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2008年10月12日 (日)

柳瀬荘(重要文化財)へは船で渡った!ー松永安左ヱ門

Dscn3144_320 我家から自転車で20分ほどの距離に、国指定重要文化財「黄林閣」(柳瀬荘 )があります。

 柳瀬荘については、多くのウェブページに書かれているので、ここで説明するまでもないのですが、電力王と呼ばれた実業家で茶人でもある、故松永安左ヱ門が茶道を行う別荘として昭和5年(1930年)に柳窪(現在の東京都東久留米市)にあった庄屋である村野家の農家建築を、今の場所に移築したものです。

Dscn3137_320昭和23年に東京国立博物館に寄贈され、昭和53年に重要文化財に指定された「黄林閣」の他に、書院造りの「斜月亭」と茶室の「久木庵」が残されています。

 建設当時には数奇屋、長屋門、土蔵、観音堂も配置されていたとの事で、現在も県道浦和所沢線(浦所バイパス)から、廃屋とも見える長屋門が望まれます。

 実は、こんな近くにありながら訪ねたことが無かったのですが、知人から松永Dscn3149_320安左ヱ門は、この別荘を訪れる際、柳瀬川を船で渡ったと聞いて、俄然興味がわき一昨日に見学してきました。
ちょうど、日本大学芸術学部が、この柳瀬荘を使って「柳瀬荘アート・教育プロジェクトーー地域に眠る文化、芸能、自然、建物から生まれるアートと教育の可能性」と謳った様様なプログラムを開催中で、お蔭で普段の公開日(毎週木曜日のみ)には見る事の出来ない建物内部まで見学する事が出来ました。

 黄林閣の縁側から、柳瀬川方面を見ても、木々に遮られて眺望は得られませDscn3139_320んが、当時は柳瀬川の川幅も広く、河原がこの柳瀬荘の近くまであったと言う事ですから、船を使ったという話はきっと本当だったのでしょう。
いったいどこから乗船して船あそびを楽しんだ後、この山荘に着いたのか、これから古い書物などで調べてみたいと思いました。

(写真上、重要文化財指定の黄林閣。大きすぎて全景が写せない。武蔵野民家の遺例として貴重な建物)
(写真中上、斜月亭と茶室のある久木庵への渡り廊下)
(写真中下、茶室、久木庵)
(写真下、久木庵内部、簡素であるが風格のある茶室である。)

(写真いちばん下、志木市は江戸初期から大正末期にかけて、江戸と川越を結ぶ船運で重要な役割を果たした。当時の有様を写した古い写真。柳瀬荘へ船で渡った様子が偲ばれる)

 Oc12001_1024            下右の写真はクリックすると拡大します

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