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2009年3月 9日 (月)

荒船と神津牧場付近その3---大島亮吉

荒船と神津牧場付近

 

 三

こんどは牧場のことについて言ってみる。この牧場はまず、実にいい場所にある。きよらかな、透きとおった場所だ。標高は千米から千三百米までの問にある。

山のうえの高いところに、よくもこんな、緩傾斜の広い場所があったものだと感心するくらいだ。物見の頂きまで、夏には牛たちが草を喰べにあそびにゆける。そして小さい流れが、このひろい山腹をほどよくうるおして家畜らに飲水(のみみず)をあたえつつ熊笹のかげ、木の根っこ、草のなかをよろこんで流れている。夏にはこの牧場は一面かぐわしい牧草の匂いにみちる。ところどころに小高い斜丘があって、牧場の小屋の後山(あとやま)は岩塊と草との斜面と落葉松の疎林になつており、そのうえには円みを帯びた頂きが続いている。

 牧場からやってきて、落葉松のまばらに、立っている枯草の斜丘にのぽってきてみれば、春まだ浅い牧場の眺めはまだらまだらに山窪(やまくぼ)谷隅(たにくぼ)に雪をのこしている。ここでも春は蕗の薹から芽ぐむ。そして、ここへくる時通ってきた上州のうすい青い谷々や、淡紫色の低い山の遠景を見ていると、春は平原からのぼってくるのだということが、つくづくと感じられる。そして、そこの落葉松山(からまつやま)もまた冬さびてはいるが、それでいて柔かになにか芽ばんで、かすんできた風物を見ると、もうそこにもやがて遠い地平から輝く春がさきぶれを送ってほのかにやってきているのに気がつく。

 もしも物見か寄石(よりいし)の頂きまでのぼって行ったら、そこのぐるりにひらける山上展望に私はよわずにはいられない。雪ふかぶかに、西風に洗われて、水晶のように透明に光っている北アルブスをもっともとおくに、八ガ岳から続いた蓼科(たてしな)は老い朽ちた死火山の影をはなち、浅問は吐くけむりもほのかに、みな雪にしろく、秩父は屋根くろぐろと高く、それとこことの問にある折り重なった多くの黒木山(くろきやま)の林層(りんそう)のあいまには、ところどころ白く雪が光って見える。右は八風山に続いて起伏する斑雪(まだらゆき)山。のぼってきて後ろには妙義の黒い、骨ばった峰々。そして更に視線をとおく上州の平原へと延ばすと、それに続く低い山々の折り畳みが、まるで固体の海の波涛ででもあるかのように眺められる。私はこの物見と寄石との三月のある午前の山上展望によって、一度はとおざかっていた北アルプスに、つよくまた惹きよせられた。そして、その時急いで私は家に帰り、すぐさま友を誘ってそこへ出かけて行った。それから蓼科へも、そこからの展望によって誘惑されて、牧場を下りて行ったことがあった。おそらくここの展望は、この早春のころと、そして晩秋のころがもっとも私はいいであろうと思う。

 それは牧場全体のことだけれど、こんどは牧場のうちの小さいことを言うと、まず牧場の建物や小屋のことだ。ここの家畜小屋の構造(つくり)は全くカラームやゴオの絵や写真で見る通りに、アルプスのシャレエそのままだ。緩勾配の低い板葺きの屋根には雨や風に曝された、くろい石をのせて、白塗りの玻璃窓(ガラスまど)のはまっているあたりはことにそっくりだ。牛舎、秣小屋、肥料小屋、物置小屋、牧夫小屋、牛酪つくり場、など、みなこのあたりの風景にふさわしく、無秩序のように、それでいてうまく、最も都合よく建てられてある。大体この牧場の建物や小屋は決して、アルプスのシャレエをまねて建てたのではない。外部を普通の信濃の山家(やまが)の構造(つくり)そのままをとって、ただ内部を牧舎や、それぞれの小屋の用途に適するようにかえただけである。日本の山のなかの百

姓家とアルプスのシャレエとが外観のはなはだしく似ていることは、誰でも知っていることだ。

ここの牧場の建物や小屋だけが特にシャレエに似ているというのではないのだけれど日本の山のなかの百姓家は外観こそ、シャレエには似ているが、その内部にいたっては、全く採光の点では劣っていて暗く、湿っぼく、陰気でおまけにストーヴでないから、けむく、くすぶっていて、あまり感心しない。

 けれど私のいつもこの牧場へ来て泊る牧場の炊事場と食堂をかねて、それに牧場への御客も泊るようにできている小屋は、極めて気に入った内部のつくりだ。厚い一枚板の、頑丈で大きな食卓、その上で牧夫たちがおどろくべき健啖さを発揮して、いつも質素な食事をする。室のなかにはなんの飾りもないが、片隅の暖炉のそばのホップのうえの湯沸しはいつでもやさしく、つつましやかな歌をうたい、明るい玻璃窓(ガラスまど)はひとつの立派な戸外の風景をそのまま額椽のように篏めこみ、そのうえ青い山上の朝霧の網をふるわして、薔薇いろの日光がその室のなかに斜めに太く射しこむ時、その明るい窓ば全く、この部屋にとって最もふさわしい生きた装飾となる。そうして暖炉のそばには毛並のつやつやした、鼻先のとがって、いかにも怜悧そうな顔つきの羊飼い犬がおとなしく座っている。部屋は食事と食事の間は、如何にもこざっばりと快適にまるでゴッホの素描のように、きっぱりした明暗と生気とをうけてととのっている。そして食事時(しょくじどき)の鐘がなれば牛舎からも、秣小屋からも、牛酪つくり場からも、仕事を置いて牧夫たちは、日にやけた、まっかな太い腕をまるだしにして、集って来る。綿の厚く入った和製テルシャツの仕事着で着肥ったそれらの人たちの体は、若さと健康とにはちきれるばかり。そして牛たちが草をたべるのと同じように、さもうまそうに、最も質素な食事にむかう、同じ慈しみの空気は、彼らのうえにただよって、にぎやかな談笑が湧くようにそれらの人たちのなかからまきおこる。

 この牧場はもとは、この物見山の信濃側の麓にある志賀村の豪家、神津氏の経営にあって、それで神津牧場と呼ばれているのだが、この土地では物見山牧場の方がよく通じる。神津バタの名はよくきくだろう。それほどここはよいバタをつくる牧場としても知られているんだ。

 牧場では年中乳を搾っては、それでバタをつくっている。牧場の生活は単調だ。牧夫のうちには、それぞれ乳を搾る役日、秣をきざむ役目、バタをつくる分離器を廻す役目、薪をつくる役目などときまっている。毎日それを、おのおのが繰りかえしているんだ。そして毎日の仕事が同じなのと同様に、毎日の食物も全く同じだ。朝から晩まで終日(いちにち)、三度三度が味噌汁と飯っきりだ。

そして午後三時にはおやつに、小さい子供の頭ぐらいの大きさの握飯をこんがり焼いて、それに味噌をなすったのを一人が二つずつ喰べることになっている。実にそれっきりである。そして文句はでない。だから牧夫はみなおとなしく、正直で、無邪気で、からだがつよい。そして子供のような好奇心にとんで、話ずきである。またそれだからとて決して仕事を怠けやしない。おそろしいほどはげしい労働を平気で、長い間続けている。牧夫たちはみなこの牧場の麓の村々の者で、永くそこで仕事をしている者だ。だからその人たちは全く他の生活というものを知らない。私はなによりこれらの素直な、不平なく愉快に働いている人々が好きだ。そこでは休息と団欒とのあいまの労働がそれほどにも、ひとつの美しい、正しい世界を形づくっているんだ。私はこころからこれらすべて労働する人たちの明るい、やさしい心をたたえたい。

 私がこの牧場へきて、これらの牧夫たちと一緒になって、面自半分にやった仕事というのは、いちばんやさしい秣切(まぐさぎ)りとエンシレーズかつぎだ。春には秣切りを、夏と秋にはエンシレーズかつぎをやる。その新米の秣切りの相手は、いつも「松」という、少し薄馬鹿な、涙の出るほどボン・ノンムである若い牧夫だ。秣小屋のなかで、手のあいた一人が藁を挾んで、二人で交る交るに秣切りの機械のハンドルを手でぐるぐると廻すと、ザックンザックンと歯ぎれのいい音をして秣が切れる。「松公」はこうして、いつも尻切れとんぼに終るわけのわからないような歌の初めを、鼻でうたいながら働いたり歌を歌ったりし続ける。私もまた口笛に歌の譜をうつしたりなどして、同じように仕事をし続ける。こうしてある日の午前が送られることがある。

 エンシレーズかつぎは、なかなか苦しい。夏と秋の初めには、牧場は最も生産力の旺盛な時で、牧場の人々全部が、朝から夜まで活動する。牛たちもみな朝から、ひろい物見の上まで目由に放しっぱなしにし夕暮れにはまた牧舎までつれ帰ることをしなければならないし、それに乳搾り、牧草刈り、牛乳の運搬などと、春や冬にはない仕事がふえてくる。

 夏と秋とには、そのように牧場は静かななかにも、幾分と忙しいところがある。それから夏にはこの牧場あたりは毎日霧の日が多い。この山上の灰色の霧が、またこの牧場の風景をなんとも言えなく、しめりふかく、ふかみずける。そんなような日に、霧のなかを、笹原や牧草の敷いたようにやわらかな、ゆるい尾根続きを歩きまわった時、私はその笹をヘザーにたとえて、本で読んだスコットランドの低い山々のヒル・ウォーキングを思い起し、スウイスはカントン・ド・ヴァレエの高い谷の傾斜面にあるPaturageをたのしくも想像した。そこには、霧のなかにソンネーユの朗らかな音のひびかないのが、なによりの物足りなさではあるが、この中部日本の、山上の牧場にも霧のなかで姿は見えずに、時々、牛に食わす草を刈つている牧夫が歌う、この信濃の山国(やまぐに)のひな唄をきいていると、それは、ひとつのまた日本的な牧歌的情緒を生みいだすではないか。

 夏のタベの牧場の光景もまたそうだ。この山上の牧場の夏の夕べはから静かに、煙りのようにのぼってくる。そしてそれは山の中腹を這っている。するととおくであそんでいた牛の群は、牛舎の前の、乾いた石を積んでかこった囲いのなかにひとりでに帰ってくる。乳牛たちはいまは黎明(あさあけ)から日没まで終日(いちにち)、暑い太陽に焼かれた、花と牧草の匂つている、ひろい牧場で草を喰べたり、流れの水をのんだりしているんだ。乳を搾る時間がいま来たわけなのである。乳牛たちはちゃんとそのことを知っているらしい。あるやつは起きたまま、じっとおだやかな、どんよりとした眼で私をみつめているし、また別のやつは、ながながと寝そべり、肢(あし)をのばし、大きな腹を溢れ出し、まるで乳房を圧しつぶしてはしまやしないかと思われるほどにして横になっている。みんなねむそうだ。長い睫毛(まつげ)のふさふさと陰った下で、おとなしい眼を半ば閉じたり、つぶったりしている。そして、みんな規則的な、ものうい格好で、反芻している。淡薔薇色の鼻面からは、涎がゆらゆらと糸をひいて、ゆられている。

 すると炊事場の方から、カラン、カランという鐘(かね)の音がひびいてくる。乳を搾れの合図だ。乳搾りの牧夫がやってくる。つよい、大きな頭がひとりでにみんな起きあがって、大好きな塩をねだっている。牛たちがぺちゃぺちゃと湿った音を立てて、塩をしゃぶっている問、牧夫はしゃがんで、ニュームのバケツのなかへ、雪のように白い、乳をチュウチュウ搾り出す。その搾る手先の連動は、ひとつのリズムを持っている。泡立って乳はバケツにたまるんだ。

 からのぼって来た夕は、空から降りて来たすみれ色のヴェールと、この山上で一緒になってしまったようだ。コリイ種の牧羊犬の吠え声が、牧場の夕の平和をわずかにやぶる。炊事場の青い煙が、屋根のうえにただよっている。ようやく乳搾りのすんだ牛たちは、おだやかな、重みのある歩きっぷりで、一匹ずつ、囲いのなかから、牛舎へと連れこまれる。あっちこっちの牛小屋のなかで、低音のもうがきこえてくる。そして、とても静かにこの山上の牧場に暑い一日のあとの平和な夕暮れが完全に来る。ここの、こんな夏のタベの平静な光景は、たしかにエキゾチックな、そしてピットレスクなものだ。ひとつのミレーの小画板である。私はこんな時、うれしくなって思わずも、アルプスの牧人らから生れたヒルテンリートなどを、夕栄の山頂にうつして、口笛にうつしなどして、その素朴な歌の調子をたのしんだりする。そんな風に夏に来てはここのあかるい夕景と霧の日の灰色画とが、最も私のふかい感興を染める。

 この牧場へ来て、牧牛者のなかにいる時や、大きな牝牛たちの前に座っている時に、初めて私はあのフィリップ・アルボオのLA vie pastorale dens les Alpes Francaisesのシャルマンな頁を想い浮べることができる。頑丈なシャレエと荒れさびた山上の牧場のベエイサージュを眼にすると、ジャヴェルの愛したル・サレエヴの山谷をしのぶ。

 まだ晩秋に、ここへやってきたことはないが、おそらく、他のいずれの季節にもましていいところがあるであろう。きっと、十月の終りから十一月の初めの、あたたかい、よく晴れた一日か、あるいは、ほんとにサン・マルタン祭にあたる十一月十一日前後の小春日和をえらんで、ここにきたならば、その山の中腹にひろびろとひろげられた牧場の、レンブラントの素画めいた風景は、おそらく私の瞳をあらうように、きよらかで、うつくしかろう。ことに、そのころの、あくまで澄んで、深遠な蒼弩(あおぞら)のもとに、水晶のように冷たくて透明な西風に吹きさらされた、あの国境の山脈(やまなみ)の雪の光るのを眺めるにいい、晩秋の午後の座席が、あの尾根の笹原にはいたるところに見出されよう。日本の低い山を歩くにいいのはどうしても早春と晩秋だ。

 また、そんな暖かい日だったら、牧場の例の牛たちもきっと、牛舎の前のあの柵の内には連れ出されて、いつものように、乾草を食いながら、たのしそうに鼻息をつき、あちこちと重そうに歩きまわり、そうして始終長い尻尾で、脚や腹にたかる、年の最後の蝿たちを払っていよう。私の好きな、たびたびスケッチのモデルになってくれた、あの班ら茶色のゼルシイも、私の傍へ寄って来て、また大好物の塩でもくれるのかと思って、反芻動物特有のうらがなしい眼付きで私を見、それから頭をさし出して、捲毛の生えたぼんの窪をさすって貰おうとするのにちがいなかろう。(三)終り

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