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2007年8月 3日 (金)

ストーンサークルと蛭が岳と土偶ー2

Holtukaidou Tabata1                                  
2枚の写真を見比べてください。似ているといえば、似ています。左は昨日書いた国宝「著保内野(ちょぼないの)遺跡土偶」の頭部だけを僕が拡大した写真。
右は東京都町田市の田端東遺跡で1987年に見つかった大型中空土偶の頭部と見られる物、胴体部分は未発見です。写真のように高さ7・2センチの頭部だけですが、全高は30センチ以上あったと推定されています。胴体部分が発見されていれば、国宝とまでいかなくとも重文くらいには指定されたのではないかと思います。
 右の写真の頭部にある筒状のものは、左にもついていたが、破損欠落したと推定されています。
 どちらも東北地方で、同じ集団が作ったのではないかと推定されているそうですが、どうして東北地方とわかったのかなど、詳しい事はまだ調べていません。ひとつは北海道、もう一つは関東地方、誰の手で、どんな経路で運ばれたのでしょうか。東北地方で同じような土偶が発見されると、謎の解明に近づくのですが、まだ発見されていないようです。
ところで、2つの土偶の発見場所の近くで、どちらにも墓地や祭祀場と見られる環状積み石遺構(ストーンサークル)が見つかっていて、土偶との関連が指摘されていますが、まだほとんど解明されていません。土偶と銅鐸は、まだしばらくは古代史の謎のまま残るのでしょう。
http://www.city.machida.tokyo.jp/shi/leisure/meisho/bunpuzu/bunpuzu04/index.html 町 田市田端環状積み石遺構
 ところで、この2つの土偶にそれぞれ興味深いことがあります。国宝の「著保内野(ちょぼないの)遺跡土偶」は、発見者の所に、真偽はわからないが闇の帝王と呼ばれた悪名高い右翼の大物、児玉誉士夫の使者と名乗る人物がきて、町に寄贈してしまった土偶をとり返してくれたら金は幾らでも出しましょうといったそうです。北海道からこのタイプの土偶が発見されると、日本の歴史観に影響を与えるなにかまずい事があったのでしょうか?。(ミステリー1)
次ぎに田端東遺跡の土偶発見場所近くの町田市田端環状積み石遺構では、冬至の日の夕日が、丹沢の蛭が岳の山頂に沈むのが見え、それと蛭が岳には大日如来が祭られていたとのことからストーンサークルの祭祀との関連があるとの研究成果が発表されています。
僕には、はるか遠くに見える山並の中の蛭が岳より、近くの三角錐の独立峰である大山であれば信仰の山でもあり、この冬至の日没説はすんなり受け入れられるのですが?。
 5月に蛭が岳に登った時、山小屋の主人に、山頂に大日如来が奉られていたかの真偽を聞いたのですが、薬師如来の間違いではないか、その昔、山頂に薬師如来が祀ってあったので薬師岳の別名がありますが、今は山の神が寂しく祀られていますとの返事でした。(ミステリー2)
 2つの土偶に関するふたつのミステリーでした。これ以上、深入りはしないようにします。時間が幾らあってもたりません。
Hiruga2_320

(写真左、謎の山、蛭が岳の山頂。夕日と日の出の時の富士山はそれぞれ美しい。ストーンサークルから、かすかに見えるという富士山との関係も考えてしまいます。)

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