとって最も身近なメディアであり、その社会的影響力はきわめて大きい。われわれは、このことを自覚し、放送が国民生活、とりわけ児童・青少年および家庭に与える影響を考慮して、新しい世代の育成に貢献するとともに、社会生活に役立つ情報と健全な娯楽を提供し、国民の生活を豊かにするようにつとめる。

放送は、意見の分かれている問題については、できる限り多くの角度から論点を明らかにし、公正を保持しなければならない。

放送は、適正な言葉と映像を用いると同時に、品位ある表現を心掛けるようつとめる。また、万一、誤った表現があった場合、過ちをあらためることを恐れてはならない。

報道は、事実を客観的かつ正確、公平に伝え、真実に迫るために最善の努力を傾けなければならない。放送人は、放送に対する視聴者・国民の信頼を得るために、何者にも侵されない自主的・自律的な姿勢を堅持し、取材・制作の過程を適正に保つことにつとめる。

さらに、民間放送の場合は、その経営基盤を支える広告の内容が、真実を伝え、視聴者に役立つものであるように細心の注意をはらうことも、民間放送の視聴者に対する重要な責務である。

放送に携わるすべての人々が、この放送倫理基本綱領を尊重し、遵守することによってはじめて、放送は、その使命を達成するとともに、視聴者・国民に信頼され、かつ愛されることになると確信する。
     ----毎日新聞の購読を止め、東京新聞へ代えました---その2へ続く

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