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2007年10月27日 (土)

サントリーホールにて

 昨日は、日本フィルの定期演奏会を聞きに、リニューアルしたサントリーホールに行きました。
9月のオープン直後に見てきた友人から、見た目はそれほど変わっていないよと聞いていましたが、確かに全体に手入れされてきれいになった感じはあるものの、どこをリニューアルしたのかなと思うほどでした。
 実際には舞台の可動式セリを増設したり、楽屋の全面改装、舞台・音響・照明、スピーカーの各システムを最新のシステムにするなど、目に見えない部分の大改修が行なわれたそうです。客席の椅子の布地も張り替えたので、客席全体の朱色が鮮やかによみがえりました。
ユニバーサルデザイン対応については、開演前の短い時間では、バリアフリー解消の幾つかの事例を見る事しかできませんでしたので次回にまた見たいと思います。
休憩時間に利用した、バー&ドリンクコーナーは、非常に利用しやすい雰囲気に変わり好感が持てました。
日本フィルの定期演奏会は、サントリーホールのリニューアル期間中は、東京オペラシティで行なわれました。
僕は良い音響の中で演奏を聞くことに集中してくださいとといった感じの東京オペラシティのシューボックス型のホールより、サントリーホールのホワイエの優雅な雰囲気や、広がりの有るヴィンヤード形式のホールの方が好きで、ここで聞く演奏会が楽しみです。
昨日は、次期主席指揮者であるアレクサンドラ・ラザレフの指揮で、始めて演奏を聞いたプロコフィエフ作曲:カンタータ<アレクサンドル・ネフスキー>でしたが、東京音大生の大合唱と、オーケストラの激しい演奏が新装なったホール全体に響き渡り軽い興奮を覚えました。
ところで、いつものように入口で手渡される、各種演奏会のチラシは、昨日はずしりと重く、帰宅して数えたら140枚以上ありました。
日本フィルの定期演奏会も、このところやや空席が目立つようになっていますが、東京だけでもこんなに沢山の演奏会が行なわれるのですから、聴衆確保が難しいだろうなどと考えてしまいます。Oc27001_1024
130枚のチラシの中には、年末も近くなってきた感を抱かせる、第九の演奏会のチラシも多く、めぼしいところでも、写真のように5枚有りました。
来週は早くも11月、秋も深まってきました。(写真はクリックすると拡大します)

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  (明日より、所用でタイに行きますので、ブログを1周間ほど休みます。戻りましたらタイの建築や旅の事などを報告します)

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2007年10月25日 (木)

素晴らしき双眼鏡

Dscn1810_320 今年の1月22日のブログで「アメリカヒドリ」を探せと題して、柳瀬川に飛来するアメリカヒドリについて書きました。
今年も遠くシベリアから、多くのカモが飛来してくる季節になりました。
我が柳瀬川にもヒドリガモを筆頭に、コガモ、オナガガモ、など数百羽がやってきます。
近年、飛来する数が毎年減っているのは残念ですが。
そのなかで、アメリカヒドリは、年に1羽か2羽しか飛来してくれない貴重な種類です。
埼玉県全体でも、観測できる数は数十羽程度なのです。
なんとしても、見つけてみたい、そのアメ300pxanas_americana_fws_1リカヒドリ探索に、発見の可能性が高まる新戦力が加わりました。
マンションリフォームの計画に助力したお礼にと、なんとドイツ、ツァイス双眼鏡をプレゼントしてもらったのです。
先日、ブログに僕の失敗として、購入したが全く使い物にならなかった15~50倍の小形単眼鏡のことを書いたのを、読まれてしまったようです。
カールツァイス社の双眼鏡、Victory 32FLという製品ですが、自分ではとても買う勇気がないほどの高級双眼鏡ですし、今まで覗いたこともありませんでした。
カール・ツァイス社の双眼鏡は100年以上の歴史を持ち、バードウォツチングの世界では有名ですが、日本では、かの日露戦争でバルチック艦隊を破った東郷平八郎元帥が愛用したとして名をはせました。
この双眼鏡は、今でも横須賀の戦艦三笠に陳列されているはずです。
軍事用としても世界の軍隊で広く使われましたが、ヨーロッパアルプスやヒマラヤなどで山岳遭難捜索用の使用で、登攀記録などにもよく登場します。

さて、このプレゼントされた双眼鏡を最初に覗いた時の驚きは、大袈裟でなく、まさに驚愕、「なんてよく見えるんだ」とつぶやいてしまいました。
まず、従来使った物より、圧倒的に明るい。薄暮ではその差がいちだんと分かります。そして像がくっきりと鮮明に見える。
最初に家の窓から見えるイチョウの木を見たのですが、枝についているギンナンの実の細かい皺まではっきり見えるのです。
ともかく見える像に、ぼんやりとしたところが全く無い。プレゼントされたから誉めるのではなく、本当に素晴らしい双眼鏡です。
早く、カモ達よ、やって来い。今年こそ、アメリカヒドリを見分けてみせるぞ。今、僕は非常にわくわくしています。

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2007年10月24日 (水)

「我が官僚人生に悔いなし」-前防衛省事務次官

 たいへん大雑把な言い方になり、異論のある方も多いと思いますが、世の中には好い人と言われるタイプと、いやな奴と言われる人達がいると思います。
企業や官僚のトップレベルまで昇進する人達は、僕の知るかぎり(官僚は少数ですが)、失礼ながら周囲からはこの、いやな奴と言われていた人達が多かったのは事実です。
「月刊現代11月号」の表紙に、独占告白 守屋武昌「官僚の本懐」と題した記事がある事が書かれています。

「月刊現代」には今年の7月号より、立花 隆氏の「私の護憲論」という記事がずっと連載されており、憲法改正問題について考えるのに、大変参考になる事が語られているので、毎号読んでいたのです。
話は、本題から外れますが、この立花隆氏の連載は、次ぎのような文から始まりました。

「私がなぜ日本国憲法、特に憲法第九条がつくりだしてきた戦後レジームを積極的に評価するかというと、それは日本という国が、歴史上もっとも繁栄した戦後という時代の基盤だったからである。だが、そのレジーム
(注:1)を捨てようとする人たちが国の権力の中心に座っている(注:2)彼らは、国家の繁栄と憲法の関係を、本当の意味で理解しているのだろうか。」
注1: レジーム=英語 「政治制度[形態]、政体;政権、政府;管理体制;その支配期間」注2: この連載が始まった時には、、まだ安倍総理は辞任していなかった。

7月号から最新の11月号まで、憲法の成立課程を丹念に追ってゆくこの論文を読んでみて、いかに自分が憲法について無知だったかを知らされるとともに、著者が実に多くの資料を読みこなしている事に驚かされたのです。
やはり、物事を考えていくときには、時間を惜しまず、勉強することが大事だとあらためて思い起させられました。
連載は、本題に入ろうかというところで、批判の対象とした政治的状況、時代的状況の標的のトップである安倍首相が突然辞任してしまい、著者は相手が消えてしまった事に途惑いながらも、連載は継続すると語っているので、これからも読み続けられそうです。

さて、本題の前防衛事務次官、守屋武昌に戻ります。
表紙から、本文の記事に入り読んでみました。本文の表題は、表紙と異なり、次ぎのように書かれています。
「我が官僚人生に悔いなし」
報じられなかった小池大臣との会話、安倍首相への「留任陳情」の真相から、
業者との癒着疑惑まで、全てを語る

9ページにわたる記事を読むと、自身の保身的な記述と、防衛事務次官の後継騒動で前小池防衛大臣などとのやり取りの経過が書かれているだけで、「官僚の本懐」、「官僚人生に悔いなし」などと大袈裟に書かれた表題には、首を傾げざるをえません。
ましてや、見出しに書かれた業者との癒着疑惑については、ただの1行の記述もありません。

月刊現代の編集部が、何らかの理由で、その部分を削除したのか、本人が話すと約束していたにも係わらず、全く触れなかったかのを、見出しは最初の予定稿のまま残ってしまったのかの、どちらかだと思います。読者としては拍子抜けです。
この記事が書かれた後の今月に入って、突然守屋氏と防衛専門商社「山田洋行」との癒着問題が持ち上がり、対テロ新法とのからみで大きな問題に発展したことと、記事の消えてしまった部分とは無縁ではないように思えます。

実はこの守屋氏については、関係者から防衛省内での好からぬ噂を多々聞いていたものですから、近いうちに書きたいと思っていた官僚の天下りの問題で取り上げたいと思っていたのです。氏は数年後の天下り官僚の最右翼とみていたからです。
人物的には、最初に書いた、いやな奴という評価は衆目の一致するところだったようで、業者との癒着などもこんど問題になった山田洋行以外にも、いろいろ取り沙汰されたようでした。事によるとこれから明るみに出てくるかもしれません。
省内では、通常任期2年の事務次官を、異例の4年以上も在任していた守屋氏の退任は近いだろうとのことで、防衛業者との癒着問題などで事を構えて、刺し違えられるのはごめんだと言う空気もあったと言う事です。

月刊現代の記事の中で、興味深い部分があります。
ひとつは防衛省の幹部人事で、官房長にたいしてですが「彼は次官の私に断りも無く、その案を会議に諮るつもりでいたということになる。それで彼に「役人として恥ずかしいと思わないのか。恥を知れ」と叱責したのです。」

もうひとつは、「それよりも、今の私は少々困った問題に直面しています。それは小池さんとの一連の騒動で世間にすっかり顔が知れてしまったことです。
ふつうは省庁の事務次官など、世間の人は名前は知っていても顔はわからないものです。それが先日、所用で長崎空港から壱岐へ向う機中で、隣り合わせたサラリーマン
風の男性から「守屋さんですね、サインをお願いします」と言われて面食らいました。」


夫の地位を笠に着る評判の芳しくない妻共々、間接的とはいえ、税金を使って接待ゴルフ三昧、娘の外国の大学入学から学生生活まで面倒をみてもらい、その上、怪しげな裏金の匂いもする守屋氏には、最初の「役人として恥ずかしいと思わないのか。恥を知れ」の言葉は自分自身に、そして悪人として顔を知られた氏にサインを求める人などもういないという現実は知るべきでしょう。
年齢的に政界への転出は、諦めていたという氏ですが、防衛省の顧問同等待遇で省との太いパイプを持ちつつ、次なる利権を求めて画策していた氏の今後の人生設計は、大きく狂ったようです。
美輪明宏さんの言う、「正負の法則」でいえば、正を長く続けてきた氏も、こんどは思いがけない負の部分を背負うことで、人生のバランスが取れたという事でしょう。
 「この男、俗物なり。」

    

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2007年10月22日 (月)

少し寒くなってきました

Dscn1808_320  今朝、8時の我家の庭での気温は12度でした。多分、早朝は10度前後まで下げたのでしょう。
テレビの天気予報では北海道は寒くなってきて、氷点下を記録したところもあると報じられていました。我家の気温、12度などは、北海道の旭川あたりでは最高気温にあたります。

 東北の蔵王のきれいな紅葉が、今朝のNHKニュースで映されていてまもなく雪で白く覆われるでしょうと伝えていましたが、これからの山は突然、冬の様相を見せることがあります。
昨年10月始めに吹雪の白馬岳で4名が亡くなった遭難事故を思い出しますが、過去、10月の降雪による遭難は多いのです。
下界は、暑さが過ぎたばかりで、山の気温や気象の違いが、実感出来ず、どうしても冬山装備では大袈裟過ぎるとの思いが、疲労凍死という遭難事故につながるのでしょう。僕も自重します。

Dscn1809_320 北海道といえば、名寄からジャガイモを送って頂きました。ジャガイモはじゃがバターで食べるのが一番。
手軽に電子レンジでは10分位が食べごろかと思いますが、蒸した方が食感がホクホクしてずっと美味いです。

 本家農園のジャガイモは女農園主が芽積みや肥料やりに丹精しています。上手く収穫できると良いのですが。
作男の方の超ミニ農園、写真のようにまだピーマンが沢山実をつけ、少しづつですが、収穫しているのです。今年の作男のピーマン育ては、出足こそわるかったものの、その後は大成功でした。        \(^o^/。

我家の前のイチョウも、ここ数日の朝の冷え込みで、だいぶ黄色くなってきました。志木の街にも、秋が深まってゆく気配です。

(写真上から、今朝の庭の温度計、12度を指しています。)
(ややですが、色づき始めた我家の前のイチョウの木)
(北海道のジャガイモ)
Dscn1811_320                             

(我、超ミニ農園のピーマン様、まだ沢山の実がついています。同じところからDscn1807_320数個の実がついたものは、間引いて1個だけ生かすようにしています。作男も腕を上げました)

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2007年10月20日 (土)

隠そうとばかりしないで欲しいーその2

隠そうとばかりしないで欲しいーその2は「年金の資産が消えている?」

 年金記録の消失や、消えた年金、未払い問題だけでなく、国民年金未納者が40%を越えている、厚生年金未加入事業所が増え続けているなど、我が国の年金制度はどうなってしまうのかと暗澹たる思いを、誰もが持っていることでしょう。
今日も、昨日に続き、僕が今よくわからないことシリーズの2、年金の資産が消えている?です。

 国民年金5000万件の記載消失による国民の損失は2兆円を大きく突破するそうですが、その2兆円とやらはどこにいってしまったのでしょう。
また、年金納付記録は調べれば調べるほど、想像以上に酷い状況にあり、現在どういった状況なのか、その全貌をとても発表できる段階で無い事は、想像できます。
それにもまして、200兆円くらいあるはずの年金資金は、現在どうなっているのでしょう。実はこれがかなり危ない事になっているようなのです。

 戦後国民から徴収された厚生年金と国民年金の保険料は約500兆円だそうです。
そのうち、厚生労働省が発表しただけでも7兆円が年金給付以外に使われて消えてしまいました。
実際には発表の7兆円はまやかしで、調査方法を変えるともっと莫大な金額が食いつぶされているようです。
 厚生労働省から発表された主な流用先は
1、旧厚生省の特殊法人「年金福祉事業団」が行ったグリーンピア建設や、住宅融資などに約2兆3000億円。
2、年金相談やシステム経費約1兆9000億円。
3、厚生年金会館や健康福祉センターなどの年金福祉施設建設費約1兆4000億円。
4、年金事務費約1兆円 (この中には、あまりの酷さに話題になった社会保険庁の高官の交際費や職員の娯楽の為のテニスコート建設やゴルフ用品などの流用が含まれていました。)

 流用先となったグリーンピアや、健康福祉センターなどの年金福祉施設を作ることは、社会保険庁の官僚達の大事な天下り先を作る事でもあったのです。
そこでたいした仕事もしないで一定の任期を過ごすことで、多額の役員報酬と退職金を手に入れ、また次ぎの天下り先へと渡り歩いたのです。
 驚くべきはその多額の報酬は国民が納付した保険料を流用したものだと言う事です。
多額の退職金や庶民には納得できない高額の年金を得て、悠々と豪華客船ツアーなどの乗客となって旅する彼らの高笑いが聞こえてくるようです。
本来は、年金給付以外には使用するべきものでない国民の納付した保険料が、呆れるほどザブザブと流用されていたのです。
今尚、給付以外の流用の恒久化を守りこんだ社会保険庁改革関連法が成立していて、流用額は膨らみ続けています。
(注:年金事務費への保険料流用は、橋本龍太郎首相が1998年度から財政構造改革法に基づいて開始したもの。潤沢な年金資産で、年金事務の経費を賄うことにしたが、年金官僚達がいい様に使い始めてしまった。)

危ない事になっていると書いた、われわれ国民の年金原資、150兆円から200兆円といわれる年金資金のうち、80兆円以上が貸し出されて、事実上不良債権化して、焦げ付いているとの情報が流れています。
このあたりの事も、年金記録調査と並行して、本当はどうなのか、単なる憶測なのかを、政府は年金政策の指針の中で国民に知らせる必要があります。将来の年金不足や、消費税うんぬんを言う前に、現在の年金原資の実情を知りたいのです。
将来、本当に年金は支払い続けることが可能なのか、国民は不安に思いながら見守っています。またいつもの背に腹は換えられない論理で、突如年金30%カットなどと言い出すのは止めてください。
同じように、何の為に民営化したのかが改めて議論され始めた郵政の、世界一といわれる資金、郵貯・簡保資金も怪しいを見せ始めました。陰謀渦巻くといった感じです。
この事は後日書く事にします。

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2007年10月17日 (水)

隠そうとばかりしないで欲しい!

 最近の国会質疑での、政府答弁を聞いていると都合の悪い事は、知られたくない、後で辻褄が合わなくなっても、ともかく今は隠せるものは答えない。そんな答弁ばかりが続いています。
質問しているのが、国民の代表であり、国民が知る権利があることを忘れ、党と党の駆け引き的やり取りが目立ちます。

聞いているといらいらするので、僕なりに頭の整理のつもりで、まとめてみます。書き出したら、教科書検定問題と同じできりが無いので簡略にします。

先ず、最近の気になる項目を三つ。(他にも多々有るのですが、先ずはこの3項)
1、インド洋の海上自衛隊給油活動
2、年金の資産が消えている?
3、日本国の借金の現状と増税

今日は、1、のインド洋の海上自衛隊給油活動について(10月18日に追記しています)
 だいぶ前の事ですが、友人が日曜日の午後の品川駅前で、乗っていた車が、追突された事がありました。
相手は低姿勢で、今日この場所で追突した事にしないで欲しい、明日の朝、通勤途中に追突した事にして欲しいと云うのです。
聞けば会社の業務用の車を仕事の都合で家に乗って帰り、日曜日にちょっと別の目的?に使っていたとの事でした。

インド洋上での自衛隊の給油活動問題の質問と答弁を聞いていて、この話しを思い出しました。
米空母に間接的ながらも、補給した事は事実であり、その空母が給油を受けた後、ペルシャ湾内に入って対イラク作戦に従事していたことも判明しています。
それがテロ対策特別措置法の目的内なのか、目的外で、すなわちイラク軍事作戦に従事したのかが 問題になっています。
これは空母や他の艦艇でもそうでしょうが、どこからが海上封鎖作戦か、イラク攻撃か、アフガニスタン作戦かと判定するのは、自動車事故に例えればぶつけた本人、すなわち米軍が正直に情報開示しないかぎり判定するのは難しいと思います。
ましてや追突された方が、すなわち海上自衛隊が実はこっちも隠したい事があるので、協力しあって事を穏便に過ごそうとしているわけですからなおさらです。

自衛隊の給油活動の本来の目的は、洋上でテロを行いそうな船、(こんな船を見つけたという事は聞きませんが)武器を輸送する船を臨検、捕縛、攻撃する為に従事している艦艇にのみ、給油する事が建て前になっています。そんな事が出来難いことはわかり切っているのに、全てをうやむやのまま、いつのまにか日本のシーレーン確保などと問題をすりかえてしまうのです。
国民から見れば、給油された艦艇がアメリカ軍の軍事行動の全てに使用されていることは確実だと思っていますから、4日分の燃料の内、半日分がイラク攻撃に従事していて使いましたなどと言う事よりは、他に知りたいことが沢山あるのです。

「まとめます」

1、この海上給油活動が、日本にとってどんな意味があるのかが、政府は今だに説明しきれていない。国際平和協力活動のあり方が議論されていない。

2、国際貢献というが、国際的に本当に評価されているのか。無理に評価させようとしているだけではないのか。総量の73%は米国の艦艇への給油である。
建て前は国際協力、実は対米協力という矛盾をどう説明できるのか。
日本は、アフガニスタンに対してこれまでにも、給油活動とは別に1300億円もの復興支援を行っている。給油活動だけを声高に叫ぶ前に、アフガニスタンに対して何が出来るのかを探り、国民に説明すべきではないのか。
アフガニスタン国民の大多数は、日本の海上給油活動など、ほとんど知らないという。

3、220億円(防衛省資料だが、実際にはもっと高額らしい)もの油を、日本の補給艦はどの国で、どんな価格で購入しているのか。
アメリカ資本系の石油会社から、高値で購入しているらしいとも噂されているが。もしそのアメリカ系石油会社が売却利益を出しているとしたら、そんな納得できない話しはないのでは。
10月17日に、TBSラジオに出演した自民党の山崎 拓氏は、オマールの港に戻って給油しているようだが、細かい事はわからないと言っていた。
(防衛省資料による今年夏までの給油の総量は、わかりやすく計算してみると70リットルタンクの乗用車を満タンにして、700万台分)

4、何故、米国の補給艦に給油しなければならないのか?。
米国の補給艦がオマールなどの港に戻ると、テロ攻撃の対象になるというが米国の補給艦だって油以外のさまざまな物資を補給しに、港に戻っている筈である。カラクリがわからない。

5、実際には80万ガロン(1ガロンは約3.8リットル)を給油したのに、それでは空母が遠くまで行動できるから、20万ガロンと報告しろとか、
補給艦の都合の悪そうな時期の航海日誌だけを、間違って破棄してしまったとか、
日本の補給艦からの燃料油でないと英国やパキスタンの艦艇はエンジン不調になるとか、
日本が給油活動を止めると給油を受けている諸国の海軍は、4割の活動低下になるなどの、見え透いた嘘が、何故堂々とまかり通るのか。

この項、思いついたら又書き足しますが、2回目は 「2、年金の資産が消えている?」です。

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2007年10月16日 (火)

躍動する犬たち

Dscn1742_320 先日行った四万温泉行きのバスツアーの途中で寄った、伊香保のグリーン牧場での事です。

広大な放牧場に散らばっている羊を、シープドッグと呼ばれる犬たちが、羊飼いのホイッスルを合図に、追いたてて集めるショーを見ました。

犬はニュージーランドの牧羊犬・ニュージーランドハンタウェイです。
ワンワンと吠えながら牧場のあちらこちらに放牧されている羊達を、山の上から下の会場に向けて移動させます。
Dscn1744_320羊飼いだけではとても出来そうもない事をやってのける犬たち。
広い放牧場を縦横に走り廻って羊達を追いたてる、その生き生きとした犬の動きは見ていて気持ちの良いものでした。

ニュータウン内を散歩させている、少し太って、服などを着せられてよたよた歩く犬とは、全く違った躍動感溢れる犬を見ることができました。

(写真上、羊があちこちに散らばっているシープドッグショーの行なわれる広い放牧場。)
(写真下、この2頭のニュージーランドハンタウェイが、凄い速さで放牧場内を走り回って羊たちを追いたて、1箇所に纏めてしまう)

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2007年10月15日 (月)

難関、一級建築士試験

昨日(10月14日)、今年度の一級建築士試験の製図試験が行なわれました。
課題は「子育て支援施設のあるコミュニティセンター」です。

製図試験に先立ち、学科試験は7月22日に実施され、9月11日に結果発表がありました。
受験者数=43、566名 合格者数=4、936名 合格率11.3%の難関でした。

昨年の学科試験も、合格率10.0%でしたから、この2年間、学科試験に合格するのがかなり厳しくなっています。耐震偽装問題と無縁ではないでしょう。

当然、学科試験に合格していないと、次ぎのステップである製図試験を受験できないわけですから、一級建築士への道は厳しいのです。

もし製図試験に落ちても、学科試験合格者はもう一度だけ再受験する機会が与えられますので、今年の製図試験は、昨年の製図不合格者も再受験します。

それでも、製図試験は3人に1人しか合格しませんので、昨年の一級建築士合格者は、3、579名で、総合合格率は7.4%でした。。
今年も、製図課題に苦戦する受験者が多いでしょうから、やはり総合合格率は7パーセント程度でしょう。100名受験して7名の合格ですから、一級建築士への道は狭き門です。

しかも、耐震偽装問題で、急遽改正された建築士法により、平成21年度からは、一級建築士試験が、資格、受験科目等で大幅に改正されてしまいます。
さまざまな問題を抱えて、建築士制度が大きく変わろうとしています。
従来の試験制度では来年の平成20年度試験が最後のチャンスとなります。
今年失敗した受験者の皆さん、もう一度頑張ってみましょう。
試験制度が変わることによる何らかの救済処置という、好運もあるかもしれません。

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2007年10月14日 (日)

佐島漁港で遊ぶ

Dscn1800_320  (神室山登山記が書きかけですが、ちょっと海に飛びます)
 昨日は、以前にもブログで書いたことのある、佐島のセミプロ漁師の友人の船で、友人3人と湘南の佐島漁港で釣を楽しみました。
 このセミプロ漁師の友人、奥さんの父上が佐島のベテラン漁師という、羨ましい境遇にありながら、どうも釣は嫌いだなどと贅沢なことを言います。
 しかし、義理の父上の信頼は絶大で、ついて行く僕達までもが歓迎されます。ほとんど船には乗らなくなったとはいえ、職漁師として長年海で暮らした父上の顔は、潮に焼けて貫禄のある実に良い顔をして、やさしく僕達を迎えてくれまDscn1802_320す。
今日は凪だという父上の声に送られて、船を出しました。
 漁船に僕達のような素人が乗りこんで釣をするのは、漁業権的には問題もあると思うのですが、僕達はあくまで船長であるセミプロ漁師さんの手元です。手元といいながら、船長に面倒をかけて貪欲に釣に集中するのは僕達です。
堤防から外に出ると、波も無く、うす曇の絶好の釣日和です。
佐島マリーナ付近は、今リゾートマンションブームで、船から、建設中の建物が幾つも見えます。
Dscn1803_320沖には、イナダ狙いと思われる乗合船が十数隻も、ひとかたまりに集まって、船団のようでした。
こちらは、その船団から少し離れたところで、竿を出しました。仕掛けは、船長と、友人が、全て準備してくれます。
僕は山道具とテンカラ仕掛けにはこだわるのですが、海釣りだけはいつも人任せで、迷惑をかけています。
今日はサビキ釣り仕掛けですが、テンカラ釣りの毛鉤1本に集中する釣りになじんでいるせいか、5本から7本もついている海釣り仕掛けは、すぐに糸が絡んでしまいどうも苦手です。
最初に友人G君が吊り上げたのが、写真の小ぶりのイナダ。以後、大型のアジと、イナダ、それにサバ混じりで、強い引きを楽しみながらの釣が続きました。
船長がサバは海に戻そうと言うので、ちょっと残念でしたが、放流しました。
釣り上げたばかりのアジとイナダを、船長が手早く刺身にしてくれました。こんな友人をもてた事を神に感謝しながら、その旨さを堪能しました。
アジとイナダを比べるとどちらも美味ですが、僕はアジの旨さに軍配を上げます。
やがて、魚群が回遊しなくなったのか急に釣れなくなったので、切り上げて戻る途中、港内でキスを狙いましたがこちらは残念ながら不漁でした。
楽しい釣りに誘ってくれた、友人に感謝して逗子駅まで行き、始発の湘南ライナーに乗り込みました。
逗子では空いていた車内も、鎌倉駅と北鎌倉駅からは、秋の古都鎌倉散策を楽しんだらしい人達が大勢乗りこんできました。この湘南ライナーが走ってから、逗子駅から池袋までが約1時間で結ばれ、非常に便利になって、湘南の海からの帰りがとても楽になりました。
(写真上、友人が揚げた最初の一匹。イナダです。)
(写真中、釣果の一部、船内で刺身にして、食べました。)
(写真下、夕方の佐島漁港。背景の建物は、佐島マリーナホテル。)

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2007年10月11日 (木)

船形山と神室山へ その2

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Dscn1772_320 神室山(かむろさん)へ
10月6日(土)
鬼首温泉の快適な宿で、ゆっくりと温泉に入って昨日の船形山の疲れをほぐした僕達は、今日は、神室山(1365m)に登ります。
昨日よりは、厳しい登りの山です。
 宿の旨い朝食を食べてから出発したので、早立ちの筈が少し出遅れました。これが後半にひびく事になりました。
7.25 鬼首温泉発。
国道108号を、鬼首トンネルを越えて、秋の宮温泉方面に向う。鬼首トンネル内に秋田県の標識があった。
Dscn1774_320宮城県から秋田県に入ったのだ。
山間部の寂しげな秋の宮温泉郷を過ぎる。今日は下山後ここに宿が予約してある。
このあたり、小野小町の生誕の地と言う事で、それにまつわる看板が多い。
秋の宮温泉から約6kmほどを、中山小学校を目指して走る。
小学校前の交差点を左折し、橋を渡って役内部落を抜け、舗装の切れた道をしばらく進むと、古い壊れそうな鳥居が建っている十字路にでた。ここを右折した。
ダートの道は荒れてはいるが、昨日のDscn1782_320舟形山ほどではない。
でこぼこ道を走る事2kmほどで登山口の駐車場に着いた。車は10台以上置けるスペースがある。
登山口駐車場着8.15。
ここから右方向の道を登るのが、パノラマコース、林道を直進するのが西ノ又コースである。
僕達は、西ノ又コースから登り、パノラマコースを下山の予定である。
登山口駐車場着発8.30。
10分ほど林道を進むと、標識があり西ノ又コース入口着。
ここから樹林帯を進む。
8.55 第1吊橋着。ワイヤーロープとアルミ足場板で作られた吊橋は渡って行くとゆらゆらと揺れる。
この吊橋で西ノ又沢を左岸から右岸に移り、しばらく沢を右手に見て樹林帯の中を登って行く。緩い登りである。
9.20 第2吊橋着。
第1吊橋とほとんど変わらない形状だか、こちらの方が長くて傾斜もついている。
ロープに掴まりながら、高度感のある踏板の上を歩き対岸で休憩。

9.30 第2吊橋発。
沢を左手に見ながら、緩い傾斜の樹林帯を登る。沢音は聞こえるが、沢がどんどん下方になる登りである。第3渡渉点は沢を横切るはずなので、あまり沢から離れたくない気持ちだ。
小さな沢を横切り尚しばらく登ると、正面左手の沢の対岸に三十三尋の滝が見えてきた。尋とは両手を左右に広げた時の両手先の長さ、すなわち約1.5mである。
三十三尋とは約50mの落差の滝だが、実際は40mほどだろうか、幾筋もの水が流れ落ちる美しい滝である。
滝が見えれば西ノ又渡渉点だとほっとしたら、歩くこと数十メートルであっけなく渡渉点にでた。

10.45 西ノ又渡渉点着。
第2吊橋から、ここまでの登りは楽だった。ここで、早めの昼食にしようとと、鬼首のコンビニで買ってきたおにぎりを食べ休憩する。
廻りの広葉樹は、紅葉には早いようだ。
ここにくる迄でに、数人の男女のグループ登山者が僕らを追い抜いていったが、休憩中にまた単独の男性が通過していった。
聞けば今朝、茨城県の守谷を車で出て、東北自動車道を通って登山口に着き、ここまで僅か1時間で急ぎ登って来たようだ。驚くべき俊足である。

11.05 西ノ又渡渉点発。
幸い沢の水量が少なかったので、石を数個飛び移って濡れずに渡れた。ここは水量が多いときは、渡渉に難渋するだろう。
渡渉点から、少し登ると不動明王の広場を通過、ここには石の祠があった。
ここから、ブナの樹林帯の急登になった。案内書にある「胸突き八丁坂」だ。案内板も立っている。
確かに急坂だが、足場がきれているので、わりとリズム感よく登れるので楽だ。
ここは高度を一気に450mほど稼ぐことになる。時々、ブナの大木がある。
樹林帯だが、前方に青空が覗く。天気は良くなりそうだ。ゆっくり登る。
熊のひるね坂と呼ばれている付近で10分休憩した。

12.15 着、休憩 12.25
急坂をやっと登りきると、樹林帯が終り、正面に前神室山と神室山を結ぶ稜線が良く見える潅木の尾根に出た。紅葉が始まっているようで、山肌が赤い。
途中で早くも下山してきた、西ノ又渡渉点で追い抜いていった守谷から来た単独行の登山者と出会う。なんと言う速さだ。
草紅葉がきれいだと言い残して、風のように下っていった。駐車場に戻り、それから和賀岳の登山口まで行くとのことであった。200名山を登っているようだ。
歩きやすい緩やかな尾根道を進むと、御田の神のあるミヤマ平に到着した。

13.10 御田の神着
登山道横に小さな祠があった。お地蔵様がニ体祭られているようだ。
ここから草原状になり、小さな池塘も見られる。リンドウの群落がきれいだ。
山にいる喜びを感じる快適な尾根道をゆっくりと登る。頭上に青空が広がり、廻りの山がすべて見える。

13.40 西ノ又コース分岐点着。
 分岐点と書いた標識があり、神室山へ0.4km、前神室山へ1.6kmと書かれている。ここから、いちど下って神室山に続く稜線を登る事になる。両側が切れ落ちているが、危険は全く感じない。しいて言えば小さな岩場が有るので左側に転落しないよう注意した。
晴れ渡った空に、神室山の山頂と、頂上から右に少し下がった場所に避難小屋の赤い屋

14.05 神室山山頂(1365.2m)到着。
遂に山頂到着だ。友人の200名山が1座増えたことを喜び合う。
山頂には誰もいなかった。先行していたパーティは、もう下山したのだろう。360度の眺望は素晴らしい。
尾又山、火打山、栗駒山、虎毛山などが見える。遠くにひときわ大きくそびえている独立峰は鳥海山だ。日本海方面に向けて、長い斜面が伸びている。
この眺め、とても1365mの高さの山頂とは思えない大眺望である。
頂上から少し下ったところに、赤い屋根の避難小屋が建っている。2年前の2005年5月から、老朽化の為、使用できなくなっているようだ。湯沢市、金沢町などの財政難で再建が難しいとの事だが、この場所の避難小屋の価値は高い。登山者の安全の為にも、再建されるとよいと思う。
休んでいると単独の男性登山者が登ってきた。今日は頂上付近で幕営し、縦走をするつもりだとの事、小屋の様子を見るといって降りていった。
山頂の展望を充分楽しんで、下山する。
14.40 神室山山頂発。
登ってきたコースを、西の又コース分岐点まで戻る。
15.00 西の又コース分岐点通過。
前神室山への尾根に、登山道が伸びている。しばらく進むと、尾根の岩に国定公園神室山と書かれた銅板のレリーフが取りつけられていた。地図にある鏑山大神宮は気付かずに通りすぎてしまった。
この付近は紅葉の中の道を進む。山が赤く染まっていて素晴らしい。
有屋口コース分岐を過ぎ、いちど鞍部に下り、水晶森分岐を左に分けて、前神室山への登りにかかる。
16.05 前神室山山頂着。
振り返ると、神室山がかなり遠くに見える。1時間でかなり歩いてきた事を実感する。山頂(1342.2m)には、標識が立っていた。
16.12 前神室山山頂発
尾根道を下る。ピークとは呼べないが、第3ピークと書かれた札が木にぶら下がっていた。
16.35 第3ピーク
樹林帯に入り、ざんげ坂を下る。歩き難い道ではないが急傾斜である。途中ざんげ坂と書いた板が木に取り付けられていた。
夕日に染まる鳥海山が見える場所があった。
16.50 ざんげ坂
ざんげ坂を下ると、また登り返して第2ピークに着いた。
17.10 第2ピーク(1095m)着。
17.20 第2ピーク(1095m)発。
単調な樹林帯の道が続く。足元が暗くなってきたので、ヘッドランプを点けた。
17.32 第1ピーク(1040m)
急傾斜ではないが、直線的に下る道が続く。登山口まで、まだ標高差600mある。ゆっくり降りる。
18.40 いっぷく平(700m)
いっぷく平と書かれた標識があった。相変わらず直線下りだ。遠くに役内集落と思われる灯かりが見える。下に沢音が聞こえるが、なかなか登山口に着かない。
歩いているわりには、標高も下がらず、時間も遅くなり少しあせる。
沢音が大きくなり、駐車場かと思ったが、まだ先があった。道が緩やかになった先に、ヘッドランプに浮かび上がる車を見て、ほっとした。無事下山したのだ。
19.33 西の又コース登山口着
今日の宿、秋の宮温泉郷に向けて急ぎ林道を走り、国道108号に向った。
20.10 秋の宮温泉郷の宿到着。

Dscn1783_320

根がはっきり見えた。 

Dscn1784_320

(写真上から1枚目、西の又コース分岐より、前神室山へ向う。すぐ先が銅板レリーフの取りつけられた岩)
(2枚目、第2吊橋、高度感がある)
(3枚目、三十三尋の滝、ここが西ノ又渡渉点)
(4枚目、西の又コース分岐点)
(5枚目、神室山に向う。山頂と右手の肩に避難小屋が見える)
(6枚目、神室山山頂、360度の大展望)
(7枚目、前神室山より見た神室山方向、後ろのピークが神室山)
(8枚目、前神室山山頂の標識)

Dscn1790_320

Dscn1791_320

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2007年10月10日 (水)

作男、ジェームス・ディーンになる

Dscn1798_320 作男「農園主様、だいぶジャガイモの芽が出ましたです。」

女農園主「あなたが、山仕事に行っている間に芽が出始めたのですよ。山仕事大変でしたね」

作男
「なんの、山さ、看回ってきただけだに、(-_-;)」「これ、山番が農園主様にお届けしてけろって。」

女農園主
「あらら、仙台の牛タンよ?。キノコや栗で良かったのに。へんな山番さん。」

作男
「---(>_<)」

女農園主
「今日は、ジャガイモの芽かきをしますよ。」

作男
「おら、芽かきは苦手です。どれも可愛くて抜けないだよ。それよりエデンの東で、ジェームス・ディーンが畑に腹ばいになって、伸びた芽をみつめるシーンがありましたです。あの気持ちわかるです。どれ、おらも横になってと。」

女農園主
「ジェームス・ディーンさんは、私が生まれる前に、自動車事故で死んだ俳優さんでしょ。」

作男
「生まれる前!!」

女農園主
「それより、あなたはジェームス・ディーンと言うより、殿山泰治さんみたいよ。そんな腹ばいになっていないで、芽かきをしましょ。おいやですか。」

作男「め、滅相もありません。や、やりますです。」

(写真上、9月23日に植え付けたジャガイモの種イモが芽を出しました。1個の種イモからでた全ての芽を伸ばすとイモの数が多くてイモが大きく育たないので、10~15cmに伸びた芽を生育の良いもの1,2本残してかき取ります。
女農園主さんは、ためらい無く芽をつんでいきますが、作男さんは、どうもかき取りがにがてのようです。
芽かき後に、株間に化成肥料30g/㎡を追肥し、くわで土を軽く寄せておきます。)

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2007年10月 9日 (火)

船形山と神室山へ

Dscn1764_320 200名山登山も残すところ約20座ほどになった友人と、残している山の二つである船形山と神室山に行ってきました。共に山形、秋田、宮城の県境にある山です。
10月5日(金) 形山
 朝の10時に東北新幹線の古川駅で友人と待ち合わせ、レンタカーで東北自動車道の古川ICから大和IC経由で、国道4号、457号、県道147号を通り、大和町から登山口の大滝野営場に到着。
 
 色摩町から入るより道は良いと聞いてはいましたが、長い林道はかなり荒れてDscn1765_320おり、レンタカーのビッツではちょっと厳しい道でした。

今日登る船形山は、最短距離で登ると約2時間で頂上に至るわりと楽な山です。12時半と遅い時間ながら、夕方までに下山できればと出発。

 大滝野営場からは、美しいブナ林の中の登りを、1時間ほどで、小野田分岐着。さらに1時間歩いて、形山頂上(1500.2m)に到着。残念ながらガスがかかり展望は全く駄目です。
頂上付近は草原状ですが、やや紅葉している程度でした。
頂上に有る船形山頂避難小屋は、整備も良く、清潔で快適に泊まれそうです。
天候も悪く、時間も遅いので往路を下山して大滝野営場に戻りました。
登山者とは、下山してくる数人と出会っただけの静かな山でした。

Dscn1766_320 また、ガタガタの林道を石を除けながらゆっくり走り、国道457号に戻って、鳴子温泉経由で約2時間かけて鬼首温泉の宿に19時到着しました。
明日は、神室山に登ります。

写真上、船形山山頂付近の登山道では、紅葉が見られました。)
(写真中上、山頂の標識)
(写真中下、頂上にある船形山頂避難小屋、内部もきれいで良く整備されている快適な小屋です。水場はありません。)
(写真下、登山口の大滝野営場。最近Dscn1767_320の山では何処にでもある、熊出没注意の看板がこの野営場の中にもありました。正直、熊さんとは出会いたくはありません。)

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2007年10月 4日 (木)

白と赤

Dscn1752_320  白の彼岸花が咲いているとのS通信員の情報で、今朝、自転車で見に行きました。
自転車のペダルを漕ぐ事約15分、志木市役所近くの新河岸川左岸に到着。いろは橋の少し下流です。
 想像したほどには多くは咲いていませんでしたが、珍しい白い彼岸花に会えました。
河川の清掃活動をしている志木市の「川と街をきれいにする運動推進協議会」が、創立35周年を記念して、白色種の球根3500株を、植えたそうです。

Dscn1755_320ロープで囲んで保護されていますが、廻りからよく見えます。
今年の開花は100輪程と少なかったようですが、来年3500株全部が咲き揃ったら見事な白花の群落になる事でしょう。

この白い彼岸花が咲いている近くの土手に、赤の彼岸花が咲いていました。左を見ると白、右手に赤と2色が同じに楽しめました。

(写真上、白の彼岸花。今年はチラホラだが、来年が楽しみです。)
(写真下、白の彼岸花を植えた場所の近くの土手には赤色が見られます。)

(明日から、東北地方にある日本200名山、神室山と船形山を登りに行きますので、3日程ブログを休みます。
戻りましたら山の事や紅葉情報を書きます。
それと5年で100湯目標の温泉巡り、2年が過ぎてまだ31湯です。40湯は欲しかったのに。こんどは最低でも3湯は稼いでくるつもりです。)

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2007年10月 3日 (水)

「軍関与削除 見直しも」 昨日の続き

昨日の続きです。
ここで、審議会で検定意見がついて記述内容のの修正が行なわれた教科書会社各社の修正内容を見てみましょう。

山川出版社(日本史A)
 申請段階 日本軍によって壕を追い出され、あるいは集団自決に追い込まれた住民も   あった。
 修正後   日本軍に壕から追い出されたり、自決した住民もいた。

東京書籍(日本史A)
 申請段階 日本軍がスパイ容疑で虐殺した一般住民や、集団で自決を強いられたものもあった。
 修正後   集団自決に追いこまれたり、日本軍がスパイ容疑で虐殺した一般住民もあった。

三省堂(日本史B)
 申請段階 日本軍に「集団自決」を強いられたりーーー
 修正後   追いつめられて「集団自決」した人やーーー
 
実教出版(日本史B)
 申請段階 日本軍のくばった手榴弾で集団自害と殺しあいをさせーーー
 修正後   日本軍のくばった手榴弾で集団自害と殺しあいがおこった。

実教出版(日本史B)
 申請段階  日本軍により、県民が戦闘の妨げになるなどで集団自決に追いやられたりーーー
 修正後  県民が日本軍の戦闘の妨げになるなどで集団自決に追いやられたりーーー

清水書院(日本史B)
 申請段階  日本軍に集団自決を強制された人もいた。
 修正後   集団自決に追い込まれた人々もいた。

 検定意見は全て、「沖縄戦の実態について誤解するおそれのある表現である」
 
これを読んで、不遜なことを言うようですが、これだけなのと思う方もいると思います。そうなのです。

 産経新聞の社説で下記のように書いています。
「文科省の検定意見は、日本軍の命令によって住民が集団自決を強いられたとする誤った記述に対して付けられたものだ。軍の関与や体験者の証言を否定しようとはしていない。 」

これが、記述に誤まりがあると言い張る論調の最も代表的な例です。これと同じレベルの意見や、座間味島の将校の軍命令の有無だけを虚構として、沖縄全体の軍の関与、強制の事実を消し去ろうとする論調が多いのです。

反論します。
 
記述が修正された教科書をよく読んでも、「日本軍の命令によって」などの記述は無いのです。
もうひとつ反論します。
 
産経新聞の「軍の関与や体験者の証言を否定しようとはしていない。」
何を言わんかです。よく読んでみて下さい。住民の集団自決に軍が関与、強制したとの記述が、誤解する恐れのある表現として削除するよう指導したのです。

もともと、教科書には「軍の命令」とか「住民の証言」などを書けば、必ず削除修正が求められるし、審議会以前の問題として、文部科学省の調査官のご機嫌を損ねる事になり、そんなことは教科書会社も執筆者も避けなければならなかったのです。
調査官の偏向した意見が、まかり通っていたのです。検定制度そのものに問題があるのです。

 同じ産経新聞に書かれた、検定撤回勢力が「県民感情」を利用して歴史をゆがめ、反軍、反国家、反体制運動を展開していると声高に叫ぶ藤岡信勝氏の意見は、沖縄住民には絶対に理解されないでしょう。
 沖縄戦の集団自決を記述した教科書検定問題は、これからも議論が続く事でしょう。
しっかりと見届けたいと思います。
 いちおう、今日でこの問題のブログは終ります。理由は、あまりにも精読しなければならない資料が多すぎて、とても時間が取れないことに尽きます。
 最初は、沖縄のニュースが、本土で大きく取り上げられていることを知らせたかっただけだったのです。
 このブログを読んだ沖縄の友人からメッセージが届き、激励された事が一番の収穫でした。

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2007年10月 2日 (火)

「軍関与削除 見直しも」

書き始めると膨大な事になりますので、押えながらもう少し集団自決の教科書検定について書かせてもらいます。
「軍関与削除 見直しも」
今日の毎日新聞朝刊一面の見出しです。
沖縄の皆様、9月29日に行なわた集団自決の教科書検定意見の撤回を求める沖縄県民大会関連のニュースは、その後も連日、本土の新聞、TVで大きく報道されています。
今夜、7時のNHK.TVでもトップニュースに準ずる扱いでした。
沖縄の県民の願いが結集した力は、政府にかなりの衝撃を与えています。実は、これは教科書検定問題だけでは無い事は、一昨日のブログに書いたとおりです。

いつもながら、政府は沖縄の不信や失意を真に理解しておらず、状況を甘く考えていました。
今、慌てて教科書の記述を見直すなどの小手先の対処で収拾できる問題ではないという事を知るべきなのです。

 この、沖縄県民の抗議を、教職員組合の煽動に、高校生が踊らされているとか、地元紙2紙(沖縄タイムス、琉球新報)が扇情的な記事を連日大々的に掲載し、県民感情を煽っているとか、県の自民党組織までもが検定撤回を支持しているのは愚の骨頂だなどの論評をする評論家達は、物事の真実を正しく見極める努力を回避し、狭い視野のなかで右傾勢力に阿っているとしか考えられません。

 しかしこの2日間で、流れは大きく変わり始めました。
 そんななか、町村官房長官は、教科書から削除された日本軍関与の記述の修正を文部科学大臣に検討するよう指示したことを明らかにしました。
これを受けて、渡海文部科学大臣は、「沖縄県民の気持ちを受け止め、何ができるかいろいろと考えてみたい」と語り、事実上の軍関与削除の見直しを検討せざるを得ない事を認め、従来の政府方針の転換が行なわれる事は確実になってきました。

 今日の毎日新聞夕刊を読むと、教科書数社「月内にも訂正申請」と題して、複数の教科書会社が日本軍の強制性に関する記述の訂正申請をする方向で本格的な検討を始めたと記されていますので、他の出版社もこれに追随すると思われます。
 訂正申請が提出されれば、再度検定審議会で審議される事になるでしょうが、渡海文部科学大臣が「訂正申請が出てきたら、真摯に対応したい」と述べていますので前回のような調査官の意向は反映されないと思います。
前回の審議会に関係した文部科学省の職員の移動も行なわれるのではないでしょうか。

 「文部科学省の検定方針を貫け」などの社説で、検定方針に意を唱えることは誤まった考えであると強調してきた産経新聞などは、裁判で争われている一部の集団自決事件の軍命令の有無で、沖縄戦全体での軍の関与、強制なども否定する論調を張っています。これは、藤岡信勝氏、櫻井よしこ氏などにも共通しています。
 なお、文部科学省の検定を良しとしてきた産経新聞は、沖縄の抗議集会や関連ニュースの報道に急に消極的になってしまいました。おかしな事です。
ここで、審議会で検定意見がついて記述内容のの修正が行なわれた教科書会社各社の修正内容を見てみましょう。

 書きかけーー続く

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