« 雪の足尾温泉、銀山平へ | トップページ | 梅の花がほころぶ日とソーラーモーター »

2009年1月20日 (火)

周到な準備ーーーアムンゼンとスコット、そして八甲田山死の彷徨

Dscn3584_320 何年か前、かみさんの実家で先祖の過去帳を見せてもらったとき、僕にとっては驚くべき事が記載されている事に気づきました。かみさんの祖父の欄に、明治38年(1905年)日露戦争に従軍。そして入営していた部隊名が、第八師団青森第五連隊第二中隊と書かれていたのです。
家族は、その意味に気づいていないようでしたが、書きかけーーー続く
追記
この連隊こそ日露戦争前の明治35年(
1902年)、八甲田山の雪中行軍中に、猛吹雪と大寒波により、210名中199名が凍死する大惨事を起した連隊そのものだったからです。

祖父の記録に残されていた第五連隊の第二中隊が、連隊のどの大隊であったか不明ですが、遭難した雪中行軍隊兵士の多くは、第五連隊の第二大隊に所属していました。

しかし同じ連隊の第一大隊、第三大隊の選抜隊も参加していましたから、祖父がどの大隊に所属していたとしても、遭難の記憶が強く残る連隊に入営していた事は事実のようです。


 何故、僕が驚いたかと言うと、登山の愛好者として、日本の山岳遭難史上最大の大惨事となったこの冬山遭難に関心を持ち、現地を訪れたり、資料集めなどをしていたからです。

自分の身近なところ、かみさんの祖父に当たる人が、遭難事件直後のこの連隊にいたという事に大変驚かされたのです。

祖父がこの遭難の事実をほとんど家族に話していなかったのは、雪中行軍隊の遭難の事実を隠すため、この事件に対するかん口令が強化されていた為ではないかと思います。

さて、祖父のことはここまでとして、ここに1冊の本があります。

 高木 勉著「八甲田山から還ってきた男」<雪中行軍隊長・福島大尉の生涯>です。遭難した青森第五連隊と同じ時期に、冬の八甲田山踏破に成功した弘前歩兵三十一連隊の隊長、福島泰蔵大尉の功績を描いています。そうだ、107年前の今日、120日は、弘前連隊が冬の八甲田山踏破を目指し、雪中行軍の第一歩を踏み出した日です。

青森第五連隊の199名にものぼる凍死者を出した雪中行軍の失敗、かたやより過酷な訓練を成し遂げた福島大尉の企画力、指導力、人間像を両隊の比較から描いています。

もう1冊の本があります。
本多 勝一著「アムンゼンとスコット」<南極点への到達に賭ける> です。
八甲田山雪中行軍遭難
10年後の明治45年(1912年)、南極点いちばん乗りを目指して熾烈な戦いをくりひろげたノルウェーのアムンゼン隊とイギリスのスコット隊を両隊の行動を比較しながらその成功と失敗を描いています。

この2冊の本はリーダーたるものの素質など、教えられることの多い著作です。八甲田山雪中行軍と南極点到達争いは、成功者があまり評価されなかった複雑な事情があります。この辺のことを含めて、書き始めてみたら、とても簡単にはまとめられないことに気づきましたので、今日のところは本の紹介にとどめておきます。
 この
2冊の本は、物事を成し遂げるときに周到な準備が如何に必要かを、改めて教えられた大切な本となりました。

|

« 雪の足尾温泉、銀山平へ | トップページ | 梅の花がほころぶ日とソーラーモーター »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/170544/43804378

この記事へのトラックバック一覧です: 周到な準備ーーーアムンゼンとスコット、そして八甲田山死の彷徨:

« 雪の足尾温泉、銀山平へ | トップページ | 梅の花がほころぶ日とソーラーモーター »