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2007年7月30日 (月)

民主党代表小沢一郎

 僕の人生に勇気と力を与えてくれた山の本に、アイガー北壁初登攀者であるハインリッヒ・ハラーの書いた「白いクモ」横川文雄訳)と、ヒマラヤのチョゴリザに散ったヘルマン・ブールの著書「八千米の上と下」横川文雄訳)があります。行き詰まった時、困った時に読み返す座右の2冊です。
 昨日の参院選挙で、大勝した
民主党の小沢一郎代表。僕が支持する政党でもなく、氏も決して好きな政治家タイプではありませんが、政治生命をかけて戦いながらも、晴れの場に姿をあらわすことのなかった代表に、「白いクモ」の初登攀後の4人のクライマーの描写をおくります。僕の好きなシーンです。小沢代表は、混成パーティをまとめるリーダーとしての自覚と、ついてくる党員の力を増幅させる力もついてきたと思います。この選挙、よくがんばりました。選挙にむけての戦術と努力も大いに評価します。人間誰しも精も根も尽き果てる時があります。疲れを癒し、次なる戦いに備えてください。
 二見書房発行「新版 白いクモ」 著者ハインリッヒ・ハラー 訳者 横川 文雄より抜粋させて頂きました。

 
 あとにつづいたわれわれは、烈風の咆哮する稜線に立つと、雪を踏みしめながらアイガーの頂きに向った。ときに午後三時三十分。一九三八年七月二十四日のことだった。われわれが、アイガーの北壁を完登した最初の人間だったのである。
 (省略)
 それから下降に移った。わたしは、ミヒェル・インナーコフラーのいったことを思いだした。「下りはらくだ。天使がみんな手つだってくれるから----」
 ところが、下りはらくではなかった。下降路は陰険と悪意に満ちたものだった。ここでは烈風も雪を吹きはらっていなかった。雪は西の斜面に重く、水っぽく降って、氷結した岩の上に一メートルも厚く積もっていた。われわれはよく滑ったが、そのつどなんとか立ち上がった。急に疲れがでてきた。疲労の極に達していたのだ。
 下降路を捜して案内するのはわたしの役目だった。わたしが下降路を知っていたからだが、かって自分達がアイガーを越えたときは視界のきく日だった。きょうはこの霧と雪である。ときどき正しいルートがすぐにはみつからなかった。すると仲間はわたしのことをさんざん罵ったが、わたしはこれに抗議しなかった。彼らの罵る気持ちは、もっともなことだった。とくに、登攀に際しては終始文字どおり主役を演じたアンデルルの気持ちは。
 彼は、ひたすら任務と仲間のためにつくした、じつに目だたない主役だった。偉大な行為をするために、鳴り物入りでやる必要のない、大向こうの喝采を博すこともいらない主役だったのである。はげます気持ちは自分自身から、彼の本質から、彼のいかにも男らしい性格から出てきたのだ。
 いまわれわれには、そのアンデルルがどれほどまでに参ってしまっているかわかったのである。肉体的にではなく、精神的に参ってしまったのだ。彼はただ機械的に歩いている。一言も苦情をいわない。だがトップをゆずってしまった。いく日も、いく夜も、岩壁で彼が体験した途方もない神経の緊張は、当然その反動があるはずだった。危険だった何時間ものあいだ、彼は自分自身の能力をはるかに超えた力を発揮したのだ。いま彼がまたもとの普通の人間にかえったってかまわなかった。あらゆる弱点をもった、感じやすい、日ごろの生活がもつあらゆる悪意にさらされた人間に。
 たとえば、アンデルルのズボンだ。彼のオーバーズボンのズボン吊りは切れてしまった。オーバーズボンはずりおちると、山ズボンのほうもいっしょに引っぱりおとした。いくどもいくどもアンデルルはズボンをもとに戻したが、そのたびにまたズボンはずりおちた。氷結した割れ目で墜ちても電光石火のすばやさでこれに反射的に応じた男、全員を破滅から守ってくれた男、あれほどしばしば、雪崩の破壊的な重圧に耐えた男、吹雪をついて氷の張りつめたオーバーハングを乗り越え、比類のない馬力で自分と仲間のためにルートをひらき自由の世界へと突き進んだ男、ーーこの男が切れたズボン吊り一つのことで、ほとんどやけを起していたのである。
 アンデルルはトップをゆずってしまった。彼には、自分が仲間を困難な岸壁でみちびいたように、こんどは自分が降りでは安全に導いてもらう権利があったのだ。そしてまた彼には、自分の酷使された肉体の疲労を覚えたいま、わたしが霧と降雪のなかで道をまちがえたため、みんながまた二〇〇メートルも登りなおさせられたいま、これを罵る権利があった。このアンデルルの内心の崩壊を、わたしは決してばからしいものとは感じなかった。いや、その反対だった。彼がそれほど人間らしい反応を示したということのほうが、かえって彼に親しみを覚えたのである。
 われわれはまた正しいルートに戻る。下降を続ける。みな滑り、よろめき、互いにささえあった。いよいよ下る。霧を抜け出る。雪は雨にかわる。だがあの下のほうには、人間の住む安全な世界があるのだ。

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2007年7月29日 (日)

パイレーツ・オブ・カリビアン3

Main1 「パイレーツ・オブ・カリビアン3 ワールド・エンド」この映画見たいと思いながら、見そびれていました。一昨日のことです。そろそろシネプレックスでの上映期間も終ってしまうかと、ネットで上映スケジュールを見たら、もう夜の9時10分からの上映しかやっておりませんでした。あわてて、夜の土手道を自転車を飛ばして見に行きました。前2作がキャプテン・ジャック・スパロウ役のジョニー・デップの魅力と、これぞ娯楽映画と思わせる面白さに、星★4つの評価さえしましたので、第3作への期待充分でした。そして夜中の12時過ぎまでの長い3時間。
 よくも、こんなにつまらない作品を、それも仰々しく宣伝して配給してくれたとの思いです。こんな旬を外した時期に見た映画のあらすじや、配役そして批評を書くのも気が引けますので、ジョニー・デップがどうあろうとも今日のところは星のみ。
  星は★★☆です。
 本当は前2作からの期待度の裏切りから★★としたいところですが、3時間もの長すぎる大作に仕上げた努力?とお金もかけたろうと思いますのでおまけです。
 映画を見逃したからといって、後でDVDで見ようなどと考えなくてもよいですよ。
 ちなみに、僕が勝手に採点している映画の星★評価は次ぎのように考えています。
  ★★★★★ 傑作
  ★★★★   秀作
   ★★★☆      佳作
    ★★★    良作(まあ普通)
  ★★      凡作
  ★        駄作      (全てに☆がおまけに付く事があります)

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2007年7月28日 (土)

作男の執念

Dscn1598_320_2 いくら丹精しても全く実の付かないピーマン。ついに超ミニ農園の閉鎖まで考えるようになってしまった作男。最後の手段に出ました。
 シーン1 (脅迫)
「おい、ピーマン君。これ以上待っても実がつかないと、残念ながらお別れだよ。君を抜いた後に、種を蒔くラディシュを買ってきたからね。」
 作男、超ミニ農園のピーマンの横で、ラディシュの種の入った袋を振る。少し恐い顔。袋の中の種がさらさらと音を立てる。怯えるピーマン。
シーン2
 夕方の本家農園に続く坂道。懸命に自転車を漕ぐ作男。
シーン3
 本家農園で、ピーマンの花に水彩画用の絵筆で花をなでる作男。真剣な表情。
 近くの菜園の女性が、不思議そうな表情で見ている。
シーン4
 さっきの坂道を、自転車のスピードをあげて走り下る作男。帽子が飛び、あわてて戻る作男。ビニール袋に入れた絵筆を大事そうに持っている。
シーン5 (愛情)
 超ミニ農園のピーマンの花に、絵筆をこすりつける作男。ちょっといやらしい笑い。それを優しい笑顔で見守る女農園主。
 画面下の字幕に人工受粉の解説が出る。
 「そして奇蹟が。」 作男の笑顔とピーマンのアッDscn1597_512 プ。 風に揺れるピーマンの中にENDマーク。
  (写真はクリックすると拡大します。)

「本土で報道されない沖縄の今」
辺野古から緊急情報  http://henoko.jp/info/(随時更新)
●基地建設阻止  http://henoko.jp/fromhenoko/(毎日更新)
●高江の現状  
http://takae.ti-da.net/

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原発再開まで1年以上ー斑目春樹委員長(予定)の発言に疑義あり

柏崎刈羽原発の操業再開の時期について、経済産業省の調査対策委員会の委員長に就任する斑目春樹・東京大学教授が、運転再開まで少なくとも1年以上かかるとの見通しを発言したとの報道です。(25日の日本原子力学会倫理委員会主催の研究会での発言ー26日毎日新聞朝刊より)
正直、開いた口がふさがらないという表現を使わせてもらいます。これから事故の原因究明や今後の対策などを検討するために設置される調査対策委員会の委員長が、その就任前から運転再開の時期などに言及するなど、常識では考えられません。就任予定の他の委員会委員の胸中など考えないのでしょうか。
 東京電力の勝俣社長、、日本原子力技術協会の理事長の石川迪夫氏など、そろいも揃ってどうしてこうも、いつも自分のことしか頭になく、周りが読めないというか、読まないというか、他人への配慮に欠ける失言を繰り返すのでしょうか。
斑目春樹氏の委員長就任は、設置される調査委員会の調査の方向性や結論が目に見えるようです。どうせ、原発推進派しか参加しない調査委員会の結論など、あまり期待しませんが、なかでも斑目教授は、時々今回のようなとんでもない発言をしますので、注意して見守りましょう。
 報道された、今回の原子炉再操業時期の発言以外にも「想定以上の揺れが来たら原子炉本体以外のB,C級の機器は壊れても仕方がないという考え方で作られているがーー」これって、ほとんど東電の弁護のようなものでしょう。本当に壊れても仕方がないと思って作ったのですか?
 この教授、以前にも東電の度重なるトラブル隠しやデータ改ざん、偽装が発覚した際に、「2002年に格納容器の漏えい率検査の不正が発覚したが、それが氷山の一角だったことが証明されてしまった。こんな不正は検査官がいぐら目を光らせても見抜けない。ただ、遅きに失したとはいえ、東電が新たに不正を見つけ出したことは、本気で改革に取り組んでいる証拠とも言える」など、電力会社を擁護するような事を、発言のなかに必ず加えます。これは一度や二度ではありません。はっきり云って、この発言を聞く限り、原発事故の調査対策委員長就任には不適任な人選とといえるでしょう。
 今後の事故調査で僕が少し期待しているのは、国際原子力機関(IAEA)による調査です。出来れば、先遣隊でもよいから、すこしでも早めに来日して修復する前の現場の生々しい状況と、何故かあまり報道されませんが、地震の際、現場でことによると原子炉破壊かと、死をも覚悟したかもしれない恐怖の体験をした現場員(85%は下請け,孫請け社員)の声を聞き取ってもらいたいと思っています。
 それと、柏崎原発付近で今後発生する恐れがあり、諸外国の原発では考えられない大型地震に、この原発が今後どう対応したらよいのか、御用地震学者だけでなく、広く地震研究者の意見も聞いて答申してくれたら、僕は耳を傾けたいと思います。巨大断層帯が至近距離にある原発を、どう考えるのかも興味ある事です。調査員の中に、原子炉の専門家だけでなく、耐震、耐久性などに詳しい原発設計の構造研究者が選ばれているとよいのですが。
 地震当日は休日で、出勤していた社員、作業員が少なかったにも関わらず、東電発表によると10人ほどの負傷者が出たということは、相当のパニック状態になっての負傷だと考えるからです。(小出しにする東電発表にすぐ疑いの目を持つようになってしまいました。負傷者はまだ増えるのでしょうか)

追記
 今朝も毎日新聞朝刊一面トップに、東電「公表せず」続々判明の文字が見られます。圧力容器の水洩れ、事務棟の天井落ちる、ドア開かず、(中央監視室の天井破損と蛍光灯落下ー夕刊記事)などの見出しが目に飛び込んできます。これらは皆インターネットでは、内部関係者から事前に情報が流れていた事ですが、社民党調査団の求めに応じて、明らかにしたとのことです。
 一民間電力会社の地震被害を、積極的に公表する気は無いと考えているのか、不安を煽るから自粛しているのかよくわかりません。
しかし、原子力発電は、国のエネルギー政策の枠組みのなかに、しっかりと位置付けられるものです。国民と無関係ではないし、一民間電力会社だけの問題ではありません。東電は、国民に不安を与えないように、情報を整理してわかりやすく説明する責任があると思うのです。そして国も、世界一の地震国に、世界最大の原発建設を推進してきた責任の所在を明らかにし、一電力会社を指導するだけの立場ではなく、ましてや、御用調査委員会などに任せきることなく、国もまた当事者である
ことを認識して、発言、行動してもらいたいと切に思うのです。
 原発推進の当事者達は、過去、日本で発生した大型地震、これから発生するであろう巨大地震を良く理解していないように思えます。建設推進に都合の良い地震理論を拾うのではなく、この柏崎刈羽原発を襲った地震を検証しなおして、地震による原発の危険性を再認識して欲しいと考えます。

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2007年7月27日 (金)

山の軽量装備

Keiryou_640  関東地方の梅雨明け宣言は、今週末にずれ込むようですが、今日も朝から太陽が照り付けています。気の毒なくらいに気象庁の予報は裏目に出ます。火曜日に梅雨明け宣言していたら、多分今頃は雨降りだったでしょう。
でも来週からは山岳地方の天候も安定して、本格的な夏山シーズン開幕でしょう。
 6月に送られてきたスポーツ店の夏山パンフレットに、「超軽量化計画」として、目指せ2泊3日で8kgの頁がありました。(写真上)
 
山の雑誌でも軽量化の特集が見られますが、インターネットでもアライテントの軽量装備の勧めがありますOsprey1_320
http://www.arai-tent.co.jp/support/support05.html アライテントの軽量装備表
   このアライテントの装備表は、ベーシック装備ながら、良く出来ていて大変参考になります。細かく重量が書かれていますし、親切に食料の献立までついています。
 僕も単独1、2泊テント山行であれば、この10kgを目標にするのですが、どうしても2kg程度はオーバーしてしまいます。
少しアライテントの装備表と比べて見ます。テント、シュラフ、シュラフマットは、ほとんど同じでが、どうしても少しずつ重量増です。
 テントは以前はモンベルのムーンライトⅠ型を使っていましたが、重量がほとんど同じで、はるかに居住性の良いダンロップVL21に変えました。この重量はアライテントのエアライズ2と変わりません。
ただ、ムーンライトⅠ型のフレームとフライを使い、中にフレームから吊り下げる形でツェルトを使用すると、超軽量のテントができ、これは優れものです。そのうち写真を撮って報告します。
 シュラフは、同じイスカですが、エア450を使っているので、重量270g増。シュラフマットは、プロライト3のショートタイプ(118cm)とレギュラータイプ(183cm)を使い分けますが、やはり寝心地はレギュラーが勝ります。この場合200g増です。ただ、実際には重量の問題より、ザックに納まるかのパッキングサイズで決まります。
 この他の小物ですが、コッフェルは、僕はスノーピークのチタンコンポーネントクッカーのトレック1400と900の組み合わせを常用しています。クッカーが1個ですと、レトルト食品を温めたお湯を一度捨ててから、食事用のお湯を沸かさなければならず、再度レトルト品を暖めるのに不便だからです。これで200g増。
 その他、テント山行でも、ツェルトを持つことと、非常用の携帯燃料セットを持ちますから400g増医薬品とハイドレーションセット450g増。装備表では雑品500gとなっていますが、プラス要因として、ランタン、非常用無線機(予備電池)と高度計、予備のライトなどで800g増。予備のライトというのは、夜道で転倒したり、木の枝に引っ掛けて、ヘッドランプが外れて消えてしまうと、単独の場合、それこそ漆黒の闇、ヘッドライトを探したり、ましてや修理など全く不可能です。手の指さえ見えないのですから。僕は夜道を歩く場合は、必ず予備ライトをポケットか、首から下げて備えています。
 ちょっと脱線しましたが、こんなところから、装備が2kgほど増えます。そうそう、衣類もこの装備表よりは多めに持ちます。
 総重量は、なるべく軽量化したほうが行動が身軽ですし、楽なことは確かです。
10代,20代のテント山行では、登攀用具も含まれていたとはいえ、30kgを越えることが普通でした。テントだけで8kgもありましたから。今では担ぐ事さえ出来そうもありません。それから考えると現代の装備の軽量化は本当に嬉しいことです。1畳に3人も寝かせるような混んだ山小屋より、重量は重くてもテント山行が好きです。

(写真下は、僕が愛用している50リットルザックのオスプレー、アトモス50、重量1.3kg程度と非常に軽量で、ハイドレーションシステム使用可能です。お薦めの品です。従来の50~70リットルクラスのザックは2kgを超えるものが普通でしたが、最近は軽量大容量で使いやすく良い製品が出来ました。
ただ、軽量化の為に生地が薄いので、岩角などにあたると破れ易い欠点があります。軽量装備の山行記事などでは、
35リットルザックを使うようですが、僕の35リットルザックでは、パッキングは全く無理でした。このアトモス50でも、アルミフレーム付きである事も原因ですが、かなり満杯となり、実際には60リットルクラスのほうが、楽にパッキングできますし、ゆとりがあるほうが物の出し入れが楽です。問題は僕の持っている60、70リットルザックは重量がそれぞれ2.5kg近いので、軽量化とは矛盾する事です。それとザックが大きいと、つい余計なものを詰めることになり、装備を軽量化した意味がありません。なんとしてもこのザックにパッキングするぞという心構えで、必要なものは忘れず、余計なものは入れない。これを守らなければいけません。よく、山の上で女性パーティの小さなザックから、お菓子やうまそうな果物が次々と出てくるのは、魔法のように思えることがあります。僕の背負う、倍の大きさのザックからは、りんごひとつ出てきません。)

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2007年7月25日 (水)

図書館と日本の借金時計

 Dscn1587_320                                                     一昨日の(昨日は、Niftyブログサイトのメンテナンスでお休み)、ブログの中で日本国債の暴落などと経済危機の事を書いたので、少し関連したことを書きます。
  
写真は、我家から歩いて数分の場所にある志木市の柳瀬川図書館です。
 蔵書数は18万冊とそう多くはありませんが、インターネットでの予約も出来、市販の本ならほとんど取り寄せてくれるので、便利に利用しています。今も、「幕末維新の暗号」「あやつられた龍馬」(共に作者は加治将一)を借りて読んでいますが、この2冊、とても面白い本です。
 図書館といえば、財政破綻した夕張市では、閉鎖されたり、統合された多くの市の施設の中に図書館も含まれています。閉鎖です。本の貸出し業務は、公民館で存続するとの情報がありましたが、その後の経過はわかりません。
 次ぎに紹介するのは、借金時計です。
    http://www.takarabe-hrj.co.jp/clock/ 日本の借金時計
 こんな時計があるのですね。このクルクル動くデジタル時計を見ていると、日本国の借金、すなわち国民の借金(家庭の負担額)がどんどん増え続けている様が、強く実感できます。なにしろ1年で6兆円増え続けているのですから。日本の借金額の算出は非常に複雑で、計算根拠の違いにより1100兆円とも1600兆円とも云われています。すべて国民の借金というわけです。現在表示されてい770兆円という金額は、間違っているのではなく、どこまでの借金を含めるかというデーターの問題で、この時計の場合は、他の算定方式と比べて少な目の金額と見る向きもあるでしょう。
 夕張市が財政破綻すると、借金返済のつけが、過酷なまでに市民の肩にのしかかってきました。無策に借金を積み重ねた結果、市が破産したのだ、背に腹は変えられない、共犯である市民も覚悟して財政再建に協力せよ、忍びがたきを忍んでくれと、市民にとっては日常生活にも支障がでるほどの厳しい現実が待っていたのです。
 借金時計は、明日の日本が夕張市と同じ姿になるカウントダウンです
 「皆で借りれば恐くない」とばかりに、無計画に借金を増やし続ける世界一の借金国の破綻は、公共サービスの停止、社会福祉の打ちきりなどだけでなく、個人財産の消滅という、夕張市とは比較にならない悲惨な結果を生みます。国の信用が無くなり破綻するということは、国民の郵便貯金や国債その他が消え、支払われるはずの年金が無くなることです。
 このことは、多くの書籍やインターネットで情報がありますから、ここで書くまでもないでしょう。ただ、気に入らないのは、背に腹は変えられない理論で、原発事故が起きても、国民が選んだ道、日本の財政危機がひっ迫しても、国民が共犯だから責任をとるのは当然。こうなってしまったのだから仕方がないという、夕張市方式は承服できかねます
 我が志木市も、一昨年、「財政非常事態」宣言をして、財政の健全化に努力をしています。当然、反論も多かったのですが、夕張市の例、大袈裟にいえば、鉛筆1本買うのにも国や北海道の許可がいるという過酷な現実を見せられて、それが財政再建の追い風になりました。夕張市と市民だけが悪いのではなく、破綻に至る経過には、国や北海道も加担していたのに、それがいつのまにか検事役、破産管財人となってしまいました。「あなた方は、まだ状況を理解していない!」などと、若い政府役人にいやみを並べ立てられる、夕張市役所の職員の悔しさがよくわかります。
 志木市の図書館は、財政再建による経費節減の苦しさの中、インターネットでの問い合わせや、図書の予約など使いやすい図書館にむけての努力が見られます。今、柳瀬川図書館、いろは遊学図書館では、書架整理、配架、CD・DVDの確認視聴など、図書館の仕事をサポートしてくれる人を募集しています。市役所業務の外注や、ボランティア依頼に批判もあるようですが、僕はこの図書館サポーター案は支持しています。夕張市にも、早く図書館が戻ってくると良いですね。
   http://www.shikilib.jp/yanasegawa_sapota.htm  柳瀬川図書館サポーター募集

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2007年7月23日 (月)

東電株価その3

 「東電株価」の検索で、このブログを訪ねてくれる方が多いので、もう少し書きます。
 昨日のブログで、月曜日もー100円くらい下げると予想しましたが、終値3320円ー90円で引けました。出来高も地震翌日の17日を除き、連日2000万株前後の商いです。地震前には300~500万株で動いていましたので、3倍以上のの出来高となっていますし、今日は午前中一時、ー160円まで下げましたが、その後持ち直し、3250円前後の動きが続いて、かなり買支えもあるようです。しかし出来高1520万株の内容検証はしていませんから、詳しい事はわかりません。
 僕は今後の株価の動向は、柏崎刈羽原発の再稼動の有無やその可能性、そしてもし、再稼動があるならその日程で決まると書きましたが、これについては、報道制限があるのかと疑うくらいマスコミが踏みこみません。
 

 今日、経済産業省原子力安全・保安院は、新潟県中越沖地震で被害を受けた東京電力の柏崎刈羽原発への国際原子力機関(IAEA)による調査を受け入れる方針を決めたとの報道が流れました。
 調査団の受け入れ時期や調査内容については、今後、IAEAと協議する用ですが、政府は一時、査察はして頂かなくとも大丈夫ですなどの、外国では通用し難い曖昧な解答をしたものですから、海外で査察拒否などと報道され、新潟県からも早期に査察を受け入れてくださいなどと要望される始末でした。
 どうも日本政府は事の重大性を認識し、それに対処する機能がないようですね。今後起こりうる、大借金国である日本の国債暴落などの経済危機に対して、迅速な対応が可能なのかと、とても心配になります。
 横道にそれましたが、今後の株価は、東電の事故後の取組みや、地元の反応など以上に、このIAEAの査察いかんによって動きそうです。どう贔屓目にみても、よくぞこれだけの耐震設計がなされていたとか、災害に対応する体制が素晴らしかったなどの評価が出るとは思えませんので、株価上昇は望めそうもありません。
 明日も、日経平均が大きく反発するなどの要因がない限り、3240円、-80円くらい下げると思います。その後は、参院選挙の結果などの要因をおり込みながら、「東電株価その1」で書いた2950円前後で様子見となるような気がします。そしてIAEAの査察となるわけですが、その報告や対応の協議は大分先となりますので、今は読みきれません。ただ、地震に不慣れな調査員が、原子炉本体の調査以前に、原発内の道路や地盤の隆起、付帯設備の基礎破壊などに、地震被害に慣れた日本人以上に、かなりの衝撃を受けるでしょうから、正式の報告以前に洩れ聞こえてくる言動は、プラス要因にむくとは考えられません。何発かの株価ショックは与えられるでしょう。最後に、また書きますが柏崎刈羽原発の再稼動は不可能と思います。
今日は、このへんで。
ところで、経済産業省原子力安全・保安院なる組織、あまり聞きなれない機関なので、インターネットでH.P.を見たら、800人以上もの人員がいる大きな組織なのでした。
   http://www.nisa.meti.go.jp/ 経済産業省原子力安全・保安院
 

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2007年7月22日 (日)

やはり書きつづけなければー地震と原発

  追伸 ブログに、多くの時間を費やして、原発と地震の問題を書くのは、もう打ちきろうと思っていた矢先、今朝のフジテレビ「報道2001」を見ました。
出演していた、日本原子力技術協会の理事長の石川迪夫氏の、想像を超えた地震でも原発は安全に停止し、冷却も出来た。建設を推進してきた技術者として、良くやったと自画自賛している様や、30年前の建設当時の地震学により、地震学者が提供してくれた安全基準に則って原発は作った。地震学が進歩して、いろいろと新しい事がわかってきたからといって、それを当てはめられての論評は不安をあおるだけだ。放射能は漏れるものだなどの発言を、あのノホホンとした顔でしゃべられては、逆に闘志が湧いてきました。番組に出席を辞退した東電の文書による解答も、事を穏便に済ませたいという事だけに終始しています。
 柏崎市民や新潟県民、そして国民全部が感じている云い様のない不安と、恐怖を、全く理解していない人達が、原発推進の上層部にいる事がよくわかりました。また、同じく出演の評論家、竹村健一氏の、原子力発電は後戻りできない世界の趨勢であり、日本は国民が選んだ道だなどといわれると、また、資料あさりをして、反論しなくてはと思ってしまうのです。
 少数の方でも、このブログを読んでいただける方がいると思うと、草の根的ジャーナリズムは必要と考え、原発に関しては全くの素人ですが、長い間、勉強?を続けてきた地震の知識を搾り出して、まだ書き続けようとと思います。

ところで、テレビに出演した日本原子力技術協会の理事長の石川迪夫氏の発言は、現在の状況や置かれている立場などに全く無頓着で、自己主張、自己と組織弁護に終始し、原発事故で被害を受けたかも知れない付近住民の事など、全く忘れ去っていました。これを見ていて、誰かに似ていると思いました。そうです、薬害エイズ事件で、保身発言に終始して、病気に苦しむ患者の事など顧みなかった「元帝京大学副学長の安部 英被告(死亡)」と、耐震偽装事件で、どんなに状況証拠がでようとも、全く関知せずを押しとおした経営コンサルタント会社「総合経営研究所の内河 健所長」です。鉄面皮というか、いけしゃあしゃあというのか、態度、物腰、云い様が相似形に見えました。そういえば、顔まで似ていると思えるのは僕だけでしょうか。
 多くの問題発言が、批判されている
石川迪夫氏の資料ー1
http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2006/0705/nto0705_5.asp

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東電株価その2

 東京電力の株価は、一昨日の20日(金)もー80円のの3320円で終わりました。これで地震後4日連続で下げ続け、下げ幅はー470円(-12.4%)となりました。来週の月曜日も多分ー100円くらい下げるでしょう。東京電力は理論株価は4000円以上ある優良株ですが、その株価の下落を喜んでいるわけではありません。問題はこの会社の持つ体質です。過去、呆れかえるほどのデーター改ざん、原発建設の危険性に対する過小評価、あらゆる面での隠蔽体質、あげたら限がありません。自社ホームページでも、今回の大事故に対しての謝罪が見られず、どこかよそ事のようなまとめ方をしています。
      http://www.tepco.co.jp/    東京電力H.P.
 今、マスコミは禁句のように、柏崎刈羽原発の操業再開に触れようとしません。それどころか、「復旧には数ヶ月かかるだろう」などの報道さえ見られるようになりました。しかし重ねて書きます。総出力821.2万kW、世界最大の柏崎刈羽原発の操業再開は、どう考えても展望がありません。投資額は7基の原発だけの総工事費でも2兆5720億円、それが宙に浮こうという状況です。本来なら株価はもっと暴落してもおかしくないのですが、会社は全設備を点検し、耐震性を強化して早期に操業再開をしたいという姿勢を崩しません。これが株価下落を食い止めています。これが7月19日に書いた2、950円です。
 しかし、今度ばかりは、従来のような危険性に対する過小評価は、認められないでしょう。東電いわく、現実的でない巨大な地震力を想定した筈が、あっさり想定を2.5倍も上回る揺れに襲われて、大きな損傷が見られた以上、その地震力に耐えられる設計見直しをしなければなりません。原子炉周りの設備だけでなく、原子炉本体のの基礎から見直す必要があります。また沸騰水型軽水炉1~5号機をより地震に強い6、7号機のような改良型沸騰水型軽水炉に変える必要も検討しなければなりません。難問すぎる、これが操業再開が不可という根拠です。
もし、マスコミが勇気を持って「柏崎原発の操業再開の展望得られず」、「操業再開、前途多難」などの報道をすれば、株価が再度大きく下がるでしょう。
しかし、東電の猪俣社長の発言に見られるような、「良い経験になった」程度の認識を深く改め、全社的に今度の地震を重く受け止め、大きな損傷を受けた地震力を解析し、原発建設前に発見しながら、過小評価した断層や、他の断層を徹底的に調査し、今後起こりうる地震に対応した耐震力を備えた原発に生まれ変わらせる姿勢を見せ、これに社会が一定の評価を下した時、株価は安定すると思います。地元自治体の不信も取り除かなくてはならないし、また、この間に今度の地震による事故に懸念を表明した国際原子力機関とも連携して、より信頼性を向上させる必要もあると思います。
 ただ、これが実現可能の会社であるかといえば、NOです。
こう、書いてくると、原発建設に肯定的とも見られますが、僕は巨大地震の巣である日本の原発建設には、反対です。特に今回の地震に見舞われた柏崎刈羽原発以上に、浜岡原発を憂慮しています。
 建築で携わる耐震設計とは別に、地震研究と地震予知に興味を持ち、地震時の対応も考えて生活してきたつもりですが、原発事故だけは、個人の防御の範囲を越えて、悲惨な結末だけが待っていると認識しています。

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2007年7月21日 (土)

こんなに違うのに

Dscn1589_320  中越沖地震と柏崎刈羽原発のことばかり書いてきましたので、ちょっと休憩。
 我が超ミニ農園のピーマンと本家農園のピーマンの比較です。写真上が超ミニ農園下が本家農園です。葉の色艶、枝と葉の繁り具合、写真ではわかり難いのですが、実物は我が超ミニ農園のほうがはるかに元気があるのです。
しかし、我が超ミニ、花は次々と咲くのに、実のひとつだになきぞ哀しき。何故?。インターネットで調べてもわかりません。近いうちに近所の農家の方に聞いてみようと思っています。
 それにつけても見栄えの悪い本家農園は、次々と実をつけています。この差はなんなのか。苗は同じ店からの購入品です。もう少し待ってそれでも駄目なようでしたら、今年の超ミニ農園の閉鎖を報告しなければなりません。

Dscn1585_320

(本家農園のピーマン。背も低く葉張りも悪いし、葉に艶もない。それでも実がつく。ただ、周りの農園もそうだが、昨年と比べると今年はピーマンは不作年のようだ。)

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(本家農園、今日の収穫です。ナスは苗を6本植えましたが、毎日食べきれないほど収穫できます。)

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2007年7月19日 (木)

下がり続ける東電株価

 以前に書いたブログの、高配当株についての記事で、東電も挙げ、リスクとして原発事故があると書きましたが、それが現実のものとなりました。
中越沖地震以後、株価が3日間で400円近く下落しています。地震翌日の17日は、まだ原発の危険な情報が発表されなかったこともあり、-40円ですみましたが、火災事故の際の消火設備と消火体制のお粗末さや、原発内部の被害が、徐々に明るみに出てからは18日にー150円、そして今日19日は3400円とー200円も下げて終わりました。被害、損傷情報については、海外メディアも注目しているようなので、逆情報も入ってくるかもしれません。
日本のマスコミには、あまりショッキングな映像は出ないかもしれませんが、それでも少しづつ表面化してくるでしょう。写真週刊誌が、狙っているとの情報があります。
 昨日も書きましたが、この世界最大の原発は操業再開の目処が全くたたない状況で、莫大な金額を投入しても再開に漕ぎつけたいと政府も東電も策を練るでしょうが、僕は操業再開不可と考えています。
したがって、東電の株価は、投機的な操作の上げ下げや、株価下落を喜ばしく思わないむきの買い支えは有るとは思いますが、2950円くらいまで下げると予想します。新聞社系の友人の情報によると、操業再開が不可かも知れないとの論調は、今、書けない状況にあるとのことです。
 今日は株価の話でなく、柏崎刈羽原発の耐震力の弱さや、地下を走る断層の評価の甘さについて書くつもりでしたが、株価が大きく下がりましたので、番外編としました。

 ところで、前にも書きましたが、報道される東電の「想定外」という発言は、まやかしです。想定する基準の甘さが最初から指摘されているのに、自分達で勝手に過小評価したり、そんなことは起こり得ないなどとして基準値を決めておいて、「想定外」というのは、世間では通用しません。断層の規模の推定など、一部の地震研究者から厳しく危険性を指摘されてきた経緯などを全てないものとして、想定範囲をはるかに越えた、ーーー
  この項明日に続く

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2007年7月18日 (水)

柏崎刈羽原発使用停止に賛成

日本の地震予知研究について、政府の地震予知研究と民間研究機関との大きな溝についてまとめると書いたまま、実現できずにいます。7月16日の中越沖地震では、幾つもの予知研究グループで、かなり精度の高いデーターの解析に成功しています。僕も支援会員になっている植物生体電位観測グループも、そのひとつです。そのへんを含めて、少しづつでも書いてゆくつもりなのですが、なにぶん時間がかかりまとめきれません。あきらめづに書いてみたいと思っています。
            http://www.jsedip.jp/  植物生体電位観測の広場H.P.
 そんななかで、16日の地震に伴なう原子力発電所の危険性がクローズアップされ、以前から地震予知研究との関連で、地震危険地帯に建設される原発に、マスコミがその危険性をあまり報道しない、どちらかといえば政府と電力会社の隠蔽体質に協力し、原発の建設推進に賛成する向きが強いことに、今に大変な事になると危機感をもっていたことが重なり、この2日間どういうふうに書いていこうかと逡巡しておりました。
いま、今度の中越沖地震で、最も注目されているのが新潟県柏崎市の柏崎刈羽原発です。17日には甘利経済産業相が運転再開の不許可、今日は柏崎市の会田市長が運転を停止させる内容の命令書を出しました。大多数の人が同じ思いだと思いますが、僕もずさんな原発管理の体制と、今度の地震によって発生した原発内部の損傷程度の発表に、政府と東京電力の悪質な情報操作が次々と明るみに出て、不信感がつのるなかでは当然すぎる処置だと思います。
柏崎刈羽原発は7基の原子炉から発電される合計出力が、821万2千キロワットという世界最大の原子力発電所なのです。いつのまに世界一の発電所になっていたかと思われる方が多いのも、あまり報道されなかったからです。今なお後遺症に苦しむ多くの人がいる、原発最大の大惨事を起こしたチェルノブイリの原発4号機など、この原発の1基と同じ規模だったのです。
柏崎刈羽原発の地震に対する計画がいかに甘かったか、大地震や,直下型地震、そして
危険な活断層の捉え方の、寒気がするような現実を書いてゆきます。
まだ、報道されませんが、原発事故は、日本海側の他の国に与える影響も見逃せません。対応を誤まれば、今後何らかの危惧が示されないとも限りません。
多分、柏崎刈羽原発は、調査を進めれば進めるほど、再開に待ったがかかるでしょう。内部告発も増えるでしょう。首都圏の電力事情が、どんなに困った事になろうとも、僕はこの原発は、地震の危険性を考慮して多分再稼動は無理かも知れないと思っています。
   ーーー明日以降に続く

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2007年7月16日 (月)

エレベーターの強度不足

Ev001_640 フジテック製のエレベーターの強度不足が報道されています。しかし使用されている鋼材の強度が基準の3分の2しかなく建築基準法に違反している、鋼材はSS400が使われるところを値段の安いSPHCが使われたなどと言われても専門家でないと理解できません。少しひもといてみたいと思います。
(7月17日追記)
 今までの報道で、強度不足の「鋼材」などと書かれていると、よく町なかのビルの建設現場で見る鉄骨を思い出すかもしれませんが、エレベーターにはあまり大型の鉄骨材は使用されません。まして、今度はエレベーター籠の強度不足との報告であり、写真のように使われている部位も、なんだこの程度かと思われるくらいです。
 
「強度不足の部位 」
  クロスヘッド(かごを支持する上枠)、プランク(かごを支持する下枠)、
  レールバッキング(機械室を設けないエレベーターにおいてレールを補強する部材)、
  レールブラケット(レールを建物の構造部分に留める支持部材) 等

この写真(原本はPDF)は、国土交通省の住宅建築指導課が7月12日に発表したものです。
 問題の鋼材
SPHCとは、専門的になりますが熱間圧延軟鋼板と呼ばれます(JIS記号  G 3131)。このへん難しいですね。簡単に言うと一般用の鋼材料として 、主として平板および曲げ加工程度のものに用いられており、簡単な絞り加工も可能 な製品です。車両,電気器具,鋼性什器,配電盤などの外板 などに使われる、最も広く使われている一般加工用の軟鋼鈑です。厚みも3mm程度までが良く使われていると思います。
 これに対して
SS400とは、一般構造用圧延鋼材(JIS記号  G 3101)と呼ばれる鋼材の一種で、応力のかかる部位に使われる構造物用として、建築、橋、船舶、車両などに、実に一般的に使用されています。建築構造物に使用できる鋼材として、建築基準法の告示にも書かれています。
問題は、その強度で、構造用のSS400は、構造体に使用できるものとして、強度も明確にされており、金属の強度を示す引っぱり強さが400~510N/mm2であることが規定されています。それに対してSPHCは、勿論構造体に使用される目的ではないのですが、規定強度は270N/mm2です。
 これが、鋼材の強度が3分の2しかないといわれる所以です。エレベーターは建築物の内で工事されるので、建築工事とみなされますが、実際は建築躯体工事とは別の機械製品であり、機械工事と呼ばれます。
 機械設計の場合、構造体として応力がかかるものは、SS400などの構造用鋼材、それ以外の仕上げ鋼鈑や、化粧材などには加工の容易な一般加工用鋼鈑が使い分けられます。フジテック社製品の場合、このへんの使い分けが曖昧だった可能性もあります。
写真でもわかるように、自動車などの大量生産品ならまだしも、エレベーターのような生産数の少ない受注生産品に、かごを構成する一部の部材程度の材料費節減がどれほどのものかを考えると、理解に苦しみます。
 それでは、この鋼材の使い分けが、なぜ建築基準法違反かというと、建築の構造体に使用する鋼材は、前に書いたSS400などの構造用鋼材を使用する事が規定されているからです。エレベーターも建築基準法で規定が定められている以上、構造部材に構造用鋼材以外は使用してはならないのです。
 しかし、僕は今度の事件が報道されてから、建築基準法でも、普段あまり読まないエレベーター関連の法規を読み直してみたのですが、どうもなじみがなく難解で、エレベーターの使用鋼材の規定がどこに明記されているか、今現在不明のまままなのです。設計監理の現場でも、エレベーターのかごの意匠は検討しても、それを構成する部材の品質まで考えることはありませんでした(-_-;)。
 新聞報道に書かれているSS400が高価で、入手出来にくいというのは、信じられない事で、SS400は元来、建築構造物専用の鋼材ではなく、ごく一般的な流通がされていて、価格も信頼性の高いより強い強度を持つ建築構造用鋼材(現在、建築鋼材は、これに移行しています)に比べたら20パーセントも安く、納期的にみても、早いと云われています。
 ですから僕は、フジテック社と鋼材メーカーの販売会社のJFE商事建材販売の主張の食い違いや、被害者、加害者論争が、ほとんど理解に苦しむというか、なにをあほな事を言っているのだとしか思えないのです。
 食品偽装などにも云える事ですが、責任ある立場の技術者が、真実を述べれば、説明に5分もかからないし、文章にすれば10行で記述できるでしょう。建築設計に携わっている者に、両社の聞き取り調査を30分させてもらえれば、真相は解明できます。僕でさえ、その程度の自信はあります。そんな簡単なことさえ出来ないのは、少し前の耐震偽装事件にも見られる、建築業界の後進的な一面をまた見る事になったのです。一件落着とされた耐震偽装事件は、実はまだまだ大変な真実が隠されていると云われています
。(きっこのブログ参照)
 このエレベーター鋼材偽装も、エレベータ業界の氷山の一角だったとしたら、その解明が進むのでしょうか。それとも、また国土交通省の責任問題に発展しないよう早めの幕引きがされるのでしょうか。
 それと、今回のエレベーター鋼材の強度不足が、実際に地震時にどんな影響を及ぼすのか、フジテックは実験等で真実を明かす必要があります。法規的には明かに違反ですが、実際にはかご破壊につながるような事態が起こらないとわかれば、利用者にとっては朗報です。単に違反部材の交換だけで済ますより社会的に認められます。それと地震時のかご破壊の良いデーターが得られることが、エレベーター業界にも大きな収穫でしょう。
 エレベーターに関しては、このかご強度の問題以上に、大地震などに際して、実はもっと恐い問題があるのです。
エレベーターの巻上げ装置の設置されている、エレベーター機械室の床荷重にたいして、建築工事とエレベーター工事の取合いの曖昧さから起きるであろう幾つかの現象です。これは、書くにはあまりにも重大なことで、当分書けませんが、地震時、火災時には、少しでも早くエレベーターから脱出する事が、あなたの命を守ることになるとだけ書いておきます。

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2007年7月14日 (土)

建築家ー黒川紀章

有能な建築家が?
 参院選東京選挙区から立候補している建築家、黒川紀章氏、街頭演説会場で、予定された演説をせずに車の中から手を振っただけで行ってしまったとか、マンゴーがどうしたと云ったとか、相変わらず良くわからない行動をしているようです。
 東京都知事選の時は、氏自身の考える都市計画との関連もあるし、同業で石原都知事と親密な安藤忠雄氏に対する牽制もあるかと、立候補の意味もわからないではなかったのですが、今度の参院選東京選挙区立候補の氏の真意が全くわかりません。
 有能な建築家である氏がいったい、どうなってしまったのか、頭の回路は大丈夫か?建築設計に携わる者として、無関心ではいられません。しかし選挙運動期間中でもあり、特定候補者に関する選挙に影響を与える記事は書けませんので、選挙の話題はここまでとします。
 話は変わります。でも氏の政治活動と無縁とも云えないのです。文化勲章の事です。1937年の文化勲章制定以来、建築家で文化勲章受賞者はとても少ないのです。最初の受賞者は1943年に伊東忠太(76歳)、それから20年以上とんで1964年に建築家の受賞2人目として、吉田五十八(70歳)、以後現在までに6人の受賞者がいます。(もう少し調べて落ちがありましたら、後日訂正します)
  1967年 村野藤吾(76歳)
  1972年 内田祥三(87歳)
  1973年 谷口吉郎(69歳)
  1980年 丹下健三(67歳)
  1983年 武藤清 (80歳)構造設計家
  1998年 芦原義信(80歳) 
 建築界では、黒川氏は以前から文化勲章受賞に並々ならぬ意欲を見せているとの噂がありました。しかし文化勲章受賞には、それ以前に文化功労者に選ばれる事が大事なのですが、最近では2003年度に建築家、安藤忠雄氏に先を越されてしまいました。それでも念願?かなって2006年に3年ぶりに建築界から黒川氏が選ばれ、晴れて文化勲章受賞候補の1人になりました。(ちなみに、文化勲章には年金はつきませんが、文化功労者には年額350万円の年金がつきます。したがって文化功労者でない人が文化勲章を受賞する、あわせて文化功労者にも選ばれるようです)
 しかし、文化功労者の数に比べて、文化勲章受賞者の数はぐっと少ないのです。はたして氏の文化勲章受賞は、この先どういった展開を見せるのか。黒川氏の従来の行動を、この文化勲章との関わりで考えると、納得するところもあったのですが、最近はどうも受賞にはマイナスではないかと思われる言動が多すぎます。ご乱心?。策士の深い読み?。日本の建築界を代表する有能な建築家がどうなってしまったのか、73歳という年齢にあせりも見られる氏の、このあたりの事情は得られた情報から、選挙後にまとめてみたいと思います。

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2007年7月12日 (木)

ナスもキュウリも棘(トゲ)がある

Dscn1574_320  今日は、外出した女農園主の代わりに、作男(もちろん僕)が本家農園の収穫に行きました。時々、小雨のパラツク天気でしたが、自転車で農園まで一走り。今日も御覧のような収穫でした。すごいね!
 キュウリは2日前には10cmほどのものが、今日は倍以上の大きさに成長します。キュウリの成長の早さは驚くべきものです
 いつもは使う軍手を持って行くのを忘れて、素手で取りいれましたが、キュウリもナスも手にかなり痛みを感じる棘(とげ)がある事に、気がつきました。キュウリは全体に細い針状の棘、ナスはへたの部分に突起があります。それが、自宅に持ちかえって1時間もすると、キュウリは針状の棘が消え、ナスもヘタ部分の先にある固い突起がしなしなになります。八百屋さんで購入したナス、キュウリでは、気付かない生産者だけの体験です。このキュウリもトマトも、夕飯の時食べました。うまい。
 ところで作男の超ミニ農園のピーマンはどうしたの?---沈黙(-_-;)

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2007年7月11日 (水)

今、沖縄では

 本日のニュースに、沖縄県議会は、11日の本会議で、「沖縄戦での住民の集団自決を巡る、文部科学省の教科書検定意見の撤回と、強制性の記述回復を求める意見書」を全会一致で可決したとの報道がありました。異例の二度目となる可決に沖縄の人々の悲痛な叫びが聞こえてきます。前回の要請に文部科学省が全く反応せず、沖縄の人々の、また見過ごされるてたまるかという、強い思いが県議会での再度の決議、そして沖縄の全42自治体の意見書となって、今本土へ向けられているのです。
同じく、沖縄の辺野古への新基地建設に反対して、住民が懸命の抗議行動を起して、陸上と海上で毎日闘っています。
ところが、集団自決の軍の強制性の記述削除の抗議以上に、辺野古の抗議行動は、全くといって良いほど報道されません。
マスコミが報道自粛しているのではと書いた従軍慰安婦問題と同じく、意図的とも思える報道の無さです。
今日は詳しく書きませんが、この沖縄の2つの問題は、これからも書き続けます。全国紙では無視されるニュースも、沖縄の2つの日刊紙には報道されますので、ホームページを下にお知らせしておきます。
 これから参議院議員選挙に向けて、大手マスコミの人心誘導や偏向報道も増える気がします。
 政府にとって社会党、共産党が今よりずっと脅威だった数10年前には、選挙前になるとNHKの報道に不思議と共産圏の不祥事や、社会主義の悪い面などの報道が増えたのを覚えている人もいると思います。
    http://ryukyushimpo.jp/  琉球新報H.P.

  http://www.okinawatimes.co.jp/  沖縄タイムスH.P.

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2007年7月10日 (火)

ちょっと間の抜けた写真2枚

Dscn1569_320 男鹿川釣行の帰りに、大瀞(おおとろ)の日帰り温泉施設、湯処すず風に寄った時の事です。温泉建物横の鬼怒川に降りて行く坂道から、荷台に4艘の和船を載せたトラックが2台も登ってくるのが見え、何だろうと思い歩いて坂道を川べりまで下ってみました。どうやらそこは鬼怒川ライン下りの終着点らしく、対岸に下船場が見えました。そこで川下りを楽しんだ観光客を下ろしてから、こちら岸まで、船を寄せ、クレーンで吊り上げて、トラックに載せるための基地になっていたのです。ここから乗船場のある鬼怒川温泉まで、川下りの観光船をピストン輸Dscn1570_320送していたわけでした。なんだか芝居の楽屋を覗いたような気持ちになりました。天竜川や長瀞などの川下りをした時に、トラックに載せた船を見たことはありましたが、大型クレーンで吊り上げる現場を見るのは始めての体験でした。しかし、もう少し早く気がついていれば船を吊り上げて、トラックの上に載せるところを写真に撮ることが出来たのに。ブログねたに格好の瞬間を見逃しました。残念。

(写真上、船をトラックまで吊り上げるための大型クレーン、対岸に小さく見えるのが大瀞下船場のようです。)
(写真下、待機しているトラック、荷台の架台の上に、4、5台の船を重ねて積み上げ、ちょっと不安定な揺れを見せながら、鬼怒川温泉方向へ走り去って行く。)

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2007年7月 9日 (月)

再び男鹿川へーテンカラ釣り

Dscn1566_320  週末に友人5人と再び栃木県の男鹿川へ行って来ました。4月の釣行では、テンカラ釣りに全くあたり無しで、釣果0匹だったリベンヂを果たそうと意気込んでやってきたのですが。その結果は?。
 土曜日、雨天を覚悟していたのに思いがけない好天です。場所は、4月と同じく、野岩鉄道中三依温泉駅の周辺を探りました。5月の連休に訪れて、結構良い思いをした友人達は、今回も餌釣で型の良いヤマメ、イワナを釣り上げていきます。しかし我が師匠と僕のテンカラ2人組には、全くただの一度もヒットせず、虚しく竿を振りつづけました。この川の魚は、毛鉤に見向きもしないと少しふてくされて、いったん今夜宿泊する男鹿の湯のコテージに戻りました。付属の温泉で汗を流した後、諦めきれず再度夕方の川へ。入山沢?との合流点付近で、流した毛鉤が流れに引かれて5cmほど水中に入ったとき、キラリと魚影が。すかさず合わせると重い手応え。22、3cmの体高のあるヤマメでした。僕のテンカラ釣はほとんど、毛鉤を沈めず、飛びつくヤマメと目の合う感覚で掛けるのが常で、水中合わせは、数えられるほどの体験しかありません。また、ただの一度ですが、川面上20cmくらいの空中で掛けたことがあります。
 ともかく川と魚のせいにはしていたものの、腕が落ちたかと危惧していた、もやもやとスランプ感が救われた一瞬でした。
結局、今回はこの一回しか、ヒットしませんでしたが、全くライズもしない魚たちを、テンカラで一匹でも釣った事に満足して竿をを納めました。今回も男鹿川の魚たちは、餌にはかかるのに、毛鉤は見向きもしません。一体何故なのだろう。
ところで、今度の釣行では、友人が全て段取りしてくれた、中三依温泉駅前にある、男鹿の湯付属のキャビンに泊まりました。バンガロー程度と考えていたのですが、清潔な寝具と、調理用具、食器類の揃ったロッジには、冷蔵庫、電子レンジ、テレビの設備まであります。しかも6人で1棟使用して2万円弱、その上敷地内には、いつでも入浴できる温泉付きですから、大満足でした。夜は定例の大酒盛り。僕の友人達は皆、料理が上手です。それが全く駄目な僕は、布団敷きと、掃除、ゴミ出しが仕事です。なんだ、我家にいる時と同じじゃないか。このキャビン、準公営のようですが、応対も良いし、7月の土曜日だというのに宿泊は我がパーテイだけという閑散ぶりに、少しは応援になればとここで宣伝しておきます。
Dscn1572_320

(写真上、「中三依温泉男鹿の湯」の付属コテージ、同じような建物が7、8棟並んでいます。入浴料500円の日帰り温泉施設は、このコテージのすぐ側にあります。もちろんコテージ宿泊者は何度入浴しても無料です。)

(写真下、僕のテンカラ用具一式、3.2mのごく普通のテンカラ竿と市販のテーパーライン。そして自作は出来ないので、全て師匠などからの頂き物の毛鉤。
 僕はラインの太さが先端にゆくにしたがい細くなるテーパーラインを使用し、ハリスもちょっと贅沢ですがテーパー付きを使います。難点は値段が高い事で、水中の枯れ枝などに引っ掛けて失うと少しの間落ちこみます。
 僕にテンカラを教えてくれた師匠N君はラインの太さが同じのレベルラインを上手に飛ばすテンカラ名人です。毛鉤は、フライフィッシングのような擬態毛針(イミテーション・フライ)は使わずに、フライフィッシングで云えば、虫を抽象、簡略化したファンシーフライのみを使います。同じテンカラ釣でもいろいろな釣り方がありますが、僕は毛鉤を、水に落ちた水生昆虫がもがく様を再現して誘うのが好きで、流す距離も60cm程度、水中を流したり、沈める事は、ほとんどありません。ともかく、水面に飛び出してきたヤマメ(イワナ)と、一瞬目が合うような感覚がたまりません。合わせた瞬間、ヤマメ(イワナ)は騙されたという顔をします。(これは、超感覚の世界の話です)
  
(テンカラ釣りについては、書きたい事が多いので、次ぎの機会に書きます)

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2007年7月 6日 (金)

マロニエ通りの街路樹から

Dscn1561_320_1
 昨年の秋に、マロニエ通りのことを、書きました。
 「柳瀬川駅の西には志木ニュータウンが広がり、そのニュウータウンの南側にマロニエ通りというおしゃれな名前の道路があります。片側にトチノキが植えられた広い歩道の有る直線道路で、約600m以上続きます。マロニエはセイヨウトチノキと呼ばれますが、ここの街路樹は、少し葉の大きいトチノキです。でもマロニエの近縁種ですから、おしゃれにマロニエ通りと名付けられたのでしょう。
今、このトチノキから、栃の実が沢山落ちて、それを子供達が、殻を割って実を取り出しています。」

 数日前に、緑の濃くなったマロニエ通りに面している図書館に寄った際、木を見上げたら、もう栃の実がついていました。いつもの年より、少ないようですから、今年は不作の年かも知れません。子供達は実を拾うのを楽しみにしているのに。
 この街路樹のトチノキも20年で随分大きく成長し、素晴らしい景観を持つ市内でも屈指の街路となりました。街路樹の成長は、信号機や、電線などに影響しますが、今、志木ニュータウンでは、樹木の成長で困った問題が起きています。
 ニュータウンは街区の名称が、東の森二番街、南の森一番街などのように森と呼ばれ、実際これほど樹木が多い集合住宅団地は他には見られません。
 ところが今、団地内の高木の中でも、特に大きく成長したけやきの木が、伐採されたり、原形を留めないまでに剪定されています。けやきは建物に近い場所に植栽された為に、住宅の日照に大きく影響し始めたからです。この対応に管理組合内でも賛否両論があるのですが、僕は部屋の間近まで枝を伸ばし、葉の繁ったけやきをみると、やむを得ない処置と考えています。ただ、住民の不満や、声の大きさで局所的に対応するのではなく、10年、20年先をみた全体のけやきの配置計画を考えて、切るもの、残すものを考えてくださいと、この問題にたいするアンケートに記入しました。
 このニュータウンの外構設計をした造園家は、けやきが大きく成長し、維持管理が大変な事を、あまり理解していなかったとも考えられます。竣工時の景観にとらわれすぎて、けやきを密植しすぎたようです。しかし、この造園家をあまり責められないのは、僕も住宅団地の植栽計画で、竣工販売時の見栄えと、時間を経た後の景観とのギャップで、外構設計者と共に悩まされる事が多かったのです。この事は、また後日書きます。

Dscn1559_512Totinomi_512_1 (写真左、実を付け始めたトチノキ)
(写真左、昨年秋に拾った栃の実)
写真はクリックすると拡大します。

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2007年7月 5日 (木)

やらせブログとやらせ発言ー石垣島ホテル建設計画

 西表国立公園が、石垣島の一部を編入して、新たに西表石垣国立公園になる事が決まりました。
 このことが、以前に何度か書いた石垣島米原地区の大型ホテル建設計画の歯止めとなり、反対運動の後押しとなる事を願っています。ホテル建設計画はインターネットや友人から得る情報では、進捗が鈍ったかに見えますが、まだ今後どうなるかわかりません。反対運動を進める人達は、引き続き地道な活動を続けています。石垣島の一部が国立公園となった今、この米原地区のホテルのみならず石垣島全体の今後の開発をいかにすべきかを、行政も問い直すべき時でしょう。
 ところで、これも前に書いたことですが、米原地区のホテル建設計画に関心を持ち、インターネットで検索してくる人達に少なからず影響を与えているサイト(ブログ)があります。正しくはありましたと書くべきかもしれません。何故なら、反対運動を遠くから応援しているだけの僕には意味不明の、次ぎのような記事を書いたのを最後に昨年、サイトの更新が無くなってしまったからです。その後、どんな形で再登場するのか見守ってきたのですが、継続がされないまま時間が経ちましたので、国立公園決定の今、まとめておきたいと思います。その訳は、後半に書きます。
 最後の記事 「このブログで過去、米原地区で計画されたリゾートホテルのために、土地を所有していた企業の名称の表記を変更いたします。現在の表現では企業名の連想が可能なためです。既に存在していない企業であっても相手側関係者の承諾が必要との専門化のご意見です。順次、変更して参りますのでご了承をお願いします。」
サイト(ブログ)の名前は「石垣島米原地区ニュース」です。     http://blog.livedoor.jp/yoneharanews/ 石垣島米原地区ニュース 
 更新は無くとも、過去に無責任に書いた沢山の記事を残して、今も存在しています。ブログトップには次ぎのように、書いてあります。
 *自然に恵まれた石垣島。ここにリゾートホテルの建設が計画されています。ホテルはどのようなホテルなのか。そうした事実を正しくニュースにしていきます。 私たちは石垣島米原地区の経済的な自立をめざしています。 このブログの発信者プロフィールは公表いたしておりません。予めご了解の方のみご覧頂きますようにお願いいたします。
*中立の立場で発信します。
*このサイトは自然でロハスな石垣島の米原地区に起きた、自然との共生(symbiosis)ホテルの建設にともなう賛成派と反対派との活動状況を、正しく伝えることを目的としています。

このサイトを読むたびに、不愉快極まりなかったのは、まず、書き手のプロフィールが全く明らかにされていない事。中立の立場で発信すると云いながら、どうみてもホテル建設側の立場に立って、反対運動を中傷し撹乱させる記事ばかりであり、いかにも真実を報道するかのような書き方で、毎日更新を続け、始めて読む人はだまされやすかった事。建設予定のホテルを、自ら自然との共生ホテル?と呼び賛成派と反対派の活動状況を、正しく伝えるのが目的といいながら、どう贔屓目に見ても賛成派の応援ブログであること。
「反対派サイトから署名してしまったが、取り消したいとお考えの方に」という、悪く言えば脅しとも思える、およそ中立とは思えない欄を作成していた事。
 
 何故、今これを問題にするかというと、参議院選挙を前に、年金問題や、防衛大臣の発言問題の蔭に隠れてしまいましたが、絶対に忘れてはならない重要な問題、「教育基本法改悪」の「やらせ発言」を行わせた政府と重なるからです。日本の各地で行なわれたタウンミーテイングで、忌憚のない意見を伺うといいながら、実は陰険きわまる組織的なやり方で、法改正に向わせる発言を繰り返させていたあのやり方です。もう終わったことと考えないで欲しい、実に恐ろしい陰謀です。間違いなく、今後も繰り返されます。
国民に政府の国策、方針に従う事を強要する行為を、伊吹文部科学大臣は、うやむやな答弁を繰り返して、結局、憲法に次ぐような大事な教育基本法は、改悪成立してしまいました。そしてその成立が、今国会での学校教育法、地方教育行政法、教員免許法の3法の改正案成立にも結び付く事になってしまいました。
 このホテル建設計画では、政府に当たるのが、Dハウス、文部科学省の「教育改革広報・広聴プロジェクトチーム」すなわち、やらせ発言プロジェクトチームが、このサイトの発信者になります。このサイトの発信者については、建設反対派のサイトで明らかにされており、ブログの更新がされなくなった理由も推測ですが書かれています。以前にも書きましたが土木・建築工事などで、こういった何らかの利害関係で結ばれた裏工作サイトは、突然消える事が多いのです。僕も当事者同士の契約と、金銭授受の中止が原因と思いますが、これを読んで、対応や対策を考えていた当事者には、「なんだこれは!、散々書き散らしておいて無責任きわまる」といった虚しさが残されます。ちょっと寂しくなったな等と感じる人もいます。
 この「石垣島米原地区ニュース」サイトの発信者は、企業危機管理のスペシャリスト、その道の権威だそうで雪印、三菱、不二家などに起こった不祥事について、社内結束とマスコミ対応が悪かったというちょっと首を傾げる理論を展開しています。いつも最後は同じように締めくくりますが権力に媚び、見返りを求めて肩入れする御用学者、御用評論家、御用ジャーナリスト、御用知識人などもろもろは全て嫌いです。

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2007年7月 3日 (火)

大山講はまだ存続している?

Dscn1557_320  江戸時代中期から盛んになったといわれる大山参り。神奈川県の大山にある現在の大山阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ)に参拝するために江戸や関東一円の庶民の間で、沢山の「大山講」が結成されました。講とは仏教のお話をする集まりだったようですが、この講に集まる人達が連れ添って大山に参り、ついでに鎌倉や江ノ島などで遊んで、日頃の憂さを晴らしたようです。今で云う地元有志の3泊4日くらいのツアー旅行でしょう。今なら新宿から小田急とバスを乗り継いで2時間もあれば行けますが、当時はすべて歩きです。落語にもDscn1558_320「大山参り」の話があるように、道中ワイワイ、ガヤガヤときっと楽しい旅だったのでしょう。
我が志木市内にも、大山道などの古い標識や、講の記念碑的なものが残っています。古い道といえば、ニュータウン横には、鎌倉街道跡と言われる幅1mほどの古道が残っていたのですが、先頃、道路新設工事で、あっけなく埋められてしまいました。
写真は、これもニュータウン近くにあり、側には大山道の道標も残る、大山講の記念碑?です。これほど新しい物は他には見たことが無かったので写真に撮りました。これだけ立派な石碑を再建するからには、まだこの講は存続しているのでしょうか。ちなみに石碑に記された嘉永 3年とは、西暦1850年で、その3年後がペリー来航の年です。江戸の末期ですね。
7月とあるのは、当時の大山の山開きが6月末から7月にかけての時期で、この頃に参詣する人達が多かったとの事ですから、この講の人達も多分そうだったのでしょう。大山石尊大権現(おおやませきそんだいごんげん)とは、参詣先が相州大山石尊権現であり、相模のお不動様とも親しく呼ばれていた事を表しています。
  落語「大山参り」の話がわかるH.P. 
   http://kkubota.cool.ne.jp/ooyamamairi.html 落語大山参り

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2007年7月 1日 (日)

ヒオウギアヤメー厚岸町と櫛形山

Ayame006  数日前、NHKの朝のTV番組で、北海道厚岸町にある原生花園に咲くアヤメの花を中継していました。ヒオウギアヤメ。本来なら高地の湿地に咲くこの花が、ここ寒冷地の厚岸町では、海岸沿いの広大な原に30万株も群生していると解説していました。
 関東圏では、このヒオウギアヤメで知られているのは、花のP_1082100名山としても有名な櫛形山です。標高2000mの山頂付近には、数十万株ともいわれる大群落があります。僕は6年ほど前の7月中旬に登りましたが、それは見事な景色に出遭えました。
 話はここから大分横道に逸れます。実は、その時の登山で、面白い体験をしました。県民の森から北尾根コースをとって、最盛期のアヤメの花が見事なアヤメ平、裸山などを経て、櫛形山山頂に向って登っていた時の事です。
山頂方向から降りてきた、グループ登山の一行から、「もう、お帰りですか?」と聞かれたのです。一瞬、なんのことか分からず、これから頂上に行く旨を伝えました。すると、それは大変ですね、我々は、山頂の反対側から登ってきました。頂上まで、1時間もかかりませんでしたよ。これからアヤメを見るために、下って行く途中で、また山頂に戻ってくると言うのです。
 僕は山の西側に伸びていた池ノ森林道が、車で山頂近くまで登れるようになった事を全く知りませんでした。本来の登山口である県民の森から、山頂までは4時間強かかります。それが1時間とは、この山は、そんなに簡単に登れるようになっていたのです。聞けば、ツアー登山のグループで、林道途中のバスが上がれる所から先は、チャーターした数台のタクシーでピストン輸送されたようでした。そんな、登り方もあるのか、ちょっと登山の本道?からは外れているなと複雑な心境になりました。
 しかし、現在この池ノ森林道からのルートが、櫛形山登山のメインルートになったように、各地の山でこれと似た状況が起こっています。景色や行程を楽しむ事より、最短距離から頂上に登り、なるべく楽に下山しようとする登山者が増えているからです。関東圏では奥秩父の国師ガ゙岳や、金峰山をはじめ、平が岳、塩見岳、帝釈山、皇海山、女峰山などの山で、山奥まで開発された林道を利用して、マイカーやタクシーの利用で、最短時間での登山が可能になりました。100名山ブームでタクシー会社がだいぶ潤ったとの話も聞きます。その一方、従来の登山口では、登山者激減で、登山道が荒廃したり、バスの運行が中止になり、山小屋が廃業したりするところも出ているようです。近年、尾瀬や北アルプスの登山者は減少気味です。昨年度の尾瀬の登山者数は、10年ほど前の最盛期の半分になっています。実際に山では、50歳,60歳代の登山者は多く見かけますが、若者はもちろん後続する年齢層がいません。しばらくすると、現在の40歳代が山に行くようになって、登山者数は現状維持されるのか、それとも激減して、山小屋経営者に厳しい現実が訪れるのか、ここ数年である程度見極められると思っています。
 先日、苦しい登山を経験した、大無間山の登山口の民宿では、かってはほとんど登山する人を見なかったが、ここ2,3年で、急に登山者が増え、宿泊してもらえるようになったと喜んでいました。民宿の経営者は、多分100名山を終わらせた登山者が200名山を目指しているからだろうと分析し、この状態が長くは続かないだろうと苦笑いしていました。
 (写真上、北海道厚岸町のアヤメの群落)
 (写真下、櫛形山の裸山付近のアヤメ群生地)

(余禄)
ここ数日、日本の新聞、TVから従軍慰安婦問題が全く消えました。この問題のアメリカ議会の決議に対して、頭を低くして静観するが得策と判断した政府から、マスコミに報道自粛の協力要請があったのかと疑っています。

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