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2008年11月29日 (土)

宝幢寺の襖絵が一般公開

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今日、志木市の名刹、宝幢寺襖絵と中庭の一般公開が行なわれたので、夜に見学してきました。なお公開は本日1日だけだそうです。
門をくぐると、庭のもみじと中庭がライトアップされ、普段見慣れた境内の景色とは違った幻想的な光景を見る事ができました。本堂にあがると新築されてから始めて公開されたという襖絵を、解説付きで見学する事が出来ました。襖絵は志木市に在住した画家、故小林政路の作品です。市内に住みながら、今まで見る事が適わなかった大作を見学する貴重な機会を得ることが出来て幸せでした。
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2008年11月26日 (水)

超高層マンション「ザ・千里タワー」

12月5日9時追記
最新のマンション情報掲示板です。アクセスが多いようで、動作が鈍くなっています。
http://bbs.housing.nikkansports.com/cgi-local/mibbs.cgi?mode=point&fol=osaka&tn=1031

11月27日22時追記 
 実物を読んでいませんが、本日の朝日新聞朝刊に記事が掲載されたと友人より知らされました。
http://mytown.asahi.com/osaka/news.php?k_id=28000000811270003

この記事を読むと、施主、設計・施工者の発表をそのまま記事にしたもので、現場取材などはまったくされていません。自動車会社の製品事故などにも同じ傾向が見られますが、このあたりが、商業新聞の報道限界なのでしょう。
建築工事の施工中のミスなど取上げたらきりがありませんが、このマンションは、駅前再開発事業のシンボル的存在とかで、注目を浴びている建築です。
使用材の鉄筋の太さや材質の間違い、注入剤の配合違いなどを発見したなどでなく、施工中の超高層ビルの構造柱が上部構造の荷重で下がったという重大損傷と考えられる事、1.7mmの下がりにしてはどうも損傷範囲が大きそうな事等、
17mmでは?)、どうも、隠そう、隠そうとしているところが気になりますので、もう少し情報を集めて見る事にします。

大阪府豊中市の北大阪急行電鉄、千里中央駅前に建設中の超高層マンション「ザ・千里タワー」で、施工、または構造的問題で建物の構造部に損傷が発生し、購入契約者に動揺が広がっているとの情報が流れています。

ザ・千里タワーは、高さ164.2m、地上50階建で総戸数356戸のタワーマンションです。
建築主は住友商事、阪急不動産、オリックス不動産 で、竹中工務店 が施工しています。

構造部の損傷事故は11月中旬に発生したようで、それ以後インターネットのマンション情報掲示板などに多数の書き込みがあり、不安が広がったと友人より聞きました。
すでに高さ200mを超える高層マンションも竣工しており、ザ・千里タワーの164.2mはそれほど驚く高さではありません。しかし、ブームのように多数の超高層マンションの建設が進んでいる現在、その安全性に不安を抱く人も多いのです。
ザ・千里タワーは、設計・施工の竹中工務店が開発したスーパーフレックスチューブという架構形式の構造を採用し、免震構造と組み合わせていると広告されています。
竹中工務店のこの構造方式は、ザ・千里タワーが最初ではなく、すでに幾つかの高層マンションが竣工しています。ザ・千里タワーの購入契約者だけでなく、同じ構造の高層マンションに住む人達にとっても、ザ・千里タワーの問題は他人事ではないはずです。
建築主、施工者とも、この問題をマスコミに取上げられるのは、最も避けたい事だと思います。
殊に購入契約者には、事情を説明する文書が配布されたと聞いていますが、問題がここまで世間に騒がれている状況から、建築主、並びに施工者は正しい情報を開示するべき時期に来ているように思えます。
http://www.the-senri.jp/index.html ザ・千里タワー
http://bbs.housing.nikkansports.com/cgi-local/mibbs.cgi?mode=point&fol=osaka&tn=0233&rs=981&re=990  マンション情報掲示板
http://www.takenaka.co.jp/archive/news/pr0407/m0407_01.html スーパーフレックスチューブの説明
 

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2008年11月25日 (火)

犬のトイレ

Dscn3269_320 マカオで驚いたのが、この犬のトイレです。この写真の標識のあるトイレが市内のあちこちで見られます。
犬が使うものらしいとは想像できたのですが、後始末などはどうするのか、現地ではわかりませんでした。
それがわかったのは、帰国してすぐに見た、NHKのテレビ番組「びっくり法律旅行社」でした。
児玉清さんが司会している番組です。(毎週木曜日23.00~23.30)
11月6日放送のマカオ篇で、この犬のトイレが取上げられていました。疑問に思っていた後始末はこれを見て納得。
市内に80個所ほどあるトイレには、ちゃんと定期的に掃除にくる専門の方がいるのです。
ここ以外の場所で、犬の糞を放置すると罰金を取られるそうです。罰金を科すというのは、ヨーロッパ諸国でもあるようですね。日本は罰金はどうだったかな?。
ところで、犬のトイレが沢山設けられているわりには、市内で犬を散歩させている人は不思議とほとんど見ませんでした。

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2008年11月24日 (月)

ムクドリの水浴び

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今年も、遠くシベリアからカモが柳瀬川に渡ってきています。柳瀬川流域の飛来数は、このところ減少の一途なので、今年の飛来数が気になっています。河川環境が悪くなっているとは思えませんので、この減少の理由は何故なのでしょう。
柳瀬川下流域確認数(埼玉県内ガン、カモ一斉調査より)
1998 1172
1999  944
2000  699
2001  446
2002  448
2003  410
2004  376
2005  438
2006  275
2007  370
2008  274

(資料はエコシティ志木のHPより)
   http://www.cc.e-mansion.com/~eco/top.html

昨日(23日)は、カモの写真を撮ろうと柳瀬川土手を歩いていると、群舞する数百羽のムクドリが、突然急降下して川に降り、一斉に水浴びをしている光景に出くわしました。(写真上ーークリックすると拡大します
何度も同じ事をくり返し、そのたびに川面に水煙があがります。
ムクドリが水浴びをすることは知っていましたが、これほどの群れの水浴びは、始めて見ました。
なにか獲物に襲い掛かるようにも見え、一瞬、水煙でムクドリの姿が隠れるほどの凄まじさに、近くにいたカモ達も驚いて逃げてしまいました。

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2008年11月22日 (土)

Bamboo scaffolding(竹足場)--香港の建築

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写真(クリックすると拡大します)は、最近何度か登場のNorman Foster設計の香港上海銀行の建設時の現場写真です。上の2頁といちばん下の2頁ともに「Watermark Publications Limited発行(1989)のNorman Foster Buildings and Projects Volume3よりコピーさせて頂きました。」

建物外壁に、見事なまでに組まれた竹足場に驚かされます。しかしこと足場に関しては、23年ほど前に撮られたこの写真も、現在も変わっていないのです。
今回、香港に行って、高層、低層どこの建築現場も足場は竹足場でした。
 現在、日本ではほとんどの建築現場で鋼管足場が使用され、以前住宅などに使われていた丸太足場もほとんど見られなくなりました。
しかし香港では、どこを探しても鋼管足場を見つける事は難しいでしょう。
香港で竹足場が使われるのは、鋼管よりはるかに安価で、入手も簡単、軽量で運搬と取扱いが楽というのが理由のようです。市内で荷台に竹を満載したトラックを何台も見かけました。
この竹足場、誰でも組み立てと良いわけで無く、足場組み立ての技能講習を1年間ほど受けてから、実務につくと聞きました。日本の足場組み立てはとび職の仕事ですが、香港でも足場専門職の仕事のようです。
それにしても、鋼管足場に慣れている者にとっては、この竹足場はなんとも頼りなく、これで大丈夫だろうかというのが実感でした。僕は高所は苦手ではありませんが、ひもやゴムバンドで結ばれただけの、竹足場に登るのは遠慮したいというのが本心です。

Dscn3452_320写真左、志木ニュータウンの大規模補修工事での鋼管足場)
(写真中上、訪れたレパルスベイの海岸線の高層建築に、芸術的とも思える竹足場が組まれていた)
(写真中中、Topの写真と同じ香港上海銀行建設時の外壁廻りの竹足場
ークリックすると拡大します
(写真中下、同じく内部吹き抜け部分の竹足場
ークリックすると拡大します
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p.178

The new Bank building was conceived as clusters of layered space,

suspended bridge-like from vertical masts with service ‘cores’on the

outboard edges. These cores were built off-site in a factory by a labour

force who were not normally associated with the construction industry.

They were then shipped to the site and clipped on to the building as sealed modules, already fitted out down to the last detail of soap dispensers and taps.

Quality had been controlled in factory conditions and, by being able to

work simultaneously on and off site, the overall time-scale for the project was dramatically reduced.”

Norman Foster, Process Architecture, March 1986

The east elevation with its deep cutbacks revealing the sequence of module/stair/stair/module ‘towers’ each flanked by their own service risers. Like the modules, these risers were prefabricated in Japan and installed semi-complete units in three-storey high frames.

p.179

“To explain how an undertaking of such magnitude could be achieved within so short a time span is clearly beyond the scope of this article but four principles can be identified as fundamental to that achievement. First, the site would be more an assembly point than a building site in the traditional sense. Second, the building would be conceived and produced as prefabricated elements, manufactured around the world and then shipped or air-freighted to the assembly point.

Third, if industries outside the traditional sphere of the construction industry could offer a better performance then we would attempt to harness their skills and energies. Finally, we would actively collaborate with industry, using mock-ups and testing prototypes to anticipate, as for as possible, the eventual realities on site”

Norman Foster, Process Architecture, March 1986

The atrium under construction. This view, looking west, shows the three-storey high crossbracing in position, with the link bridges and support structure for the lift shafts beyond.

p.180

Bamboo groves are common all over Asia, with certain species growing up to 20 metres in height. Properly maintained and soaked regularly to stop them drying out, the cut poles can last for many years.

Bamboo works in tension just as effectively as in compression, so hanging or cantilevered structures can be erected with ease. Here, framing is supplied to the steelwork to provide access for the final application of corrosion and fire protection.

Traditional raffia ties may have given way to nylon straps, but in all other respects the techniques of bamboo scaffolding have not changed for hundreds of years.

It is a craft based on experience, handed down from generation to generation in close-knit family businesses.

The flexibility of bamboo allowed localised structures to be erected almost anywhere, cantilevering from the exterior of the building by up to two metres.

“I think the contrast of technology is interesting. The bamboo scaffolding for example: I don’t think it would be possible to realise this building without that indigenous bamboo scaffolding|-which erupts everywhere-any more than it would without the cranes by which it erects itself.”

Norman Foster, lecture to Sainsbury’s Executive Club, March 1984

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Tied securely to the building over its height, it is not uncommon, in Hong Kong, to see bamboo providing continuous scaffolding over 40 or 50 storeys.

The special rigs used to install the cladding panels could not extend to the highest extremities of the building, so bamboo had to be used instead. Shown here is the top of the east-side mast and stair tower at level 41

The final coat of paint was applied to the jib of the maintenance cranes, at the top of the building, on location. A freestanding bamboo structure was raised over 10metres from the open terrace below to provide access.

A temporary steel ‘floor’ was installed at level 11over the central atrium to provide a work platform during installation of the bank of mirrors that form the inner ‘half’ of the sun scoop. It also supported this impressive bamboo structure-which was only in place for a few weeks-used to fix the ceiling panels and beam casings that line the atrium’s soffit.

“The scaffolding is traditional bamboo which is more efficient than any more recent scaffolding; it withstands hurricanes, it goes up faster and

more cheaply. It is one of the few true vernaculars in Hong Kong.”

Norman Foster, lecture at Centre Pompidou, February 1981

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2008年11月20日 (木)

雑司が谷へ-1ーーー西洋釣具珈琲店ほか

Ca390016_320 所用で雑司が谷へゆきました。ブログで前にも書きましたが、東上線から地下鉄副都心線への直通運転で、池袋のひとつ先に出来た雑司が谷駅がまで行くのがとても便利になりました。
用事を済ませた後、今まで訪れた事が無かった鬼子母神に始めてお参りしました。
この雑司が谷鬼子母神に付いては、インターネットにも沢山の記事が掲載されていますので、またの機会に書く事にします。

 鬼子母神を出て、そこから建造物の東京都有形文化財に指定されている
、「雑司が谷旧宣教師館」を見学したいと思い、都電荒川線の鬼子母神駅前を通ると、西洋釣具珈琲店書かれた店があり名前も「Reels」(釣り道具のリールだと思います)となっていたので、ちょっと気になって入って見ました。
 前を通る都電が見える大きな窓が有る店内は、落ち着いた雰囲気のコーヒー専門店でした。
大きなルアーの飾りと、幾つものきれいなリールが置かれていたので、オーナーに、店名の由来を聞きました。
 オーナー曰く、本業は珈琲店ですが、
川越市に有る五十鈴工業という、リール製造会社の代理店のような事もやっているとのことで、置かれているリールは、すべてその五十鈴工業の製品との事でした。
僕は、
テンカラ釣という、毛鉤と3.3mのテンカラ竿、それに4m程度のラインが道具の全てという、とてもシンプルな釣りをやるので、残念ながらリールの事はほとんど知りません。
しかし、店内に置いてある、精巧な作りとデザインの、釣り道具というよりは精密な工芸品のような製品を見て、日本で最も古くからリールを作っているというこの五十鈴工業という会社にとても興味を覚えました。
 釣りを愛好する方には知られたブランドなのでしょうが、僕は川越近くに住みながらまったく知りませんでした。機会があれば、いつか川越に訪ねてみたいと思います。Ca390015_320
Reelsでは幾種類ものリールを見せてもらったり、サイフォンでいれたおいしいコーヒーを飲みながら、都電を眺めてゆったりとした時間を過ごしました。

Reelsを出て、雑司が谷旧宣教師館に向って歩いていると左手方向にちょっと気になる外観の建物を発見。寄り道してみると、東京音楽大学の校舎とわかりました。屋根と外壁が組合わされたような、縦方向の複雑なパネル状の外壁が印象的です。設計は久米設計、施工は戸田建設です。

そこから、目指す雑司が谷旧宣教師館はすぐ近くでした。1907年(明治40年)Ca390014_320に、アメリカ人宣教師のマッケーレブが自らの居宅として建てたというこの住宅は、豊島区内に現存する最古の近代木造洋風建築で、都内でも数少ない明治期の宣教師館として大変貴重な建物として紹介されていました。
見学自由なので、誰もいない資料館にもなっている館内をゆっくり見学する事が出来ました。内外とも驚くほど保存状態が良く、保存修理がされたとはいえ、とても100年前の建築とは思えませんでした。

(写真上、珈琲店「Reels」)
(写真2枚目、サイフォンで入れてくれるコーヒ。美味でした。)
(写真3枚目、置かれていた五十鈴工業製のリール)
(写真4枚目、東京音楽大学校舎エントランス部分)
(写真5枚目、雑司が谷旧宣教師館の入口側)
(写真6枚目、同、大きなガラス戸がつけられた建物裏側)Ca390017_320

 

  

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2008年11月18日 (火)

マロニエ通りの秋

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このところの朝晩の冷え込みで、志木ニュータウンの紅葉も進みました。
マロニエ通では、歩道がトチの木の落ち葉で覆われています。
自転車で走ると、かさかさと音がして、森の中を走っている感じです。
イチョウの葉も黄色く色づいてきました。
柳瀬川には、シベリアからのかもが飛来して来ています。
アユ釣りにかわり、フナを釣る人達を見かけるようになりました。
冬がもうそこまで来ています。
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(写真上、マロニエ通りは、落ち葉が歩道を埋めている。)
(写真下、イチョウの黄葉も進んでいる)

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2008年11月17日 (月)

香港の夜景2景

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Dscn3202_320 赤坂サカスの夜景に続き、香港の夜景です。
 赤坂でTBSの隣のビルの上部に、ネオンサインでHSBCの文字を見つけました。
香港で見慣れた香港上海銀行のロゴタイプです。
(その時はわからなかったのですが、後で調べると3次元設計での表現効果が過剰とも思えるTHE HEXAGONという商業ビルの1、2階を使用して香港上海銀行赤坂支店が今年オープンされていました。
しかし単なる銀行支店ではなく、預かり資産残高が1,000 万円以上の顧客に資産運用を提案していくのを業務とする、どうも庶民には縁の無い支店のようです。)

 そこで、思い出したのが香港でピークトラム駅に向うオープントップバスから見た、例の風水で有名なノーマン・フォスター設計の香港上海銀行の夜景です。
お堅い銀行とは思えない派手なイルミネーションで夜の街に輝いていました。(写真上)

 もうひとつ、派手に電飾されていたのが、水上海鮮料理レストラン、ジャンボ・キングダム(珍寶王国 Jumbo Kingdom)です。
香港仔(アバディーン)から乗った無料の送迎舟が、このレストランに近づくと、煌煌と輝く電飾は、水上の不夜城という感じで圧倒的な存在感がありました。(写真下)
ちなみに桟橋に横付けされてくる船の全部が無料の送迎船ではなく、有料も有るようですからご注意を。案内係や親切な案内掲示など、他の施設と同じで有りません。
ともかく、香港のバス、ミニバス、トラムなどは行先表示はあっても、車内での停留所の案内などまったくありませんから、乗りなれていない旅行者には目的地への下車がとても難しいのです。
街の状況を見ながら、ここぞと思うところで降ります。それもまた旅の楽しさかもしれません。
行きすぎたら、戻れば良いわけですから。
そんな時、面倒な小銭を用意する必要がないMTR,ほとんどのバス、スターフェリー、エアポートエキスプレス、トラムやピークトラムなどで使用できるオクトパスカードが必需品です。
ビクトリアピークへ登るピークトラム山麓駅では、切符を買う長い行列を尻目に、オクトパスカードで改札をさっと通り抜けられました。

話しをジャンボに戻すと、香港映画「インファナル・アフェアⅡ」の中でパーティー会場としても使われていた内部は、豪華な装飾で楽しめましたし、従業員の応対も良く、新装後は美味しくなったと言われる料理も、良い味でした。香港に行ったら一度は訪ねても良い場所でしょう。

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2008年11月15日 (土)

赤坂サカスのクリスマスイルミネーション

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Dscn3443_320 昨夜は、サントリーホールでの日本フィルの定期演奏会の日。
沼尻竜典指揮によるマーラー:交響曲第5番のダイナミックな演奏の興奮覚めやらぬまま、夜の街を赤坂サカスまで歩いてみました。

 サントリーホールのある赤坂アークヒルズから、サカスまでは直線距離にして700mほど、10分もあれば歩けます。
 この付近、離れているようでも、六本木の東京ミッドタウンや、国会議事堂、日比谷公園などもみな歩ける距離です。
夜の10時過ぎでしたが、Bizタワーや付近の店舗は若い人達で賑わい、赤坂サDscn3444_320カスエリア全体が、今夜から点灯された白と緑色のクリスマスのイルミネーションで飾られ、幻想的な風景を見せてくれました。

今、楽しげにお酒を飲んでいる若者達が生まれる前の古い話ですが、昭和30年代、このあたりは、商店街として賑わっていた一ツ木通り以外は、TBSのビルと自動車教習場、日大三中、三高の古い校舎があるくらいでした。
それでもTBSが移転して来たことにより、芸能人も多く行き来して現在につながる華やかな雰囲気が生まれつつありました。

 僕は1957年(昭和32年)の10月に、ここのTBSの掲示板に張り出された、ソ連が世界初の人工衛星スプートニク1号を軌道に乗せることに成功したとのニュースを、仲の良かった友人と読んだことを不思議と鮮明に覚えています。

今の明るい喧騒が嘘のように、地下鉄の赤坂見付駅に向って、一ツ木通りと広い外堀通りとの間の二本の道の両側には、黒板塀の高級料亭が並び、夜は暗い路地に高級車が列を作って駐車し、芸者さんを送迎する人力車が走っていました。
なにしろ、東京の地下鉄は赤坂見付駅のある銀座線と、まだ全線開通していなかった丸の内線だけでした。
1959年(昭和34年)に丸の内線が池袋駅まで全通し、赤坂見付駅で乗換え出来るようになった時点でも乗車賃は確か全線一律20円で、降車時には切符を改札の箱に入れて行くだけでした。
学生定期は1ヶ月なんと360円で、丸の内線まで乗れるので嬉しくて乗りまくったものです。
しかし、この切符を乗車時だけ見せる方式も、運賃が距離制に改められた事により、すぐになくなってしまいました。
この頃の地下鉄は、電車が駅のホームにはいる直前、何故か一瞬、車内の照明が消え真っ暗になると同時にドアー横のランプが点灯した事を、覚えている方もいらっしゃる事でしょう。
いろいろと昔の事を思い出しつつ、イルミネーションに彩られた道路脇のコーヒー店の2階のベランダでコーヒーを飲んでから、帰りました。そう、昨夜は外でコーヒを飲めるくらい、それもアイスで。そのくらい暖かな夜でした。

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2008年11月14日 (金)

白菜ドロボー!!

Dscn3411_320見事なラディシュ(二十日大根)だべ!。(写真左)
おらが、農園主さまから一畝お借りして種まいたラディシュだよ。
二十日大根だで、ちゃんと20日で大きくなるだよ。
野菜作りは、愛情だな。それとなんと言っても土作りだべ

以前さ、おらの超ミニ農園で種まいてみただが、イモの尻尾のような奴しかならなかっただよ。
あれは土が悪かっただよ。
農園主さまは、「こんなに沢山収穫しても、食べきれませんよ。」なんておっしゃるだども、おらが沢山たべるだ。サラダにいれたらやわらかくて、うまかっただよ。
これからもまだまだ、採れるだよ。

そんだ、そんだ、おらの、ラディシュの自慢どころじゃねえべさ。
農園主さまのお手植えの白菜さ、盗まれただよ!。
それも、いちばんの大玉狙われたで、農園主さまがっかりしてるだ。
根元から、スパッと刃物で切り取って持っていっただに、子供のイタズラではねえと
思うだよ。
西瓜ドロボーは聞くだが、白菜ドロボーもいただよ。世の中にはなんちゅう悪い奴がおるだ。
おらは、ラディシュばかりに気さとられていただに、いつ持っていかれたか、まったくわからなかっただよ。すまんことでした。これからはしっかりみてるだよ。
ネットさ掛けるだか?。おまかせくだせえ、すぐにやるだよ。

(そうなんです。女農園主さまが、朝、畑に行ってみたら、8株お手植えされた白菜のなかで、いちばん良く結球されたものが、無くなっていました。外側の葉をむしって捨て、結球した中だけ持っていったようです。
女農園主さま、かなりショックを受けたようです。
それでも、「盗られるくらい良い出来栄えだったのね。」と微笑んでいました。
野菜作りをいろいろと指導してくださる方も、何度か盗られたそうです。
「いちどやられると、またくるかもしれないから、網を被せると少しは違うかもしれないよ」と教えてくれたので、気休め程度でしょうが、キュウリ作りに使ったものと同じネットを被せる事にしました。)

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2008年11月12日 (水)

海上阻止活動はデンマーク海軍に指揮権が委譲ー海上自衛隊インド洋給油その9(10月)

Ariake1_320  9月のインド洋における海上自衛隊の補給支援活動については、なぜか実績発表が遅れ、その後、海上自衛隊のホームページに発表されても「補給支援特措法に基づく自衛隊の行動」欄から外して掲載するなど、理解に苦しむような事が行われた事は、前回のブログに書いたとおりです。
 国会で改正案が審議される大事な時期に会わせたように、何らかの理由で操作されたと感じています。
しかし新テロ対策特別措置法改正案が、前回と同じ衆院再議決により成立Towada1_320の見込みがたった今月はいつものように、最初から「補給支援特措法に基づく自衛隊の行動」欄に堂々と登場しました。


10月1日から31日までの、給油状況です。 
( )内は給油再開の2月21日からの合計
パキスタンフリゲート艦     4回 (25)  610KL (3300KL)
  フランス駆逐艦       0回 (12)    0KL (1315KL) 
  フランス補給艦       0回 ( 1)    0KL ( 450KL) 
  ドイツ駆逐艦                  0回 ( 3)      0KL  (  730KL)
  カナダ駆逐艦        0回 (8)    0KL (1915KL)
  米国駆逐艦         0回 (4)      0KL  ( 1710KL)
  英国駆逐艦         0回 (3)    0KL  (  375KL)
  ニュージーランド駆逐艦  0回 (1)     0KL (310KL)
  デンマーク艦         3回 (3)    920KL (920KL)   
                                                   合計 1530KL (11030KL)
 
海上阻止活動を行うCTF-150の指揮権が、9月15日よりカナダからデンマークに委譲された為、始めてデンマーク艦船(ペル・ビガム・クリステンセン海軍大佐指揮)への補給が行なわれたようです。
 主として沿岸警備型海軍のデンマークが、どのタイプの艦船を参加させているか情報が無いので、駆逐艦と限定しないでおきます。

 いつものように、常連のパキスタン海軍には、今回も4回の給油がおこなわれ、給油再開以来の全量でも30%がパキスタン海軍への補給です。
結局、10月はこの2ヶ国への給油活動だけで、全体量も1530KLと少なく、2月21日給油再開以来の総量も11030KLと、これはイラク戦争当時の米国海軍艦船主体の補給量の1ヶ月分にしかあたりません(注:2003年1月20日から2月25日の1ヶ月間に、20000KLの給油実績があった)
 その意味では、我国の経費負担は少なくなってきていますが、海上阻止活動の全体像が見えず、なぜか国民への情報公開もほとんど為されない現状では、国際貢献の意味を問いなおす時期にきているのかもしれません。(日本政府は軍事機密を盾に、なかなか情報を公開しませんが、米国海軍のホームページには、案外と情報が得られる記事が掲載されていたりします。)

 給油量の30%を占めるパキスタンフリゲート艦は、地図を見るとわかりますが、活動地域から数日で母港に戻れる距離です。米国の強い圧力による給油前提の活動参加としても、遠路日本からの補給艦に頼らない支援方法も検討できると思います。

 同志社大学教授の村田 晃嗣教授海上自衛隊が洋上での給油をやめれば米国をはじめ給油を受けている諸国の海軍は、およそ4割の活動低下に陥ると推定されるとか、米国海軍艦艇が近隣の港湾に向えばそこでテロ活動の標的になるという説(2007.8.31毎日新聞)も、現在の給油実績からみて説得力に欠けてきています。

 そうはいっても、新テロ対策特別措置法改正案は成立の見こみで、11月10日には交代艦の護衛艦「109ありあけ」補給艦「422とわだ」が日本を出航しています。

 しかし、真にアフガニスタン国民のために役立つ日本の貢献を考えるなら、現在のインド洋給油状況をもう一度、論議してもおかしくない状況とみます。
米国政府が、治安が急速に悪化しているアフガニスタンの国軍増強のための費用として、少なくとも170億ドル(約1兆7000億円)!!の負担を日本を含む同盟諸国に要求しました。
 米政府が費用負担を求めたのは、米同盟国のうち、日本やアフガンに展開する国際治安支援部隊(ISAF)に派兵していない北大西洋条約機構(NATO)加盟国などですが、経済悪化に苦慮するNATO諸国が多額の財政支出に応じるとも思えず、結局、多額の費用負担が日本にかかってくるものと思われます。

 アフガニスタンには、インド洋での230億以上の給油とは別に、今までに1300億円以上の復興支援を行っています。
このうえの負担は、米国主導の戦争協力ではない貢献が論じられるべきで、新テロ対策特別措置法改正案だけを強行採決する事や、給油活動をシーレーン防衛、海賊対策に波及させるのは賛同できません。
  (写真上、11月10日インド洋に向けて出航するむらさめ型護衛艦「ありあけ」)
  (写真下、同じくとわだ型補給艦「とわだ」   注:海上航海日誌を破棄した事で、名前が知られた艦です。2003年の7月から12月という米軍艦艇への給油がイラク戦争へ転用疑惑されたとされた頃の大事な時期の航海日誌を、故意に破棄したものです。「防衛庁は故意とはいわず、誤まったとしか発表していません」
2003年は1月20日から12月15日の間に、74000KL(乗用車105万台分)もの大量給油をした時期でした。現在の海上阻止活動の給油量と比較すると、いかに膨大な量だったかわかります。)

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2008年11月10日 (月)

弥彦公園もみじ谷の紅葉が素晴らしい

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 週末に所用で新潟市に行き、今日は帰りに弥彦公園のもみじ谷の紅葉を見てきました。新潟駅から越後線で吉田駅へ、そこで弥彦線に乗り換えて終点の弥彦駅で降りました。駅前が弥彦公園の入口で、中に入るともうそこがもみじ谷です。

目の前に、真っ赤に彩られたもみじの紅葉の風景が広がっていました。
天候が薄曇、時々雨とあいにくの天候でしたが、そんな中、時折日が差すと色合いが一段と変化して、それは見事なものです。やはり紅葉見物には光りの陰影が大事だと知らされました。

途中、湯神社に登ったりしながら、もみじ谷を抜け、弥彦神社に参拝しました。境内では新潟県菊花展覧会も行なわれており、大勢の参拝客で賑わっていました。
駅に戻る途中で、弥彦湯神社温泉(アルカリ性単純温泉)に入り、このところ数が伸びない、5年で100湯目標の温泉めぐりの数をひとつ稼いできました。

帰りは、弥彦駅から弥彦線で燕三条駅に戻り、新幹線に乗りこみました。
新幹線MAXときの車窓から見た、頂上付近が白く雪を冠り、山腹は紅葉で赤く燃える壁のように見える、上越国境の山々は素晴らしい眺めでした。そう、山にはもう、雪が来ています。
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(写真はすべて、今日のもみじ谷です)

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2008年11月 7日 (金)

順天堂東京江東高齢者医療センター

Ca390012_320 一昨日、所要で順天堂東京江東高齢者医療センターに行きました。地下鉄東西線の南砂町駅から、徒歩5分の利便の地に立っています。
設計は磯崎新アトリエと東京都財務局営繕部です。

動線計画やサインもわかりやすく、これが病院かと思わせる、広い廊下を持つ開放感と明るさに包まれたすばらしい病院建築です。
家具類も従来の病院建築に見られない斬新なものです。バリアフリーなども徹底しており、高齢者医療施設のお手本となる事は間違いない施設です。1階にあるレストランは、病院にいることを忘れさせてくれる雰囲気がありました。見学の感想は◎です。
外に出ると庭園にシキザクラが咲いて、つかの間秋を忘れました。

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2008年11月 6日 (木)

ザ・レパルスベイ(映灣園)--風水で壁に穴

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 香港島を代表するリゾート地である、レパルスベイ(淺水灣)に、ビル壁面に大きな穴が空いた建物があります。高層マンションとショッピングモールからなるザ・レパルスベイ(映灣園)です。
 
香港の建築は、風水と深く関係しているものが多いのですが、具体的にはどこの部分が風水に影響されているか見た目には分かり難いのです。しかし、このザ・レパルスベイは違います。

この建物の立地条件が、香港島の中心から流れ出たエネルギーの流れ(龍脈)を妨害するといわれ、設計時に龍脈の通る穴をビルの中に開けてしまったというわけです
建築設計的に見ると、海からの風を考慮して、風抜き穴をあけたようにも見えますが、エネルギーの流れと風の流れは関係しているのかもしれません。

セントラル(中環)のバスターミナルから、スタンレー(赤柱)行きのバスに乗り約25分ほどで、市内の喧騒が嘘のように、白い砂浜がある海岸と高層マンションが点在する場所につきます。ここがレパルスベイ(淺水灣)です。
超高級マンションが多いせいか、欧米人の姿が多く見られます。近くの不動産屋さんに貼ってあった売りマンションの値段が、換算してみたら日本円で2億から7億などという値段で、換算を一桁間違えたのかと思ったほどでした。
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書きかけーー続く
11月6日21時追記

究極の風水建築がザ・レパルスベイだとしても、風水戦争とも呼ばれ、香港の風水を世界に知らしめる事になったのは、この写真の二つの銀行です。

1985年と先に竣工したのがイギリスの建築家、ノーマン・フォスターの代表作とも云われる香港上海銀行です。(写真上)
高さ178.8m、44階建てで、超高層ビルとしては世界初となる吊り構造を採用し、建築的に高い評価を得ると共に、斬新なデザインが人々を驚かせました。
この新社屋を設計する際に、ノーマン・フォスターは施主側の要望により風水師の指南を仰ぐこととなり、設計の各所に風水師の意向が反映していると言われています。

Bank_o2_320 これに対して中国銀行香港支店は、香港の金融界の覇権をかけて、中国系アメリカ人建築家I・M・ペイに設計を依頼し、当時香港で最も高い地上72階建て、高さが367.4mの超高層ビルを建設して対抗しました。竣工は1990年です。(写真中)
I・M・ペイの得意とする幾何学的な美しいデザインが、鋼製トラスと青いハーフミラーガラスの巨大な壁面により表現され、香港を代表する建築となりました。
この建物もまた、風水の思想を反映していると言われ、先に建設された香港上海銀行との間で、風水にまつわる相互のビルの影響関係が取り沙汰され、香港の風水戦争とも呼ばれました。
このへんの詳しい事は、インターネットで探すと沢山見つける事が出来ます。

かように香港、台湾、それにシンガポールでさえ建築設計の際に、風水の知識が必要とされ、
都市部の不動産物件では、風水の善し悪しによって、売買価格や賃貸価格に影響があると言われます。

CATHAY PACIFIC航空のパンフレットにも、こんな事が書いてあります。
 香港の主要部、九龍半島の名は、中国の古い伝説に由来する。言い伝えでは、この地を支配していた9頭の龍が毎朝、身を清め、水を飲むために山を下り、海へとやってくる。この地はちょうど、その通り道となるため、「九龍半島」と名付けられた。
香港きっての高級ホテル「インターコンチネンタル香港」は、この九龍半島の先端に位置する。風水では、先の伝説に登場する9頭の龍の通り道を遮るところに立地する。
そこで、このホテルは設計からいくつかの策を施した。
まず、正面入口の前には噴水を置いた。これは真珠を象徴するもので「富」を表すという。さらに、正面入口はガラス張りにし、吹き抜けのレセプションロビーからは、眼前のビクトリア湾と対岸の香港島をパノラマで望むことができる。
 これを風水で言うと、9頭の龍は真珠に魅せられて正面入口からホテルに入り、ロビーから窓を通ってそのまま海へと抜けることができる。さらに龍がレセプションロビーを通ることで富を落とす=ホテルが繁盛する、となるらしい。
 なんとも神秘めいた話だが、そう思ってこのパノラマを望むと、なんだか自分にも幸運が舞い込んできそうだから不思議だ。

この龍の通り道は、ノーマン・フォスターの香港上海銀行でも、地上階のピロティや、ここにあるゆるやかな段差は、建物を貫通する『龍の道』を遮らないようにする意味合いで設計に反映されたと言われています。
そう、最初に書いたザ・レパルスベイもそうでしたね。

Dscn3302_320最後に、一昨日、この外観はCAD(コンピューター製図)で設計したら、簡単だと書いた(冗談です)丸い窓のビルの事です。ジャーディンハウス(怡和大廈:Jardine House)(写真下)
1973年竣工で、172m、52階建てで、落成当時は香港を含む東南アジア地域で最も高い建物でした。
中高層が多かった当時の香港で、超高層へのさきがけとなった建物です。
特徴ある丸窓により、セントラルを歩いているとよく目立ちます。まず、日本では見られない外観です。
このビルも風水の影響があると言われていますが、真偽のほどはわかりません。

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2008年11月 3日 (月)

ああ、こんな論文で賞金300萬円とは!

 自衛隊の田母神(たもがみ)俊雄前航空幕僚長の論文を読んで、よくぞこの程度の粗雑な論文を、最優秀藤誠志に選び、300万円もの賞金を贈るものだと思いました。

少し派手めの女社長が出演していたテレビコマーシャルで知られたマンション販売のアパグループが主催する懸賞論文に、現役の航空自衛隊トップが書いた応募作が最優秀賞に選ばれたのです。

 この応募論文が物議をかもし、田母神俊雄氏は即、航空幕僚長を更迭され、その論文内容は勿論、応募自体が政治問題に発展し、各新聞の社説や多くの識者からも批判されているのは、すでにご存知のとおりです。
 この懸賞の最優秀賞に自分の名前をつけた藤誠志なる人物は、アパグループ代表の元谷外志雄氏(女社長の夫)のペンネームであり、審査委員長は保守派論客といわれる渡部昇一・上智大名誉教授です。他の審査委員の名前は公表されていないようです。
個人がそれぞれの歴史認識を持つ事は自由ですが、2人とも保守右派系の言動、著作が多く、論旨をねじまげたり、自分の都合の良いように解釈することで批判も多い方です。
勿論、田母神氏とは面識、ないしはそれ以上のお付き合いがあります

ここからは、僕の推論です。

 懸賞論文には、230通もの応募があり、田母神氏の他にも現役自衛官が2名ほど応募したとの情報もあります。
「11月10日追記」
 その後の調査で、現役自衛官の応募は94名と発表されています。実際には応募というより、部隊内でレポート提出された原稿を一括、アパグループ宛てに送付したものです。ほとんど、論文と言うレベルではない原稿ばかりで、審査の対象外だったそうです。
中に2通ほど、しっかり書かれたものがあり、佳作候補になったようですが、論文募集の目的が田母神氏の主張を発表させるものだったので、自衛官が多いのもどうかという事から外されたようです。

 
 230通の応募作の中には、もう少しまっとうな論文もあったと思うのですが、始めから最優秀作は現職航空幕僚長の応募作と決められていて、300万円という高額な懸賞金が用意されたのではないでしょうか。
 最優秀作に航空幕僚長の肩書きが欲しかった、それゆえ次点の優秀賞は30万円、佳作1万円と冷遇されています。
 
 ですから、田母神の応募作は事によると、原案ないしは論文そのものも用意されていたのかもしれない、なぜならば以下の内容(論文赤字部分)は、現役自衛官としては、あまりにもお粗末過ぎると思うのです。
 
 いかに事実誤認や歴史解釈の身勝手さが多いといえ、それは個人の信条による歴史認識と解釈しても、氏の論文のこの部分だけは「自衛隊員全員が不快に思うだろう」酷い例えであるからです。

 もし、この論文が本当に田母神の手になるものだったとしたら、朝日新聞社説が書く「空幕長は5万人の航空自衛隊のトップである。陸上、海上の幕僚長とともに制服の自衛官を統括し、防衛相を補佐する。軍事専門家としての能力はむろんのこと、高い人格や識見、バランスのとれた判断力が求められる。 」なる人物像とはかけ離れた人間という事になります。
航空自衛隊に人材無しといわれているようですが、次の幕僚長の人選が心配です。

    日本は侵略国家であったのか
                                   田母神俊雄

アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留して
いる。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意
された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸や朝鮮
半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留
も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。日本は19
世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手
国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。現在の中国政府
から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、我が国は日清戦争、日露
戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守
るために条約等に基づいて軍を配置したのである。これに対し、圧力
をかけて条約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だと
いう人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したこ
とがない。


 
この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。邦人
に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。


これは現在日本に存在する米軍の横田基地や横須賀基地などに自衛隊が
攻撃を仕掛け、米国軍人及びその家族などを暴行、惨殺するようものであり、と
ても許容できるものではない。


これに対し日本政府は辛抱強く和平を追求するが、その都度蒋介石に
裏切られるのである。実は蒋介石はコミンテルンに動かされていた。
1936年の第2次国共合作によりコミンテルンの手先である毛沢東共産党の
ゲリラが国民党内に多数入り込んでいた。
コミンテルンの目的は日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊
させ、最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させることであった。
我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって1937年
8月15日、日本の近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻(ぼうれい)を膺懲
(ようちょう)し以って南京政府の反省を促す為、今や断乎たる措置をとる」
と言う声明を発表した。
我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。

 
(論文の続きは、下のファイルをクリックすると、アパグループ懸賞の最優秀応募作として、田母神氏の論文全部が読めます。)

    「kensyou.doc」 田母神氏の論文

 今晩のニュースで、田母神俊雄前航空幕僚長の退職が伝えられました。

 天下り先は、防衛大学だけは止めさせてください。
これが、大学校長の書く論文かと、嘆きたくなるような論旨を展開する五百旗頭 真校長以下、教員に「高い人格や識見、バランスのとれた判断力が求められる(朝日新聞社説)人物が少ないのです。
 そこに、また、この方が加わるのは非常にまずいです。

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2008年11月 2日 (日)

このビルの外観には驚いた--マカオ

Dscn3273_320 香港滞在中、日帰りでマカオに行きました。

香港島・上環の港澳碼頭(マカオフェリーターミナル)から、マカオの新港澳碼頭(マリタイムフェリーターミナル)まで、ジェットフェリーで約55分で結ばれています。

同じ中国でも、マカオへは出国扱いになるので、行きも帰りも、船内で出入国カードを書く必要があります。

日本から、香港に入国した際に残っていDscn3285_320た出国カードが香港側の出国審査で取られて、香港に戻る際の入国カードについている出国カードが、今度は日本に戻る際に必要になります。ちょっと面倒です。

さて、マカオですが、市内を歩いていてどこからも目立つこの特異な形をしたビルには驚きました。
ビルの名はグランドリスボア(Grand Lisboa)。
巨大なカジノとホテルの複合建築だそうです。昨年低層棟のカジノ部分が仮オープンして、今年高層部分のホテルがオープンしました。

 52階建て、高さ261mはマカオタワーに次ぐ高さです。ハスの花をイメージしたと言われる高層棟のホテルの傾斜した内部はいったいどうなっているのでしょう。残念ながら、カジノには行かなかったので見て来る事は出来ませんでした。
しかし他人事ながら、建築図面の作成には苦労しただろうと思いました。勿論、施工も。
香港でも複雑な形状のビルの多さに驚きましたが、まさにエネルギッシュな香港・マカオを実感する建物のひとつでした。
建築図面の作成と言えば、香港でこのビルなら、外観図はCADを使えば20分もあれば書けるぞと思った(冗談ですが)ユニークなビルがありました。これはまた後日書きます。
 (写真:晴れているのですがマカオもまたスモッグに蔽われて写真がボケます)

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2008年11月 1日 (土)

シンフォニーオブライツに感激ーー香港

Dscn3327_1024 香港へ行ってきました。

ブログに書きたいことも、幾つか体験しましたが、今日のところは
この夜景だけ。


香港は始めてだったので、100万ドルの夜景を楽しみに、有名な夜景観賞の場所であるビクトリア・ピークまで登ってみました。

セントラルのフェリー埠頭6番前のバスターミナルから、オープントップバスで街中の風景を楽しみつつピークトラム山麓駅まで行き、そこからピークトラムに乗って山頂駅へ登りました。
結果は、ちょっと残念。
絵葉書や、観光写真でみるあの素晴らしい夜景はには、とても及びませんでした。
最近はほとんどスモッグで霞み、価値は50万ドル程度?だそうです。

それよりも、シーサイド・プロムナードで、夜8時から始まる光のショーを楽しみながら眺める、この写真の夜景の方が感激しました。
ここの夜景は、素晴らしいの一語につきます。

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