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2008年2月17日 (日)

涸沢の岩小屋のある夜のこと―大島亮吉

Karasawa 「星尾峠」に続き、「涸沢の岩小屋のある夜のこと」を書き写しました。
読むだけより、書いてみるとより深く心に残るようなので、自分の為にやっている事ですが、興味ある方は、読んで頂ければ幸いです。
大正末期の日本の山岳界をリードし、29歳で前穂北尾根に散った若き登山家、大島亮吉の作品で、古くから岳人に親しく読まれてきた伝説的作品です。

「涸沢の岩小屋のある夜のこと」  大島亮吉

 
 自分たちの仲間では、この涸沢の岩小屋が大好きだった。こんなに高くて気持ちのいい場所はあんまりほかにはないようだ。
大きな上の平らな岩の下を少しばかり掘って、前に岩っかけを積み重ねて囲んだだけの岩穴で、それには少しもわざわざやったという細工の痕がないのがなにより自然で、岩小屋の名前とあっていて気持がいい。

そのぐるりは、まあ日本ではいちばんすごく、そしていい岩山だし、高さも二五〇〇米以上はある。
これほど高くて、自由で、感じのいい泊まり場所はめったにない。人臭くないのがなによりだ。
穴のなかに敷いてある偃松の枯葉の上に横になって岩の庇の間から前穂高の頂きや屏風岩のグラートとカールの大きな雪面とを眺めることができる。
そのかわりいつもしゃがんでいるか、横になっていなければならないほどに内部は低い。

景色といっては、なにしろカールの底だけに、ぐるりの岩山の頂上と、カールの岩壁と、それに前に涸沢の谷の落ちてゆくのが見えるだけで、梓川の谷も見えない。そしてそれにここにはあんまりくるものもいない。実にしずかだ。そこがいいんだ。そこが好きなんだ。
米、味噌、そのほか甘いものとか、飲物の少しも背負い込んで、ここへやってきて四、五日お釜を据えると、全くのびのびして、初めて山のにおいのするとこへ来たような気がする。

 天気のいい時は、朝飯を食ったらすぐにザイルでも肩にひっかけて、まわりの好き勝手な岩壁にかじりつきに行ったり、またはちょっとした名もないようなNebengipfel や岩壁の頭に登ったりして、じみに Gipfelrastを味わってきたり、あるいはシュタインマンを積みに小さなグラートツァッケに登るのも面白い。
そうしてくたびれたら、岩小屋へ下りて来て、その小屋の屋根になっている大きな岩の上でとかげをやる。
とかげっていうのは仲間のひとりが二、三年前にここに来て言いだしてから自分たちの間で通用する専用の術語だ。
それは天候のいい時、このうえの岩のうえで蜥蜴みたいにぺったりとお腹を日にあっためられた岩にくっつけて、眼をつぶり、無念無想でねころんだり、居睡したりする愉しみのことをいうんだ。
その代り天気の悪い時は山鼠だ。穴へはいりこんで天気のよくなるまでは出ない。出られないのだ。
しゃがんでいてもうっかりすると頭をぶっけるくらいに低いところだから、動くのも不自由だ。だから奥の方へ頭を突込んで横になったきりにしている。
標高があるだけに天気の悪い時はずいぶん寒い。雨も岩の庇から降りこんだり、岩をつたわって流れこんだりする。風が岩の隙間から吹き込む。
だがこれほど気分のいいとこはちょっとないようだ。天気でもよし、降ってもいい。自分たちはそこで言いたいことを話したり、思うままに食って、自由に登ってくる。ヒュッテらしい名のつくようなヒュッテも欲しいとかねがね思っているが、それは冬の時や春の時のことだ。
夏にはこんないい自然のヒュッテがどこにでもあるなら、まあ夏だけのものならばそんなに欲しいとは思わない。ここは夏でも少し早く来るとまだ岩穴が雪に埋まっていることもある。

 とにかく自分たちの仲間ではここへ来ていろいろと話したり、登ったりして好き勝手に日をすごしてくることが、夏の上高地へ来てのひとつのたのしみなのだ。ところで、ここにはそのひとつとして、その岩小屋のある年の夏のある夜のある仲間のことを書いてみる。これが自分たちの仲間のある時期のひとつの思い出にでもなればいいと思って。

その時自分たちは四人だった。自分たちはちょうど北穂高の頂きから涸沢のカールの方へ下りてきたのだった。――そして夕暮れだった。歩きにくいカールの底の岩のデブリィのうえを自分たちの歩みは無意識にすすんで行った。

 それは実によく晴れわたった、穏やかな、夏の夕だった。眼のまえの屏風岩のギザギザした鋸歯のようなグラートのうえにはまだ夕雲は輝かに彩られていた。そしてひと音きかぬ静けさが、その下に落ちていた。
おおらかな夕べのこの安息のうちに山々は自分達をとりまいて立っていた。

自分達はこれからこの涸沢のカールの底にある、自分たちにはもう幾晩かのなつかしい憩い眠りのための:場所であった、あの岩小屋へと下りてゆくところだった。自分たちの右手の高きには前穂高の嶺(いただき)がなおさっきの夕焼けの余燼でかがやいて、その濃い暗紫色の陰影は千人岩の頭のうえまでものびていた。
そしてはるかの谷にはすでに陰暗な夜の物陰が静かにはいずっていた。
自分たちはそのころようやく岩小屋に帰りついたのだった。
そして偃松の生枝を燃やしては、ささやかな夕餉を終えた時分には、すでに夜は蒼然と自分のまわりをとりかこんできていた。
それはまたすばらしくいい夜だった。すてきに星の多い晩だった。高いこの山上をおし包むように大きな沈黙がすべて抱きこんでいた。

 火のそばをすてて、自分たちは岩小屋のなかから外にでた。
そしてその前にあった岩にみんなおのずと腰をおろした。冷やかな山上の夜は自分たちのうえに大きくかかっていた。
晴れきった漆黒の夜空のなかで、星が鱗屑(うろくず)のようにいろいろの色や光りをしてきらめいていた。
四人とも黙って岩に腰をかけたまま、じっと何かについて思いん込んでいたりパイプばかりくわえて黙っていた。けれどもそれはこのような夜の周囲にはほんとにしっくりと合った気分だった。
山は雨や風の夜のように底鳴りしたりしないので凄みはなく、圧迫的でもないけれど、あんまりおだやかで静かなので、そこにひとつの重味のある沈黙というものを示していた。
「山は時としてはその傍観者に自らのムードを圧しつけることがあると同時に、また傍観者はしばしば山が彼自らの気分と調和してくれるのを経験することがある」とマンメリイだかが言っていたが、その時の自分たちの気持はたしかに後者のようなものがあった。
自分たちのうしろにも横の方にも、闇のなかに真黒に岩壁や頂きがぬっと大きな姿で突っ立っているけれど、自分たちにはこの時はちっとも恐ろしくも見えなければ、もの凄くも思われなく、むしろこのぐるりを半分以上もとりまいている山を、親切な大きな風よけぐらいにしか、親しく思えてならなかった。
そうしてその真ん中の小さな岩小屋は自分たちのような山の赤ん坊の寝る揺籃みたいに思えてしようがなかった。
言い方がおかしいかも知れないが、それほどいやに山が親しみぶかく見えたんだ。だけれどただひとつこのあまりの静かさが自分たちに歌わせたり、笑い話させたりしないのだ。
たしかにこの時の山のムードと自分たちの気持とはハーモニィしていた。
  書きかけ――明日に続く

 

 

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