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2009年6月29日 (月)

ジャガイモの収穫----超ミニ農園

Dscn3732_320_2 3月2日に、植え付けたジャガイモを作男さんが昨日、収穫しました。
庭の芝生を抜いて作った巾、60cm、長さ1m、耕作面積0.6㎡の作男さんご自慢の超ミニ農園です。
作男さんに書かせると、おらが、おらがとうるさいので、寝ている間に僕が書きます。
そう、作男さん、今日は映画「剣岳 点の記」を見に行き、どうも映画の出来がお気に召さなかったのか、名カメラマン、必ずしも名監督ならずなどと、なにやらぶつぶつ言っていましたが、早めに寝たようです。

Dscn4182_320さて、ジャガイモですが、種類は味が良いと言われる「キタアカリ」です。なにぶん超と名の付くミニ農園ですから、30cm間隔で植え込んでも種芋4個が限度でした。

普通は、種芋を半分に切ってから、少し乾燥し灰をつけて植えつけるようですが、作男さん、1個のほうがが良いべさとそのまま植えつけました。

その後、芽かき、追肥、土寄せと丹精し、いや、丹精しすぎたのか、葉がジャングルのように繁り、高さも1.2mほどにDscn4183_320成長し、皆自立出来なくなり、作男さんお得意の支柱を何本も立てていました。
ジャガイモは、植え付け100日と言われますが、このところ天候が悪かったのと、あまりに葉が青々としていたので、作男さん、おらどうすべえと、いつもの決断力不足もあって、少し収穫が遅れたのでした。
ジャガイモは、葉や茎が黄ばみ出したら収穫と言われますが、あれは秋植えの場合で、2月下旬~3月中旬に植え付ける春植えは、葉が青くても100日を目安に収穫したほうが地中で腐らないので良いようです。

Dscn4184_320そして、葉にすっかり養分を取られて、掘ったら種芋しかなかったらどうすべえと心配していた作男さん、シャベルの先から、次々とジャガイモが掘り出されてくると、おら、ジャガイモ作りの天才だと嬉しそうに声をあげました。相変わらずのノーテンキぶりです。

標準的に、1個の種芋からどのくらいの量の収穫があるのか知らないのですが、計量したら、3.8kgとなかなかの収穫でした。

食料自給率40%以下、世界で最も穀物輸入量の多い国。世界中から食料を買いまくっているこんな状況が、いつまでも続くわけがありません。
戦後の食料難を身にしみて体験した作男さんが、ジャガイモ作りの体験をしておこうと考えるのは間違っていません。
0.6㎡で約4kgの収穫なら、18㎡の女農園主さまの本家農園なら30kgの収穫があるはずだと目論んだようです。
世界の飢餓を、ジャガイモが救っています。連作障害が付きまとうのですが、北朝鮮でも1990年代からの食料不足を、このジャガイモの生産でしのいだという話しも伝わっています。
「難しい話さそのくらいにして、おらのジャガイモが、どんなに旨かったか、皆さんにお知らせしてくんろ。おら、ジャガイモ作りは免許皆伝だ。えらいもんだ。それより、おらの事勝手に書くでねえよ。なんど言ったらわかるだよ。」

いかん、作男さん、起きてしまったようです。ここまで、ここまで。
そう、収穫したばかりのジャガイモを蒸かしてジャガバターで食べたら、それは旨かったですよ。作男さん、ありがとう。あれ、おらか、じゃない僕か。多羅尾伴内か。

(写真上、植え付けた時の種芋4個)

(写真2枚目、伸びた芽を芽欠きで、それぞれ1本にしたのにジャングルのようになって、支柱を6本も使って、倒れを防いだ)

(写真3枚目、収穫した3.8kgのジャガイモ)

(写真4枚目、ジャガイモを掘り起こし、茎や葉を処分した超ミニ農園。この後、夏は作る作物が無い。小松菜でも植えようか)

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2009年6月26日 (金)

針金の支柱だ!----作男びっくりする

Dscn4180_320 おら、びっくり感心しただよ。
おらの農園の近くで、ナス、ピーマンの支柱を、全部細い針金で作っている人がおるだよ。
洗濯屋から戻ってくる洋服についているあの、「えもんかけ」だよ。ハンガーとも云うべさ。白や青やピンクの色さしているやつだよ。

それさ、まっすぐに伸ばして3本くらいを束ねるだけだぞ。写真さ見ればわかるべ。それでナスもピーマンも風で倒れもせずに、ちゃんと実がつくだよ。

おらは、農園主さま「支柱は自由にDscn4181_320使って頂いてよいのですよ」とおっしゃってくださるだに、太い支柱さ遠慮なく使っているだよ。ここだけの内緒の話し、支柱だけでウン千円もするだよ。

あっちの支柱は、ただだべ。不燃ゴミ置場に行けば、いつでも拾えるだよ。あっちの作男はただものじゃないだよ。しっかりものだ。悪く言えばけちだな。支柱さ売れなければ、困る人もいるべ。

 農園主さまは、針金支柱に実をつけているナスをチラッと見てから、おらの隠し砦のような頑丈な支柱さ見て、なんか寂しげな顔をしただよ。
そったら顔しないでくだせえ。おらの支柱のほうが、安心感あるべ。あるべ。
だども、ほんとの話し、おら、針金支柱には、ショックうけただよ。エコとかいう難しい話さされると、こっちはかたなしだ。まったく、世の中には、偉えやつさいるもんだぞ。

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2009年6月24日 (水)

タイサンボク(泰山木)の白い花

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 「海上自衛隊インド洋給油その16(5月)」続きを「柳瀬川通信:報道部」で書いているのですが、ソマリア沖の海賊対処と絡んで、いろいろ調べたりない事があり、まだ公開できません。デスクも作山記者、男川記者、そして超美仁記者もちょっとお疲れの様子です。

そこで、ちょっと休憩で、今日はS通信員から教えてもらった志木ニュータウンの中のタイサンボク(泰山木)の花を見てきました。
中国の名山である泰山の名がついているし、俳句の季語にもなっているので、てっきり中国原産かと思っていました。ネットでも僕と同じような感想を書かれているサイトがいくつかありました。

しかし原産は北米で、1873年(明治6年)に渡来したとの事です。ニュータウンの中にも数本植えれています。何故か記念植樹で植えられた樹が多いようです。
花が咲いているのは、S通信員が教えてくれた今日まで、気がつきませんでした。高木の上の方に咲いているので気がつかなかったものと思います。

樹木に咲く花では、日本でも最も大きい花と書かれていますが、それがうなずける大きな白い花が咲いていました。
Dscn4177_320 ゆふぐれの泰山木の白花は

  われのなげきをおほふがごとし
              斉藤茂吉

(写真上、デジカメの望遠で撮ったタイサンボクの花)

(写真中、15m以上の高木である。咲いている白い花の大きさがわかる)

(写真下、蕾でもこんなに大きい)

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2009年6月22日 (月)

梅酒作りと金柑の甘煮

Dscn4139_320今年の庭の梅の実の収穫は、平年並みでした。 アブラムシには悩まされましたが、それでも約3.5kgほど採れましたので、そのうち粒の大きい2kgを選んで、いつもの梅酒作りをしました。
「1瓶の材料」
 南高梅 1kg
 氷砂糖 1kg(甘めです)
 ホワイトリカー 1.8L

2瓶のうち、1瓶はサントリーブランデーを試しました。さて、ホワイトリカーとの味の違いが出るでしょうか。ちょっと楽しみです。

Dscn4142_320 梅酒作りの前に、瓶を空ける為に、やはり庭の金柑の実から、1月に仕込んだ金柑酒を取り出しました。
ちょっと味わってみましたが今年は、なかなかの出来のようです。これを約1年間寝かせるとまろやかな金柑酒が飲めるようになります。

取り出した金柑は、中から種を取り出し、鍋に金柑が隠れる程度の水を加えて、約2時間以上弱火でことこと煮込み、それに砂糖、少量の塩、少量の蜂蜜、ジンを加えて金柑の甘煮を作りました。
Dscn4144_320ジンを加えるのは、苦味が少なくなると勝手に思っているだけで、他の方の参考にはならないと思います。とろけるような金柑の甘煮は、ヨーグルトに入れて食べるととても美味です。

(写真上、梅酒作りの材料)

(写真中、仕込んだ2瓶の梅酒。梅と氷砂糖は交互に入れると書いてある事が多いが、過去の経験では梅の上に載せるように入れても味の違いは感じられなかった。左側がブランデー仕込み。)

(写真下、金柑酒と取り出した金柑。これを煮込んで金柑の甘煮が出来る。種を取り出すのが、ちょっと厄介な作業である。金柑酒は独特の香があり、食前酒に良い。)

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2009年6月18日 (木)

ホタルが飛んだ!

Hotaru
なんだ、この写真(上)は?。人魂でも撮ったのか!。残念、違います。

昨夜、以前ブログで書いたことの有る、我家から歩いて20分ほどの自然公園「こぶしの里」ホタルを見に行ったのです。
近くの川ではアユが釣れ、カワセミも見られます、イチリン草も咲きますと自慢して、なんとお次ぎはホタルか!。

そうなんです。驚かないで下さい。我家から歩いて行ける距離に、こんどはホタルです。
情報をもたらしてくれたS通信員と共に、懐中電灯を持ち、暗い夜道を歩いて「こぶしの里」まで来ると、この写真のホタルが光っていたのです。源氏ホタルです。なんとか写真に撮りました。(何枚も撮ったのですが、写っていたのは、この1枚だけでした。)
行った時間に丁度、地元の竹間沢ほたる育成会の方が居あわせて、説明してくれました。
今年はホタルの生育が例年より早くて、源氏ホタルはもう見る事が少なくなり、今は平家ホタルが良く光っていると教えてくれ、少し離れた場所に案内してくれました。

そこには、源氏ホタルより光の弱い平家ホタルが十数匹、いやそれ以上でしょうか、暗い潅木の茂みの中で、光っていました。Dscn3815_320 残念ながら、僕の写真撮影技術ではデジカメで写真を撮る事は出来ませんでしたが、しばしその幻想的な景色を眺めてきました。

(写真上、ホタルはこぶしの里の湧水池付近で見る事が出来ます)

(写真中、ホテルを育成している事を知らせる案内板)

(写真下、知らなかったのですが今年は6月6日、7日にホタル鑑賞会が開催されたようでした。ホタルは5月末から見られたようです)

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2009年6月16日 (火)

再び観音川、戸石川へ----ああ、水量不足

Dscn4136_320 週末に、5月に釣行した福島県の観音川、戸石川を再び訪れました。今度は釣り仲間との楽しい例会です。

しかし、残念、どちらの川も極端に水量不足で釣になりません。
田に水を引き込んでいる事も影響しているようですが、やはり雨が少ないのでしょうか。

それではと、山越えして栃木県の中三依の男鹿川へと移動してみましたが、こちらの川も同じ。
ヤマメ、イワナとも水量の少ない瀬には出てこないで、どこか深みに逃げこんでいるのでしょう。餌釣、テンカラ釣共に当りはほとんどありませんでした。
そんな事で、ロッジで酒盛りし、温泉に入って楽しんできました。今度また、大ヤマメを求めて行くことにします。

 (写真上は、中三依温泉駅近くの男鹿川です。瀬は一見水量があるように見えますが、どこでも渡れそうなくらい浅い川になっています。橋上から覗くと深みに集まっている魚が見えますが、場所も悪く釣にはなりません。)

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(写真下、川遊びじゃない川仕事に精出している間に、農園ではツル有りインゲンの実が大きく育っていました。昨日の収穫です。すぐに茹でてマヨネーズをつけて食べました。やわらかくてとても美味でした。作男さん、ご苦労さん。あれ、自分か?。

インゲンはツル有り、無しとも沢山の実がつき始めました。毎日収穫できそうです。ナス、ピーマンも順調です。)

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2009年6月14日 (日)

海上自衛隊インド洋給油その16(5月)---給油状況は4月と変わらず

海上自衛隊発表の平成21年5月1日から5月31日までの給油量です。

パキスタンフリゲート艦     2回 (44)  330KL  (5985KL)
  フランス駆逐艦       2回 (20)  370KL  (2245KL) 
  フランス補給艦       0回 ( 1)    0KL  ( 450KL) 
  ドイツ駆逐艦                  0回 (11)    0KL   (1845KL)
  カナダ駆逐艦        0回 (8)     0KL  (1915KL)
  米国駆逐艦         0回 (8)     0KL   ( 4380KL)
  英国駆逐艦         1回 (8)   205KL   ( 1230KL)
  ニュージーランド駆逐艦  0回 (1)     0KL  (310KL)
  デンマーク艦         0回 (4)     0KL   (1130KL)   
                                                   合計  905KL (19485KL)

給油状況は、4月と全く同じでパキスタン、フランス、英国の3ヶ国艦艇への計5回、給油量は905KLでした。
4月よりCTF-150の指揮権をもったフランス海軍のフリゲート艦アコニット(F713Aconit)へは2回、英国駆逐艦(艦名は調査中)へは1回、いつものパキスタンフリゲート艦へは2回です。
指揮権は、約3ヶ月ごとに交代していますので、現在の指揮国であるフランス海軍も多分7月か8月には、交代となるでしょうが、次ぎの指揮権国がどこになるか、まだ情報を得ていません。
ともかく、最近の給油は給油量の40%近くがパキスタン艦艇で、それ以外が指揮権国艦艇と他の1ヶ国への給油といった状況になっています。
Fs_aco1_320 このあたりの事は、先月に書きましたので今回は触れないでおきます。

それよりも、新テロ特措法の施行期限は2年間の時限立法のため来年1月までです。

ソマリア沖の海賊対処と絡んで、複雑な展開をみせるであろう、このインド洋給油について少し書いてみます。
 
              ----続く
(写真は、フランス海軍フリゲート艦アコニット(F713 Aconit))

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2009年6月11日 (木)

作男、トマトの雨除けを試す

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見てけれこの写真。おらの農園の作物さ、順調に育っているだよ。
ありゃ、おらの農園と云っただか?。
おらは副農園主だで、おらのは、間違いだ。だども、ここんところ、おらがすっかり面倒みているだで、女農園主さまにも喜んで頂けるほどの出来栄えだよ。

農業指導してくださる、おらのお師匠様も、おらの畑さ見て、農園一の良い畑だと誉めてくださっただよ。この話し、農園主様にお伝えしたら、「あら、支柱の数が農園一でしょ。」だと。そったら事ねえだよ。たすかに、支柱は多いだども、デザインも良いだで、そこんところを見てほしいだよ。
だども支柱だけでねえよ。立派なナストマトもお届けしますだに、もうチョッコラ待ってくだせえ。

 おらが、おらがと相変わらずうるさい作男さんですが、トマトの上にビニールシートで変な屋根を付けていました。
 聞けばトマトの実に、直接雨が当ると割れやすいと聞いて、「そったらおらが試すだよ」と8本あるトマトのうちの2本にだけ屋根をかけて、雨が直接当る実との違いを試すのだそうです。
 まあ、研究熱心なところは評価して、結果を見せていただくとしましょう。でも、うまくいったりしたら、おらが、おらがとうるさそうですよ。

Dscn4131_320 「おらの知らないところで、なんか書いてるようだども、悪口はいけねえよ。」
 
 そんだ、そんだ、次ぎはおらの超ミニ農園のジャガイモの事さ知らせるだよ。
 背丈が1メートル以上も伸びて、まるでジャングルだよ。
自立できねえだで、またこっちも支柱おったてただよ。ジャガイモに支柱さ立てるなんて、きいたことねえべさ。
 葉っぱさ黄色くなってきたに、もうじき収穫だよ。だども、ほんとのところさ、種芋しかなかったらどうすべえと、おら心配してるだよ。」

(写真上、ナスには全て実がついた。一番果の収穫も近そうだ。)

(写真中、トマトも順調に大きくなっている。)

(写真下、トマト2本に直接、雨が当たらないようにと、ビニールシートで屋根を付けた。洗濯ばさみで仮止めして、いかにも試験中という感じを出しているDscn4133_320

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2009年6月 9日 (火)

柳瀬川アユ釣り情報----2009.6.9

Dscn4119_320 2009年6月9日、柳瀬川でのアユ釣り風景です。
今日も多くの釣り人がアユ釣りを楽しんでいました。

写真の場所は、柳瀬川駅近くの富士見橋下流側です。駅から歩いて5分ほどの距離ですが、柳瀬川駅付近に釣具屋はありませんので、仕掛、えさは準備してくる必要があります。

結構、型もよく20cm以上のサイズもあがっていました。釣ったアユは皆さん、再放流しているようでした。

Dscn4121_320アユ以上に驚くほどたくさん遡上してきているのが、ボラです。釣り人が養魚場みたいだというとおり、えさ箱から足もとの水面に練り餌を落とすと、水面が波立つくらいにボラがよってきます。

アユ釣りの針にかかって困ると、釣り人泣かせのようですが、結構その引きを楽しんでいる人もいましたよ。

写真中、ご覧のように、アユではなくボラが釣れました。仕掛はラセン型の針金に練り餌をつめ、針が数本ついているオランダ仕掛との事でした。)

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(写真下、写真ではわかり難いのですが岸辺に小さなさざ波を起こしているのは全てボラです。驚くほどの数です。このボラたち、どこに消えてしまうのでしょう。)

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2009年6月 8日 (月)

火縄銃の銃声が----難波田城址にて

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「一番隊、撃てー」「弐番隊、撃てー」

灘波田城址に、銃声が響き渡ります。
昨日の日曜日は、恒例の灘波田城まつでした。
会場内で行なわれる、いろいろの行事の中で、この川越藩火縄銃鉄砲隊保存会による「火縄銃演武」が最大の呼び物です。

武具から火縄銃まで、すべて本物という保存会の射撃演武は、銃声がカメラのシャッターを押す手を震るわすほどの大音響で、戦国時代にタイムスリップしたような興奮を覚えました。

我が志木市に隣接する富士見市にある、この灘波田城址は、中世に富士見市内を本拠として活躍した難波田氏の居城跡です。荒川低地の一角に築かれた平城で、規模は50、000㎡以上と推定される大きなものです。

我家から自転車で20分強、この催し物がある事を教えてくれたS通信員と共に、田植えの終ったばかりの田圃の中の道を抜けてやってきました。
心地よい風を切って、狭いあぜ道を走っていると、東北地方の小都市に住んでいるような錯覚を覚えます。
柳瀬川にはアユを釣る釣り人が竿を出し、田圃の中の小川ではザリガニを捕まえる親子連れがいました。我が町は自然の残る素晴らしいところです。

 でも、池袋駅から電車で23分の距離でもあることもPRしておきます。作男もやるシティ老ボーイが住んでいる町です。
そう、NHKの朝の連続ドラマ「つばさ」の舞台である川越市は、電車であと15分弱ほど先の町です。
Dscn4111_320 (写真左、火縄銃の射撃の瞬間を写すのが難しいのですが、まぐれでシャッターが合ってくれました。
一番隊、弐番隊に続いて、最手前の参番隊射手の射撃です。撃ち終わった一番隊の火縄銃から出た火薬の煙が広く立ち昇っていることで、射撃の時間差がわかります。)

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2009年6月 6日 (土)

連載「報道がおかしい その2」 陸軍特別攻撃隊

5月20日の続きです。
最近のマスコミの伝えたかに違和感を感じている人も多いと思います。
前回の「報道がおかしい その1」の最後に、こう書きました。
「偏向報道といった大袈裟な捉え方ではなく、報道すべき真実が隠され、政府に都合の良い方向ばかりが目立つ記事の多い現状を、少し書いていきます。」

前回は毎日新聞の記事を例として、北朝鮮ミサイル発射報道について書きました。
西松建設事件、新型インフルエンザ、海賊対処、そして東京オリンピック開催等取上げたい問題は多いのですが、今回は、戦前、戦中の報道について振りかえり、次回につなげたいと思います。

軍艦マーチ-が流れた、大本営発表を知る人は少なくなっていると思います。
当時は、政府、軍部に都合のよい事ばかりが発表され、ラジオ、新聞はそのとおりを報道することが至上命令でした。
それと並行して軍部の宣伝記事ばかりが優先し、その他は厳しい検閲により、真実が書けない状況にもありました。
それとは別に、新聞報道側にも検閲に通りやすい軍部の喜びそうな記事を書いて、軍部に迎合する、あってはならない風潮も生まれたのでした。

今、それらの、多くの記事を検証する事はできますが、なかでも随分前に読んだ髙木俊郎著「陸軍特別攻撃隊」に書かれた、特攻隊員を話題にした新聞の捏造記事の事は忘れられません。
その部分を書き写してみます
Dscn4047_320  「陸軍特別攻撃隊-上下巻」 髙木俊郎著 昭和49年、文芸春秋刊より

眠り草と特攻隊員ー序章ー
佐々木友次伍長が飛行場を歩いていると、報道斑の腕章をつけた新聞記者に行きあった。記者は大声でいった。

「いましがた、敵の機動部隊発見の情報がはいりましたよ。聞きましたか」
 佐々木伍長は、いよいよ来たか、と思ったが、それほど気持は感動しなかった。佐々木伍長は陸軍特別攻撃隊の万朶隊(ばんだたい)の操縦者であった。フィリピンのマニラ市に近いカローカン飛行場で、出撃の日を待っていた。

 記者の話しでは、ルソン島の東南三百キロメートルの海上に、アメリカ軍の有力な機動部隊が北進している、ということであった。記者はひとりで興奮して、さわがしい調子でしゃべると、すぐにいなくなってしまった。
 
このときのことが、内地の新聞には、大きな記事となって掲載された。
≪飛行場の眠り草と戯れる特攻隊員〔比島〇〇基地特電、塙、福島両特派員発〕≫という大きな見出しで、≪田中逸夫曹長がニ十七歳、生田留夫曹長が二十四歳、久保昌昭軍曹が二十一歳、佐々木友次伍長が二十二歳、みんな私(記者)どもよりずっと若い。

私どもがその出撃の情報をもって、飛行場の隅でキャッキャッといって戯れている佐々木伍長の傍らに行くと、伍長は、足に葉がさわるとスーッとしおれたふりをする眠り草の習性を、人形の泣くことを発見した赤ん坊のようにおもしろがって、そこら一面にはえている眠り草を、かたっぱしから棒でつっつき、靴でけとばしていた。
 
 私どもが電報の内容を伝え、出撃の近づいていることを話すと、佐々木伍長は、
「ハァ、それはどうも、わざわざご苦労でした。だがですな、これは実におもしろいですよ。まあ、この通り、葉にちょっとでもさわると、スーッとしおれたふりをするね。こう、このように」
 といって、私どもの目の前の一群の眠り草を棒でたたいた。
何百隻の敵機動部隊が現われようと、出撃が数時間後であろうと、そんなことは驚くにあたらんといった風に----。なんと悠々たる態度であろう≫
 
 この記事が新聞に出たのは、海軍の神風特別攻撃隊のことが、はなばなしく報道されて、特攻隊が関心を集めているときであった。
陸軍からも特攻隊が出ることを伝えたこの記事は、読者に感銘を与えた。

 
 戦後になって、私(著者)は、この記事の事実を確かめるために、その時の原稿を書いた毎日新聞社の塙長一郎記者に話しをきいた。
 私があらかじめ、用件を伝えておいたので、塙記者は自分の記事の切抜帳などを用意して待っていた。
その話しによると、飛行場に眠り草のしげっていることは、佐々木伍長と会う前から知っていたというのであった。
それを見つけたのは、生理上の必要から、草むらにはいったときであった。
 
 塙記者はカローカンからマニラ市の毎日新聞社の支局に帰ると、特攻隊を担当している同僚に、このことを話した。
同僚は、とっさに新聞記者らしい思いつき」をした。
「眠り草と特攻隊員、というのはいけるんじゃないか。なんとか眠り草を使えないか」
 
 翌日から、塙記者は飛行場に行くと、万朶隊の操縦者たちに、「こんなところに眠り草がある。さわると葉をあわせるよ」
 と、葉をたたいて、それとなく教えた。そして、何かがおこるのを待っていた。
そこへ機動部隊発見の無電がはいった。塙記者は、それを聞いたあとで、佐々木伍長と行きあった。そこにも、眠り草がしげっていた。
しかし、佐々木伍長は眠り草には、まったく無関心であった。
 眠り草と戯れる特攻隊員の記事は、このようなことで書かれた。
それが作り話であっても、塙記者を非難することはできない。
特攻隊員を救国の英雄に仕立てることは、軍の要望でもあった。
それに従わない記事は発表を許されなかった。


 私は、万朶隊についての、もう一つの報道の真偽をたずねた。それは出撃前夜の壮行会の模様を書いた記事である。 
アメリカの機動部隊が発見されたので、万朶隊の出撃は、その翌日と決まった。その夜、カローカンの町にある日本料理屋で、壮行会が開かれた。当時の新聞は、次ぎのように書いている。

≪「散るはいっしょだよ。お国のために喜んで死にますぞ、記者殿」
「元気いっぱいやってください」
 私(記者)らは万朶隊勇士に励まされた。明日が攻撃という、最後の夜の送別の宴の出来事だ。飛行場長の温かい計らいで、万朶隊勇士と会食を共にし、十一日夜の一時を共に語った。
記者として、日本人として、真実にうれしい、感激した飛行場の一夜であった。(中略)
勇士たちの出撃は早い。その疲労を慮り、ほどなく野戦の宴は閉じられたが、未練なく立ちあがった田中曹長に、「出撃にあたって、銃後の人々にいい残すことはありませんか」
 と、最後の言葉を求めたところ、それに対して田中曹長は、一体、なんと答えたか。
「いやいや何もありませんよ。銃後はみなよくやってくれていると思います。私は喜んで死ぬことができますよ」

 
 この短い言葉にこもる深い信頼を忘れてはならない。私どもは、決してよくやっているとは思わない。それなのに、田中曹長は、「実によくやってくれる」
といって、死んでいったのだ。私どもはその言葉に対して己を恥じ、そしてこの戦いを勝ち抜こう。これが勇士たちにむくいる唯一の途である≫
 
 この〔比島〇〇基地特電、塙、福島両特派員発〕とある記事について、塙記者は説明した。

 「そのようなことを質問したおぼえはないし、書いたこともない。多分、編集でつけ加えたものだろう」
 また、この記事の初めの方の、"散るは一緒だよ" "元気いっぱいやってください"という万朶隊員の言葉も、作りあげたせりふで、いかにもそらぞらしいということであった。

 しかし、この報道を読んだ内地の国民は、特攻隊員がすべて"喜んで""笑って"出撃したと信じこむことになった。多くの読者はこの記事をうのみにして、たわいなく心酔し、その裏面を推察しようとしなかった。そして、この記事のいうように、"万朶隊の勇士たちにむくいる唯一の途"とし
て"この戦いを勝ち抜こう"とする気持を高めたのは事実だった。
このようにして軍部は、特攻隊をさかんに宣伝させた。
このために特攻隊を賛美する風潮が国内を支配した。そして特攻隊は悲壮、崇高なものということになって行った。
 
 私は戦時中の新聞報道の実態を、改めて知ることができた。
「この記事などは、戦時中の記事の典型ですね。記者がひとりで感激して、新興宗教の信者みたいに、むやみに自己批判したり、誓いをたてたり」
 いつもは陽気な塙記者も、顔をくらくしていった。

「きょう、自分の記事の切抜き帳を持ってきたが、これをあけて見るのは、戦後、はじめてなんだ。開けてみる気がしなかった。これから後、当時のことを知らない人が、こうした記事をそのまま資料として引用して、戦記や戦史を書くと、うそを事実として伝えることになる」

ーーーーその3に続く

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2009年6月 4日 (木)

ラピッド社のステップラー----お気に入り

Dscn4077_320 誰でも、気に入っている文具を持っていることと思います。

このステップラーは、僕が30年近く使用しているデンマークのステップラーメーカーであるラピッド社の製品です。
(底部分にISABERGS VERKSTADS ABと刻印されていますの、デザイン、製造はこの会社?かと思います)

当時、ステップラーらしからぬシンプルなデザインと、↑(矢印)下のボタンを押すと、いかにも弾込めといった感じで、カチット飛び出してくる針ケースの機能性が気に入っDscn4078_320て購入した物です。
30年使用して、まったく購入時と同じ使用感を維持している優れもので僕のお気に入りです。

(写真下、針ケースを引いた状態。針装填は実に簡単。)

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2009年6月 3日 (水)

乾徳山に登る

Dscn4053_320 昨日は、友人と2人で200名山のひとつ、山梨県の乾徳山(2031m)に登ってきました。

徳和集落より少し上の、乾徳山大権現上の駐車場に車を止めて、朝8時頃から、山頂往復約8時間弱ほどの歩行程で、平日で静かな山歩きを楽しんできました。

残念ながら、レンゲツツジは咲き始めでした。
見頃は2週間ほど後でしょうか。それでも登山道から見上げると青空と新緑が実に美しく、身体中の血液がきれいになDscn4056_320った1日でした。

僕はこの山は初めてでしたが、樹林帯の道、明るい草原、ちょっと厳しい岩場と変化に富んでおり、頂上の360度の眺望もよく、素晴らしい山でした。

(写真1枚目、登山道の中間地点、国師ガ原からは、前方に乾徳山がよく見える。)

(写真2枚目、国師ガ原から45分ほど登った草原状の扇平。まだ花は咲いていませんでした。これから色とりどりのDscn4060_320花が楽しめる場所でしょう。)

写真3枚目、頂上直下の天狗岩。ここまでも3ヶ所ほどの鎖の設置された岩場があるが、ここが一番難所の1枚岩で、腕力が無いとちょっと苦しい登りである。一般登山道にこれだけの難しい鎖場があるのは珍しい。北アルプスの登山道であれば、鉄ハシゴがつけられてもおかしくない場所である。
もし、鉄鎖が無かったら、岩も硬く、絶妙のクラックとディエードル(凹角)のあるクライミングが楽しめそうである。正面フェースの右側のリッジも高度感があるルートが取れそうだ。しかし、ここはかなり危険個所、注意して登ろう。)

(写真4枚目、岩が重なり合った狭い頂上。眺望は素晴らしい。)

写真5、6枚目、国師ガ原付近の登山道脇に咲くレンゲツツジ。これからが見頃です。)

(下山時に、覗いて見た国師ガ原の大平高原ヒュッテと名がつく避難小屋。見た目以上に荒れている。もう少し整備されていれば、国師ガ原、扇平付近のお月見ハイクなどに使われるのではないだろうか。
この小屋の前の道を行くと、扇平からの鎖場を通らずに乾徳山頂にいたる登山道である。これなら、危険個所はないようだが、眺望には恵まれないかもしれない。下山道に使われるようである。)

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2009年6月 1日 (月)

「柏葉あじさい」を始めて知りました

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今日から、6月です。月日が矢のように過ぎていく感じです。梅雨入りも近いのでしょう。

知人宅の庭に咲いていた柏葉アジサイを頂きました。
葉が柏餅に使われる柏の葉にあまりにそっくりなので、こんなアジサイもあったのかと驚きました。
調べてみると、知らなかったのは僕だけで、個人の庭で咲いているのを見る事も多い、わりとポピュラーな花と知りました。

全体がクリスマスツリーのような傘型をしたこの花が咲いていても、アジサイとは思わなかったから、気がつかなかったのだと思います。

白いきれいな花です。ネットで調べたら八重咲きという種類のようでした。

Dscn4046_320 (写真下、花を接写して見ました。これがアジサイの仲間とは思えません)

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