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2010年3月24日 (水)

清らかな蓮の華----新義真言宗「ともしび」より

お彼岸に、四谷東福院に墓参に行き、住職より新義真言宗のパンフレット「ともしび」18号を頂きました。
いつものようにこのパンフレットから、一文を転載させて頂きます。
あくまで、自分が書き写すことで、理解を深めることが目的ですが、もし、お読みいただければ幸いです。

 清らかな蓮の華
 蓮は花托(かたく)の形が蜂の巣のように見えるとこから「ハチス」とも呼ばれ、泥の中に根を張って茎を伸ばし、七月から八月に蓮華と呼ばれる白やピンクのきれいな花を咲かせます。
 原産はインド周辺ですが、日本でも弥生時代にはすでにあって、根であるレンコンは私たちの食卓にもなじみの深い植物です。

 仏教ではこの蓮を、泥水の中にあってもけっして染まることなく美しい花を咲かせることから、清浄(しょうじょう)な菩提心の象徴としています。
 
 人が生きていくにはきれいな水や環境の中にばかり居られませんが、生まれつき私たちの心に備わっている成仏の種(菩提心)は、どんな環境にあっても努力を重ねていけば、必ず清浄で美しい花を咲かせるということを表します。
また、蓮台といって仏像の台座にも用いられ、長い修行の結果、煩悩を捨てて悟りを得た如来さまなど、位の高い仏さまほど蓮華の上にお座りになることが多いようです。

私たち真言宗では、印を結び真言を唱えます。
お坊さんが法衣(ころも)を身につけて、いちばん最初にを結ぶときに、この蓮の花を思い浮かべます。清らかなことばかりとはいえない日常生活から抜け出し、人々を救うために、自分の中に泥の中から茎を伸ばした蓮のつぼみを思い浮かべ、それがだんだん花ひらくとともに、自分の身の清浄を瞑想して仏さまと一体になる準備を整えるのです。

 人は生まれつき善であるという考え方と、悪であるという二つの考え方がありますが、私たち真言宗では人は生まれつき善であり、仏さまと同じであると考えます。
生れ落ちたばかりの赤ちゃんは、本来、仏さまと同じ清らかな存在であるのに、育っていく過程で、心の「三毒」、つまり貪(むさぼ)り、怒り、愚かさといった煩悩によって汚れを身にまとってしまいます。

「貪(とん)」は、欲ばる心、欲しい欲しい病です。満足を知ることが薬です。
「瞋(じん)」は、怒り、カーッとなって自分を見失ってしまいます。
「癡(ち)」は、努力や反省しないといった愚かさの中にいることです。
 
この世の汚れをただただ嫌って退けたり、人の汚れを責めたてるのではなく、蓮の華が開くのをきっかけにして、本来、自分も仏さまと同じ清らかな存在なんだと自分自身で確認し、みずからの心が清浄であることを大切に思ってみてください。

「ああ、仏さまはこんなことしない。だから、私もするのやめよーっと」、こんなことが、お大師さまが繰り返し大切に説かれた「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」の入口なのかもしれませんね。

<注>
「印」:密教の行者が両手の指を組み合わせてつくる形を「印」と呼ぶ。
密教で印が重んじられるのは、印は密教にとりいれられているインド古来の神々や諸尊の象徴であり、印を結ぶことによって、諸尊、神々と人とが通いあうことができると考えられているからだ。
仏さまと人とは、身体、言葉、心の三方向からの交流が可能という、身口意(しんくい)の三密の教えがあるが、印はこのうちの身密なのである。

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