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2009年3月 8日 (日)

荒船と神津牧場付近ーーー大島亮吉

少し余裕が出来たので、前に書いた「星尾峠」、「涸沢の岩小屋のある夜のこと」に続き「荒船と神津牧場付近」を書き写してみました。
 読むだけより、書いてみるとより深く心に残るようなので、自分の為にやっている事ですが、興味ある方は、読んで頂ければ幸いです。先ずは(一)だけですが、続いて書き写していきます。
大正末期の日本の山岳界をリードし、昭和3年3月、29歳で前穂北尾根に散った若き登山家、大島亮吉の作品で、「涸沢の岩小屋のある夜のこと」とともに、古くから岳人に親しく読まれてきた伝説的作品です。
尚、今回から大島亮吉作品をカテゴリー「大島亮吉」にまとめました。

   荒船と神津牧場付近            大島亮吉

 中部日本の低い山あるきのひとつとして

  一

 その上信国境の山上の牧場というのを、初めて私の訪れたのは、全く偶然のことからだった。

たしか大正七年の、まだ三月にはいってからわずかしかたたない早春の日に、ひとりで荒船にのぼるために、私は荒船の上州側にある三ツ瀬という山村の小さな旅宿(やど)を朝早くに出発した。

 
 
冷たい西風のつよく吹いている、よく晴れて、雲ひとつない、表日本の冬から春の初めにかけての特有な天候の日だった。

 
 元来その時、私は越後の関温泉へスキーをやりにゆく途中を、廻りみちしてわざわざ下仁田からその荒船の麓の村へやって来たのだった。荒船という山をわざわざめざして来たのだ。私はそのずっと前に、荒船という山を妙義から見て、ほんとに陸上の朽ちた船のような面白い形の山だと思っていた。そしてそいつに登って、あの平らな、ひろい頂上を歩いて見たかったのであった。そしてその時初めて、まだ雪のふかい荒船の頂上高原に、ようやく急な雪の硬い斜面に鉈で足場を切ってのぼりついた。私は忘れない。その時そこから見た山上展望の印象を。それは実によかった。雪にあおあおと輝いている遠い山脈の波が、西風に洗われてするどい透明色に光っていた。私は登山者の貪欲を眼に輝かして、むさぼるようにこの山頂のぐるりにひらける山上展望に眼をみはったのだった。それ以来ますます私は荒船が好きになって、たびたびその後、この山上の牧場にくるたびに、私はそこへ行く。荒船のことは、別にあとでまた書くとして、とにかくその時、私は長く頂上に休息し、頂上高原の雪原を歩きまわってから、自分ひとりのさみしい足痕をそこにのこして、信州側の方へ星尾峠に路を求めて下りて行った。

 
 そして内山峠の富岡街道に出て、こんどは初谷(しょや)鉱泉の路を行った。ほそぼそとした路の奥の初谷鉱泉は谷あいのごく小さな鉱泉宿で、湯宿もたった一軒しかない。ここへもその後たびたびこの山上の牧場へくるごとに泊まった。そこまで、みちみちはうつくしい、ほのかに芽ぐんでいるような落葉松の林のなかを通っていた。この鉱泉宿を過ぎると、短い草原のなだらかな斜面の両側に続いた、あかるい谷にどこまでもかぼそい山路が続いていた。


 私はその時もこの山上の牧場へ行くために途を求めていたのだった。どうしてこの牧場ゆく気になったかというと、ただ漠然と地図のうえで「神津牧場」と書いてある。山のうえの平らな高原らしいところに興味をひかれていたにすぎない。もっとも私は一体に、あかるい山上の草場のような、あるいは牧場のような、ひろい、異国風な風景がかなり好きである。そんなことからしてこの牧場をまだどんなとこかも知らないとこを、しかも午後も晩くに山をこえて行こうとしていたのだった。早春のあたたかい日ざしを受けた、あかるい谿問をのぼりきると、なだらかな草山のだるみについた。こんどは一層ひろびろとした緩傾斜の笹原を敷きつめたような頂き続きの尾根なりに、牧柵が続いて見えたこへ行って、そこからこんどは向う側を見た。牧場をつまり見わたしたのだ。私がこの山上の牧場を初めて見たのはこの時だった。


 ひろい、山上のゆるやかな傾斜地のやや凹んだなかに、眼の下とおく、小さく、黒ずんで、ひとかたまりに牧場の小さな建物が、所属の畑のまん中に、静かに平和に、つつましやかに見えた。建物のガラス窓はキラリキラリと夕日に光ったりなどした。小さく、黒い人の姿が、その建物のぐるりにうごいていた。とにかく私はぼんやりとその尾根のうえで、笹原にふかく腰を下ろしたまま、この山上の牧場の、エキゾティックな、まったく私の心をとらえてしまった風景にみとれた。

たしかにこの風景はひとつの明るい色彩にとんだ、ゆたかな階調を持つ、非常に美しい、童話風なものである。そしてその時から、私はこの牧場をたびたび訪れるようになったのだ。

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