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2008年9月24日 (水)

墓参の帰りに、服部半蔵の墓に寄る

Dscn3084_320昨日は、秋のお彼岸の中日でした。
四谷東福院へ墓参した後、近くの西念寺にある服部半蔵の墓 に寄りました。
四谷は寺の多い町です。東福院の前の東福院坂も、近くの寺に墓参に訪れた家族が引きも切らずに歩いて行きます。
この東福院坂を下りて、左に曲ると次の坂道があり、この観音坂を上った右手に西念寺があります。
寺の正門は、反対側に廻り込まねばなりませんが、大きな寺です。江戸時代には、この坂に面した方に正門があり、観音坂は西念寺坂とも呼ばれていたそうです。

この寺の墓地の中に、服部半蔵の墓があります。
かなり大きな墓で、史跡めぐりのコースにも、紹介されていて、訪れる人も多いのです。
昨日はお彼岸とあって、きれいに掃除され墓には花が手向けられていました。

Dscn3085_320

さて、秋のお彼岸でもありますので、今日はお経の話です。
東福院は新義真言宗の寺です。お彼岸に寺に行くと「ともしび」という新義真言宗の小冊子を頂けます。
昨年、頂いたその13号に、「お経の功徳」というお話が書かれていました。
これを読んで、お経とは、こういう気持で読むものだと知りました。
良い文章なので、書き写させていただきました。これも功徳になるでしょうか。

「お経の功徳」 
なぜ、お葬式にお坊さんにお願いしてお経を読むのでしょう?

お坊さんは生きているうちに、頭髪を剃って出家得度をします。
そのとき、お師匠さまより仏弟子としての名前(法名)をいただき、修行を
始めます。
これと同じように、仏教徒であるわたくしたちは亡くなると、ご縁の深い菩提寺の
和尚さまから、「引導」を授かり、その証としてお戒名をいただくのです。
引導とは、亡者に仏道修行者として守るべき十ヶ条の戒を説き示し、大日如来から
弘法大師、そして興教大師と、連綿として継がれる密教の神髄である秘印をお授けする
ことを申します。
その後、七週間(四十九日)の間、お釈迦さまをはじめとする多くの仏さまに
教えをいただきながら修行をすることになるのです。

お経を読むいちばんの目的は、その修行に旅だった故人の応援です。
仏さまは誰でも、自分の教えであるお経を読む者に、ありがたい功徳を授けてくださいます。
修行を積まれたお坊さんにお願いをしてお経を読んでもらうと、施主となってお願いをした人に、その功徳がいただけるのです。
そのいただいた功徳を、自分のためでなく、亡くなった故人の修行が無事成し遂げられますようにと願う(このことを「廻回」といいます)ことが、まさにお経を読む目的なのです。

さて、それではお経はお坊さんだけが読むものでしょうか?
たとえお坊さんといえども、最初からスラスラお経が読めるわけではありませんし、初めて読んだときから、すべての意味を深く理解しているわけではありません。
すべてはくり返しお経を読むうちに少しずつ学びとったものなのです。

最初はまったく意味がわからず、つっかえつっかえであっても、お経にふれて、読んでみようという気持こそが大切なのです。
読むことによる功徳はもちろんのこと、何度もくり返し読んでいるうちに、なんとなく1日が落ち着いて過ごせるとか、この言葉はどういう意味なんだろう?という気持が起こってくれば、それはあなた自身の修行が進んだことにもなります。

昨日まで一緒に暮らした家族が、急にいなくなって逢えなくなることは、とても悲しいことですし、生きているうちに、もっとああしてあげればよかったといった後悔は、誰にもあるものです。
そんなときにもお経を読むことは、故人の供養にもつながりますし、寂しくて仕方のないあなた自身の癒しにもつながるのです。

このように、お経ははるか遠くにあるものではなく、ニ千年以上の間、インド・中国・日本と、歴史も文化も違う国で、たくさんの人に読まれ、心を動かしてきたものです。目に見えない不安を取り除く心の薬として、まず手にとってみてはいかがでしょうか。

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