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2007年8月31日 (金)

最上川から羽黒山へ

Dscn1698_320 東北最後の夏祭り、華麗な「新庄まつり」を楽しんだ僕達は新庄市を後にして、娘家族の待つ陸羽西線の高屋駅に向いました。
 レンタカーはトヨタのベルタ(BELTA)、P2クラスの車です。始めて乗りましたが、姿もシンプルで好感が持てますし、なによりP1クラスのヴィッツに比べると、軽快で、エンジン音が遥かに静粛。また乗っても良いと思わせる車です。

 単線非電化、無人の高屋駅のやけに広い駐車場でチビスケ達と合流。駐車場から最上川までの短い坂道を下ると、Dscn1700_320そこが船下りの船着場でした。「義経ロマン観光」の船は、いちど川を遡り、元の船着場に戻るコースで、途中義経ゆかりの仙人堂に立ち寄ります。

心地よい川風に吹かれ、社長兼船頭にして作家、芳賀由也さんの愉快な話しを聞きながら、船中でお弁当を広げました。
そうか、義経主従はこの川を上り、芭蕉は下ったのか。当時の最上川船旅と、義経主従と別れて仙人堂を建立した常陸坊海尊に思いをはせつつ、約1時間の船下りを楽しみました。
Dscn1702_320 義経と芭蕉のロマンの旅は、チビスケ達にはちょっと難しすぎたようでしたが。
  「五月雨をあつめて早し最上川」 松尾芭蕉

 最上川と別れ、明日の月山登山のため、志津温泉に向う途中、羽黒山によりました。月山、羽黒山、湯殿山、合わせて出羽三山と呼びます。西の熊野と並ぶ修験の地として古くから栄え、庶民にとっての霊場でもありました。
 
 羽黒山は「現在」、月山は「過去」、湯殿山は「未来」を表し、三山をこの順に巡ると死と再生を体験できるといわれています。ここを訪れる信者が身に着ける白い装束は、死装束と産着を意味しているそうです。
 山頂には出羽三山神社があり、月山、羽黒山、湯殿山の三神を合祭した三神合祭殿に参拝しました。この祭殿の厚さ2mもある巨大な萱葺き屋根は見る者を圧倒する迫力があります。

 ここから、2446段の階段のある参詣道を下ります。杉の巨木の続く鬱蒼たる森の道です。チビスケ達が駆け下ろうとするのを、押えながら清澄な空気の中をどんどん下ります。途中で一休みした二の坂茶屋からは、遥か日本海に浮かぶ飛島が見えました。
約50分の歩きで、さすがに長い階段を降りきると、国宝の五重塔がありました。色彩のないその巨大な塔は、廻りの杉の巨木と同化したかのようにすっくと建ち、700年の歴史の重みを感じさせてくれました。
 駐車場に戻り、志津温泉に向うことにします。明日はチビスケ(小3)と父親、そして僕との3世代3人での月山登山です。
 (写真上、出羽三山神社の三神合祭殿)
 (写真中、参詣道の途中で山伏達に先導されて登ってくる信者の一団に出会った。その吹き鳴らすほら貝の音が、森の中に響き渡り、我がチビスケ2人は、何事かとかなり怯えていた)
 (写真下、国宝の五重塔、大きく迫力がある)

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2007年8月29日 (水)

新庄まつりへ その2

Sinzyou_3208月25日
 いよいよ本祭りです。メーンイベント、神輿渡御行列は、新庄藩6万8千2百石の戸沢氏の居城であった新庄城址から始まります。そう、新庄市は古い城下町なのです。
新庄城は、1625年の完成以来、長く新庄藩政の中心となっていましたが、明治戊辰戦争で、あの藤沢周平さんの小説を元に映画化された「たそがれ清兵衛」「隠し剣鬼の爪」「武士の一分」「蝉しぐれ」の海坂藩のモデルとなった庄内藩に攻められます

 新庄藩は奥羽列藩同盟から、途中離脱して新政府側につき、いったんは同盟軍を総崩れにする戦果をあげますが、これを知った庄内藩の報復の猛攻撃にあって新庄城は落城し、城下町は火の海となったのです。
 この攻撃をしたのが、庄内藩第二大隊・大隊長酒井玄蕃です。彼は官軍に対して1歩も引かず、連戦連勝を続けた若きヒーローです。
いかん脱線し始めました。なにしろ我が先祖が徳川の禄を食んでいたものですから、どうしても反官軍になってしまうのです。いまもって薩摩、長州より会津が好きです。
この酒井玄蕃については、書きたいことが沢山ありますのでこんどまとめて書きます。

 さて、新庄城跡天満神社のご神体を神輿に遷す神事が終ると、いよいよは市内を駅に向かい、そして市内を巡ります。行列の後からは宵祭りを華やかに彩った山車が、続きます。
僕たちは、昨夜と同じ駅前通りで、古式豊かな神輿渡御行列の傘廻しの妙技や、挟箱や熊の積毛を持つ伊達組衆の息のあった演技を大勢の見物客に混ざって楽しみました。
 
 昨日も21台の山車を引く大勢の小学生や、囃子若連の若者達の元気な姿に驚かされましたが、今日も神輿の警護にあたる藩士の姿に扮した200人以上の市民の、伝統ある祭りを盛り上げる姿に感動しました。

 まだまだ続くパレードに名残を惜しみつつ、明日の月山登山に同行するチビスケ達の待つ最上川に向うべく、駅近くのレンタカー店に急ぎました。
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(写真、上から5枚はDscn1691_320神輿渡御行列)

(写真いちばん下は、囃子若連の演奏、こんなチームが20以上ある。沢山の若者達が参加することに驚いた)

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2007年8月28日 (火)

新庄まつりへ

Ag28001_320  8月24日、大宮駅から山形新幹線で約3時間、新庄駅に降り立つと、もう祭囃子が聞こえてきました。
24日から3日間にわたって開催される伝統の新庄祭りが始まったのです。
 月山に孫のチビスケ(小3)と登ろうと計画して時間表などを調べていたら、新庄の祭りがあることに気がつきました。どうせ近くに行くのだからとかみさんと立ち寄ることにしました。
急遽、宿を取ろうとしたのですが、祭りの直前でもありどこも満員でしたが、本当に好運な事に駅前のビジネスホテルにキャンセルがあり、宵まつりが見られる事になりました。
新庄は若くして亡くなった親友の生まれ育った場所で、彼はよく故郷の話しをしてくれていました。彼が俺の町の祭りを見てくれよと呼んでくれたような気がして、早朝の新庄行き「つばさ101号」に乗りこんだのでした。
 駅前の広場では、新庄囃子の合同演奏会が行なわれていて、宵まつりの日本一の山車(やたい)パレードへの期待が膨らみます。ベンチに座り、祭りの雰囲気Dscn1684_320に囲まれて聞きほれました。同じ囃子のようでありながら、それぞれの若連で少しずつ違っているように聞こえました。

夜、7時いよいよ山車パレードが始まりました。片側に驚くほど多くの露天商が立ち並ぶ道路は見物客で超満員です。
町内ごとに21の若連が1カ月余りかけて、精魂込めて作り上げた21台の山車が、子どもたちに引かれてやってきます。。歌舞伎の名場面や歴史絵巻を再現した山車に照明が入り、笛や鉦の奏でる新庄囃子のリズムにのって、力強く練り歩く姿は、じつに見ごたえがあります。

Dscn1686_320人口は僕の住む志木市の68、000人にも及ばない40、000人の町のどこからこんなエネルギーが出てくるかと思えるほど、多くの子供達や若者達が山車を引き、太鼓をたたき、笛を吹き鉦を鳴らして通りすぎて行きます。その行列が駅前広場に近づく頃、祭りは最高潮に達し、山車を引く小学生の「チェレンコヤッサー」「チェレンコヤーソレ」の掛け声が響く中、参加者も見物客もひとつになって祭りに酔いしれるのでした。

 夜、宿の窓から聞こえる、宵まつりの興奮冷めやらぬ町の騒音を聞きながらDscn1687_320眠りについた僕は夢を見ました。
友人とわかるのですが、年をとった男の顔があり、それが次々と変わってゆき、最後に額の中に入った大学時代の友人の笑顔に変わりました。
 僕が話しかけます。「高校は新庄高校だったね」友人が答えます「新庄北だよ、名前が変わったんだ」
そこで目がさめました。午前2時、窓からは相変わらず、なにか叫んで行き交う若者達の声が聞こえていました。

Dscn1688_320(写真上から)

(千門町の山車「双面道成寺」)

(新松本町の山車「川中島」)

(下金澤町の山車「助六由縁江戸桜」)

(馬喰町の山車「蘭平物狂の場」)

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2007年8月23日 (木)

無題

Dscn1664_320 今日は処暑。暦どおり涼しく過ごしやすい1日でした。
この3日間ほど、仙台より孫のチビスケ二人が遊びに来ていました。
2人は、我家にいる限りは、全ての時間が僕と遊べると思っているので、朝6時ごろから、夜までくっついてきます。
 セミとり、キャッチボール、赤外線チョロQ、水遊び、ゲームと全てをこなしてもまだ、何か他の遊びはないかと虎視眈々と狙っています。
そんなわけで、パソコンに向うどころではありませんでした。
Dscn1665_320「来て嬉し、帰って嬉し孫かいな」
明日から、その孫の1人(小3)を東北の月山に登らせてやろうと出かけます。
 その前に新庄のお祭りを見たいので、ちょっと寄り道。東北の夏祭りの最後を飾る祭りだそうです。
 そして新庄は若くして亡くなった親友の故郷でもあり、いちど訪ねたいと思っていたので、念願がかなえられそうです。
 僕の10代からの山登りに、母親はどれほど心配したか、それでもいちどとして山を止めろとは云わず、合宿から夜遅く帰ってそのままにしてあるザックの中から装備を出して日に干してくれていたDscn1666_320母。
「子や孫に山をやらせてはいけないよ。話しや写真も見せないように」との遺言まで残されてしまったのですが、子供は幸い登山とは無縁で成長しました。孫とは母親に手を合わせつつ、もう2回ほど山歩きをしてしまいました。素直に山の美しさを喜んでくれる子供と一緒に登るのが楽しみです。
母親は、相次いだ遭難に怯えつつも、本当の危険な登山の実態は、理解していなかったと思います。岩登りの現場などみたら、多分卒倒していたかもしれません。「母さん、決してチビスケには、危険なことはさせないよ」
 そんなわけで、26日の選挙には行けないので、今日は埼玉県知事選挙の事前投票に行きました。志木の駅ビル内にも投票所が設置されていて、通勤客への利便も図っています。
こんどの選挙で、前知事は、自民、公明、民社、社民相乗り候補ですから、多分対抗の共産党推薦候補に圧勝でしょう。投票率が30%代かと心配してしまいます。
帰りにニュータウンで、なんとなく秋の気配を感じたので、写真を撮りました。
 (写真上、志木駅ビルにも設置された埼玉県知事選挙の事前投票所、昔と比べたら各段に便利になりました)
 (写真中、ニュータウン横のマロニエ通り、葉が黄色くなっているのは、紅葉ではなく今年の猛暑で、葉が枯れてしまったから。美しい紅葉は望めそうもありません)
 (写真下、ニュウータウン中央公園、夏の終わりを感じたのは僕1人だったかも)

明日から3日程、ブログを休みます。帰ったら新庄の祭りや、月山のことなどを書きたいと思います。

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2007年8月20日 (月)

日経平均874円安!!その2

おや、結構良い配当じゃないか銘柄

 日経平均14000円説も出ていますが、ともかく市場全体のすごい下げにより、視点を変えてみると一部上場企業で株価から見て、かなりの高配当になっているところがあります。
 昨年の6月、一部上場の優良企業で株価の下げにより高配当になっている新日鉄と日本郵船をあげた事がありました。倒産などの心配のないこの2つの大企業が、これだけの高配当になっている株価なら、孫子の代までとは言いませんが、長い目で見れば所有しても損のない株式だと思ったからです。株価の大幅な下げがないとみたのも、もしこの優良企業の株価がもっと下げるような事になり、配当が3%を越えるような割安感のある株価になったら、その前に市場が買いにくるはずだと考えたからです。
2社ともその後の急激な値上がりは、ご存知の方も多いと思います。しかし、その為現在は配当から見ると、あまり注目すべきものではなくなりましたが。(日本郵船に少し注目しても良いかなと感じます。)
 今回も、株価がどこまで下がるかわかりませんが、ここにきて、8月17日現在の終値からみて、4%以上の利回り計算になる企業だけでも20社弱、3%以上となると、85社もあります。本来そこまで下げなくてもよい銘柄も、全体に引きずられて下げてしまっている面が見られます。
そんな中で、金融や証券会社、知名度の少ない会社、出来高の少ない会社などを除いて、わりと皆が知っている一部上場の配当の良い企業を挙げてみました。
 業績等を加味したものでなく、あくまで現在の株価と配当金額から割り出した計算から、かなり良い配当だと思った企業です。

7838 共立印刷 396円(8月17日終値、以下同じ) 3.54%(配当率)
7935 コンビ   710円  3.52%
5012 東燃ゼネラル石油 1066円  3.47%
7201 日産自動車  1058円  3.21%
1301 極洋  200円  3.00%
5002 昭和シェル石油  1240円  2.90%
5142 アキレス  174円  2.87%
4537 エスエス製薬  525円  2.86%
4634 東陽インキ製造  386円  2.85%
5706 三井金属  432円  2.78%
1868 三井ホーム  601円  2.66%
4404 ミヨシ油脂  188円  2.66%
7952 河合楽器  193円  2.59%
4954 大成ラミック  2555円  2.58%
1816 安藤建設  197円  2.54%
7913 図書印刷  324円  2.47%

 

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2007年8月18日 (土)

日経平均874円安!!

先日の山登りで、全く初歩的なコースミスをして、どう見ても一般登山道でないこんな馬鹿な踏み跡を何故ここまで登ってしまったのかと、自分に腹を立てながら元に戻ったことを書きました。
 インターネットでの株取引を始めて以来の大暴落を経験し、パソコン画面の赤字で埋め尽くされた我がポートフォリオを眺めて、ちょっと同じ思いを噛みしめています。
「どこまで下がったら売るか、ルールをちゃんと決めておく」株の超入門書に必ず書かれているルールを知らないわけでないのですが、今回は何故、ここに至ってしまったかの思いはあります。
 先の、山のミスコースと同じく、今自分に腹を立てていますが、ここまでの下落ではないにしても、同じような局面は何度も経験済ですから、そんなにダメージはありません。元のルートに戻るだけです。
しかしまあ、どの銘柄も下げも下げたり、急降下は一瞬ですが、ここからの上昇は厳しい道のりが待っているだろうと思います。
  「上り百日、下げ十日」    「天井三日、底百日」
 
 17日は、日経平均株価の下げ幅が、874円強と、ITバブルが崩壊した2000年4月17日の下げ幅1426円強以来の暴落です。これだけなら驚くことはないのですが、日経平均は8月になってからでも2000円近くの下げ、1ヶ月前の7月17日には18217円27銭でしたから、なんと1ヶ月で3000円もの大暴落です。
ルール、ことわざなどが当てはめ難い状況といわざるをえません。
 山でいうなら、自分のいる現在地が解らず、地図を見てもどの方向に進むべきか判断できない状態でしょうか。霧で山座固定もできず、コンパスは役立たずです。
  市況全体も深い森の中で、出口を求めて迷っているというべきでしょうか。
しかし、NY市場が若干戻したことでもあり、20日(月)は200~250円程度の戻りはあるような気がします。でも、各銘柄でみれば、たいした戻りは望めず投資家にとっては焼け石に水かもしれませんね。
でも、この大きな下げにより、一部上場企業のなかで高配当となる企業が増えました。そのことと、市場の動向に、我関せず銘柄、ご存知「日本航空」と「東京電力」について、もう少し書きます。ーーー続く

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2007年8月16日 (木)

酷暑 熊谷で40.9度

                                                                 Kishou1_320                         ついに、わが埼玉県が山形県を抜いて、国内最高気温を更新してしまいました。熊谷市の熊谷地方気象台で、今日の最高気温が過去国内最高の40.9度を記録したのです。
従来の国内最高気温が1933年(昭和8年)7月25日の山形市の40.8度でしたから、74年ぶりの更新です。
昨日は熊谷市に近い東武東上線の森林公園駅付近のレールがあまりの暑さで変形したとかで、一時運転休止になりましたから、その下地はできていたのです。
 僕は朝から、ことによると熊谷市の最高気温記録更新もあるかもしれないと、我家の温度計をにらんで、少し興奮していたのです。ちなみに熊谷市の過去の最高気温は1997年7月5日の39.9度です。
 遂に14時42分になんと40.9度を記録したことが発表されました。同じ頃、我家の外部温度計は38度でした。樹木が多いためか、我家の気温は他と比べるといつもやや低めです。熊谷市だけの最高気温の更新なるかと思っていたのですが、過去の国内最高気温を越えて、熊谷市の名前が全国に知られることになりました。
筑波大学・木村富士男教授によると、熊谷市の高温は次ぎの理由だそうです
「1つは『ヒートアイランド現象』。熊谷は海から遠く、都市部を通って温められた海風の風下に位置するので暑くなりやすい。2つ目は、広義の『フェーン現象』。北関東では暑い日に西寄りの風がよく吹く。熊谷の場合、西側の秩父山地から降りてくる風が湿気を帯び、暑さが増すのです」
同じ埼玉の平野部でも熊谷市が特にこの条件に合致しているようです。今夏中にこの記録を再更新することがあるかもしれません。

今、2つの心配事があります。この異常とも思える高温と地震との関連です。おりしも千葉県沖で群発地震が発生し、今朝はM5.3の地震が発生しました。
我家に近い新河岸川に迷い込んで死んだイルカも、なにか関連があるのかもしれません。
全国的にも、地電流、電波伝達などの異常が増えている様ですし、台風の進路の変な動きも気にしています。ともかくしばらく地震対策を怠らないようにしましょう。

もうひとつは、友人の住む石垣島に向っている台風8号です。中心気圧が910hpで瞬間最大風速が80mという超猛烈な台風です。前にも温暖化の影響から、今後、今まで経験した事のないような大型台風が襲来するようになるだろうと書きましたがこれもそのひとつと考えます。
 最近は昔、教科書で学習した台風の進路とは全くことなる進路を進むことも多くなりました。
 明かに地球規模の気象異常が進行中である事を認めざるをえません。
 石垣島のT君、昨年は浄化槽の蓋が舞い上がる台風の様子を知らせてくれましたが、今度もどんな台風だったか、また知らせてください。
  (写真は熊谷地方気象台、開設後108年の歴史があります。)

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2007年8月15日 (水)

瑞がき山へ

Dscn1656_320_2 8月9日。
朝、4時半起床。昨夜はテント近くで鹿が騒いで、安眠は出来なかったが、それでも熊でなくてよかった。寝袋から抜けだし、テントを出て、朝の気持ちの良い空気を胸いっぱいに吸い込む。
今日は朝のうちに瑞がき山を往復して下山だ。テントはそのままにして、クリームサンドビスケットを、水で流しこんで5.00出発。

朝食は山頂での楽しみにとっておこう。軽装なのでとても楽だ。
この山は、何度か登山計画をたてたが、結局登る機会が作れなかったので登ることがとても嬉しい。
金峰山からの下山路からみて、小屋横を右に入る明瞭な道がついている。
樹林帯の中を登り下りしながら、5.20に小川山の分岐着。ここから急な下りで天鳥川の渡渉地点に出る。5.27着。水流が少ないので、飛び石伝いに簡単に越えられた。
ここからは、暗い樹林帯をのぼる。階段や倒木、登り難い岩などを越えて行く道は、かなりの急登である。人気のあるハイキングの山と思っていたが、思ったほど道は整備されていないようだ。途中で5分休憩。6.50に標識の有る黒森分岐に着いた。
ここから廻りこむように急斜面の道が伸びている。岩場を2ヶ所ほど越えると前方に標識が見えた。登り詰めるとあっけなく頂上に飛び出した。岩の重なり合った山頂着6.55
結構飛ばしたつもりだが、思っているのは気持ちだけ、足が付いて来ないようで、ほとんどコースタイムどおりである。
 
 すごい景色だ。見渡す限りほとんど雲もなく、360度の大展望が待っていてくれた。嬉しくなって岩場を移動しながら、知っている限りの山を探す。山頂を1人占めである。
あまりうろうろすると、岩からダイビングしかねないので、山頂に座りこむ。大展望付きの豪華な朝食とゆくか。カロリーメイト、クリームサンドビスケット、チューブ入りゼリー飲料、パックジュース、チーズ、レーズンなど残った食料を持ち上げてきたので、それらを岩の上に並べて嬉しがる。
 僕は山での食事にはこだわらない方だが、「ARAI TENTのホームページの軽量テント山行の食料計画」は、いくらなんでもお粗末すぎる。そんなに違わないって?そうかな(>_<)。
 30分間、「たった1人の山」を楽しんで、7.25山頂発。
来た道を戻り、8.15の天鳥川の渡渉点着。やはり下りは楽だ。渓流で顔を洗って10分休憩。中学生らしい4人が先生と思われる人と川で遊んでいた。上に登るのかな。ここまで下る途中で、登山者と10人以上すれ違った。やはり登山者は多いようだ。
富士見平小屋には8.50到着。往復3時間50分で予定どおりだ。
 変化にとんだ面白い山だったが、もう登る事はないだろう。さようならの山がまたひとつ。

テントを撤収した後、水場の手の切れるような冷たい水で最後のコーヒーを沸かし、ゆっくり味わう。ここの水はすごくうまい。
ガスは225gボンベ2個を持ってきたが、最初の1個のガスがまだ残っている。夏は燃料の消費量が少ない。
10.15。名残惜しいが富士見平の快適なキャンプサイトをあとに、整備された登山道をひたすら下る。急斜面もある。瑞がき山への登山者がかなり登ってくる。今日の晴天は続きそうだから、みんな、大展望が楽しめる事だろう。30分の下りで10.45にみずがき山荘着。
静かで誰もいない。付近の林の中を散歩してバスを待ち、11.20発の韮崎行きのバスに乗りこんだ。またしても乗客は僕1人だ。
 
 「ますとみの湯」で途中下車し、ラジウム温泉に寄った。ここには普通の温泉浴槽の他に、25度、30度、35度のラジウム温泉浴槽があって、コースで入浴するようになっている。皆、長い時間、静かに横になって浸かっている。帰りのバスの運転手の話しだと、癌治療にも効果があるとの事で、治療目的の人も多く、休日などは、なかなか浴槽が空かないそうである。
僕もゆっくり温泉を楽しみたかったが、バスは1日6本しかないので、次ぎの韮崎行きで帰路についた。
韮崎駅着14.10。14.31発の高尾行きの普通列車に乗り込み、楽しかった山行は終った。Dscn1655_320_2


(写真一番上、瑞がき山山頂、背後の山は八ヶ岳)

(写真中、山頂から見た、昨日下ってきた金峰山からの長い稜線、頂上付近の目立つ突起は、五丈石)

(写真下、テント撤収後の富士見平の林間キャンプサイト)

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2007年8月14日 (火)

廻り目平から金峰山、富士見平へ その3

Dscn1632_320   5時起床、まだ静かなキャンプサイトで、パンとスープ、乾燥果物、チューブ入りゼリー食、コーヒーとかなりまともな朝食をとる。プリムスのガスバーナーP-153は小形で火力は強いが、燃焼音がすごく大きいので、テントサイトが混んでいたりすると、廻りを気にする事になりそうだ。
テントを撤収し、廻り目平を6.00出発。
芝生サイトでは、もう小学生達が遊んでいた。
西股沢左岸に沿って林道を歩く。時々崩落個所があるが歩きやすい道が続く。
Dscn1634_320やがて、中の沢出会い到着。7.10 
 ここには案内標識が立っていて、八丁平への分岐も示されている。7.20発丸木橋を渡って樹林帯の中の細い登山道に入る。
 緩やかな林道から、急にきつい登りだ。15分ほど登ったところで、つまらないミスコースをやった。
 右手に明瞭な踏み跡があったので、なんの迷いもなく急な崩落状の斜面を登った。道がかなり悪くなり、登山道にしては悪すぎると思いつつ、登って行くと踏み跡も消えた。
上を見ると崩落も大きく、間違った事をDscn1635_320さとった。最近は踏み跡をたどるような、難路歩きばかりが多かったので、つい踏みこんでしまったのだ。こんな悪い道を平気で登ってきた自分に腹をたてつつ、元の登山道まで戻った。
なんの事はない、ミスコースした少し先に右手方向に続く立派な登山道があった。重荷のせいもあって30分のロス。
ここを8.00発。5分も歩くと最終水場の標識があった。ここから沢を離れて、樹林帯の急な暗い尾根道を、ゆっくり登る。中間点標識の地点8.33着。ここからは西面に瑞垣山が良く見える。小憩して8.40発。
Dscn1639_320またしても樹林帯の急な登りだ。少し傾斜が緩んだ鞍部を行くと金峰山頂上付近と思われる稜線が見えた。ひと登りすると、森林限界を抜け、そこに緑色の金峰山小屋があった。小屋着9.45。
登山者は誰もいない。小屋の若い管理人、吉木さんがせっせと薪を運び入れている。スズメバチが飛んでいるから気をつけるように注意された。
八ヶ岳や瑞垣山の景色をながめつつ、休憩していると、廻り目平からの登山者が登ってきた。僕と同じく、昨夜廻り目平にキャンプして、今日同じ道を帰るという。彼が頂上に向けて出発したあとを追Dscn1642_320うように、10.00に僕も小屋を後にする。
頂上の見える、ハイマツ帯の岩の急な登りだ。案内書には20分と書いてあったが、暑いのと荷物の重みも堪えて来て、30分かかって10.30金峰山山頂着
ガスがかかり、それほど眺望は良くないが、南アルプス、八ヶ岳が望める。五丈石がガスの間に見えたり、隠れたりしている。山頂に登山者7,8人がいたが、廻り目平からの一人を除き、他はみんな大弛峠からの往復だそうだ。

昼食はカロリーメイト、チーズ、パック入りジュース、ドライフルーツ(プルーン)。水分はスポーツ飲料500mL、水1Lを持ってきたので充分だ。時折ガスに隠れるが、360度の眺望を楽しみつつ休憩約30分。11.00山頂発。
五丈石まで岩の上をひょいひょいとバランス良く下る。五丈石からは、北西方向の岩尾根を下ることになる。
 ハイマツ帯の中の大小の岩の登り降りを繰り返し、疲れるし歩き難い。眺めが良い尾根道だが、足元に注意しないと左側に滑落しそうだ。
金峰山小屋分岐
11.33着。休まずぐんぐん下る。千代の吹上げと呼ばれる個所は、まさに左側にスパッと切れており、落ちたら命は無さそうだ。しかし、岩を選んで慎重に下ればどうと云う事はない。砂払ノ頭からは、樹林帯の急降下になった。眺望もなく暑い。ひたすら下る。
 途中で金峰山に登る登山者数人とすれ違った。やがて顕著な大岩が見えてきた。大日岩である。河原の石ころを大きくして置いたようなこの大岩は、つるつるでリスもなく、フリークライミング
は無理だろう。基部着12.50。ここに小川山への分岐があった。
 大日岩基部発
13.00。道は八丁平の尾根を離れて、左側に曲り縦八丁の急斜面になる。樹林帯を下る。少し傾斜が緩くなりそれを進むと、程なく左に大日小屋が現れた。13.25着。誰もいないようだ。休憩の後13.00出発。そこから飯森山の南斜面を巻くように緩傾斜の道を進み、それがまた樹林帯急な下りに続いていた。
 ひと降りすると右手に富士見平小屋が現れ、左の林間に数張りのテントが見えた。小屋着
14.20。大日小屋より50分かかった。
今日はここまでだ。小屋の管理人の許可を得て、他のテントから少し離れた林間に設営した。この富士見平のキャンプサイトは想像していたよりかなり広く、快適なキャンプが出来そうだ。水場は小屋より数分下った場所に、10秒も手をつけていられない冷たい水が勢い良く流れ出ていた。
暑さもあって、さすがに疲れがでて、しばらくテントの中で横になる。風が吹き抜けて気持ちが良い。
夕食は、アルファー米の山菜おこわと味噌ラーメンという変な献立。
林の中の枯れ枝を集めて、今夜も1人で小さな焚火をする。ゆらめく火を見ながらいろいろな事を考える。山中の孤独を強く感じる。好きな時間。
冷えてきたので、テントの中に入りラジオを聞く。予報は明日も好天だ。中波は夜になると驚くほど遠距離の放送局が受信できる。夜半、テント脇でうるさいほど鹿が鳴き、幾度も目を覚ましてしまった。

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(写真上から)

 1.金峰山山頂から、霧がかかった五丈石
 2.五丈石から砂払ノ頭に向って、北西に伸びる岩とハイマツの稜線を下る
 3.
大日岩基部。小川山方向を示す  赤ペンキが見える
 4.
樹林帯の中の富士見平小屋
 5.
富士見平の林間のキャンプサイト、誰もいない静かで快適な場所に幕営。                           Dscn1647_320

                                  

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2007年8月12日 (日)

廻り目平から金峰山、富士見平へ その2

Dscn1619_320  普通列車の旅をして小海線の信濃川上駅到着が12.20。川端下行きの村営バスは1日8本しかない。
駅前の一軒しかない食堂で、川上そばを食べてのんびり過ごす。今日中に廻り目平に着けばよいので急ぐこともない。1時間20分待ってやってきたバスに乗った。乗客は僕1人。梓山では、車中から白木屋旅館が見えて、懐かしかった。半世紀以上も甲武信岳方面の登山者の宿として親しまれている宿である。
途中の病院前から乗ってきたおばさんも下車し、大深山から乗ってきた3人の高校生らしい軽装の登山者といっしょにDscn1623_320終点の川端下でおりた。
高校生の登山者などに出会うことは最近稀なので、何故か嬉しい。廻り目平で合宿して、大深山遺跡でも見学してきたのだろうか。このあたりは縄文時代の遺跡の多いところである。聞こうと思ったが、俊足の若者達、あっという間に姿が見えなくなった。
遠くに屋根岩の岩峰群を見ながら、高原野菜畑の道を歩く事1時間で廻り目平の金峰山荘に到着。陽射しが強く、けっこう暑かった。
 管理人は、キャンプ地は空いていますから、林間サイトの好きなところに張っDscn1625_320てくださいとのこと。平日のせいか想像したより、テントの数が少ない。
 家族連れの大型テントが目立つが、クライマーの姿はない。岩場を見上げても登攀中のパーテイは全く見えない。なにか拍子抜けしてきた。
山荘近くの水場に近い林間の良い場所にソロテントを張るともうやる事が無い。売店の自動販売機で買ったビール缶片手に尾根岩方面にぶらぶらと登ってみた。
 最近のフリークライミングを見たいと思ったのだが、ここでも岩壁にクライマーの姿はなかった。平日はこんなものか。岩場にかなりの数のボルトが連打されている。
 テントに戻り、山荘の風呂に入りに行く。400円で山荘の広い浴室が使えるなんてありがたい。途中、3分間100円のシャワーハウスや自動販売機がずらりと並ぶ売店があり、水洗のきれいなトイレ棟もあった。便利になったものである。
 小川山でクライミング中の事故が多いと聞いたが、この好環境で、やや緊張感が欠けてくるのかもしれない。事故は難しい登攀中には起きないで、ちょっとした注意力不足がまねくから。
 風呂の帰りに、芝生テントサイトを覗いたら、小学生の林間学校と思われる子供達が、ワイワイと夕食準備中。働く子供と、ぼーっとしている子供がいて見ているとおかしい。
 テントサイトで、小さな焚火をしてぼんやりと火を見つめて、暗くなるのを待ち、寝袋にもぐりこんだ。
 寝ながら昔、子供達と来た時の事、川の水が飲める事が珍しいらしく、すごく嬉しそうにコップを持ってなんども岸辺に下りてゆく姿などを思い出した。
 こうして山行初日の快適なテントサイトでの夜がふけていった。
 (写真上、小海線の小淵沢駅で見た、世界初というエコカー、ハイブリッド電車。廃線も 
噂された事がある小海線に、こんな電車が走るなんて喜ばしい)
 (写真中、廻り目平キャンプ場入口ゲート。右が金峰山荘)
 (写真下、2泊3日山行、総重量12.5kgの装備を並べてみました。クッカーとガスボンベは、1個でも良いかもしれない。水は1.5リットル準備)

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暑中お見舞いーナスの収穫

Dscn1660_320 暑中お見舞申し上げます。
今日も暑くなりそうですね。志木市も昨日はなんとも凄まじい暑さでした。冷たくて10秒と手をつけていられなかった富士見平の水場を思い出します。まあ、頭も暑さでぼーとしていますので、難しい事は考えずに、もう少し山のことを書きます。
 その前にちょっと番外編です。昨日は涼しいうちにと、朝6時頃から女農園主と農園へ。収穫の終わったキュウリの支柱を外したら、なんだか広く見えるようになった農園でナスの収穫をしました。
 4日ぶりの取り入れに、写真のように大収穫でした。6本の苗木からこんなに取れるのですね。値段は2倍しましたが、接ぎ木苗を購入したのが良かったのでしょう。そんなわけで昼食はナスカレーでした。
「今年は、ナス、トマトがよかったけれど、ピーマン、キュウリは駄目だったわね。」女農園主のお言葉です。
 今年のピーマンは作男の超ミニ農園におまかせください。エヘン(^o^)(^o^)

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2007年8月10日 (金)

廻り目平から金峰山、富士見平へ

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廻り目平キャンプ場
3日間の静かな山旅から、昨日戻りました。少し山のことを書いてみます。
 随分昔のことです。家族で秋の廻り目平へキャンプに行くことにしました。
 10月10日の体育の日だったと思います。小海線の通る信濃川上から山奥に向っている車中の当時小学生だった子供達の会話です
 「キャンプ場に他の人がいるかな?。」「この前、夏に行った時も空いていたしね。」「僕達家族だけだったら恐いね」「熊が出るかな」「小屋番の人はいるから大丈夫だよ」
と僕。
 やがて、梓山に至る道を右折して、川端下部落をすぎて廻り目平に到着。「おや、なんだか沢山車があるよ」「そうだね、村のきのこ狩り大会でもしてるのかな?」と僕。しかしなんだか大分広くなった駐車Dscn1629_320 場に入ると、目に入ってきたのは色とりどりの沢山の登山用テント。「エッー」
 これが、廻り目平が、いつのまにかフリークライミングのメッカとかして、沢山のクライマーの集合する場所となっていたのを知った最初でした。
 あのヨーロッパを思わせる岩峰に囲まれた、明るい芝生のキャンプ場。そばを金峰山川西股の渓流が流れ、小さな古い山小屋しかなく設備は悪いが、焚火は自由、薪は林の中ですぐ集められる素朴で静かな僕らの秘密のキャンプ場が、テントサイトを捜すほどの混雑だったのです。
 見上げる小川山の岩峰群には、多くのパーティが取り付いているのが見えました。テントサイトには、ザイルや見た事も無い登攀用具が積まれています。
 当時すっかり山から遠ざかっていた僕は、フリークライミングがこんなに盛況だとは全く知らなかったのです。
 僕の岩登りは今で言うアルパイン。当時東京に住む若者は表丹沢の沢から西丹沢へと進み、腕を上げて谷川岳の一倉沢や幕岩へと入って行くのがお決まりのコースのようになっていました。
 全てを山に注ぎ込んで、交通費も無い僕らの岩登りの練習は、近場の三つ峠か鷹取山の石切場跡でした。そんなちょっと暗い岩登りとは全く次元の異なる、軽装でザックも背負わず短い距離のクライミングを楽しむ若者達の姿は、僕の持っていた山の世界とは別のものでした。 書きかけーー続く
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Dscn1628_512 (写真上、今回の山行です。小海線、信濃川上駅より日に数本の村営バスに乗り、終点川端下部落から約1時間歩いて廻り目平に向う。バスの乗客は僕1人。高原野菜畑の中を行くと、前方に岩峰群が見えてくる)
(写真中、廻り目平キャンプ場の広い駐車場の廻りの林間キャンプサイト)
(写真下、寂しい僕のソロテント、空いていたのでどこでも場所が選べた。)
(写真下3枚、芝生サイトは貸し切りで、林間学校の小学生がキャンプしていた。みんな楽しげに夕食準備中で、実にほほえましい。美味しい夕食が出来るとよいね)
  3枚はクリックすると拡大します。

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2007年8月 6日 (月)

ピーマンの初収穫ー超ミニ農園

Dscn1616_320_2 作男:「農園主さま、お蔭様でおらの農園で、始めてピーマンが採れました。」

女農園主
:「良かったですね。丹精の賜物ですよ。本家農園より、色艶もよく、良い出来ですね。」

作男
:「一番良い苗を分けて頂いたからです。」

女農園主
:「そんなことはありません。過保護かと思えるほど丹精していましたからね。肥料も多すぎるかと思いましたよ。ピーマンにハイポネックスなどあげなくても良いのですよ。でも、苦労が実って嬉しいでしょう。」

作男
:「ありがたいことです。土地が悪いかと思い、肥料はぜーんぶ使わせて頂きました。始めの頃はどうなるかと思ったけれど、途中から急に実がついてくれました。」

女農園主
:「いろいろやりましたからね。筆使いなど上手でしたよ」

作男
「やー、お恥ずかしいです。つきましては少ないですが、これはお礼です」

女農園主
:「ありがとう。気持ちだけでよいのですよ。でもこれからお礼に差し上げるような時は、一番小さいピーマンをお礼にしてはいけませんよ。」

作男
:「あっ、ちゃんと見ていなすったね。写真に撮ると前のピーマン大きく写るもんだから、つい---。すまんことです。これから気をつけますです。」

女農園主
:「それと、3個の収穫に、日の丸は大袈裟ですよ。そんな旗を作る暇があったら、追肥でもしなさいね」

作男
:「へい。追肥?、ハイポネックスでよいだろか?」

女農園主
:「なんど教えたらわかるのですか。「化成肥料30g/㎡」ですよ。そうか農園は1㎡なかったですね。すこし少なめにね。」

作男
:「へい」

女農園主
:「本家農園もキュウリもインゲンも終りましたので、秋にジャガイモを植えつけようと思います。また、支柱外しや植付けを手伝ってくださいね。」

作男
「へい、ようがす。おらの農園でもジャガイモを植えようかな。」

女農園主
:「それは無理でしょう。それより、ピーマンの脅しに使った二十日ダイコンの種を使ってあげなさい。」

作男
:「へーい。(-_-;)」

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超ミニ農園のピーマン。まだ小さな実が沢山ついているので、沢山収穫できそうです。)

 明日から、廻り目平、金峰山付近を歩いてこようと思いますので、ブログは3日程休みます。
 軽量テント山行の実践です。かっては、僕のお気に入りの静かで素朴なキャンプ地だった廻り目平、いまやフリークライミングの聖地と呼ばれ、喧騒のなかにあります。
 帰ったら、最近の様子などを書きます。

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2007年8月 4日 (土)

借金時計で、国民に責任を押し付けるなー財務省の借金時計に異議あり

財務省は、8月1日から同省のホームページに、国と地方の長期債務残高が一目で分かる「日本の借金時計」を掲載したが、この「借金時計」にアクセスが集中し、通信回線に負荷がかかり過ぎたため、わずか2時間半で掲載を停止するに至ったとして、次ぎのようなお知らせを掲載しています。

                                     平成19年8月2日
  「借金時計の掲載の一時停止について」   財務省

 8月1日、財務省ホームページの「日本の財政を考える」に掲載しました「借金時計」は、アクセスにより負荷がかかるため、公告等の掲載情報の円滑な閲覧を確保するため、一時掲載を取りやめております。
不都合をおかけしている点をお詫び申し上げるとともに、掲載の準備が出来次第、再度掲載いたしますのでご了承ください。
      連絡先:電話(代表)03-3581-4111
      財務省大臣官房文書課広報企画係(内線5946)
      財務省主計局調査課(内線2328)


http://www.mof.go.jp/ 財務省ホームページ

本当にアクセスが集中して、負荷がかかったために中止したのか、最近の隠蔽、嘘の報告がまかり通る世の中では、某筋からの圧力があったのではなどと、素直に信じられない悪い性格になっていますが、いちおう事実としておきましょう。
 問題は、一時停止の事などではなく、財政破綻の国民への押し付けについてです。

7月25日のブログで、日本の借金時計について書いたのは、1100兆円とも1600兆円ともいわれる日本全体の借金が、全く返済する当ての無いまま、少なく見積もっても1時間で6億円ずつ膨らんでいる現状について、財政破綻した夕張市の現状とあまりに似ているからでした。借金時計は膨らみ続ける借金の現状を、デジタル表示の数字がリアルに示してくれます。http://www.takarabe-hrj.co.jp/clock/ 借金時計ー1
      http://www.kh-web.org/fin/       借金時計ー2
 返す目処が無いという事でいえば、来年小渕内閣時代に借りまくった40兆円(80兆円だったかもしれません)の返済の償還期限がくるのですが、勿論返せるはずも無く、また、借金の返済のために国債を発行して借金を積み上げることが決まっています。
財務省の借金時計は、僕が紹介した政府の責任を問う民間チームの作った借金時計と違い、多額の借金をしている国の広報です。
 国債の利払い費などが刻々と増え続けている、国と地方の借金が増え続ける現実をビジュアルに表現して、国民に財政再建の重要性を訴える狙いだそうですが、これは、国民に訴えるというより脅しに近いものです
 総額を国民1人あたりの借金にすると、あなたがたは、1人800万円も借りてしまっています。3人家族だと2000万円以上ですね。先行き不安でしょう。みんなで考えなくてはいけない問題ですね。この論法です。夕張市の財政破綻について書いたとき、「背に腹は変えられない」理論、すなわちこうなってしまったのだから、しょうがないじゃないかと同じやり方です。
 日本の4800万世帯のなかで、生活保護水準以下の世帯が500万世帯ちかくもあり、毎年増加しているそうです。世帯年収200万円以下でしょう。ワーキングプアと呼ばれる、啄木の歌と同じ、働いても、働いても暮らしが楽にならず、将来への展望がない多くの人々に、あなたがたは、年収10年分の借金がありますと政府が広報する神経はどうなっているのでしょう。
 一部の大企業や都会に暮らす裕福な人達だけに恩恵がある政策を長く続け、行き詰まってくると遠慮会釈の無い切り捨て政策を実施してきた政府です。このままでは破綻しかないと脅し、財政再建は消費税の大幅値上げと、自立政策と称する弱者切り捨て、福祉削減の道しかないとの選択肢しか示せない事を恥じて、財務省ホームページの借金時計の再掲載は止めましょう
 それと、ここが攻め口だとばかり「増税せずにどこから財源を持ってくるかビジョンを示せ」などと民主党にやつ当たりせず、
消費税大幅値上げの議論の前に、日本の借金が何故こんなに膨大な金額になlり、またそれを見過ごして増やし続けた責任はどこにあるのか。その議論なくしての増税はないと思います。
 すぐ「反省すべきは反省し」などというくせに、真剣に反省したことなど無い政府が借金は国民が国民からしているわけだから、こうなってしまった以上しょうがない、最終的には外国からの借金ではないのだから、破綻する前に国内で「ご破算で願いましては」に持ちこめるとなどと考えていたら、大変なことになります。
これからも、借金の利払いだけで、国家予算が消えるような状況がくるまえに、それを防ぐ唯一の道である大増税に、どうやったら国民を啓蒙できるか、財務官僚のあの手、この手の作戦が出てくるでしょう。
小出しに発表してくる財政ひっ迫状況や、こんどの財務省ホームページの借金時計などもそのひとつです
 しかし、最近の若い官僚の作る世論誘導の手口は、レベルも引く小粒になりました。論理も発想もお粗末です。人生を真摯にとらえ、物事の善悪や、協調と対立などを考えたり議論する場を持たずに生きてきた人達ばかりだからでしょう。
昔は、悔しいけれど、このやり方は憎いが上手いと思わせる世論誘導をみせる
官僚がいました。今の総理大臣以下、弱将達のもとには良き部下は集まらなかったようです。

 

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2007年8月 3日 (金)

ストーンサークルと蛭が岳と土偶ー2

Holtukaidou Tabata1                                  
2枚の写真を見比べてください。似ているといえば、似ています。左は昨日書いた国宝「著保内野(ちょぼないの)遺跡土偶」の頭部だけを僕が拡大した写真。
右は東京都町田市の田端東遺跡で1987年に見つかった大型中空土偶の頭部と見られる物、胴体部分は未発見です。写真のように高さ7・2センチの頭部だけですが、全高は30センチ以上あったと推定されています。胴体部分が発見されていれば、国宝とまでいかなくとも重文くらいには指定されたのではないかと思います。
 右の写真の頭部にある筒状のものは、左にもついていたが、破損欠落したと推定されています。
 どちらも東北地方で、同じ集団が作ったのではないかと推定されているそうですが、どうして東北地方とわかったのかなど、詳しい事はまだ調べていません。ひとつは北海道、もう一つは関東地方、誰の手で、どんな経路で運ばれたのでしょうか。東北地方で同じような土偶が発見されると、謎の解明に近づくのですが、まだ発見されていないようです。
ところで、2つの土偶の発見場所の近くで、どちらにも墓地や祭祀場と見られる環状積み石遺構(ストーンサークル)が見つかっていて、土偶との関連が指摘されていますが、まだほとんど解明されていません。土偶と銅鐸は、まだしばらくは古代史の謎のまま残るのでしょう。
http://www.city.machida.tokyo.jp/shi/leisure/meisho/bunpuzu/bunpuzu04/index.html 町 田市田端環状積み石遺構
 ところで、この2つの土偶にそれぞれ興味深いことがあります。国宝の「著保内野(ちょぼないの)遺跡土偶」は、発見者の所に、真偽はわからないが闇の帝王と呼ばれた悪名高い右翼の大物、児玉誉士夫の使者と名乗る人物がきて、町に寄贈してしまった土偶をとり返してくれたら金は幾らでも出しましょうといったそうです。北海道からこのタイプの土偶が発見されると、日本の歴史観に影響を与えるなにかまずい事があったのでしょうか?。(ミステリー1)
次ぎに田端東遺跡の土偶発見場所近くの町田市田端環状積み石遺構では、冬至の日の夕日が、丹沢の蛭が岳の山頂に沈むのが見え、それと蛭が岳には大日如来が祭られていたとのことからストーンサークルの祭祀との関連があるとの研究成果が発表されています。
僕には、はるか遠くに見える山並の中の蛭が岳より、近くの三角錐の独立峰である大山であれば信仰の山でもあり、この冬至の日没説はすんなり受け入れられるのですが?。
 5月に蛭が岳に登った時、山小屋の主人に、山頂に大日如来が奉られていたかの真偽を聞いたのですが、薬師如来の間違いではないか、その昔、山頂に薬師如来が祀ってあったので薬師岳の別名がありますが、今は山の神が寂しく祀られていますとの返事でした。(ミステリー2)
 2つの土偶に関するふたつのミステリーでした。これ以上、深入りはしないようにします。時間が幾らあってもたりません。
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(写真左、謎の山、蛭が岳の山頂。夕日と日の出の時の富士山はそれぞれ美しい。ストーンサークルから、かすかに見えるという富士山との関係も考えてしまいます。)

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2007年8月 2日 (木)

ストーンサークルと蛭が岳と土偶

Doguu_320  前に国宝の土偶である、縄文のヴィーナスについて書きましたが、北海道で発見された土偶が国宝に指定されたことを7月19日の毎日新聞の報道で始めて知りました。実は今年、国宝に指定されたこの土偶が、北海道で最初の国宝であること、すなわちあの広い北海道に今まで国宝が無かった事に驚いたのです。
 この土偶は現在、函館市立博物館の特別展示「蘇る北の縄文ロード」で展示されていますが、5月まで、東京の国立博物館でも展示されていたようです。残念、見逃しました。

 「函館市の著保内野(ちょぼないの)遺跡で 見つかった大型の中空土偶。内部が空洞に仕上げられており、こう呼ばれる。高さ41・5センチ、幅20・1センチ、重さ1745グラム。中空タイプでは全国最大。両腕のほか、頭部の突起を欠いており、本来の高さは45センチほどあったとみられる。縄文時代後期(約3500~3200年前)のものとされている。」 毎日新聞記事より
 
縄文のヴィーナスが、縄文時代最初の国宝であり、次ぎに新潟県十日町市の火焔型土器をはじめとする笹山遺跡出土品群が平成11年に国宝に指定されました。著保内野(ちょぼないの)遺跡で発見された、このちょっと左に首をかしげた不思議な魅力の土偶が、縄文時代3番目の国宝であり土偶では2番目になるわけです。
    書きかけーー続くTabata1

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2007年8月 1日 (水)

ケヤキの切り株

Dscn1599_320  7月6日のブログ「マロニエ通りの街路樹から」で、志木ニュータウン内の高木が大きく成長しすぎて、今までにも何本ものけやきが伐採されたことを書きましたが、数日前にも、3本ほどが切られて運ばれてゆきました。
住宅の日照が極端に悪くなるなどで、住民の合意のもと、やむなく切倒されたものですが、まだ、地下水を吸いあげ続ける真新しい切り株を見ると、長年見なれてきたケヤキだけに、心が痛みました。   切り株の年輪を見ると、樹齢30年ほどでした。なんだか昔から大きなケヤキだった気がするのですが、年輪からすると、植Dscn1600_320栽当時は直径12,3cmだった事がわかります。土地に合ったのか木はどんどん成長し、その間僕は老いたのです。前にも書きましたが、ケヤキの植栽が住宅棟に近すぎたうえに、数が多すぎました。逆にみれば、ニューウタウン竣工時の多すぎるほどの植栽が、現在の森の中に住むような環境を作り出しているとも云えますが。
某不動産会社の戸建て住宅の小さな庭の設計で、クスノキを植栽して数年後、成長しすぎる木に住宅購入者からの苦情相次ぎ撤去したという例を聞いた事があります。高木の植栽計画は難しいようです。
Dscn1604_512 Dscn1603_512 (写真左、住宅棟に近いケヤキの枝は、伐採されて、ケヤキらしい伸びやかさはぜんぜん無い。木がかわいそう。)
(写真中、街路にある立派なケヤキの株立ち、ケヤキはかくありたい。)

Dscn1602_512 (写真下、これも街路にあるクスノキ、小さな木が25年で、こんな大木になりました。好きな木の1本です。葉を手に取り、折ると樟脳の匂いがします。小学校の時の教師が、赤坂城、千早城の戦いを何度も話してくれた楠木正成を連想します。)
    写真はクリックすると拡大します。

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