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2009年3月20日 (金)

真言宗のお経 「おん あぼきゃーー」

Dscn3802_320 今日はお彼岸の中日です。
僕は昨日、四谷東福院への墓参をすませました。
お彼岸ですから、いつものように寺で住職から頂いた「新義真言宗」のパンフレット「ともしび」平成21年春号に書かれていたことから書いてみます。

 昨年秋のお彼岸には、やはりこのパンフレットからお経を唱える意味について書いた覚えがあります。

「住職さん!うちは南無妙法蓮華経?、それとも南無阿弥陀?」
と聞かれることがあります。

 南無とは仏教が生まれたインドの古い言葉、サンスクリット語で「ナモ」という言葉が、中国に渡って「南無」と書かれるようになったのですが、わかりやすい言葉に直すと「私はそれを拠り所にします」という意味になります。
 つまり、「南無妙法蓮華経」とは私は「妙法蓮華経というお経をよく読み、その教えを拠り所にします」という意味ですし、「南無阿弥陀」は「私は阿弥陀さまを信仰し、拠り処にします」ということになるのです。

 長い歴史を持ち、全国にたくさん真言宗のお寺があるのに、なぜ
真言宗の宝号は、あまり知られていないのだろうと思われる方がいるかもしれません。
 お経はもともとインドの言葉で、それが中国や日本語に翻訳されてげんざいのように広まったものです。
私たち真言宗は漢訳されたお経もお唱えしますが、古いインドの言葉「陀羅尼」を大切にしている宗派なのです。
真言とは真実の言葉という意味があります。お塔婆などに見られる梵字という文字で表され、文字自体に仏さまが宿り、その音が大事とされるので、インドから中国に、そして日本に渡った後も、漢字に訳さず原語のままお唱えするすことになっています。
 真言宗でいちばん大切な真言に、
光明真言(大日如来さまの真言)があります。
「おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだらまに はんどま じんばら はらばりたや うん」
意味はこうです。 空しからざる大日如来さま,私たちを智慧と慈悲と救いの光りで照らしたまえ。
 
最初は難しく思えるかもしれませんが、言葉自体に力が宿っているので、まずは七回、そのまま唱えてみてください。
繰り返し、手を合わせ唱えるうちに心が落ち着き、目を閉じれば仏さまの姿が思い浮かべることができるようになり、もっと深く仏の世界を知りたいと思うようになるかもしれません。それが仏さまと私たちが、一体となる即心成仏の最初のきっかけとなるのです。

我家の宗派は代代、真言宗です。僕はこの「おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだらまに はんどま じんばら はらばりたや うん」を子どもの頃、祖母から教わりました。
日蓮宗などの「南無妙法蓮華経」、浄土真宗などの「南無阿弥陀」に比べると、この宝号は一般的ではありませんが、テレビドラマなどのお経を読むシーンでは、比較的よく用いられていますので、お聞きになった方もおられるでしょう。
(写真上、自分の家の仏教宗派とそのお経を知るには、この「わが家の宗教を知るシリーズ」が読みやすくて重宝する。僕も真言宗編を購入して読んでいる。)
この、「真言宗のお経」から、
おん あぼきゃーーーの意味を、もう少し詳しく書き写してみます。

「真のよりどころたる毘る遮那仏(大日如来)よ、光明が闇を除き、あらゆるものを照らすごとく、われらすべての者に慈悲を垂れたまえ。
われらが生まれながらにしてもつところの豊な喜びにあふれた生活をなし得る力、蓮の華のごとく何者にも汚されぬ清らかな美しさ、光明のごとくすべてのものに慈悲を寄せる心を、われらの心の底から引きだし、われらとともに喜びに満ちた人生を過ごさせたまわらんことを、心から願います。」

 本尊大日如来の命をいただいて、マニとはすなわち「すべてを内蔵する宝珠に恵まれ」、ハンドマ「泥中より汚れなく咲く蓮の華のような智慧」、ジンバラ「光明に包まれて」、ハラバリタヤ「さとりの境地に入ります」という意味がある。

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コメント

>ミヤクミさま
拙いブログを読んで頂き、ありがとうございます。
僕も子どもの頃から知っていたこのお経の意味を、50年経ってから理解したのです。短いながら深い意味のあるお経ですね。
お経を読むいちばんの目的は、その修行に旅だった故人の応援だそうです。
本には、こうも書かれていました。「昨日まで一緒に暮らした家族が、急にいなくなって逢えなくなることは、とても悲しいことですし、生きているうちに、もっとああしてあげればよかったといった後悔は、誰にでもあることです。
そんなときにもお経を読むことは、故人の供養にもつながりますし、寂しくて仕方のないあなた自身の癒しにもつながるのです。」

投稿: Souroku | 2009年8月26日 (水) 11時58分

真言宗の和讃とは?

投稿: Hukagaya | 2011年2月16日 (水) 10時50分

>Hukagayaさま
真言宗の和讃については知っておりますが、実際に七五調の句の朗唱を聞いた経験はなく、勿論、朗唱も出来ません。真言宗の教えがやさしく分かるという和讃を機会があれば聞きたいと思っています。

投稿: Souroku | 2011年2月16日 (水) 13時30分

こんにちは
私は毎朝 晩御先祖にお経をあげています。これも人様から良い事があるからとか 仕事がうまくいくからとか
お教え頂き5年位になります。お経の意味も理解せず仏壇の前で懸命に唱えていました。今貴方様の御説明を拝見致しまして学ばせて頂きましたので 今夕から心して
拝みます。  ありがとうございました。 

投稿: 吉田泉華 | 2011年5月26日 (木) 11時03分

>吉田さま
拙いブログをお読み頂きありがとうございます。私も毎朝、「おんあぼきゃー---」を三度唱えております。素直な気持ちになれます。

投稿: Souroku | 2011年5月27日 (金) 09時12分

今日とても腹の立つことがあり喉がかれるほど大声で怒ってしまいました。後で情けなくなり友人に話すと「おん あぼきゃ べいろしゃのうまかぼだらまに はんどま じんばら はらばりたや うん」を教えてくれました。感謝です。

投稿: 野の菫 | 2011年7月 5日 (火) 00時01分

>野の菫さま
このご真言には、深い意義と功徳が含まれているそうですが、そんな宗教的な意味を気にせず、他への思いやりや慈しみを感じて唱えることで、以外に気持ちがすっきりします。
おまじないのように思っても良い事を祖母は教えてくれました。
でも、怒る時は怒りましょう。あとでちょっと反省しても。最近、皆怒らなくなっています。勿論、モンスターペアレンツ的な意味ではありません。

投稿: Souroku | 2011年7月 5日 (火) 10時08分

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