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2007年11月27日 (火)

誰が書いたのだろう?

Dscn2030_320  初狩駅から高川山登山道入口に至る狭い道筋に、この説明板が立っていました。寒場沢を越えたあたりだと思います。
作家、山本周五郎が山梨県出身であることは知っていましたが、この初狩が生誕地だったことは、この説明文を読んで始めて知りました。
いったい誰が建ててのだろう。
普通こういった説明板には、どこどこ教育委員会などの名称が書かれているものですが、この説明文にはそんな事は書かれていません。
素朴な書き味ながら、山本周五郎や、この土地への愛情が感じられる好ましい文章です。
だいぶ古くなっており、もし朽ち果てたらまた再建されるとも思えませんので、ここに書き写して残しておこうと思います。
そしてまだ読んだ事がなかった小説「山彦乙女」も読もうと思いました。

   神馬沢と文豪山本周五郎
 高川山の一郭でありますこの沢神馬沢の「寒場」は明治四十年八月に大水害が発生して多くの犠牲者を出した事と先生の作品の一作「山彦乙女」が発表された時に先生の生誕の地について話題を一時表わしました。
神馬沢の地名についての由来は古文書によりますと岩壁に無数の馬の蹄の跡と解される場所があった事からと記されていましたがいつしか寒場沢と地名が変わったようです。
先生は明治三十六年にこの地初狩にて出生され大水害に遭われて家族及び地域住民の惨状が思い出になりその後の作品に大きく影響されてのではないでしょうか。特に「山彦乙女」は先生の先祖の地韮崎、甲府、江戸そして初狩とこの沢の風土を含み入り乱れた作品です。一読いかがでしょうか。
登りながら下りながら作品の一辺に思いを巡らし又山頂に座して夕月の天を仰ぎ太古の音に修験道者が二十三夜に五穀豊穣と国家安寧を願い祈った時の山は自然林で一面鬱蒼としていただろう。
源頼朝公が初狩の里にて巻狩をし、信玄公が、又多くの旅人もこの里を行き来した姿は如何様であったろう。時が進み眼下をリニアが500kmで走り遠く天体へは人々が生活の場を求めて時代を進めている。これからどんな風景が展開するか勝手に瞑想するも山登りの一方ではないででしょうか。又おいでください。

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コメント

大変、すがすがしい文章に心を打たれました。いま、実は東京を離れ、初狩に住んでみたいと考えております。歴史はあるが、自然のほかに何もないというところに惹かれます。不思議なタイミングで、何か、背中を押されたような気がしました。

投稿: ysuet1 | 2008年7月23日 (水) 06時58分

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