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2008年2月 8日 (金)

知床峠にて

Kunash1_1024_2 昨日、2月7日は「北方領土の日」でした。
江戸時代末期の1855年の2月7日に静岡県下田市で、日露通好条約が日本とロシアの間に結ばれ、この条約で日本とロシアの国境は、択捉島(えとろふとう)とその北にある得撫島(うるっぷとう)の間と決められ、択捉島から南は日本の領土、得撫島から北の千島列島はロシアの領土であることが確認されました。この北方領土問題を国民皆に理解してもらうべく、1981年(昭和56年)1月6日の閣議了解により、この日を「北方領土の日」とすることに決まった経緯があります。
僕はこの北方4島のひとつである国後島を見たのは、一昨年の6月に始めて知床峠を訪れた時です。
好天に恵まれ、峠の展望台から見た、目の前に広がる島影は、島という観念で想像していたよりもずっと大きく、対岸の半島を見るごとく近くに見て取れました。
ちょうど、東京湾の川崎、横浜あたりから房総半島を眺めた感じでしょうか。
この距離感から得た率直な感想は、これは間違いなく我らがもの、日本国土だろうというものでした。
そしてまた知床半島よりも長大に伸びる島の大きさに、ロシアはこの島を絶対に返さないだろうとの思いもわくのでした。
明治以前は、北海道とともに間違いなくアイヌの土地でした。それを日本が領有して約80年、1945年以降にロシアが領有してから63年も経過して、遠くない先に領有期間は日本と並びます。
北方4島のひとつ、国後島を間近に見た刺激から、その後、北方領土問題の文献、論文、主張をかなり読むようになりましたが、今に至るまでこの問題に対する僕の考えはまとまりません。
日本国民として、北方4島は日本固有の領土であると捉える事はやさしいのですが、何か日本とロシア間でこの領土問題が進展し解決する提案が見つからないかと思うのです。両者の妥協はあり得るのでしょうか、国民感情は、それを許さないのでしょうか。
今、僕が危惧するのは、このままロシア領有100年目が間違いなく来るだろうとの思いが強い事です。

Hoppouryoudo_320 Rausudake_320 (写真上、知床峠から見える国後島、地図のC)
写真中、北方4島、 A.歯舞諸島(歯舞群島)、 B.色丹島、 C.国後島 D.択捉島
1.色丹村、2.泊村、3.留夜別村、4.留別村、5.紗那村、6.蘂取村)
(写真下、知床峠から見た羅臼岳、残雪を利用して峠からの往復が可能ではないかと、ルートを目で追ってしまう。)

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