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2009年2月 3日 (火)

志木市敷島神社の節分際

Dscn3664_320 今日は2月3日節分です。
我が氏神様である館ノ氷川神社でも恒例の豆まき行事が行なわれます。
この様子は、一昨年のブログに書きましたので、今日はちょっと遠い、それでも自転車で20分弱のところですが、敷島神社まで出かけました。
館ノ氷川神社とは、氏子地域を分けているのですが、志木市民には古くから親しまれている神社です。
午後3時からの豆まきには少しはや過ぎたので、少し歩いてみましょう。

境内の一角に「田子の富士」と呼ばれるDscn3657_320富士塚が築かれています。こんな謂れがあります。
「この塚が元々の「浅間神社」であり、塚の東側には富士塚を築く基となった「板碑」が祠に納められていた。
板碑には暦応三年(1340)陰刻されている。
南北朝期に大和笠置の僧承海十瀧房が国家安寧と天下泰平を祈るために富士山に籠もって修行を行い、さらに諸国霊山を巡っている際に、当地に訪れ板碑を建立したことに始まる。
 以来、この付近を田子山と呼称され古い塚があった。
引又町の高須庄吉の夢に高僧が現れ、この塚に登るように誘った。そこで庄吉は塚に登ってみると富士山に縁のある碑がみつかり、日頃から富士山を崇敬していた庄吉は大いに感激し富士塚を築造することを決心。
賛同者を募り高さ10メートルの「田子山富士」を明治五年に完成させ、頂上に浅間神社を祀り富士講が結成された。」
現在は、崩落もあり登れませんが、登山道を模した道がつけられ、富士山の溶岩を配して、大変立派な富士塚です。
さて、そろそろ3時過ぎ。豆まきが始まりました。本殿が小さいので、壇上で豆をまく議員さんや町の名士の方々も窮屈そうです。それでも館ノ氷川神社より大勢の人々が集まり、盛大に豆まきが行なわれました。落花生やみかんが飛んでくるのには驚きました。収穫じゃない福豆は拾えたかですか?。残念、人が多すぎて気の弱い僕やかみさんは、全然駄目でした。
来年は、やはり家族的な雰囲気で豆まきが行なわれる、氏神様の館ノ氷川神社に行くことにしましょう。

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コメント

始めまして。
志木出身です。

懐かしいお富士さん、暫く訪ねておりませんが実家に行った時ぶらりと見にゆきたいものです。
大分荒れているとの話ですが、私にとって幼い頃の遊び場でした。

投稿: 金坂 | 2010年6月28日 (月) 10時28分

志木出身です。懐かしいお富士さん、今度実家に行ったら訪ねてみたいものです。
幼い頃の遊び場でした。勿論狛犬に跨りました。

投稿: 金坂京子 | 2010年6月28日 (月) 10時32分

金坂さま
拙いブログを読んで頂きありがとうございます。今年は志木市市制40周年で、さまざまなイベントが計画されています。7月17日(土)、18日(日)は敷島神社のお祭りに合わせて郷土芸能フェステバルも開催されます。是非、お訪ねください。

投稿: Souroku | 2010年6月28日 (月) 20時12分

明けましておめでとうございます。
3日実家に挨拶に参りまして、弟と敷島神社にお参りしてきました。本当に久しぶりでした。
人出の多いのに先ず吃驚です。一日は鳥居まで行列だったとか
お焚き上げもしてました。
金比羅宮も参拝、富士塚はやはり荒廃。残念です。富士塚同好会に入っていますので復元を祈ります。
鈴木一彦宅の天王祭発祥の社も拝見、長い事志木に住んでいたのに初めて参拝しました。
麦畑や古い家もすっかり新しくなり、家並みの記憶を辿るのに苦労しました。
多分私の実家も申し上げればご存知かも知れません......

投稿: 金坂京子 | 2011年1月 4日 (火) 21時22分

>金坂京子さま
明けましておめでとうございます。初詣に敷島神社に行かれたのですね。久しぶりですと参拝する人の多いことに驚かれると思います。
私もいつものように舘氷川神社にお参りしました。市内、とくに志木駅周辺の高層マンションが増えたことよるのでしょうか、参拝の人出が増えて年毎に行列が長く伸びるようになり、1時間待ちが普通になりました。
敷島神社の富士塚が、修復されるとよいですね。渋谷区千駄ヶ谷の鳩の森神社の富士塚が修復されたように。

投稿: Souroku | 2011年1月 4日 (火) 22時17分

明けましておめでとうございます。今年は三日に志木へ年始に参りました。
行く度に驚きますが富士通りでバスを降りたらまたしても昔の商店がなくなり更地になって、何やら新しい建物が出来る感じ。町並みがそのままというのは都心通勤圏の志木としてはありえないと思いのますが、ここで育った身にはいささか寂しいです。
裏日本の豪雪も悩ましいニュースですね。
千葉は相変わらずカラカラです。
地震は頻繁に有るし今年はどんな一年になるでしょうか。

投稿: 金坂京子 | 2012年2月 2日 (木) 16時51分

>金坂さま
年始に来られたのですね。お帰りなさい。
志木市内に点在した古い小さな商店街が、ほとんど消滅状態なのは寂しいです。柏通りの古い和菓子屋さん、本町通の老舗の和服屋さんなどが店を閉めました。
街造りの計画が無いので、志木の将来像が見えません。
しかし、志木も寒いですね。連日、朝は氷点下4度前後が続いています。
地震については、「東海地震ムラ」のアドバルーンには、そう驚いてはいません。自分の備えを怠らなければ、あとは来るなら来い、天命を待つの心境です。志木市に近い「立川断層」は当分動かないとみます。

投稿: Souroku | 2012年2月 4日 (土) 09時30分

気象も政治も異常な昨今です。
志木出身の永倉満冶作の「武蔵野S町物語」浦和で上映中と聞き見てまいりました。
昭和30年代の少年達が自然豊かな町で遊ぶ姿に感動しました、しかし今の志木で当時を再現するのは無理がありますね。街はすっかり変り荒川土手や慶応高校の校舎等でロケしたようです。
辛うじて浅田肥料店が古い洋品店風に画かれてました。
宮崎美子、大杉漣が主役、原作には出てませんね。
敷島神社、夏祭り私も子供の頃思い出しました。
故郷は遠きにありて想うものですね。

投稿: 金坂 | 2012年6月28日 (木) 14時59分

>金坂さま
「武蔵野S町物語」僕も予告編だけは見ましたが、機会を見つけ観賞したいと思っています。
横浜から志木市に移り住んでまだ30年ですが、町の変りようは見てきました。
町造りの展望が見えないと言うより、無いのが寂しいですね。マンションばかり増えました。また、和菓子屋さんが一つ消えたようです。
「故郷は遠きにありて想うもの」共感します。

投稿: Souroku | 2012年7月 5日 (木) 15時12分

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